第55話 優しさまでの距離(その2)
バウショックの改修作業は、ミディールを始めとする技術スタッフ達の努力の甲斐もあり、僅か十日ほどで一応の終了を迎えていた。
作戦時の呼称に変化はないが、正式名称はバウショックカスタム。
鹵獲したプロキオンの最新型フレームに手を加え、バウショックの内部機構と外装を取り付け直した機体だ。
外観に大きな差異はないが、別組織で作られたパーツ同士を組み合わせるため、内部には相当な改造が施されている。
性能的にも、ただのアップデート改良というよりは、ほとんど別物である。
また、採用フレームの変更もあり、型式番号もLFB-004からLFX-004に改められていた。
三つ並んだアルファベットの中央は、連合製フレームのバージョンを意味する。
五番目のバージョンであるTypeEから、完全な独自開発でないとはいえ、正式な六番目のバージョンとして認可されたTypeFフレームへ。
セイファートやオルトクラウドを差し置いて、一機だけ次世代型の領域に足を踏み入れた証だ。
「気味の悪い野郎が使ってただけあって、気味が悪いほどの反応速度だ」
轟はバウショックの操縦感覚に戸惑い、そう感想を漏らした。
午後より、ラニアケアが接舷している連合軍の沖縄基地で開始された、実機でのテスト操縦。
開始されてから十数分――――まずは基本動作の確認ということで、借り受けた演習場の中で四肢の駆動や通常歩行を試してきたが、まだまだ慣れる気がしない。
人体の動きを完全にトレース可能なTypeFフレームは、動作があまりに機敏かつ滑らかでありすぎるのだ。
TypeEフレームの中でも、とりわけ関節部の柔軟性に優れたセイファートを操る瞬であれば、そこまで差を感じなかったのかもしれない。
だがバウショックの操作性は、フレームに補強に補強を重ねであるせいで、ひどく鈍重で固いものであった。
極端から極端へ、そのギャップによる戸惑いは、すぐに拭えるものではない。
まるで、骨が蕩けてしまったかのような感覚だ。
「だが、コイツに馴染みさえすれば……!」
轟は不敵な笑みを浮かべて、バウショックの歩行速度をやや早めた。
より人体的な操縦ができるようになった影響で、これまでは可動範囲の狭さ故に耐えられた攻撃を、自分の体捌きで受け止めねばならないというデメリットはある。
しかし、それを差し引いても、生身と遜色ない感覚で打撃が放てるというメリットは大きい。
これまでは、人機一体の操縦システムとは言いつつも、それはバウショックで実現可能な動きに自分の操縦をすり合わせるというものでしかなかった。
だが、このTypeFフレームならば、生身の頃にやっていた喧嘩の立ち回りをそのまま再現できる。
良くも悪くも自分の力をそのまま反映するフレーム――――追加の武装や機能はないが、轟にとってはこの一点だけで大きな強化である。
「どうだ、生まれ変わったバウショックの感想は」
珍しくラニアケアに駐留して改修作業の指揮を執ったミディールが、通信ウィンドウ越しに尋ねてくる。
この男から受ける迫力の正体は、表情の凶悪さのみならず、己の欲求に対し極めて忠実に生きることの体現者でもあるせいだろう。
ミディールのような不気味さは不要だが、己で引いた線のぶれなさは認めていたし、自分のものにしたいとも轟は思う。
「不満はあるが、文句はねー。今までのと比べれば天と地の差だ。あと小一時間も動かしてりゃ、上手く扱えるようになる」
「実際、大した技術力だ。TypeFフレームは、バウショックの体格に合わせた僅かな部位延長以外、手を入れる余地が殆どない。あとは既存パーツとの親和性を調整していくくらいだろうな」
「バウショックの重さをものともしねー強度で、セイファート並の可動か。とんだ変態集団だな、オーゼスってのは……」
ミディールでも舌を巻き、模倣と流用に走らざるを得ないほどの凄まじいテクノロジーを保有するオーゼス。
