第68話 揺らぐ中心線(後編)
「残存EMボールは二十二基、コアユニットを除けば十八基。まだボディのシンメトリー構成は可能。つまり逆転の余地も十二分に存在するということ!」
「アホみてえな理屈ぬかしてんじゃねえ!」
「一途と言って貰いたい! 探究と言って貰いたい! 愛と言って貰いたい!」
真正面から斬りかかるゲルトルートに対し、シンクロトロンBは小細工を捨てて立ち向かってきた。
残る球体を、コアユニット四基の左右へ数珠上に繋ぎ、二本の触手を形成。
磁力で真上に持ち上げたそれらを、ゲルトルート目がけ、依然として左右対称動作で斜めに振り下ろす。
「その無粋なマシンを相手取るには、こちらもパワーで応じるのが得策……EMフォーメーション、ウィップ!」
「ぐあっ……!」
ゲルトルートが斬撃を放つために腕を振り上げようとした、その寸前という完璧なタイミングで、触手が両肩の装甲を激しく打つ。
いかに頑丈な造りのゲルトルートといえども流石に衝撃を軽減しきれず、機体の内部を暴力的な揺れが襲った。
今の一撃で肩部装甲は左右共に大きく陥没し、右のストリームブリットに至っては発射機構にも異常が出ている。
それだけではない、肩関節も動作に問題こそ起きてはいないが、保護パーツに若干の破損があるようだ。
「そのまま、EMフォーメーション・ハンド!」
続けて、触手は一度分散し、短いながらも三本の指を備えた巨手へと組み変わる。
そして、跪いたゲルトルートを両側から持ち上げつつ、瞬が想像する以上の力で押し潰しにかかる。
「この機能、前の……!」
「僕は忘れていませんよ、かつての半身のことも。ボーイとは違ってね」
「拘り自慢は勝ってからにしろよ……!」
先の損傷がある手前、両腕で無理に拘束を押し広げて脱出するのには抵抗感があったが、そいれでもここはグレゴールに対する激昂の方が勝った。
膂力で強引に巨手を一メートルほど左右に押しやり、その隙にストリームブリットを発射して、反動で後方に逃れる。
着地よりも前にジェミニブレ―ドを振り、片指の先端に相当する球体を一つずつ破壊するものの、他は迅速にシンクロトロンBへと戻っていった。
気付けば、腕関節にもかなりのダメージが蓄積しているようだった。
劣勢に追い込まれながらも、確実に主兵装を備えた両腕を潰そうとしてくるグレゴールの戦術は見事というほかない。
相手の強み、最も厄介となる部分を封じることが相手を負かす極意であるとは、スラッシュからも散々聞かされたことだ。
「うぬぬ、ハンドでさえも! ですが大局的見地からすれば、自分に八十五点をあげてもいいくらいの判断! きっとおそらく!」
「……なんでだよ」
瞬は、無意識の内に歯噛みしていた。
ここに来て、徐々にこちらの勢いが失われつつある。
否、最初からそんなものはなかった。
唯一公正公平たりえる物理法則――――ひいては機体性能の差が、当たり前に起こるべきことを起こしてくれているだけで、流れは常にグレゴールの後押しをしている。
それがいよいよ、自分がグレゴールの気迫に萎縮してしまったことで顕在化したというだけの話。
だからこそ、問わざるを得なかった。
どう足掻いても意志の強さで競り負ける理由を。
全く解決の兆しを見せないどころか、考えれば考えるほどに難解さを増していく理由を。
「どうして、いつも、オレは、てめえらに……!」
「あのスラッシュさんと霧島さんを倒した事には大層驚かされましたが、やはりボーイの本質は紙切れの如く薄っぺらだったというわけですな。最初に対峙したあの時と、何も変わっていやしない」
「語ってんじゃねえぞ、悪人が!」
「僕をそのような下らない定義に当て嵌めるのは止めてくださいよ、我々の間で使うべき物差しは、願望の熱量計であるはずだ」
まさに、グレゴールが指摘するとおりなのだ。
数知れぬ人命を奪ってきた稀代の殺戮者と、凶行を食い止めるべく立ち上がった守護者。
その構図は正しくあれど、メテオメイルパイロット同士の内なるメンタリティにまで適用されるものではない。
