第72話 原点回帰(その4)
「……もう第六仕合も終わりか」
かなりのハイペースで消化されていく仕合に、瞬は憮然とした表情で呟く。
そろそろ、観戦に割いている分の集中力を、全身に再配分する頃合だった。
一日分のスケジュール―――――本仕合の二戦が終了するまでの所用時間は、回ごとに結構なばらつきがある。
実力差や読み勝ちによって一瞬で片が付くか、拮抗して何十分も長引くか。
前者に偏れば四時前には終わるし、後者に偏れば十時を過ぎても終わらない。
良くも悪くも、時間無制限かつ、一度刃先がクリーンヒットすれば決着の付く試合形式だからこそだ。
「呼ばれたときにいなけりゃアウトだ。もう準備運動で外に出てる時間は、ねえな」
残る二仕合が終われば今度は第二回戦が始まり、また瞬の出番が来る。
合間に大きな休憩時間などは設けられていないため、最速なら七、八分後というところか。
親族達に現在の地力を見せつけるという目的は既に果たしたが、本懐は可能な限り勝ち進むことだ。
結局のところ、勝負強さを培う上で最も効率のいい方法は、同格以上との対戦。
勝てば尚更、成長が早まる。
剣技一つで全身全霊をかけて戦える、この貴重な機会、一戦逃すだけで今後の成長にも大きく関わってくることだろう。
それで、次の対戦相手だが――――
(感謝するぜ、神様よ……こいつは倒しておかなきゃならない奴だからな)
三メートルほど隣で退屈そうに佇む男を視界の端に捉え、瞬は胸中で沸々と闘志を燃やす。
男はそれを当然のように見抜いて、ゆっくりと瞬の方を向いた。
「だだ漏れだぜ、敵意が。そういうのはしっかり隠しておくのが一流の佇まいだ」
「見せてんですよ。隠す理由もないんで」
「正しくは“隠す技術がない”だろ? 強がりはよせよ」
瞬の反論を嘲笑し、整った容貌を歪ませる、鼻持ちならないナルシスト――――二嶄真継。
この男の籤番号は十七で、二名が残るというルール上、本来なら最後まで勝ち上がっても戦うことがない相手のはずだった。
しかし、瞬が本来戦うべき大滋の父親は、先の仕合で腰に重い峰打ちを受けており、雷蔵に棄権を申し出ていた。
そこに、端数だったことでシード権を得ていた真継が滑り込んできたというわけだ。
真継は仕合が終わったばかりの瞬に、一戦分の体力を節約できたと自慢してきたが、まさかそのときは次戦で当たるとは考えもしなかった。
だが、自分を舐めきった態度を悔い改めさせるには絶好の機会だ。
「なあ瞬。さっきはお前のことを運がいいだけの奴だと言ったが、やっぱりあれは訂正させてくれ。俺が全面的に間違っていた。とうとう運も尽きたみたいだな」
「つまりオレの実力を認めてくれるわけですか、嬉しいなあ」
「せっかく手に入れた自信が粉々にならない内に、大人しくリタイアすることを推奨するぜ。それでもお前は十分に“儲け”だ。一族内での評価は前よりだいぶ上がるだろうよ」
「あんたを倒せばもっと上がる」
瞬は憶面もなく言い放った。
この場で子世代トップ3の一柱を下せば、筆頭候補としては論外という下馬評から、一気に要警戒レベルへと登り詰めることができる。
セイファートの為にも、自分の為にも、今は名誉の稼ぎ時だ。
自分を取り巻くあらゆる環境を覆し、高みを目指そうとする今の瞬にとって、敵は現時点で明確に格上であることが望ましい。
「そんなにどん底まで逆戻りしたいのか。わかった、いいだろう……お前は俺の風岩流できっちり潰してやるよ」
表情は瞬を舐めきっている反面、真継の言葉に、慢心の色はない。
ただ歴然たる事実を述べるだけの、乾いた口調。
