Chapter:0023
「早く歩け間抜けめ」
散々殴り倒したあと、興奮冷めやらぬ様子でレイヴンズチェストはバーレスクを牢から連れ出した。
四肢を拘束されているのに容赦なく前髪をひっつかみ、引きずり、レイヴンズチェストはバーレスクを連れ歩く。
痛みに顔をしかめるのを気にもとめず、ようやく王座にたどり着いたと思ったらその手を離してバーレスクを地面に転がした。
「やあ、パーティーには間に合ったかな私は?」
誰と話しているんだと顔をあげれば、そこには懐かしい面々がいた。
「レイヴンズチェスト、お久しぶりね。私に会いたかったの? 片手じゃ足りなかった?」
その台詞にわずかに顔を歪ませたレイヴンズチェストを見て、バーレスクは妙におかしくて吹き出す。
「挑発的だな、お前。こいつを怒らせたら俺が殺されるかもしれないって言うのに」
「もしかして都会では地べたを這いずり回るのが流行っているの? 格好いいわよ、バーレスク」
ああ、この女は怒っているのだ。
燃えるような目を見て、バーレスクは唐突に理解した。そして理解した瞬間、興奮で背筋がぞわりとする。
毒のある言葉はとどまることを知らず、後ろからやんわり諌めたマーチンボルグなどは返り討ちにあってしょげている。
この暴れ馬をどう扱って良いのかわからないといったマーチンボルグの表情にこっそり笑うが、それもバレて再び睨みつけられてしまった。
「ねぇ、レイヴンズチェスト。あなたの望みは何?」
「バーレスクの絶望」
ブレのないそれに市香の口角が上がる。
なんてわかりやすい男だろうか。
そのために姿を変え、周りを欺き、チマチマとした嫌がらせをしているのだ。
なんと愚かで、小さい男か。
「くっだらない」
「……なに?」
「悪いけど、私そう言う面倒くさいやり取り大っ嫌いなの。手っ取り早く決着付けましょうよ」
ぐわんと空間がたわむ。
一瞬にして赤黒い陣牢でその場を包み込み、レイヴンズチェストと市香だけの場を作る。
外野が陣牢を叩いて何かを言っているが、面倒なので音声も全てシャットアウトした。
「なるほど」
レイヴンズチェストはニタリと笑う。
後ろを振り向くと、バーレスクの顔を見て音を出さずに話しかける。
― そこで女が死ぬのを見ていろ ―
目に見えてバーレスクの顔色が変わり、拘束を解くために暴れだす。
それを見て笑いが堪えられないとばかりに口に手をあてながら肩を揺らし、ゆっくりと視線を市香に戻した。
「レディをお待たせしてしまったな。さあ、始めようか」
戦いの火蓋は切って落とされた。
+ + + + +
「なあるほどなあ」
市香たちが向かい合っているその裏側で、青白い顔をしたミールは目の前にいる影の前で跪かされていた。
「それで私を呼んだか」
「納得したら取り引きを」
「駄目だ」
「…………」
断られるとは思っていなかった。
ならなぜ身の上話までさせたのかと睨みつければ、船守の牢屋の主はクスクス笑いながら椅子に座ったまま足を組み替える。
「報酬が足りない。市香は非常に面白い物を持っていたが、お前など空っぽじゃあないか。一番大事なものがそれだと? 笑わせる。色恋は飽きたんだ別のにしてくれ」
「ならば何を差し出せばいいんだ!! 一番大事なものを差し出す代わりに、市香を助けてくれと言うだけの話だろうが! これ以上、何を望む!!」
唾を飛ばしながらそう叫べば、悪魔はゆっくりと首を傾げてミールのことを指さす。
「お前の全てを」
まるで時が止まったかのようだった。
+ + + + +
「跪けよ小娘!!」
おかしい。
「あはははは!! 愉快だな。実に愉快だ。お前言うほど強くないな」
いや、おかしくないのか。
この男は宝玉をなくしてなお強すぎるのだ。
悪魔に魂を売ったということはこういうことだ。
そう納得して、直後に舌打ちする。
市香の船守としての力など全く役に立たず、今はただかろうじて攻撃を避けているだけだ。悪魔の力が市香の能力を抑え込み、普段の一割の力も出すことができない。
「それになんだ? 接近戦に持ち込んだら終わりだな、お前」
