第52話 鏡写し(前編)
「このご時世に、よくもこれだけ集まったもんだ……いや、こんなご時世だからか」
セイファートの正面モニターに映し出されている光景を見て、瞬は感嘆せざるを得なかった。
快晴の空の下、地面に膝を付いたセイファートの足下では、凄まじい長蛇の列が形成されていた。
列とはいっても、幾度も幾度も隙間なく折り返しているために、視覚的にはほとんど一塊のようなものだ。
前方百八十度は例外なくそのような様子で、まさに人海という表現が相応しい。
あまりにも数が多すぎるため、ざっとどのくらいの人数がいるのかさえ把握することもできない。
そして今もなお、続々と最後尾が伸びていく。
比例して、豪雨のごとき歓声もよりボリュームを増していった。
『風岩君、たった今、来場者が五万人を突破したらしいよ』
「ごまん!? フィフティサウザンド的なやつ!?」
『的というか、そのものだよ』
数十メートルほど後方に設置されているテントの中から、セリアが苦笑しながら報告してくる。
彼女もまた、休日出勤を言い渡された一人であった。
メテオメイルパイロットの個人情報は軍の最高機密であり、日々の動向を把握する者は最小限に留めなければならない。
そのため、今回に限らず、本来の職務の範疇を超えて付き合ってもらうことは多かった。
内心ではどう思われていようと、少なくとも表には出さないでいてくれるセリアには感謝の気持ちしかない。
セリアはそんな瞬の表情を読み取り、先にフォローを入れてくる。
『気にしなくていいさ。数少ないラニアケアを出る機会だからね。気分転換のためにも、むしろウェルカムといったところだよ』
「助かる……」
『というか、負担の面では風岩君の方が明らかに勝っているしね。君に愚痴は言えないよ』
「オレだって乗り気さ。体よく使われる形ではあるけど、いかにも英雄っぽい仕事だしな」
瞬は満悦の笑みを浮かべ、改めて会場の全景を見渡した。
ここは、神奈川の沿岸部に、つい十年ほど前に作られたばかりの、広大な敷地面積を誇る市立公園だ。
良くも悪くも芝生が広がるだけの平地であり、有名歌手のライブや各種祭りなど、大規模なイベント会場として利用されることが多い。
今回、瞬が任せられた仕事も、その例に漏れず、相当数の市民の参加が想定されていた。
“第一回 セイファートふれあいフェスティバル”と雑に銘打たれたこのイベントは、市民との直の交流によってイメージアップを狙うという意図で、連合政府が計画したものだ。
催しのメインとなるのは、パイロット直筆サイン色紙のプレゼント抽選である。
しかも、その場で行なうくじ引きに当選した来場者へ、セイファートが直に手渡す形式だ。
また、抽選結果とは関係なく、機体の撮影は自由。
フィギュアやポスター、映像メディアなどのグッズも多数販売されているという。
イベント自体の収益も計り知れないが、この日のためにわざわざ遠方から足を運んだ人間も多く、凄まじい経済効果も期待できるようだった。
「さてと、そろそろ抽選会が始まるな。阿鼻叫喚に備えて、外の音声拾うマイクの音量は下げとくか……」
瞬は脇のコンソールを操作しながら呟いた。
これから行なう作業のために倍率を上げたメインカメラを通して、先頭付近の市民達の様子が窺える。
大人も子供も、異様に昂揚、あるいは緊張した面持ちがほとんどだ。
そのくらいには、セイファートという存在は憧れの対象であり、自分のサインにも価値はあるというわけだ。
今までは、テレビでどれだけセイファートの活躍が賞賛される様子を見ても、どこか他人事のように感じてしまっている自分がいた。
だが、実際に生の反応を目の当たりにしてようやく、これほどの人間から認められ、応援されているのだという実感が湧いてきた。
込み上げてくる嬉しさに、思わず小躍りしたい気分になってくる。
英雄になることを目指して戦ってきたが、もう既に、十分にその目標は達成できているような気がしないでもない。
しかし、事前に用意した――――本当に自力で書かされることになったサイン色紙の枚数は、ちょうど千枚。
