Chapter:0018
「相変わらず少しも気配がしないんだから」
必至に気配を探るが、ミールの気配は全くと言っていいほどない。
しかし方々から攻撃の手が迫り、そのたびに間一髪のところで攻撃を防いでいた。
「私は細かい作業が苦手なんだけど、あいつはその逆なのよ。こういう隠蔽だとか隙間を縫うのが得意で、いつも私の“見えていない部分”を見つけてついてくるわけ。おまけにとんでもない集中力でそれが永遠に続く」
「なるほど」
バーレスクが陣牢を張る市香を守るようにして後ろから覆う。
「だから私は全方位に均等に防壁を張ったり攻撃壁を張るんだけど、揺らぎの隙間を塗ってくるのよね。忌々しい」
またすぐ横で爆発が起こった。
飛んできた木片をサーベルで叩き落とすと、バーレスクは面の下で歯ぎしりをする市香を笑う。
「随分と執着されているようだな」
「執着……? 違うでしょうこれは」
「そうか? 攻撃っていうのは相手をよく観察するところから始まる。そんなにねちっこい攻撃をしてくるってことは、相当にお前のことを理解していないとできない芸当だと思うがなあ」
「だとしたらいい迷惑だわ」
またすぐ横で爆発が起き、重ねてあった木樽が木っ端微塵になって吹き飛んだ。
「ったく爆風が忌々しい……これも防げるような陣牢を組めれば良いんだけど……悪いわね。今ちょっと余裕がないわ」
「いいさ気にするな。もう少し沖まで出られればこちらのものだ。海上戦は得意だからな」
「あんたミールを甘く見すぎよ。あの若さで副協会長になっただけはあるって感じだから」
「褒めるじゃないか」
「だからそんなんじゃないって言って――」
不自然に言葉を切り、黙り込む。
不思議に思って顔を覗き込もうとして、すぐに異変に気づいた。
「――やーあ。ようこそセンチェルト協会の副協会長殿」
一人の男が宙に浮いている。
顔は面で覆い戦闘服を来ているが、市香にもはっきりとそれがミールであるとわかった。
「我が協会の船守を引き取りに来たのですが」
「それはこれのことか?」
「私は協会を抜けたの。わからなかった? もうバーレスクと契約済みよ。それとも殴り方が足りなかった?」
冷たい声でそう言えば、バーレスクは大げさに驚いたように声を上げた。
「契約済み? 何のことだ。契約などしていないが。いつ海神協定を宣言した?」
「……は?」
敵前だと言うのに思わず振り向いてしまった。
バーレスクは心底意味がわからないという顔で市香を見ている。
「キツネ。元依頼人の規約違反により依頼は終了しています。あなたは終了宣言をしていないが、協会命令なので違反ではないですよ」
「何を言っているの……私は――」
「待たせて申し訳ありませんでした。怖かったでしょうに。助けに来ましたよ」
ぞわりと体中を怖気が走る。
「話は済んだか? では取引といこうか、副協会長殿」
「我が協会の船守を傷つけずにいてくださった誠意に答え、こちらも譲歩しましょう」
「待って待って、何を言っているの……?」
二人が何を言っているのか全くわからない。
「これの身の安全は保証されるのだろう?」
「何を言っているのか理解できませんね。彼女は凶悪な海賊に誘拐された我が協会の職員です」
「ああ――」
理解できないのに、全てがわかってしまった。
「なら安心した」
この男は最初からそのつもりで自分を引き連れていたのだと。
襟首を掴まれ、ミールの方へ投げ飛ばされる。
ミールは危なげなくそれを抱きとめると、暴れる市香を拘束した。
「バーレスク!!」
「さて、我々は一切の抵抗をしない」
両手を上げてニヤニヤと笑う。
船員たちは次々と武器を手放すと、バーレスクと同じく両手を上げた。
「バーレスク騙したわね!! この……!! 卑怯者!!」
海賊の船長は一度も市香の方を見ない。
「お前みたいなやつは騙されて骨の髄まで吸われた挙句に死ぬのさ」
数年前に言われたのと同じ台詞を聞いた瞬間、市香は極限まで目を見開いて抵抗するのをやめた。
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「食事くらい取ったらどうですか」
懲罰房の中、市香はもう四日も飲まず食わずで座り込んでいた。
