第51話 狂気乱舞(後編)
「誰が最初に撃ったのか……それはさしたる問題ではない。テロリスト共と街の住民、両者にとってだ」
退避すべく、街から遠ざかる兵員輸送トラックの中で、ジェルミは他の隊員達に向けて、そう語る。
「自分達の街が、反連合勢力の補給地点として好き勝手に使われている……そのことを快く思わない者達の不満が爆発し、とうとう事を起こした。この脚本こそが重要なのだ。報復は当然あるだろう。なにせ、ただの示威行為どころではない。着弾点次第では死傷者も多分に出るであろうロケット砲弾による攻撃なのだからな」
「あなたという人は……!」
ケルケイムは憤怒の形相となり、片膝をついてジェルミに詰め寄った。
上官の胸ぐらを掴むという極めつけの無礼を働かずに済んだのは、ろくに整備もされていない荒れ地のおかげだった。
車内を襲った一際大きな揺れが、ケルケイムの腕を、体を支えることに専念させた。
「テロリスト達による粛清を意図的に起こそうというのですか! そんなことが、許されるはずがない!」
「住民側が武装蜂起してくれれば尚良しだがな」
まったく顔色を変えずに、ジェルミが返答した。
そして、自身の戦闘服の懐に忍ばせた、黒い柱状の装置を取り出す。
それが、街に残してきたMLRSの遠隔操作で発射するためのスイッチであることは、想像に難くない。
ケルケイムの額からは、どっと冷や汗が噴き出る。
「我々は、不用意に出てくるであろう連中を逐次掃討する。十分に戦力を削いだと判断できたら、突入して片を付ける。これで本来の戦力差を覆して勝利を収めることができるというわけだ」
短慮なテロリスト如きに、穴熊を決め込むという選択肢はない――――ジェルミはそう補足すると、ごくごく自然に、スイッチに指をかける。
「しかし、迎撃に最適と思われる、拠点と市街との中間地点からは離れていますが……」
「何を言っているのだね、クシナダ中尉。そんな場所で攻撃すれば、連中がすぐに引き返してしまう。立体物が多く、かつ状況の把握が困難な地形の方が、獲物を追い込むには適しているだろう?」
「ですがそれでは住民も……!」
「我々には、関係のないことだ」
自分の意見を全く聞き入れようとしないどころか、意に介してさえいない節さえあるジェルミに、ケルケイムは強く歯噛みした。
ジェルミという男のやり口が、民間人の犠牲を厭わず敵の殲滅のみに特化しているということは、過去に実行された数度の作戦において嫌というほど思い知らされていた。
政府の機密情報を横流しにして小遣いを稼いでいた閣僚を始末する任務において、数十人を乗せた客船を丸ごと沈めたこともあった。
別の小規模なテロ組織の拠点を攻略する任務において、そこへ物資を搬入している運送業者のトレーラーに爆薬を積み込ませたこともあった。
だが、少なくない犠牲者も出したとはいえ、それらの作戦は更に外部へ飛び火することがない、狭い範囲の中で完結したものだった。
しかし今回の“火付け”は、最悪の場合、連鎖的に複数の国家を巻き込んで燃え広がることになる。
それを理解してなお躊躇わないとなれば、ジェルミの異常性は、ケルケイムの想像を遙かに超えている。
だが上層部はおそらく――――エルタニンの活動痕跡を抹消できる限り、そして確実な成果が上がり続ける限り、ジェルミの暴挙を止めることはしない。
連合に仇なす害虫の排除は得でしかないからだ。
しかもこのミッションに関しては、事後対応次第では、残りの非加盟国を連合へ一挙に取り込める可能性を孕んでいる。
もはや完全に手段と目的が逆転しているといっていい。
何もかも、ジェルミが隊長の座について作戦を立案するようになった影響である。
ジェルミは、軍人としては破綻した思考を持ちながらも、上層部に絶大な旨味を献上することだけには長けているのだ。
「完全なる浄化という至高の結果へ至るために、小量の犠牲は、やむを得まい」
ケルケイム以外の隊員達が異を唱えないのも、ジェルミの指示した度重なる非人道的殺戮およびその幇助を幾度も経験してきたためだ。
皆が皆、抗う力を奪い尽くされ、正常な判断力さえも摩滅し、ジェルミの命令を忠実に遂行するだけの人形と成り果てている。
彼等の瞳に宿る感情は、虚無と諦観の入り混じった暗き光。
異物を見るような不審さを窺わせる視線は、むしろケルケイムの方にこそ向けられていた。
「待って下さい、アバーテ隊長……!」
よく、誰からも間違いのない男と評されてきたケルケイムだが、やはりそのような大層な器ではないと、このとき確信に至った。
