第87話 无に挑む(その3)
「せいぜい野良犬のようにやかましく吠えていなさい、北沢君。それが無能で無力なあなたにできる唯一の反抗手段なのですからね!」
この世から消失し、あらゆる攻撃から逃れる幽体化能力“ボイドレギオン”。
その行使によって完全な虚無となったヴィグディスから、ジュバの嘲笑が放たれる。
(あいつの言う、純然たる无なんてのは嘘っぱちだ。誰がそんな、トンデモ能力の実在を鵜呑みにするかよ)
瞬は自分に言い聞かせるように、心中で呟いた。
ヴィグディスは姿を消してからも、セイファートやバウショックとの通信を行っている。
物理的に完全消失しているというのなら、その間は電波の送受信も不可能になるのが道理のはずだ。
(オレ達がそう考えてることもわかってるから、口を閉じる必要がないってことか。舐めやがって……!)
ボイドレギオンの正体を、単一あるいは複数の機能を用いた高度なステルス機能であると仮定しても。
スクリームダイブを始めとした物理攻撃が幾度もすり抜けたのは、揺るがぬ事実。
命中までに十分な猶予があるならまだしも、どう考えても直撃確定の状況から、ヴィグディスは透過による回避に成功している。
その仕組みを解明できない限り、ヴィグディス攻略は何の進展もないに等しい。
つまるところ――――消失状態でもジュバが黙らないのは、先の謳い文句が虚偽だとわかったところで絶対に見破れまいという、自信の現れなのだ。
「だったら……轟、ソルゲイズだ!」
「……いいんだな?」
轟が、うねる猛火のような圧を含んだ声で、そう吐き出す。
轟の言葉は、瞬に対してのものでもあったし、同時にジュバに対してのものであった。
「全力で、やっちまってもよ!」
轟が叫ぶなり、バウショックは軽い跳躍と共に、頭上に向けて手にした火球を投げ放つ。
その投擲方向、そして瞬時に膨張を開始する性質を見て、瞬は指示した本人でありながらも身構えざるを得なかった。
「灼熱視」
直後、世界は怖気立つほどの真紅に飲み込まれ、メテオメイル以外のあらゆる物体が燃焼する。
轟がスラッシュ・霧島との戦いで編み出した、バウショック第二の決戦攻法“ソルゲイズ”。
上空に停滞させた超高熱量体の圧縮を、数十秒の時間をかけて自然解除――――その間、周囲一キロメートル程度の空間に数千度の灼熱を振り撒く広域攻撃だ。
敵機を一撃で焼滅させるほどの威力を失った代わりに、領域内のあらゆる物体を炙り尽くす様は、まさに太陽の凝視。
無論、間近に立つゲルトルートも高熱を浴びることとなるが、バウショックと同等の複合装甲を持つおかげでどうにか耐えきることは可能だった。
(そうだ、これなら……)
広範囲に干渉できるソルゲイズならば、ヴィグディスがどこに隠れ潜んでいようと構わない。
不可視状態であろうとも、そこにいる以上は絶対に当たる。
そして、当たりさえすれば姿を捉えられる。
まさに炙り出し――――初手としては、これ以上に有効な策もない。
十輪寺が大慌てで叫び声を上げたのは、そう考えた矢先のことだった。
「ううっ、まずい! それはまずいぞ軟弱少年、ワイルド少年! エネルギーぶちかまし系必殺技はまずい!」
「はあ!? 十輪寺てめえ!」
「今更なに言ってやがんだ!」
「そう来るのを待っていたんですよ、私は……!」
焦燥、憤慨、激昂、愉悦。
人工の太陽が膨張を開始した瞬間、それぞれの感情を含んだ一声が連なる。
同時に、ヴィグディスは自ら姿を現した挙句、あろうことかその紅き塊を目指して飛翔。
想定外の事態なりに、瞬はストリームブリットを連射してヴィグディスの進行を阻止しにかかる。
だが、それらは他ならぬソルゲイズの高熱によって、命中前に大気中へ拡散してしまう。
「ちっ……!」
「あれだ、俺のゴッドネビュラのハイパーネビュラサンダーを吸い取ったのは!」
「……吸い取る!? 吸い取るって言ったか今!」
不穏な単語を耳にし、瞬は、十輪寺の映ったフェイスウインドウに詰め寄る。
そのとき、これまで用途が不明であったヴィグディス背面の迦楼羅焔が、無数の端末機となって本体より分離。
それらは、急速に体積を増やしていくソルゲイズを包み込むように展開し、互いを繋ぐように膜状の力場を形成する。
「ご覧なさい。これぞヴィグディス第二の能力、已滅無の加護“ナータスティーラー”……! あなたが渾身の力を込めて繰り出した必殺の一撃を、私がいとも容易く閉幕て差し上げましょう」
ジュバの宣言どおり、迦楼羅焔によって作り上げられた領域は、内部の火球を押し潰すようにしながら収縮していく。
膨大な熱量が完全なる無へと還るまでに、ものの五秒とかからなかった。
瞬は、まるで魔法でも見せつけられているような気分になる。
しかし、この能力もボイドレギオンと同じだ。