表向きには「スパイとして潜り込んでいた船守と協力し、かの有名な海賊を捕縛した」として協会の素晴らしさが褒めそやされている。
「……あんたらいつからグルだったの」
「人聞きが悪いですね。海賊などとつながっているわけがないでしょう」
嘘をつけ。今度こそ信じてやらないぞ。
そう思って睨みあげれば、ミールはしばらく視線を合わせた後にため息をついた。
「本当につながってはいません。ただ向こうが色々とお察しになられたのでは? 海賊にも情と言うのがあったのでしょうか。殊勝な」
再び顔を伏せてミールを視界の外へ追い出す。
「…………」
「そんなことよりも、あなたは食事を――」
「バーレスクたちはどうなるの」
「……今審議中です。ですが過去のことを考えれば極刑は免れないかと」
「指輪のこと?」
「ご存知だったんですね。ああ、そういう依頼でしたか。もしかして王弟殿下だというのもご存知だったのですか? 探しものと報告書にありますが、まさかそれがこれだったとは……」
ゆっくり顔を上げる。
市香とミールの視線が合うと、ミールは痛ましげに顔を歪めた。
「……すっかりやつれて」
「誰のせいだと思っているわけ」
「イチカ」
「その名前で呼ばないで」
血が滲むほど拳を握り込めば、骨の軋む音がした。
「あんたなんか大嫌い」
しばらく黙って立っていたが、やがてミールはため息をついて部屋を出ていった。
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「馬鹿じゃないの、本当に」
市香は怒っていた。
全てに。
「見つけ出して必ず殺してやるわ」
かつて無いほど怒っていた。
お前のためを思って――と意に沿わないことをされるのが嫌いだからだ。
それを二人の男が同時にした。
しかもその理由は市香にとって死にたくなるほど屈辱的で、すべてを敵に回してでも必ずあの男をぶん殴ると決意させるのに十分であった。
「首を洗って待っていなさいよ」
だから市香は懲罰房を出る。
弱っているふりをして機を狙っていた。
そしてその“機”は、今来たのだ。
今夜はいやに静かで、市香の陣牢が周囲には誰もいないと知らせる。
「私を怒らせたことを後悔させてやるわ」
暗闇に乗じて街の中を駆け抜けた。
バーレスクの居場所などとっくに知っている。そもそも凶悪犯が収容される牢などひとつしか無いので行き先はわかりきっていたが。
その中でも特に凶悪とされる者は厳重な守りで管理されている。だがその守りも、市香を止めるにはあまりにも不足していた。
「…………」
センチェルト協会から走りに走って三十分。
ゴーン刑務所は地下に作られた牢だ。
意識を集中させて自分を陣牢で覆う。普段は赤黒いその色が、やがて背景に馴染み市香の姿を消す。
こうして、市香は堂々と正面から刑務所へと入っていったのだった。
だが――
「…………」
全ての懲罰房を覗いても肝心の男の姿が見えない。
それどころか船員たちの姿もない。
王族だから優遇されて別の刑務所に入れられているのかと首を傾げた時、見回りの刑務官たちが向かいから歩いてくるのに気づいた。
息を潜めて壁際による。
「おい、ここ囚人がいなかったか? 別のところにうつったのか?」
「お前また申し送りを聞いていなかったな……明日処刑だと言っただろうに。早いこって。昼過ぎには出発したようだぞ」
「ああ、ここに入れられていたのか。王族だから無罪放免かと思ったがな」
「国王陛下がお怒りらしい」
「まあそうか。亡くなった元婚約者の指輪を持ち出したのだからな。ご執心だったのだから、死刑もやむなしか」
明日……?
突拍子もない単語に思わず生唾を飲み込む。
大した裁判もなしに明日処刑とはどういうことだ。何故こうも急に事態が動いている。
悩んでも全く答えが出てこないが、それでも何をすべきかはわかった。
死刑囚が集められる場所――それはセンチェルトの中央にあるリクレクション収容所。
しかし問題はその距離が遥か遠くにあることだ。今から全力で駆け抜けて、間に合うだろうか。
「……行くしかないか」
弱ったふりをするために絶食していたことが悔やまれる。
しかし悩んでいても仕方がないと思い直し、市香は再び地上へと戻るのだった。
雲ひとつない空に浮かぶ月が、暗闇を駆け抜ける市香を照らす。




