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第70話 原点回帰(その2)

 気が付いたとき、そこに刃太の姿はなかった。

 連奈曰く、わざわざ律儀に、もうじき訪れるであろう分家の人間を出迎えに行ったという。

 筆頭剣士が、その座を狙う者達を応対するなど、嫌味な真似でしかないというのに。

 しかし、それが正しい礼儀作法であるのならば、愚直に実行するのが刃太という男だ。

 規範通りにしか動けない機械人形――――親族の多くから、そう揶揄されているにも関わらず。


「懲りねえ野郎だ、まったく……」


 言って、瞬は頭を軽く振り、意識の復旧に努めた。

 この数分の出来事を、瞬はさっぱり記憶していない。

 メアラの一言があまりにも強烈すぎたせいで、頭の中が完全に真っ白になっていたからだ。

 脳の処理能力が限界を超えてしまったが故の、放心状態。

 手汗のぬめりは、それが確かに起こったことの証明だ。

 メアラの指摘は毎回、異様なまでに鋭く懐に抉り込まれるから困る。

 しかし、果たして、何故、何が、ここまでの動揺を誘うのだろうか。

 原因を突き止めるべく、瞬は先の会話を思い返そうとするが、深層心理が吐き気という形でその行為を拒絶する。

 どのみち、思索にふけっている場合でもなくなった。


「おいでなすったか」


 例年通り、時刻は午前十一時をやや回ったところ。

 見知った顔ぶれが、大挙して座敷に押し寄せてくる。

 数はざっと三十人以上。

 老若男女が幅広く揃っており、統一感に欠ける面子ではあったが、身のこなしに全く隙がないという一点は共通していた。

 彼らこそが、風岩本家にとっての枝葉である、分家の面々。

 一刀ひとう二嶄 ふざん三風みかぜ四研よとぎ

 流派の開祖である風岩羽切はきりを同一の先祖に持つものの、長い歴史の中で、いつしか各家は固有の姓を持つようになっていた。

 それは増えすぎた親族を区別するための手段でもあったし、同時に、別姓化することで同族意識を切り捨てる狙いもあった。

 風岩家が現代まで存続できているのは、この意図的に作り上げられた対立構造による戦意の維持も少なからず影響しているという。


「あ、お久しぶりです」


 瞬は座ったまま、入ってきた各人に軽く会釈をし、居づらさを凌ぐ。

 やって来た殆どの人間が、瞬とメアラに、交互に視線を遣るからだ。

 しかし露骨な興味を示しながらも、直接追求してこないだけ、まだありがたい部類に入る。

 こちらに足を運んでくる青年を見て、瞬は心からそう思う。


「……どうも、真継まさつぐさん」

「ファッションセンスのなさは相変わらずだな、瞬よ」

「うるせえよ」


 小馬鹿にした物言いに、瞬は鬱陶しさを隠さずに返した。

 眼前に立つ青年は、二嶄家の長男、真継。

 記憶が確かなら、年齢は瞬の五つ上で、今年で十九になるはずだった。


「まあ、頑張ったところで俺の美しさは超えられないから、無駄なことをしないという意味では利口な選択か」


 瞬にそう言えるだけのことはあって、真継はグレーのV字ネックTシャツの上に七分袖の黒いジャケットを着こなし、中々に見栄えする格好であった。

 容姿は端麗、体格は長身細身、髪は茶髪に染めており、香水もきつい。

 傍目にはホストクラブの従業員にしか見えず、その外観で雷蔵を憤慨させるのはいつものことだ。

 だが、優男じみた風貌とは裏腹に、剣の腕前は子世代で三指に入る。


「もっとも、もはやセンスなんてのはどうでもいいことだよな、お前には」


 真継は、黙っていれば保つことのできる上品さを、下卑た笑みで自ら崩した。

 瞬のように意図して嫌味に振る舞っているのではなく、これが真継の自然体だ。

 人を苛つかせる表情と言動がデフォルト、自覚がない分、とにかく質が悪い。


「爺様が珍しく上機嫌だったぜ。お前が嫁候補を連れてきたってな」

「あのクソジジイ、こういうことは口が軽いな。まあ、自分で説明する手間は省けたがよ」

