第54話 優しさまでの距離(その1)
新たにメアラ・ゼーベイアが加入しても、ヴァルクスの部隊運営に、特に大きな変化が起こったということはなかった。
メアラが既に正規のパイロットであり、四機目のメテオメイルを早速運用というならまだしも、それが実現するのは遠く先のことである。
入隊だけが、おそろしく前倒しになっているに過ぎないのだ。
訓練施設の利用も、極力、瞬達の既存スケジュールを阻害しない時間帯を割り振られ、それ以外は操縦マニュアルを読み込む時間に充てられている。
あくまで、組織に隊員がまた一人増えたという程度の認識だ。
もっとも、これは部隊規模での話で、瞬達年少組にとっては明確な変化をもたらしている。
「風岩先輩は和食しか食べない、中でも好物はうどん……昼食時に選択する確率は、この三日間では百パーセント。トッピングはそれぞれ、きつね、月見、天ぷら。炭水化物は効率のいいエネルギー摂取の方法ではありますが、しかしこれ一品だけでは栄養素が不足しがちです。麺の量を減らして野菜を摂るか、サプリメントで補って下さい」
「別に野菜が嫌いなわけじゃねえんだよ。ここの和食さ、和食とはいっても食材が外国産で、なんか違うんだよな……焼くだけならまだいいけど、煮たり漬けたりすると味の差が如実に出るっていうか」
「好き嫌いはいけませんよ、先輩。特にビタミンB群の欠乏は、視神経の機能低下を招きます。超高機動型のセイファートを操るあなたにとって最も重要な栄養です。優先して摂取すべきです。
体調の僅かな差が勝敗を分けるかもしれないというのに、自ら英雄になる可能性を狭めてどうするのですか」
「わかったよ、BなB……」
瞬はメアラに生返事をする。
メアラは、自分が注文したナポリタンとサラダのセットにはまったく手を付けることなく、瞬の選んだ料理に使われている材料を細かくメモしていた。
しかも、記録するのは昼食時に限ったことではない。
メアラはヴァルクスに配属されてからの数日、暇さえあれば瞬をつけ回し、役に立つのかどうかもわからない、ありとあらゆる行動データの収集に勤しんでいた。
そして僅かでも素行に問題があれば注意に現れる。
こうなってしまったのは、ケルケイムほか何人かの隊員が、瞬が“英雄になること”を目標としているのを、メアラに漏らしてしまったのが原因である。
おかげで、英雄の存在に対して過剰な憧れを抱くメアラに、更に気に入られてしまったのだ。
「今の私は、部隊の戦力としては全くの無価値です。残念ながら、何のお役にも立てません。ですが、あらゆる面で世話を焼かれるだけのお荷物になるつもりもありません。ですので、私と同じ理由でパイロットになり、そして私の憧れである存在を目指そうしている風岩先輩を、あらゆる方面からお助けしたいと思います」
というのが、メアラの言い分である。
意気込みだけは、素直に感服する。
自分にも轟にも連奈にもない、思わず拍手を送りたくなるような義理堅さだ。
しかしその産物が執拗なストーキングでは、ありがたみは薄い。
ただ――――息苦しさに苛まれながらも、瞬は、けして怒りを覚えることはなかった。
厳しい訓練を潜り抜けてきたつもりだったが、メアラに小言をいわれる度に、自分の甘さが幾らでも浮き彫りになってくるからだ。
操縦技術以外の部分では全く勝利へと向かっていないことを、いやというほど思い知らされるのだ。
大体メアラは、ひどく理不尽な要求をしてきているのではない。
少なくとも今のところは、小うるさい家族や教師から解き放たれたことで弛んでしまった瞬の生活面を、どうにか改善しようと奮起しているだけだ。
同席する轟や連奈、それにセリアも、メアラの押しの強さに呆れてはいるが、逆にいえばそこまでの反応だ。
悪質なトラブルメーカーという認識にまでは及んでいない。
あまりにきつい第一印象だったせいで、自分もまた過度の不安感を抱いてしまったのだろう。
それに、先輩と呼ばれ慕われるのは、存外に心地がいい。
だから瞬は、とりあえずメアラという人間の善し悪しを保留にすることにした。
