第5話 制定(前編)
「……今日も一日お疲れ様だぜ、オレ」
ラニアケアの一画に合計六棟が並ぶ、ヴァルクス隊員用の大型宿舎。
その中にある、自分用に割り当てられた最高グレードの個室に戻るなり、瞬はベッドの上に身を投げ出した。
まだベッドの感触には慣れないが、フローリングに布団を敷くよりは幾分か回復効果が高いことは実証済みである。
瞬がヴァルクスの正規隊員としてラニアケアでの生活を始めてから、約一週間が経つ。
その間、オーゼスは一度として姿を見せていない。
突如として実戦投入されたセイファートというイレギュラーに対し、計画の練り直しを余儀なくされているというのが通説であり、瞬もそのように納得していた。
そのおかげもあって、操縦訓練に打ち込む余裕が生まれ、ある程度まではセイファートを自由に操ることができるようになっていた。
だが、マシントラブル時の各種対応や戦闘時の機体ステータス手動調整など、細かい機能についてはまだまだ覚えることが山のようにある。
オーゼスには、できればあと数ヶ月は南極に存在するという本拠地に籠もっておいて欲しいが、そこまで都合の良い話はないだろう。
再びメテオメイルを駆って襲い来るのは明日か、それとも今夜か。
機体の回転や加速に伴う加重まで再現された球体型シミュレーターマシンを長時間使用したことによる肉体的疲労も勿論あるが、ここ数日安眠できていないのは、やはり敵がいつ現れるかもわからない緊張と不安によるものだろう。
理屈としてはわかっていても、肉体が素直に応じてくれるわけではない。
天井のシーリングライトをぼんやりと眺めながら、瞬は寝付けない不快感を忘れるべく、ぼんやりと思考と巡らす。
「あいつらも、こんな風なのか……? いや、ないな。絶対ない」
北沢轟、そして三風連奈。
自分と同じく、メテオメイルを操縦しオーゼスと戦うために招集された少年と少女。
元より親戚としてその性格を把握している連奈も、お互いの身の上について話した事のない轟も、一度の相対で十分以上に理解できる強烈な生き様から、自分のような当たり前の感覚を持ち合わせていないことを断言できる。
轟は闘争を日常とする獣だ。
余計な事は考えず堂々と眠り、敵が来たとなれば、当たり前のように戦う。
気分を休める時とそうでない時のスイッチを切り替えるという概念自体がなく、いつでも力を振るう事ができるのだろう。
連奈は非日常という刺激にこそ昂揚を覚える偏奇者だ。
退屈に塗れた日々を嫌悪し、危険に飛び込み陥ることでしか充実できない。
その意味では、むしろ仮初めの平穏が続くこの状況にこそ精神が参っているはずだった。
二人とは、最初に顔合わせをしたあの日以降、食堂やシミュレータールームですれ違うことはあっても、まともに会話した覚えがない。
あちらにも、そしてこちらにも、そんなことをする気が更々無かったからだ。
あの二人は、立場の上では仲間であっても、心情的には全くそうではない。
ただ同じ過程を経て同じ場所に集っただけの、近くて遠い他人だ。
轟も連奈もそういうスタンスを取っている事に最初は憤慨したものだが、思えばそれがもっとも無難な関係なのではないかとも、瞬は思う。
生き方が余りにも違いすぎて、擦り合わせようとしても、ろくな結果にならないことが容易に想像が付くからだ。
幸いにして、機体はいずれか一機しか出撃できない以上、チームワークを意識する必要はない。
とりあえずは、自分のことだけに集中していればいいのだ。
「みんな自分の考えがあって戦ってるんだ、足並み揃えるとか、そんなことをやり出すのは野暮ってもんだ。あいつらが何しようが、ほっとけばいいんだ……」
考えるならば、やはりつまらない事柄に限ると瞬は思う。
ようやく、心地良い眠気がやって来た。
このまま一気に深い眠りへ落ちるべく、瞬はもう少しだけ思考を回すことにした。
二人の事を考えていて、川の流れのように、ごく自然とその題目は浮かんできた。
「オレは……オレの道は、あいつらに匹敵するぐらいのわかりやすい何かなのか……? あいつらはただ無茶苦茶なんじゃない、賛同はしかねるし、真似しようとも思わねえが、でも馬鹿みたいに自分を貫いてやがる。オレはどうなんだ? 負けてねえよな、大丈夫だよな……?」