この数ヶ月で、組織の実行部隊であるパイロット達については素性が判明してきてはいるが、未だに組織の全貌は不明。
目的すら、行動パターンから大凡を察せられるのみで、明確になっているわけではない。
轟が戦う理由の五パーセントくらいは、この大いなる謎に対する興味もあった。
組織設立までの経緯や、侵略を開始するに至った事情など、そんな長々とした裏話を知りたいわけではない。
敵と戦い、己の強さを磨くことができれば、轟にとってはそれだけでいい。
ただ、この戦いが結局何であったのか、最後の最後に納得したい。
その思いは、間違いなくあった。
などということを考えていると、噂をすればなんとやらということか、ラニアケアの方から緊急の出撃命令が下る。
ガンマドラコニスの出現から約半月の間を置いて、再びオーゼスの所属思しき未確認物体が出現したのだ。
「面白そうじゃねーか、今回の戦いは……!」
ラニアケアの地下格納庫にて、補助推進剤の補給を受けるバウショックの中、轟は犬歯を剥き出しにして笑んでみせる。
だが、轟だからこそそうした表情ができるのであって、事態としてはかなり深刻である。
「何時間か持ちこたえれば、助けに行ってやるかもしれないぜ」
「短い付き合いだったわね、北沢君」
各々の機体に乗り込んでいる瞬と連奈が、口の悪さを控えめにしているのが何よりの証拠であったし、そのことが轟の笑いを余計に長引かせた。
「好き勝手言ってんじゃねーぞ、テメーら。普通に勝つって可能性を考えろ」
作業スタッフから補給完了の合図をもらい、轟は今日二度目となる、バウショックのメテオエンジン起動準備に取りかかった。
予備のエネルギータンクに、機体の安定稼働に必要な量が貯蔵されるまで、約二分。
その間、轟は珍しく、ケルケイムから説明を脳内で反芻する。
十数分前、連合軍が保有する軍事衛星が中東海域にて捕捉したのは、四隻の小型輸送艦だった。
所属は未確認だが、いかなるデータにも該当しない船体かつ、甲板に堂々と刻まれたオーゼスのロゴ。
酔狂な第三者の仕業であるとは到底思えず、内部にメテオメイルが搭載されている可能性は極めて高い。
この件が即座にヴァルクスへと回されたのも当然のことだった。
今回が初のお目見えとなる、ほぼ完全な長方体に近い輸送艦は、全て同型。
全長は八十メートル、全幅は三十メートル程度。
ガンマドラコニスBやラビリントスなどの超大型機はどう見積もっても格納できそうにない。
これまでに連合は三機を撃墜しているため、新型機が混じっていないという想定を含めるなら、搭載された四機は消去法で判明する。
しかし、どの輸送艦に搭載されているかは不明であるため、相性のいい機体を送り込むことは不可能だった。
「しかしオーゼスも、急に豪気になったわね」
「相変わらず、先の読めねえ連中だ」
そして、連合が運用可能なメテオメイルの数を上回る投入戦力であるというのが、対処する上での大きな問題である。
確かに連合は四基のメテオエンジンを保有してはいるが、四機分の戦力を動かせるかどうかは、また別の話である。
メアラはパイロットとして素人も同然だったし、四基目のメテオエンジンはカナダの技研に置かれたままなのだ。
ただし、不幸中の幸いが一つ――――輸送艦は、四手ではなく三手に分かれていた。
二隻はまとまって、パキスタンに向かって北上しているのだ。
ろくに防衛戦すらできず占領される最悪の展開だけは回避されたといえる。
とはいえ、手放しで喜んでもいられない。
単に多対一の戦闘に対する適性だけを考慮すれば、パキスタンでの戦闘を任せられるべきは広域殲滅を可能とするオルトクラウド一択。
しかし、他の二隻は更に西方、イランとオマーンを目指していた。
沖縄からの射出では、バウショックは重量の問題から、その二国には届かない。
自然、どうにか送り込むことのできるパキスタンに限定されてしまう。
