第73話 最初の最後の男
「……ってなことがあったわけですよ」
「ほーん」
轟は、さぞやどうでもいいという風に聞き流し、グラスに注がれた水を飲み干す。
昼下がりの室内犬並に覇気がなく、心底退屈しているのが目に見えてわかる。
「こいつ全然聞いてねえな、オレの二十分にもわたる素晴らしい自慢話を!」
「中身がなくて純粋につまんねーし、そもそも俺は聞いてやるとも言ってねー。興味があるのはこいつだけだ」
言いながら、轟は隣のセリアを顎で指す。
ラニアケアの食堂――――もはや子供組の指定席となった感のある、最もテラス側に近い列、左端から二番目のボックス席。
そこで瞬は、帰省していた三日間の出来事を、とりとめなく轟とセリアに話していた。
いや、とりとめないというのは轟の感想で、瞬としては最大限面白おかしく語ったつもりだ。
もっとも、どう話せど、真摯に聞き入る轟の姿は想像しがたかったが。
「つまり要約すると、風岩君は両日ともに二回戦で敗退。結局筆頭剣士の座は、お兄さんが防衛成功。だけど初出場の割りにはかなり健闘したし、得られるものも大きかった……ということだね」
「そうそうそう、そういうことなんだよ! 流石はセリア神、聞き手の天才!」
「へっ、どこが健闘だ。大したことねーじゃねーか」
「年齢不問の無差別級トーナメントだから、一仕合勝った時点で凄えんだよ! もう少し褒めてみようよ、僕のことを」
「うぜー……」
一向に衰えない瞬の異様なハイテンションに降参の意を表すかのごとく、椅子に預けられた轟の体が若干ずれ落ちる。
しかし、瞬がこうまで得意気になるのも仕方のないことだった。
なにせ“絶巓の儀”二日目の第一仕合で相対し、そして勝利を収めたのは、統派の父親である四研総司。
向こうの判断ミスに助けられた感はあったが、親世代の人間から一本を奪えたという事実に、どうして狂喜せずにいられようか。
やはり、メテオメイルの力を頼らずして得た戦果は格別。
絶大にして強固な自信が、今の瞬には備わっていた。
家の方でもずっとこの調子だったので、腕は上達したのに親戚一同の評価はまったく変わらなかった――――という悲しい締めくくりは、当然ながら二人には内緒だ。
「初日は真継さん、二日目は統派さん……オレに勝った人は、その日に筆頭への挑戦権を得てるから、実質オレには準優勝クラスの能力があると言い換えることもできるな。おっ、そう考えるとますますテンションが上がってきたぞ……」
「自分に都合のいい解釈をすることだけは、うめー奴だな……」
「だけど心理学的には、いい傾向だよ。思い込みの力は、心身の調子にかなり影響を及ぼすからね。その意味で今の風岩君は、理想的な状態だといえる」
「じゃあ近頃の北沢君はどうなんですかね、セリア先生の分析では」
意地悪く、瞬は尋ねてみる。
自分が作り上げた状況ではあるが、瞬は今回に限り、轟も向かい側の席に追いやっている。
これは、自慢話を聞かせやすくするためだけの配置ではない。
近頃妙にいい雰囲気な二人に、関係を問い詰めるためでもある。
「さあてね。私にとっての北沢君は、データを集めれば集めるほど不透明性を強めていくミラクル物質だから、むしろどんどん分析の精度は落ちていくばかりだ。好調なのか不調なのか、傾向さえも断言できない」
不明と言う割には、随分と上機嫌で答えるセリアに、今度は瞬が気怠くなる番だった。
どうやら瞬の予想を大きく上回る速度で、事態は進行しているらしい。
「なら北沢君さ、お前はどうなの。なんか最近セリアとベタベタしてるけど、それでなんか気分良くなったりする? しない?」
「ベタベタしてねーよ。ただ、こいつと喋んのに慣れたってだけだ。意外と不器用で寂しがり屋なキャラだってのも掴めてきたしな」
「だからさ、それはさ……!」
ホームランを打てと言わんばかりのあからさまな直球を投げたつもりなのに、あっさりと躱され、瞬はぎりぎりと歯を噛み締める。
お互いに自覚がないことはわかっていたが、ここまで言われても無反応だとは瞬も思いはしなかった。
筋金入りの鈍感ぶりに、逆に自分が弄ばれているのではないかという疑念すら生じる。
もどかしさと純粋な妬み、これら二重のストレスで、せっかく本家で洗い流してきたはずの精神が再び汚泥に塗れていく気分だ。
「やっとわかったよオレ……手っ取り早く自分を強くしてくれるのは、心の奥底から湧いてくるこの暗黒パワーだってことが」
「何言ってんのかわかんねーよ」
「でも変わったよな、お前だけじゃなくて、セリアも」
「そうかな?」
