第53話 鏡写し(後編)
「どうした風岩、そんな難しいツラしやがってよ」
シミュレーター訓練の休憩中、脇で拘束されているスラッシュがそう声を掛けてきた。
マシンから繋がった端末で今日の戦闘データに目を通している瞬は、向き合うこともせずに画面を眺め続ける。
だが、そうした表情であることを否定できない時点で、負けも同然だった。
休憩時間が終わるまで、スラッシュの玩具にされることは確定だ。
「……うるせえよ」
「薄っぺらなテメエがシリアスになったところで、滑稽なだけだぜ?」
「だから、うるせえって言ってんだろ」
「おいおいおい、人生の大先輩、スラッシュ・マグナルス様をもっと頼ってくれよ。女の落とし方くらいならタダで教えてやるぜ? 俺様、そっちの方面でも百戦錬磨だからよ」
スラッシュが喉を鳴らして笑う。
見事なまでに他人の不快指数を跳ね上げることに特化した、その音域の前では、顔を見ないくらいではなんの対抗措置にもならない。
観念して、瞬はスラッシュと目を合わせた。
「肝心なことは話さねえくせに」
「ジェルミの旦那のことか? どうだ、最悪にイカす御仁だっただろ?」
「……らしいな」
スラッシュはジェルミの出撃を予見していながら、交戦前に、それを瞬達に話すことはなかった。
ジェルミとケルケイムの浅からぬ因縁については、ケルケイムの口から語られることになったが、だからといってスラッシュの黙秘に不満がないわけではない。
「あんたが事前に教えてくれてりゃあよ、司令だってもうちょっと冷静に対処できたはずだ。そうなりゃ勝ててたかもわからねえのに……」
「あの後、また乗り込んできたケルケイムちゃんにも言ってやったがよ。俺様は命を繋ぐために仕方なく協力してやってるだけで、依然としてテメエらの敵だ。契約の適用外のサービスはしねえ」
「オレ達が嫌な顔をしそうなことは、その範疇でなんでもやるってか」
「当然だろ? 大体、あのケルケイムちゃんのことだ。教えたところでブルっちまったに違いねえ。けひひ……」
ケルケイムはそこまで脆い人間ではないという反発と、そうかもしれないという肯定が半々だったため、瞬はそこには言及しない。
そもそも、ジェルミという人間の狂気があまりに常軌を逸していることが問題なのだ。
「それに、俺様だってラニアケアに移送されてからこっち、何の情報も得てねえ。ジェルミの旦那とは引き分けたらしいが、オーゼスも連合も、他の動きはさっぱりだ」
「わりと色々変化はあるぜ、色々な」
「テメエの悩みの種も、その一つってか。最近になってからだもんなあ、そんなツラをするようになったのは」
「……正解ついでに、その件で大先輩様にアドバイスを仰ぎてえんだが。確かにあんたなら、いい答えを知ってそうだ」
「おう、何だ何だ。言うだけ言ってみやがれ」
スラッシュが興味深げに、拘束された中で出来うる限りに顔を近づけてくる。
まともな返答が来ることに期待はしていないし、第一、弱みを握られる可能性もあるため、本当は相談したくなどなかった。
それでも言葉にしてしまったのは、相応の重圧を彼女に感じているからであろう。
瞬は、スポーツドリンクを何口か飲んで、それから自嘲するように言った。
「女の上手い避け方についてだ」
「メテオメイルのパイロット候補生として、本日よりヴァルクスに配属されることになりました、メアラ・ゼーベイアと申します。未熟でありますゆえ、皆さんのお手を煩わせることも多々あるとは思いますが、一刻も早く一人前のパイロットとなるよう努めますので、どうかよろしくお願い致します」
ケルケイムの執務室にて、メアラはそう言って、瞬達三人に小さく頭を下げた。
言葉は一切の淀みなく発せられ、身のこなしも落ち着いている。
今日初めてラニアケアに足を運び、司令官であるケルケイムや正規パイロットである瞬達と対面しても、緊張は欠片もないようだった。
むしろ、大波のような力強さを感じさせる憧れの眼差しに、出迎える瞬達の方が気圧されているところがあった。
「ああ、こっちこそよろしく。オレは初めましてじゃないよな」
「はい。お顔を拝見したのは今日が初めてですが、四日前に日本で行なわれたイベントの際、ご挨拶しました」
「らしいけど……あなた、日本住まいなの?」
「いえ、ずっとオーストリアでの暮らしです。あのイベントのために単身、日本へ渡ってきました。パイロットとしてのスカウトを受けたのが、その二日前でしたので、最後の自由な時間を有意義に使いたかったのです」
