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第69話 原点回帰(その1)

「おい連奈、まだ生きてるか」

「もう死んでるわ、だから運んで。今日だけ特別に、私を背負って運ぶことを許してあげる」

「残念だったな、風岩運送は百グラム以上の重量物を受け付けてねえんだ。またのご来店をお待ちしております」

「私に密着できて天にも昇る気持ちになるでしょ? つまり心理的反重力の発生によってこっちが料金を頂くわよ」

「どんな計算式だよ」


 時刻は既に午前九時。

 八月中旬だけあって、この時間帯でも気温はとっくに三十度を超過。

 その条件下で、風岩家本邸へと続く三千段の階段を昇らねばならない義務を課されているのが、今の瞬と連奈だった。

 二人とも、数ヶ月のパイロット訓練によって体力は以前より各段に増しているのだが、ここは意図して修練のために作られた石段。

 段差は高めで、手すりさえ一箇所も設けられていないため、どう鍛えたところで消耗するようにできている。

 本邸を訪れる者は、特別の例外でもない限り、この階段を使って上がってくるのが風岩家の掟であった。


「あのクソジジイは、全く、もう……こんな時ご時世にも家のしきたりが最優先とは、呆れるぜ」

「オーゼスが好き勝手に暴れ回っていた去年ですらやったんだもの、十分考えられたことでしょ」


 軽口を叩く元気はないが、軽口を叩いていないと気力が削がれてしまいそうで、二人は意味のない会話を続ける。

 ちなみに瞬は、相変わらず薄手の白ジャンパーに水色のTシャツ、黒のジーンズという一張羅であったが、連奈の方はというと季節に合わせて大きく出で立ちを変えていた。

 レース生地を用いたライムグリーンのサマーカーディガンに、純白のワンピース。

 髪はポニーテールに纏めるなど、見かけの印象は以前と全く異なる。

 見栄えするような配色を選ぶセンスの高さもだが、ファッションに関してずぼらな瞬には、TPOを意識した服選びをしようという心掛けだけで尊敬に値する。

 そしてもう一人――――自分達の十数段先を元気に進んでいく少女のバイタリティにも、感服せざるを得なかった。


「風岩先輩、三風先輩、どうしたんですか! 早く、昇ってきて下さい!」


 こちらに向けて大きく手を振る、黒いキャミソールドレスにアイボリーホワイトのカーディガンを羽織った少女、メアラ・ゼーベイア。

 猛暑にも負けず、瞳を爛々と輝かせて快活に動き回るその姿は、見ていて呆気に取られてしまう。

 まるで疲れを感じさせない不自然なまでの爆発的エネルギーは、一体どこから湧いてくるのか甚だ疑問だ。

 いや、不自然ということであれば、そもそもメアラがこの場にいること自体がだいぶおかしな状況なのだ。

 いなければならない理由は、正直なところ、一つもない。

 一体どうしてこんな展開になってしまったのか。

 瞬は、残り千段を昇り終えるまでの時間潰しとして、数日前の出来事を思い返すことにした。



 グレゴール・バルヒェットの駆るメテオメイル、シンクロトロンBの撃破に成功してから二日後。

 激戦の中で行なわれた問答によって、手にした栄光とは裏腹に、自身の進むべき道ねがいを本格的に見失い始めていた――――そんな瞬の元に、ある一通の手紙が届いた。

 例によって、送り主は瞬の祖父である風岩雷蔵。

 例によって、手続きの関係上、送られた日から結構な時間が経過していた。

 書面の内容は至って簡潔、『風岩一門の恒例行事である“絶巓ぜってんの儀”は、今夏も例年通りに執り行う』というものだった。

 絶巓の儀――――簡単に言ってしまえば、風岩本家と、そこに連なる四つの分家が、次代の筆頭剣士の座を賭けて争う模擬試合であり、競技会だ。

 だが、実戦派剣術を謳う風岩流にとって、それら“命を賭さない世界”の語句を用いることは滑稽千万、旗幟に自ら泥を塗る行為に等しい。

 所詮は武道、似非の人斬り、そう呼ばれることがあってはならない。

 そうした体面に対するこだわりが、固有の名称を持つことになった経緯だという。

 開催時期は、毎年の盆と正月。

 参加資格、もとい参加義務は、満十二歳以上の、一族の人間全て。

 そして、そのルールを現在の瞬と連奈にも適用するのが、風岩雷蔵という男の徹底ぶりである。

 何としても都合を付けて絶対に参加しろとは明文化されていなかったが、記載された参加人数は前年度とまったく同じであった。

 となれば、その手紙が示す意図は明確である。