「まるで夫婦みたいじゃない、あなたたち」
「ど こ が だ」
「見たまんま全部じゃねーか。世話焼き女房にタマ握られた、うだつのあがらねー旦那ってところか」
「いい例えをするじゃない、北沢君」
「ふざけんな、手柄は平等だろうが今のところ!」
大体、メアラ程度のアクの強さで音を上げていては話にならない。
敵も味方も見渡す限り、一癖も二癖もあるような面々ばかりだというのに。
元々図太い性格であると自認していたが、ヴァルクスの隊員となってから、更に強靱さを増したように思う。
「それにほら、メアラだって一生オレみたいなのの面倒を見続けるなんて嫌だろ?」
「風岩先輩が見事英雄になった暁には、そういった関係になることも吝かではありませんが」
「おい!」
「あら、とっくに合意の上じゃない」
「オレは合意してねえよ! っていうかメアラ、逆にオレの地位が失墜しまくってるじゃねえか、お前の加入でさ!」
「そうなんですか? 北沢先輩、三風先輩、アーリアル先輩」
「元からだろ」
「元からよ」
「まあ、割を食うポジションではあったよね」
「嘘つけ、ここまでじゃなかったろ! どのみちよ、メアラよ、まずオレの、このひどい扱いをどうにかするのがお前の夢の第一段階だろ! もっと持ち上げる方向でいってくれ!」
「自分の力で乗り越えるべきところ自分の力で乗り越える、それが英雄というものではないのですか。なんでも助力を求めてはいけませんよ」
「くそっ、ああ言えばこう言いやがる……!」
「まさにテメーの後継者みたいなもんじゃねーか」
わめけばわめくほど、火に油を注ぐだけだということをようやく悟って、瞬は口をつぐんだ。
メアラも、眼前のナポリタンが冷めてしまわぬよう、急いで手を付け始めたので、ボックス席にはしばしの沈黙が訪れた。
元々、メアラを除いた四人は、同席したところであまり会話が弾まない。
険悪な仲というわけではないが、轟も連奈も雑談というものをあまり好まない性格である。
セリアがいれば、瞬と連奈に少しは話題を振ってくることもあるという程度だ。
その意味で、メアラの騒がしさは、ただのBGMであってくれるのならば悪い気はしないのだが。
瞬が、ぼんやりとそんなことを考えていると、轟が二杯目のステーキ丼を持って帰ってくる。
轟が二食分を平らげるのはいつものことだ。
元より筋肉の塊のような肉体で、かつ瞬以上の身体トレーニングを行なっている轟は、カロリーの消耗が激しいらしい。
「おい大砲女……コショウ、独占してんじゃねーぞ」
「ああ、はい」
轟は、連奈が自分のナポリタンに使ったきり、そのまま手元に置いていた胡椒瓶を受け取る。
そして、丼の上に盛大にばら撒いた。
振る回数がやたら多いなどという生易しいものではなく、内蓋を外して、どっさりと。
その様子を見ながら、セリアは渋面を浮かべる。
「相変わらず、ダイナミックな味付けだね……。健康を管理されるべきは風岩君ではなく君の方じゃないのかな」
「うるせー通信女。俺は、このくらいじゃねーとピリッとこねーんだよ」
「それはもう、色々と末期なんじゃないかな。早期にお医者さんに相談することをお薦めするよ」
「一杯目は普通に食べていたじゃないですか、北沢さん」
「あれは前菜みてーなもんだ。じっくり味わうのは二杯目からだ。言っとくが後輩女……俺は自分の食い方を変える気はねーからな」
「北沢先輩の英雄ポイント、大幅にダウンです。ああ、そういえば別件で気になることが一つ……」
メアラは呆れたような表情を見せた後、唐突に電子メモパッドを手に取り、再び画面に指を走らせる。
「テメー、また余計な真似を……!」
直前に視線を合わされたことから、その行為が自分に関係するものだと察した轟が、メモパッドを奪い取ろうと手を伸ばす。
だが、寸前でメアラの発した一言が、轟を一瞬で硬直させた。
「やはりそうです。過去のデータを見直して見る限りそうです。北沢先輩……女性の方を、お名前で呼んだことがありませんよね」
「……っあ?」
