第57話 優しさまでの距離(その4)
「さあ大空を舞え、カイザーネビュラ!!! 悪のバウショック星人を抹殺だ!!!」
「誰が星人だ!」
十輪寺の叫びと共に、対峙したカイザーネビュラが右方への加速を開始する。
即座にバウショックも方向転換するが、そのまま円の軌道を描くカイザーネビュラを視界に捉えることはできなかった。
メインフレームの交換によって反応速度は確かに向上しているのだが、小回りが利くかどうかは別の話だからだ。
幾ら強靱な骨格を得たといっても、推力と機体重量が旧来同様である限り、向きを変える時間がそこまで短縮されることはない。
重装甲型である以上、どうしても不可分となる弱点である。
「ハイパーネビュラビーム! 超連射!」
カイザーネビュラは、ただバウショックの周囲を飛び回りながら青光りするレーザーを乱射し続ける。
轟は、この嫌らしい戦法に見覚えがあった。
連射性の高い二丁銃という攻撃手段はエンベロープ、射程外からの堅実なダメージ蓄積はセイファート。
十輪寺は、オーゼスと連合、それぞれの高機動型機体の基本戦術を混ぜ合わせているというわけだ。
悔しいが、立ち回りとしての完成度は高い。
接近する必要がなく、途切れることもない攻撃――――いざ相対してみるとわかるが、相当にやりにくい。
翻弄され続けることで、苛立ちが募り、焦りも増す。
「悪く思うなワイルド少年! これこそ高機動タイプの本領、バーニングチキン戦法! 一度こういうのもやってみたかったのだ! さあ、とくと苦しむがいい!」
「はっ……その程度のスピードで調子扱いてんじゃねーぞ」
轟は思わず鼻で笑ってしまう。
カイザーネビュラの時速は体感で二、三百キロメートルといったところだろうか。
バウショックでは到底追いつくことのできない、十分な機動性だ。
だが、セイファートに比べれば大きく劣る。
調子に乗ってバウショックの周囲を回っていてくれるだけならば、反撃することはそれほど難しくはない。
轟はタイミングを見計らって、ギガントアームの掌に生成した赤き火球――――クリムゾンショットを何もない虚空へ投擲した。
「そこだ……!」
「偏差射撃だと!?」
コンマ数秒後、吸い寄せられるように飛んできたカイザーネビュラが、クリムゾンショットの直撃を受けて空中で仰け反る。
バウショックはすぐさま、煙を噴きながら落下するカイザーネビュラの元へ駆け寄り、追撃の拳を見舞った。
確かな手応えと共に、カイザーネビュラの巨体はパイロットの望まぬ形で宙に舞う。
「最近は瞬とシミュレーターで対人戦をやってんだ。テメー如きに攻撃を当てるなんざ屁でもねー」
轟は、このくらいの芸当はさも当然という風に言い放つ。
訓練を積む中で、轟はクリムゾンショットの投擲を極めて正確にコントロールできるようになっていた。
等速で動く的ならば、五回も見れば命中するビジョンが浮かぶ。
今まで防御に徹してきたのは、一度失敗すると同じ手が使える状況が二度と来ないからだ。
流れを引き寄せるためには、タイミングを見極め、ここで確実に命中させる必要があった。
そうした冷静な判断ができたのは、霧島やスラッシュの指導の賜物だ。
「どの程度の力を込めれば、どの程度の速度で、どの程度の距離まで届くのか……要は、野球のピッチング練習と同じだ」
『とは言っても、速度が段違いじゃないか。そういうのを感覚的にやれてしまうのが、君の凄いところだよね……』
「おだてても、何も出ねー……っ!?」
言いかけた途中、バウショックが急に足を止め、コックピット内が一度大きく揺さ振られる。
轟の意図した操作ではない。
カイザーネビュラの上昇を許すまいと、直接組み付こうとした直後の異変であった。
跳躍するために体重を乗せた右膝が、沈み込んだまま戻ってこないのだ。
どうにか左脚でブレーキをかけ転倒は免れたが、その隙に、カイザーネビュラがスラスターの噴射で体勢を整え直す。
「なんと、俺が復帰するまで待っていてくれたというのか! ロマンを理解できぬなどと言って済まなかった! お前はライバルキャラの鑑!」
「そんなわけねーだろーが! ……おい通信女、なにがどうなっていやがる! 急に脚が動かなくなっちまったぞ!」
轟は各通信ウィンドウのボリュームを調整して、セリアにだけ聞こえるように言った。
