第67話 揺らぐ中心線(中編)
直進。
そう直進。
セイファートに乗っていた頃は、腕前が上達するにつれて、いつしかやる頻度が減っていった愚直な軌道。
せいぜいが、急に途中で上下左右へ舵を取り、敵を撹乱するためのものだった。
敵機まで肉薄するのは、確実に不意を突けると踏んだときくらいか。
正面突破を試みるという発想を――――それ以外にも数多くの、当たり前とされる行動パターンを、どんどん頭の片隅に追いやっていた気がする。
(少し前の感覚を思い出せ。変に利口ぶるな。びびってんじゃねえ。これが普通なんだ。このくらい無理に突っ込んでも問題ねえんだよ……!)
機体特性に合わせて動作の効率化を果たしたのか、それとも理想を追求しすぎるあまりに自らを歪に矯正しただけなのか。
拘りと実用性、自分にとっての正常は、果たしてどちらか。
最終的に自分にとって益となるのは、 果たしてどちらか。
(迷ってんじゃねえ、攻めろ。こいつは攻撃一辺倒でいい、それだけでいい!)
セイファートとは基本コンセプトが一変したゲルトルートを駆る瞬の思考は、水と油をまぜくり返したかのように、ひどく混乱していた。
その意味で、瞬が本当にねじ伏せるべき相手は、眼前のシンクロトロンではなく、自身の中で荒れ狂う迷いの大渦。
もはや天秤にかかるくらいに、瞬はゲルトルートの力を認めてしまっている。
「このシンクロトロンBに接近してくるなど愚の骨頂! EMクラッカー、多重、展開!」
グレゴールが喜悦混じりの叫びを上げると、シンクロトロンBを構成する無数の赤い球体の内、後部に配置されていた十個が外部へ向けて射出される。
電気の綱で本体と繋がれたそれらは、射出時と同様に不可視の力が加えられて、弾けるように加速を開始。
本体を軸に遠心力で回転し、左右から挟み込むようにゲルトルートを襲う。
シンクロトロンBの間近に迫った瞬の視点からすれば、両手で叩き潰される蚊か蝿のような構図だ。
命中までの一秒と少しでは、無傷ではね除けるアイデアが思い浮かばない。
瞬は水平方向に伸ばしたゲルトルートの腕を直角に曲げ、ジェミニブレードの峰で、最下段の二つを同時に受けることにした。
直後、球体の衝突により、コックピットの内部にも衝撃が走る。
「パーフェクトシンメトリー攻撃、見事に命中! おやおや、どうやらその機体、以前ほどの機動力はない模様。これは好都合ですね」
「っく……!」
瞬は微かに呻きながら、モニターに表示された機体の被害状況を見遣る。
そして、今の直撃を受けても、両腕には一桁パーセント台のダメージしか蓄積されていないことを知り、また別の吐息が漏れた。
セイファートの実戦投入段階で、既に過去のフレームであったTypeDフレームは、既存の三機がまともに戦えないほど可動範囲が限定されている。
その代わりに、尋常ではない堅牢性を誇り、総合的な強度は最新のTypeFにも匹敵する。
あちらが芸術的構造によって実現した“柔”とするなら、こちらはシンプライズされた構造が持ちうる“剛”といったところか。
一撃一撃が致命傷となりうるセイファートに乗っていたせいで感覚が麻痺していたが、この程度は判断ミスどころか、接近戦を行なう上での許容範囲なのだ。
「以前ほどヤワくも、ねえんだよ!」
瞬は即座にゲルトルートを右側に寄せると、ジェミニブレードを全力で振り下ろし、本体の元へと戻り始めた球体の一つを破砕する。
これでまた一つ、シンクロトロンBのパーツを削ることに成功した。
しっかり中心部近くを狙う必要こそあるものの、一振りで大破させられるという絶大な威力。
凄まじい切れ味を持っているとはいえ、刀身質量の関係上、どうしても大したダメージにならないジェミニソードとは大違いだ。
「モジュールナンバー16に続き17が欠損……このままではいけない、シンメトリー状態を崩すわけにはいかない! 幸いにして破壊されたのは二箇所、これなら安心! モジュール、再配置!」
グレゴールは慌てふためきながら、大きくシンクロトロンBを後退させる。
その際、EMクラッカーで分離させた球体も、それ以前に空中のゲルトルートを迎撃した球体も、宙を漂い自動で本体に帰還していく。
また、完全に元の場所に戻るのではなく、欠損箇所を補うようにして左右対称の外観を整えているようだった。