「爺様にとって一番の使命は、血筋を残すことだからな。そりゃあ浮かれもするさ」


 背筋を曲げながら真継は言った。

 視線を近づけた目的が自分ではなく、後ろのメアラにあると気付いたのは、その数秒後だった。


「じろじろ見てんじゃねえよ」

「しかもおいおい、外人さんで、その上結構可愛いじゃないか。とんだダークホースだぜ、お前は。どこで見つけてきたんだ」

「見てんじゃねえっつってんだろ」


 舐め回すような目つきの真継に瞬は苛立ち、少し横に体をずらして、二人の間に割って入った。

 話し込むことでボロを出したくないせいもあったが、ここは単純に、真継に対し嫌悪感を示すメアラを守る意味合いが大きい。

 メアラも、二十センチほど身を前に押し出し、瞬の陰に隠れる。


「……なるほど」

「何がだよ」


 真継が自分の方に視線を戻してからそう言ったので、瞬は、その含むところを問いただすように言った。

 やや怒気が含まれた瞬の語調を滑稽に感じたのか、真継は微かに喉を鳴らす。


「いやさ、なんだかんだ、欠点のある奴の方が女にモテるんだなって思ったのさ。ギャップが魅力になるっていうのかな」

「らしいな」

「それに比べて、ほら、俺や刃太は人間として完璧すぎて、隙がなさ過ぎるっていうか……高いレベルで起伏に乏しいだろ? それじゃあやっぱり、一緒にいてつまんないよな。駄目なところが一つくらいはないとな……」


 所詮は二番手三番手の男が、何を――――頭の中では反論の言葉を用意できても、それを実際に口にすることはできなかった。

 真継は、瞬と比して、間違いなく格上の男だからだ。

 しかも、オーゼスの面々と相対しているときとは違い、武器メテオメイルの性能格差という要素も介在しない。

 有耶無耶にできないから、立ち向かえない。

 そう計算してだんまりを貫く自分の姑息さに、瞬は心中で唾棄する。


(これじゃあまるで、マシンに乗ってるときだけ粋がってるみたいじゃねえかよ……!)


 流石に具体的な部分を察することはできないまでも、真継は、瞬の内なる憤慨を読み取ってまた喉を鳴らした。

 年の功でも、向こうが勝る。


「流石に取って食うような真似はしないさ、歳も離れすぎてるしな。しかし、剣の才能は大したことないお前が、子供世代一番乗りとは……良かったな、運にだけは見放されなくて」

「運だけだと……?」

「訂正箇所があったら教えてくれよ、ちゃんと直すからさ。……おっと、そろそろ爺様の長ったらしい前置き(スピーチ)の始まりだ。じゃあな、瞬」


 真継は口元を大きく歪めて笑うと、手をひらひらと振りながらその場を去っていった。

 もうとっくに、ほとんどの親族は各家ごとに並んで正座している。

 閑談こそ所々で行なわれているものの、間近に迫った雷蔵の到来に備えて、話し声は密やかだ。


「……ちっ」


 瞬は大きく溜息をつきながら立ち上がって、メアラを手招きする。

 舌打ちしてしまった理由は、真継に向けた不快感が三割。

 残りの七割は、事実上、刃太の隣が自分の指定席だからだ。

 途中、メアラを緩衝材にする策も思いついたが、それがあまりに程度の低い反抗であることは、流石にわかる。

 仕方なく、瞬は我慢という苦渋の一手を選択した。



 座敷の最奥に座し、他の全員と向き合う形になった、風岩流総師範にして風岩家当主――――風岩雷蔵。

 齢七十二歳でありながら未だ現役、剣技の精緻さなら筆頭剣士をも遙かに上回る。

 そして、歴代当主の中でも取り分け流派の振興に熱誠。

 現在でも日本各地を飛び回り、文化・技術の伝導に勤しんでいる。

 堅苦しい側面はあれど、基本的には崇敬の念を寄せられるべき人物だ。

 しかし、絶巓の儀を前に行なわれる雷蔵の式辞ながばなしに聞き入る者は少ない。

 毎年、ほとんど同じ内容だからだ。

 一族の辿って来た歴史、けして血を絶やすまいと苦心してきた先祖達に対する讃辞、今後の抱負。年若い瞬ですら既に聞き飽きているのだから、親世代はもはや耳にたこができるレベルであろう。