 瞬も連奈も行間が読めないほど愚かでもない。

 パイロットであろうとなんであろうと、絶対に来い、ということだ。


「……まあ、行ってやるか」


 せっかく破門寸前のところから這い上がってきた瞬には、また雷蔵の不興を買うなど御免被る事態である。

 それに、パイロットとして培った実戦経験が、生身の対人戦でどれほど活きるのか試してみたいという興味もある。

 もっとも、一番の理由は、今の鬱々とした気分を晴らすことができるかもしれないという、ぼんやりとした期待だ。

 正直なところ、剣技の基礎以外も、まだ何か大事なものを置き忘れている気がしてならない。


「今度こそ、オレにまとわりつくモヤモヤの全部を取っ払ってやる」


 原点に立ち返る、と呼べるほど高尚な探究になるかどうかは不明だ。

 それでも、全ての始まりである場所に行くことは、やはり自分にとって最も効果的であるように思う。

 と、ケルケイムから休暇申請を勝ち取る決意を露わにした、その矢先のことだ。


「行きます!!!」

「なんで!?」

「風岩先輩の、ご実家! 剣術の道場! 親族間での試合! 私も、是非、行きたい、です!」


 執務室に向かう途中、通りかかったメアラにうっかり事情を話してしまったのがまずかった。

 何日か家に帰るかもしれないと口にした途端、メアラは大興奮し、ぐいぐいと詰め寄って、結局は本件に関する全情報を瞬から引き出すことに成功した。

 メアラの押しの強さを抜きにしても、瞬はそもそもにおいて、年下からの頼みに滅法弱いところがある。

 とはいえ、今回に限っては、二つ返事で頷けるほどの簡単な話でもない。


「あのさ、お前、今の話もっかい頭の中で再生してみろ? 全然関係ねえじゃん、部外者じゃん」

「お邪魔であることは承知の上です。ですが、そのように清澄かつ厳粛な空気の漂う場所に行けば、なにか得られるものがあるとは思いませんか。自分の目で直に見る本格的な闘争が、精神に何らかの変革をもたらすとは思いませんか」

「それは……」


 早速、鋭い返しが突き刺さった。

 自分も結局は似たような目的で里帰りしようとしている身だけに、瞬はメアラの主張を一蹴できずに困窮する。

 そこにメアラは、更なる追い打ちを掛けてくる。


「私はまだ実戦を経験していませんし、本気で誰かと争うようなことも、これまでありませんでした。市民のために自分の命を張って戦うパイロットとしての心構えは、下の下と言ってもいいでしょう。そしてそれは、幾ら訓練を積んだところで解決できる問題ではありません。例え傍観するだけでも、生の迫力を知りたいのです。知って、自分の未熟な精神に喝を入れたいのです。ですから、お願いします! 風岩先輩にしかお願いできないことなのです!」


 そうまくし立てた後、頭一つ高い瞬を見上げるメアラの眼は、真剣そのものだった。

 幼稚な興味だけではない、理に適った確かな言い分。

 風岩家としては迷惑だが、人類の未来のためという意味では確実な益。

 やることと得られるものをはっきりと定義している分、むしろ瞬よりも遙かに真摯な姿勢であるといえた。

 突飛な発想と無茶な要望は、つまるところ、己の職務についてそれだけ本気であることの表れではないのかとも思えてくる。

 しかし、一族の会する場に余所者を連れ込めば、煙たがられるのも必定。

 追い出されるもなにも、まず雷蔵が立ち入ることを許しはしないだろう。

 民間の狭いコミュニティ内で行なわれる勝負ではあるが、親族達の儀に対する意気込みは、おそろしく強い。

 自分やメアラ程度を引き合いに出すことすら野暮というものだ。

 それは、生まれてからこの方、毎年のように鬼気迫る斬り合いを目にしてきた瞬はよく理解している。

 一族の中の誰も、その日のために整えてきた集中力とコンディションを乱されたくはないだろう。

 ただ、瞬の頭の中には、これら面倒な前提条件の全てをすり抜ける秘策もまた生まれてしまっていた。

 親族の気勢を削がないレベルでメアラを放り込め、かつ、あの雷蔵を逆に歓迎させるほど効果的な一手。

 それなら、乗り気でやりたくはないが、やってやらないでもない。


「……口添えはしてやるが、お前の賢さを信用してのことだからな。少しでもトチったり、オレ以外に変なストーカー根性発揮しだしたら、すぐに叩き出すぞ」

「わかっていますとも。先輩を全面的にバックアップするために存在しているといっても過言ではない、敬虔なる後輩こと、このメアラ・ゼーベイア。余計なトラブルを避けるためとあれば、どんな嘘でもつき通してご覧に入れましょう」