自分達の武器になっているのは、独善的なまでの欲求。
事実上、それぞれの偏執性がいかに強大であるかを誇示する勝負になっているのだ。
例え反射的にとはいえ、自慢は勝ってからにしろと宣った自分の、なんと愚かしいことか。
戦場にて自分のなすこと全てが、培ってきたものの自慢であるべきはずだというのに。
そして、その強度において、瞬はグレゴールに――――他の誰にも、大きく劣っている。
だからこそ、本当なら使うはずではなかった。
使うべきではなかった。
使いたくなどなかった。
解き放ってしまえば自分の弱さを証明してしまう、あまりにも強すぎる、その力を。
「御託はたくさんだ……オレは、勝たなくちゃならねえんだ。勝って、英雄にならなきゃいけねえんだ!」
あとは、自暴自棄から生まれた、闇色の熱情に身を委ねるだけだった。
瞬はゲルトルートを反転させて、ただひたすらに距離を取る。
背後から、シンクロトロンBが僅かに機体を浮遊させて、追ってくるのが見えた。
「敵前逃亡とは、見下げ果てましたよ! そこまで根性のないボーイだとは!」
グレゴールの批難は的外れもいいところだった。
二十秒近くも全速力でシンクロトロンBから離れているのは、これからやるべきことに、長い助走を必要とするからだ。
瞬は、もう一つの狙いである、シンクロトロンBの巨体が建造物に干渉して動きを鈍らせた瞬間を見計らい、そこでようやくゲルトルートを再度反転させた。
続けて、両脚で順番にアスファルトの地面を蹴り、背面と脚部スラスターの一斉噴射で離陸。
シンクロトロンBが邪魔な障害物を押しのけている今が絶好の機会だった。
その間に瞬は、それを実行するためだけに用意された専用のグリップを操作し、ゲルトルートをもう一つの形態へと変えた。
「……もう、根性なんて関係ねえんだよ」
「まだ、隠し球があるというのですか!」
ゲルトルートに起きた異変に、グレゴールが仰天するのも無理からぬことだった。
鳴動を始めた漆黒の巨体は、まず胸部が前後にスライド移動を始め、分割される。
次いで、生まれたスペースの中へ、腹部が上昇して潜り込んだ。
連動して、下半身が股間部から左右に分割し、後部に九十度回転。
背面にある円錐状大型メインスラスターの両脇に移動し、推進装置が並列に三基揃う形になる。
そして、頭部が下方に収納されると同時に、両腕は正面方向に向けられる。
その後、両腕が中央に寄せられ、地面に向けて水平に伸ばされた左右のジェミニブレードが刀身の峰同士を接続。
かくして再誕した姿こそが、ゲルトルートの奥の手だった。
「これで……!」
複雑な工程とは裏腹に、変形はものの二秒半で完了。
完成したのは、一振りの重厚なる暗黒剣。
変形に伴う空気抵抗の減少により、それはより一層加速し、五百メートルほどの距離を巻き戻ってシンクロトロンBに迫る。
「これで、終わりにしてやる……!」
二番機のクリムゾンストライク。
三番機のゾディアックキャノン。
これらのような、ひとたび命中すればあらゆる劣勢を覆す、必滅にして必勝の威力を秘めた“究極の一”――――言わば決戦兵装、または決戦攻法とでも定義しうるもの。
より確実な勝利を掴むため、勿論ながら、それは四番機であるゲルトルートにも実装されることとなった。
クリムゾンストライクを面、ゾディアックキャノンを線の攻撃とするなら、次に求められるのは点。
攻撃範囲を極限まで限定する代わりに、あらゆる手段を以てしても防ぐことのできない、絶対の破壊であった。
そして生まれたのが、機体そのものを変形させ、刺突兵器として突撃させる戦術“スクリームダイブ”。
奇しくも類似の運用法を先んじて実現したカイザーネビュラの鹵獲によって完成度が高められ、性質上どうしても付きまとう命中精度の問題以外は全く隙のない性能に仕上がっていた。
“悲鳴”と“潜行”。
今から起こる全てを、これ以上なく簡潔に体現する名称であると、瞬は改めてその意味を噛み締める。
「苦し紛れの捨て身特攻というわけですか。しかし、そんなものにやられる僕の分身ではありませんよ! EMフォーメーション、ウォール!」