「では、儀に関する子細を、改めて儂の口から申し伝える」


 瞬の脚が痺れを感じ始めてきた頃、続けて雷蔵は、儀の具体的な内容を語り始めた。

 これも――――これこそ、毎年本当に一字一句違わない内容だ。

 まず、儀の中で行なわれる仕合は、三種類に分けられる。

 筆頭剣士に挑む者を決定するための“準備仕合”と、実際に筆頭剣士と対決する“本仕合”、そして、そこからあぶれた者達のために用意された“自由仕合”だ。

 最優の腕を持つ筆頭剣士とて所詮は人間、連続で戦い続ければ消耗し、実力差以外の要素で敗北することもあり得る。

 故に、今日明日と二日間開催される儀において、挑戦権を得られるのは各日二名まで――――その二名をトーナメント形式で絞り込むのが準備戦というわけだ。

 挑戦権を獲得するには大体三仕合から四仕合をこなす必要があり、挑戦者にはいかに軽度の消耗で準備戦を潜り抜けられるか、体力の配分にも気を遣う必要がある


(あと一、二年ぐらいは猶予があるが……)


 実は瞬も、まだ自由仕合にしか出場したことはない。

 これは別段に恥じるようなことではなく、参加資格である十二歳を迎えてからも、ある程度の実力が付くまで何年か様子見をするのが普通だ。

 何せ用いる得物は、刃を潰してあるとはいえ、真剣。

 どう力を込めたところで相手の四肢を斬り落とすまでには至らないが、使う者が使えばぐらいのことは十分に起こり得る。

 恐ろしいことに、この儀に限り、刃の寸止めは義務から推奨に格下げされるのだ。

 あくまで通常の模擬戦の延長戦である自由仕合は、また互いに手心を加えられるが、筆頭争いの方は限りなく実戦に近い熱の入り方をする。

 打撲、骨折は茶飯事。

 ここ数年は見受けられない事態だが、失明や身体の不随に至ることもある。

 最悪の場合、死亡することすら。

 余所者がそう簡単に観覧できない掟となっているのは、場の空気に関わるだの技術の漏洩だのといった要因以上に、もっと単純に法的な部分の問題なのだ。

 この現代において、命の危険も孕んだ一族内での剣戟決闘――――時代錯誤も甚だしい。

 傍目には、さぞや酔狂に映ることだろう。


(いや……猶予って、だよ。同年代の荒斗あらと擂義するぎと適当に打ち合ってられる猶予か? 三風の叔父さんに相手してもらって、優しく手ほどきを受ける猶予か? そうじゃなくて、その、オレは……)