当然といえば当然、五年も先に生まれ出でた絶対的アドバンテージが向こうにはある。
身体の出来上がる成人以降ならともかく、十四歳と十九歳の差は大きすぎる。
積んできた経験の量もだ。
しかし、刃太も、真継も、統派も、みな同じ条件下で白星を挙げることで、現在の立場を築いている。
自分にだけできないとは思いたくない――――否、思わない。
才能という概念で自他を区切るのは最も愚かな真似だ。
「やってみろよ」
そのとき丁度、第八仕合も勝敗が決する。
瞬以外の七戦は、どれも順当な結果だった。
勝つべき者が勝ち、負けるべき者が負ける、ただの無情な現実。
度胸とはったりで番狂わせができるのは、一回戦まで――――事態を俯瞰する神の如き存在から、そう忠告を受けているかのようだ。
だがそれでも、瞬は一歩前に踏み出した。
「ではこれより、準備戦の第二回戦を行なう」
前の二人が退場するなり、早速雷蔵は次戦の開始を宣言する。
仕合の流れは一回戦と同様だ。
まずは剣立ての中から自分が扱う刀を取って、それから決闘場の中央で構えに入る。
瞬はあらゆる刀を使いこなす奇特者ではないため、もちろん同型の一本を選ぶ。
二尺五寸、約七十五センチの標準サイズ。
これが一番馴染む、というより、真剣はこれしか使ったことがない。
「瞬よ……お前とやるのは初めてだったよな。悪いが俺の二刀は、傍目に見たことがあるくらいじゃ、どうすることもできないぜ」
「そうかよ」
反対側で剣を用意し終えた真継が、悠然と歩み寄ってくる。
観戦するだけでも歯噛みするほどのやり辛さを感じる、その二刀。
実際に相対すると、ますます攻略不可能の様相を呈する。
(幻行……間近で見ると目がおかしくなりそうだ)
二嶄家に代々伝わる固有技法“幻行”。
それは、ともすれば包丁以下の刃渡りしかない懐剣と、三尺以上の大太刀という、極端な長さの二刀を組み合わせた異形の剣術だ。
不規則に繰り出される、左右の刃――――初めて目にする者は、まず間違いなく遠近感が狂い、相手との適切な間合いを計り損ねてしまう。
刹那の判断が勝敗を分ける戦いで足運びに異常をきたせば、大きく不利になることは言うまでもない。
そうした性質は把握しているが、真継の言う通り、だからといって防げる類の安い技ではない。
風岩流の根幹を成す緩と急、攻と防の切り替えを、新たに長と短という視点から改良・発展させた、言わば大枝の一本。
歴史も古く、独自性欲しさに急造された付け焼き刃とは訳が違う。
「体力は温存しておきたいが、かといって一瞬で片が付いてもエンジンがかからないからな。せめて二、三分くらいは保たせろよ?」
そう煽って、真継は腕を交差したまま待機するという、幻行を使うためだけの独特の構えに移行する。
攻防どちらを行なうにしても腕を大きく振る必要があるものの、どちらが襲ってくるか読めない心理的抵抗感が、近付くことを躊躇わせた。
先に仕合を終えた真継の父と叔父も、この幻行を用いて圧勝していることが、殊更気後れを加速させる。
(どうせ慣れる以外に打開策なんてねえんだ。長引く前に片を付けるのが正解か)
瞬も構えに入りながら、内心で今戦の方針を決定づける。
考察の材料が不十分な状態で小綺麗な攻略方法を考えるのが、一番の愚策。
あれこれと考えるのを諦めて思考をクリアにするのも、最善から五番目くらいには有効なアイデアであろう。
それに生憎と、直感は優れている。
条件が揃えば勝手にわかるという自分への期待を込めて、今は目先の対応に集中するだけだ。
「西方は一番、風岩瞬。東方は十七番、二嶄真継」
雷蔵の言葉によって、場が急激に静まりかえる。
