第75話 厄運
「どうしろって、いうのよ……」
天を駆けるオルトクラウドの中、連奈は懐かしき絶望を目の当たりにして、顔をしかめる。
全域に渡って濃密な黒煙が立ち上り、既に手遅れの様相を呈している、地球統一連合軍インドネシア基地。
止むことのないサイレン、各所で相次いで発生する爆発、際限なく広がっていく火災。
セリアを介して手に入れた情報によると、生存者は皆無。
施設内部の地下シェルターに逃げ込んだ者も、施設外へ脱出を試みた者も、その全てが入念に虐殺されているという。
このような大惨事を許してしまったのは、オルトクラウドの発進準備に数分の遅延が生じたことも原因の一つではある。
だが何より、敵の進行速度がこちらの想定を遙かに超えていた。
インドネシア基地は全拠点の中で三指に入る充実した戦力を保有し、従来のメテオメイルなら確実に二、三時間は食い止めることはできたはずなのだ。
だが現実には、僅か四十分という極めて短時間の内に陥落してしまっている。
「そうだったわね……この徹底的な殺戮こそが、あなた」
連奈はコンソールを操作し、着陸用の自動姿勢制御を実行状態に切り替えると、レーダーが示す先を見据える。
沿岸部を埋め立てて建設された基地の、すぐ傍にある高山。
その中腹に陣取って、ひたすら下方への砲撃を続けているのは、蒼のメテオメイル。
ようやく人々の間に根付いた明日への希望を、またしても踏みにじろうとする魔神だ。
両腕、両膝、両腰、胸部――――七箇所に設けられた半球、多目的レーザー発生機構は、その名の通りに複数の機能を切り替えることができる。
発射することは当然として、収束固定して剣に、あるいは面状に展開して盾に。
この武装を模倣して生まれたストリームウォールと比較して、完成度は数段上だ。
しかし、全ては過去の評価だ。
艦隊や航空機を相手に猛威を振るった隙のなさも、言ってしまえばただの無個性。
極端にして過剰なまでの特性偏重仕様である、後発のメテオメイルならば、攻略は難しくない。
理屈の上では、そのはずなのだ。
「初めての相手が最強のオルトクラウドとは……ああ、全く以て、ついてない」
相対距離が三キロを切ったと同時に、通信装置を介して聞こえてくる、あまりにも頼りなく弱々しい男の声。
だが、だからこそ、連奈の全身に底冷えするほどの戦慄が奔る。
男の手によって奪われた人命は、実に二千万間近――――人類史上において間違いなく頂点に君臨する殺戮者だ。
そんな男が、僅かたりとも狂的な気配を声色に含ませず、ひどく当たり前の空気を漂わせているという事実。
決して生かしておいてはならない相手であることが、これまで戦ってきたどの男達よりも明瞭にわかる。
真の狂人とは、狂気を超克した人非人を指すのだ。
この底知れなさを直接肌で感じ、やはり他の八人とは隔絶した化物であることを、連奈は再確認する。
「礼を言うわ、おじさま。徹底的に基地を潰してくれたことにね」
言って、連奈はゾディアックキャノン発射用の専用グリップを握り込む。
幸か不幸か、もう巻き込んだところで困る要素がない。
使用許可も、既にケルケイムの方から降りていた。
「これで何の気兼ねもなく、最大火力であなたを仕留められる……!」
直後、滑空するオルトクラウドの両肩から伸びるキャノンユニットに、メテオエンジンから溢れ出す膨大なエネルギーが流れ込み、空気抵抗とは別の要因で機体が微震を始める。
小細工一切なし、ダブル・ダブルを塵芥と化した一射と同様、正真正銘のフルチャージ。
当たれば必滅、避けても百メートル圏内なら余波で融解、まさに純粋にして究極の射撃兵装だ。
「久方ぶりの出撃ということで、無駄に頑張ってみたんだが……結果的には自分を追い込んだだけか。参ったね、こりゃ」
「それにね……青いメテオメイルは一機だけで十分なのよ」
「おじさんに取って代わろうというわけか。正しい若者の在り方だと思うよ」
本気で感心しているかのように、男は返答する。