「風岩さん、ご飯です、行きましょう!」

「ん? あ、ああ……」


 どうやらまた、無自覚の禁忌に触れて、意識が急停止シャットダウンしていたらしい。

 メアラに上着の裾を引っ張られて、瞬は我を取り戻す。

 どの仕合も、開始時刻は一時からだ。

 それまでは、昼食込みのウォーミングアップの時間に宛てられる。

 晩には、本来なら門下生宿舎のみを担当する家政婦の手を借りてまで豪勢な食事が用意されるが、こちらは軽食のようなものだ。

 ほとんどの人間がさっさと食べ終え、道着に着替えて準備運動に入る。

 慌ただしい空気の中、瞬はメアラを連れ、出されたテーブルの一つに渋々向かった。

 ついでに、座敷の外で所在なさげにうろうろしていた連奈の手も引いて。

 今年に限っては、風岩家の面々と一緒に、三風家の人間も卓を囲んでいたからだ。

 道連れとしては、丁度いい。


「どうもです、叔父さん、叔母さん」

「おお、瞬君。娘を連れてきてくれたのか、ありがとう。姿を見かけなくなったから心配していたんだ」

「やっぱりこいつ、どっかにフケてたんですか。チャラ男まさつぐさんと喋り終えたときにはいなくなってから、まさかと思いきや……」


 眼前の男女に、今度こそ、瞬はちゃんと一礼をする。

 この二人は、三風正吉しょうきちと三風天音あまね――――連奈の両親である。

 連奈自体とは今年になるまで全く親交がなかったが、こちらは別だ。

 大人として最低限の対応はするが、それ以上でも以下でもない他三家の大人達とは異なり、正吉も天音も瞬や刃太に優しく接してくれる。

 それは、ここ数代の三風家が筆頭剣士の称号に特別の執着がないことも大きく関係している。

 技術を己の血肉とすることができればそれで事足りるというスタンスを表明する、一族内における異端の存在なのだ。

 そしてもう一つは、系図上の理由もある。

 天音は瞬の父である晃蔵の妹で、三風家に嫁いだ身だ。

 つまるところ、瞬にとっての正吉と天音は、本物の叔父と叔母。

 曾祖父母世代よりもっと前に枝分かれしている他の三家と違い、血縁関係としてはかなり近い部類に入る。


「ほら、座れよ連奈」

「あなたがそっちに座りなさいよ。場所を交代した方が、お互いに都合がいいでしょ」

「なるほど確かに、仰せの通りでございます」


 連奈の提唱する完璧な理論に従い、瞬とメアラは三風家側に腰を下ろす。

 逆に、連奈が刃太の隣に座り、なんとも奇妙な並びが出来上がることとなった。

 雷蔵は呆れた顔をしているが、二人にとってはこれが満足いく配置なのだ。


「しかし本当、こんな偶然があるものなんだねえ。少し前に、お義父さんから報されたときには驚いたよ」

「オレもですよ。親戚もパイロットだなんて、まさかすぎて……」


 瞬はトレーの上に並んだ総菜を適当に見繕った後、やや目線を下げて正吉に苦笑してみせる。

 正吉も、天音も、相当に小柄な体格をしている。

 どちらも身長は百四十センチ半ばというところだろうか、とにかく小さい。

 例えるなら、寺や観光地に石像が設置してありそうな、小猿の夫婦。

 連奈本人も言っていたが、よくもまあ、二人の掛け合わせで背丈の高い子供が生まれたものだと思う。

 ついでに性格も連奈とは真逆だ。

 常にのほほんとした空気を放っており、眠気を誘うほどに口調も穏やか、雷蔵以上に老成している感は強い。


「でも安心したわ、瞬ちゃんが一緒で。周りが軍人さんばかりで心細い思いをするんじゃないかと思ってたから。これからも連ちゃんと仲良くしてあげてね」

「連 ち ゃ ん は や め て っ て 言 っ て る で し ょ」

「あら、ごめんなさい連ちゃん」

「だ、か、ら!」


 普段は物憂げ顔かすまし顔の二つしか表情パターンのない連奈が、珍しく顔を赤らめて憤慨する。