「変な言い方になるけどさ、なんか、無難な感じが抜けてきた気はする」
「ああ……」
瞬のその言葉に、セリアは深く納得したようで、幾度も小刻みに頷いた。
「北沢君の言っていた不器用というのは、まさにその辺りでね。他人との距離感というものがわからなくて、難儀している最中なんだ」
本人の言う通り、セリアはどこか、場の空気を一定の穏やかさに保つことを意識している節があった。
相手を不快にしない代わりに、盛り上げることもしない、計算され尽くした言葉選び。
十分に本来の性格として受け入れることも可能なほど、それは高度なものだった。
だが、セリアの参ったと言わんばかりの顔色を見るに、実際には相当の労力を注いで体裁を取り繕っていたらしい。
「それが改善されつつあるというのなら、喜ばしいことだ。風岩君からお墨付きを貰えたのなら、確かなんだろう」
「何となくそう思っただけだぜ? データもなければ理屈もねえよ」
「風岩君の場合、フィーリングで出した結論の方が遙かに正確性が高いからね。信用に値するよ」
「逆に、真面目に頭捻ったときは、クソみてーな答えしか出ねーってことだな」
「うるせえよ! お前より知能高いからな、オレは、絶対!」
けろりと言い放つセリアに、便乗する轟。
瞬は強く反駁しながら、自分の仮説が正しいことを確信する。
セリアは、こっそり皮肉げな言い回しをしたり、他人の愚痴をこぼすことはあっても、正面切って茶化すことだけはしなかった。
微細といえば微細な変化だが、しかし劇的でもある。
「つーかテメーも、帰って来てからのキャラが謎だぞ」
「ああうん、ただテンションが高いだけじゃなくて、棘が抜けたという印象は受けるね」
「元々こんな感じだったんだけど、ここ何年かはゴチャゴチャ悩むことがあったからな……」
自分も、轟も、セリアも、ここにはいないが連奈も――――成長というよりは、素の自分を出せるようになっただけなのかもしれない。
特にラニアケアの子供組は、意識的にか、無意識的にかはさておき、自分で作り上げた理想の人格に支配されていた節がある。
それが、数々の触れ合いを経ることで、やっと剥がれ落ちてきたというわけだ。
「でも、鬱々してる時間は、もう終わりだ。できようができまいが、やれることは全部やる」
「で……今書いているのが、その“全部”の内の一つというわけかい?」
「ああ。こういう書類の書き方をセリアに聞くのが、飯に誘った目的その3だ」
瞬は一度ボールペンを置き、手元のレポート用紙をくるりと一回転させて、セリアに見せる。
いい加減、日本で買ってきたハウツー本に目を通すのも疲れたため、作業を中断するにはいい頃合いだった。
「……ははあ、なるほど、そういうことか」
内容を一読するセリアが感心して唸る。
その反応を見るに、文章の出来はともかくとして、一考の余地ありと思わせる掴みにはできたようだ。
「おい瞬、何だそりゃ」
「要望書だよ、司令へのな」
やっと幾許かの興味を示した轟に、瞬は不敵な笑みを浮かべて答える。
思えば、自分の在り方についてあれこれと思い悩む前に、こうすべきだったのだ。
常に直感に導かれてきたような自分が、第一印象をとことんまで信じてやれなかった時点で、納得に至れるわけがなかった。
現実を受け入れるのは、力の続く限り抵抗してからでも遅くはない。
そう結論付けられたのなら、やることは一つだ。
瞬はラニアケアに帰還後、すぐに軍部の方針に一石を投じるための書類作成に取りかかっていた。
「で、どうよ。上手く書けてるか?」
「初めて書いたにしては、悪くない出来なんじゃないかな」
「そりゃ良かった」
瞬は、ほっと胸を撫で下ろす。
軍の在籍期間は大して変わらないセリアだが、事務処理などの手続きに関する知識は瞬達より豊富だ。
絶対の保証にならないとはいえ、轟や連奈が同じ返答をするよりは十倍ぐらい安心感が違う。
「ややこじつけ気味だけど、理由としては妥当だし、主張に一貫性もある。それに……」
「エウドクソスに協力してる奴が連合の中にいるんだったら、今まで通りにことを進めてるだけじゃ相手の思う壺だ。どこかで流れを変えなきゃならねえ」
そこが、この意見書における最大のアピールポイントである。
未だに活動目的の一切を不明とする第三勢力、エウドクソス。
内通者の存在がほとんど確定している現在、オーゼスとは別の側面で厄介な相手だ。
アクラブの残した言葉の中で取り分け印象的な“やろうと思えば”を突き詰めて考えると、上層部の命令通りに動き続けるのは極めて危険な流れだった。
「その意味でも、もう一度あいつの力が必要なんだ。今ならまだ、間に合う」
