第71話 原点回帰(その3)
場が騒然としているのを見て、瞬は逆に心地よささえ感じる。
現筆頭剣士である風岩刃太への挑戦権を賭けて争う本仕合――――その参加希望者として陣幕の中に集まった二十名近い親族の中に混じる、風岩瞬。
ほとんどの人間にとっては、予想だにしなかった光景らしい。
「へっへっへ……」
引きつった笑みを浮かべながらも、しかし今の瞬に、緊張や萎縮といった精神面の脆さとは無縁だった。
晃蔵に、分家の面々。
周囲には二十名近く、熟練の腕を持つ剣客が雁首を並べているものの、極めて平静に近い状態を保っていられる。
彼らは達人と呼べるほどの修練を積んできた猛者に違いないが、瞬も瞬で、方向性を異にするとはいえ針の振り切れた際物を何度も相手にしてきた身だ。
各々の完成された立ち振る舞いに圧を感じることはあっても、それは、しっかりと五感で捉えた適正に近い数値だ。
少なくとも、過度に怯えることはしない。
「瞬、よもや君が本戦に出てくるとは思っていなかったな」
「オレも思ってなかったですよ、さっきまでは」
最後にやってきた青年に、瞬は冗談めかして返す。
肩まで伸ばされた、男にしては妙に長い髪が印象的なその男は、四研家の長男である統派。
柔和な物腰と中性的な容貌、高く通る声であることも相まって、女性と見まがう者は少なくない。
そして、子世代の中では刃太や真継にも匹敵する実力者であり、二人と同じく先祖代々の執念を押し付けられた可哀想な人物でもある。
太極の刃、真に継ぐ者、派を統べる者――――長男に懸ける期待はいいが、どれも些か露骨が過ぎる名前だ。
唯一の救いは、各人とも名前負けはしていない点だろうか。
現筆頭の座が刃太の手に渡ってからの二年間、真継も統派もそれぞれ二度の挑戦権を獲得し、刃太と白熱した剣戟を繰り広げたことがある。
「統派さんらトップ3なんか、十二歳から早速出てたでしょ。危ないっちゃ危ないけど、結局、出た歳がそのまま筆頭になることへの意気込みに比例してるんじゃないかって」
「おれは親がうるさいからそうしただけさ。他の二人とは違う。でなきゃ、さっきの言葉は君に対する侮蔑であり挑発だろ?」
「他の連中は馬鹿にしてるみたいですがね」
「忌憚のない意見を述べさせてもらえば、正月までの君は落伍者みたいな扱いだったからね。少なくとも、向上心に関しては」
これに関しては、統派の言い分が全面的に正しい。
この数年間、連奈ほど完全に修行を放り投げていたわけではないが、かといって真摯な態度であったとも言い難い。
やれと言われたことはやってきたし、身に付けた技術もある。
だが、刃太の圧倒的な実力を毎日のように見せつけられることで、上を目指そうとする気持ちに諦めがついてしまっていた。
基礎が出来上がっていないにも関わらず、適当に派生技だけを囓った――――その半端な状態が何を招いたかは、リベンジこそ果たしたとはいえ、あまり思い出したくない。
「まあ、今回からは意地でも出なきゃいけないみたいだけど。格好のいいところを見せてあげられるといいね」
そう爽やかに言って、統派は決闘場の片隅に立つメアラの姿を見遣る。
晃蔵は本戦に参加、母と祖母は自由仕合側の運営手伝いに回っているため、本家の人間と完全に分断されたメアラは緊張の面持ちで辺りを見渡すだけの置物と化していた。
雷蔵公認の立場とはなっているが、正式な紹介の機会が流されてしまったために、他の親族はどうにも話しかけ辛いようだ。
若干の申し訳なさを感じながらも、しかし仮初めの関係としてはこの辺りが理想的な塩梅であろう。
「ああそうか、ごく一部のむかつく目線は、そういうわけもあるよな。今日わざわざメアラの顔見せをやっておきながら、それでオレが呆気なく負けようものなら本家自体が笑いものだ」
「悲しいことに、うちの両親もどちらかといえばそういう展開を喜ぶタイプでね。色々な意味で、君とは当たりたくないな」
「実力差がありすぎますもんね」
「そう卑屈にならないでくれよ。今日の君はすこぶる調子が良さそうだからって意味でもあるんだけどな」
「さあて、どうでしょうかね……」
瞬が不敵な笑みを浮かべたところで、陣幕の奥側にある隙間から、とうとう雷蔵が姿を現す。
当主として絶巓の儀を取り仕切る立場にある雷蔵は、本戦――――つまり本仕合、準備仕合の審判役も兼任することになる。