 幼少期は平然と流していたが、年々その呼び名に対する羞恥心が増大し続けているのを瞬は記憶していた。

 そしてとうとう今夏にきて、声を荒げるまでになったようだ。

 口に運んだばかりの剥き海老を噴き出さないよう、瞬は必死で堪える。

 轟やセリアにいい土産話ができたというものだ。


「連奈って、あなた達が付けた名前でしょうに! だったらちゃんと呼んでってば!」

「だって、連ちゃんは連ちゃんですもの。ねえ?」

「なあ?」

「あー、もう! あー! 話にならない!」


 いつもは実戦・舌戦を問わず敵のいない連奈も、自分を猫かわいがりする両親の前では形無しだった。

 だからこそ、極力関わりたがらない。

 苦手意識という意味では、自分と刃太との関係に、非常によく似ていた。

 居座れば居座る分だけ自分の株を落とすと悟ったのか、すぐにでもこの場を離れようと、連奈はだいぶ下品に鶏の唐揚げを咀嚼する。

 素顔と呼ぶにはやや熱量が高めだが、それでも風岩家やラニアケアでいつも見る姿よりは、こちらの方が本来の三風連奈に近いのだろう。


「儀に参加せんだけでなく、飯時の作法もなっとらんとはな」


 そのとき、どこか団欒じみていた雰囲気を斬って捨てるように、雷蔵がぴしゃりと言い放った。

 また別の話題に花を咲かせていた瞬の両親やメアラまでもが、一斉に黙り込む。

 雷蔵は、剣術師範としての指導時だけでなく、あらゆる場面において礼儀作法に口やかましい。

 それはメアラ以外の全員が、自らの体験を以て重々に承知していることだ。

 軽食の割に料理の減る速度が遅いのも、皆の箸捌きがいつも通りの慎重さを保っているからだ。

 適切かどうかよりも、余計な真似はしないに越したことはないという無難な判断。

 特にその傾向が強い祖母や刃太は、最初から黙々と食事を続けている。

 だが連奈は、瞬と同じで大人しく従うタイプの人間ではない。

 雷蔵の怒りの炎がどう燃え広がろうとも、まずは反抗を選ぶ。


「まずは、私にそうさせる原因の方を指摘したらどうかしら」

「つまらん口答えをするでない。箸の使い方は、それ以前に間違うておる」

「菜箸はもっと長めに持て、でしょ。ほんっと、陰湿で細かい指摘だこと。つまらない口答えをしているのはどっちかしら」

「わかっているのなら正せ。目上の者に対する礼儀もじゃ。知識だけでは、覚えたとは言わん」

「礼儀? 労いも感謝もできない人間に対して、何をしろと?」


 互いに一歩も譲らぬ、まさに一触即発の空気。

 口を挟める者もなく、最も利口な選択肢は、沈黙を貫いて怒気の霧散を待つことだ。

 雷蔵が、連奈の行儀に対して神経質になるのもわかる。

 血筋の関係上、連奈は生家こと違えど、瞬や刃太と同じく雷蔵の孫にあたるからだ。

 雷蔵は、祖父として連奈を真っ当な人間に育てる責任を背負っているし、逆に連奈の落ち度は自身の面を汚すことにもなる。

 三人しかいない孫の中に二人も問題児がいる、と考えれば、なおはっきりと雷蔵の心労を察することができた。

 もっとも、それで瞬の脳裏に浮かぶ感想は、いつも一定して「ざまあみろ」という喜悦にみちたものであったが。

 本格的な破門や絶縁に追い込もうとしても、連奈が三風家の一人娘であるという事実が邪魔をする。

 一族や流派の繁栄を願い、そのために人生を賭してきた雷蔵が、自ら血脈を絶てるわけがない。

 連奈には、けして千切れることのない命綱が巻かれているにも等しいのだ。

 その点も含めて、尚更いい気味だった。


「……三風に説法は馬耳東風か。じゃがそんなことでは、婿探しも難儀するぞ。これまでは、瞬を三風に遣れば丁度よいと考えておったのじゃが、そうもいかなくなったことだしのう」

