Chapter:0011
「っ……!!」
振り向く前に自らに陣牢を張る。
辛うじて間に合ったが打撃に陣牢は砕け散り、赤い光が周囲へと飛び散った。
「思ったよりも強くて、期待に胸が踊っている」
「嫌味?」
「いいや、まさか。それにこのような綺麗な女性だとは思いもしなかった」
レイヴンズチェストがそう言うと、即座にバーレスクが鼻で笑う。
「それは嫌味だろ」
市香は強烈な嫌味に反応する余裕がない。
はたしてどうやれば依頼人たちを無事に逃がすことができるだろうか、と、それしか考えていなかった。そしてそれ故の沈黙に、バーレスクは気づいていた。
少しでも時間が稼げればと、バーレスクが口を開く。
「……お前はいちいち覚えていないかもしれないが、俺はお前の被害者だ」
「ほう? 海賊が被害者を名乗るとは不思議な話もあったものだ。お聞かせ願おう」
「その昔、指輪を一つ、それから船員を三十二名、船守を八名殺された。お前は、覚えていないだろうがなあ」
「なるほど、全く覚えていないな」
清々しいほどの返答に、バーレスクの口角が上がる。
「なあ、指輪を返してくれないか? 銀色の細工でブルーサファイアとピジョンブラッドが埋められたやつだ」
そう言われたレイヴンズチェストは何かを思い出したのか、小さく「ああ」と声を上げて宙を見た。
「あれの持ち主か」
「まだ持っているか? それとも売り飛ばしたか? まだ市場に出たとは聞いていないんだが」
「お前はあの指輪に囚われているようだな。そんなにあれが気に入ったか?」
薄ら笑いを浮かべていたバーレスクだったが、この一言で笑みが消えた。
それに気づいた市香が、顔を向けずに視線だけよこす。
「あれを砕いたと言えば納得するか? それとも貧しいものにあげたと言えば? 何を言ってもお前は囚われたままなので、きっとお前の望むようにはならないだろう」
「…………」
「現に、あの女はもう死んだのだから」
誰かが息を呑む音がした。
+ + + + +
「いや~、参った」
甲板の上、手当を終えたバーレスクが頭をかき回す。
胸の包帯に真っ赤な血を滲ませながら、バーレスクは満面の笑みを浮かべていた。
「相変わらず凄まじい強さだな、アイツ」
結論から言えば、船も船員も無傷で逃げ切ることができていた。
怒り狂ったバーレスクが無闇矢鱈にレイヴンズチェストを攻撃さえしなければ、誰も怪我人は出なかったのだ。あくまでも予測であるが。
だが、レイヴンズチェストのたった一言で我を忘れたバーレスクは、サーベルを引き抜くとレイヴンズチェストに切りかかっていた。
その刃はレイヴンズチェストに届くことはなく、魔力でもって弾き飛ばされてカウンター攻撃で自分が怪我をするという始末。
しかし、その隙きを突いて逃げ出すことができたので、市香からすれば上々といったところだ。もちろん、船員は誰一人として納得していない上に、レイヴンズチェストに“見逃してもらった”わけだが。
「おい船守」
その中でも一番怒っているのが、交渉の場で強気の市香を見ていた男だ。
「お前、全く役に立っていねぇじゃねぇか」
それは市香自身が一番感じていた。
「よせ」
そうやって不機嫌そうにバーレスクが窘めることすら苦い。
だが、何を言われても仕方のない働きをしたのは事実だったので、市香はただひたすら次の対抗策を考えて気を紛らわせていた。
「高い金払って、依頼人を傷つけて尻尾巻いて逃げるのがお前のやり方か? それで一千万じゃ足りないって? どの口が言うんだ?」
「…………」
「なあ、答えろよ! お前は一体何をしたんだ? えぇ!? お前よくそれで金なんか取れるなあ? 一体何のつもりで――」
どん、という鈍い音。
甲板の上に放られたのは、男の物と思われる肘から先が一本。
「……なっ……なんっ……」
混乱している男をよそに、市香は表情を消したままボソリと呟いた。
「大変申し訳ありませんでした。収穫は腕一本でした」
「……これ、レイヴンズチェストのか?」
「はい、これだけです」
そうは言うが、一体誰があの男に傷を付けられると思っただろうか。
そこにいる誰もが言葉を失い、口数少ない市香を化物でも見るかのような目で見る。