「いえ、あの、まだ三日分のデータですし、統計を取るにしてもデータが不十分であることは重々承知しているのですが。でも、今回も含めた十九回全て、女性の方を愛称とも蔑称ともつかないような渾名で呼んでいらっしゃったので」
「……だから、どうしたってんだ。名前を呼ぶに値しねーだけだ」
そう答える轟の語調からは、いつもの堂々とした覇気が失われていた。
加えて、いつになく早口でもある。
「ああ、なるほど。そこまでの信頼関係が醸成されていないと」
メアラはそれで納得しかけるが、瞬はくぐもった笑いを漏らしてしまう。
あの轟が珍しく動揺する素振りを見せているとおり、瞬も以前から、これは結構な弱点であると踏んでいた。
強烈なボディブローでありすぎるため、敢えて言う必要もないだろうと思っていたことだ。
だが、メアラという、それまで予想もしなかった方向から今日ついに繰り出されることになってしまった。
そしてセリアが、まず間違いなく意図的に、それを明言してしまう。
噴き出すのを堪えるかのように、軽く身震いしているのがいい証拠だ。
「違うよメアラ。恥ずかしがり屋さんなんだよ、北沢君は。普段は悪ぶっているけど、こういう可愛いところもあるんだ」
「おいテメー、なにを勝手に!」
「別になにもびびることはねえって。オレは普通に名前で呼んでるじゃねえか。連奈にセリアにメアラ、はい、リピートアフターミー?」
「だから、それは……クソ、矛先が変わった途端元気になりやがってよテメーは!」
「女子との距離感の取り方がわからないとか、目を覆いたくなるような格好の悪さよね」
「そんなことではいつまで経っても親睦が深まりませんよ。仲間との交流は戦いに勝つにあたって大事な要素です」
「深めるつもりもねーっつってんだろーが!」
轟は、まるで腹に力の入っていない叫びを上げると、丼の中身を一気に掻き込んで食堂を去ってしまう。
ひどくもつれた足取りで、しかし異様な速度で。
本当に、まったく、言い訳しようのないほど、見事な敗走だった。
ここまで無様な轟の姿を、瞬は今までに見たことがない。
メアラによってもたらされる人間関係の影響というのは、まだまだ未知数のようだ。
「……轟の奴、食器戻していけよな」
「だっさ」
「うん、私たちも少し言い過ぎたかな……ってあれ、そんなことを考えていたのは私だけか」
「いいっていいって、ほっとけって。つーか、その結論はオレのときに思ってくれよ」
「だって風岩君は、こういうノリでは本気で怒らない柔軟性があるって、はっきりわかるからさ。北沢君は、そこのところ線引きがいまいち不明だ」
「結構気難しいところあるよな、あいつは」
そう言って、瞬は冷えた烏龍茶を一気に飲み干す。
いったい何故、とは思わない。
ほとんど唯一といっていいだろう、轟自身から過去の境遇を聞いた瞬には、大体の想像は付く。
轟は、心の底から信じられる人間というものにあまり恵まれず、心中に孤独を抱いて生きてきた。 それ故に、積極的に他者と関わることを苦手とし、他者からの優しさも好まない。
だからこそ、適度に罵り合う今の関係が、轟にとっては一番やりやすいのだ。
「二人はさ、なんだかんだ北沢君という人間のことを、ほぼ正確に把握できているよね。私は、わからないところが沢山ある」
セリアの口から、そんな自嘲じみた言葉が出てくるのは意外だった。
この面子の中では一番精神的に成熟しているといっても過言ではなく、他人の性格も、感覚的に把握するだけの自分や連奈とは異なり、心理学的な見地から分析できる才女のはずだ。
「私も?」
「ただ冷たく突き放しているのとは少し違うじゃないか。二人とも、彼が自然に振る舞える距離感を理解した上で、あえて隙間を空けているように見える」
「自分が煩わしい思いをしたくないだけよ。それに、あんな極端にとんがったの、理解できない方が正常でしょ」
「そうとも言えるんだけどさ……」
「っていうか、普段は手玉に取るくらいの勢いじゃんか。十分わかってるから、できることだろ?」
「それもどうなのかなと、最近思い始めてきてね。……おっと、そろそろまたシフトの時間だ。お先に失礼させてもらうよ」