結局レポート用紙に目を通しはしなかった轟だが、その一言で内容を察したようだ。
「やっとテメーも、本物の馬鹿になれたか」
「ああ、本当にやっとだよ。もう絶対に、この滾る感覚は手放さねえ」
瞬は自分の掌を見つめながら言った。
やりたいようにやって、そしてやり抜く。
肝要なのは、実現の可否はともかく、ベクトルを真っ直ぐ向け続ける意思力――――真向かいにあるものを視界に入れることがひどく苦手な瞬にとっては、ようやく手に入れた至宝の概念である。
もう、ただの一度も手放すようなことはあってはならない。
「細かいところの手直しなら、是非お手伝いさせてもらうよ。とはいっても、提出したことがない類の書類だから、絶対に通る保証はできないけどね」
「あとは口八丁手八丁でどうにかするさ」
しつこく食い下がるのは得意分野だ。
瞬はそう内心で付け足し、すっかり氷が溶けきった薄味の烏龍茶を口にした。
南極エリアのとある場所に存在する、オーゼスの本拠地。
その内部には、メンバー間において“三大施設”と称される、戦略上極めて重要な役割を持つ場所があった。
一つ目は、計画の枢軸たるメテオメイルパイロット達の憩いの場、ショットバー“Fly-by”。
一人の例外を除き、彼らにとって酒は水であり、空気であり、そして血液である。
摂取の途切れは死と同義、ならばこれほどに必要不可欠な空間はない。
二つ目は、ダーツ場、ビリヤード場、バーチャルゴルフ場が一体となった大人のプレイスポット“Metis”。
大半のメンバーがトレーニングに乗り気ではなく、かつ食習慣が破綻しているオーゼスでは、生活習慣病が深刻な問題となっている。
運動不足は死と同義、ならばこれほどに必要不可欠な空間はない。
「これを当てれば十連勝……逃したくはないな。よし、バンカーだ」
「ではワタシは逆張りに。アナタが九度にわたって積み上げてきた豪運を、ここで一気に奪い取りたい」
「うーん、どうするかなあ。困ったなあ」
そして三つ目――――現在、一人のディーラーと三人の客を擁する手狭なカジノ“Big-Crunch”。
目標エリアの事前調査もなく、ミッション遂行時の戦術もない、とことんまで効率というものを無視した侵略に、オーゼスの男達は身を投じている。
不適正な地形やマシントラブル、未知の対抗手段――――いかに圧倒的な戦闘能力を有していようと、諸々の要素で十分に詰むことは考えられるというのにだ。
だからこそ彼らは、運を磨き、勘を磨き、そうした些末な不安要素を避けるための加護を得ようとする。
つまり、彼らにとってのギャンブルは、自身の趨勢を見定める一種のシミュレーションといっても過言ではない。
超常の運を呼び寄せるという意味でやはり、この場所もまた必要不可欠な空間であった。
「早くしたまえ、B4。親側か、客側か、そう時間をかけて悩むものではあるまい」
「二択だからこそ悩むんですよ。二択であるが故に、外したときの口惜しさもまた大きい……それが、このギャンブルの醍醐味であり、魅力だ」
白髭、ジェルミ、そしてB4。
三人が興じているのは、どこのカジノにも台が置かれている、極めてスタンダードなバカラだ。
ルールは至って単純、配られた二枚のカードの数字合計、その一桁部分が9に近い方が勝つ。
参加者はどちらが勝つかに賭けるだけでいい。
ポーカーやブラックジャックのように任意でカードを追加・変更することはできず、武器になるのは己の嗅覚ただ一つ。
技量の介在する余地がないからこその中毒性が、このギャンブルにはある。
「それはそうなのだがね……しかし君の場合は些か長考がすぎる」
「生まれてこの方、ずっと優柔不断で通してきたものでしてね。申し訳ないとは思いますが、こればかりは、もう直しようがない」
微かに眉を顰める白髭に対し、B4は、普段と変わらぬ頼りなさげな表情のまま、にへらと笑い返す。
そして、それから更に数十秒の時間を費やして熟考した後、結局はジェルミと同じ側に数枚のチップを置いた。
「いいのかね、そちらで」
「流石に十連勝はないだろうという確率論兼個人的願望と、しかしそんな理屈をはね除けて十連勝を達成するであろうあなたの豪運……どちらを信じるか、随分と悩みましたよ」
「結局は、前者になったというわけか」
「いえ? こちらに賭けた深い理由なんてものはありません。ただ適当に、なんとなくですよ」
話の流れが上手く呑み込めずに小首を傾げる白髭とジェルミ。
その間に座るB4は、軽く薄髭を撫でながら言った。