その間に、何度も右脚を動かそうと試みるものの、まったく反応がない。
一度の動作不良より、遙かに深刻な事態だ。
『既にこちらで原因の調査を始めているよ……特定まで、もう少し時間がかかりそうだ』
「かかるって、おい、ふざけんな!」
セリアはただのオペレーターで、トラブルの原因であろうソフトやハード面と一切関係ないことは理解していても、声を荒げずにはいられなかった。
実質的に移動を封じられた状態など、エレバス・ユニットに頼っていた頃と何も変わらない――――いや、それ以上にタチが悪い。
これではただの的だ。
いずれ十輪寺も異変に気付くだろう。
当面は上半身の可動だけでカイザーネビュラの攻撃を凌がねばならないが、片膝を半端に曲げたままのバウショックは、押されてしまえば簡単に倒れてしまうほどの不安定さだ。
言うまでもなく、大振りの打撃を放っても同じ目に遭う。
「ワイルド少年よ……お前の心意気を買って、バーニングチキン戦法は中止しよう! だが手を抜くわけにはいかん! 許せない理由その二、炎を使った必殺技が羨ましすぎる!」
レーザーライフルを背面にマウントし直したカイザーネビュラが、今度は両脚に収納されていたパーツを組み合わせて二枚刃のチェーンソーとし、襲ってくる。
本来のコンディションならばギガントアームで弾き飛ばすこともできたであろうが、今は五割の力で撃ち合うのが精一杯だった。
「ゴッドネビュラとカイザーネビュラ、両形態で実装を希望していたのだが、もうこれ以上は機能を盛り込めないと首を横に振られてしまったのだ! なのにお前は、あのような超格好良い巨大火球なんぞを放ってからに! 見たぞ、プロキオンを倒したあの一撃!」
「何一つ極められねーオッサンの、くだらねー逆恨みじゃねーか……」
「真のヒーローであるこの俺より格好良いものが許せないだけだ! そういうわけで、お前を倒した暁には、その右腕を貰っていく! 唸れ、ハイパーネビュラスピニングソード!」
「やらねーよ!」
耳障りな回転音と共に、幾度も叩きつけられるチェーンソー。
翳したギガントアームには、同じだけの深い傷が生まれていた。
クリムゾンストライクにクリムゾンショット、そしてソルゲイズ――――格闘以外の攻撃手段を全てギガントアームに依存しているバウショックにとって、これ以上の損傷は避けたいところであった。
その時、ようやくセリアからの再報が届く。
『北沢君……やはりTypeFフレームが、機体OSにとって想定外の動き方をしてしまったのが原因みたいだ。内部機構の連動具合が、ごく限られた特定のパターンになると、エラーが起きてしまうらしい』
「欠陥じゃねーか!」
『というより、そもそも完全に調整が終わっていないものを出してしまったせいだよ。こういう問題を洗い出すために今日のテストがあったんだ』
「まあ、そんなゴチャゴチャした理由はどうでもいい……肝心なのは治るのかどうかだ。今、この場でな」
『こちらでOSのプログラムを書き換えることは可能だけど……でもその為には、一度機体を稼動停止させなければならないそうだ』
「テメー、俺に死ねって言ってんのか……」
たまらず、轟は冷ややかな声でセリアを睨み付けた。
カイザーネビュラのチェーンソーはかなりの切れ味だ。
今はギガントアームによる防御で必死に耐え凌いでいるが、無抵抗になってしまえば胸部装甲はものの数十秒で貫通、中の自分もお陀仏だ。
「五秒や十秒で終わるってんなら話は別だがよ……!」
『……それが、最低でも十五分は必要らしい』
「だろうと思ったぜ……クソが」
『他の解決策がないか、いまヒルシュ技術主任達が検討している。それまではどうか……』
「もうテメーらはバウショックに一切干渉するな。このままの状態で倒せばいいだけだ」
セリアの申し訳なさそうな声を振り切るようにして、轟はチェーンソーを打ち払うことに集中する。
だが、ここに来てとうとうギガントアームの耐久力が限界を迎えることになる。
「ちっ……!」
前腕辺りの部位に押し当てられた回転刃が、そのまま手甲を上下真っ二つに引き裂く。
本来の拳で保持している巨大マニピュレーター部は健在であったが、火球を生成するための機構が切断されたことによる誘爆を危惧して、轟はすぐさま残った半分も投げ捨てる。
