第50話 狂気乱舞(前編)
「あの男は、なんなんだ」
ガンマドラコニス、そしてジェルミ・アバーテとの交戦から一夜明けた朝。
瞬達三人のパイロットは、執務室の中に設けられた応接スペースのソファに腰掛け、ケルケイムと面向かっていた。
本来の簡易ミーティング開始より、二十分も早い時刻だ。
このような会見じみた場を設けたのはケルケイムだったが、瞬はそんなものがなくとも、どのみち時間は取らせるつもりだった。
聞きたいことが、山のようにあるからだ。
その最たるものの一つを、瞬は口にする。
「いや、その前に……ケルケイム・クシナダって奴のことについて、詳しく聞かせてくれよ。どうやらそいつは、オレ達になにかを隠してるらしいぜ。まだまだ沢山な」
「話す必要がないと思っていた……というのは、こうなってしまっては言い訳にもならないか」
伏し目がちにそう答えるケルケイムに、むっとくるところがないわけではない。
ジェルミの言葉から察するに、結局ケルケイムという男は、妙な気遣いなどの細々したところだけではなく、もっと大きな何かを隠していたというわけだ。
明々白々な異常者に付きまとわれている身の上には同情もしたいが、同じくらいに苛立ちも募っている。
ロベルトなどの第三者を招かず、僅かな擁護も受けるつもりはないという姿勢は買うが。
ともあれ、司令官として全幅の信頼を預けがたいこの関係に、いい加減終止符を打つためにも、全て を吐きだしてもらいたいところだった。
「お前達の疑念を少しでも払拭できるというのなら、私の過去に関する全てを、語ろう」
しばらくして、どうやら決心がついたのか、ケルケイムは、静かにそう答えた。
言うまでもなく、忌まわしい記憶を封じ込めた蓋をゆっくりとこじ開けるかのような、暗然とした面持ちでだ。
「少年期の私は、特別士官学校と呼ばれる場所で教育を受けてきた。将官階級を持つ軍人の子供か親族くらいしか入学することの出来ない、幹部将校への最短ルートだ。だが、最終的には両親の反対を振り切り、一般的な待遇で仕官した。軍人として市民の安全を守る意思は固かったが、反面、組織の中枢に関わるような役職は向いていないと感じていたからだ」
「勿体ねえ話だ。オレみたいに一山当てようとするならまだしも、逆だろ?」
よくやったものだと、瞬は呆れて答える。
瞬のパイロットになろうとする決意には、自分が拒否すれば世界が滅ぶという仕方なしの事情も二割ほど含まれていたが、ケルケイムの場合は自分の意志が十割だ。
結果的に、ケルケイムはオーゼスに対抗する上で不可欠の人材となるわけだが、当時としてはやはり突拍子もない判断だ。
「そうだ……故に、その後も両親から、どうしてもエリートコースに乗ってもらいたいという説得は続いてな。結局私が折れることとなり、父から紹介された、新設されたばかりの特殊部隊へ転属することになった。その部隊こそが、あの男の……ジェルミの語っていたエルタニンだ」
「エルタニン……たしかアラビア語で、“蛇”だったかしら」
「エルタニンは、表だって軍隊を派遣できない極秘任務を遂行する為に設立された、政府直轄の特殊工作部隊……世間への公表はおろか、軍内部でもごく一部の人間にしか知られていない、文字通りのシークレットサービスだった。活動の痕跡は情報統制によって、完全に隠滅されるか別件として処理される。まさに蛇のような、姿なき襲撃者だ」
「また随分とキナ臭そうなところじゃねーか。よくそんなところに、アンタが入る気になったもんだ」
「その件に関しては、すぐ後で話そう。……ともかく私は、それから数年間、エルタニンの一員として活動することになった。私にとっては、余りにも辛い体験の連続だった」
「具体的には、なにをやってたんだよ」
「……連合にとって脅威となりかねない存在の、あらゆる物理的手段を行使しての、排除だ」
苦々しく発せられたケルケイムの言葉に、瞬達は相槌すら打てず、しばしの間、押し黙った。
直前の会話から、ろくでもない部隊であるとは察することができても、いざ明言されると、その重みが違う。
排除の意味は、けして穏当な方向ではない。
ケルケイムの声色が如字にそれを語っていた。
「ジェルミの奴は、そのときの上司ってことか」
ケルケイムが、静かに頷く。
