Chapter:0013
長めです。
「…………」
市香はマストの一番高いところに座り、手の中にある宝玉を眺めている。
その色は青や赤、緑、黄色と次々に色を変えながら輝いていた。
これはレイヴンズチェストの切り落とした腕から出てきたものだ。正確に言えば腕はすぐに砂となって消え、その中に残っていたのがこの宝玉、である。
「たぶん、探していると思うんだよね。これを」
わかる者にしかわからない、濃厚な魔力の塊。何か裏があるとしか思えないそれを手に、市香は顔をしかめた。
いきなりこんなラスボスの要らしきモノを入手してしまい、困惑していたというのもある。
「探していないのならいないで利用させてもらうけど、なんせ使い方がわからないのが難点ね……本当にうっかりラッキーで拾ったようなもんだし」
月明かりにかざしてみれば、月の光を受けて綺麗な虹色が地面に散らばった。
これは高濃度の魔力が詰まっているがゆえに起こる発光反応だ。魔力は太陽光、月明かりによって色を変える。多くの色が交じるほど、魔力の濃度が高いということになる。
しかしこれは、純粋な魔力なのだろうか?
「うーん……トカゲの尻尾切りで実は探していませんでした~って可能性もあるけど……」
ともあれ純粋な魔力かどうかは置いておいて、普通に考えるとこれほどまでに高濃度のそれを持っていたということは、恐らくとんでもない戦力を削いだことになるはず。
そう思ったからこそ、市香は確かめるためにもレイヴンズチェストに会いたかったのだ。
しかし逆に、もしこれが本当に大事なものだとすれば、大事であるからこそ市香に会うはずがない。レイヴンズチェストの魔力は大きく削がれたことになるのだから。
「実際に会えないというところを見ると、本当に戦力そがれているか……あるいはただ興味がなくて見逃されているか……」
だが、はたしてレイヴンズチェストがそんな弱みを見せるだろうか。
そんなにすぐ奪われるようなミスを犯すだろうか。
あえて拾わせた“罠”なのではないか。
しかし会いにこないことこそが“これは大切なものなので慎重に行動したい”と言っている――そういった考えが、市香の中でぐるぐると駆け巡る。
結局のところ、全く答えが出なかった。
「こうなったらみんなに相談――」
小さくため息をついたその瞬間、爆発音とともに何かが飛来してくる。
そちらの方へ目を向ければ、目視で十分に誰の船かが分かる位置に敵船がきていた。
飛んできたのは敵方の砲弾。その軌道をジッと見つめた後、市香は砲弾を砕くためにため息混じりに立ち上がった。
しかし、だ。
「サムライ!!」
バーレスクにそう呼ばれた男が「待っていました!」と叫びながらマストを駆け上がり、その砲弾の着弾位置まで到達する。そして次の瞬間に、市香は我が目を疑う光景を見ることとなった。
「うらぁ!!」
一刀両断。
侍の使う刀のような武器で、鉄の玉を真っ二つだ。
「ええ……何アレ。あいつ人間なの……?」
ありえないが、それが目の前で起こっている。
魔力を持っているのか、あるいは魔力を帯びた刀なのか。そのどちらかだとあたりをつけて注意深く見つめるも、男に変わった様子はない。まさに“種も仕掛けもない”状態だ。
腕力だけで叩き切ったようだった。
「うはははは!! 船長、楽しいなあ!」
「わかったわかった」
アドレナリンの放出ですっかり興奮しきった男は、腕をグルグル回しながら次の攻撃に備えている。
誰か事情を説明してくれる人はいないのかと下を見て、数名がニヤニヤしながら腕を回す男を眺めているのを発見した。マストの上から飛び降りて、その中の一人に声を掛ける。
「ねえねえ、あいつ人間?」
「ま、そう思うわな。何でもこの船に乗る前、嵐の夜に船の上から海に放り出されたらしいんだ。それでどうなったと思う?」
「……今ここにいるんだから、どこかの島にでも打ち上げられたとか?」
「いや、なんでもニホンとか言う国のオアリってとこに流れ着いてな、そこで出会った魔王ノブナガという男にサムライって職業の奴が使うカタナ――まあ、あの剣のことだが、それの扱いを教わったらしい。で、今では鉄でもなんでも一刀両断よ」
