第91話 仏の顔も三度(前編)
「なんだよ、まったく……!」
数時間にもわたる操縦訓練から、ろくな休憩も挟まずに突入したヴィグディスとの死闘。
結果、体力と精神力の全てを出し尽くした瞬は、帰りの輸送機の中で泥のように眠っていた。
疲労が回復していく際の心地よさは、余力が空に近ければ近いほど強烈なものとなる。
その意味において、今日の仮眠はいつもに増して、瞬に快感をもたらしていた。
その真っ最中に揺り起こされれば、いくら寝起きがいい部類に入る瞬でも、さすがに語気を荒くせざるを得ない。
「申し訳ありません。しかし、緊急を要する事態なのです」
自分を起こした相手は、見知った顔の青年士官だ。
ラニアケアに配備されている、このメテオメイル専用大型輸送機のクルーである。
一般的な上下関係から外れた特別階級かつ年下の瞬達に対しても敬語を崩さない、実直な人物だった。
「おいおい、まさか輸送機が狙われてるだなんて言わねえよな」
「いえ……見方によっては、それよりも更に深刻な状況です」
「もっと深刻……!?」
瞬は、寝ぼけまなこを擦るのも止めて、すぐに起き上がる。
これから再び戦闘に突入するというのなら、状況は絶望的だ。
小一時間は眠れたおかげで、心身はわずかながら、活力を取り戻している。
しかし機体の方は、時間経過で損傷箇所が治るようなことはない。
右脚と両腕を失ったゲルトルートでは、出撃したところで即時撃墜であろう。
「ともあれ、まずは艦橋にお越しください。我々の方は、もうしばらくは安全と思われますので、機長から詳しい状況の説明を」
「……ああ、そうさせてもらう」
「あと、できれば北沢特尉を起こすのを……」
「緊急なんだろ、任せる!」
食い気味にそう答えて、瞬は隣のベッドで爆睡する轟を無視したまま、仮眠室を飛び出した。
青年士官には悪いが、眠りを妨げられた轟の機嫌を取る方法は、今のところ瞬ですらも編み出せていない。
「おう、お疲れ」
「……こういうことかよ」
艦橋の通信ウィンドウに映った光景を見て、瞬は壁に拳を打ち付けたくなる衝動を堪えた。
瞬にねぎらいの言葉を投げかけた相手は、機内の誰でもない。
ラニアケアの上空に浮遊する鉛色の巨人、その操縦者からだった。
顔は伺えないが、声色は男のものだ。
「ジュバの奴は囮で、本命はあんたってわけか」
「概ねそんな感じだよ。補足があるとすれば、あいつにその自覚がなかったってことくらいかな」
「胸糞の悪い連中だ。仲間をだまくらかすなんてよ……!」
瞬は目を細め、また別のウィンドウ上でズームアップされた、その機体をじっくりと観察する。
ヴァルプルガ、ヴィグディスと同じく、全身各所に見受けられるのは仏像を象った豪奢な装飾。
背面から無数に伸びた柱状のパーツと、右手の錫杖、左手の宝戟――――それらの特徴から察するに、大日如来、不動明王と続いて今度は千手観音をモチーフにしているらしい。
ただし、やはり頭部のメインカメラだけは相変わらずの機能性重視だ。
円形のレンズが顔面の上下左右に配置されており、漂う異形感は前の二機以上となっている。
まだ当人の口からそうと発せられたわけではないが、状況と会話の流れから判断しても、エウドクソスの所属機であることは疑いようがなかった。
「あいつの自尊心はいささか度を過ぎてるからな。秘密を握らせたら、すぐ態度に出るんだよ。なんであんな奴が“優等生”だったんだろうな?」
「知るかよ……」
まるで他人事のように、愉快げな口調で話す男に対し、瞬は吐き捨てるように言った。
セイファートとバウショックが出払っている隙を突いての、ラニアケア制圧。
独自にルールを設けて出撃を制限しているオーゼスとは異なり、どこまでも合理性を重視するエウドクソスならば、実行する可能性は十分にあった。
が、そうは考えつつも、瞬に限らずヴァルクスの全員、心のどこかで油断があったことは否めない。
火力に優れたオルトクラウドを残してさえいれば、そうそう攻めては来まいという雰囲気だったのは確かだ。
「今までずっと水面下でコソコソ動き回ってたあんたらが、こうも大胆な真似をしやがったってことは、いよいよってことでいいのか」
「そうなるんだろうな」
「とりあえず自己紹介でもやってくれよ、ヘラヘラ男。そのくらいの余裕はあるんだろ」
瞬は、声の主をそう名付ける。
男の声に含まれている笑気は、制圧の成功による高揚とは異なる、もっと恒常的なもののような気がしたからだ。