「まず轟の疑問に答える形になるが、エルタニンの創設目的自体に、後ろ暗いところはない。本来は、大規模なテロや紛争の発生を未然に防ぐための部隊だった。超法規的活動というのも、事が表沙汰になる前に、先手を打って攻撃するためだけに集約されていた。簡単に言えば、発症してからではどうにもならない重病を抑えるための予防薬のようなものだったのだ」
「軍も警察も、基本的には治療薬……後手の対応だものね。なんの話だったかしら」
「つうか、過去形ばっかりだな」
「多くの人間に存在を秘匿せねばならない以上、潔白とはいえない。しかしそれでも、当初はいま説明したとおりの、ただ純粋に世界の平和を維持するべく活動していた部隊だった。だが、先代の隊長が任務中に命を落とした後、当時副隊長だったジェルミが新たにその座に就くようになってから、全てが一変した」
ケルケイムの胸元に組んだ両手は、震えていた。
大きく見開かれた瞳は、虚空の中に映し出された、忌々しい過去の記憶を覗いているようにも
見える。
ケルケイムが言葉を紡げば紡ぐほどに、部屋の空気が冷えていくような錯覚を覚え、瞬は上着の前身頃を思わず握り込んでしまっていた。
「あの男の掲げた方針は、“奪い尽くすこと”、それ一点に特化していた。討つべき者を敢えて生かし、無関係の人間を手にかけ、更なる敵を燻り出す為の餌としたのだ」
「そんなの無茶苦茶だろ。もはや正義でもなんでもねえ」
「完全にケリが付かなきゃ落ち着かねーってのはわかるがよ……赤の他人を巻き込み始めるなんざ、三流のやることだろーが。敵をむざむざ逃がすのもな」
「結果への執着が強すぎて過程は看過する、といったところかしら。ともかく、人の上に立つにしては、あまりにも危険な思想と言わざるを得ないわね」
瞬達は、三者三様、ジェルミのやり方を知って渋面を浮かべる。
正義感から生まれた嫌悪感によるものだけではない。
瞬も、そして轟や連奈にしても、どこか結果重視で動いているところがあったからだ。
ケルケイム、ヴァルクス、連合軍に政府……幾らそういったところが責任を受け持つといっても、自らの操縦で起こした被害を、これまであまりにも意識しなさすぎた。
ジェルミほどの積極性を以ていたずらに犠牲を増やしているわけではないにしろ、考えさせられる部分ではある。
「エルタニンに限らず、治安を維持する側は、犯罪者を泳がせる、おびき出すという手法に、ある程度頼らざるを得ないところがある。だがジェルミの場合は、明らかに常軌を逸していた。連合の大規模な隠蔽工作を前提に、ただ殺した」
ケルケイムはそう言うと、それまで俯きがちだった顔をゆっくりと上げる。
そして、律儀に三人それぞれと視線を合せてから、言葉を続けた。
本当にもう、これ以上の隠しごとはないと。
これこそが、瞬達がケルケイム・クシナダという人間を判断する上での最大の材料であると、言外に語りながら。
「一切の言い訳はしない。私も、あの男の所業に荷担した。私自身も、あの男のために引き金を引いた」
三年前――――西暦2197年。
イレブンメテオ落下の影響による世界規模での混乱を追い風に、反連合政府勢力の活動は、日増しに活発化する一方であった。
救援物資や復興予算の不足に対する不満が主な口実であり、実際に起きた事件は、無差別暴行、要人暗殺、破壊活動など、件数も種別も枚挙に暇がない。
そして、中でも特に危険視される巨大組織は、中東圏に複数の拠点を抱えている状態にあり、現地では常に緊張が走っていた。
市民からは、早急な事態の解決を求める声が上がっていたが、当該国家の中には地球統一連合非加盟国も存在し、他地域の治安維持と復興に人員を割いている連合政府としては、余程のきっかけでもなければ踏み込みづらい。
そこで、存在しないはずの部隊、エルタニンの出番というわけである。
これ以上の勢力拡大を防ぐためにも、エルタニンには可能な限り、各組織の力を削ぐことが求められた。
しかし隊長のジェルミは、この可能な限りという一文を、自分達の力でなし得る限りの壊滅と解釈した。
「配置は、ここでいい」
「は……?」
現場――――件の非加盟国に派遣されてから数日後、最初の攻撃目標となる施設の周辺偵察を、一旦切り上げた頃合だった。
副隊長のケルケイムが数人の部下と共に、最寄りの街の外れにある潜伏場所に帰還すると、遅れて届いた自走式のMLRS(多連装ロケット砲)が一台、そこに隠されていた。