仕合のルールは、現代スポーツほど複雑に入り組んでいるわけではない。
ただ、実戦形式の決闘を行なう関係上、勝敗が決した瞬間を見極め、即座に仕合を止められる人間の存在は必要不可欠。
判断が遅れれば死人も出かねないため、凄まじい集中力を要する仕事だ。
参加者の面前に現れた雷蔵の表情は、思わず息が止まるほど冷徹なものであった。
人は覚悟次第でこうまで感情を殺し尽くせるのかと感服してしまう。
だが、そんな雷蔵の瞳に刹那の揺らぎが生まれるのを、瞬は見逃さなかった。
視線の向く先が、他ならぬ自分であったからだ。
(事前申告は要らねえからな……)
微かなものとはいえ、面食らわせてやったことに満足しながら、瞬は逆にその老体を目で追ってやる。
余程の腕がない限り、十五、六歳までは自由仕合のみの参戦も致し方ないという風潮の中、何故かこの場に堂々と立っている十四歳の零落者。
審判として全員の命を預かる役割があるだけに、そんな人間が混じっていることは尚更驚愕の事態であろう。
続いて、現筆頭剣士である刃太もまた入場を果たす。
雷蔵と同じく、立つのは主催側。
あの男から勝利を奪い取れば、栄えある筆頭剣士として一族の中では勿論、他流派に対しても威光を示すことができる――――出場者の親・子供世代、観戦者の祖父母世代を問わず、親族達の目の色が変わるのも無理からぬことだった。
「ではこれより、第千二百七十二回、風岩流剣術筆頭剣士選定仕合、絶巓の儀を開始する。此度、当流における最優の座を求め、現筆頭に挑まんとする固き意志を持つ者は前へ出よ」
淡々と、だが覇気を含んだ声で、雷蔵が本戦の参加者に覚悟を問う。
頂点を目指すだけの修練を積んできたか否か、そして、決闘に必ず付きまとう負傷に関しても。
「よかろう。この場にいる全員を、儀の出場者として見なす」
雷蔵は予定調和気味に、そう続けた。
毎年のように行なわれている行事だけあって、当然、この期に及んで引け腰になる者はいない。
参加者の内訳は、子供世代が十名中六名、親世代が十四名中九名、祖父母世代が八名中二名。
計十七名の中から二名に絞られるまで、トーナメント戦が繰り広げられる。
その組み合わせを決めるのは、雷蔵が手にする古めかしい木筒の中に収められた棒籤だ。
それぞれの先端には数字が刻印されており、一番の者から順に、最も近しい数字の者と戦っていく仕組みである。
雷蔵が全員の前で籤を検め、人数分だけ筒の中に収め直したと同時に、親族達は一列に並ぶ。
そして、次々と籤を引き抜いていき、安堵や苦悶の息を漏らした。
「これ結構肝心だよな……オレみたいな新参には特に」
自分の番を待つ間に、瞬はぼそりと呟く。
若い数字ほど先に戦わなければならないため、その意味で当たり外れの概念は存在する。
いつ何時であろうと状況に即応してこその実戦派剣術とはいっても、先にどれだけの仕合を見たかで、やはり心の準備に影響は出るものだ。
できれば後半の方で戦いたいものだが――――
「よし、次はいよいよこのオレ、風岩瞬の……」
「では、決まりじゃな」
前の統派が引き終え、次の瞬が意気揚々と躍り出たところ、なんと雷蔵が自分で引いた籤を手渡してくる。
あまりにぞんざいな扱いに、瞬は狼狽した。
「おいおいおい、何勝手に引いてんだよ。オレの運命はオレが決めるんだよ」
「後ろを見てみんか、虚けが。お主が最後じゃ」
「あっ……」
言われるがまま振り向いた先には、誰もいない。
初参加ということもあって勝手がわからず、無意識の内に最後尾につけてしまっていたらしい。
自分の注意力の緩慢さに、本当に緊張していないのかどうかも疑わしくなってくる。
しかも、籤に書かれている数字が、また、ひどい。
「一番!? ちょっちょっちょっ、ちょっ……初っぱなじゃねえかよ! 観戦なしのぶっつけかよ!」
「残りものに福があるとは良く言うたものじゃ。筆頭剣士の座を争い合う場で一番を引き当てるとは、幸先がいい。お主は本当に、運だけは誰よりも恵まれておるのう」
「どこがだ、一番の不幸だろ! 何か細工してんじゃねえのか、オレへの嫌がらせで!」
「籤は十分に振り混ぜた。公平は期しておる」
面倒なものから逃げるような早足で、雷蔵が奥の壁際に寄る。
そして早速、第一仕合の始まりを宣言する。
「では一番と二番の者は、給されし剣を手に取り、構えに入れ」
「お、おう……」
