Chapter:0020
「ではキツネが船守協会の掟を破ったのは確かだということですね」
センチェルト協会の円卓の間。
そこでは被告人不在の審議が行われていた。
「襲われている船を見逃したこと、契約を結んでいないのに仕事をしたこと、しかもそれが処刑場に飛び込んで元依頼人を助けるため……? 私事ですなあ。一番でかいのは副協会長殿を殴ったことか?」
「その件に関しては殴られたのではなく転んだだけとお伝えしましたが」
ミールが即答するも、それを信じる者は誰もいない。
「まあ……確かにこの情報を見ると数々の違反はしているようですが、契約を結んでいないのに仕事をした件については違反とは言えないのではないでしょうか? ただの友人を助けただけとも取れます。とは言え国の法律には違反していると思いますが」
「そうだとすると別の掟を破ったことになるな。規律を乱す行為は禁止されている」
「いやあ、彼女のこれまでの働きと掟を破った状況を考えれば、情状酌量の余地があるのではないかと思われますがねぇ」
「確かに彼女にはこれまで協会のために働いてもらっているが、一度例外を作れば他の者に示しが使いないでしょう」
そしてその審議は荒れに荒れていた。
市香を擁護する者、他の者と同じ扱いをと言う者。
その中でも一番市香のことを擁護しているのは、他でもないミールであった。日夜奔走して証拠などの書類をかき集め、少しでも刑が軽くなるよう、あわよくばなくなるように努めた。
「…………」
ミールは審議会のメンバーを睨みつけ、誰が敵か、誰が味方かを探った。
――なぜこんな事になってしまったのかと内心で大きなため息をつく。
「……イチカのやつ」
初めて市香とミールが出会ったのは数年前だ。あの頃は自分も下っ端で、誰かに意見をするのが面倒くさいというどこか冷めた人間だった。
しかし市香を知る中で心に変化が起こり、どこか危なげな市香を守るためには何ができるだろうかと考え、その結果副協会長という地位にまで這い上がった。
だというのに、今こうして市香は危機に瀕している。それも市香自身のせいで。
何も知らない市香に騙し討ちで契約を結ばせたように、また彼女を守ることができないのか、と歯ぎしりをした。
それもこれも、ぽっと湧いていきたようなただの男に――いや、正確に言えばぽっと出にしても正体は王族だったが、そんなものに横取りをされてたまるかと目を細める。
「各々の意見はわかった。最終判断を――」
議長である協会長がジャッジ・ガベルを振り上げる。
「登録名キツネ――かの者を例外なく規則に則って処分するように。事態は深刻である。即日刑を執行してよろしい。必要であれば刑の執行後、拘束するように」
頭を抱えて机に拳を打ち付けるのを、誰も諌めはしなかった。
+ + + + +
「登録名キツネ。掟を破ったことに間違いはないか。議会の決定により、それが正しければ船守の牢屋に入れることが決まった」
そう言われた瞬間、拘束されていた市香は鼻で笑った。
誰を笑ったのか、何を笑ったのかわからない。
ただ反射的に笑っていた。
「どうぞ? あなたたちが勝手に決めた掟とやらは確かに違反していると思うので。私は一度も賛同したことはないけど」
うつむいていた顔を上げ、目の前の見たこともない男を睨みつける。
「ぐっ……い、いいか、余計な真似はするなよ」
男は怯えたようにそう言うと、口の中で小さく呪文を唱える。
床にいくつもの魔法陣が現れ、空気が轟々と震えた。やがて魔法陣から勢いよく扉が召喚される。それは地獄の門のようで、わずかに開いた隙間からは瘴気が吹き出していた。
「……ああ、これは」
それを見た市香の顔が引きつる。
「あんたたち正義の味方をしているわりに、えげつないモノ使うのね。悪魔の扉じゃない」
その言葉を最後に、市香は扉の中から伸びてきた無数の手によって椅子ごと扉の中へと引きずり込まれていったのだった。
+ + + + +
「ようこそ市香」
真っ暗闇でスポットライトが照らされる。
眩しさに目を細め、周囲を見渡す。
するとすぐ目の前に、同じく椅子に座ってこちらを見る黒い影があるのが見えた。
「あなたが処刑人?」
「そうだよ。私の前に人が来るのは何百年ぶりかな」
黒い影は人型をしている。
しかしそれが人ではないことは確かで、少ない情報から得るものはなにもない。ただ目の前のそれがいわゆる“一番大事なものを奪っていく者”であることは理解した。
「早めに終わらせてくれる? 行かないといけないところがあるの」
「まあそう言わず」
影は椅子から立ち上がると、市香の目の前でゆっくり座る。