活動を公にできないエルタニンにとって、目立つ兵器は忌避される傾向にある。
しかも相手は、広大な敷地に厳重な警戒網を強いている。
使うとしても、ここからどうやって適切な発射位置まで、誰にも気付かれずに運搬するのかという疑問もあった。
その返答が、今のジェルミの言葉だった。
「キミのチームも、すぐに撤収の準備を始めたまえ。これから忙しくなる」
「アバーテ隊長、それはどういう……」
「これまでの報告を聞く限りでも、随分と堅牢そうではないか、敵の守りは」
「はい。支部の一つと侮っていましたが、明らかに、我々の想定以上の戦力です。こちらが使える四十名程度の兵員では、突入はほぼ不可能。ロケット砲を用いたとしても、一台だけでは……。やはり、正規軍に任せるべきかと」
自分達の手に負える事態でなかったとしても、これまでの作戦が丸損になるわけではない。
優秀な隊員達を使って危険領域まで接近し、軍が動く大義名分を作るための実情を把握してきたというだけでも派兵の意味はあるだろう。
ケルケイムはそう考えていたが、もうこの時点で、ジェルミとは決定的な隔たりがあることもまたわかった。
なにを以て成果とするか、その一点においてだ。
用意されたMLRSが、とても連合軍の特殊部隊が運用するものとは思えない、かなりの旧型だった。
だが、まだ若いケルケイムは、この時点では微かな違和感を覚えるだけに留まった。
「クシナダ中尉……上層部は、ワタシ達に任せて下さったのだ。連中からまだ何も奪っていないというのに、そう易々と引き下がるわけにはいくまい。キミは優秀な男だが、やや守りに入った考え方をするところが玉に瑕だな。それではいけない……それでは、いけないな」
ジェルミは他の隊員にテント撤去の指示を出すと、自身も重要書類の入ったアタッシュケースを手に取り、幌付きのキャブオーバートラックに向かう。
先程まで偵察に出ていた自分のチームを除けば、既に命令の大要は伝達されているようだった。
このジェルミという男は、普段からそういう節があった。
副隊長であるケルケイムにはなんの相談もなく独自に計画を練り、一般隊員とほとんど同じタイミングで報せることが多い。
不服ではあったが、しかしジェルミの采配は極めて優秀といっていい部類で、これまでに参加してきた小規模な勢力の掃討ではほぼ完璧な成果を挙げてきた。
そもそもジェルミは中佐――――佐官階級を与えられていた人間だ。
エルタニンに転属する以前は、海軍で部隊指揮を執っていた経験もある。
経歴だけを見ればこの上なく信頼できる人物だといえる。
だからこそ、若輩者の自分が余計な進言をするのは、綻びを生むだけだと納得してきたところはあった。
故に、出来うることなら信じたかった。
この不穏さを漂わせる指示も、自分には想像も付かない、極めて効率的なテロリスト排除に繋がる作戦なのだと。
だがケルケイムの直感と本能、これまでに己が身に刻んできた経験の全てが警告してくる。
穏当に済むわけがないと。
そして、ケルケイムの導き出した望まぬ正しさは、すぐに証明されることとなった。
ジェルミはなんとも朗らかな声色で、自身の目論見を語った。
「この街は、テロリスト共にとっての生命線だ。武器弾薬に生活物資、様々なものをここで入手している。しかし、その手段は必ずしも、売買や取引といった形態ではない。恐怖を背景とした略取も多分に利用しているようだ。その件に関して少なからず死傷者も出ている。事実上の支配下にあると言ってもいい地域なのだ。ならば――――そこに住む者達が、テロリスト共に対し反抗の意を明確に表明したら、どうなると思うかね」
「あなたは、まさか……!」
「そうとしか見えない状況が出来上がったら……連合の一挙手一投足にも逐一反応するような過敏な連中は、果たしてどう動く? 安い拳銃などどこにでも転がっているようなこの街に対し、何をする?」
もしジェルミが想定するような事態がこれから起こるというのなら、それはもはや、軍人としてだけでなく、人間としても許されざる悪魔的所業だ。
だがジェルミの悪辣さは、ケルケイムの予想を大きく上回っていた。
底無しのおぞましさを感じさせるほどに。
厭忌の針が振り切れるほどに。
「スイッチは、ワタシが持っている」
この日こそが、以降数ヶ月に渡って続くことになる、地獄の連鎖の始まりであった。