しかし、それが仇となってバウショックは左半身から前のめりに倒れ伏した。
ギガントアームを失ったのに、機体の側では装着時同様の重心バランスが維持されているためだ。
幾つかの手順を踏んで取り外さないと、自動補正が切れずにこのようなトラブルが起きてしまうのだ。
それを避けるため、轟は補正をオフにしていたはずなのだが、新しいOSに切り替わったことで設定がリセットされてしまっているらしい。
「ほう、改造した矢先のマシントラブルか。感心感心、これもまた超王道展開! 最初から完成度の高いロボットはいまいち燃えない! 不具合があるくらいで丁度良い! だがそれ故に憎い!」
歩み寄って来たカイザーネビュラが、容赦なくバウショックを蹴りつける。
片足が動かないため、受け身を取ることさえも許されず、機体は地面を転がされた。
「ぐっ……!」
「万全の状態になるまで待ってやりたい気持ちは山々だが、どうせなら今の内にカイザーネビュラの全武装をお披露目したいという欲求が勝る! さあ受けろ、残る六つの秘密武器を! この日の為に温めておいた新しい挿入歌と共に!」
「……これか、瞬の言ってたヤツは!」
突如としてコックピット内に飛び込んで来た大音量のBGMに、轟は片手で耳を塞ぎながら舌打ちする。
ただの通信音声のみならず、カイザーネビュラの外部スピーカーも併用した、消音しようのない騒音地獄。
けたたましい演奏だけならまだしも、暫くの後、十輪寺のボーカル音声も混ざり始める。
びりびりと震えるコックピットの中、轟は激しい頭痛に苛まれた。
先に息絶えるのはバウショックではなく、パイロットの自分ではないかとさえ思わせるほどに、その歌はただただ不快な音波の集合体であった。
「これを聴き終えたとき、否が応にもお前の心は熱血色に染まるだろう! 軟弱少年よりは見所のある少年だったが、まだまだお前も熱血不足。さあ、存分に摂取して逝け!」
「ふざけんな、このゴミみてえな歌を早く止めろ……!」
「ならん! ちなみに曲名は『音速激闘、カイザーネビュラ!』だ! さあ聴け、とくと聴け!」
~音速激闘、カイザーネビュラ!~
作詞/作曲: 十輪寺勝矢
歌:十輪寺勝矢&オーゼス少年合唱団(※合成音声)
マッハ10で大空を駆けろ(正義の巨神)
マッハ10で勝利を掴め(炎の勇者)
実はマッハ0.5しか出ないけど それでも俺は諦めない
気合いを込めて20倍 行くぜ奇跡の空中殺法
燃やそうぜ 燃やそうぜ
心を 体を みんなの街を
※光るビームで敵を撃て 熱いハートで蹂躙だ(ダダダン ダダダン ダンダダン)
回転ソードで敵を切れ 熱いハートで力押し(ダダダン ダダダン ダンダダン)
合体変形盛り込んだ究極マシン その名は その名は カイザーネビュラ
マッハ10で夕日に向かえ(正義の巨神)
マッハ10で闇夜を斬り裂け(炎の勇者)
実はマッハ0.5しか出ないけど それでも俺は信じてる
気合いを込めて20倍 行くぜ奇跡の空中殺法
燃やそうぜ 燃やそうぜ
心を 体を あいつの家を
巨大な斧で敵を断て 熱いハートで蹂躙だ(ダダダン ダダダン ダンダダン)
ただのパンチで敵を打て 熱いハートで力押し(ダダダン ダダダン ダンダダン)
車と飛行機かっこいい究極マシン その名は その名は カイザーネビュラ
※ 繰り返し
※ 繰り返し
耳障りな音楽が撒き散らされる中、十輪寺の宣言通り――――そして歌詞通りに、多種多様な武装による攻撃が、動きを封じられたバウショックを襲う。
双眸から放たれる赤色の光線、両肩に内蔵されていた戦斧、変形してナックルガードと化した腕部装甲による打撃、踵に仕込まれたパイルバンカー、腰部から発射されるミサイル。
いくら両腕は動くといっても、うつ伏せの状態でできることは多くない。
続けざまに叩き込まれた攻撃によって背面装甲は無惨にも抉り取られ、このままダメージを受け続ければ、轟より先に、コックピットのほぼ真後ろに位置するメテオエンジンが危うい。
適切にエネルギーを逃がす仕組みを欠いたHPCメテオがどのような反応を起こすかは、五年前の大災害が照明する通りだ。
この窮地を脱する為の策として、非常時の強制起動プログラム“レトログレード・モード”による自動操縦が轟の頭に浮かぶ。