親族達の目は、今までの仕合とは異なる興味を示している。
大滋を下した瞬の実力は果たして本物かどうか――――より具体的には、鍍金が剥がれて呆気なく地に伏すか、真継とすらも渡り合えるまでに成長しているのか。
ある意味で、今回一番の注目の的となっている状況に瞬は気分を良くする。
その直後、雷蔵の号令が轟く。
「始めい!」
耳をつんざく一声によって、瞬と真継の間にあった不可視の仕切りが破断し、互いの闘気が向かい側へと流れ込む。
瞬が狙うは、初手必殺の一撃。
唐竹割りを繰り出すべく、柄を握りしめた両腕を振り上げ、右足から大きく踏み込んだ。
守りを一切捨てたからこそ実現可能な、最短距離での最速接近。
勢いが途絶えれば終わると確信しているからこその無謀だ。
だが、それでも――――動作の途中、あらゆる算段を破棄し、瞬は防御のために腕を捻って剣を横倒しにせざるを得なかった。
更なる最速が、右側面から首元に迫っていたからだ。
「あっ、ぶ……ねえ!」
素早く右側に傾けた剣が、奇跡的に曲線軌道の一撃を弾くことに成功する。
いつもは耳障りに感じていた刀身同士の接触音に、こうまで安堵を覚えたことはない。
それほどまでに鮮明な死を想起させる、冷酷な斬撃であったのだ。
面白いほどに額から噴き出る冷や汗を拭う余裕もなく、瞬は数歩分の距離を取った。
「五十一式、“弦蛇”……まあ、これくらいは躱してもらわないとな」
「野郎……!」
弦蛇自体は、腰の捻りを加えて剣を水平に振り抜く純粋な側面攻撃で、瞬にも使える技だ。
しかし真継の場合は、懐剣を用いることで初速を大幅に上げる工夫を施していた。
遠心力が最大まで乗れば重い長刀の方が速度は勝るが、乗るまでは短刀の方が何倍も早い。
短刀よりなお短い懐剣であれば、更に数割増しだ。
間合いが短くなるというデメリットはあるが、相手が飛び込んでくるのならば問題もない。
元々は撹乱用に編み出されたこの技も、使い方次第で恐るべきカウンターに化けるというわけだ。
「しかしお前、本当にどうしたんだよ。今の防御は、大滋みたいに修行馬鹿をやっているだけじゃ身に付かない柔軟性だ。どこかで真剣試合をやってなきゃあな」
真継の指摘はもっともだ。
瞬は気付いてから反応したのではなく、真継の挙動から本能的に身の危険を察知して、無意識で動いたに過ぎない。
意識の上では慌てて剣を戻したつもりだったが、実際には、振り上げる前から防御に移っていたことになる。
まさに実戦経験の成せる業だ。
しかし、あくまで無意識の行動。
恒常的に実行できなければ、身に付けたとは言わない。
「春先から色々あってよ……」
「だが、聞いて仰天するほどの場数ってわけでもなさそうだ。だったらじきにボロは出る」
言い終える前から、再び幻行の構えに入った真継が詰め寄ってくる。
また弦蛇が飛んでくる可能性を考慮し、今度は守りに――――
(いや、違う違う違う! ここは、欲を出さずに逃げるところだろ!)
それは正しい見解であったが、気付いたときにはもう、真継の間合いの中だった。
この呑まれやすさこそが自分の大きな弱点であることはわかっていても、容易には修正できない部分である。
「手間取ったな」
今度は大太刀の一閃が瞬を襲う。
長い、ただただリーチが長い。
実際に相手取る場合は、数値上の尺よりも更に伸びて見える。
瞬は今更のように身を引いてその斬撃を避けるが、この状況下においては最悪に近い選択だった。
真継に二の太刀を――――ひいては幻行による錯覚攻撃を許してしまうからだ。
(だから、気付くのが一々遅えってばよ!)