そして無い顔で市香を見上げながら、ゆっくりと首を傾げた。
「市香、お話をしよう」
「断る」
「あの男から取った宝玉を持っているかい?」
何のことかわからず一瞬顔をしかめ、しかしすぐにレイヴンズチェストの腕から抜き出したものかと気づき視線をそらす。
「私にそれをくれるのなら、君の一番大事なものは諦めてあげるよ」
「…………」
果たして本当だろうか。
そもそもあの石に価値があるのか。
「本当だよ。私は人間と違って嘘は言わないんだ。種族的な性質だと思ってくれればいい」
「あなたに何の得が?」
「わからないか? 宝玉がほしいと言っているのだから宝玉そのものが私の目的だが」
「あれにそんな価値があるとは思えない」
「あれの価値を見出すのは君ではなく私だ。私が価値があると言えば、道端の石ころでさえ価値があるだろう。私の中ではね」
「…………」
「疑っているのか? これが欲しくて欲しくてたまらないというのがわからないのか? あまりに欲しすぎて、初めてお前とレイヴンズチェストが戦ったときに腕を取る手助けをしてやったのは私だと言うのに」
あれはそういう理由だったのかと目を見開く。
「だいぶ戦力を落としてやったんだが、わからなかったか?」
簡単に腕が取れるとは思っていなかったが、まさかこいつが手助けをしていたとはと息を呑む。
信用できないが、仮に全てが正しかったとしたらこれは“チャンス”ではないだろうか。
「あなた協会の言いなりになって仕事をしているようだけど、こんなことしていいの? これがばれたら、あなたも大変なことになるんじゃないの?」
そう言えば、影は肩を揺らして市香を笑った。
「何を勘違いしているのかわからないが、私と協会は対等だ」
「対等……?」
「私はいわゆる悪魔という存在だが、人間が一番大事にしているモノと、それを奪われた時の絶望を一緒にして飾っておくのが大好きでね」
「性格が悪い」
悪魔は遠慮のない市香の言葉に再び笑う。
「どうやったらそれを面倒くさくなくコレクションできるかと色々考えたんだ。なにせ大事にしているものをただ奪うだけでは人の絶望は育たないのだから」
まったくもって質が悪い。
悪魔らしいと言えばそうなのかもしれないが、奪われた方はたまったものじゃない。
それに市香が一番驚いているのは、正義の味方をしている船守協会が悪魔とつながっているということだ。
「考えた結果、雇用関係を結ぶことになったの?」
「まあな。召喚されて話を聞いて、お互いに理があると思ったのさ。しかし人間の考えることは時折悪魔よりも悪どくて嫌になる」
ああ、なるほど。これはいい強請りのネタになるな。覚えておけよクソ野郎共。
内心でそう思いながら、その実あまりにも非現実的出来事に誰もこれを信じないだろうとため息をつく。
「まあ、興味がないだろうからこの話は割愛するが。閑話休題ってやつだ」
「それでこの宝玉には何の価値があるって言うの」
「それは絶望の塊だろう? あの男にそれの作り方を教えたら、何人も殺して作ったようだぞ。俺は人を殺せなど一度も言っていないのに」
本当に性格が悪い。
「それからお前は異世界から来た者なのだよな? 魂の性質がまるで違う。だからお前の絶望をコレクションに並べるのは私の中で非常に違和感を覚えるのだ。大変に申し訳無いが」
「あそう……」
「だがお前が二番目に大切にしているものには興味がある」
「二番目……?」
果たしてなんだろうかと思いを巡らせるが、市香にはひとつも思い浮かばなかった。
「なにかある?」
「あるさ。大事にしているものが」
「ふうん。よくわからないけど、思いつかないから大事じゃないんじゃないの?」
悪魔はそれには答えない。
ただニヤリと笑う。
「持っていっていいです。だから早くここから出して」
「よろしい。御幡市香、契約成立だ」
気味の悪い笑い声が空間に響く。
「少し前までは、これを一番大事にしていたのになあ」
それがだんだんと大きくなっていき、やがて市香は顔をひきつらせて小さく悲鳴を上げた。
「悪魔……!!」
自分の中から、二番目に大事にしているものが消えたのがわかった。
「悪魔、この……!! あんたは正しく悪魔だった!!」
金切り声で怒鳴り、これが二番目に大事にしていたものなのか、二番目でこの絶望なのか、一番大事なものはなんなのかと涙を流す。
「用事は終わった。そら、君の望んだ通り外に出るがいい」
悪魔の腕の一振りで、市香は森のど真ん中へと飛ばされた。
「……くそっ……くそったれ……!!」
うずくまって顔をおさえる。
あれほど大事にしていたものを失い、涙が止まらない。
森に慟哭が響く。




