Chapter:0005
「イチカさん」
呼ばれてすぐに立ち上がり、声のした方を見る。
受付を済ませて静寂の落ちる待合室で待つこと三十分。
もう少し待たされるかと思ったが、思いのほか早く呼ばれ、“船守認定試験”というのは時間がかからないらしいと内心で驚いていた。
確か市香が受付をした時には三十名ほどの男女が試験会場の前に列を作っていたのだ。一名ずつ順番に試験をすると言われ、待合室に通された市香は試験が昼をすぎるのを覚悟していたほどだ。
「もう私の番ですか?」
やってきたのは体にピッタリとしたスーツを着込んだ女性職員。
茶色の長髪を綺麗にまとめ上げ、眼鏡の位置を指で神経質そうに直しながら頷く。
「試験と言っても学力とかではありませんので。どの適性が出ているか、その適性はどの程度かを石球を使って調べます」
「石球……」
「身も蓋もない言い方をすれば石の球ですね。一瞬触って終了です。ではこちらへ」
女性職員は赤い絨毯の上を滑るように歩く。
市香は石に触って適性が分かるという、いかにも異世界といった話に内心で興奮していた。
一体自分にはどんな適正があるのだろうと期待しながら、先程人が列をなしていた試験会場入り口へと向かう。
「では、こちらからお入り下さい。中は明かりが付いていませんので、ご注意下さい」
「え? それってどういう――」
「…………」
気のせいか“何も答えるつもりはない”という強い意思を感じる。
いや、恐らくは気のせいではないだろう。
何故こんなにも疎ましがられているのかと思いつつ、市香は逃げるようにして扉に向かう。
「……入ります。ご案内ありがとうございました」
早口でそう言うと、明かりがついていないの意味がわからないまま、市香は部屋の中へと滑り込んだ。
扉が閉まるのと同時に、部屋の中は真っ暗になる。女性職員が言ったように、明かりは一切ない。しばらく待ってみても目が慣れることはなく、ジリッと動かした足の先には床がないのではないかと思えるほど真っ暗であった。
ジリジリと足を伸ばしては地面があるのを確認して体重を乗せる。それを数歩分繰り返したところで、この行動に意味があるのかと悩み始めた。
「……明かり……ほしい……」
思わずそう呟いた時のことだった。
体の表面をスウッと何か冷たいものが走ったような感覚とともに、自分が発光し始めた事に気づいた。
「うわあああ……凄いファンタジー……」
やがてその体は光を増し、それが光のモヤだと言うことに気づく。赤黒いことを除けば、大変にありがたい光量だ。
そして何気なく横を見た瞬間、市香は驚きのあまり悲鳴を上げるところだった。
「明かりをつけるのが遅いので、資格なしかと思っていたところです」
数名のスーツを着た男たちが、今にも目玉が飛び出しそうなほど驚いている市香を見て忍び笑いを浮かべている。
「……説明、されなかったもので……」
「おや、それは失礼致しました。当たり前のことだと思っていました。船守の試験内容はとても有名な話なので」
「……すみません、ペレの奥にある地図にも載っていない田舎から来たので……お手数でなければ、試験内容をご説明いただきたいのですが」
そう言えば、男たちは僅かに驚いた表情を浮かべる。
「……あなたは何をしに来たのですか?」
「あの……船守の、試験です。試験内容を知らずに来たのは申し訳ないのですが、事情がありまして……野盗に襲われて記憶をなくしております。老夫婦に拾ってもらい、生計を立てるために船守の仕事を紹介してもらいました」
これは事前に決めてあった言い訳だ。
何かあっても大体がこれで通るし、それを根掘り葉掘り聞こうとする無神経な者はそうそういない。
それは試験会場の男たちもそうだった。哀れみを向けはするが、小さく「そうですか」の一言と共に手に持った杖を振る。
するとそこから光の帯が出現し、それがある一点へと集まっていく。やがてその光量が周囲を照らすほどになった時、市香は一つの大きな石球があることに気づいた。
「これが……石球ですか?」
「それはご存知なのですね」
「先程女性職員の方から聞きました。これに触れたらいいと」
「その通り。触るだけで結構ですよ」
男はそう言うと手を石球の方へ差し出しながら少しだけ首を傾げる。さあ、触れと促されて、おずおずとそちらの方へ向かった。
「実を言うと」
今にも石に触れようとしたその瞬間、別の男が口を開く。
「明かりをつけるのは別に意味が無いのです。ただ光量がどの程度あるのかを見たくてね。夜は船を照らして欲しいという仕事もありますので」