「お前……これ、どうやって」
「変態っぽいから、気に入った戦利品は身につけて見せびらかすタイプかと思ったけど、あてが外れたわ。それとも逆の腕だったのかしら」
「片腕でも十分凄いことを理解していないようだな……」
「次は、指輪とレイヴンズチェストの命を。必ず」
「……いや、別に命はいらないんだが」
「副賞です」
「いらんて」
市香が非常に悔しい思いをしているのだということを感じとり、バーレスクが顔をひきつらせる。
「……まあ、あれだ。お前の力は疑っちゃいねぇ。契約を切るつもりもない。俺らの中の誰ひとりとして、あいつの腕を取るどころか傷ひとつつけられねぇんだからよ」
「お頭!」
「それに、俺は別に船員や俺を守って欲しいなんて依頼してねぇんだ。船の無事、それから指輪。その二つだけでいい」
「……どういうことですか?」
「ひねったつもりはないが? そのままだ。俺たちの誰も、女に命を守ってもらおうなんざ思ってねぇってことさ。そうだろう? なあ?」
そうだっただろうか、とチラリと周囲を見渡すと、誰もがそれとなく視線をそらす。
「つまり、船が無事だったんだから、依頼は半分成功ってことだろ。何も一度で依頼が終わるなんざ思ってねぇんだから、指輪はゆっくりやってくれ」
そう言われてしまうと、もう何も言えなかった。
ただ悔しいという感情だけが残り、上手く発破をかけられただけだ。
そしてそれは、市香にとって耐え難い屈辱でもあった。
「……次は、必ずアレの心臓を」
「だから、いらんて」
顔をしかめるバーレスクは、俺は何か間違えたのかと困惑の溜息をつくのだった。
+ + + + +
「なんなんだ、あの女は」
ヨルダンは憔悴していた。
椅子に座って手を組み、頭を下げた姿は老人のようだ。
「一瞬で私の船を全て沈め、大勢の部下が死んでしまった」
「言っただろう? 一人で国を落とすような女だと」
何を今更、と言わんばかりにレイヴンズチェストがそう言うと、ヨルダンは髪の隙間からじっとりと睨みつける。
「むしろ君が生かされたことを喜ぶべきだと思うがね。私も腕一本で済んだと喜びを噛み締めているところだ」
「腕……?」
反射的に顔を上げて、そして盛大に引きつらせる。
「ど、ど、どうしたんだそれは……!?」
「取られた。まさか去り際に腕を持っていかれるとは思わなかったな。あまりの早業に一瞬痛みを感じなかったほどだ」
何でもない風にそう言う姿は、どこか異常に思える。
大量の血が床に花を咲かせていると言うのに、その顔は嬉しそうにすら見えた。
少しも痛がっている様子はなく、淡々と報告されて息をつまらせる。クスクスと笑いだしたのを見て、ヨルダンは生唾を飲み込んだ。
「大丈夫か……?」
「いや、全然大丈夫ではない。腕に仕込んでいたモノを盗まれた」
「何を仕込んでいたん――いや、そうじゃなくて、傷の方だ。出血が酷い」
「血よりも大事なものを取られた今、そんなのは些細な問題だ」
ヨルダンはここでようやく気づいた。
この、眼の前にいる紳士然とした男は怒っているのだと。
残っている手は握り込まれ、爪が革の手袋を裂いて血を滴らせている。
「……ブルーサファイアとピジョンブラッドのはめ込まれた指輪、だったな。さてどのチェストにしまっていただろうか」
小さくつぶやいたそれに反応したのはヨルダンだ。
「ブルーサファイアとピジョンブラッド? おい、それはマリィ皇女の物ではないか。何故それをお前が持っているんだ」
「私の本職を忘れたのかね? 海賊の海賊だが? 海賊の戦利品を持っていることの何がおかしい」
「なんだと!! では、今、あいつは指輪を持っていないと言うのか!」
「当たり前だろうが。私が持っているのだから」
ヨルダンの顔がどんどん赤くなり、そして青くなっていく。
「何ということだ……持ち出した指輪を盗まれただと……?」
「そんなことよりも今後のことを話し合おうじゃないか。君からの依頼は、バーレスクの船を壊して海賊をやめさせることだったな?」
「あ……ああ……」
ずぶ濡れのヨルダンから水が滴る。
常であればこのような状態はすぐにでもどうにかしたいほど潔癖だ。
しかし、今はまるでそれが気にならなかった。