だが、OSに不具合が起きている現状、正常に機能してくれる可能性は低く、なによりレトログレード・モードは戦場を離脱するための機能だ。
逃亡など、言語道断――――
轟はバウショックに、地面を全力で殴らせる。
その反動で身を起こす為にだ。
「ほう、まだ起き上がるか! 素晴らしいガッツだ! やはり歌の効果は抜群のようだな!」
「頑丈なのは、元からだ……!」
轟は呻くようにして言った。
「……どうにか手足の一本、掴めればどうにかなるんだがよ」
片足が使えない状態で唯一勝利する方法と言っていい、引きずり寄せてからの密接格闘。
だが、先程から何度も試しても結果は同じだ。
脚で踏ん張ることができないため、強引に振りほどかれてしまう。
更なる不具合が発生するリスクを考慮しても、ギガントアームを捨てるべきではなかったと轟は今更ながらに後悔する。
大型マニュピレーターのサイズと握力なら、そのまま破砕することもできたというのに。
「ここまで痛めつけられてなお反抗の意志を保ち続ける、その鋼の如き精神には敬意を表しよう! だが、それを打ち砕くのが俺の役目! カイザーネビュラに隠された最後の秘密兵器を前に、華々しくドクロ型の爆炎を上げて散るがいい!」
十輪寺はそう叫ぶと、カイザーネビュラを上空遙か高くまで再上昇させ、そこでもう一度フレイムジェット形態へと変形する。
続けざまに、機首と主翼の前方から火炎が噴出。
フレイムジェットは瞬く間に火の鳥と化す。
最後に、機体の内部からディフューズネビュラが上半身だけを現し、無意味な決めポーズを取った。
「これぞ、カイザーネビュラの超必殺技“バーニングスライダー”だ! 敢えて合体を解き、亜種形態によるトドメ……どうだ、燃えるだろう! いや、燃えろ!」
「まさか、突撃か……!」
「その通り!」
機首の角度を下げるフレイムジェットを見て、轟の額に生温い汗が滲む。
仕掛ける側の十輪寺もかなりの危険を覚悟しなければならない攻撃のようだが、それはさておいて、直撃すればバウショックは確実に大破してしまう。
高度数百メートルから落下してくるバウショック以上の質量体――――どう工夫を凝らしたとしても、受け止めるのは不可能だ。
回避という選択肢は元よりなく、待ち受けるのは轢殺という非情なる現実。
「フレイムジェット、最大加速開始! これで終わりだ、バウショック!」
十輪寺が叫ぶと、フレイムジェットは空気が爆ぜるような噴射音を放ち、四十五度の角度からバウショック目がけて超高速で滑降する。
激突まで三秒か、四秒か。
死を間際にした状況でさえ――――否、他にすることもなく、轟は目測による速度から己の死までの時間を計り始める。
「……ついてねー一日だったな」
ぽつりと、轟はそんなことを呟く。
昼休憩が始まってから現在に至るまで、不運と苛立ちに塗れた数時間だった。
そして、結局はわからずじまいだった。
セリアが損得勘定を抜きにして、ただ自分の傍にあろうとした理由も。
そんなセリアを、必要以上に自分から遠ざけようとしてしまう理由も。
死は受け入れるとして、その代償に答えを知りたいと、轟は思った。
知らなければ、自分という存在が半端なまま終わってしまうという確信があった。
二秒ほど考えた末に浮かんできたのは、もう少しセリアと話しておくべきだったという結論。
セリアも自分の行動のわけを理屈で説明できないとは言ったが、自分よりは各段に理知的な少女だ。
適当に思いついたことだけ喋っていれば、それをヒントにセリアは答えに至ったかもしれない。
時間の猶予はあったはずなのに、それをみすみす棒に振ってしまったのは他ならぬ自分。
つくづく、自分の不器用さと計画性のなさには呆れるばかりだった。
『北沢君!』
「ああ、クソ……」
刹那の後、轟の中に芽生えた感情は慚愧であった。
らしからぬことを考えてしまったからではない。
あくまで過ぎ去った出来事に対する感想を並べ立てていただけだったのに、本当にそれを実践しなければならなくなってしまったからだ。
生き残るための望みが、生まれてしまったからだ。
セメントで塗り固められてしまったかのように動かなくなっていたバウショックの右脚が、フレイムジェットが激突する寸前で―――――大地を蹴る。