瞬は段取りを思い出し、決闘場の両脇に幾つも置かれた剣立てに向かう。
説明は何度も聞いているし、自由仕合でも散々やってきたことだが、本戦の緊迫した空気の中ではどうにも動きがまごつく。
四方から送られる、親族達の強烈な視線。
隣の決闘場とは違い、こちらは両者の実力を底の底まで見極めようとする鋭い眼光ばかりだ。
筆頭を目指す者として正しい姿勢ではあるが、やりにくいことに変わりはない。
実戦派剣術だけあって、仕合は完全な一本勝負。
逃していい機会も、しでかしていい失敗もなく、一瞬の気の迷いが敗北に直結する。
いかに外野を意識から閉め出せるかも、勝敗を分ける大きな要因であった。
「これで間違いないよな」
瞬は、尺と重量ごとに細かく分けられた数十本という剣の中から、普段の修行で用いている木刀に近いものを選び取る。
このように、儀で用いる剣は風岩家が用意したものを使う取り決めになっている。
それぞれの分家にも仕合用に刃を潰した真剣は保管されているが、量としてはごく僅かで、気兼ねなく使うというわけにはいかない。
出場者全員が全力を発揮するために、財力に優れ、かつ国内の刀工に強力なコネクションのある本家が破損前提の得物を用意するのは妥当といえた。
「西方は一番、風岩瞬。東方は二番、一刀大滋」
袴に鞘の下げ緒を括り付け、改めて中央の決闘場に足を運ぶと、雷蔵が宣布したとおりの相手が,向かい側からやってくる。
一刀家の三男、大滋――――歳は十七で、本戦には去年から出場している男だ。
坊主頭の上に随分な強面をしており、ともすれば実年齢にプラス十歳しても違和感がない。
自分に厳しい実直な努力家として一族の中では名が知られており、筆頭候補にのし上がるのも時間の問題とされていた。
(上位連中と当たらなかったのはついてるけど、この人も厄介だよな……)
瞬の脳裏には、一昨年に自由仕合でやり合ったときの記憶が蘇る。
大滋の剣捌きを簡潔に言い表すなら深根固柢。
とことんまで基礎に忠実、派手な立ち回りは一切せず、終始手堅く立ち回る。
当時の瞬ではどうすることもできず、当たり前のように敗北を喫することとなった。
「……誰であろうと手は抜かない、それだけだ」
「お気遣いには感謝しますよ」
大滋は一言だけ呟いて、抜いた剣を両手で握り、正面に向けた。
ほとんどの剣術において基本型とされる、正眼の構えだ。
特別の強みはないが、攻防いかなる動きにもスムーズに移行できる万能性を持つ。
対して瞬は、剣先を後ろに下げた脇構えで応じる。
事前動作の視認を困難なものとし、相手が予測・対応を始める時間を遅らせることができるのが、この構え方の特徴だ。
じゃきりと、互いの構えた剣が重みのある音を同時に鳴らす。
訪れる静寂。
全神経を刃先に注ぎ込んだ二人の剣士は、じっくりと睨み合い、初手の読み合いを始める。
圧倒的な自信を由来とする気迫を叩きつけ、相手の戦術をねじ曲げることも常套手段。
そしてそれは、経験と努力の量で上回る、大滋の圧勝に終わるものと誰もが考えているであろう。
「でも……その台詞が出てくる時点で甘いし、ぬるいんだよ」
しかし直後、予期せぬ逆風が吹き、場内の大多数が思い描いていた事態を綺麗に覆す。
瞬の目から放たれた威圧が、大滋の息を詰まらせたのだ。
異様な光景を目の当たりにしたことによる異様な沈黙。
そんな中、数秒の間を置いて、とうとう第一仕合の火蓋が切って落とされる。
空気が張り裂けんばかりの鋭さを伴って、雷蔵の号令が場内に轟いた。
「始めい!」
全く同時に、二つの影が決闘場のちょうど中央で衝突する。
それから約三分弱の時間を以て、勝敗は決した。
出てくるはずのないイレギュラーがもたらしたイレギュラーな仕合結果に、より一層、場内は騒々しさを増す。
だが、瞬の現状を正しく把握する者と、力量を見抜く優れた審眼を持つ者にはわかる。
これが、起こるべくして起こった当然の結果だと。
「“限りなく実戦に近い仕合”と“実戦”では、得られる経験値が全く違うということか」
続いて第二仕合が行なわれる中、端に立って観戦していたメアラの近くで、刃太がぽつりと漏らす。
生まれて初めて立ち会った、文字通りの真剣勝負に見入ってしまっていたメアラは、そこでようやく現実に引き戻された。
「先輩は、運命に選ばれた者は大きく変われるのだということを証明してくれる方です。今回の件で、ますます憧れるようになりました」