グレゴールは途方もない自信に満ちた声で、己が身を守るためにシンクロトロンBをまた新たな形態へと組み替えた。
残る球体がシンクロトロンBの十数メートルほど前方に集結し、ゲルトルートの進路上に、二重円の盾を形成。
内側に四基、外側に十二基、その全てがダイレクトに接続。
質量による堅牢さのみならず、磁力で生み出した反発力も一方向に集中させた、金城湯池
かつ金剛不壊の防壁というわけだ。
並の機体では、触れることさえできずに押し飛ばされることだろう。
近接戦対策としては、間違いなく最上級の類。
だが――――
瞬は、グリップに設けられたもう一つのスイッチを押し込む。
途端、一気に加重が倍以上に膨れあがり、外の風景は視認できる限界を超えた。
「貫け、ゲルトルート……! ごちゃごちゃした理屈も、全部!」
衝突の寸前、三基のスラスターから爆発的な噴流を解き放ったゲルトルートは、障子紙でも貫通するかのように盾の中央を突破する。
レーザーと実体、二段の刃に抉られ、内側の円を構成していた四つの球体は外部へと弾け飛んでいった。
しかし、その光景が瞬の目に映るのも一瞬のことだ。
「そんな、馬鹿なことが! これはまずい、すぐに退避を……」
いかに強靱な刃でも、時速五百キロ前後という本来の加速力では、刺突の威力はたかが知れている。
強力ではあっても、目を見張るほどのものではなく、他のメテオメイルが同等の結果をもたらすことも難しくはないだろう。
グレゴールも、そう踏んだからこそ、恐れる様子を見せなかったのだ。
だが、ここに瞬間的な超過推力を含めることで、スクリームダイブはオンリーワンの性能を獲得する。
一戦につき三回までの使用制限が課された、スラスターに過度の負担をかけることで絞り出す絶大なパワー。
これにより、ゲルトルートは一度の使用で約五秒ほど、音速の世界に足を踏み入れることができた。
結果、威力は一気に乗倍の域へと達する。
そしてこのとき、ゲルトルートの周囲を流れる空気が奏でる音は、上品さを保った低音の独唱から、強引に大気を殴り抜ける、不規則で重苦しい唸りへと変質する。
まるで力ずくで引き裂かれて、悲鳴を上げるように。
もっとも、その叫びを聞くことができるのは、ごく限られた短い時間だけだ。
次の刹那、ゲルトルートはもう、スラスターの噴射を終えていた。
「遅えよ……」
何故ならもう――――自身の前方に携えた巨剣を、打ち破った盾の更に向こう、シンクロトロンBのコアユニットへ深々と突き刺すことができたのだから。
Y字状に配置された四つの球体、その中央部を抉るジェミニブレード。
例えそこにコクピットが配置されていなくとも、どのみち致命傷だ。
変形したままのゲルトルートは、傷口から激しい火花を散らすシンクロトロンBと共に、慣性に従って長い距離を滑り続ける。
片や五百八十トン、片やその四倍近い大質量同士がぶつかり合った衝撃で、周囲の建造物は未だに反響で震えていた。
そこに、遅れてやってきたゲルトルートのオーバーブーストの余波が加わり、窓ガラスやネオン管類が根こそぎ粉砕される。
「う……お、あ……」
そうしてやっと訪れた静寂の中、グレゴールの呻き声が多分にノイズを含んで瞬の元へ届く。
傷の具合がどの程度か、はっきりとわかる息づかいだった。
あまりにも生々しすぎて、思わず通信を切りたくもなった。
敵である瞬には、シンクロトロンBのコクピットの正確な位置など、知る由もない。
メテオメイル戦のセオリーに則って、物理的な中枢を穿っただけだ。
だが、そういうことだった。
「僕のシンクロトロンBが、醜く中央部を突き破られるとは……。こんなことが、あっては、なりません……せめて、せめて綺麗に両断を! 僕の肉体を、魂を、綺麗にシンメトリーにして下さい! 僕自身がシンメトリーの体現者となれるのならば、悔いはありません、どうか、ご慈悲を!」
「残念だったな……ゲルトルートに、そんな器用な真似はできねえんだ」
死傷を超克した上での、けたたましい嘆願が瞬の鼓膜を打った。
