第84話 停滞
昨日、所属不明のメテオメイルによって、ラニアケアが襲撃されるという事件が起きた。
否、襲撃であればどれほど穏当な事態であろうか。
なにしろ敵機がやってのけたのは、あらゆるレーダーで補足できない完全なる隠密機動からの上陸。
向こうがその気であれば、ラニアケアを容易に陥落できていたことだろう。
ゆえに今日、連合の首脳陣と共に、対策会議が行われる運びとなった。
対策というのは、もちろん警戒態勢の強化に関する話も含まれる。
だが、主題はもっと巨視的なもの――――その機体を保有する組織“エウドクソス”をどうするかといった部分である。
「ヴァルプルガや件の機体が、まだエウドクソスの所属であることを証明する材料はありません。どころか、エウドクソスが本当に連合を害する目的で動いているかどうかすら、定かではない。まだ、それらを繋げば辻褄が合うという段階です」
ケルケイムは、面向かった空間に構える十数名の人物たちに向かって、そう前置きする。
彼らは、そこに実存しているわけではなく、卓上のホログラム表示機能によって映し出された立体映像である。
参席しているのは、トリルランド元帥やエーレルト中将を始めとした軍上層部が半数。
そして、残る半数は、連合政府の閣僚だ。
彼らはメテオメイル運用計画の中枢に位置する、重鎮も重鎮。
最高ランクの軍事機密であるメテオメイルパイロットの正体を知っているのは、ヴァルクスの関係者を除けば、この場にいる者で全員である。
それは同時に、情報漏洩の源が必ずここにあることを意味していた。
本件に関する証人の一人として呼ばれた瞬は、注意深く彼らの顔色を観察する。
「独力で把握できた、エウドクソスの明確な活動痕跡は、連合に対するS3の技術供与のみ。この事実もまた、彼らが敵か否かの判断を阻害する要因でした」
「だからこそ、以前よりその危険性を認識していながらも、上層部への報告を保留にしていた次第です」
要するに、ここにいる全員を疑っていた――――というニュアンスの発言を、ロベルトが買って出る。
ジェフラー達にとっては、あまりいい気はしないだろうが、こういうことは最初にはっきり言っておかなければ後の議論が円滑に進まないものだ。
「話をヴァルクスの内部に留め置きすぎたせいで、こんな事態にまで発展してしまった、その責任を取ってもらいたいところではあるが……不問にするしかないな」
参加者の中では最も位の高い、防衛大臣の役職に就く男が、そう言い捨てる。
お偉方にしては寛容な対応だと瞬は思ったが、よくよく考えれば当然のことだ。
なにせ、誰も身の潔白を証明できない関係上、ケルケイムの判断は最良だったかもしれないのだから。
同時に、長官ですらこの弱腰な決定となると、背信者がこの面子の中に存在する可能性はますます上がったといえる。
「エウドクソスに関しては、クシナダ准将から連絡をもらった昨日の内に、情報部を使って調べさせた。もっとも、君達が先んじて得た情報以上の収穫はなかったが……」
「直々の調査でも実態が把握できない組織だということが、証明されたわけですか……」
「彼らがどうやって計画に潜り込んだかはこれから突き止めるとして、明らかな不穏分子であることは認めてもいいだろう。こちらの手の内を把握できる立場にあることは、間違いないのだからな」
「有難うございます、長官」
「ここで異議を唱えるものは、いないな?」
さすがに、全員が賛同する。
少しでも否認しようものなら、皆の疑念を一手に浴びる結果になるからだ。
(これでお墨付きの敵認定……なら長官はシロか? いや、あそこまでの地位になると、表向きの発言なんてどうでも……)
瞬は首を左右に振って全員の顔色を伺うが、これといって不審な態度を示す者はいない。
完璧に近い手腕で連合を翻弄しているだけあって、その一員なら、場への溶け込み方も完璧といったところか。
「しかし成る程、連合を内外から侵食しているとなれば、一連の事件に全て説明は付くな。エウドクソスの機体が連合の警戒網を容易く潜り抜けられるのも、こちらの探知システムの仕様を髄まで知り尽くしているからだろう」
あらゆるレーダーを突破する能力となると眉唾だが、その都度、特定の波形に対応した低観測性を得ると解釈すればそれなりに現実味は帯びる――――長官が、そう補足する。
どのみち連合の警備態勢に対する圧倒的な優位性は変わらないので、まったくどうでもいい情報だ。
そして、本当に欲しい具体的な解決案は、ここでは誰の口からも出ない。
順次、各軍事施設のレーダー機能に改良を施すというおざなりな発言はあったが、そのくらいだ。
「メテオメイルを建造できるのも、連合から盗用したデータがあるからこそか。しかも単なるコピーではなく、メテオエンジン二基搭載という、オーゼスですら実用化していない独自仕様まで……これらの憶測が事実だとすると、厄介だな」
