Chapter:0001
すみません、長すぎて読みづらいという意見があったので3つに分割します。
すでに執筆は終わりまで完了済みで、今後は毎日22時に1話ずつ更新されます。
「ですから、何度も言ったように支払いは来月です」
天上から吊り下がるシャンデリアがかすかに揺れている。
シャンデリアだけではなく机の上に置かれたティーカップに注がれている茶の表面も揺れているが、なにも地震で揺れているわけではない。
ここはガレオン船の一室だ。
二人の男女が執務机を挟んで向かい合っている。しかしその表情は決して友好的ではない。
困ったような顔をしているでっぷりと太った男は、巷ではそこそこ大きい商人の男だ。そしてその前に立つのは黒髪の小さな女。
「私も何度も申し上げましたが、本気でその意志を変えるおつもりはないということでしょうか?」
「ええ、来月です。船守殿、何も支払わないと言っているわけじゃないのですから、大人になって頂けませんか」
仁王立ちをする小さな女を船守と呼んだ商人は、まるで子供に言い聞かせるようにして笑った。
船守と呼ばれた女は忍のような格好に黒いフード付きのマントを付けている。顔には狐の面を付けており、女の素顔を見ることはできない。低い位置で結んだ長髪の色まで黒で、闇夜では紛れて見えなくなるだろうと思われた。
しかしこれが日本の忍に似ているとわかる者はこの国に――いや、この世界にはいない。
その姿は豪奢な猫脚の椅子などが置かれている部屋とは全くのミスマッチだった。
「困ります」
女の手が握り込まれ、短い丈の革グローブが音を立てる。
女はかすかに震える手を一度開き、そしてまた握り込んで大きなため息を付いた。
「来月では駄目です。契約違反ですから」
この部屋はマーカー商社のガレオン船にある船長室である。この男の所有物で、この部屋には目を見張るほどの宝石などが置いてあった。
つまり支払うための金がないわけではない。それでも男は、目の前の変わった風貌の女に金を支払うのを渋っているのだ。
「支払いは絶対に今月中です。困りますよ、マーカーさん。契約の際には毎月必ず頂けるとお話したじゃあないですか」
女の言い分に対して不愉快そうに顔を歪めたのはマーカーと呼ばれた男である。
「ええ、確かに。だが先月も先々月も海賊は現れなかったじゃないですか」
「私が警戒していたのだから、そんなのは当たり前じゃないですか。きちんと仕事をしているということです。私無しでこの航海をいけば、二日おきに海賊に出会っているはずです」
「そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。それに先日、私用と言って一週間も船を空けたでしょう? 契約的には問題がないとしても、やはりあれは心象が良いものではない。少し支払いが遅れたからといって文句を言ってもらっては困りますな」
「その件については申し訳なく思いますが、私のお世話になった老夫婦が住む地域で山賊が多発していたと言ったでしょう。それを倒してきたのです」
それに、と続ける女の顔は怒りに染まっている。
面をしていなければそれがすぐにでも視覚情報として伝わっただろうが、生憎マーカーがその顔を見ることはない。
「その件はあなたから“行ってよし”のお許しを頂きましたので、恩着せがましく言われるいわれはありません。ちゃんとバリアも張ったまま出かけましたし。そのバリアは一週間、一度も消えなかったでしょう?」
「恩着せがましい? キツネ殿、そんなつもりはない。誤解しないでいただきたい」
船守改め、キツネと呼ばれた女は面の下で顔をしかめた。だが、それに商人の男が気づくことはない。
はたして怒りで黙り込んだキツネに対し、商人は丸め込むのに成功したと思い満足気に猫なで声を出す。
「なにも契約金を払わないと言っているのではない。来月頭、船が無事に港まで付けば全額をまとめて払いましょう」
「……いいえ、もう結構」
キツネはマントを翻すと、迷うこと無くドアノブに手をかける。
この男、色々と言ったがようは何も起こらないことに対してお金を払うのが惜しくなったのだ。しかし港に着けば自分がケチな商人だと周囲に吹聴されるのが癪なので支払うと。
「この話は平行線ですね」
キツネはそのまま部屋を出ようとして、何かを思い出したかのように振り返った。
「ああ、そうだ忘れるところでした。海神協定に則り、請け負った仕事を強制的に破棄させていただく。立会人は“審判者フトロフ”、三五協定を遂行します。マーカー殿、此度の依頼に関する残りのお支払いは結構です」
それを聞いていきり立ったのは、今まで息を殺して黙っていた商人の秘書だ。
「なんだと! それでは契約違反ではないか! まだ次の港まで一週間あるんだぞ!! 正当な理由無く契約は解除できない!」
「この期に及んで何を言っているのですか。あなたがたの契約違反だというのがわからないのですか? ご存知だと思いますが、依頼人が海神協定を違反した時点で契約は全て無効になります」
「お前だって山賊だか何だか知らんが、依頼の途中で私用抜けしたではないか!」
「だから私の件は――」
面をしていてもわかるほどの殺気がキツネからあふれる。
そして秘書の目の前に移動すると、キツネは秘書を見上げて低い声で囁いた。
「あなた方の了承を得たので、契約違反ではないと何度もご説明しているのですが」
「ぐっ……!?」
殺気に堪えきれなくなった秘書が銃を取り出したその瞬間、キツネは軽く秘書を突き飛ばす。
よろける秘書は、諦めずに銃を構えて撃った。しかし、銃口にはいつの間にかチェスの駒が詰め込まれており、それを取り去ろうと力を込めた瞬間に銃はあっという間に複数の“部品”にわかれた。
「なっ……!?」
「では、これにて失礼。あ、そぉ~だ。半年ほど雇って頂いたお礼に教えて差し上げますが、十四時の方向から怪しげなガレオン船が近づいているようです。私のレーダーに引っかかっただけで目視しておりませんので、どなたの船かは存じませんが」
「ガレオン船……? この時間にここを通る商船はないはずだが」
「本日の世界航海記録ではそうですね。なので商船ではないということですが。甲板に出たら見られる距離にはいると思います。どうぞご自分でご確認下さいな。それではごきげんよう」
キツネはそれだけ言うと、うやうやしく礼をして部屋を出ていった。
わずか数分後、穏やかな海上を走る船に激震が走る。