そのまま意識が雲散霧消したことが、何よりの答えであった。
明確な答えが出せない問いほど、人を速やかに眠りに誘うものはない。
その、二日後。
瞬、轟、連奈の三人は、緊急の招集を受けて再びケルケイムの執務室に介する事となった。
出撃命令とはまた異なるアナウンス内容であったため、ただの事務的な連絡かと思い、瞬達は特に急ぐでもなく足を運ぶが、しかし呼び出した張本人であるケルケイムは、戦闘時にも匹敵する極めて深刻そうな表情を浮かべていた。
「……なんか、起きたのか?」
察した瞬が、おそるおそる尋ねる。
ケルケイムは机の上に置かれた作業用端末を一度スリープ状態にしながら、複雑な感情を宿した瞳で、その問いに答えた。
「今朝、ニューヨークの地球統一連合政府本部に、オーゼスから会談の申し入れがあったそうだ」
「何だって……?」
「送られてきた電子メールは、世界各地のサーバーを経由しており発信源は特定できなかったものの、オーゼス内部の人間でもなければ到底知り得ない情報が幾つか散見され、悪意ある第三者の仕業でないことはほぼ確定らしい」
「……マジかよ」
瞬は誰もがそうするように多少の驚きを、轟は何故そんな回りくどい真似をと憤り、連奈は面白い事があるものだと目を輝かせる。
“エンベロープ”の男の言い分は、あながち間違いではなかったというわけだ。
これまで何らかの理由により、連合を始めとした外部の人間に接触はしてこなかったが、しかし心情としては接触したくないわけではないと――――
「原因はやっぱり、セイファートの一件かしら?」
「会談を希望する理由は不明だそうだが、間違いなくそれを引き金にしての決定だろうな。だが、停戦や降服に関する穏当なもののようには到底思えない。たった一機のメテオオイルが連合の戦力となった程度で、ここまで一年近く続けてきた侵攻を止めるとは、とてもな」
「当たり前だ。ここでお終いなんて事になったら、俺はいよいよブチ切れるぜ」
「それで、連合のお偉いさん方は、会談を受けるって?」
「それなのだがな、そこからが、この話の本題だ」
ケルケイムは、三者三様に落ち着かない瞬達の気を沈めるように、しばしの間を開けてから再び口を開く。
「会談場所は連合の側で自由に決定していいとの事だが、会談に臨むのはオーゼスのトップに位置する人物らしく、その安全確保の為に、移送にはメテオメイルを使用すると言ってきている。この条件が呑めなければ、会談を行わないともな。こうなると、会談を行うこと、それ自体には乗り気であった連合政府も、少し考えを改めなければいけないわけだ」
「オーゼスはもはや、既存の法律に当てはめて裁くことすら難しい人類史上最悪の武装組織。この申し入れ自体がブラフで、メテオメイルで暴れ回って官僚を虐殺しようとも、あちらには痛くも痒くもないというわけね」
不穏当な内容と反比例するかのような弾む語調さえ除けば連奈の言葉は全くの正解だと、ケルケイムは言外に匂わせ、厳しい目つきで頷く。
会談場所が何処になろうが、あちらに今更法を犯すデメリットがない以上、そこに連合政府の人間を向かわせるのはリスクが大きすぎる。
彼らの身の安全を期そうと、何処か軍事力の整った施設にでも設定すれば、そこが潰されるという意味で、尚更リスクは大きい。
では、何処ならば比較的安全なのか。
その問いに対する答えは、既に連合が用意していた。
「……そこで提案されたのが、会談場所を、ここラニアケアにするというものだった」
「馬鹿言うなよ、切り札だろうが、ここは! オレ達は! わざわざ危険に晒してどうすんだよ」
瞬はあまりにも納得がいかず、ケルケイムへ向けて一歩踏み出しながら言い放つ。
それに反論するのは、ケルケイムではなく、隣で冷笑する連奈だった。
「私は、理に適っていると思うわよ。だってここには、オーゼスのメテオメイルに対抗できる戦力があるじゃない。セイファートという、既に一度、メテオメイル同士の戦闘で彼らと互角以上に戦えた実績もある機体がね」
連奈の言葉は、最大限の嫌味であると同時に、しかし正論であった。
単純な理屈ではあるが、万が一会談を破棄して武力を行使しようとする彼らを止められるかどうかという点だけに的を絞れば、それが可能なのはセイファートしかない。