間合いに入らないように大きく距離を取るか、間合いに入って初手を受け止めるか、正解はこの二つ。
だというのに、実戦ゆえの焦りが、中間の半端な行動を選んでしまった。
当然、真継は左右の剣を巧みに切り替えながら攻めて来る。
「ほら、攻めて来いよ。できるものならな」
余程の訓練を積んでいるということか、真継の剣捌きは華麗そのものだった。
振った後の大太刀を即座に引き戻し、懐剣による斬りつけで追撃。
懐剣を振った後は再び大太刀を薙いで、攻めを継続。
ときには連続して片方の剣による攻撃も組み入れ、絶対に法則性は持たせない。
瞬は果敢に立ち向かい、頭部目がけて飛来する怒濤の連撃を、次々と打ち払う。
繰り広げられる激しい剣戟。
敏捷性だけなら、瞬はもう真継と張り合える域に達していた。
もっとも、純粋な打ち合いならば対等というだけの話で、互角の勝負などでは断じてない。
攻勢に転じられぬまま、真継が放った二十数度目の斬撃を以て、とうとう瞬は幻行の術中に嵌ってしまう。
「う……おっ!」
唐突に、ぐにゃりと視界が歪む。
瞬は慌てて、その場に踏みとどまった。
一歩分の歩幅で二歩分進むような感覚――――はっきり自覚できる、距離感の麻痺。
初めて体感する魔技に、瞬は畏怖の念を抱く。
試しに後退してみるが、今度は逆に、脳に命じた動作の半分しか下がれない。
所詮は錯覚、気合いを入れればどうにかなるものと高を括っていたが、効果は絶大だ。
本当に空間そのものを圧縮・延長しているのではないかという気にすらさせられる。
「効いてきたみたいだな」
足取りのおぼつかなくなった瞬に、真継が詰め寄ってくる。
幻行の嫌らしい部分は、このとき、“どうせ感覚が狂っているのなら動かずに受けるのが最適解”と真っ先に考えてしまうところだ。
相手の思考を制限し、その場に縛り付ける点でにおいても、おそろしく合理的。
直前に似たような失態を犯し、距離を取ることを強く意識していた瞬だからこそ、初見でもそのギミックに気付くことができた。
「ここは……逃げるっきゃねえ!」
未だに幻行の効力が抜けきっていないが、それでも瞬は、決闘場の外縁を小走りで逃げ回る。
倍の速さで景色が近寄ってくる――――体幹が安定しないことを除けば、まるで縮地法でも会得したかのような気分だ。
「逃げてばかりじゃ勝てないぜ」
「そうでもねえ、時間は無制限だからな。持久戦に持ち込んで、あんたをへばらせるのもありだろ?」
「それは困る。お前と違って、俺にはこの後も仕合が控えてるんだからな」
まったくの同速で追ってくる真継。
その最中、微妙に大太刀の持ち方が変わるのを瞬は見逃さなかった。
また何かを仕掛けてくるつもりだ。
瞬は警戒レベルを最大限に引き上げ、真継の両腕を注視する。
「止まらないなら、止めるまでだ」
直後に放たれたのは、地面に対し刃を並行に寝かせた、奇異なる刺突――――三十九式“潜突”
だが、片手持ちの大太刀で繰り出す突きなど、威力はたかが知れている。
しかしそこに、真継は悪辣なアレンジを施していた。
直後に網膜を焼くのは、一瞬の光。
敢えて刃を僅かに倒し、刀身の表面を除かせることで、反射光による目潰しをやってのけたのだ。
それ自体は位置取りをずらすだけで無効化できたが、この技にはもう一つの効力が備わっている。
わざわざ見せるということは、つまり、幻行の本領。
二段構えの策が、瞬を更に追い詰める。
「う、っ……!」
大太刀が、空間をねじ曲げて迫り来る。
惑わされた瞬の意識は、切っ先が自分の喉元まで届くものと勝手に判断してしまい、横飛びによる回避を反射的に選択した。
刺突は受けきるのが困難なため、回避すること自体は正しい。
ただ、飛び退くには、予備動作として腰を落とす必要がある。
言い換えれば、その間は、肉体が地面に縫い付けられているということだ。
実際は五十センチメートル近く手前までしか伸びてこない剣のために、コンマ六秒の硬直。
その間に真継は、瞬との距離を二歩詰める。
「これで終わりだ。波乱も杞憂に訂正だな」
懐剣ですらも瞬の喉元を切り裂けるほどの肉薄。
この間合いは、幻ではない。
下半身を動かせないという絶望の中、迫り来る死を目前に何ができるか。
瞬は脳細胞を総動員して、刹那の時間に思考を高速回転させる。
(考えろ、考えろ、考えろ……こんないいところばっかりのトンデモ攻撃があるかよ!)