ジェルミに見切りを付けるのが、余りにも遅すぎたのだ。
全ては、ジェルミが間違いの塊であると断じるのを躊躇った結果であるといってもいい。
そんなケルケイムの心情を見透かしたかのように、ジェルミは嗤う。
「クシナダ中尉……キミはワタシの補佐だけをやっていればいいのだ。いつものように、全身全霊を賭けてエルタニンに尽くしたまえ。それが最良のポジションだ――――何一つ決断の出来ないキミにとってのな」
その数瞬後、ジェルミは何とも愉快げに、手にした発射スイッチを力強く押し込んだ。
それから数日の間、何もかもが恐ろしいまでに、ジェルミの計画通りに事が進行していった。
報復のためにテロ組織の一団が街へと乗り込んできたが、状況を理解できずに困惑する住民たちは、当初ろくに抵抗する様子を見せなかった。
だが、街の各所に潜んでいたエルタニンによる狙撃でテロリストの数が減り出すと、それに乗じて人海戦術で詰め寄り、私刑を開始。
以降、互いに戦力が尽きるまで、血みどろの争いが延々と続いた。
死傷者は両陣営含めて数百名にも及び、もはや開戦のきっかけとなった事由の特定も困難。
当然ながら公には、住民とテロ組織との武力衝突という形で報道され、民間から真相へ辿り着けた者は現地の人間の中ですら皆無であった。
一方でエルタニンは、当初の目論見通り、手薄になった拠点へと乗り込み、見事制圧に成功。
その手際の良さを見せつけられる形となった上層部は、ジェルミの持つ背徳的な魅力に引きずられるかの如く、残る全拠点の壊滅を言い渡してきた。
しかし――――ここから更に三ヶ月ほど続いた任務の中で、標的外の犠牲者はただの一人も出ることはなかった。
全ては、ジェルミの愚行を完全に阻止すべく、より能動的な補佐に回り出したケルケイムの功績である。
ケルケイムは件の惨劇によって、ジェルミに対する信用というものを完全に切り捨て、ただの指揮系統上のシステムとして見なすようになっていた。
まず、独自に情報収集を行なった上で、部隊の全員が納得せざるを得ない、極めて迅速かつ損耗の少ない計算し尽くされた作戦を提示。
現場でジェルミが暴走を開始すれば、それを即座に補う無数の対策を突き付けた。
何一つ破綻のないアイデアでなければ、ジェルミを御することはできない――――その一心で、ケルケイムは過酷な労苦を厭わず部隊に貢献し続け、次第にエルタニンを本来の姿へと戻していった。
正義を成すためとはいえ、ケルケイムらが行使するのはルールから外れた手段。
なればこそ最短効率を追い求めなければならない。
汚泥の中でも極限までの清廉であれというケルケイムの姿勢は、その使命を、部隊の全員に思い出させていったのだ。
正確には、ジェルミを除いて、だが。
「本来の標的を抹殺したところで、すぐにまた新しいリーダーが担ぎ出されるだけだ。集会場の人間は、もろとも鏖殺するしかない」
世界各地のテロ活動は着実に清浄化の一途を辿っていったが、ケルケイムの心労が減ったわけではない。
むしろ、安息をどこまでも毟り取られていくような気分だった。
何故ならジェルミは、ケルケイムのフォローが徹底的なものへとなっていくのに比例するかのごとく、より悪辣で邪曲な作戦を計画するようになっていったからである。
それは、意地の張り合いだった。
ケルケイムがどこまでジェルミの間違いを正せるのか、ジェルミがどこまでケルケイムの正しさを覆せるのか。
ただ、負担が増えるのは、あらゆる面においてケルケイムの側だけだ。
中東での一件から更に八度の任務をこなし、その中で幾度もジェルミと張り合ってきたケルケイムの心は、憔悴しきっていた。
鏡を見る度、自分の表情の余りの生気のなさに恐怖を覚えるほどだ。
元々あまり感情を表に出さない性格ではあったが、そのような気質的なものとはまるで別次元の希薄感。
助けねば、救わねば、自分が動かなければ――――
使命感はいつしか義務感へと変質し、他のあらゆる意志は削げ落ちて、ケルケイムの精神はもはや死の間際にあった。
故に、それは、ケルケイムが自己を完全に律した上での行動ではない。
意識の中に微かに残った利己と倫理観の欠片が、何もかもを省みず、そうせざるを得ないと結論を下したのだ。
これまで脳裏で幾千幾万回と導きだした、最終手段の決行に及ぶしかないと。
気づけば、ケルケイムは音もなく、手にした拳銃をジェルミの後頭部に突き付けていた。
「狙う場所が間違っているぞ、クシナダ中尉。確実に仕留めたいならそこで合っているが、完璧すぎる暗殺は内部犯行を疑われてしまう。認識外の存在となりたければ流れ弾の軌道を意識しろと教えたはずだが?」
