Chapter:0014
長めです。
「もしもーし。市香ですけど」
定時連絡のために協会へ連絡をすれば、いつもと違いすぐにミールへと繋がれた。
『変なことはしていないでしょうね』
「ええ……? 開口一番それ?」
『我が協会の評判を落とすようなことがあっては困りますので、今後は私が直接定時報告を受けることになりました』
「あそう……」
『それで、状況はいかがですか?』
それで、と聞かれて一瞬押し黙る。
『……まさか何か――』
「いや、そうじゃないんだけど……なんか……うーん……何ていうか。思っていたよりだいぶ良いと言うか……」
『……何が』
「うーん……ほら、ミールさんも知っているでしょう? 私とバーレスクのことは」
『ああ、あなたが一方的に逆恨みしているあの件ですか』
「その言い方は腹が立つんだけど」
市香が目を細めて通信の向こう側にいるであろうミールを睨みつけると、鼻で笑ったような音が聞こえてきた。
『それで、何が良いのですか?』
「なんか……思ったより仲間扱いされていると言うか、船員たちとのわだかまりをどうにかするのを手伝ってくれたり、あとは仕事ぶりを褒めてくれたり……あ、そうそうこの間ね、わだかまりがあった船員たちと仲良くなる機会をくれたの。優しくない?」
小声でボソボソとそう言えば、先程の船員たちとのやり取りを思い出して顔が熱くなる。
「結構仲良くやれるかもって思った。なんか、こう、思ったより悪い人じゃないのかも」
『悪い男に騙されている女性みたいな台詞ですが、楽しそうですね』
「いちいちうるさいよ……でも……うん、凄く良い契約主だと思う。今のところは、だけど」
『……あなたのそういうところは変わりませんね』
「何が」
心底呆れたような声色にムッとして言い返せば、ミールは再びため息混じりに口を開く。
『以前、ガールダンクシュレーの船守をしたことは覚えておられますか?』
「…………」
ガールダンクシュレーと言えば恐ろしく金回りの良い男で、過去一番稼いだ仕事だ。
市香の仕事ぶりをよく褒め、服や装飾品を送り、そういったものはやめてくれと言えば謙遜なレディだと褒めそやし、食べ物なら良いかと珍しい甘味を渡し、頑なだった市香が心を開いた時に「実は手伝ってほしい仕事がある」と言った。
その頃にはすっかり心をひらいていた市香は二つ返事で「やる」と言ったものの、いざ詳しい聞いてみればセンチェルト協会の乗っ取りだと言うではないか。
優しくしたのはこのためかと思いつつも表では騙されたふりをして、いざ事をなすという時に協会と一緒に叩きのめしたのだった。
ミールが言っているのはそれだ。
『また、あなたが傷つくはめになりますよ。あなたはショックを受けるとすぐに眠れなくなるし、ご飯も食べられなくなるではないですか』
「子供みたいに言うのやめてくれる……?」
『子供だと思ったことなんてありません。あなたが繊細な女性だと言っているのです』
「それはそれでなんか……」
『なんなんですか、あなたは……とにかく、あまり心を許しすぎないでください。あなたは純粋過ぎる。もう少し他人を疑って生きることを覚えるべきです。とくにあいつらは犯罪者なのですから』
そんな事を言ったら、お前のことだって疑わなければならないじゃないか。
内心でそう思いながら口を尖らせる。
するとそれを察知したかのようにミールが畳み掛けるようにして口を開いた。
『あなたは協会にも騙されているのですから、私のことも信じてはいけませんよ。誰も信じてはいけないんだ』
「なんでそう意地悪を言うの? いちいち水を差さないでよ」
協会に騙された過去を思えば、そうなのかもしれないと思う。
しかし市香はそんな寂しい生き方をするのは嫌だった。全てを疑って生きるなど、そんな自ら孤独になるようなことはできないのだ。
『……――定時報告を』
船守にしかわからぬ言葉で、ぽつりぽつりと事務的に報告する。
なるべく私を殺して事務的にと心がけるが、市香の心中にはミールに対する呪いのような言葉しか浮かんでこなかった。
+ + + + +
「なにブスくれてんだ、キツネ殿」
甲板で海を眺めて座り込んでいると、誰かに顔を覗き込まれた。
ちらりと見上げればすぐ側にバーレスクが立っている。声がする前から誰が近寄ってきているのかはわかっていたが、今は誰とも話したくなくて気づいていないふりをしていたのだ。
この男はまったくもって空気が読めないなと内心でため息をつく。
「……別に」
「ははあ。さてはあの定時報告とかいうやつで苛められたんだろ」
ピンポイントでぶち当ててくる勘の鋭さには苛立ちすら覚える。
何も言わないのが返事となり、バーレスクは苦笑しながら市香の横にドカリと座った。
「船長すげぇなあ。面を付けてるのにキツネの機嫌が悪いとかわかるのかよ」
通りがかった船員が感心したように腕を組みながら、市香を上から下まで眺めて首をかしげる。
「……うーん、わからん」
「いや、わかるだろう。こんな全身で不機嫌を表すやつも珍しいぞ」
「いや全然わからねぇ」
市香は依頼内容に関係ない話を仕事に持ち込むようなことはしてこなかった。
どんなに腹の立つことがあっても、どんなに嬉しいことがあっても、常に淡々と接することで“感情のない人間”を演じていたので、誰しもが“市香にだって感情はある”という当たり前のことを忘れがちだった。