 演技めかして言い回しで、メアラが微笑む。

 他ならぬお前自身が運んできた厄介事だ、と内心で突っ込みつつも、自分の小狡いところにもしっかり合わせてくれる順応性は気分のいいものだった。

 善し悪しを捨て置けば、メアラがこの上ない自分の理解者であることだけは真実なのだ。



「だけど、お前もよく来る気になったな。毎度のごとく、あのクソジジイに嫌な顔されるのに」


 長い階段も残すところ、あと百段ほど。

 本邸の正門が見えかけたところで意識の向きを現実へと切り替えた瞬は、すぐ後ろで汗だくになっている連奈に言った。

 連奈は一人娘でありながら、三風家の跡継ぎとなる気は微塵もなく、ここまでの全戦を棄権していた。

 にも関わらず、毎年憶面もなく足だけは運ぶものだから、余計に雷蔵の心象は悪い。

 いとこ同士とはいえ、こうしてよく話すようになったのはラニアケアで再会してからのことなので、理由を聞いたこともなかったのだ。


「二日三日は本家の豪勢で美味しい料理が食べられるじゃない、それが四割。今年の春からは、ほとんど基地の中で、どこの原料かよくわからないものを食べっぱなしだったから尚更」

「わかる。修行で一度戻ったとき、白米の美味さに泣いたもん。まじで」

「あと、頑固なお祖父様に対するささやかな反抗が一割。あの得意気な睨み顔に屈すると思ったら大間違いってことの証明」

「わかる。本気で怒る前に見せる、わし機嫌悪いぞアピールが心底うざってえ。ついついとぼけ顔で逆らいたくなっちまう」

「いつもなら、そこに遠出の気晴らしを加えて十割なんだけど、今年の残り五割は、ほら、あれ」

「わかる。なんなのあいつら、どういう過程を経てああなったの。どこがツボだったの」


 ヴァルクス子供組の内、この場にはいない二人の顔――――特にサングラスをかけた方を思い浮かべて、瞬は渋面を浮かべる。

 自分と連奈がラニアケアを離れる関係上、どうしても残らねばならなくなった相手だけに、本来は感謝の一つもするべきなのだろう。

 が、そんな気分にはならない。

 あるのは理不尽な既成事実に対する憎しみだけだ。


「しかもお互いに自覚がなさそうなところが見ていて余計に腹が立つわ」

「わかる。居辛いとか遠慮とかじゃなくて、精神衛生上きつすぎるだけだ、あそこに一人残るなんざ」

「遅いですよお二人とも。それでは、行きましょう!」


 グチグチと文句を垂れている内に、とうとう瞬達は登頂に成功。

 そこで待っていたメアラと共に、開きっぱなしの正門を抜け、そう懐かしくもない本邸の敷地へと足を踏み入れた。



「……静かだな」

「静かだね……」


 ラニアケアの南端、ほとんど人気のない芝生地帯。

 その外周部にあるベンチの一つで、轟とセリアは、かれこれ一時間近くを、ただ無為に過ごしていた。

 現在のラニアケアは、太平洋の中心から、やや西寄りの海域を航行中。

 気候的には日本とさほど変わらないはずだが、黙っていると眠気が襲ってくるくらいに、こちらは快適な気温だった。


「今何時だ?」

「十時十五分三十二秒」

「まだ、そんなもんか」


 三時間くらいこうしている気分だったが、実際はその半分程度しか経過していない。

 轟は軽くあくびをして、もう一度まどろみの中に沈んだ。

 今日は、特別にやるべき仕事はなく、訓練も午後に集中して行なう予定だ。

 ただし、いくら暇とはいえ、すぐに動けるパイロットは轟ただ一人。

 いつ始まるかもわからないオーゼスの侵攻に備えて気を引き締めるのが、軍属の人間として正しい姿勢といえよう。

 だが、予測できないからこそ、轟はそのときまで心身を休めるという理屈を取った。

 嗅覚が不穏な匂いを感知するまで不要な警戒はしない、獣と同じだ。