「……不気味な野イチゴだ」
一目見たときから思っていたが、瞬はシンクロトロンBを、そう形容する。
見た目にさして気圧されないのは、実家の周囲に広がる山林で、飽きるほど口にしてきたせいもあるかもしれない。
「バブルだと言っているでしょうに! まったく、他人の神経を逆撫ですることに関しては一流のボーイだ!」
「赤い泡があるかよ!」
「そうやって口答えばかりを!」
再び距離を詰めようとした矢先、シンクロトロンBは、再び無数の球体を本体から分離させる。
今度は、球体同士が電気の綱で接続され、本体を中心に半円状の平面が形作られた。
そしてそれは、撃ち出されるような勢いで、弧を描きながらゲルトルートへと飛来。
瞬がコンマ数秒前に想起したとおりの用途として使われることとなった。
「今度は投げ網漁か……!」
「EMフォーメーション・ネット! この美しきシンメトリー領域で、ボーイの身動きを封じてあげましょう」
「やれると、思ってんのかよ!」
瞬はゲルトルートを急上昇させ、ジェミニブレードを振り上げる。
こんなちゃちな仕掛けで捕縛されるゲルトルートではない。
基部となる球体は、こちらの大剣の威力を以てすれば十分に破砕可能。
電気の綱も、かなり過密に収束しているようだが、所詮はエネルギーの集合体。
断ち切ることは難しくなさそうだ。
だが、飛び上がった直後、これまで事態を静観していたセリアが声を張り上げる。
『周辺の磁場に異常発生……! 領域内のウェーバとアンペアが急激に増大している、このままじゃまずい……風岩君、後退を!』
「そんな科学的なことは、オレには!」
「時既に遅し。さあ、シンメトリーな体勢で平伏しなさい!」
ジェミニブレードが振り下ろされるよりも一瞬早く、それは作動する。
ゲルトルートを覆い尽くした網の内部で、一斉に弾けるスパーク。
気が付いたときには、ゲルトルートは凄まじい引力によって地面に叩きつけられていた。
周囲の建造物や車両も、みしりみしりと音を立てて縦方向に圧壊を始めていく。
のしかかる重みはかなりのもので、ゲルトルートはうつ伏せになったまま、身を起こすことも叶わない。
「くそっ、重てえ……!」
「どうです、僕が考案した磁力結界の味は。如何なる機体も金属の塊である以上、この効力から免れることはできません。物理ダメージを軽減するレイ・ヴェールも反応しない、まさにパーフェクト兵器。当然磁場の操作も完全なシンメトリーにて行なっています。目に見えないからといって手は抜いていませんとも! このままじっくりじわじわ、地味に破壊されてくださいよ!」
「……よく喋るおっさんだ」
せめて膝立ちにでもなれれば僅かずつでも前進できるだろうが、両腕が剣と化しているゲルトルートは、上体を起こすことが非情に困難となっている。
自動で体勢を戻す補助動作プログラムは搭載されているが、イレギュラーな負荷が全身を襲うこの状況下では実行不可能。
徐々に機体がアスファルトに埋没していき、みしみしと悲鳴を上げる。
薄暗いコックピットの中、瞬はこれ以上沈むまいと、ゲルトルートの両腕に力を込めて抵抗する。
『おそらく、電磁力を発生する全ての球体型装置が共鳴し合って、内側の空間に存在する金属物質に干渉しているんだ。多方向からの反発を持ちいた、圧力による攻撃……さしずめ計算され尽くした力技といったところかな』
「打開策は!?」
『反発力以上のパワーで強引に動くか、磁力の発生源であるあの球体を破壊するか、のどちらかになるだろうね……』
「強引に……」
瞬ははっとして、モニター上にサブウィンドウを開き、ゲルトルートの搭載兵装一覧に目を遣る。
ジェミニブレードを除いた、残る三つの攻撃手段。
その内一つは、この状況下でも使用可能で、かつ磁場領域から脱出する取っ掛かりになり得るものであった。
しかし、あくまで武装は武装。
うつ伏せになっている現状、使えば、少なからず反動ダメージを受けてしまう可能性も孕んでいる。
もっとも、手段を選り好みしていられるほどの時間的猶予もない。
機体が内部崩壊を起こす前に、試すだけは試してみるのがベターな選択だ。
「こうなったら、やるっきゃねえな……!」
問題は無事に成功した後の行動だが、そこは未来の自分の機転を信じるしかない。