もちろん百パーセントそうできていたわけではないし、喧嘩別れするときなどはわりと感情的にはなっていたが。
それでも“キツネ”であるときに感情表現豊かにする方ではなかった。いや、この仕事に対しては最初がアレだったので比較的感情は表に出る方であった。
しかし抑えるところは抑えていたつもりだったので、市香は失敗したかと気まずそうに視線をそらす。
「ニオイが不機嫌そうな感じだからな」
「ニオイ」
反省の色をちょっと見せた瞬間の謎発言に、思わず市香の思考が停止する。
「意識して感情を押し込めている人間っていうのは、感情が体臭になって表に出るんだよ。嬉しいときは甘いニオイ、悲しいときは土臭いニオイ、怒っているときはスパイシーなニオイ……ってな具合にな」
「それわかるの船長だけだし、なんか気持ち悪ぃな」
露骨に顔をひきつらせる船員に、市香もつられて顔をひきつらせる。
「それ絶対女の人に言わないほうがいいよ。私だから流してるけど、普通に気持ち悪いよ」
「女ぁ? お前が?」
場を和ませるための冗談――ではなさそうだった。
心底不思議そうな顔をしているバーレスクと、露骨に「やべ」という顔をする船員。またその船員の顔がムカつく。
「あ~、それよりなんか進展はないのかよ。レイヴンズチェストについて」
取り繕うようなその表情になんとか溜飲を下げ、市香は前々から気になって相談しようと思っていたことを話すことにした。
そもそも相談しようと思ったところで敵襲にあい、気を逃していたのだから。
そう言えばサムライという船員からニホンの話を聞くのも忘れていたなと思い出し、やることが山積みだとため息をつく。
「進展と言うか……これ見てどう思う?」
そう言って懐から例の宝玉を引っ張り出す。
それは未だに色鮮やかに光を発し、見るたびに色を変えている。
「見たことがねぇ宝石だな」
「宝石、ね。これ魔力を凝縮した塊なんだけど、レイヴンズチェストの切り落とした腕から出てきたんだよね」
「魔力を凝縮した塊?」
目を細めたバーレスクに、市香はひとつ頷く。
「なんでこんなものを腕に……じゃあ、つまり……」
「そう。レイヴンズチェストは船守の魔力を何らかの方法で結晶化して、腕に仕込んでいたと思われます」
「な、何のためにだ……?」
イマイチ状況がわかっていない船員の男は、顎をかきながら首を傾げる。
「考えられるものとしては、簡易版ドーピングかな。構造としては電池みたいなものだと思ってもらえれば」
「能力を結晶化する方法に心当たりは?」
「ふたつほど。ひとつは船守が魔力を手から放出して凝縮する方法、ふたつめは船守の血液を凝縮する方法」
「――それは」
「どちらも大量に魔力や血液が必要になると思うし、効率がいいのは遥かに後者」
そう、つまりこれは人の命を削って作っている充電式の魔力増加装置ということだ。
「……まあ、俺も人は殺すからあまり言えねが、えげつないもん作ってんなあ」
「私も人のことは言えないけど、ここまで外道ではないつもりよ。目くそ鼻くそを笑うって言うけど」
「これは戦力を大幅に削ったと考えてもいいのか?」
市香からしたらそこが悩みどころなのだ。
レイヴンズチェストがこの宝玉にどれほど頼っていたかはかることができないのも、この宝玉の価値を知ることの足を引っ張っていた。
わざと盗ませたのか、それともそうではないのかによって話が変わるような気もするが、そうではないような気もしていた。
しかしわざとだろうがそうではなかろうが、市香にとって“大したことがない問題”なのがまた厄介だった。
「これ作るのって犠牲は大きいけど大変ではないんだよねぇ。だからどういう理由で私の手の中にあるかに関わらず、そう影響は無いと思う」
「つまり?」
「わざと私に盗ませた場合、マイナスの意味もプラスの意味も持たない。力を誇示するのが目的というのが一番有力だと思うけど、別に力を誇示する意味はないでしょう?」
「まあな」
「逆に意図せず私の手に渡った場合なんだけど……あれほど能力のある男がそんなポカやらかすのかって疑ってる」
どんな者でもうっかりミスはある。
しかしあの男が――……というのが強い。
「それでももし本当にミスとかそんな感じの理由で私に渡った場合だけど……うーん、これもまあどうかなあ。これって結局こめられた魔力を使い切っちゃったら、新たに補充しないと使えないわけ」
「なるほど」
「でも一ヶ月二十四時間ガレオン船に陣牢を張ったら使えなくなるくらいの魔力しかないからなあ。それくらいだったら魔力なんかなくても普通にできるし、わざわざ石にする理由ってあるのかな……普通に船守使ったほうが良くない……?」
「いやそれ凄いんじゃないか……?」
その言葉にきょとんとしたのは市香だ。
「凄い、の……?」
「お前馬鹿だな」
「え……?」
本当にわからないという顔をする市香に若干引きながら、居心地悪そうに体を揺らす。
「そんなことを普通の船守がやろうと思えば、船員より多い人数を集めないと成せねぇよ」
この世界に来てから何度もミールや依頼人から聞いた覚えのある言葉を言われ、思わず黙り込む。
「お前が簡単にできる、当たり前のことだ、と思っていることの半分は、他の人には当てはまらないと思ったほうが良いぜ。自分の物差しで相手をはかるもんじゃねぇ」
決して褒められているわけではない。
こんなときになんと言えば良いのかと思い黙り続けていると、目の前の男たちは呆れたようにため息をついたのだった。