「そうか……」
「私もああやって勝利の美酒に酔いしれたいものです。できればもう少し締まりのある顔で」
メアラは、真向かいで喜色満面えの笑みを浮かべている瞬を見て、苦笑しながら言った。
第一仕合の勝利は、大番狂わせで――――メアラにとっては信じていた通りの結果だが、今回が初参加となる風岩瞬の手に渡った。
開始してしばらくは、大滋の隙のない立ち回りに攻めあぐねていた瞬だが、一撃離脱戦法で常に攻勢を維持。
その後、粗さはあるが左右へのステップを組み込んだ連続攻撃で翻弄し、一気に畳みかけて剣先を大滋の首元に突き付けた。
誰の目にもわかる、判定勝ちだ。
技量では明らかに大滋が勝っているにも関わらず、しかし瞬の方が格上だと感覚的にわかる、不思議な結末。
刃太はそれを、論理的に説明付ける。
「自分にとって不利になることは、絶対にしない……その辺りのストイックさを身に付けた影響は大きい。詰んできた修練では大滋に軍配が上がるから、最初は手こずったようだが、順応性や勝負強さで最終的には実力差を覆すことができた」
「数度の被弾が命取りになるセイファートに乗っていたからこそ、というわけですか」
「俺はそう思っている」
刃太は仕合に目を向けたまま、軽く首肯した。
確かにセイファートは、生身の戦闘と同じくらい、損傷に対する危機意識を持って戦わねばならない機体だ。
その前提があった上で、毎度のように中破かそれ以上のダメージを受け続けてきた。
言い換えれば、肉体の大規模な損壊という“経験してはならない経験”を、瞬は幾度も積んでいる。
実戦形式程度では到底慣らすことのできない、死の間際でのみ磨くことが可能な感覚――――故に、土壇場の胆力と粘り強さが、ただ研鑽を積んできただけの人間とは一線を画す。
「相手にペースを握られ続ければ、どうしても判断に迷いが出る。今のやり方を変えるべきか否かとな。だが、基本に忠実な剣捌きこそを長所とする大滋にとっては特に、判断の遅れは致命的だ。強みが一つもなくなってしまう」
「先輩は、臨時コーチに似たような理由で負けたのを今でも根に持ってらっしゃいますから。全然何もさせてもらえなかった!と」
具体的な身分は明かしていないが、さすがに察してくれているものと判断し、メアラは隠さず答えた。
それを聞いて、今までどこか対応が機会じみていた刃太はやっと、人間らしい感嘆の息を漏らす。
「軍にはそういう部分をしっかり教えてくれる人が……というより、あいつが素直に話を聞くような人がいるのか。瞬が爺様に頭を下げるようになったと聞いたときも驚いたが、一体どれほどの人格者がパイロットを指導しているんだ」
「人格者………ではない気がします。多分、絶対」
シミュレーター訓練の見学時、二、三度会話したことのある男二人の態度や言動を思い出して、メアラは顔を渋くする。
罵詈雑言を撒き散らす柄の悪い中年と、何を考えているのかさっぱり読めない中年。
どちらも人徳という概念から最も遠い存在だ。
「むしろ、こんなこともできないのか!と意地悪く焚きつけるタイプかと。言い方は違いますけど、お二方とも」
「……ああ、俺とは全く正反対の人達か。確かに、そういう性格の方が、瞬との相性は良いのかもしれないな」
正反対。
その言葉で、メアラは改めて風岩刃太という男を意識する。
頭脳、才能、身体能力――――全てを持ち合わせ、実際に、一族の中で最強の座に君臨する完全無欠の男。
瞬が一度は心を折られ、前に進むことをやめてしまった元凶。
非の打ち所がない、善性の塊。
本来は彼こそを、崇敬と羨望の対象とすべきだろう。
だが刃太は、既に完成しており、介入の余地がない。
それでは、駄目なのだ。
自分の特別性を確かめることができない相手は、メアラの英雄たり得ない。
「なあメアラ、あいつは今でも、英雄になりたがっているのか」
「決まっているじゃないですか。先輩はそのために戦っているのです。そして私は、そんな先輩の悲願成就を全力でお助けするためだけに存在しています」
メアラは胸を張って、そう答えた。
必要とあらば、心も体も、瞬に全てを注ぐ覚悟でいる。
恋人や妻などという生易しい関係で終わらせる気はない。
良識を超克した一個の装置として、目的を完遂してみせる。
それこそが、ただの少女であるメアラ・ゼーベイアを、選ばれし者の領域に押し上げる唯一の術だからだ。