抽選参加者が何人になろうと千枚だ。
自分の書いたサインが、受け取った者にとって一生ものの記念品になるのは喜ばしいことだが、外れた者のリアクションまで間近で見続けなければいけないのが辛いところだった。
「ああ、オレが選ばれた側だからか……」
慢心から出た言葉ではない。
ひょっとしたら――――いや、天文学的確率で舞い込んできた幸運がなければ、自分も見上げる側 だったのだろうという、薄ら寒さを感じたからだ。
だがもう、夢のような展開だとは露程も思わないだけの現実を、自分は潜り抜けてきた。
その事実を心に縫い止めるように、瞬はセイファートの操縦桿を握り込んだ。
これからかなりの長時間にわたって、操作に集中しなければならない。
かなりの精密作業が求められる上に、この機体には乗り慣れていない。
『しかしまさか、2号機の初めての任務が、これとはね』
「まったくだ。まあ、1号機は場合によっては轟や連奈が使うかもしれねえから、ラニアケアに置いとかなきゃいけないんだけど」
今、瞬が搭乗しているセイファートは、予備機である2号機だった。
型式番号はAHAF-001/2。
普段は静止軌道上の軍事工廠“テヒラー”において、新しい武装や機能、OSなどのテストデータを収集している機体である。
ヴァルクスで運用されている、瞬のセイファートこと1号機とは全くの同型であり、外観にも差異はない。
ただし、瞬の癖がとことんまで動作補助プログラムに反映された1号機とは異なり、こちらのソフトウェアは極めて初期仕様に近く、中々のぎこちなさがある。
加えて、動力源もバッテリー頼みであり、力の入れ加減を間違えるだけでメインシステムが落ちる。
南極の近海で行なわれた救出作戦と同様、繊細に扱わねばならないというわけだ。
「バウショックやオルトクラウドの完成が遅れてたら、お前が本物になってた未来もあったのかな」
瞬がそう言葉を投げかけた直後、時刻は十時ちょうどを迎え、いよいよ抽選が開始された。
参加者達から解き放たれた圧倒的な興奮の熱量は、コックピット越しにも十分すぎるほどに伝わってくる。
果たしてこれからも、彼らの期待に応えるような戦いができるだろうか――――瞬は、己に問う。
期待というその言葉の、本当の意味と重さに気付くこともなく。
「……とうとう来たか、そういう話」
「ああ……!?」
「当然といえば、当然のことではあるけれど……」
数日前――――
ラニアケア、中央タワーの応接室にて、瞬、轟、連奈は同時に顔をしかめてみせた。
「今し方、耳に入ってきたばかりの情報がある」と、三人をここへ呼んだのは、副司令のロベルトだった。
まだ、話の子細は聞いていない。
しかし、“四人目が見つかった”という最初の一言だけで、瞬達の不安感を掻き立てるには十分だった。
「露骨に嫌そうな顔をするな、君達は」
予想通りの反応すぎたのだろうか、ロベルトは苦笑いを浮かべながら、自分で淹れたコーヒーを啜った。
あくまでスケジュールにない雑談のレベルであり、気楽に聞いてくれというアピールなのだろうが、とてもそのような気分にはなれなかった。
「普通は、喜ぶものなのだがね。仲間が増えるかもしれないという話は」
「俺達は仲間じゃねー。誰が一番多く奴らの首を取ったか競争するだけの集まりだ」
「あなたと瞬だけでしょ、私はそういうの興味無いわ。出番が減るのが嫌なだけ」
「それもだよな。敵がわんさか出てくるってんならともかく、オーゼスは少数精鋭だ。一機撃墜の重みがでかすぎるんだよ」
これまで三等分だった機会が四等分へ。
オーゼス壊滅の可能性はより高まるが、各人の願いの成就は遠のく。
オーゼスのメテオメイル保有数が想定の九機から一切増減しないことが前提で、手柄を分け合った場合、各人の撃墜数が3:2:2:2などという微妙な結果になることも大いにあり得る。
そうなってしまうと、例え一番多く敵を倒せたとしても、唯一無二の強さを持つ存在であると誇るのは苦しい。
これが、母数の増加が喜ばしくないことの具体的な理由である。
