第85話 无に挑む(その1)
本日の操縦訓練が終わったことで、数名のスタッフに連れられてシミュレータールームを退室――――もとい運搬されていくスラッシュと霧島。
壁際の椅子に身を預けた瞬と轟は、そんな二人には一瞥もくれず、冷えたスポーツドリンクを胃に流し込むことに没頭した。
それだけ激しく汗をかいてしまっていた。
スラッシュと霧島が提示する、ただでさえ無茶振りに近い訓練メニューを、この半月は規定量の五割増しでこなしているためである。
瞬達をそうさせる理由には、連奈が抜けた穴を埋めなければならないという義務感も、勿論含まれる。
だがそれ以上に、今は無性に体を動かしていたい気分だった。
黙っていると、焦りや不安、苛立ちが募っていく。
他ならぬ、自分達の迂愚さに対してだ。
今までのように、無力さを痛感するくらいなら、まだ気は楽だった。
よりよい結果を求めるあまり、逆に事態を悪化させているのではないか――――そんな疑念に囚われているのが、今の二人なのだ。
「どうすりゃよかったんだ、俺は……」
轟がぽつりと漏らしたその言葉が、襲撃から今日までの間、ずっと胸中に溜め込まれてきたものであることは想像に難くない。
ようやくそれを、瞬の前で声にする決心がついたのだろう。
「セリアがエウドクソスの手先だってのを見抜けってんなら、無理だろ。この風岩君の直感を以てしても、何の違和感も持てなかったしよ」
「だがよ……。もっと前の段階で、もっとたくさん話してりゃ、わからねーなりに、思い留まらせることぐれーはてきたんじゃねーのか。あいつに一番近かった、俺が」
「一番……?」
「いや、何となく、そうなんじゃねーかって、思っただけで……」
瞬がそこだけ抜き出してみせると、轟は慌てて否定しようとする。
悩みを吐露するにしても、今の一言だけは完全に余計だったらしい。
だがそれより早く、瞬は二の句を継いだ。
「なんだよ、やっぱり自覚あんじゃねえか」
その鎌かけが、決定打となった。
いつものように堂々としていればやり過ごせただろうに―――――轟は、急な呼吸の停止と、その後の深い溜息を以て返答した。
瞬は、逆さにしたスクイズボトルから落ちてくる水滴を舐め取りながら、間をもたせる。
離反の場において、セリアを止める術が思い浮かばなかったこと。
先日の会議において、自分の思うようにセリアという人間を説明できなかったこと。
どちらの意味から解答したものか、少しでも考えた自分が馬鹿らしい。
「……なにを言えば良かったんだ、だろ。それすらもう言葉足らずだよな、お前は」
「うるせーぞ、クソが……!」
「どぼけてたのか、今更気づいたのか、どっちだよ」
「知るかボケ! そして答える義理もねー!」
「へいへい」
狼狽の色が濃い、まったく凄みのない威嚇を脇から受けながら、瞬は喉を鳴らして笑う。
だが、それも数秒のことだ。
轟のリアクションは面白がっていいとして、その無様さを笑う権利は、瞬にはない。
「大体テメーだってよ、あの後輩女とギスギスしてんじゃねーか、最近」
「だから切り上げてやったんだよ、本当なら小一時間くらい弄り倒してやるところを」
当然のカウンターを受け、瞬は渋面になる。
轟とセリアが相対した、その僅かに前、瞬はついぞメアラと真っ向からやり合った。
英雄という概念に異常なまでの高潔さを求め、そこから外れたものを受け入れることができないメアラに、決別の言葉を突きつけたのだ。
そのこと自体に、後悔は些かもない。
思っていることを正直に述べただけであったし、このままずるずるとメアラの理想に流されていくのが本当に危険であることも証明された。
が、それはそれとして、少し言い過ぎた感はある。
「だってよ、あんなタイミングであんなゴチャゴチャわめかれたらさ、キレるだろ絶対。あいつの口から出てくるのは、理想ばっかりで方法が一個もねえんだよ。それをあいつに求めんのも無理かもしれねえけどさ……」
当時のやり取りを思い返しながら、瞬は思わず唸った。
それからのメアラはというと、妙に静かだ。