テナントが撤退して随分と経つ、小さなビルの最上階。
薄暗闇に包まれた空間で、ただひとり、窓際で外の光を浴びるジェルミは、振り向くことなく淡々と告げた。
エルタニンは、四半世紀ほど前に独立したばかりの南アフリカ周辺の新興国において、クーデターによる政権奪取を目論む過激な市民団体のトップを暗殺する任務の最中にあった。
市民団体とはいっても、首相官邸の前で本格的な銃撃戦を行ったこともあり、実態としては武装組織に近い。
彼らが正午に街中の広場で開催しようとしている決起集会の前後で、極秘裏に始末するのが望ましいとケルケイムは考えていた。
だが、ジェルミは周辺区域を全て、地下街のガス爆発が直上の広場にも及んだという名目で消し去ろうとしていた。
一体どれだけの被害が出るのか想像も付かないほどに、とことんまで狂い果てた作戦だ。
組織の主要メンバーは確かに一掃できるだろうが、関係のない市民の犠牲も夥しいものとなるだろう。
ジェルミの凶行にしても、ケルケイムの精神面にしても、ここを限界としなければならなかった。
潮時だったのだ。
「それに、急に静かになりすぎるのもいけない。気配の消しすぎだ。全くキミという男は、つくづく非の打ち所がなさすぎて、いかんな」
「作戦の中止を要請します。今回の任務は、あらゆる対策を以てしても、軍の介入を悟らせずに標的だけを狙うことは不可能です。第三者の目が、余りにも多すぎます」
「出来ない相談だ。この集会に足を運ぶ連中など、全員が危険因子のようなものだ。排除する以外の選択肢はない」
「あなたは……エルタニンの理念を履き違えている!」
「あの人も、今際の際に同じような事を言っていたな。十分にスタンガンを押し当てたつもりだったが、予想外に頑丈な男だった」
ジェルミが具体的な言及をせずとも、ケルケイムには全てが理解できたし、納得もいった。
前任の隊長を葬ったのは、やはりジェルミであったのだ。
その男の首筋と左脇腹に二発ずつ撃ち込まれた、まるで毒蛇に噛まれたかのような銃弾の痕を覚えている。
機関拳銃を避け損なった際の、自然な負傷の仕方ではあったが、ケルケイムには意図的に付けられた印に見えて仕方がなかった。
ただ、過去の任務記録末梢は勿論、隊員の遺体も完全に処理されるため、ジェルミが何を言ったところで罰するための材料にはなり得ない。
それも見越した上で、ジェルミは上官を手にかけたのだ
だがジェルミの声色には後悔も反省の色もない。
ただ穏やかに、懐かしむかのように語る。
「現場で指揮を執る立場に、思ったほどの充実感がないことは海軍時代に学んだが、つい癖でな。他人の所有物は何であれ、欲しくなってしまうのだ」
「そんなつまらない理由で……他人の、命を!」
「だから今、ワタシはとても嬉しいのだよ、クシナダ中尉。キミがワタシの命を奪おうとしているということが。ワタシと同じところまで落ちてきたのだ。どのような局面にあっても常に正しかったキミが。今この時、ワタシはようやく、キミから正しさを奪い取ることができたというわけだ」
あまりにも――――あまりにも下らない理由に、ケルケイムは崩れ落ちそうになった。
たったそれだけの目標を達成するために、これまでの忌まわしい作戦があったとしたなら、あれほどの命が失われたというのなら、下らないと評するほかない。
齢五十を迎えようとしている男とは到底思えない、底抜けに幼稚で邪悪な本性。
そこに手段としての知性が付随しているだけの、社会に身を置く生物として認めるわけにはいかない、おぞましい物体が、いま眼前にある。
まさに、悪夢のような光景だ。
「他人の所有物の中で、最も羨望の念を抱いてしまうモノ……それは正しさだ。悲しいことに、ワタシにはそれが欠落してしまっている。幾ら探したところで、ワタシの中に見当たらないのだよ。ならば、既に持っている者から剥いで奪うしかないだろう。その意味で、クシナダ中尉……キミの持つ多大なる能力は、ワタシを惹き付けて止まなかった。ワタシが間違いという名の奈落をどこまで掘り進めても、キミの正しさがそれを補填してくれた。もう誰もついてこれまいと高を括ろうとも、キミの強靱な意志に裏打ちされた努力がそれを上回ってきた。しかし今日、やっとキミは、正解を取り出すことができなかった。十数戦の中の、たった一勝だが、それでも喜ばしいことに変わりはない」
元より砂粒一つ程度にしか残っていなかった自制心が、完全なる塵と還っていく感覚だった。