その通りだった。市香は今まで一度も接近戦では戦ったことがない。
そもそも市香に近づくことができる敵などいなかったので、全く問題にはなっていなかった。
しかし能力がほとんど使えない今、もはや打つ手なしと言わざるを得ない。
ただなぶり殺すようにして徐々に傷つけられ、遊ばれている。
「痛みには強いか? あまり表情が動かないので楽しくないな」
「いや結構死にそうだけど」
全身血に塗れ、殴られ、切られた場所がどこなのかわからないほど服が汚れている。
そう、まさに遊ばれているだけだった。
「はあ~、まったく手応えがないな」
心底呆れたというふうにため息をつくと、レイヴンズチェストは天を仰いで考え事を始めた。
誰にも聞こえないくらいの音量でぶつぶつと何かを言うと、やがて「まあいいか」とだけ言って視線を市香に戻す。
「飽いた」
その一言とともに、レイヴンズチェストは宙より取り出した剣を構える。
「そう言えばお前には腕を盗まれていたな。宝玉がなくなったので作るしか無いのだ――その生命、全てで腕一本分と言うところか?」
鼻で笑うと、レイヴンズチェストは勢いよく市香に振りかざした。しかし、市香は逃げる様子はない。
だからその剣は、確実に市香を叩き切る予定だった。
陣牢の外ではバーレスクに駆け寄ったマーチンボルグが拘束を解いていたが、その表情が「あっ」とばかりに間抜けなものに変わる。
恐らくは全員がそんなふうな顔をしただろう。
そう、この場にいる全員だ。
「――ミール?」
どこから現れたのか、空中の切れ目から飛び出してきたミールは市香の前に降り立ってレイヴンズチェストの剣を肩で受けている。
本人も何が何かわからないような顔をしており、ただ荒い息で傷と目の前の人物を見比べていた。
宙に舞った血が、市香の顔に降り注ぐ。
「何だこれは……? ここは……? 誰だ、お前は……」
混乱しきったミールのすぐ横に、再び空間の切れ目ができる。
そこからのっそり顔を出したのは、船守の牢屋に住む悪魔だった。
「ミール。記憶はないだろうがお前の言うとおり市香の前に投げてやったぞ。ああ、契約通り死んだら肉体ごと持っていくので、ここで見学させていただく。気にしないで続けてくれ」
「何、どういうこと……?」
嫌な予感がして、市香は震える声で悪魔に問う。
「おお、市香。久しぶりだな」
「どういうこと、何が起こっているの」
「こいつ、お前を助けるために全てを俺に払ったんだ。殊勝だよなあ」
なんでだ。
なんでそんなことを。
「お前もそうしたら良かったのにな。復讐する力を求めるのではなくて」
ぐりんと首をひねって、悪魔がレイヴンズチェストに話しかける。
「何を……助ける……? あの時既にマリィは死んでいた。死んだ者を生き返らせるなど……」
「できるさ。俺は冥府の住人だぞ」
――もちろん、それ相応の対価はいただくが。
果たしてその台詞はレイヴンズチェストに聞こえていただろうか。
目を見開き、剣から手を離した男は膝から崩れ落ち、ブツブツと何かを呟いている。すっかり壊れたと誰が見てもわかるその様子に、市香はそれでもかまっている余裕がない。
「おい、なんだ、これはどうなっている」
荒い呼吸、血の気を失っていく顔。
大量に溢れて止まらない赤。
「ミール……ミール大丈夫……なんでこんなことを――」
「誰だ君は」
ニタリと悪魔が笑う。
「可哀想になあ」
ミールが崩れ落ちる。
それを受け止めようと縋ったその瞬間、悪魔が手を伸ばして空間へとミールを引きずり込んでいった。
「待って!!」
「これは俺のだ」
それだけ言うと、悪魔は空間を閉じて消えた。
「なんで……」
陣牢が消え、音が戻る。
「市香!!」
飛び込んできた海賊たちによりレイヴンズチェストは取り押さえられ、バーレスクは市香に駆け寄った。
「怪我は」
まともな判断ができるとは思っていない。だからバーレスクは自分で市香の体を確認し、命に関わりそうな怪我がないことに酷く安堵して大きくため息をつく。
そして強く抱き寄せると、バーレスクは震える声で呟いた。
「……疲れたな」