機体の調整が万全ならまだしも、まだバウショックは完成して間もない。
数とコンディション、双方の面で不利なのだ。
「まあ、苦戦程度で済むように祈っといてやるぜ」
「いらねーよ。祈りだなんて、テメーの心の弱さをかっぽじって出てきたようなモンじゃねーか」
「なに言ってるんだよ、負けたお前の吠え面が見たいだけだぜオレは」
「だろうな」
瞬が発する、あくまで自分本意な言葉が、なんと心地良いことか。
それに比べて、あの女ときたら――――
轟は二時間ほど前のことを思い出して、僅かに顔をしかめた。
エアポートのすぐそばにある、航空機用の燃料・弾薬等が収められた巨大な倉庫の裏手。
轟はそこに寝転がり、昼休憩が終わるまでの時間潰しをしていた。
場所は沖縄、季節は七月下旬、そして自分の筋肉密度。
多くの要素によって全身を蝕んでいた熱を、日陰の冷え切ったコンクリートが吸い取ってくれる。
小一時間もすれば基地の方でバウショックのテスト操縦が始まるというのに、あまりの気持ちよさで眠ってしまいそうだった。
だが、完全に意識が途切れる寸前、軽い足音を聴覚が拾う。
喧嘩と実戦で磨かれた警戒心が、轟の肉体を起こし、神経を即座に鋭敏なものとした。
「やあ」
投げかけられた柔らかい言葉を無視するように、轟は再び目を閉じた。
物陰から現れたのが、警戒するまでもなく、話すための手間を取る必要もない相手だったからだ。
だが、わざわざ自分の隣に腰掛けてくる。
数分放っておいても一向に帰る気配をみせない。
決定をすぐに撤回するということはあまりやりたくなかったが、結局、轟は仕方なく、ただ追い払うためだけにカロリーを使うことにした。
「うぜえ」
「第一声がそれかい、ひどいなあ」
セリアは眉根を寄せながらも、薄く笑ってそう答えた。
「つーか、なんでここがわかった。テメーも後輩女と一緒でストーキングが趣味なのかよ」
「彼女ほどの行動力はないよ。ほら、上の」
「ああ……?」
「渡り廊下だよ。タワーとエアポートの。私は暇な時間、そこで涼むのが好きなんだ。ここに来てからずっとね」
セリアが指し示す右側を見上げてみると、確かにそこには二つの施設を繋ぐ渡り廊下があった。
この辺り一帯を見渡せるような配置だ。
こちらからも、首を捻れば見えはするが、まるで意識の外にあった場所である。
だから、轟は余計に機嫌を悪くした。
轟は今日に限らず、一人になりたいときはここへよく来るのだ。
「知ってやがったのか。それとも……」
「たまたま見えただけさ、最初はね」
セリアの言い方から、過去に数回か、自分の姿を目撃されていたらしいことがわかる。
一人になるという根幹の目的は、自分の気付かぬところで何度も達成を妨げられていたわけだ。
本当に、腹の立つ相手だった。
ただただ、目障りに感じた。
「趣味の悪い奴だ。だったら、教えろよ。それか、テメーが場所を変えろ」
言う順番が逆だったことを、轟は後悔する。
身体の感覚は戻っても、思考はまだ緩慢なようだった。
「なんだか、怒鳴られるような気がしてさ。『なにコソコソ人のこと見てやがんだ!』ってね」
「今の方がよっぽどそうしてー気分だ。とっとと教えるでもなく、ずっと黙ってるわけでもなく、半端なことをしやがって」
「……ごめん。でも、全ては一つの目的に集約されるんだ」
「ああ?」
「君のことを、今よりもう少しだけ知りたかったのさ」
轟の記憶するセリア・アーリアルという少女にしては意外で、そんなことを言われた経験がないという意味では想定外でもある返答だった。
「……テメーはてっきり、俺に愛想を尽かしてやがると思ってたがな」
「初めのうちは、そうだったよ。野蛮で横暴、すぐ物にあたる、まるで話が通じない。正真正銘、人の姿をした獣だと思ったし、絶対に理解できない存在だと思ってコミュニケーションは必要最低限を心掛けていた」
「よくわかってるじゃねーか。それで、終わりだろーが」