この世の理から外れた超常の現象ではなく、計算づくで行使されるヴィグディスの一機能なのだ。
だとすれば。
十輪寺の言うことが確かだとすれば。
ソルゲイズとして解き放たれるはずだったエネルギーの所在は――――
「まずい……攻めろ、轟!」
謝罪は後回しにして、瞬はゲルトルートを仰け反らせた後、加速。
ゆるやかな角度で上昇しながら、ヴィグディスとの距離を詰めた。
そうする間にも、無数の端末機が本体へ続々と帰還を果たし、ヴィグディスの現在位置において熱源反応の数値が急速に増大する。
「んなこた、わかってんだよ!」
急かされ、轟もクリムゾンショットの投擲準備に入ろうとする。
だが、どちらも重装型のメテオメイル。
動作は緩慢で、咄嗟の対応には向いていない。
ゲルトルートの斬撃が届く前に、ヴィグディスは口部カバーを左右に展開し終えていた。
その内部に隠されていた、黒光りする砲口の奥部に光を携えて。
「駄目だ、間に合わ――――」
「お返ししますよ、僅かばかりの利子を付けてね」
ジュバがそう発した瞬間、ヴィグディスの砲口から、濁流の如き極大の閃光が迸る。
放射状に広がる、絶大な破壊力を秘めた一撃は、線ではなく面のレベルで戦場を穿つ。
既に焦土と化しつつあった基地周辺の大地は、その一撃で完全に原型を失うこととなった。
土煙が高く舞い上がり、大気は激しく鳴動する。
取り込んだソルゲイズのエネルギーを用いた砲撃。
照射時間はごく短いものであったが、威力はオルトクラウドのゾディアックキャノンにも匹敵するようだった。
「この……!」
墜落するゲルトルートの中、瞬は呪詛を吐きつつ、姿勢制御に務める。
発射の寸前、強引に身を捩って、どうにか射線上から逃れることはできた。
しかし、真正面から光線を受けずに済んだというだけの話である。
ゲルトルートの右半身は、余波に晒され、醜く焼け爛れてしまっていた。
まだ鈍器としては使い道のあるジェミニブレードはともかく、脚部の大型スラスターは死んだも同然だ。
内部機構は無事だが、噴射ノズルが融解して筒先の部分が塞がってしまっているのだ。
そんな状態で無理に噴射すれば、右足が丸ごと破損してしまう危険性があった。
そして、メインスラスターの三基中一基が失われたということは、スクリームダイブの威力が大幅に低下することを意味する。
まだ十分なダメージは与えられるだろうが、必殺の域でなくなることは確かだ。
「……野郎、俺のソルゲイズを」
横跳びで逃れたところを更に衝撃で吹き飛ばされたのか、大きく離れた場所でバウショックが身を起こす。
とめどなく噴き出す蒸気から、全身の冷却装置が悲鳴を上げているのがはっきりと見て取れた。
「ソルゲイズが有効であることには気づきつつ、それを使うよう誘導されていたことには気づかない……半端に賢しい風岩君の、いつもの失態だ。データで何度も拝見しましたよ」
「ヴァルプルガよりは便利そうじゃねえか」
あれほどのエネルギーを全て吸収し、即座に撃ち返してくるとは、完全に予想外の事態だった。
しかし、そのまま言葉にするのはあまりにも格好がつかないので、瞬はやせ我慢して余裕の笑みを浮かべる。
「このヴィグディスは、ヴァルプルガの系列機であると同時に、後継機なのです。あれに見られた問題点は全てクリアされています。実際、戦闘中にエンジンを奪って自機に搭載するというのは、隙が大きすぎて危険ですからね。あんなものは、相手の手の内もわかっていないのに懐に飛び込んでくる間抜けにしか通用しませんよ」
「いたなあ、そんな間抜けが……!」
歯ぎしりしながら、瞬は改めてストリームブリットを撃ち放つ。
近寄って叩き斬りたいところだったが、あくまで今の自分が成すべきことは、ボイドレギオンの見極めだ。
怒りを飲み込み、後方から駆け寄ってきたバウショックと入れ替わって、再びフォーメーションを形成する。
「他人の力を利用するなんざ、コス狡い野郎だ。テメーもアクラブも、そのやり口がイラつくぜ……!」
「メテオメイル戦を制する上で最も有効な手段を取っているだけですよ。むしろ、単一コンセプト特化の欠陥機を愛好する人間の方こそ理解できませんね。勝つ気がないようにしか見えない」
「テメー自身の強さを証明してーんだよ、俺達はな!」
「そういうことだ!」
ヴィグディスに駆け寄るバウショックが、クリムゾンショットを全力投擲する。
そのタイミングに合わせ、瞬もストリームブリットを発射した。
炎と空気、二種の異なる物質を凝縮させたエネルギー弾にして、高速で目標に迫る。
「なるほど……吸収を誘い、こちらが反撃する前に追撃を仕掛けるという魂胆ですか。乗るわけがないでしょう、そんな安い策略に!」
ヴィグディスはボイドレギオンを発動し、それらを完全回避。
目標を見失ったゲルトルート、バウショックにバルジエッジの連続斬撃を浴びせ続けた。