引き金にかけたケルケイムの指に、おそろしいほどスムーズに力が籠っていく。
「だが、キミとてまだまだ、こんなものではない筈だ。今はワタシに多くのモノを奪い取られてだいぶ消耗しているようだが、キミはいつか、この苦しみすら乗り越えて更なる成長を遂げるだろう。その時はまた、ワタシに奪わせてくれないか。甘美にして芳潤なる、正解という名の果実を。いいや、賛同など必要もなかったな。ワタシには収穫の権利があるのだ。何故なら、キミの一番の理解者はキミではなくワタシなのだから。ワタシこそが、キミ以上に、キミの全てを引き出すことが――――」
いつ終わるとも知れない戯れ言に最後まで付き合おうとは、毛ほども思わなかった。
ケルケイムは、手にしたオートマチック拳銃に込められた計六発の弾丸を、間断なくジェルミに向けて吐き出した。
全弾が命中し、倒れ伏すジェルミ。
その周囲には、急速に血溜まりが広がっていった。
「間違いだというのならそれでも構わない……あなただけは、生かしておくわけにはいかない」
ケルケイムはこの日初めて、上層部と隊員達へ、虚偽の報告を行なった。
その一年半後、エルタニンは解散となった。
各地の治安が安定してきたことで、エルタニンを投入せざるを得ないほどの案件がほぼ消滅したというのが理由の半分。
もう半分は、部隊が長く存続すればするほどに、存在を秘匿することが難しくなるためだ。
部外者が、金や人の流れにそろそろ不自然さを感じ始めてきた頃合いでもある。
ともあれ、ケルケイムを長く苛んだ地獄のような時間は、それで終焉を迎えたはずだった。
「しかし、あの男は再び私の前に姿を現した。衰えるどころか、更に一段と濃度を増した狂気を伴って」
胃に痛みが走るほどの重苦しい空気の中、ケルケイムはそう言って、長い長い話を締めた。
「……以上が、私がこれまで公にすることのなかった経歴の全てだ。何か質問があるのならば、遠慮せずに言ってくれ。勿論、何故あの男が生きていたのかなど、私にもわからないことは答えようがないが……」
「もうこれ以上、聞く気もねえよ」
瞬がぞんざいに答えると、ケルケイムは再び俯いてしまう。
どうやら、悪い方向に捉えられてしまったようだと、瞬は少しだけ訂正を入れた。
「ぶっちゃけ、ジェルミの奴のクソさに唖然とするだけの話だったからな。司令はただ、あいつのイカれた趣味に付き合わされただけの被害者だろ」
「だが、それでも私は……」
「色々汚いことはしてきたのかもしれないけど、そこだけ切り取るのもおかしな話でしょ。いいことだってしたんだから」
「大砲女の言うとおりだ。自分のやったことが全部間違いでしたって開き直られるのが一番ムカつく論法だぜ」
轟も、連奈も、抱く感想は同じのようだった。
いまのケルケイムに対して憤りがあるとすれば、それは過去の行いではなく、ジェルミの残した呪いに苦しむ姿だ。
「そういう面倒くせえ事情があって、他人と意見衝突させるのが嫌になったってんなら、別にもう何も言いやしねえよ。大体オレ達だって、今の今まで司令の過去について全く興味もなかったくせに、どうして話してくれなかったんだって言い分も、どうもな」
「それに、仲間割れとはいかないまでも、司令と私達との信頼関係に大なり小なり亀裂を入れようというのが、あの変態ストーカーおじさまの目論見でしょ。わざわざ乗ってあげる義理はないわ」
「つーか元々、別にアンタのことはそこまで好きでもなかったしな。信頼を裏切られるも何もねーんだよ」
轟の容赦ない一言に、瞬と連奈はついつい苦笑してしまう。
ケルケイムがエルタニンという暗部で自らの手を汚したことを知っても、大して評価が変わらなかった原因としては、それも正解の一つである。
だが、もっと肝心なことに気付いてしまった。
話の中のケルケイムは、例え過ちを犯したとしても、葛藤を繰り返し、研鑽を積んで、次の任務をよりよい結果にしようと必死だった。
ケルケイムを突き動かすものが正義感であれ、贖罪の意識であれ、前に進み続ける者に対し、第三者がとやかく言う権利はないのだ。
間違いを正解に変えていくという発想のないジェルミには、殊更にだ。
それをケルケイム伝えることはできればよかったのだが、生憎と瞬の口は、奇麗な言葉を吐くのには慣れていない。
それでも、半ば無理矢理に辛い過去を引き出してしまった手前、精一杯の励ましを送ることにする。
「オレ達から奪えるものなんて何もねえってことを、ジェルミの奴に教えてやろうぜ。それが正解だろ?」
直後、ケルケイムの瞳が潤んでいるのを見て、瞬は心底ぎょっとした。