「違うよ、君はそうじゃなかった。ちょっとずつだけど、変わっていったじゃないか。風岩君や連奈と一緒にいることで」
「どうかな」
否定はしてみたが、はっきりと自覚がある。
轟はそれまで、他人のことを理解したことがなかった。
しようとしなかった。
することが無意味だと思っていた。
他人は、暴力をぶつける的か、全く興味の外。
同じ施設で暮らす子供や寮母とて、少なくとも敵ではない、という認識をするのみだった。
気を許すことも、許されることも、どちらも惰弱であるとして、全てをはね除けるかのように生きてきた。
だが、今は少し違う。
風岩瞬に、三風連奈。
ケルケイム・クシナダもそうであるかもしれないし、メアラ・ゼーベイアはこれからそうなるかもしれない。
彼らはみな、自分と衝突しても、逃げるでもなく、砕けるでもなく、そこに在り続ける。
むしろ、この自分にどけと言わんばかりに、己の魂を強く輝かせていた。
やっと、面倒だからといって視界の外に押し出せない――――否が応でも理解せざるを得ない人間が現れたのだ。
だから轟は変わった。
動かせないものは動かせないものとして、自分も形を変えて適応する必要があったからだ。
北沢轟の定義であれば、そうすることは“負け”のはずなのだが、あまり悔しさは感じない。
そこまでしぶとい相手が近くに何人もいるという、安心の方が強かった。
「だから、歩み寄れるんじゃないかと思うようになった」
「そんなくだらねーことは、瞬も大砲女も考えねー。テメーだけだ」
轟は、真向かいにある小さな変電施設に視線を向けたまま言った。
瞬や連奈と共に過ごす時間が、そう気分の悪いものではないのは、二人が馴れ合いを求めていないことに尽きる。
どんなときも、あくまで自分の都合で動いてくれるのだ。
だから、確信が持てる。
食堂で時折同席するのは、友情だのチームワークだの、ありきたりな義務の範囲外でやってくれていることだと。
瞬あたりが悪巧みに誘ってくるときは、自分を利用するという明確な目的あってのことだと。
「あいつらは……俺なんかのために、何の旨味もなく、わざわざ自分の時間を割かねー。だからいいんだ、だから信用できる。俺に関わってくるのは、俺を使う価値があるときか、ただの暇潰しか、どっちかだ」
「…………」
「テメーもそうなのか、通信女。俺を知って、得をすることがあんのかよ。それは、かけた時間に見合うのかよ。だったら納得できるし、認めてやる。じゃなきゃ、止めとけ」
轟は、首の向きこそ変えないものの、強く詰るように言い放った。
「……わからないよ。君のことだけじゃないんだ、自分がどうしてこんな真似をしているのかだって、私は知りたい。だから来たんだ」
そう答えるセリアの口調はひどく弱々しかった。
轟は思わず舌打ちをする。
はっきりした答えを出さないセリア自身に対する憤りもあった。
だが、セリアが持ち出してきた、まだ正体もわからない概念に、自分がどこか臆してしまっていることへの怒りもまた大きい。
「俺はそういう、フラフラした奴は嫌いだ。なにも見えてねーまま、ただの節介でテメーを削って、そんなのは、意味のねーことなんだからな……」
「……確かに、そうかもしれないね。でも、いまの北沢君の言葉は、ただの自分勝手な人間からはけして出ないものだということは、わかるよ」
「……ああ?」
「君はただの一度も、『余計な時間を取らせやがって』とは言わなかった。それだけで、来た甲斐はあったかな。もっとも、余計に嫌われてしまったみたいだけどね」
軽く深呼吸をして、セリアが立ち上がる。
微かに見えた横顔は悲しげに見えたが、かける言葉を轟は持たない。
そうした人間に対する扱いを、知らない。
「都合のいい解釈をしてんじゃねーよ……ただ、言わなかっただけだ」
ただ、去っていくセリアの背中に向けて、そう吐き捨てるしかなかった。
いつしか体は、驚くほどに冷え切っていた。




