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第45話 暗雲(前編)

 毎朝、ケルケイムの執務室で行われる、パイロット三人を対象とした簡易ミーティング。

 主な内容は、今日一日のスケジュールの確認だ。

 常に今後半月分ほどは綿密な予定が組まれているが、急な特別任務や機体調整作業がある場合は、ここで指示されることになる。

 今日は、瞬も、轟も、連奈も、スケジュールにこれといった変更点はない。

 いつもの通り、操縦訓練や体力作りのための各種トレーニングを、規定量こなすだけだ。

 しかし、ミーティングの終わりに、瞬は質問せざるを得なかった。

 大して興味があったわけではない。

 だが、どうせ轟も連奈も、その性格上、尋ねようとはしないだろう。

 つまり、自分が挙手しなければ知る機会が流れてしまうのだ。

 そんな、少し気になる程度の気持ちで発した問いだった。


「ケルケイム司令は、どうしたんだ?」


 執務机の前に立ち、一連の説明を行ったのは、今日に限って副司令のロベルトだった。

 これまでの三ヶ月と少し――――ケルケイム・クシナダという人物は、もはや執務室の備品の一部ではないかと思わせるほどに、ほとんど毎日、ここで業務に勤しんでいた。

 数少ない例外の場合も、本来この場で行うべき指示をそっくりそのまま映像で記録していくほどの几帳面さである。

 信頼の置けるロベルトであろうと、完全に代理を任せるなど、初めてのことなのだ。


「ああ、まあ……その」


 普段はケルケイムより一回り以上年を重ねた、中年者としての落ち着きがあるロベルトだが、珍しく歯切れが悪い。

 まさか――――というより、ここまでの仕事中毒ワーカーホリックぶりからして当然訪れる末路である、深刻な体調不良かと瞬は疑う。

 しかしロベルトの顔色に、そういった“純粋に望ましくない事態”を迎えてしまった暗さはない。

 敢えて言い表わすなら、“ある意味では非常に困った事態”であることを表わす、微妙なしかめ面だった。


「来客の応対……いや、対応というところだ。彼は多分、丸一日、そちらに時間を割くことになると思う。そういうわけで、何か急を要する連絡がある場合は、私の方に頼む。今日は私も、終日こちらでの業務となる」

「連合軍から施設の査察と捕虜の尋問で人が派遣されてくるのは、明日じゃなかったかしら。また別の方面からということ?」


 少しは興味を持ったのか、連奈が切り込む。

 そうすると、ロベルトは目を閉じ、短く唸った。


「まあ、そういうことになる。彼女は組織外の人間ということになるため、君達三人の姿を見られるわけにはいかない。渡してある端末の電源は、常にオンにしておいてくれ。ケルケイム君が施設を一通り案内する手筈になっているが、鉢合わせにならないよう努力する」

「彼女?」


 今度は瞬も引っかかりを覚えて、尋ねる。

 ただ端的に事情を説明するだけの場合、彼、彼女という表現は若干の違和感を覚える。

 そういう言葉選びをしたということは、ロベルトにとって、それなりに近しい間柄だということだ。

 そうでなくとも、司令が直々に案内をするという時点で、それなりに大きい話のはずである。

 どうやら口が滑ったようで、ロベルトも苦笑いを浮かべて、これに返答した。


「別に隠す気はないのだがね、能動的に話すのも少し憚られることなんだ。言っておくが、君達の職務や今後の活動には一切関わらない類の内容だ」

「勿体ぶってないで、教えてくれよ。そこまで振っておいてだんまりだなんて、一番気分が悪いぜ。それが大した話じゃなくともな」

「同感」

「オレもだ」


 三人全員から、詰め寄られそうな視線を向けられ、とうとうロベルトは観念したようだった。


「悪かったよ……では正直に話そう。来客の名は、ノルン・エーレルト。地球統一連合軍作戦司令室に所属するヴィルヘルム・エーレルト中将の、一人娘だ。現在は西欧を拠点に活動するボランティア団体の代表を務めている。中将とは長い付き合いでね、彼女の事も、幼い頃からよく知っている」

「おい瞬、中将ってどんくらいの偉さだ」

「詳しくは知らねえけど、確か、むっちゃくちゃ上の階級だぞ。大佐とか中佐とかより、もっと上だ」

「いかにもいいとこ育ちの善人って印象ね」

「それで……そんな人が、いったい司令に何の用だよ」


 まさか資金繰りのために、ケルケイムにコンタクトを取ったということは考えにくい。

 そもそもお門違いにも程がある、それこそ父親に頼んだ方が手間は省けるだろう。

 などという的外れな発想しか、この時点の瞬にはできなかった。

 だからこそ――――次の瞬間、ロベルトの口から放たれたその一言に仰天し、古典の漫才の如く盛大に転びそうになった。


「来るのは彼女一人だけだが……父親の意向も多分に含まれた、実質的な見合いだよ。エーレルト家そのものが、婿入りけっこんを前提とした付き合いをケルケイム君に望んでいる」