瞬はS3経由で、打開の一手である肩部武装を起動した。
思考コントロールによるアクセスを受け、即座に両肩の内部機構が蠢き出す。
予測される事態に備え、瞬は緊張した面持ちで身構えた。
「ストリームブリット!」
刹那、鼓膜を突き刺す激しい破裂音と共に、押し寄せる濃密な白煙が半球型モニターを覆い尽くす。
視界は閉ざされるものの、後方に殴りつけられるような衝撃が、瞬に確かな手応えを感じさせた。
どうにか動くようになった両脚で、確かに大地を踏みしめる。
「ホワッツ!? ボーイは一体何を!?」
「……裏技だよ」
グレゴールが動揺の声を上げる最中、瞬はもう一度同じ武装を発射して、細粒化した瓦礫片を自機の周りから完全に吹き飛ばしてみせる。
ストリームブリット――――それは、ゲルトルートの肩部アーマーに内蔵された、圧縮空気弾生成機構。
セイファートの追加装備として開発された防御兵装“ストリームウォール”の応用型で、生成機構の表面を覆うことしかできなかったあちらとは異なり、こちらは一発の砲弾として形状を保ったまま発射することが可能だった。
原理としては、バウショックのギガントアームに用いられているエネルギーの空間固定制御に近い。
射程は短いものの、ジェミニブレードが振り抜かれた隙をカバーするという開発経緯的には、さして気にならないレベルだ。
瞬はこの武装を地面に向けて零距離発射し、反動で機体を起き上がらせたというわけである。
当然、巻き上げた瓦礫の粒が内部に入り込んでしまうが、代償としては安い部類だ。
全方位から襲い来る反発力に耐えながらも、ゲルトルートはどうにか直立を維持する。
「なるほどなるほど……しかし、結界の効力は今だ健在! 強弱のバランスを崩して転倒させてやれば!」
「その前に、突き抜ける!」
一部方向からの磁力が反発ではなく誘引へと変化し、ゲルトルートはたまらずふらつく。
しかし、引き倒される前に、瞬は地面すれすれを最大加速で飛行した。
そして、行く手を阻む球体の一つをジェミニブレードで叩き割る。
自然、その球体から伸びる三本の電気の綱も途切れ、領域からの脱出口が完成。
瞬は、そのまま外部へと飛び出たゲルトルートでシンクロトロンB本体を目指す。
球体の半数近くを網の構成に費やしたシンクロトロンBは、体積の減少によって防御力も心許ない。
勝負を決めるなら、今が絶好のチャンスだった。
だが、無抵抗で受けるグレゴールでもない。
「ならば今度は、こちらも質量攻撃でお相手しましょう。EMフォーメーション、トルネード!」
直後、シンクロトロンBは残る球体の内、グレゴールが搭乗していると思しきコアユニットと、その周囲三つを残して分離。
一度バラバラに散開したそれらは、再び整った陣形を組み、ゲルトルートの周囲を超高速で回転し始める。
「回転している以上シンメトリーとは言えませんが、視覚的には事実上シンメトリー! さあどうです、第二の牢獄は」
「また厄介な真似を……!」
輪状の包囲陣が、縦に四段積み重なって作り上げられた、赤い竜巻。
その内側に、ゲルトルートは閉じ込められてしまったというわけだ。
外の光景が視認出来ないほどの猛スピードで回転し続ける球体に触れれば、ゲルトルートと言えどかなりの損傷を負うのは必至。
無理に突破しようものなら複数の球体が次々と衝突することになり、事実上防ぎ切ることは不可能だ。
「よく考えられていやがる」
瞬という人間の口から他人を賞賛する言葉が出てしまったのは、最初は半径五十メートルほどあった竜巻内の空間が徐々に面積を狭めているからだ。
一週毎に、微細に軌道を変更して内側へ――――このままでは、いずれ巻き込まれてしまう。
先の磁力結界もそうだが、向こうのエネルギー枯渇を期待して待つという選択肢はないようだ。
まず間違いなく、機体やパイロットが限界を迎えるまでに、先に敵を仕留められるよう計算されている。
「できれば無傷で抜けたかったが……」
立ち往生するゲルトルートの中、瞬は視線を上に向けた。
抜け道自体は、探し出すまでもなく、そこにある。
軌道の関係上、この竜巻は真上方向をカバーできていないのだ。
だが、セイファートとは違い、ゲルトルートのスラスターでは垂直上昇は不可能。