「結局のところ、どちらに賭けても勝率は五分。そこに理屈を当て嵌めるのは、不可能だ。こういうときは、あまり気負わずに選ぶのがいい」
「そう弁えているのなら、キミは何故に迷うのかね」
「どうでもいいところで長々と迷うのが、優柔不断たる所以ですよ」
至極もっともだが、どうにも格好の付かない返事をしながら、B4はディーラーと視線を合わせる。
カード配りを促す合図だ。
「では、勝負といきましょうか……」
B4が気の抜けるような声を発した直後、老齢のディーラーが流麗な手捌きで、二つのサイドにカードを一枚ずつ滑らせる。
それぞれの図柄は、バンカーが8、プレイヤーが2。
自滅の可能性が高い分、バンカーの旗色が悪い。
だが、続けて配られた二枚目は、バンカーが1、プレイヤーは0扱いのJ。
見事最高の値となったバンカーの、文句なしの勝利である。
白髭は年甲斐もなく大喜びしながら、ディーラーが並べた倍のチップを手元に寄せた。
「はっはっは、見たかね諸君。この運命強度、やはり私は幸運の女神に選ばれし存在ということだな」
「ああ……どうせワタシの決定など間違っているに決まっているのですから、些細な反抗心などに惑わされることなくあなたと同じ選択をするべきだった」
ジェルミは軽く溜息をついてから、白髭と向き合う。
白髭の十連勝は、今夜のゲームを終了とするにはちょうどいい区切りだった。
今の一勝負で気力が萎えてしまったという点は、三人共に共通する心情である。
集中力を欠き、惰性で続けるギャンブルほど冷めるものはない。
白髭も、ジェルミも、B4も、そんなところの情緒だけは大事にできた。
「そう気を落とすこともなかろう。ジェルミ君も健闘しているでないか。通して見れば、中々の勝率だ」
未だ興奮冷めやらぬ白髭が、愉悦混じりに、そうジェルミを励ます。
ここまでの約三十ゲームの中で、ジェルミの勝率はだいたい六割といったところだ。
ジェルミは“間違い”に魅入られた人間だが、運任せの勝負では安定して人並み以上のツキを発揮するという、なんとも奇妙な星の下に生まれているのである。
一方で白髭は異常なほどの豪運持ちで、今回の勝率は七割五分。
加えて言うなら、過去のゲームにおいても、収支がマイナスになったことは一度としてない。
まさに本人が自称するとおり、超常の力が味方しているとしか思えない強さであった。
そして――――
「しかしやはり……最強は君だよ、B4。君の絶運の前では、私の幸運も霞んでしまう」
二択のギャンブルで、ここまで全戦全敗を記録する男、B4。
今日の勝負に限った話ではなく、本当に、ここまでの全てでだ。
もはや滑稽さを通り越して、不気味ささえ覚えるほどの絶望的かつ絶対的不運。
それを指して、白髭は絶運と呼ぶ。
哀れみと嘲弄、そして僅かばかりの賞賛も込めて。
「元から悲しいまでについてない人生だったのですがね、今年に入ってからは取り分けひどい。三月には五千ドルもするトゥールビヨンの腕時計を紛失し、六月には僕用に手配してもらっていた限定品のワインを十輪寺君とスラッシュ君に勝手に呑まれ、七月には季節外れのインフルエンザも患った。そしてオーゼスに加入したときから続けているギャンブルにおいても未だ全敗記録を更新中……いったい僕が、何をしたというんでしょう」
「何を、だって?」
白髭は笑いを噛み殺しながら答えた。
自覚なしにそんなことを宣っているのなら、これほどの冗談もない。
「いや、敢えてコメントは避けておこう。だからこそ君は、至高の存在でいられるのだからな」
チップの一枚を片手で弄りながら、白髭は呟く。
オーゼスに身を置く面々は、奇癖を極めた際物揃いとはいっても、まだ若干の揺らぎを心のどこかに残している。
だがB4だけは、ただ一人、精神構造の破綻具合が完成の域にあった。
天頂か、牆壁か、奈落の底かはともかくとして――――この途方もなく広い世界において、彼は、その外殻たる“果て”に、限りなく近い場所に立っているのだ。
本当に何一つ、己の生涯とこの世界に未練を残していないからこその、完全なる故障。
偉大なるオーゼスの創設者が、彼を最初の実行者に選んだのも、頷ける理由であった。
「まったく、次の戦いが、今から不安でならないな。なにせたった一人で南半球の四割を制圧した、君と“グランシャリオ”が、再び世界に解き放たれるのだから。私もできれば、そちらで一人勝ちしたいものだ」
「だからこそ一勝ぐらいは挙げておきたかったんですがね。やれやれ、先が思いやられるなあ」
そう発した後にB4の吐いた溜息は、白髭とジェルミから、席を立つ気力さえ霧散させるほどに気怠いものであった。