「はあああああああああああああああああああああああああ!?」



 不安による動揺が臨界点を超え、逆に、硬直して動かない。

 現在のケルケイム・クシナダの状態は、そう言い表すのが適切だった。

 井原崎との会談にも用いられた、中央タワー内部の応接室。

 そのすぐ外、僅かに開かれた扉の隙間から中の様子を窺う瞬は、すぐさま曲がり角まで引き返し、子細を轟と連奈に報告する。

 瞬は、あの真面目一徹のケルケイムに、一体どんな異性が興味を示しているのかを見てみたかったし、連奈も似たような理由で付いてきた。

 轟は、特に関心はないようだったが、覗きを安全に行うための見張りとして買収した。

 支払いは、実家から複数の場所を経由して送られてきた、らっきょう漬け一瓶。

 冗談で提示した報酬だったが、好物だったのか、思いの外あっさりと承諾してくれた。

 余談ではあるが、全員が訓練をサボタージュしている。

 注意するべき立場のロベルトは、業務の傍ら、別室から室内の監視に当たっており、瞬達の対応に割く余裕はない。


「駄目そうだ……」


 視覚的情報と抱いた感想の全てを総括した意見が、自然に口から漏れる。

 数刻前、ロベルトから聞き出した話を要約するとこうなる。

 ケルケイムは一年ほど前からヴィルヘルムに縁談を持ちかけられていたが、職務の多忙さを盾にして、具体的な話をする機会をひたすら先延ばしにしていたという。

 ケルケイム自身は、結婚に乗り気ではない――――というより、その方面全般に疎い。

 だからこそ、その程度の気持ちではとても婚約など結べないと感じている。

 しかしヴィルヘルムは、ケルケイムの後援者の一人である。

 ヴァルクスの設立やメテオメイルの建造が迅速に行われたのも、彼の立場を由来とした協力があってこそだ。

 ついでに言えば、ヴィルヘルムは軍の内部でもよく知られる子煩悩な男である。

 つまるところ――――個人的な感情で断わってしまえばヴィルヘルムとの連携にひびが入り、ヴァルクスそのものがどうなるかわからないということだ。

 現在、連合の中では、性能をワンランク落とした量産型メテオメイルの建造も検討されているだけあって、そちらに予算が回ってしまう恐れもある。

 ともかく今回の件は、ケルケイムにとってだけでなく、瞬達にとっても、オーゼスの襲来と同等かそれ以上の危機的局面なのだ。


「司令は、適当に濁してその場を取り繕うってのが苦手なタイプっぽいからな……。言わなくていいことまでズケズケ言いそうで不安だぜ」

「それでいて、変に気を利かせて言わないといけないことは言わないのよね……」

「不器用なんだよな……」


 だから連奈のSWS値にしろ、相手を不快にさせるようなことはそもそも話題にすらしないのかと納得に至る。

 素養の差を補う術を得たこともあるが、今なら、あの黙秘も少しは仕方がなかったと思える。


「あと、何かに打ち込んでいる姿は魅力的とは言うけれど、ああいう楽しさの欠片も見せない修行僧タイプは例外。一緒にいて疲れるだけだもの」

「ご高説ありがとうございます。はいそれで、三風さんのお付き合いの経験は如何ほどに?」

「答える必要、あるの?」

「おいテメーら、余計なお喋りはそこまでだ。来たぞ……!」


 通路の先を注視していた轟が、小声でそう呼びかけてくる。

 三人は、通路の様子を窺える限度まで体を隠し、案内役の係官を伴って応接室にやって来る、その女性の姿を見遣った。



「お久しぶりです、ケルケイムさん」

「こちらこそ……その、長らくご無沙汰いたしております。半年ほども、直接の連絡を差し上げることができずに、申し訳ありません」

「あら、いけない。ここでは、ケルケイム准将とお呼びした方がよろしいのかしら? もしくはケルケイム司令官?」

「よく呼ばれるのは後者ですが、ご自由に呼んでいただいて構いません。あなたは軍属ではありませんし、どのみち、私には分不相応な地位や役職ですので」

「ご自分のことをご謙遜なさるのは相変わらずですね。でも、相応の実績を挙げていらっしゃるのは確かでしょう?」

「全ては、ロベルト副司令以下、優秀な部下達の助力あってのことです。……それに、実際に成果を出しているのは、当部隊の擁する三人のパイロット達です。彼らは先人不在の環境ながらも、自ら目標を定めて研鑽を重ねることで、着実に成長を果たしています」