食事は別々に取るし、余計なことは何一つ言ってこないし、してこない。
必要があれば、必要なだけの会話もする。
だが欲を言うなら、もっと盛大に、それこそ子供じみた嫌悪感を持ってくれた方が、まだ安心できた。
自分の一言であれほどの苛烈な妄執を捨てたとは思えない――――という前提を踏まえて考えると、ひっそりとした様子は、逆に恐ろしい。
しかし同時に、そんな距離感に、どこか物足りなさを感じているのも事実だった。
「で?」
「で、って……これで終わりだよ」
「本当にか?」
「お前が聞き役をやってくれるっていうのかよ。珍しいこともあるもんだ」
隣で天を仰ぐように視線を上げる轟をちらりと見ながら、瞬は苦笑する。
「俺だけゲロるのは割に合わねー」
「それもそうか」
先程の返しの時点で、言い足りないことがあると言ってしまったも同然だ。
それに、青少年にとっての秘密中の秘密のようなものを口走ってしまった轟と比べれば、ダメージなどはないに等しい。
あくまで自分の惰弱さを露呈したくないというだけの話なのだ。
観念して、瞬は心の奥底に溜まったものを吐き出す。
「いやさ、メアラの考えは度が過ぎてるとは思うし、そこは絶対訂正しねえ。でもさ、あいつに助けられてるところみたいなのも、あるんだよ」
「あ……?」
「オレみたいに、行き場所がわからなくてふらふらしてる奴にとっては、メアラみたいなのはありがたいんだ。無理矢理でも、どこかに引っ張って行ってくれる。そこがオレの目指す所じゃなくても、違うことだけははっきりわかる。じゃなけりゃ、セイファートにもう一度乗る決心もつかなかった」
言って、瞬は拳を強く握りしめる
そこは、認めなくてはならない箇所だった。
まだ一ヶ月程度の付き合いだが、メアラの強烈な性格は、十分すぎるほど瞬の内面形成に作用していた。
何を求め、何を以て達成とするのか―――――その辺りが、だいぶ鮮明化されたといっていい。
果てしなき道程が、目測できる距離にまで縮まったのだ。
「めんどくさい奴を突き放してせいせいした……じゃ、なんか後味が悪いんだよ」
「気の合う奴とは合うし、合わねー奴とは合わねー、そんだけだ。無理に仲良しこよしをやろうとしても絶対どこかでまた揉める」
なんとも轟らしい極論だった。
もっとも、正論であることに違いはなく、全面的に悪かったと平謝りしてまで仲直りしようと考えていないのは事実である。
ただ、あんな形で溝を深めてしまったのが惜しかったというだけだ。
「もっとこうアドバイス的なもんをくれよ。オレもあいつも折れずに済むような感じのをさ」
「テメーが俺にくれたか? さっきの話で」
「簡単だから端折っただけだろ。次会ったら言ってやりゃあいいんだよ、ぼくセリアちゃんのことが大す」
「黙りやがれ! なんでそんな腑抜けたことをオレが!」
「セリアがヴァルクスに戻ってきて欲しいってんなら、それが最適解だろ! こんなときだけびびってんじゃねえよ!」
そう互いにがなり立てて、いざ掴み合いを始めてみるものの――――ひどく情けない理由から発展した行為であることに気づき、すぐに空気は緩んでいく。
配属当初の自分達に共通していた“自分がメテオメイルで戦うことさえできれば、人間関係がどうなろうと構わない”というスタンスが、本当に懐かしく感じる。
「みんな一緒じゃないと嫌だ、とまでは言わねえよ。お前が言ってるとおり、なにをするのもそいつの勝手だ。だけど、ここ最近のあれやこれやは、オレ達がばらばらになるにしては理由が下らなさすぎる」
これには、轟も小さく「ああ」とだけ返す。
生きていたところでヴァルクスに戻りそうな気のしない連奈。
本意があやふやなままラニアケアを去ったセリア。
振り払うことはできたが相変わらず妄執に取り憑かれたままのメアラ。
そして、そんな彼女達にほとんど何もできていない自分と轟。
離別の形としては雑が過ぎて、まるでドラマチックさが足りていない。
「女連中に確かめなきゃあな。本当にそんなことがやりたかったのかをよ……!」
各自の目指すところを見定めることは、単なる我欲とは言わせない。