「……なるほど。私はどの程度なのでしょうか」
「そうですね……まあ、多くはないでしょう」
そうだったのか、と少し残念に思う。しかし市香が仕事に影響が出るのは困るからもう少し明るくなればいいのと思ったら、体を取り巻く赤黒い光は光量を増し、やがて部屋中の装飾が問題なく見えるほどの光量となった。
ただ、相変わらず色は赤黒い。
「……調整、できるようです。まあでも……赤いので不安になると言うか……灯り係には向いていないかもしれません……」
「そのようですな……」
数名の男だけだと思っていた部屋には、十数名の男女がいた。
そしてその全員が、目を見開いて市香を見ている。
変な空気になったまま、市香はそっと石に手を乗せた。
そして――
「わっ……!?」
ボッという鈍い音とともに、石が発火する。その炎は冷たくも熱くもなく、思わず手を引っ込めようとしたが、驚いたことがばれると恥ずかしいと思い直し、手はそのまま乗せておくことにした。
石に吸い込まれていく赤い筋を見ながら、市香は心臓が破裂しそうなほど興奮していた。
「あのっ……こ、これは、どのくらい手を乗せておけばいいのでしょうか!?」
驚きのせいでやや声が大きくなりながら、市香は男たちの方を見た。
しかし、その様子がどうもおかしい。皆一様に顔をしかめ、コソコソと話をしている。
嫌な予感に市香が不安そうな顔をすると、その中の一人が「もう結構」と告げた。
「イチカさん、でしたな」
「は、い……」
「気分は?」
「いえ、特に悪くは……」
「そうですか」
また、部屋の中の数名がコソコソと耳打ちし合う。
「試験内容をご存じないとのことで、少し説明させて頂きます」
「……ありがとうございます」
「結論から言いますと、イチカさんは問題なく船守の資格を有しています。一番強く出た反応は堅固。つまり船守として最も重要な船守の陣牢と呼ばれる障壁を張る力です」
その言葉に安堵のため息をつく。これで資格がないなどと言われたら、どうやって生活していけばいいのかと思っていたところだ。
しかし、そう安心してばかりではいられない。依然として男の表情はかたく、何から言えばいいのか迷っているようでもあった。
「そして光量。先程のは恐らく全力ではないと思いますが、どのくらいの力で発光したものでしょうか?」
「どのくらい……? いや、特に考えていなかったというか……もう少し明るくならないかなあ~くらいで……」
「……なるほど。となると恐らくはお一人でガレオン船を照らすくらいは問題なくできるでしょう。非常にあり得ないことですが」
「ガレオン船」
パッと浮かんだのは海賊船だ。
あの巨大な船を照らすだけの光量が本当に出るのだろうかと訝しんでいると、目の前の男は硬い表情のまま話を続けた。
「そして一番我々が驚いているのは光の色です」
「色、ですか」
「船守の光は希望の光。その色は常に白か金です」
「白か、金……? 私のは……」
「赤……それもどちらかと言えば赤黒い光だ。これは大変に問題がある」
市香はそこでようやく異様な空気になっていた理由がわかった。
色んな意味でイレギュラーなのだ。ありえないことが起こっており、そして集団というのは得てしてそれを良しとしない。
「仕事が取りにくいでしょうか……?」
恐る恐るそう聞けば、男は大きく首を横に振った。
「いいえ。そういうことではありません。正直明かりは依頼人が自分たちで用意すればいいのですから。色がどうとかそこは問題になりません。突出して秀でている能力は堅固、そしてその光量と光の密度。言わずもがな、能力が高いことは一目瞭然だ。それはもう明かりの色など問題にならないくらいに」
まるで映画を見ているような、そんな実感のない会話が広がっていく。
「ルーキーでありながら、今後SSSクラスになる人材であることは間違いない」
「えっ……いや、そんな……」
「自覚がない? なら尚のこと心配だ。つまり、つまりですよ、イチカさん。我々は危惧してるのです。あなたの能力が悪事に使われないかどうかを。それが一番の問題なのです」
部屋中の人間の視線が市香に集中する。
「あなたが悪に身を染め、堕ちていく時、その時は我が協会が全力を持ってあなたを殺さなければならない――そういう話になってくる可能性があるのです」
「そんな……」
「ですから、そうなる前に早く我々と協会への所属契約を。そうすれば我々があなたの身を守りましょう」
男は冗談を言っているようには見えなかった。
ただ部屋の中に市香の生唾を飲み込む音が響く。
辺りはシンとしており、時計の針の音すら聞こえない。