「んで、帰国してからすぐに、今度はラニアケアにか……」
随分性急な話だと、瞬は思う。
ロベルトから四人目の適性持ちが見つかったという報告を聞かされてから、まだたったの一週間である。
稀少な人材なだけに、身柄の保護は迅速に行なわれるとロベルトは言っていたが、それにしても驚くべき早さだ。
まだ正式なパイロット扱いではないというのは、確かに、まだ十二歳のメアラを協力させるにあたって絶妙なラインではあるが――――
「それにしたって、よく親御さんが即決で許可をくれたもんだ。結構揉めたぜ、うちは」
「私も」
「親じゃねーが、俺の所もだ。危ねーだのできるわけねーだのと、本人の意向を無視して喚きやがる」
「悲しいことに、我が家もそうでした。子供の意志を尊重しようとしない親というのは非常に難敵です。しかし、僅かでも追加戦力が求められている現状、そんなところでまごついているわけにもいきません。なので、メテオメイルの四機運用体制が実現した場合のメリットおよび、私がスカウトを拒否したことによる被害の増大を主題とした八時間にも渡る説得の末、強引に説き伏せました」
「うーわ……」
瞬は隠しもせずに乾いた笑みを浮かべる。
どうやら、自分達だけではないらしい――――メアラが放つ、途方もない熱意や期待に由来した重苦しさに圧倒されているのは。
「随分、乗り気みてーじゃねーかよ」
「もちろん最初は戸惑いました……私自身がメテオメイルを操って戦う立場になるなどと。ですが、十億分の一以下という超低確率を潜り抜けて“選ばれた”という、その事実が、私に無量の勇気をくれたのです。すぐさま何かが変化するわけではありませんが、それでも信じられるようになるではないですか、自分自身の可能性を」
「俺は元から信じてるから関係ねーな」
「同じく。誰かに乗せられなくたって、私は私をやれるわ。瞬は違うみたいだけど」
「おい連奈、オレは別に、そんな……」
瞬は咄嗟に反論しようとしたが、言葉が喉の奥から出て来ようとしなかった。
まったくの真理であるからだ。
轟や連奈とは異なり、自分だけは逆だった。
パイロットに選ばれたこと自体が、願いを叶えるために動き出す燃料になっていた。
それでも過酷な試練を乗り越える内に、いつしか二人と同列になっていたと思っていたが、自分と同じ道を辿ろうとしているメアラを見ると、どうしても不安を覚えざるをえない。
自分の行く先に関してもそうだが、自分がメアラにとっての標になってしまっていることもだ。
前を進む者として、後に続く者を導かねばならない責任を、背負わされたといってもいい。
「本当ですか! 先輩も、この喜びをわかってくれるんですか!」
案の定、メアラが瞳を輝かせながら詰め寄ってくる。
同じ境遇である者を見つけた歓喜に――――そして、自分は理解者であるという確信に満ちて。
「どうやら波長が合うみたいですね、私たち! そんな予感はしていたんです。最初にあなたの戦いを見たときからずっと……!」
「っ……」
「悪いが雑談はそこまでだ。親睦を深めるのは、自由時間でもできるだろう」
躊躇なく懐に入ってくるメアラに、瞬が思わず後ずさりしたところで、ケルケイムが話に割って入ってくる。
瞬への助け船というわけではないだろうが、それでもメアラの勢いを止めてくれたのは有り難かった。
「メアラには当面の間、体力強化と、座学を主体とした操縦技術の習得に努めてもらうことになる。お前達三人にも、面倒を見てもらうことがあるかもしれない」
「とはいっても、一から鍛えるんなら、数ヶ月くらいじゃどうにもならないと思うぜ。その間に戦いが終わるかもな」
「無論、そうであることが望ましい。だが、そうでない場合を想定して十全な備えをしておくのが、私や連合の仕事でもある。私としても、お前達以上に年若い人間を預かること対して抵抗感はあるが、万全は期さねばならない。申し訳ないが、手は貸してもらう」
「了解だ……」
後輩の育成に手を貸すこと自体は理に適った仕事であるため、瞬は仕方なく了承する。
ここでメアラが変に活気づくことなく、恭しく頭を下げたのも、そうせざるを得なかった一因である。
メアラが戦いの渦に飛び込んで来たのか、瞬がメアラという渦に巻き込まれたのか、或いはその両方か――――ともあれ、これまでほとんど一人だけで占有してきた心の空間が、他人のそれと大きく 混じり合い始めたことだけは確かだった。