「でも意外だった、君でもこんな風にのんびり休息を取ることがあるなんて」

「もっと一心不乱に筋トレでもしてると思ったかよ」

「思ってたよ」

「前はそうだったが、瞬の親父に言われてな。空いた時間の全部をトレーニングにブチ込むよりは、適度に休んだ方が結果的には強えー体に仕上がるってよ。実際いまの方が、変に痛みも出ねえし、調子もいい」

「君の方がよっぽどしっかりしているじゃないか。その点、私は駄目だ。興味が湧いたら寝食を惜しんで没頭してしまう」

「何をそんなにすることがあるんだ」

「読書さ。ジャンルを問わず、ただ眺めて、知識として吸収する。学問だなんて大層なものじゃない、本当にただの、雑学全般。つまらない趣味だと笑ってくれていいよ」

「何かに全力で打ち込んでる奴を、俺は笑わねー」

「そう? ありがとう」


 最初に聴いたときは、セリアのいかにも知性派で飄々とした感じの声が鼻についたが、今は不思議なくらいに耳通りがいい。

 心身が妙に弛緩しているのも、そのせいだ。

 これからやるべき訓練を終えた後のように、どうにも力が入らない。

 入れる必要も、どこにもなかったが。


「行きたかった?」


 また数分が経った後、セリアが不意にそんなことを尋ねてくる。

 基本的には言外の部分を読み取ることを不得手とする轟だが、今日という日においてはかなり対象が限られてくるので、どうにか応じることはできた。


「何でだよ。俺はあの後輩女ほど無粋じゃねーし、大体、そのイベントにも興味がねー」

「質問が悪かったかな。じゃあ、風岩君達は街でぶらぶらする目的で外出、ここには四人目の正規パイロットA君も待機、君にどうしても留守番しなければいけない理由はない……という仮定ならどうかな」

「弄りすぎだろ、もはや原型を留めてねー」

「質問の意図はぶれていないつもりだよ」

「……それでも、行かねーよ。俺は団体行動が嫌いだ」


 轟は、率直な意見を述べる。

 地元に住んでいた頃には十数人近くはいた、自分に媚びへつらうだけの下っ端ならともかく、ここにいる面子はまるで統率が取れる気がしない。

 時間の有意義な使い方について語れる立場ではないが、それでも意見が合わずにごちゃごちゃと揉める展開は御免だった。

 食事に付き合ってやっているのも、他と足並みを揃える必要性がないからだ。


「うん、だろうね。そこはちゃんと分析できてたよ」

「そのくらい、今までの俺を見てればわかるだろーが」

「まあ、そうなんだけどさ」

「……行きたいと言うとでも思ったかよ」

「思ってたとしても、私に言うわけないに決まってる。これも正解でいいかな?」

「間違いだ。そんなことを思う可能性自体がねーんだからな」

「絵的には面白そうだけどね、ここのみんなで宛てもなく適当に、ふらふらと色んなところに立ち寄って遊ぶのは」

「地獄絵図だろ」


 そう答えると、セリアが咳き込むように笑う。

 どこがそんなに面白かったのか、轟には皆目見当も付かない。

 だが、根掘り葉掘り聞きもしない。

 セリアが楽しそうに笑っているのなら、それで十分だった。


「そもそも、外で遊ぶ段階で結構憧れなんだけどね、私は。……ああ、いや、小さい頃は両親に色んなところに連れて行ってもらったよ。友達もそれなりにいた。でも、例の施設に入ってからはさっぱりでね。ほとんど隔離状態みたいなものさ。少なくとも休暇として外に出られる制度はなかった」

「もはや刑務所じゃねーか」

「当時は、そのことも、他のご同類と話す機会が少ないことも、何とも思わなかったんだけどさ。ラニアケアに来てからは、なんだか閉塞感や寂しさを感じるようになってね。君達に会ったおかげかな、抑圧されていた部分が、一気に表へ出てきたように感じる」