「ごはっ、げほっ、うごっ!」


 雷蔵の強烈な一言に、れんこんの煮物を口に運んだばかりの瞬は、たまらずむせる。

 向かいの連奈も、人体とはかくや柔軟性に富んでいるものなのかと感嘆するほどに壮絶な渋面を浮かべた。


「まーたこの交配大好き爺さんは……どっちみちごめんだよ、そんな展開は」


 物理的に可能だからといって、何でも無理にくっつければいいというものではない――――とまで言うつもりだったが、そこはどうにか押し留めるだけの分別はある。

 隣の夫婦はそのケースに当てはまらないとは思うが、念のためだ。


「……っ」


 その瞬間、唐突に遠くで響いた甲高い音に反応したのは、瞬だけではなかった。

 皆、一斉に目の色を急変させて、コンマ数秒間の硬直を果たす。

 驚くようなことではない、毎年いつものことだ。

 遺伝子レベルで刻み込まれた、剣戟の音。

 真剣やいば真剣やいばが鳴り響かせる、磨き上げられた技術と戦術が空間の中で錯綜し、爆ぜる音。

 長きに渡る修練の全ては、この脳髄が痺れるような音を聴くためにある。


「メアラ、これだぜ、これ」


 瞬は、やや引きつった笑みを浮かべて隣のメアラに言った。

 まだ正午を回ってから十数分といった頃合いだが、気合いの入った誰かしらが、もう準備を始めている。

 これがスポーツの世界であれば、あくまで他人は他人と断じ、自身のペースを乱さないのが一流の在り方だ。

 だが、斬り(ころし)合いをそもそもの生業とし、敵を屠るために全身全霊を賭するのが剣士。

 余裕を持って構えるべきという理性に反して、相手より努力を怠れば負けるという生存本能によって、自然と体が反応する。

 それから五分の間に、どの家も、ほぼ全員がテーブルを離れていた。



 儀が始まるまで、もうあと二十分というところだろうか。

 屋敷全体に満ちる張り詰めた空気の中、瞬は縁側に腰掛けてぼんやりと足下の砂利を眺めるだけだった。

 そんな折、晃蔵の百九十センチ近い巨体が瞬を影となって覆う。


「しかし、よく時間が取れたな。簡単には抜けられないんだろう、お前の仕事は……」


 瞬は白の道着と紺の袴を、晃蔵は道着も紺に――――二人とも、既に着替えを終えていた。

 ただ、準備が完了しているのは晃蔵の方だけだ。

 瞬は、最後の一つを用意できていない。

 それは則ち、こころざし

 剣を手に取り戦うという覚悟はできていても、何と戦うのかという最も肝心な部分が未だ欠け落ちたままだ。


「ただ爺ちゃんに呼ばれただけなら、上の人に頼み込んでまで来ようとは思わなかったさ。実際、滅茶苦茶忙しいしな」


 瞬は顔を上げ、少し離れたところに張り巡らされている、家紋の刻まれた古臭い陣幕を見遣った。

 広大な敷地の北東端にあたるその一画には、砂や土で塗り固められただけの殺風景な空間がある。

 見取り図の上では庭園に区分されているが、徹底した除草除石処理が施されており、趣は皆無――――元より、極秘裏に行なう真剣勝負の場として設けられた場所なのだ。

 儀の際には、この決闘場を更に二分して本戦用と自由仕合用に割り当てるが、それでも外野が比較的安全に観戦できるほどの広さが確保されていた。


「迷ったり、悩んだり、最近ちょっと、色々考えることがあってさ。その答えが家にあるような気がして、だからとりあえず帰ってきた。今度は漠然とした理由な分、目的がはっきりしてた前よりもひでえ」

「昔のお前は、答えが出せないほど大きな問題には目を向けることさえしなかった。それを考えれば、成長だ」

「……さすがは親父、よくオレのことをわかっていやがる。ぐうの音も出ねえ」


 瞬は力なく笑って、俯く。


「この前の戦いで初めて出てきた、連合の黒いメテオメイル……あれに乗ってたのは、オレなんだ」

「ゲルトルートとかいうロボットか。敵のどんな策でも打ち破る、もの凄いパワーだとか、ニュースでは言われていたな。そうか、お前が……」


 面食らったような晃蔵の口調によって、やはりゲルトルートはパイロットの個性を殺し尽くす機体なのだと思い知らされる。

 ニュース番組のぶつ切りになった映像程度で、誰が操っているのかを判別するのは不可能と言われればそれまでだが、この場合は実父の晃蔵でも無理だったのかというマイナスの印象が勝った。


「あれが完成したおかげで、セイファートがお払い箱になっちまった」

「じゃあ、ゲルトルートの方が強いわけか」

「全部が全部、そうってわけでもねえけどさ。でも、扱いやすいし、固いし、攻撃力も高い。実用性なら絶対セイファートより上だ。勝つ上で必要なものだけがきっちり揃ってて、どこにも無駄がねえ……」