一瞬、市香は世界から音が消えたような感覚におちいった。
「ごめん、もう一回。ニホンにサムライ? それ本当の話なの?」
「さあな。アイツは頭がおかしくなったんだってみんな言ってる。頭を打ったのを、神隠しだと思いこんでいるんじゃないかってな。ほら、あるだろ? 雷に打たれたやつが、人間の脳の限界を超えて力を発揮できるようになったとかいう話が」
違う、そうではないのだ。
私はそのニホンから来たのだ。
「そう……なんだ」
そう言いたいのを必死に堪え、市香は大きなため息をつく。
「あとで彼の話が聞きたいわ」
「やめとけやめとけ。話し出すと長ぇんだ」
からかうように笑う男たちに、市香は適当に相槌をうつ。
そこから、男どもが怒涛の勢いで敵船を沈めていくのを黙って眺めていた。しかし本当に眺めていただけで、内心では“ニホン”のことが気になってしまい全く集中できない。
気がつけばいつの間にか戦いは終わり、男どもは戦利品を甲板の上に広げているところだった。
「どうだった、俺の仲間たちの働きぶりは」
「――え? あ、ああ……凄いと思う。船守が亡くなった後でも無事に航海を続けられていた理由がこれね。連携も取れているし、言わなくても察して動ける人が多い。素直に良いチームだと思うわ」
心から褒めれば、バーレスクは心底嬉しいと言ったように笑みを浮かべた。
今まで見た皮肉げな笑顔ではなく、子供のような満面の笑みだ。
「……あんたそんなふうに笑うのね」
「そらあ嬉しいだろう。大事な仲間があのキツネ殿に褒められたとあらば」
「ああ……あのー、まあ、えっと……特にあのサムライとか言う人。ニホンに飛ばされたんですって?」
「と、本人は言っている」
「……ふーん」
戦いの最中から上の空になっている市香の様子に気づいていたバーレスクは、一体何がそんなに興味をひいているのかと注意深く市香を観察する。
「それでお前は一体何をそんなに上の空になっているんだ? すっかり気持ちが――」
「お頭~!」
話を遮った声に二人が振り向けば、敵船の船長が縛られた状態で引きずられてくるところだった。
「やーあ。俺たちの船へようこそ」
大げさな身振りで歓迎するバーレスクに、敵船の船長は怒りに顔を歪ませた。
「クソ野郎」
「よく言われる。それで今日はどんな用事でいらっしゃったので?」
なあにが“どんな用事”だ。そんなの一つに決まっているだろうが。
市香がそう思いながら横目でバーレスクを見れば、バーレスクの目は楽しそうに光っていた。
「キツネはいないんじゃねぇのかよ」
「誰もいないなんて言っていないが。それにお前がやられたのはキツネ殿ではなく俺の部下だ」
「何故陣牢を外させた」
「お前バカだなあ。キツネ殿は人間だぞ。寝る時間くらい与えないと死ぬだろうが」
「キツネは三日間不眠でも一人でガレオン船に陣牢を貼り続ける化物だ」
「化物ぉ?」
心底不思議そうな顔でバーレスクは首をかしげる。
「この――」
「うわ! ちょっと」
ぽんと市香の頭に手を置き、嫌がる市香を押さえつけて髪の毛をグシャグシャにかき混ぜながら、バーレスクは男を鼻で笑う。
「アホみたいにプライドが高くて子供じみたことで怒るこの小娘がか?」
「やめてよ!」
「レイヴンズチェストに負けた悔しさで眠れずにいたこの小娘がか?」
「なっ……ちゃんと眠ってるからね!?」
「仕事にはプライドを持ち、有言実行から不言実行までキチンとしっかりこなし、そのくせやりましたアピールは控えめなこの小娘が?」
もはや市香の顔は真っ赤になっており、今ほど仮面を付けていてよかったと思ったことはなかった。
今まで誰も市香のことをこう評したことはなかった。いつだって付きまとうのは「化物」だとか「最強の」とかなのだ。こうも目の前で自分の評価を並べられると、恥ずかしいなんてものではない。
しかし、それが嫌ではなかった。
「ただのクソ面倒な小娘だろうが。まあ確かに仕事は恐ろしく素晴らしいが。お前が化物と言いたくなるのもわかる」
「なら上手く使えよ。話の通じない化物が牙をむく前に使い潰せ」