突出した長所には相応の短所が付きまとうのが道理だ。
どこかに、弱点は必ずある。
しかし、仮に存在したとしても、探り当てるまでの時間が圧倒的に不足していた。
あと一秒以下の猶予で、一体どれ程の情報が手に入るというのだろうか。
既に心は真継の技量に屈してしまったのだろうか、頭が自然と垂れ落ちる。
奮闘はした、よく持ちこたえた方だ。
瞬がそう、自分に言い聞かせようと、したとき――――
眼前に、剥き出しのまま転がる解答があった。
「六式、“地擦”!」
「ちっ……お前!」
真継の弦蛇が放たれる寸前、瞬が咄嗟に繰り出した突きが、真継の爪先を打つ。
この程度のダメージでは何の判定材料にもならないが、真継の苦悶の表情からして、激痛は与えられたようだ。
真継はこの仕合で初めて、自ら距離を取っていく。
「おかしいと思ってたんだよな……さっきからよ」
瞬は喉を鳴らしながら言った。
首筋、頭部、喉元。
今までに見た真継の攻撃は全て、瞬の首から上だけを執拗に狙っていた。
そこまで徹底する理由を今の今まで考えなかったことが、瞬の犯した最大のミスだ。
距離感の喪失は、あくまで上澄みに過ぎない。
遠ざけ、誘い込み、停止させる――――幻行の本質は、混乱ではなく動作の誘導にこそある。
そしてそれは、気付かれてはならない事実から、相手の目を背けさせるためにも用いられる。
(余程の格下相手か一部の例外を除けば、本命は左の懐剣。そっちを当てるためには、ぎりぎりまで近付かなきゃならねえ。だったら、踏み込む側の足だけ牽制してやればよかったんだ……!)
簡単な理屈だが、そこに思い至る可能性を摘むのが一流の手管だ。
原理としては、手品師が観客を欺くそれに近い。
事実瞬も、偶発的に真継の足下を見るまで、意識を上半身に集中させられていた。
「まだ感覚が戻らねえが、どうにかなりそうな気はしてきたぜ」
「一矢報いただけで得意気になるなよ。それに、こんな欠点はとっくに知れ渡っている。お前が見抜くまでもなくな。補う方法なんて、幾らでもある」
「だろうな」
突発的に参加した立場のため、幻行を一から攻略する羽目になったが、そんな非効率的な真似をするのは瞬くらいのものだろう。
事前に出場を相談していようものなら、各家固有の剣技対策について父や兄からの助言も期待できたはずだ。
みんなを驚かせたいという意地の悪さと反抗心さえなければ、もう少し善戦もできたというのに――――つくづく損な性分をしている。
そして、真継との戦いを通じて判明したこともある。
セイファートに乗っているときの瞬は、風岩流の特性を己の武器として戦っていたが、同門対決では基礎などできて当然。
まともな勝負のできるスタートラインに立っているだけだ。
本家の一員としてとことんまで基本を極めるか、分家を模倣して強力な奇手を備えるか。
何か一つ、脅威として機能する鋭き刃を持たなければ、ここから先は話にならない。
頂点を目指すというのなら、それこそ、自分だけが扱える“絶対の一”が求められる。
(攻守転換より、もう一段階、別の……)
主導権を握らせまいと、自分の方から攻めつつ、瞬は考える。
今更、漠然と土台から構築していくだけでは話にならない。
方向性が不確定なアイデアは脆弱に決まっている。
要求されるのは、既に手の内にある断片の利用――――要するに、これまで培ってきた経験からの要素抽出と再結合。
しかし、実戦で得た危機管理能力以外に、特筆すべきものはあるだろうか。
誰しもに誇れるような、そんなものは。
「所詮は精神論だけの、薄っぺらなお前が……!」
幾度かの打ち合いの末に先に、真継が大きく剣を振る。
大気を斬り裂くような、大太刀の横薙ぎ。
力の溜具合から、それが牽制でないことを悟った瞬は――――飛んでいた。
そう形容していいほどの、前方に向かっての大胆な跳躍。
大太刀の速度が乗る前に、内側へと潜り込み、正面からの斬り上げを放つ。
真継はかざした懐剣によってどうにか受けるものの、目を剥いていることは瞭然だった。
瞬は更にその場でもう一跳びし、鍔迫り合う剣に全体重を乗せる。
