第59話 深淵を這う
『済まなかったな、ゼドラ。一ヶ月も連絡を寄越さずじまいで』
「……ご多忙、だったのですか?」
『私は、過密なスケジュールを組むことも、組まされることもない。そういう立場にある』
「申し訳ありませんでした。ではやはり、何者かに……」
『まだ全く、私個人が怪しまれている気配は無い。だが最近になって、彼らも色々と嗅ぎ回り始めたようだ。8号機と9号機の鹵獲が最大の原因だが、それだけのせいにするつもりもない。千載一遇の機会を逃すまいと、何度か無理のあるデータ改竄も行なったからな』
「しかし果たしてあの男に、あなたを疑う事が出来るでしょうか。けして、あの男の注意力を侮っているというわけではありませんが……」
『いや、警戒しているのは、彼の周辺だ。察しの良いのが中々に揃っている。ボロを出さないように努めてはいるが、どこから違和感を嗅ぎ取られるかわかったものではない。……とにかく、今まで以上に用心深くなって損は無いと判断した。勝手で悪いが、今後の定時連絡は、最短でも隔週に改めさせて貰う』
「了解しました。あなたを失えば計画の続行はほぼ不可能なのですから、やむを得ません。……それで、そろそろ本題に入っていただけると有り難いのですが。こちらも、色々と立て込んでいるので」
『おっと、そうだったな。まあ、こんな時期の報告だ、大凡察しは付くと思うが』
「……やはり、XXXシリーズの件でしょうか」
『その通りだ。つい先日、シリーズ全体の雛形となる“タイプⅠ”がようやく完成に至った。約三百時間の稼動テストでも、現状これといった欠陥は見受けられない。そちらでお前が入手してくれたデータの恩恵だ。よくやってくれたな、ゼドラ』
「いえ……」
『しかし大変だったよ、こいつを仕上げるのは。何しろ極秘建造だからな。必要な技術が揃ったところで、金と資源は僅かずつしか動かせない。独自の調達ルートを持つそちらが羨ましい限りだ』
「それで、実戦投入はいつ頃に?」
『明後日を予定しているが……ああ、もしかすると、そちらのスケジュールと被ってしまうか?』
「いえ、一週間以内の出撃が無いことは確定しています。申し訳ありません、スケジュールは出撃パイロットのみにしか伝達されていないようで、本人が表明しない限り、私に情報が回ってくるタイミングは不定なのです」
『どちらでも構わないがな。こちらとしては、誰が相手であろうとも』
「……それで、肝心の操縦者はどうなされるのですか」
『お前がやるか、ゼドラ?』
「ご命令とあらば。ただしその場合は、そちらへの合流までに半日ほどの時間を要しますが」
『残念だが、今回はコードβに任せる。……それに何より、お前には相応しくない』
「…………」
『メテオメイルは、果てなき欲求と願望を血液とする、己の化身。お前では、連合の子供もオーゼスの大人も、誰一人として倒せはしない。お前はただ、私の命じるままに働け。それこそがお前の才能なのだからな』
「……了解しました、先生」
『さて、では警鐘を鳴らしてくるとするか。この戦いを加速させる為にもな。……そう、危機感だ。この先はどうあれ、今しばらくは小競り合いが続くと高を括っている連中に、危機感を与えてやらねばならない。それでようやく、悲願の第一段階は成る』
異様なまでに落ち着き払ったその物言いが、此度の通信の締めとなった。
その、二日後―――――
「いいか、くれぐれも勝手な行動はするな。これから我々が向かう場所は、ラニアケアとはセキュリティの厳しさが段違いだ。機密保持の為に立ち入り禁止となっている区域も多い。何か問題が起きても、私の権限で助けてはやれない場合もあるということは肝に銘じておけ」
ラニアケアの中央タワー。
そのエントランスには、ケルケイムとロベルト、そして珍しく連合軍の制服に身を包んだ瞬、轟、連奈が集合していた。
ライトグレーの生地に、黒と黄のアクセントがある、ヴァルクスの隊員も着用している一般的なものだ。
ただ、顔立ちの若々しさや野暮ったさもあって、三者とも、悲しいくらいに似合っていない。
どんな服でも着こなすと豪語していた連奈でさえも、いたたまれない様子だ。
だが、それでも三人の中で一番被害は少ない。
瞬は癖の強い髪をヘアワックスで強引に撫で下ろされていたし、轟に至っては、髪型を整えるだけでなく、黒く染め直された挙句にサングラスも没収という始末だ。
そのため、今日一日、互いに視線を合わせないことは暗黙の了解になっていた。
「まるで引率の先生みてえだな」
「まさにそういう気分だ。お前達が粗相をしないかどうか、心中穏やかではない。それと、わかっているとは思うが……」
「敬語だろ、敬語。オレは大丈夫だって。隣の奴はともかくな。……っていうかお前誰? 何沢君? トレードマークの全てが失われてるんですけど」
「うるせーよ! 元々個性の薄いツラの奴が!」
「やめろよ! ちょっと気にしてんだぞオレ!」
「知るか!」
「まったく、醜い争いだわ。真に美しければ、手を加えなくても注目してもらえるのに」
「「ああ!?」」
「……これだから、心配だと言っているのだ」
ケルケイムは深い溜息を吐くと、ガラス壁の遠く向こうにうっすらと見える群島へ、視線を移した。
そこに存在する施設こそが、本日の瞬達の訪問先である。