蹴って、真横に跳ぶ。
「なにが、どうなっていやがる」
盛大に縦転するフレイムジェットが岩片を周囲に撒き散らし、バウショックは多少よろめいた。
だがそれでも、しっかりと着地を決めてみせる。
轟は、その様子をコックピットの中で唖然とした面持ちで見つめていた。
この一連の操作の当事者ではないためだ。
轟は、微かに左脚を動かしてバランスを取っただけだ。
『書き換えをしている時間はない……だけど、作業用の外部操作コマンドで、無理矢理動作を実行させることはできる。ごめん北沢君、一切干渉するなとは言われたけど、やらせてもらったよ』
「テメー……」
辛くも助かったことによる安堵のせいか、セリアの言葉を噛み砕く余裕はない。
ただ、それがセリアのおかげであるという事実を脳が認識するのみだ。
怒るべきか、喜ぶべきか。
どちらを表情に出しても負けなような気がして、轟はいつものように憮然とした態度でセリアに向き合う。
「普通に治ったわけじゃなさそうだな。俺の方じゃ動かせねーままだ」
『その通りだよ。OSの欠陥はそのままだ。だから、このまま戦闘を続けるのならこちらでコマンドを与え続けるしかない』
「つまりなんだ……右脚はテメーに任せたままってことかよ」
『そうなるね……』
「そんなんで、まともに歩けるかよ」
轟はモニターの正面だけを見据えながら答えた。
眼前で立ち上る砂埃の向こうに、再合体を行なったカイザーネビュラの影がうっすらと見えたからだ。
地面との衝突によるダメージは少なからずあろうが、それだけで自滅してくれるほどメテオメイルはヤワではない。
「超必殺技を回避するなどルール違反だ! 大人しく悲鳴を上げながら直撃を喰らうか、更に強力な必殺技で正面から打ち破ってみせろ! それがロボットアニメ界の流儀だ!」
「生憎と、俺は常識もろくに知らねーただのバカでよ……!」
「おかげで玉砕覚悟の特攻が全くの無駄になってしまったではないか! もう許さん、もう許さんぞ!」
「自己責任だろうが!」
再び脚部からチェーンソーを取り出し、ゆっくりと歩み寄ってくるカイザーネビュラ。
その擦り傷だらけの巨体と同時に、通信ウィンドウで自分を見つめるセリアの表情が視界に入る。
下手には動かせないと、自分の指示を待っているのだ。
轟はまず、手短に、気になっていることだけを尋ねる。
「おい、その何たらコマンドはどのくらい自由にバウショックを動かせるんだ」
『自由なんて全くないよ。本当に作業用に使うためだけのものなんだ。一歩歩かせるとか、ハッチを開放するとか、そうしたごく小さな動作しか命令できない単発のコマンドなんだ』
「それを、テメーは……!」
だとしたら、先程の跳躍や、その後の着地は一体どのようにして行なっていたのか。
数秒の内に、複数のコマンドを連続して送り続けていたのではないのか。
完全な手入力だとしたら、一体、どれほどの速度で――――
それ以前に、なぜ適切なコマンドをリアルタイムで入力できる――――
あの飄々とした雰囲気の内側に、筆舌に尽くしがたいほどの研鑽が充溢している可能性を考え、轟は思わず息を呑んだ。
戦う相手以外に気圧されたのは、初めてのことだった。
己の職務に全力を注いでいるのは、せいぜいパイロットか、ケルケイムのような部隊のトップくらいだろうと考えていた自身の浅はかさを、轟は恥じる。
そう、この少女もまた、機体とラニアケアを繋ぐ者として――――
ようやく、自分の心中に立ちこめていた不快な靄が晴れていくような感覚だった。
そして、指示すべき内容も、轟の中で完全に固まる。
「片足一本ずつを分担だなんて、そんな二人三脚みてーな真似が、俺達にできるわけねーだろーが」
『だよ、ね……』
「だから両脚ともテメーが動かせよ。ここからはもう、正面切っての殴り合いしかやらねー。テメーは片足ずつ前に出すだけでいいってわけだ。そんなに難しくもねーだろ」
『私が……?』
戸惑うセリアに、轟は無言で頷いた。
こういう決断は、思い切りのいい方が逆になんとかなる。
セリアに自分の命を半分握らせる形になってしまうが、息が噛み合わずに全く歩けない事態より、百倍は安全な策だ。