 客観的見地から論評したつもりだったが、声にはどこか悔しさじみたものが混じる結果となった。

 内なる感情を反映するかのように、気付けば右拳は強く握りしめられ、掌には爪が深く食い込んでいる。


「それにセイファートは初期も初期の型だからな。相性は抜群だったけど、ずっと力不足に悩まされてきたし、歯がゆい思いをすることもあった。だからオレは、今回の新型機投入を、本当なら喜んでなきゃならねえんだ」

「そうなのか?」

「……えっ?」


 意外な返答に、瞬は瞠目する。

 慰められるか、気持ちを切り替えられない惰弱さに呆れられるかの違いはあれど、この葛藤に対して共感はしてくれるものとばかり考えていたからだ。


「だってそうだろ。ゲルトルートは、最初から搭載されてる武装や機能を使うだけで、状況を簡単に打開できちまうんだ。ただ勝利するだけなら、あんなにも正しいものはねえ。だったら、認めなくちゃ……」

「なあ瞬。お前は結局のところ、セイファートを気に入っているんだな」

「気に入ってたさ。だけど、もっと現実を見なきゃ、間違いは正さなきゃ、前には進めねえ」


 それが、数々の死闘を経験することで得た絶対の真実。

 センチメンタリズムが通用しない世界だというのなら、通用するように改めるのが理屈というものだ。

 他に、道など――――


「強くて便利なものがあったとして、だからどうしたというんだ。それに合わせようと、自分の心まで曲げる必要はないだろう。いいじゃないか、好きなものは好きのままで」

「その、ままで……」


 瞬はしばしの間、言葉を失う。

 晃蔵の一言は、目から鱗が落ちるものであったからだ。

 オーゼスの男達のように、執着を突き詰めたが故の自滅か。

 あるいは生き延びるために、感情の全てを切り捨て勝利だけを追い求める機械となるか。

 進むべき道を、その極端な二択に絞り込んでしまっていた。

 周囲の鮮烈な生き様を羨望するあまり、いつしか鮮烈さ自体を追い求めるようになっていたせいだ。

 例えゲルトルートを使い続けることになっても、メテオメイル戦以外のところでなら、拘りなど幾らでも貫けるというのに。

 その一途さこそがいずれ鮮烈さに繋がるというのに。


「……要するに、オレはメテオメイルに引っ張られすぎなのか。これじゃあまるで、オレの方がパーツみてえだ」


 瞬は改めて、己の視野の狭さを恥じる。

 元から尋常ならざる欲求を滾らせていた他のパイロットとは異なり、自分はパイロットに選ばれたことで、それを燃料に動き出した。

 だからか、使という、おかしなスタートを切ってしまった節がある。

 今までは、そんな自分でもどうにかやっていけると自分を騙し続けたが、やはり限界は訪れた。

 己を体現するだめの道具ではなく、道具の用途に縛られた己――――丸っきり順序が逆なのだから、これでは何をしても得心がいくわけがない。

 だが、そんな間違いだらけの過程を取り払った後に、一つだけ確かに残ったものがある。

 どうしても切り離せない、セイファートへの未練だ。

 つまりは、そこに自分の抱く真の願いが隠されている。

 一度は事態に流されるまま諦めてしまった願望だが、今度は違う。


「なあ瞬、今お前がやりたいことはなんだ。やれることじゃなく、やりたいことだ」

「……オレは、まだまだ剣の腕を高めなきゃならねえ。セイファートが弱かったのは、昔のオレが未熟だったせいだってことを証明するために。今からでも、それくらいはしてやれるはずだ。まずは、それが第一目標ってところかな」


 瞬は力強く、意志を表明する。

 虚勢ではない――――機体の脆弱さ、火力の低さという現実を飲み干した上で尚、その難攻不落たる理屈に立ち向かうことを決めたのだ。

 ゲルトルートは使う、だがセイファートの名誉も取り返す。

 そして、それだけの力量を得ることができたら、答えの究明に臨む。

 簡単なことだったのだ。

 メテオメイルという強大な力に振り回されることなく、自分の本心に忠実であれば、こんなにも。


「……煩悶の種は、なくなったようだな」

「ああ」


 こんなに晴れやかな気分になったのはいつ以来だろうか。

 自然と口元に浮かんだ笑みに、瞬は満足する。


「オレは本当の馬鹿だ。できそうだとか、できそうにないとか、そんな利口なことばっかり考えるようになってよ。絶対に無理だと笑われようが、それでもやるのが拘りのはずだ」