高度を稼ぐためには、長い距離が必要だった。
とすれば、答えは決まっている。
こちらも新たな攻撃手段で対抗するだけだ。
最初にそうしなかったのは、確実に通用するという保証がなかっただけに過ぎない。
「さてさてさて、どうします? 黙っていても接触まで残り十五秒、早く手を打たなければゲームオーバーは確定ですよ」
「ジェミニブレードの機能を、試す!」
瞬はそう声高々に言い放ち、操縦桿のスイッチを押し込む。
瞬間、強風が吹き荒れコンクリート土砂が舞う空間の中で、眩い光が煌めいた。
それは、ゲルトルートの刃から放たれる光。
ジェミニブレードはただの実体剣に非ず。
刀身内部には高出力のレーザー光発振装置が組み込まれており、それを刃に纏わせることで、破砕に加えて超高熱による溶断の能力を付加することが可能だった。
突き入れれば折れてしまうのではないかという、これまでに植え付けられた抵抗感をかなぐり捨て、瞬は眼前の竜巻に向けて×の字斬りを繰り出した。
幾つもの球体が刀身に激突し、腕に伝わる振動を通してゲルトルートが一度大きく揺れる。
だが、受けた衝撃は、たったそれだけ。
金属が砕け散る耳障りな轟音と共に、五つの球体が赤熱する断面を覗かせながら地面に落下していった。
今の一振りで、それだけの数を破壊することに成功していたのだ。
「また、そのシンメトリーソードですか! 知恵を使いなさい、知恵を! 美しいけど美しくない!」
「知ったことかよ……そういう機体なんだよ!」
ジェミニブレードを振り回し、続けて四つの球体を破壊するゲルトルート。
残りの球体は慌てふためくようにして本体へと帰還。
先程磁力結界を展開していた分も、ゲルトルートが竜巻に閉じ込められている間に帰還しており、シンクロトロンBは再び完全な球体塊の姿へと戻る。
だが、もう三分の一近くのパーツを破壊されており、サイズは大きく萎んでいた。
もはや、一つ一つのパーツが巨大であった旧シンクロトロンと大差ないレベルだ。
「残念だが、結局てめえの策はどれも、力押しで突破できるみたいだな」
「こんな筈では……! うぬぬ、まさかこのような機体が……!」
グレゴールが怨嗟めいた呻き声を上げるのも、無理からぬことだった。
幾度も追い込まれた割に、ゲルトルートの損傷率は驚くほど軽微。
逆に、絶えず攻め続けるシンクロトロンBは、それ自体が武装である球体パーツを大量に損失している。
大きく流れが一変でもしない限りは、ゲルトルートがこのままシンクロトロンBを削り倒す。
結果的にはかなりの優勢であり、瞬はゲルトルートという機体の、とことんまで無駄のない実戦仕様に感服する。
その時不意に、もう三ヶ月以上前のことになる、グレゴールとの一戦目の記憶が蘇った。
(セイファートの戦闘記録を見たときに、僕は狂喜しましたよ。何せ僕のシンクロトロンは、セイファートのメイン攻撃手段である斬撃への効果的な対策を備えているのですからね。僕は天啓と受け取りましたよ、セイファート撃破の大手柄は僕のためにあるのだと!)
(こいつ脆すぎだろ! その他一般の現代兵器みたいに一発一発に対してビクビクしなきゃいけないの、まじ怖いんだけど! スーパーなロボットに乗った気が全然しねえ!)
最初に抱いた不満点の全てを解決したメテオメイルが与えられ、シンクロトロンBが披露する攻撃の尽くを打ち破るという、真逆の立場にある現在。
かつて苦戦した相手を追い詰めているのだから、普通なら、喜んで然るべき場面なのだろう。
だというのに、どうして、こうも、自分の表情筋は――――
「しかし、僕の心を折るにはまだまだ遠いと宣言しておきましょう。飽くなきシンメトリーへの憧憬が、情熱が! あっさり宗旨替えを果たしたボーイに負けるわけがない! その浮ついた不均整メンタルに劣るはずがない!」
「うるせえ、うるせえうるせえうるせえ……命の掛かった戦いなんだから、拘りを捨ててでも勝ちにいかなきゃなんねえんだよ! てめえらみたいに酔狂には生きられねえんだよ、オレは!」
瞬は、決着の刻がもうすぐそこまで迫っているのを感じて、ゲルトルートの基礎出力を最大限まで引き上げる。
願わくば、そのエネルギーが、ここまで隠し通してきた最終手段には使われずに済むと信じて。
 