「オーゼスにも、スパイが潜り込んでるかもしれないですよ」
瞬が意見を差し挟むと、長官ほか数名が感心したような態度を見せ、残りは同意見だったのか大した表情の変化はない。
「こう言っちゃあれだけど、セイファート、バウショック、オルトクラウドのデータで、あんな完成度の機体ができるとは思えねえ。エンジン二個付きだって、まだオレ達が知らないオーゼスの機体から盗んだってことはあり得る」
「協議でもしますか? オーゼスと」
閣僚の一人が冗談めかして、そう提案するが、苦笑の一つさえ起きなかった。
単にエウドクソスという第三者を排除するだけならば合理的な判断ではあるが、オーゼスに対して謙るような真似は、連合の沽券に関わる。
彼らとの間には、例え一時的であっても脇に置けないほどの遺恨がありすぎた。
構成員と個人レベルでの関わりを持つヴァルクスは、特にだ。
「そこで、彼の出番というわけだ。証言の内容次第では、捜査が大きく進展するかもしれない」
脱線しつつある論議に一区切りを付けるため、やや大声気味に言って、長官は轟の方を見やった。
他の参加者たちも、それに倣う。
なにせ轟は、本会議における最重要人物なのだから。
「例の機体と共にラニアケアを離れたセリア・アーリアル伍長……彼女と最後に接触し、少なからず言葉を交わしたというのは事実かね?」
長官補佐を務める、細面の眼鏡の男が、ねっとりとした不快な口調で轟に尋ねてくる。
ひどく癇に障ったが、しかし今は轟の証言を拝聴するのが優先だった。
なにせ、長官やジェフラー達のみならず、瞬やケルケイムにしても、昨日の仔細を聞くのは初めてなのだ。
明らかに失意の底にある轟に対して、同じことを二度も三度も話させる無粋な人物は、ヴァルクスにはいないというわけである。
「事実だ。思い出したくもねーが、思い出せる分だけ思い出して、話す」
昨日からずっと沈黙を貫いてきた轟は、僅かに震えた声で、そう告げる。
ケルケイムとは違って、精神面の消耗はあるが、それ以上に困惑が勝っているといった風だ。
それだけ、轟の心中に占めるセリアの割合は大きかったというわけだ。
そして轟は、数分ほどセリアの発言や行動の内容を羅列してみせる。
端的に感想を述べるなら、それは唐突かつ、意味不明。
いずれも、セリア・アーリアルらしからぬ不自然な振る舞いだった。
変貌ぶりを直接目の当たりにした轟が混乱するのは無理からぬことだ。
「まるで要領を得ないな。最初から明確な目的を持って潜入していたこと以外、具体的な手がかりはなしか……」
「あの通信女が元々いたっていう施設だかなんだかを調べてくれや、長官さんよ……。どうやらそこが、臭いの元らしいぜ」
「“アークトゥルス”だな。そこまでわかっているということは、概要の説明は不要だな?」
轟の意見に、長官が応じる。
どうやら、セリアの出身についての話らしい。
聞きなれない単語だったが、轟がすぐさま首肯するので、瞬も仕方なく知っている体を装うことにする。
「あいつは、普通の学校には通ってねー。“先生”なんて呼べる相手がいるのは、そこだけだ」
ようやくそれなりの活力が戻った轟の口調には、懇願の色が強く出ていた。
何故セリアがあのような行動に至ったのか。
その原因を突き止め、胸中にかかった靄を晴らすためなら、なりふりは構っていられないということなのだろう。
「彼女の身辺に関しても、既に調査を行わせている。しかし今のところ、不審な繋がりは見えてこないとのことだ」
アークトゥルスが、毎年のように優秀な人材を輩出している真っ当な施設であることを、ジェフラーは補足する。
エンジニア、研究者、宇宙飛行士に医療関係――――各分野の最前線で活動する卒業生は多く、例を挙げれば枚挙に暇がない。
セリア自身も非常に優秀な生徒として、多分野での活躍が見込まれていたという。
情報処理能力にも長けていたことから、ヴァルクスの隊員に抜擢されたものの、それはあくまで一時的な起用とのことだ。
瞬は会話の流れから、その施設が、高度な専門的教育によって才能開発を行う場所であるらしいことをどうにか読み取る。
「そもそも……五ヶ月近くも正体を気取られずに潜伏していた人間が、そうまであからさまなヒントを残すとも思えんがな。また別の人物を指しているか、アークトゥルスに注意を向けさせるための虚偽と考えるのが妥当だろう」
「本当にアークトゥルスに”先生”とやらが潜んでいようものなら、敵にとって、彼女ほど無能な人材はありませんな」
割って入った眼鏡の男が、そう言ってのける。
その見下したような決めつけに、轟は専用卓の脚をたまらず蹴りつけた。
そうしたくなる気持ちは、瞬にも理解できる。