たまらず、真継はよろめき懐剣を引き戻した。
追撃とばかりに、瞬は助走をつけた上で幅跳びし、膝元を狙って剣を叩きつける。
幻行とは別に、純粋な距離の計り損ねで命中を逃すが、攻撃そのものは会心の出来だった。
一回戦に続き、またも乱れ始めた予定調和の空気に、場内の人間が唖然とする。
まさかと思わせられるくらいには、どうやら流れを引き戻せたらしい。
「形ならある。最初からあったんだよ……!」
今の感覚を忘れまいと、脳内で一連の動きを反芻しながら瞬は叫ぶ。
絶対の一など、熟考する必要さえなかった。
自分に、愛機の影を纏わせるだけでよかったのだ。
「この七ヶ月、お前はどんな妙ちきりんな特訓をやってたんだ。そんなものは、刃太も、当主も……!」
「悪いが、それは教えられねえ」
瞬に一転攻勢のきっかけを与えたのは、セイファートのパイロットのみが習得することを許される、空中戦時の体幹コントロール能力。
思えばこんなにも、オンリーワンの技能があっただろうか。
空中で、前後上下左右、あらゆる方向に対して剣技を放つ――――ひいては、そのための体勢を安定させるところからの訓練。
戦闘機の操縦以上に複雑怪奇なアクロバットの連続。
風岩流に伝わる百の剣技の中にも、跳躍移動を組み込んだ“飛び斬り”に該当するものは幾つか存在するが、次の動作へのスムーズな移行を考慮して、あくまで軽くだ。
着地時の隙が大きすぎるために、どのような武術においても、脚のバネを最大まで使って跳ぶなど言語道断。
禁じ手どころか、語るまでもない悪手の扱いを受けている。
だが瞬は、誰しもの頭に染みついた常識と限界を破った。
数千数百度もの自由落下、加速落下を経ることで手に入れた、長時間の滞空感覚。
常人は跳躍したときから既に、着地を意識した姿勢制御に入っているが、瞬は着地の寸前まで“落ち続けている状態”の気分を維持できる。
実時間にしてみれば長くても二秒というところだろうが、跳躍の始点から終点までを存分に活用できることの意味は大きい。
剣を振るタイミングが選び放題、かつ躊躇いを度外視して全力で振り抜ける。
だから真継も、読み切れずにああまで押される結果となった。
(幻行と同じだ。必ず付きまとうデメリットは、それ以上の何かで打ち消せばいい)
補填ではなく、帳消しという発想。
砂の塔も、崩れるよりも速く積み上げ続ければ、いずれ天まで届く。
不条理を切り拓いて、新たな理を作る、その在り方――――強引な一押しを重ねる意志が、自分には足りなかったのだ。
「せっかくだから、このまま取らせてもらうぜ……真継さんよ!」
相手は熟練の腕を持ち、刃太とも渡り合える強者。
何度も同じ技を見せれば、近い内に学習されてしまうのは明白。
一本を奪えるとしたら、まだこちらの反撃に動揺を残す、今、この瞬間。
瞬は力強く二歩大地を蹴って、真継の懐目がけて跳んだ。
一方真継は、大太刀の突きで、正面からの接近されるのを防ごうとする。
だが、それは読めた手だ。
瞬は滞空中に腰を捻って一回転、突きが放たれる前に、大太刀を挟んだ外側へと逃れる。
遅れて、真横の空間を貫く刃。
それを目にして、瞬は勝利を確信する。
大太刀を持つ真継の右腕側は、これで完全なノーガード。
剣の尺が長すぎるために、引いて防御するのも間に合わない。
だから――――
「そこまで!」
勝敗が決した瞬間をその目に捉え、雷蔵が声を張り上げた。
全員の呼吸すら止まる中、地面を転がる剣の音だけが寂しく響いてみせる。
「勝者、二嶄真継!」
薄れゆく土煙の中で、互いの胸元に剣を突き付け合う瞬と真継。
だが、雷蔵が視認した通り、先に刃を押し当てていたのは真継だった。
何が起こったのか、それは落ちた大太刀が全てを明らかにしている。
「ああ、もう、まったく、あんたは……」
なんとも滑稽な幕切れだろうか。
瞬は真向かいの真継と視線を合わせたまま、荒い息と共に力のない笑声を漏らす。
己の勝利を絶対と思い込んだ矢先の、逆転敗北。
芝居よりなお芝居じみた結末に、他のあらゆる感情よりもおかしみが先に来てしまう。