「まあ落ち着きたまえ。風岩君の直感力や三風君の洞察力なら、私からの話であるという点から、色々と察しは付くと思うのだが」
「ん、ああ……」
「あくまで“見つかっただけ”の段階であるということね。もっと話が進んでいるのならば司令の方から通達があるはずだもの」
「そう、それだ」
満足したように、ロベルトが答える。
連奈と全く同じ結論を出せたが言語化するのに手間取り、それがロベルトの挙げた性質通りの差であることを、瞬は理解した。
「今年の一月から世界各地で始まった、パイロット選別のための適性検査だが、ヨーロッパ方面の一部地域で機材の不備があったことが今更になって発覚してね。大至急、当該地域で再検査を行なったわけだが、そこで“彼女”は見つかった。SWS値は114。風岩君、北沢君を超える素養の持ち主だ。……だが、多分しばらく保留になるだろうな、この件は」
「性格に難有りってか?」
「だったらお前が真っ先に弾かれるだろうがよ。いや、お前はあれだな。なんちゃって不良をやってるだけで実はそこまで……」
「うっせー黙れボケ! なんちゃって英雄が!」
「パイロットをやらせるには、少々若すぎるんだよ。彼女は君達の二つ年下、十二歳だ」
瞬と轟の言い合いは無視して、ロベルトは連奈に向けてそう言った。
「十四歳組をパイロット登用する時ですら、児童の軍事動員に関する議定書に抵触するということで、だいぶ揉めたからな……今回はどうなることやらといったところだ。そもそも、年齢に起因する判断能力や身体能力の面でも不安が多い。どちらも、すぐに解決する問題ではないしね」
そういったことを考えれば、瞬達はだいぶ幸運に恵まれているといえる。
長年、風岩流剣術の修行を積んだ瞬。
喧嘩やトレーニングで筋力強化に余念のなかった轟。
面倒くさがりだが、陰で研鑽を怠らない連奈。
同年代の中でトップクラスとまではいかないまでも、肉体の丈夫さが平均以上の水準に仕上がっていることは確かだ。
性格も好戦的といっていいし、瞬と轟に至っては場数も踏んでいる。
ここまで揃っている人間の存在は、割合としてはかなり少ないであろう。
「でも、保留つっても、どうするんだ?」
未だに轟と両手で掴み合いを続けながら、瞬は尋ねた。
メテオエンジンを稼動できるほどの精神波を放出できる者は、未だに数億人に一人というレベルの稀少な存在だ。
現時点でパイロットを任せることが難しいとして、だからといって放っておくわけにもいかないはずだ。
戦火に巻き込まれるようなことがあれば、その損失は余りにも大きすぎる。
「今後の扱いは未定だが、身柄の保護だけは、すぐに行なうそうだ」
「実質、連行みたいなものじゃない」
「その分、できるだけいい待遇になるよう口添えはさせて貰うよ。君達ほどとはいかないだろうが……」
「そもそも、パイロットになりたいかどうかもわからないしな、その子……ええと、名前はなんていうんだ?」
「確か――――」
セイファートに向かって押し寄せてくる人の波は、すぐに左右へと流れていく。
抽選の仕組みは非常に単純だ。
参加者は、メテオメイル用と呼んでも差し支えないサイズの超巨大ボックスの中から、当たり外れの記されたボールを取り出すだけでいい。
当たった場合には、係員が大音量のファンファーレを流す。
それは瞬への伝達でもある。
「おっと、続けざまに出たのか。こんなこともあるんだな」
二度続けてファンファーレが鳴り、瞬は慌ててセイファートを操作した。
セイファートの左手の上に山積みされたサイン色紙を、右手でつまんで当選者に渡す。
ただこれだけの仕事だが、意外と難しい。
さすがにつまむ動作は半自動化させているが、渡す相手は身長差があるため、そこは手動で調整する必要があるのだ。
うっかり落としてしまっては格好が付かないので、その意味では実戦以上にシビアさが求められた。
今回の当選者は、父親に肩車された幼稚園児くらいの子供と、その後ろにいた太った男だ。
子供の方は瞳を輝かせながら喜んでいたが、太った男の方は受け取ってもむすっとしたままで気に入らない。
そんな風に、セイファートを目の当たりにした人間の反応を一々観察していると、あっという間に三時間以上が経過していた。