 そこで一度言葉を句切って、セリアは声のトーンを一段下げて、また口を開いた。


「私は行きたかったよ」

「……ああ?」

「メアラが風岩君と連奈にくっついて行くと聞いて、心底羨ましいと思ったんだ。些か以上に常識に欠ける行為であることは認めた上でね。さっきの、君的にはありえない仮定が私に適用されていたなら、正直、同じことをやりかねなかった。あれこれ理屈を並べ立てて、風岩君達に付いていこうとしたかもしれない。そのくらい、結構、人間としては駄目なんだ。周りからみんながいなくなるのが、本当に怖い」


 轟は、沈黙を以て、セリアの言葉を全身に染み入らせる。

 結局、無理は必ず反動となって返ってくるということか。

 しかもそれが、過度であればあるほどに、爆発の仕方も大きい。

 轟は、文字通り骨やら筋肉やらを磨り減らしてまで身体の強化に努めていた自分の愚かさを、やっと理論付けて呑み込めた気がする。

 そして、セリアの、どこか過去に引きずられているような危うさも気になった。

 途方もない頭の容量と要領を持った人間に、際限なく情報を詰め込んで高みを目指すという、その教育施設。

 過去の自分なら、歪さも含めて、その方針に賛同していたかもしれない。

 轟は、自分を制止してくれた人間のおかげで目を覚ますことができたが、セリアの中にはまだ、過密こそを良しとする教示が巣くっている気がしてならない。

 では、自分がやることは――――

 その発想が浮かんできたこと自体が失笑ものだ。

 これまで他人がどうなろうと、痛い目をみるとわかっていても、見過ごしてきたというのに。

 だが轟は、過去の自分を参照しない。

 誰よりも強くなりたいという絶対の目標はあれど、進む道そのものに頓着はない。

 ただ、やりたいようにやってきただけだ。

 らしくないと感じることはあっても、らしくないからといって、自分にブレーキをかけることはしない。

 だから、今回もやりたいようにやる。


「行くか」

「うん……えっ? 私も?」

「テメーの話をしてたんだから、そうに決まってるだろーが」

「それはそうなんだけど……私も、いいの?」


 セリアは、大きく瞬きしてから言った。

 轟は、当たり前のことにわざわざ肯定もせず、そのまま言葉を続ける。


「あいつらが戻ってきやがったら、今度は俺達の番だ。司令さんから無理にでも休みを引ったくって、どっか、その辺に、適当に」

「団体行動は嫌いなんじゃなかったのかい」

「意見が纏まらねーのがめんどくせーってだけだ。その辺の煩わしささえなけりゃ、いい」


 意地の悪さを含みながら、だが弾むような声色で聞いてくるセリアに、轟はそう答える。

 計画は、立てる能力もなければ、実行する器用さもない。

 だが、思考の放棄か皮算用かはともかく、二人なら何とかなるだろうという見積もりはあった。

 それとも単に、セリアとなら面倒さも苦にならないだけか。

 ともあれ、行ってみて、確かめればいい。


「約束だよ」

「……ああ」


 轟は、ぞんざいに答える。

 それから、ちらりと視線をセリアの腕時計に向けると、最後に時間を尋ねてから一時間も経過してしまっていた。

 まだ正午前だが、午後から訓練を行なうなら、そろそろ昼食を掻き込んでおく頃合だった。

 しっかり消化できていないと、シミュレーターを使う時に色々と困ったことが起きる。

 混み始めると、お気に入りの席を確保できないのも困りものだ。

 早い分に越したことはない――――意識を覚醒させた轟は、それまで枕にしていたセリアの膝元から離れ、ゆっくりと身を起こした。



 不定期の宴会を除けば、一族の会合くらいでしか使われることのない、屋敷中央の一室――――実に三十二畳の大座敷。

 瞬、連奈、メアラは、その端に陣取って親族が集まるまでの時間を潰していた。

 見上げれば、高く取られた天井に、行灯あんどんを模した大きな和風照明が幾つも吊り下げられている。

 間取りの広さも相まって、自分が縮んでしまったような錯覚に陥るのが、瞬は苦手だった。