「他人の力を借りるのは気が引けるがよ……テメーには色々と聞かなきゃならねーことがある。そのためには、絶対生きて帰らなきゃならねー。だから一番勝てる可能性のある手段を選んだ、それだけだ」
もうカイザーネビュラもすぐそこまで迫っている。
轟はバウショックに両腕を構えさせ、あとはセリアの反応を待つ。
『本当に勝手なことばかりを言うなあ。君が思っているより遙かに大変な仕事なんだよ、これ。全力で臨んでいるけど、失敗することだってあるかもしれない』
「俺が頼ったんだ、なにが起きても俺の責任だ。構わず、やれ……!」
『わかったよ、ああ、わかった……』
そう言って、セリアはいつものように、困ったように苦笑する。
その表情を見せてくれるのを、轟は今日、ずっと待っていた。
大きく狂っていた調子が、全て元に戻る。
十輪寺の声も、歌も、もう耳に入らない。
戦う時は常に傍にある、普段通りのセリアが、心の拠り所として轟の集中力を繋ぎ止める。
「不調が治ったわけではなさそうだなバウショック! さあ、今度こそトドメを……!」
カイザーネビュラが甲高い音を立てるチェーンソーを頭上に振りかぶった瞬間、バウショックの右脚が、素早く前に出る。
同時に、全力で突き出された右拳がカイザーネビュラの胴を激しく打った。
セリアの操作に合わせた、轟の攻撃。
百点満点の連携ではなかったが、それでも十分すぎるほどの的確なタイミングだった。
轟は無意識の内に浮かべていた会心の笑みをそのままに、次いで繰り出された左脚と共に左拳を打ち込む。
カイザーネビュラは咄嗟に左腕で防御したようだが、渾身の力が込められたバウショックの打撃は、翳された前腕を軽々と粉砕した。
その衝撃で、右腕に持っていたチェーンソーをも取り落とす。
「ぐあっ、この……! 動けないと見せかけつつ実は万全の状態だったのか! 卑怯だぞ!」
「違うぜオッサン、万全以上だ。今のバウショックはな!」
轟は追い打ちとして、次の一歩と共に、更にもう一撃を繰り出す。
下半身の操作はもう、セリアの送る前進命令コマンドに完全に預けて問題なかった。
カイザーネビュラが吹き飛ぶごとに、セリアがその方向に調整して歩行させてくれるからだ。
もはや転倒への不安は些かもなく、轟はただ、カイザーネビュラを殴りつけることに専念する。
そして、その勢いのまま合計六発を打ち込んだとき、カイザーネビュラはようやく膝から崩れ落ち、停止に至った。
だが間断なく、胸部から半壊のスポーツカー形態でディフューズネビュラが脱出する。
「またしても、またしても俺が敗北するとは! 一体何が、何が欠けているというのだ! ううう、まだアーマードマシンを控えさせてはいるが、合体できない以上、これ以上の戦闘続行は危険! 悔しいが、ここは退くしかない!」
「逃がすかよ……!」
「いいや、逃げ切ってみせる! そして次こそは必ず勝ってみせるぞ少年達よ! それでは来週もこの時間に……バーニング・オン!」
「……ちっ」
十輪寺に凄んではみせたが、実際は、この有様だ。
ディフューズネビュラを追撃するだけの速度は、今のバウショックには出せない。
口惜しいが、輸送船の元へと全速力で逃亡する赤い車体を、轟はただ見送るしかなかった。
撃退には成功したが、撃墜には至らない、不完全な勝利というわけだ。
敵の首級という明確な手柄のない結果は、轟にとっては敗北も同然。
獲物をみすみす逃した獣を、勝者とは呼ばない。
だというのに――――今はその信条を超克した充実感と高揚感が、全身を満たしていた。
「だが、悪くはねえ……」
なぜなら、どうしてもやらなければならないことをやるための未来を、勝ち取ることができたからだ。
今回は無事に生き延びることができたが、ひょっとしたら、次の戦いで命を落としてしまうかもしれない。
それでも、またセリアに会って、内に抱えた疑問の解消に一歩近づけるくらいの余裕はできた。
たったそれだけのことが、たまらなく嬉しい。
轟は自分の笑顔の理由を、思考の中でだが、はっきり言語化することができた。
「なあ、暑苦しいオッサンよ……テメーにはあるのかよ、こういう気持ちが」
操縦席の背もたれに身を預けた轟は、コックピットの天井に向けて、そう言葉を投げた。
心から満足の行く答えを導き出せた自分を、そして勝敗以外のところで幸せを見出せた自分を、誇るように。
 