確実に止められるわけではないが、可能性でいえば、セイファートだけが現実的な数値を持つ。
「他にも、理由はある。ラニアケアは海上を航行可能なため、連合が展開している防衛ラインの外側まで移動できる。ラニアケア自体は危険に晒されるが、わざわざ内側まで誘導するより犠牲は少なく済むというわけだ。また、位置を変更できるために、他の基地とは異なり戦略面での地理的情報を与えずに済む。これは、組織としては合理的な判断なのだ」
「そりゃそうだけどよ……」
「ヴァルクスは人類存亡に関する、あらゆる危険を我が身で背負うために存在する。市民を守るというのは、何も戦場で物理的に彼らの命を守ることだけに留まらない、彼らが被害に遭う可能性を極力減らす事も含まれている。その意味では、同じ事なのだ」
「あなたは面倒な仕事を押しつけられたという解釈なんでしょうけど、ヴァルクスでどうしようもできなければ他ではどうしようもないのよ。その理屈もわからずにパイロットをやっているなんて、あなたの方がよっぽど危なっかしいわ。まだ心の何処かで、他の誰かを宛てにしてるもの」
「要するにそいつは覚悟の決まってねー雑魚野郎って事だ。例え何が起きようが関係ねーだろうが……起きたら起きたで原因をブッ潰せばいいだけだ」
「人間としてのブレーキを取っ払ったお前らにはわかんねえさ。オレは普通に、普通のものの考え方をしてるだけだ。大体な、お前らは実際に戦ってねーから危機意識が薄いんだよ」
反射的にそう言い返すが、他ならぬ自分の心中が、言葉の虚しさを指摘してくる。
自分の言葉に間違いはないが、しかし、轟の言うとおりに覚悟という意味では、自分だけが一歩劣っている。
それが正しいかどうかはともかく――――自分の思い描く理想の風岩瞬は、ここで二人のように大口を叩いていなければならないのだ。
メテオメイルパイロットという重責を担うには、アクセルは極限まで踏み込む必要があるというのに、まともぶる事しかできない自分に瞬は嫌気が差す思いだった。
「実際にオーゼスの代表と会談するのは、私だけだ。無論、質疑内容に関しては、政府の方から山ほど指示があったがな」
「会談の模様は、私達も観させてもらえるのかしら?」
「轟、連奈の2人と副司令だけだが、別室のモニターで傍聴できるようにしてある。少し距離を置いてあるとはいえ、会談予定の応接室とは近い。特に北沢轟、会談が終わるまではくれぐれも顔を出すなよ」
「行くものかよ。そいつをブッ飛ばしたって意味はねえ。生身の喧嘩が強そうなら話は別だけどな」
「約束ができない限りは自室待機にするが?」
「それは困る。どっちみちツラは見ときたいしな。ここまでの派手な虐殺をやりやがった組織のトップだ、相当キマった奴に違いねー。わかった、絶対出ねー、大人しくしておいてやる」
誠意の欠片も見せずに轟が口元を歪める。
あくまで言質だけだが、ケルケイムは仕方ないという風に顎を引いた。
「瞬、お前はオーゼスが完全にラニアケアを離れるまで、セイファートに搭乗して待機とするが、いいな?」
「ああ。会談の中身にちょっとは興味があるが、こればっかりは仕方ねえ。向こうのメテオメイルが暴れ出さないように監視だろ?」
「その通りだ。連合軍の一員としては機密保持の観点から幾つかの違反を犯すことになるが、連合政府に提出する前に、お前にも記録は閲覧させる。それがお前の仕事に対するこちら側の礼儀だと思っている」
「中継するのはいいのかよ」
「リアルタイムで流すのと、定まった時間の後で見せるのとでは軍法的に色々と違いがあってな。まあ、そこはお前の気にするところではない」
ケルケイムの、この律儀さは、瞬は嫌いではない。
少なくともケルケイムの期待に応えるぐらいには、自分の仕事を成す腹づもりだ。
「会談の場所はインド洋沖合、日時は明後日のUTC(協定世界時)九時、現地時刻だと十四時頃になるな。それまで瞬には、セイファートで実機訓練を行って貰う。最悪の事態を想定するのなら、少しでも乗り慣れておく必要はあるからな」
「了解……!」
ここまで隠されていた真相全てが明らかになるかもしれない、極めて重大な接触。
果たして何が起こるのか、瞬は間近に迫った第二の任務を、いつも通りの余裕のない笑みで迎えるのだった。