 間違いならば、正解になるまで執念深く打ち込み続けるだけだ。

 現実が塗り変わるそのときまで、滅びずに、己を保ちながら。


「毎度のことだけど、なんでオレはこうも自分のことはさっぱりなのかね。頭の回転には割と自信あるんだけどな」

「多才な反面、肝心な部分だけ不器用なのは風岩家代々の遺伝みたいなものだ。だから父さんも、ご当主様おとうさんも、お前をどうしても見捨てられないんだ。昔の自分を見ている気にさせられてな」

「爺ちゃんも……? だけど、兄貴は例外だろ。あの野郎はすぐに何でも適応しやがるし」


 そこで晃蔵は何かを言いかけたようだったが、決闘場の近くに続々と親族が集まってくるのを見て、ゆるりと身を翻す。

 話し込んでいたせいで時間が経つのを忘れてしまっていたが、もうそんな頃合いなのだ。

 思い出したように、瞬の全身には緊張のむず痒さが押し寄せる。

 その高揚感は、戦うべきものを見定めることができた証でもある。


「おっと、そろそろ行かなきゃな。悪いな親父、長々と時間取らせて」

「いいさ。父さんはこんななりだが、周りの気迫に結構当てられるタチだからな。誰かと話している方が気も紛れる。それじゃあ瞬、お前も頑張るんだぞ。腕を磨くなら、今日ほど勉強になる日はないからな」

「やべえ、急いで準備運動しねえと。今からでも軽く走ってくるかな」


 瞬は慌てて、沓脱石の上にある草履を履く。

 そして、自分よりも早く庭先に出た晃蔵の背中に向けて、不敵に言い放った。

 これこそまさに、自分が求めていた調子だ。

 

「なあ親父……本戦のくじ引きって一時からだっけ? それとも先に引いて、一時から仕合だっけ?」


 振り返ってみれば、どいつもこいつもとむかっ腹の立つような午前中だった。

 真継は自分に何を宣った?

 運だけの男?

 そんなことはない、敵を下すための確かな理を以て手にした勝利もある。

 雷蔵は自分に何を宣った?

 三風の婿?

 これから筆頭剣士が入れ替わるかもわからないというのに、随分とふざけた見積もりだ。

 もはや当たり前のように、固定観念じみたレベルで、煎じ詰めるまでもなく――――皆が皆、風岩瞬という男を舐めてかかっている。

 意識すらしない嘲弄――――これほどの悪質な挑発が他にあろうか。

 思い返せば思い返すほどに、アドレナリンが湧いて湧いて仕方がない。

 だが、激昂以上の歓喜がある。

 自分の戦いはいつも、勝つためではなく、不利な状況を覆すためのものだった。

 誰もが考える“絶対”を打ち砕いたときに得られる、あの達成感と優越感こそが、瞬にとって最高の報酬。

 故に、勝ち目のない戦いこそが、理想の戦場。

 まさにセイファートは、そんな瞬の本質を体現する機体ではなかったか。

 剣を使うという共通点以上に、瞬とセイファートは、もっと根深いところで似通っていたのだ。


「勝てるわけがないって? でもいいんだ、オレはそこから大逆転するのが好きなんだよ」

 

 意表を突かれて振り向いた晃蔵に、瞬はそう付け加える。

 泥にまみれてきたからこそ得た、恐れ知らずの精神こそが自分の武器。

 その真実に、ようやく気付くことができたのだ。


「これがオレの戦いやりかただ。分家の奴らにも、それを見せつけてやる」


 泥にまみれてきたからこそ得た、恐れ知らずの精神を武器に、瞬は今再び立ち上がった。

 彼方先を行く者達に、挑むために。


 彼方先を行く者達へ挑むための長い長い下準備は、数ヶ月の時を経て、ようやく終わりを迎えようとしていた。

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