「ああ、基地のみんなには名乗ったもんだから、すっかり忘れてたよ。俺はコードκの“ギルタブ”。お前らがこれまでに倒してきたアクラブ、ジュバと同じで、エウドクソスの“優等生”さ。まあうん、俺個人の目的については、映像のとおり。下手に動くとドカンっていう、オーソドックスなやつ」
「いきなりドカンじゃねーってのはどういう了見だ、カッパ野郎」
「あはは、またしてもひどいあだ名だ。さっきよりショックだ」
遅れて入室してきた轟に対する返事も、やはり不気味な笑気を伴ったものだった。
どれだけ喋ろうとも声のトーンが完全に一定で、何に対しておかしみを感じているのかがまるで判別できない。
「それはもちろん、お前たちにはまだまだ働いてもらうつもりでいるからさ。だからよっぽど反抗的な態度を取らない限り、危害は加えないよ」
「あ……?」
「人も物資も出入り自由。島の中じゃ、普段通りの生活を送ってくれていい。ただちょっとだけ、俺達の指示に従ってもらいたいってことさ」
「断ったら?」
「決裂なら決裂でも、構わないんだぜ?」
瞬の問いに対する返事として、ギルタブは、錫杖の先端をラニアケアに向けてみせる。
どうやらヴァルプルガと同様、それはエネルギー放射機構を内蔵した多機能兵装ということらしい。
輸送機とラニアケア、それぞれ現在位置には、まだ百キロメートル以上の開きがある。
どう足掻いても、攻撃の手を止めることは不可能だ。
心中に浮かんだ言葉をそのまま吐き出してしまえば、帰還する頃には、ラニアケアは海の藻屑である。
「ともかく、安心して帰投しろよ。お前らを一箇所に集めて、もっと詳しい話をぐだぐだ長々とやれっていうのが“先生”の指示だからな」
「一番いい環境がラニアケアってだけで、メテオメイルの整備は他所でもできるんだぜ。ここでオレ達が進路を変えれば、あんたらの計画は台無しだな」
ギルタブのメンタル耐性を試す意味で、瞬は逐一、癇に障るような意見を差し挟む。
戯言には動じないぞと気取っている相手ほど、怒らせ甲斐がある。
無論、瞬個人の嗜好のみならず、戦略的な観点からもだ。
「だいたい、来ても撃つって可能性があるんだ。来なきゃ撃つって、脅しとして成立してねえんだよ。確実にオレと轟の命が浮く分、行かないほうが得策だろ」
「つーか、司令さんもそう命令してるだろうな」
基地とオルトクラウド、そしてメアラが失われるとしても。
それで二機のメテオメイルと回収分のHPCメテオが奪取を免れるのであれば、ケルケイムは間違いなくそちらを選んでくれる。
どれほどの葛藤に苛まれようと、全員の無事と損害の最小限化を、最終的にはしっかりと切り分けられる人物なのだ。
「大正解。抵抗が無意味とわかると、すぐにそんな感じのことを言い出したよ。自分の命もかかってるっていうのに、惚れ惚れするほどの胆力だ」
「あんたらの親玉みてえな根性なしとは違うってことだ」
「……うーん、想定されていたケースではあったけど、どうしても嫌だって言うんなら仕方ないか。これはどっちかっていうと、エウドクソス(おれたち)の信用のなさが原因だし。わかった、それで手を――――」
「馬鹿言え、行くに決まってんだろ」
瞬は不敵な笑みを浮かべつつ、ギルタブの乗る鉛色のメテオメイルに向けて言い放った。
「俺の読解能力が低いのかな。てっきり来ない流れかと思ってたけど?」
「脅しとして成立してないってことは、ちゃんと約束を守る気があるってことだ。騙すつもりなら、もう少し旨味のある二択にするだろ」
「なるほど、そういう考え方もあるな。ああ、“先生”もそのリアクションを想定済みで……」
「それに、戻らなきゃあんたの邪魔ができねえ」
大勢が決するような重要な局面においてまで、作戦内容に口出しされては、たまったものではない。
いつまでも居座られるより、リスクを承知で問題の解決に臨む方が、結果的には得なのだ。
そして何より、エウドクソスがこうまで思い切った行動に出た裏を読めば、ますます逃げるわけにはいかなかった。
「……へえ。お前、本当に面白いやつだな。不利な状況で、そんな偉そうな態度が取れるなんて」
「おい知ってたか轟、オレ達って不利らしいぜ」
「まさかの真実だな。驚きのあまりひっくり返りそうだ」
「ははは、そのリアクションも最高だ。それじゃあ、待ってるよ」
そう言い残して、ギルタブは通信回線を閉じる。
ラニアケアに着陸するまで、残り数分。
瞬と轟は、ほとんど役に立たないとは知りつつも、念のため各々のメテオメイルに搭乗してギルタブとの遭遇に備えた。
ギルタブを機体からどう引きずり降ろすかというアイデアについて考える時間は、皆無であった。