ラニアケアは、この日のために、地球を実に半周以上もする羽目になっていた。
地球統一連合軍最高司令部 ――――カナダ、ブリティッシュコロンビア州の太平洋岸沖に密集する大小百五十の島々、通称“ハイダ・グワイ”の全域を利用して建造された要塞基地。
陸地部分に存在する軍施設だけでも間違いなく世界最大規模の面積を誇りながら、イレブンメテオによる災害以後は地下空間の開発も進み、より一層の高機能化を果たしている。
配備された戦力も膨大で、空母が五十隻以上、戦闘機は実に三千五百機以上が常駐。
更に列車砲を現代技術でブラッシュアップした、専用レール上を走る大型移動砲台が各所に設置してある。
これら全てを効率的に運用できた場合、理論上は、物量による圧倒でメテオメイル最大三機を倒しきることすら可能とされていた。
本施設の最下層にあたる、地下十八階――――二段階のシェルターで完全に隔離された、聖域の如き空間。
そこに、瞬達を呼び立てた人物が待っているという。
降りるためには、他とは完全に独立した専用エレベーターに搭乗せねばならず、搭乗前には個々のIDまでチェックされるという念の入れようであった。
「中層エリアまでの殆どは、工廠や技術研究所、士官用の宿舎や訓練所で占められている。幕僚が集まって軍事計画の立案を行なう、本当の意味での司令部は、ここから先の区画だ」
ケルケイムは、ここを来訪した回数はそう多くないと言いながらも、持ち前の忠実さで道程を正確に記憶しているようだった。
到着してからずっと、あまりにも迷いのない足取りであったために、ロベルトがたまらず苦笑する。
「これは、私が随行するまでも無かったかな」
「いえ……一部隊を率いる人間としては情けない限りですが、私一人ではどうにも心細い。そもそもが分不相応な階級です。あの方達を前にして、気後れせずにいられる威厳も備わってはおりません」
「緊張を解さなければならないのは、風岩君達より君の方だな。今日は、会議をしに来たわけでは無いだろう」
ケルケイムから普段の落ち着きが失われているのは、歩みの速さを見れば一目瞭然だった。
自分達があまりにも図太い神経をしている認識はあるが、ケルケイムはどうにも上役が絡んだ状況に弱すぎる。
それだけヴァルクスという組織の事を大切に考えている責任感の表れであったとしても、もう少し堂々としていて欲しいというのが瞬の本音だ。
「一度はパイロット達と直に顔を合わせておきたい……そう仰られていただけですが、それだけで終わるとも思えません。通信を介さずに話す事の出来る、折角の機会です。何かしらの重大な通達があるとは考えています」
「それはそうなのだがね……。まあ、何事も経験か」
ロベルトがぞんざいに会話を切ったのは、ちょうど、目的地に辿り着いたからだ。
表面だけは木製のようだが、おそらくは内側に別の素材が紛れ込んでいるであろう大扉。
その脇に設置されている端末に、ケルケイムは指紋・網膜・肉声・そしてテンキーによるパスコード入力を行う。
更にコートに仕込まれたIDチップの認証が成功し、この五重のセキュリティシステムを経てようやく、扉は自動で内側へと開いていった。
「失礼致します」
「遠路遙々ご苦労だったな、クシナダ准将」
無駄に広いケルケイムの執務室を見ているせいで少々窮屈に見えるが、それでも学校の教室ほどはある空間。
絨毯から執務机から、調度類全てが最高級の代物で、一般的なオフィスとは一線を画する荘厳な空気がそこには満ちていた。
棚に並んだガラス製の楯、壁面に飾られた石造りの憲章プレート等々――――重々しい意味を刻み込んだ無数の設置物が、瞬達に余計な口を開くことを許さない。
「アフリカ南部の海路が今も使えれば、半分以下の時間で到着出来たものを……」
部屋の最奥で椅子に身を沈める、厳めしい顔つきをした壮年の男。
彼こそが、地球統一連合軍の全てを束ねる正真正銘のトップ、ジェフラー・トリルランド元帥であった。
黒色の制服、その胸元に取り付けられた略綬の数はケルケイムやロベルトの比ではない。
その意味するところはわからずとも、単純な総数だけで、ジェフラーが本来ならば一生対面することのないであろう雲の上の存在であることは把握できた。
大柄の体格に、ダークブラウンの髪と髭、そして見る者全てを射竦めるような眼光を放つ双眸。
例え制服を纏っていなくとも、体一つで十分な威圧感を振りまくであろ人物であった。
彼が直々に、瞬達メテオメイルパイロットとの会談を希望したのが、事の発端である。
「仕方の無い事です。海域そのものはオーゼスの占領下に無いとはいえ、喜望峰経由は多くのリスクが予想されていますので」
「ともかく、掛けたまえ。ベイスン大将も……君達もな」
「あ、はい……」
「メテオメイル運用計画を動かす一人でありながら、今の今まで、まともに話す機会を用意出来ず、申し訳無かった。今更だとは思うが、君達の話を聞かせてくれ。同時に私も、権限の範疇で答えられる事があれば惜しみ無く返答しよう。人類の為に命を張ってくれている君達とは、確かな信頼関係を築いておかねばな?」
傍にあった、幾らするのか想像さえもできない応接用のソファを目で示され、瞬達はただ言われるがままに並んで腰掛ける。
今日初めて明言されたロベルトの階級など、意に介する余裕もなかった。