今の状況は、年少隊員五人の誰にとっても、不完全燃焼のはずだ。
それに、せめてもう一度、全員揃って馬鹿話をしたいと思うくらいには、この面子には愛着があるのだ。
「……だけどその前に、一仕事あるみたいだぜ」
「くそ、こんな時に限って……! いや、逆にちょうどいいタイミングだ……!」
鼓膜を震わす聞き慣れた非常警報に、瞬と轟は悠然と立ち上がる。
体力がだいぶ消耗している反面、精神力の充溢と体の温まり具合は最高に近い状態だ。
誰が相手であろうと、今は負ける気がしない。
事態の詳細に耳を傾けるのは後回しにするとして、二人は全力で格納庫へと駆けた。
「のわーっ!!!」
胸部面積の大半を占める黄金のエンブレムが眩しい、三本角の鋼鉄巨神――――ゴッドネビュラ。
その巨体が今、惨めにも顔面から大地に沈み、周囲に凄まじい震動を轟かせる。
「お、俺のゴッドネビュラが手も足も出ないとは……!」
「だから先刻も申し上げたでしょう。そんな機体では、この“ヴィグディス”に勝つことは不可能だと」
その二百メートルほど上方にて、虫でも眺めるように昂然と滞空するのは、青銅のメテオメイル。
その機体――――操縦者曰く、ヴィグディスなる機体は、先日ラニアケアに乗り込んできた機体と全く同一のものである。
ヴィグディスは、ここウェーク島の連合軍補給基地を急襲するはずだった十輪寺の前に立ちふさがり、宣戦布告を行った。
無論、ヴィグディスを排除しなければ作戦遂行がままならないのだが、それ以上に未知なる敵の出現に湧いた十輪寺は即決で了承。
愛機であるゴッドネビュラを駆って、正真正銘の全力で対決に挑んだ。
だが、結果は惨敗。
まったくダメージを与えられぬまま、ゴッドネビュラは全身を切り刻まれ、大破寸前に追い込まれている。
機体の中核であるディフューズネビュラを脱出させようにも、外装である三機のメカが機能を停止しており、逆に閉じ込められている次第である。
「そんな機体とはなんだ、そんな機体とは! 俺の魂の写し身であるゴッドネビュラを侮辱することは許さん!」
「その無意味な拘りこそがあなたの敗因だというのに……」
「ぐぬあーっ!」
ヴィグディスの腕部より放たれた数発の光弾が直撃し、またも十輪寺は芝居がかった大仰な叫びを上げる。
攻撃に用いられたのは圧縮光子生成機構“ソーラフォース”、ヴァルプルガと共通の武装である。
「緊急時に不要なパーツを切り離すためのパージ機能だというのに……。あなたの機体は、なまじ複雑な合体機構を採用しているせいで肝心なときに役に立たない。ひどい構造欠陥だ」
とはいっても、各支援機の頭脳である中枢部が的確に破壊されない限り、それらのコントロールが失われることはない。
各パーツが変形している状態なら、所在位置の見極めは、なおのこと難しいといえる。
だがヴィグディスの操縦者は、既にゴッドネビュラのほぼ完全な設計データを入手済みであった。
だからこそ、完了までに数十秒はかかるゴッドネビュラの合体シークエンスを悠長に待つという余裕もみせていた。
「私の評価では、ゴッドネビュラの総合戦闘力は最弱のセイファート、非武装のプロキオンに続いて全メテオメイル中ワースト三位。不要なシステムが自分の首を締めていることは、あなたとて重々に理解しているでしょう」
「不要などではない、この機体で戦うことに意義があるのだ! 喰らえ卑怯仏像……燃える漢の迸る熱血砲を!」
十輪寺の叫びと同時に、ゴッドネビュラの脇腹を突き破って出てきたディフューズネビュラの右腕が、腰部に装着されていたレーザーライフルを撃ち放つ。
ヴィグディスの操縦者にとってはまったく予想外の事態であり、赤い光条は見事頭部に直撃した。
とはいえディフューズネビュラのレーザーライフルは、合体前の形態で使用する取り回しのいい武装であるため、威力も相応。
レイ・ヴェールによって威力のほとんどが減衰し、結果はヴィグディスの頭部装甲を赤熱させる程度に留まった。
だが、一方的な蹂躙を行う気でいた、操縦者の勝者面を崩すには十分だった。