例えセリアの本性がどうであろうと、理知的な側面だけは、仮初めのものであって欲しくないからだ。
ただの願望ではあったが、そんなことを思ってしまうくらいには、瞬にとっても親交のある相手なのだ。
加えて――――今の発言を聞く限り、おそらく長官達はアークトゥルスに対して、そこまで入念な調査を行っていない。
意見を参考にするとは言いながらも、所詮は子供の発想と受け流しているのは明らかだった。
「……貴官の主張を正しいとすると、そういう結論に行き着くということです。彼女を貶めているのが貴官自身であるという自覚はおありですかな、北沢特射?」
衝撃はともかくとして、明らかに反感を覚えての行為であることは伝わったのか、眼鏡の男は少しだけ目を細める。
轟はもう一撃、耳障りな音を響かせる腹づもりのようだったが、ケルケイムに見咎められて矛を収める。
会議が滞っても困る、ということを考えられるくらいには轟も成長しているということだ。
「そもそもあんたらの前提がおかしーんだよ。あいつがスパイ目的で潜入してたんじゃねーってのは、さっき説明したはずだ」
「そんな戯言を鵜呑みにしろと? 例の機体に自らの意志で同行したというのは、他ならぬ君の証言のはずですが」
「そりゃそうだけどよ。あいつは、自分自身でも何をやっているのか、よくわかってねー様子だった。言われるがまま、いいように使われてやがるんだ」
「諜報員とは、得てしてそういうものです。正体が発覚するリスクと隣合わせの任務だからこそ、尋問を警戒し、必要以上の情報は持たせない」
眼鏡の男の返答は、それはそれで正しいものであったが、轟の言わんとすることを汲み取れてはいなかった。
いや、轟の方が、明らかに説明不足感が漂っていた。
実際その場にいたわけではないので強くは言えないが、轟が記憶しているやり取りは飛び飛びになっていて、おかげで要点を把握しにくい。
それほどに激しく動揺していたというのはあるだろうが。
「軍の特別部隊に在籍していれば、それだけで十分に有益な軍事機密を得ることができます。施設の構造に、各種セキュリティコード、隊員の個人情報、メテオメイルの運用事情全般。島内で普通に職務を行い、生活しているだけでも、これほどだ」
「…………っ」
「加えてアーリアル伍長は、メテオメイルを外部操作する非常用の特殊プログラムも、ほぼ完全に暗記していたそうではないですか。貴官らと同じく特例事項で編入された年少隊員とはいえ、拉致でなければ、酌量の余地はありません。重罪人ですよ」
オペレーターの立場で手に入る情報が狙いだったと言われれば、納得するしかない。
そして、轟が反論できないとなると、眼鏡の男の矛先は、今度は他の面々へと向き始めた。
「そもそも、アーリアル伍長を隊員に抜擢したのは他ならぬクシナダ准将だそうではありませんか。彼女をヴァルクスに送り込んだ者が怪しいというのならば、それは貴官では?」
「私が……!? そんなことは……!」
「僭越ながら、長官補佐。オペレーター人員の候補者をリストアップする過程において、彼女に目星を付けたのは私です。クシナダ准将に責はございません」
「では貴官かね、ベイスン中将?」
「クシナダ准将に、特定の人物を推奨した覚えもございません。アーリアル伍長は確かに、オペレーター向きの技能を多く備えていますが、実務経験は皆無。その意味で、確実に採用されるほどの優位性があるとは言い難い」
「そもそも、採用が決まってからそいつがセリアに接触したって可能性もあるじゃないですか……!」
ケルケイムが詰問されると、ロベルトがフォローに回り、それでも駄目なら瞬が応戦。
なおも質疑が続くようなら今度はケルケイムが弁護――――
ヴァルクスの釈明が一通りが終わると、今度は他の軍幹部、閣僚が順次疑われておき、彼らもその度に必死で釈明を果たす。
結局、会議のほとんどは、ほとんど無意味とっていい確証なき追求に費やされ、終了した。
唯一の成果といえば、実のある会議にならなかったことで、あの中に混じっているエウドクソスの回し者へ有益な情報を渡さずに済んだことか。
面子が面子だけに大きな収穫があると意気込んでいただろうが、残念だが、徒労だ。
「アクラブの野郎が言ってた意味、ようやくわかった気がするぜ……」
特別会議室を出た轟は、苛立ちを露わにした語調で、そう呟く。
後ろに続く瞬も、まったくの同意見だった。
「あいつら、この期に及んでも危機感がまるで足りてねー。とっくに俺達は首根っこを掴まれてるってのによ……」
「“警鐘”とはよく言ったもんだ。確かに必要だな、こんなときにも呑気に学級会をやってる政府のお偉方にはよ」
夕食を摂るには少し早かったが、かといって他で時間を潰すほどの気力もなく、二人の足は自然と食堂に向いていた。