「語彙力が少なくて申し訳ありませんが、なんというか、雰囲気ありますねえ」


 メアラが独特の空気感にそわそわしながらそう呟くが、落ち着かないという意味では、瞬も連奈も似たようなものだ。

 この空間に染みこんだ数百年という歴史が持つ、形而上の“重み”に耐えうる器が、まだ出来上がっていない。

 苛烈な研鑽と信念の元に積み重ねられてきた、二十三世紀を超えて尚続く執念の系譜。

 その偉大さを正しく認識し、飲み干すには、時期尚早ということだ。


「……瞬」


 その穏やかな声を聞いた途端、瞬の心が明確な熱量を伴って急激にざわつく。

 廊下側から足音が聞こえてきた段階で、瞬はせめてもの予防策として、既に目を伏せ終えていた。

 しかし、あまり効果があったようには思えない。

 動悸と目眩が同時に体を襲ってくる。


「二ヶ月ぶりくらいか」


 襖は最初から開け放たれているため、声の主は、そのままゆっくりとこちらへ近付いてくる。

 結局、ネイビーカラーのスラックスは視界に入ってくることになった。

 それは、瞬の実兄こと風岩刃太のお気に入りであり、現在の着用者も彼で相違ない。

 避けられぬ事態とはいえ、できうることなら永遠にやって来て欲しくない再会だった。


「お久しぶりです、お従兄にい様」


 返事一つしなかった瞬とは違い、連奈は退屈げながらも、わざわざちゃんと挨拶を返す。

 そもそも連奈は、刃太の生真面目で木訥な性格に面白みを感じていないだけで、瞬のように苦手意識を抱いているわけではない。

 最低限の礼節くらいは、弁えていた。


「連奈も、また随分と、その……大変みたいだな」


 刃太が近くに座る音がして、瞬はたまらず顔をしかめる。

 瞬や連奈がパイロットであるという事実は、家族以外には一切伏せるように箝口令が出されていた――――が、風岩家と三風家に関しては、もはや共有の情報となっている。

 どうせ隠し通すなら、その方が齟齬も出まいという、当人も含めた両家の意見だ。

 修行の際に轟も己の立場を明らかにしており、結局風岩本家は、軍の最高機密であるメテオメイルパイロット全員の正体を把握していることになる。


「お気遣いなく。何だかんだ、割と楽しめてはいるわ。少なくとも、箱根の山奥で暮らしていた頃よりはよっぽど刺激的」

「らしいといえば、らしいか。爺様にも物怖じしないほどの女丈夫だものな」


 刃太は僅かたりとも嫌味っぽさを含まない、ただの軽い苦笑を漏らす。

 その完成された人当たりの良さが、ただただ苛立たしい。

 霧島と同じで、他人との衝突を避けるべく自身を矯正した、その人間としての粗のなさが気に食わないのだ。


「ところで、ええと、そっちの……」

「爺ちゃんに話は付けた、それだけだ」


 会話を早期終了させ、刃太をどこかへ追いやるために、瞬はぴしゃりと言い放つ。

 だが、客のメアラとしてはそうもいかず、やはり受け答えせざるを得なかった。

 つまるところ、礼儀がなっていないのは瞬だけだ。


「初めまして、お噂は風岩せ……瞬さんよりかねがね。メアラ・ゼーベイアと申します。この度は、皆様方にとって極めて重要な会合であるにも関わらず、私のような余所者がお邪魔してしまい、誠に申し訳ありません」

「ああ、いや、爺様の許しをもらっているなら構わないんだ。あの人は何事も、妥協で認めることはしないから。それで、その……」


 おそらく刃太は、こちらに視線をやったのだろう。

 そして大方、瞬が話さそうとしなかったことを、本人の前で別の人間に聞いてしまうのもどうかと考えているはずだ。

 その余計な気遣いが鬱陶しかったので、瞬は僅かに顔を上げてメアラに頷いてみせた。


「私が普段お世話になっている瞬さんの、清澄な精神と傑出した技量を築く礎となった要因……すなわち風岩流剣術に並一通りではない興味がありまして、その存続と発展に是非とも貢献したいと考え、無理を承知で同席させて頂くことをお願いしたのです」