フェイスウィンドウは閉じられたままだが、嘘偽りのない言葉であることは、連奈にははっきりとわかる。
「先に作られたのはこちらの方だ、とは反論しないのね」
「おじさんもこの機体も、無駄に歳を重ねているだけさ。威張れることはなにもないよ」
「……“№1”の癖に随分と謙虚じゃない」
「色々と尾ひれが付いているのは、単に出番が多かったからさ。だというのに、世間では変に別格の扱いを受けてしまって……つくづく、ついてない」
くだらない会話をしている間に、目標までの距離は一キロメートルを切り、発射の準備も整った。
砲身が正面を向くと、望遠モードになった正面モニター上に、二重のロックオンカーソルが出現。
それらは二秒と経たず、標的を真芯に捉えた状態でぴたりと停止し、完全な照準補正が機能したことを報せる。
実戦では初の空中発射となるが、シミュレーター上では何度もやってきたことだ。
連奈は、即座にグリップ先端のトリガーを強く押し込んだ。
「だったら私に出会えたことを感謝しなさい。その不当な評価を、今すぐ訂正してあげるから……!」
直後、二門の砲口より解き放たれたのは、全てを消し去る暴虐の光。
地上に向けて撃ち出されたそれは、瞬く間に眼下の景色を呑み込んでいった。
飽和するエネルギーに、空間がわななき、悲鳴を上げる。
「――――さよなら、最初で最後のおじさま」
上空からのゾディアックキャノン照射という悪辣な初手により、戦場への到達と同時に、決着は付いた。
退屈な勝利ではあったが、今回に限っては退屈である間に事が済んで良かったと、連奈は思う。
名前すら聞かずに初撃で葬ったあの男は、僅かなやり取りの中で、絶対に深入りしてはならない危うさを感じさせた。
完成された歪は、その超絶的な存在感によって、見る者をも歪に矯正する。
さしずめ、触れれば狂う、魅惑の猛毒。
連奈にトリガーを引かせたのは、戦術面での効率のみならず、純粋な忌避感もまたあった。
「オルトクラウドの前には、誰であろうと立たせないわ。例えあなたでも」
土煙と蒸気で霞んだ視界の向こうに見えるのは、自らが生んだ、深く広大なクレーター。
限界まで角度を付けて発射はしたが、それでも山の前面が消し飛んでしまっている。
基地施設の三割程度も巻き込む結果となったが、元より跡地。
連奈は廃墟も同然の場所を地慣らししただけだ。
お偉方には、山向こうの市街地を一次被害から守りきっただけでも、上々の成果と思ってもらわねばならない。
「さてと……」
逆噴射による制動をかけて落下の勢いを殺しながら、オルトクラウドは今ようやく、戦場へと降り立つ。
周囲は薄靄に包まれており、更には大地と大気に染み渡る焦熱によって、複合レーダーの反応はすこぶる悪い。
だが、フルチャージのゾディアックキャノンをエンジン一基の出力で防ぐことは到底不可能。
奇跡的に原型を留めていたとしても、ろくに戦える状態であるわけがない。
連奈はすっかり警戒を解いて、撃墜成功の報告に移ろうとした。
――――その、瞬間。
辺り一帯を覆う白煙の向こうで、四つの赤い光が、煌めく。
「っ……!」
それは、果たして何だったのか。
全身の神経と筋肉を再び緊縮させた頃には、不可視の力がオルトクラウドの右肩に直撃していた。
一撃で関節部が爆散し、右腕そのものが、ひいては肩部と繋がったゾディアックキャノンもが、重苦しい音を立てて地面に沈む。
まさかの事態に連奈は動揺しながらも、左腕のバリオンバスターを放って強引に白煙を引き裂き、正面の視界を確保した。
「二連続で“当たり”とは、ついてないね……おじさんの少ない運の総量を考慮すれば、逆に今のは外れて欲しかったよ」
クレーターの外縁付近に立つのは、未だ健在どころか、全くの無傷を晒す蒼。
肩や腿、胸部は大きいが、腕や脚、腹部は極端に細いという、まるで洗練されていないアンバランスな体躯。
両肩で留められ、宙になびく濃赤のマント。
縦に三つ並んだ眼。
この世界に住む誰しもにとって、最も色濃い印象を残す、巨人の姿。
今は、そこに一つの新たな要素が加わっていた。