「機転は利くようだが、想像力は足りなかったな。だからお前は未熟なんだ」
あの圧倒的に不利な局面で、瞬を先んじて仕留めた真継の一手。
その正体は、極めて現実的な判断だった。
何のことはない――――真継は、あの状況下において完全な荷物となった大太刀を、あっさり手放したのだ。
そして、身軽になった体で半歩だけ踏み込み、神速の斬撃で瞬の胸を打った。
とどめを差すことに全神経を注いでいた瞬には、もはや防げるわけもなく。
「完全に想定外だった。固定観念は怖えな、ほんっとによ……」
剣士が自ら剣を捨てるなど御法度もいいところだが、ここは実戦派剣術の風岩流。
勝った以上は、立派な戦術の一つとして受け入れられる。
そこに咎めや誹りが入る余地はない。
もっとも、実際にやるのはタブーを恐れない真継くらいのものだろうが。
とにかく、負けは負けだ。
随分と食い下がりはしたが、実力差を覆すまでには至らなかった。
筆頭剣士への道程は、まだまだ遠く長い。
「ちっ……しぶとい奴に当たったせいで、無駄に消耗する羽目になったぜ」
「舌打ちしてえのはオレの方だよ。つまんねえところでしくじっちまった」
「何年も怠惰に過ごしていたツケだ。必死扱いて鍛錬すれば、これくらいはやれる癖によ……」
大太刀を拾うや否や、真継は握手もせず踵を返す。
色々と言いたいことはあったが、またすぐに次の仕合が始まる。
未練がましく真継の背中を追うことはせず、瞬もすぐに退場した。
それにしても、悔しい。
なまじ健闘したからこそ悔しい。
勝利がすぐそこまで迫っていたからこそ悔しい。
敗因が自分の手落ちだったからこそ悔しい。
真面目に修行を続けていれば、もう少し納得のいく結果になっていたであろうからこそ悔しい。
だが、悔しいと感じ続ける限りは、真の敗北ではない。
胸の奥で燃える執念の炎に、向上心という薪をくべれば、またすぐに立ち上がることができる。
今すぐにでも惨めに叫び出したい衝動を堪え、渋面の瞬は、どうにか壁際まで辿り着いた。
「お疲れ様でした、風岩さん。素人には何が何やらといった試合展開でしたが、とにかく凄かったです! ちゃんと互角以上には戦えていたような気がします!」
「……ああ、ありがとなメアラ」
メアラからタオルを受け取り、瞬は全身から滲み出る汗を拭った。
動き回ったのは五、六分というところだが、心身の消耗は実戦と遜色ない激しさだ。
偶然真継に勝ったところで、次で無様な負けを晒すのは目に見えていた。
「結局、あいつには勝てなかったよ。ムカつくが、やっぱり強え。言うだけのことはあるってわけか」
「私もあの人は嫌いです。できれば鼻を明かして欲しかったところですが……」
「そのためには、もうちょっとばかし修行が必要だ。試しにやってみた新技も、もっと完成度を上げなきゃいけねえ」
「途中のあれですね。秘技、ふわふわ連続ジャンプ!」
「もうちょっと格好いい名前を付けてくれよ……」
瞬はメアラのひどいネーミングセンスに呆れながら、袴が汚れるのも構わず地面に腰を下ろす。
これまでは風岩流をセイファートに反映させることばかり考えていたが、今回はセイファートの操縦経験を立ち回りに活かすことができた。
与えるだけでなく、貰うものは貰っていく――――今になってようやく、真にセイファートと共闘できたような気がする。
そして逆に、自分からセイファートに与えるべきものの答えも得た。
それは、機体特性を百パーセント活かす“正の術”と対を為す、百パーセントを超えて機体を活かす“負の術”。
敗北ではなく、リスクを背負うことで限界値以上の配当を得る意味での“負”だ。
どちらも正しく、どちらも必要な刃。
二つ備えてようやく、個としての強さは完成に至るのだ。
それに気付くことができただけでも収穫は十分。
あとは少しずつ詰めていけば、いずれは真なる願いにも挑むことができるだろう。
「今日筆頭が決まらなかったら明日もチャンスがある。次の目標は二回戦突破だ」
「その意気です、風岩さん。英雄は一日にしてならずです!」
この日、瞬は自由仕合に出ることなく、本戦を最後まで見届けた。