「ということは、なるほど、君も……瞬の、そうか」


 顔は見えないが、中々に面食らっているのが、その口調から推察できた。

 これが、メアラを連れ込むにあたっての、上出来とは言わないまでも個人的評価八十点の策だった。

 現当主の雷蔵は――――というより風岩家の歴代当主全てに言えることだが、血筋を後世に残すことに対して、他流とは比較にならないほど強い執念を持っている。

 一族という括りが形骸化した現代においてなお、分家を四つも抱えていられるのは、彼らのたゆまぬ努力の功績だ。

 そのため、彼らは家系存続の助けになる要素――――要するに、一族の嫁婿になることを希望する者には、めっぽう弱い。

 だいぶ昔の話だが、長年伴侶に恵まれなかった分家の男が当時付き合い始めた女性を、雷蔵が本家に招いてさんざんもてなしていたのを覚えている。

 そしてやはり、瞬が同じ理屈を適用してみたところ、効果は覿面であった。

 ならば仕方がないとは言いながらも、中々の上機嫌で、雷蔵は此度の例外を認めた。

 勿論、そう受け取らせるような言葉の選び方をしただけで、本当に婚約など結ぶつもりなどない。

 メアラも、だからこそ具体性を欠いた表現をしてくれている。

 とはいえ、危ない橋であることに違いはないとは連奈の言だ。

 しかしそこを踏まえても、八十点は譲れない。

 実戦派剣術の家系などという、いかにも堅苦しそうなところに嫁ぎたがる物好きは少なく、基本的に伴侶探しは困難を極める。

 要するに、例え嘘八百に過ぎなくとも、思わせぶりにしておけば親族の前で大きな顔ができるのだ

 満たされるのは、ちっぽけな自己顕示欲だが――――



「俺は風岩刃太。瞬の兄で、風岩本家の長男だ。よろしくな」

「ついでに、風岩流の現・筆頭剣士様でもあらせられるわ。つまりが、当主おじいさま以上の権限を持つ、一族内における事実上の頂点。仲良くしておくと、いいことがあるかもしれないわよ」


 連奈が、冗談めかしてメアラに補足する。

 しかし、その内容は事実だ。

 この風岩流に限っては、一族を束ねる総当主と、最優の腕前を持つ筆頭剣士は、必ずしもイコールの関係にはない。

 構成員を取り仕切る者と、流派の顔として内外に権威を示す者。

 それぞれ真に相応しい者が座に収まるべきという、極めてシステマチックな思想が根底にあるからだ。

 なにせ風岩流の剣術は、あくまで実用性重視。

 極みや真髄といった精神的境地を幻想とし、身体能力を含めた事実上の強さを基準に置いている。

 やり合えば、老いた達人よりも、成長過程の若人が勝る――――当然のことを当然のままに直視し、即座に頂点までのし上がる機会までもを設けているのは、日本武術の一門ではここぐらいのものだろう。

 とは言っても、歴代の筆頭剣士は心身のどちらも仕上がっている三十代前後が多い。

 その中で、十九歳の時から二年近くも称号を保持し続けている刃太は、極めて異例な存在であった。


「頂点! 素晴らしい響きです! 英雄的です!」

「まあ、今のところは別に、爺様の方針に不服を申し立てる気はないよ。あくまで権利の話さ」

「んで、今日はその座を狙って、分家連中が挑んでくるわけだ。勝てばそいつが風岩流のトップになるからな、名誉のために、どいつもこいつも必死さ」


 遠回しの自慢は、意外にもまったく堪えていないようで、刃太はそのままメアラと会話を始める。

 なので、瞬はみっともないながら、皮肉混じりに慌てて後から混じる形を取った。

 つくづく、風岩刃太という男との相性は悪い。

 どういうわけか、なす事全てが裏目に出てしまう。

 そう、本当に、最も自分を苦しめる形で――――

 もはや存在そのものが、煩わしい。


「分家の方々が……?」


 そのとき不意に、メアラが首を傾げる。

 散々説明はしたはずなのに、まだよくわかっていないのだろうか。

 瞬は苦笑しつつ、改めて詳しい儀の内容を教えようとする。

 だが直後、そういうことではなかったのだと、思い知らされることになる。


「ああ、だからあいつらは、本家からせめて筆頭の称号だけは……」

「先輩は、挑まないんですか?」

「え――――――――」


 その意味を考えようとした瞬間、肉体も、思考も、何もかもが急に動かなくった。

 目は最大限まで見開らかれたまま、口はかすかに開け放たれたまま。

 想定外の状況にエラーを起こした機械のごとき、完全なる停止状態。


「オレは………オレ、は……」


 愚かしく、度し難く、そして間抜けなことに。

 瞬の脳裏からは、重大極まる一点が、綺麗さっぱり欠落してしまっていたのだ。

 自分が求めるものを探し出すために戻ってきておきながら、今の今まで。

 いま訪れた思考の凍結こそが、まさに、瞬の内部に巣くう歪の影に他ならなかった。


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