「……よく生きてたわね」
それが両手で抱え持っているのは、全長二十メートルを越す、大型弩砲じみた巨大な機械弓。
弦はなく、先端には細長い砲口が一門、あくまで弓形の武装というべきだろうか。
二つの長いリムが十字に交差する独自の形状は、実寸以上の威圧感を見る者に与えた。
「何を隠そう、おじさんも驚いてるよ。あの大砲に対処できたことは」
他の機体と同様に、強化プランの一環で作られた新造品か、あるいは今まで使う機会がなかっただけなのか。
ともあれ、初めて見る武装には違いない。
木々の中にそれらしき物体がなかったかを確認しなかったのは、連奈の不注意だった。
もっとも、何かを発見したところで、構わず発射していただろうが――――
「カラクリは、その大弓にあるってわけ?」
「確実性がないのが玉に瑕だが、そうなんだ。だいぶ無茶な注文をして作ってもらった甲斐はあったよ」
男がそう呟いたと同時、二機の間に火線が輝く。
オルトクラウドはバリオンバスターと胴体の収束プラズマ砲を、蒼の機体は大弓の一射を。
だが、命中したのは後者だけだ。
外れたのではなく、無に帰したというべきか。
目標目がけて直進していた重粒子と荷電粒子、性質を異にする二つの光条は、どちらも空中で霧散してしまったのだ。
やはり純粋な射撃兵装に留まらない、何かしらの特殊な機能が、あの大弓には搭載されているようだ。
そして、またも不可視の力がオルトクラウドの肩を爆砕する。
「そんな……!」
視認できないものが一方的に自分を追い詰める理不尽に、連奈は苦渋の表情を浮かべながら、オルトクラウドを後退させた。
たちまち両腕を破壊され、合計四門の火器を喪失。
戦闘能力は六割減といったところか。
姿勢制御に支障を来たすという意味では、その数字以上に辛い戦いを強いられる。
純粋な損傷度でさえヴァルプルガ戦を上回り、味方機も不在。
初めて足下を這い上ってくる死の恐怖に、太股が痛みを伴って痺れるのがわかった。
「怯えなくてもいいよ、強いのは君だ。余程の不運を引かない限り、おじさんなんて簡単に倒せる」
蒼の機体が、背面スラスターの噴射による悠々とした低速飛行のあと、オルトクラウドのすぐ傍に着陸する。
着地の瞬間に生まれる隙を狙い、連奈はプラズマ砲と半自動迎撃レーザーの三射を放ったが、今度こそ、完全な不幸を原因として命中しなかった。
発射の寸前になって、左足を支える地面が陥没し、射線がずれたのだ。
当たればかなりのダメージを期待できただけに、たまらずコンソールを殴りつけたくなる衝動に駆られる。
「……と言いたいところだけど、君もないクチか。いやあ、親近感が湧くなあ」
「一緒にしないでくれるかしら。あなたの辛気くさい声を聞いたせいで、運が逃げ出したのよ。まるで死にかけの山羊みたい」
「申し訳ないね、生まれつきずっとこうなんだ」
男が答える間に、蒼の機体は大弓を構え直していた。
その発射口は、オルトクラウドの胸部中央を的確に指している。
「もしこれも“当たり”なら、たった三発でオルトクラウドを撃破したことになるのか。また色々と分不相応な悪名が付いてプレッシャーになるなあ。つくづく、ついてない」
そう宣いながらも、胸部プラズマ砲のエネルギー充填完了を見計らったかのように、男は先制して弓を放った。
より一層凄まじい爆発が、戦場に咲く。
「どうしろって、いうのよ……!」
数分前とまったく同じ台詞を吐く連奈が最後に目にしたのは、砕け散る鋼鉄の破片。
機体特性も、大弓に隠された謎も、理解する猶予が全く与えられぬまま、無慈悲にも戦闘は終了した。
それは、最初に現れ出で、世紀単位で安寧を貪っていた人類を絶望の底に叩き落とした悪魔。
それは、オーゼス製メテオメイルの第一号機であり、連合製メテオメイルの設計にも多大な影響を及ぼす万物の祖。
それは、宇宙の果ての如く、けして触れ得ぬ究極の蒼。
型式番号OMM-01 グランシャリオ。
それと相対して、幸運でいられた者は、ただの一人も存在しない。