セリアは薄く笑うと、轟が置いていった丼まで一緒に持ってカウンターに向かっていく。
今日に限ってらしくない素振りを見せるのは、セリアも同じのようだ。
「……変なの」
「変だな」
残ったのは、瞬と連奈、それにメアラだ。
このまま座っていれば、風岩家についても根掘り葉掘り聞かれそうな予感がして、瞬と連奈もすぐに席を立った。
「うっ……」
「おや、どうかされましたか」
いつものようにショットバーで高級ブランデーを呷っていた白髭が、軽くむせる。
それを聞いて、ジェルミは退屈を凌ぐかのように尋ねた。
心配する様子がないのは、傍から見れば一目瞭然である。
ジェルミの視線はずっと、自分のグラスに注がれた、照明の光を受けて赤く妖しい輝きを放つブラッディ・マリーに向けられていた。
「いや、最近少し胸焼けがひどくてね。不摂生の賜物さ。だが、止められないものは止められない。誰に忠告されようとね……」
白髭は、低い声ながらも心底愉快げに笑う。
この現状を誇るように、一切の後悔も見せることなく。
喉と食道に残留し続ける、逆流した胃酸の微かな痛みすらも、快楽へと変えて。
「おや、残念。戦いとは関係のないところでリタイアというのも、それはそれでと思ったのですが」
「体調がどうなろうと、このゲームは継続させて貰うさ。病気患いで酒の肴になるのは、彼だけで十分だ」
「アメリカの方へ遊びに出て、まさか季節外れのインフルエンザに感染とは……しかもかなりの変種だったようですね。流石の私も、その類い希なる不運とウイルスだけは奪おうと思わない」
白髭もジェルミも、一昨日から自室で寝込んでいる男の、その滑稽な姿を想起して渋い笑みを浮かべた。
最も多くの都市を制圧し、最も多くの人命を奪った、最も強堅なるパイロット――――通称、B4。
本来であれば、ジェルミの次に出撃することが予定されていた男だ。
具体的な日取りで言えば、明日。
しかし、そのB4のコンディションが現在どうなっているかというと、白髭とジェルミが話すとおりである。
「彼の看病を任されているゼドラ君も大変だな。万事を完璧にこなすゼドラ君に限って、二次感染の心配はなさそうだが……」
「ゼドラ君の多忙さも、羨ましいとは思えませんね」
B4の愛機である第一号機もまた、例に漏れず対メテオメイル戦用の強化改造が完了し、準備はこの上なく万全だった。
それだけに、直前になってからの病欠扱いにも、余計に滑稽さが増していた。
白髭以上に前回の出撃から間隔が開いていたせいか、本人は無理をおしてでも出撃しようとしていたのだが、それも叶わぬ夢である。
「“あの御方”直々のストップが出てしまっては、彼でもどうすることもできないものな。まあ、おぼつかない思考と衰弱した肉体では、確かに面白い戦いにはならないだろうが……」
「それで結局、此度の侵略はどうなったのです? 中止になったのは彼の出撃だけでしょう」
「ああ、それなのだがね……“あの御方”のご提案で、今回は少し変化球で行くらしい。今後を見越して、やっておかなければならない事だそうだ」
「今後、ですか。どうやら“あの御方”は、まだまだ長く楽しむつもりのようだ。それは無論、ワタシにとっても望む所なのですがね」
ブラッディ・マリーを飲み干したジェルミは、マスターに、全く同じものを再度注文する。
濁りの中に幻想的な美しさを備えた、その矛盾に魅せられたのか如く。
「とりあえず、代理の目星は付けたと仰っていた。未だに声がかかっていないということは、どうやら私や君ではなさそうだが……」
「その答えは、もうしばらくここで酒を愉しんでいれば判明するでしょう。オーゼスのパイロット達は皆、自己主張の激しい者ばかりですからね。自分に出撃の機会を与えられたのならば、吠えずにはいられない」
「そうでなければサミュエル君か。成程、分かり易いな」
だとしたら、不健康な体に鞭を打って飲み続ければならないではないか――――白髭は、わざとらしく笑いながら、そう付け足した。