午後一時半からという、完全に運営の都合で決められた休憩時間まで、あと数分。
ここまで一万五千人ほどがくじに挑戦し、見事サインを手にしたのは六百人ほど。
想像より早いペースでのはけ方だ。
この確率なら、あと一万人ほどで当たりが出尽くす計算だ。
そのためか、三万人から先の人間の中には列を離れる者も多かった。
彼らに対する申し訳なさはあったが、正直なところ、そこまで長時間付き合う気もない。
五時までには解放されて、のんびり休息を取りたかった。
「二時半の再開まで自由に動き回っていいんだったよな。いやあ、迷うな……」
会場の左右に並ぶ屋台の数々を見渡して、瞬は思わずよだれを垂らしてしまう。
日本での食事自体も久々だが、祭りでの外食などは実に半年ぶりだった。
特に大食いというわけでもないが、目に付いたものは全て買いたくなる衝動に駆られてしまう。
「焼きとうもろこし、たこ焼き、お好み焼きに、オレが唯一食える洋食ことフライドポテト……ぐへへ、上手そうに食ってるところの写真撮って、あとで轟と連奈の奴に自慢だな」
などと意地の悪いことを呟いた矢先、またもファンファーレが鳴る。
今度の当選者は、ブロンドの髪の少女だった。
瞬の側からではどうなっているのかよくわからないが、首元から左右に出てきたボリュームのある髪を肩にかけていた。
年の頃は瞬より少し下だろうか。
背丈は確かにそのくらいなのだが、幼い顔立ちの割には妙に目力が強く、纏う空気も場にそぐわず、傍目にもわかるほどに緊縮していた。
まるで仕事で来たかのような隙のなさだ。
「外国から来たのかな……それとも、避難してきたかだな」
多少興味はあったが、どうせ一期一会以前の関係だ。
数分後には、そういう少女がいたことさえ忘れているだろう。
そう思いつつ、瞬はサインを手渡そうとする。
だが――――セイファートの手が間近に近寄ったとき、少女は小さく首を横に振った。
「いえ、申し訳ありませんが、私は結構です。それは、今日という日を心待ちにしていた他の方にあげてください」
「あ……?」
雑音が多すぎるあまり、完全に聞き取れたわけではなかったが、二言重ねられてしまっては疑いようもない――――少女は確かにそういう意図を述べたのだ。
では一体なんのためにここまで来て、わざわざ三時間も列に並んだのだと、瞬は呆れる。
すると少女は、そんな、言葉にすらしていないはずの呟きに答えてみせた。
「私はただ、自分の運命強度を試しにきただけです。英雄になれる素質を持つ者として選ばれただけなら、それは単なる偶然かもしれない。だけど、英雄自身の手によって何かを与えられたのならば、より必然に近付くことができる。私のような人間でも、凡百の介入を許さない大きなうねりの中で存在を確立できると、信じさせてくれる」
少女は、憧憬と陶酔の入り混じった瞳をセイファートに向ける。
度を過ぎた眩さを感じさせる、危うい輝きだった。
過剰に膨れあがった期待と信頼に満ちたその瞳は、どこかで見たような気がする。
そう、どこか、自分に限りなく近いどこかで。
瞬が呆然としている間、係員にも同様の旨を告げた少女は、再びセイファートを見遣った。
そして、過去の記憶と符合する、不思議な響きを持ったその名を発した。
「既にご存じでしょうが、メアラ・ゼーベイアです。最初にあなたの前へ姿を現す機会が、他人にセッティングされた状況であるなど、運命的とはいえません。なので、こうして足を運びました」
「お前が、副司令から聞いた四人目の……」
「色々とお話を伺いたい気持ちはありますが、今日は帰ります。まだしがない民草の身分である私が、英雄であるあなたに時間を割いてもらうなど以ての外ですし、それに……ここにいる皆様とは違って、これから何度でも会えるでしょうから」
可愛らしい少女の微笑みに、瞬の心はかすかな呻き声を上げた。
重く、息苦しく、圧迫されるかのような、痛みを伴うことのない、静かなる恐怖でだ。
瞬が己の内に残した、もう一つの試練が目覚める瞬間であった。
 