「戦いを開幕ることもできない閉幕者なりの、些細な抵抗というわけですか……」
これまで重機レベルの単調な動きしかみせなかったヴィグディスに、ようやく人の意思が乗り移る。
背面の迦楼羅焔中央に取り付けられていた鞘から抜き出したのは、鍔と柄がうねった両刃剣“バルジエッジ”。
刀身側面のスリット部から極薄の液体金属を発射するギミックを有しており、フィクションの中で剣の達人が用いる“飛ぶ斬撃”を擬似的に再現することが可能な武装だ。
「なんのダメージにもなってはいませんが、我らが偉大なる“先生”より賜ったこのヴィグディスに、一撃をくれたことは事実。メテオエンジンさえ抜き出せれば良かったのですが、予定変更です。あなたも消して差し上げましょう」
「しまっ……」
身動き一つ取れないゴッドネビュラの内部で身構える十輪寺。
だが直後、バルジエッジの一振りと共に放たれた液体刃が破壊したのは、レーザーライフルのみだ。
なぜなら、ヴィグディスの操縦者が最後の一撃に定めたのは、その悪辣な応用法。
刀身を直接突き刺した後に、液体金属で敵機の内部を侵食するというものなのだから。
「肉体の十センチ前で止められた剣先より高圧放射される水銀、ナトリウムおよびガリウムの毒性化合物を全身に浴びながら閉幕なさい。夢に溺れた愚かな放蕩者の一人よ」
「不動明王の倶利伽羅之剣か……なるほどなるほど。学生時代、日本史だけは好成績を収めたこの十輪寺勝矢、あれから三十年ほどが経過した今でも結構覚えてるぞ!」
「散り際の言葉が知識自慢とは……。ただ、それらをモチーフとしているのが正解だということは正直にお伝えしておきますよ」
操縦者の呆れたような口調と共に降下してくるヴィグディス。
バルジエッジを振り上げた腕は、一切ぶれることがない。
ゴッドネビュラの胸部装甲、その奥にある十輪寺の位置を、操縦者が正確に把握しているからだ。
「さて、では――――」
この一撃で、確実に十輪寺は絶命する。
もとより耳障りだった大声を考えれば、断末魔はそれ以上の破滅的音量となるかもしれない――――そう思い至って、先に通信装置のボリュームを下げておくべきかと、ヴィグディスの操縦者は僅かだけ降下速度を緩める。
だが、聞こえてきたのは豪快な笑声。
あまりにも堂々とした態度で、十輪寺はそこに控えていた。
「煩悩を払う剣が毒性とは……笑止千万! 拘り度、マイナス百点だ! 開発者ともども、なにもわかっちゃあいない!」
「あなたは……!」
「そのとおりだぜ、十輪寺のおっさん……!」
「レーダー内に新たな熱源が二つ……? 予定より大幅に早いですね」
しかも、ヴィグディスの操縦者の予想を覆したのは、十輪寺の反応だけではない。
二機のメテオメイルが相次いで空の彼方より飛来。
うち一機は進路を変え、空を切り裂きながらヴィグディス目掛けて飛び込んでくる。
そして後続のもう一機も、全身を捻って強引に落下を開始していた。
前者は瞬の操る漆黒の剣士、ゲルトルート。
後者は轟の操る真紅の拳士、バウショックである。
「仏のくせに他人のもん盗みやがったり、明らかに逆の性質持たせやがったり……つまるところがにわかの集まりなんだよ、こいつらは」
「実用性を持たせただけだというのに、随分な言い草ですね。その機体に乗り換えながらも、相変わらず思考は閉幕たままというわけですか、風岩瞬君」
「違うね、やっとやるべきことを見つけたのさ。“先生”にもそう伝えとけよ。どうやら手持ちの情報が悲しいまでに古いみたいだからな……」
瞬は角度を調整しながら、遠く先のヴィグディスを視認し、目を細める。
今度は確実に中央を貫くと、自らの精神までもを鋭利な剣のように尖らせて。
「まさか早速あんたと戦えるとは好都合だ……とりあえず、お近づきの印に受け取ってくれよ。ゲルトルートのとっておきを!」
元よりゲルトルートはスクリームダイブ形態でリニアカタパルトより射出されている。
瞬はヴィグディスとの相対距離が三キロメートルを切った時点で躊躇うことなく、オーバーブーストの専用グリップを引いた。