どこまでも間の悪い男だと、瞬は心中で呟く。
もう少し早く現われようものなら、セイファートで再戦することもあったというのに。
もっとも、そんな対決が実現していたとしても、素直にグレゴールの要求を呑むことはなかった。
それは、つまらない身勝手で世界中の人間を苦しめたことに対する罰でもあったし、敵である人間に、自分より先に願いを叶えさせるわけにはいかないという狭量さの発露でもあった。
「ああ、もう、全く……芸術性の欠片もない最期を迎えるとは、無念の極みです」
訴えが無駄と悟ったのか、或いは物理的要因の方か。
グレゴールはようやく大人しくなって、静かに呟いた。
その落ち着き払った態度が、薄らぐことのない信念の強が、瞬の神経を撫でする。
結局グレゴールは、終わりを目前にしても、後悔の念に駆られることも、拘りを手放すこともなかったのだ。
これでは、まるで、どちらが――――
「僕が身命を賭して積み重ねてきた、シンメトリー世界の創造という理想が、現実に迎合しただけの何一つ成し遂げられないボーイに、こんな粗雑な形で終止符を打たれてしまうなど、予想だにしませんでしたよ……!」
「成し遂げてねえだと!? オレは今、あんたを倒した! これが成果だ!」
いつもそうだった。
自分の言っていることが的外れかどうか、言う前からわかっている。
真実を受け入れるのが嫌で、ただ口答えでその場を凌ぐ。
しかし、その悪癖すらもまた、風岩瞬という男はおそろしいまでの手際で誤魔化してみせるのだ。
「この戦いは、僕の負けです。ですがボーイ……あなたもまた、惨めな敗北者だ。充足こそ勝利、充実こそ達成、充溢こそ正善。断じて、逆などでは、ないのです。……実に哀れ、実に憐れだ」
「黙れよ……もう、黙れ」
瞬の要望通り、それからもう二度と、グレゴールが言葉を発することはなかった。
動力部を外しているのだから当然のことではあったが、物言わぬ鉄屑と化したシンクロトロンBは爆発さえ起こすことなく、ただ冷えゆくのみ。
瞬はゲルトルートを元の人型形態に戻すことすらせず、ただ呆然と、時間が過ぎるのを待った。
もう、一歩足りとも動く気力がなかった。
『ゲルトルートを除いた周辺エリア内の高エネルギー反応、完全に消失。監視衛星による広域探査でも、増援と思しき機影は見受けられず。……お疲れ様、風岩君。撃墜成功という意味では、白星二つ目かな』
「……スクリームダイブを使っちまった。もはや凄くもなんともねえよ、オレは」
ねぎらいの言葉をかけてくるセリアに、瞬は陰鬱な表情のまま応じる。
ゲルトルートの通常武装を駆使して戦うだけなら、まだパイロット個人の技量が介在する余地は残されていた。
しかし、スクリームダイブを解禁した時点で、最後の言い訳も破産したようなものだ。
数時間程度の慣らし運転を経れば誰にでもできることをできたまでの何かに、成り下がった。
度の過ぎた自嘲であり卑下であることはわかっている。
だが、使わずに勝つという信念さえも捨ててしまった今の自分を褒め称える気には、到底なれなかった。
「拘りを貫き通して破滅するなんて馬鹿のやることだ。だけど、オレも、オレだって、本当はそうやって生きてえんだよ。でも、行けねえんだよ、セイファートじゃ……! だったら、勝って英雄を目指すくらいしか、残らねえだろうが……!」
涙が零れることはなかったが、瞬が絞り出したのは、嗚咽以外の何物でもなかった。
道標を見失いつつある中で、それでも自分の胸中をほじくり返して取り出した正直な心情であり、今できる精一杯の反論。
現実を余計なことと切り捨てた際物達から、半端者だの薄っぺらだのと好き勝手に罵られ、悔しさで頭が煮えくり返りそうになる。
同時に、彼らの鮮烈な生き様に憧れ、そうありたいとも思う。
それでも、滅びを良しとはできずに、踏みとどまる自分がいる。
虚無の未来か、満たされた死か。
戦いの果てに、自分の願いは叶うのか。
それ以前に、自分が真に叶えたい願いとは何なのか。
他人の命を貫いておきながら、己の貫き方さえ、瞬はまだ知らない。