安い挑発だ。誰も乗りはしない。
市香だって怒りすらわかない程の言葉で、この男は市香を侮るつもりで言ったらしいが傷なんて一つも付きやしない。
「いや普通に言葉が通じるんだから、言えばわかるだろうが。頭の回転が速いから一を言えば十理解するしな。テメェで考えて勝手に動ける人間だよコイツは。仕事には熱心だから裏切る心配もねぇし、汚かろうが臭かろうが貴族連中のようにワガママも言やしねぇ」
そう、市香の心には傷なんて一つも付きやしないが、どうもこの安い挑発に乗った男がいたようだ。
「いいか、俺は一生懸命頑張っているやつが馬鹿にされるのが大嫌いだ。特にキツネ殿は今、俺の傘下にいるんだからな。この意味がわかるか? なあ?」
「いや……もういいって。律儀に言い返さなくたって私がサクッと殺せばそれで終わるでしょう」
「はあ? おいおい、どの口がそんな物騒なことを言うんだ? お前本当にサイコキラーじゃないんだろうな?」
バーレスクは顔を歪ませながら心底嫌そうな顔をして、男を押さえている船員たちに「連れて行け」と命じた。
「さて」
パンと手を大きく打ち鳴らせば、後始末を始めていた船員たちがバーレスクに注目する。
「今回のことでお互いの能力は十二分に知ったと思うが――」
「うがああああああ!!」
汚い悲鳴に眉をひそめて発生源を見れば、連れて行けと命じた敵船の船長は自分を押さえつけていた男たちを振り切って、血走った目でバーレスクに向かって走ってくるところだった。
それを見たバーレスクは大きくため息をついて頭をふる。
「キツネ殿、動かなくていいぞ」
バーレスクがすでに構えていた市香にそう言うと、いつもバーレスクの横にいる男がサーベルを引き抜いて一歩前へ出た。
そしてタイミングを合わせて男を切り伏せる。
吹き上がる血を皆が冷たい目で眺め、男は誰ともなしに船外へ蹴り出される。
「つまらんことしやがって」
それで全てが終わるはずだった。
しかし、実際はそうならなかった。
爆発したように赤色が広がり、ギィギィと嫌な音を立てる。
誰しもが何が起こったのかわからなかった。爆風と嫌な気配。それが辺りを埋め尽くす。
「な、なんだあ?」
鞘に収めたサーベルに再び手を伸ばしかけた状態で止まった男は、何が起こったのかと周囲をキョロキョロと見回す。
誰しもが同じように探り、そしてすぐにその出処を見つけた。
「捨て身戦法かあ。懐かしい呪だなあ」
そう声を上げたのは市香だ。
その手には、今にも自分の腹を食い破ろうとしている魔物のような何か。口の中には恐ろしいほど尖った牙が無数に生えており、血のように赤い液体を撒き散らしながらギギギと鳴いている。
それを見て、男たちは冷や汗を垂らした。
市香は赤黒く巨大な手で魔物のような何かを甲板に押さえつけ、ギリギリと力を込めている。そしてとうとうその手に押しつぶされると、魔物のような何かは煙となって空中に消えた。
「なんだ……そいつは……」
「呪。自分を殺した者が油断した隙を狙う物」
「いや、そうじゃねぇ! その……その赤黒いそれは……」
誰しもが市香よりも巨大な手を見る。それは背中から二本生えていた。
「あっ、これ?」
自らの背中を指し示しながら、市香照れたように頭をかく。
「いやあ、だって国を落とすのに手が二本では足りないでしょう?」
必要とあらばこの手、人型もとれるけど。
えへへ、と照れたようにそう続ける市香に、男たちは謎の恐怖心を抱いた。
「……俺は、マーチンボルグだ」
常にバーレスクの隣りにいて、左足を引きずるようにして歩く男。
それがブスッとした表情で自己紹介をしたのを見て、市香は一瞬キョトンとした後に満面の笑みを浮かべて手を差し出した。
「私はキツネ。訳あって面は取れないし本名も名乗れないけど、仕事柄だと思ってくれると嬉しいわ」
それを皮切りに船員たちは次々に己の名を名乗り、握手を求め、市香がいかに凄かったかを褒め始める。マスクをしていて表情も見えないが、市香がとても嬉しそうにしているのは船員たちに十分伝わった。
そしてバーレスクは、そんな市香の姿を頬杖をついて眺めながら口角を上げるのだった。