「その方達が十全に動ける環境を整えていらっしゃるのは、他ならぬケルケイムさんですのに」


 テーブルを挟んだ向かい側のノルンに、ケルケイムは、今のところは無難な返答ができているようだった。


「ううっ、腹が立つほど普通に美人……」

「普通に勝ち組じゃねーか、あの司令」


 扉の向こうから室内を覗き込みつつ、連奈と轟が口々に呟く。

 しゃがむ連奈、膝立ちの瞬、背を曲げた轟と、縦に積み重なっているのが現在の三人の状態だ。

 件のノルン・エーレルトは、自分の美貌に謎の絶対的自信を持つ連奈が認めるほどに、極めて整った容貌をしていた。

 ライトブラウンのセミロングヘアは、耳元から先にはラフさを感じさせない程度のウェーブがかかっており、毛艶も滑らか。

 目測になるが、身長は連奈やセリアよりやや上、百六十センチ台後半。

 年齢は聞き及んでいないが、大きめの瞳と張りのある肌から、見た目はかなり若々しい。

 チャコールグレーのビジネススーツを着ていなければ、ハイスクールに通っている年代と言われても不自然ではない――――実際にそうなのかもしれないが。

 顔のパーツは、まるで人形めいた端正な配置でありながら、柔和な笑みには暖かみがあり、瞬や轟でも息を呑むほどだ。

 だがケルケイムはというと、狼狽えた表情はしていても、その表情に紅潮はない。

 全く別の理由で緊張しているという、彼女の美しさに対し、ある意味で最も無礼な真似を働いているといえた。


「ナントカ中将っていう父親の方と話してるようなものでしょ、司令にとっては」

「でも、ビビる必要ねえじゃん。どこかの誰かさんみたいに性格が致命的に残念すぎるとかでもないみたいだし。据え膳食らっていこうぜ、司令……!」


 上の二人に聴覚を向けたせいで、少し会話を聞き逃してしまったようだった。

 瞬はもう一度、室内に目を遣る。


「一体何が、ケルケイムさんのご判断の妨げになっていますの? 私を生涯の伴侶とすることに、何かご不満がお有りなのかしら」

「不満など……」


 柔らかい物腰と口調ではあるが、ノルンの投げかけた言葉は直球だった。

 敵でない者に対しては強く出ることを不得手とするケルケイムにとっては、あまりよくない会話の流れ方である。


「強いて言うのであれば、今も私は、命の秤に些かも傾きがあってはならない立場にあるのです。職業柄、時に非情な判断を迫られることもありましょう。何を生かし、何を殺すか……その選択は、冷静に、冷徹に、機械のような正確さを以て行わねばなりません。しかし、あなたというかけがえのない存在を得てしまった場合、私はきっと判断を間違えてしまう自信がある。或いは判断自体、できなくなるかもしれない。世界のあらゆる場所が戦場になり得るこの時勢において、あなたが巻き込まれないという保証はない」

「そう返答しろと、ロベルトさんが仰られたのですか?」

「……事実でもあります」

「私とて軍人の娘です。無論、そのくらいは承知の上で、このようなお話を持ちかけているのです。あなたが軍務を果たす上の足枷になるつもりなど毛頭ありません」

「しかし、あなたのお父上……エーレルト中将は、そうはお考えになられないでしょう」


 一連のひどく下手な返し方に、瞬も連奈も、声が漏れそうになるのを必死に抑えて唸る。

 中学生レベルの頭脳ですら、流石にしでかさないと断言できるほどの失態だからだ。


「はっきり答えすぎなんだよ、あの馬鹿正直司令……!」

「朴念仁にも程があるでしょうに……! 結婚を断わるなら断わるで、とりあえず気分よくさせときなさいよって話! あと外堀から理屈で埋めていこうとするのが最悪、女と話をするってことがさっぱりわかってない、マイナス百点」


 “後のことはどうなろうが関係ない、やりたいようにやる”というスタンスの連奈だが、自分にも飛び火しかねない問題のときは、正しくその場を凌げるロジックを構築できる。

 瞬も、ここから持ち直すための話術が、頭の中に浮かんでいる。

 だが、所詮は傍観者だ。

 それに、万一ケルケイムがこちらの存在に気付いたとして、ジェスチャー程度では何も理解してくれないという確信がある。


「ケルケイムさんは、ご自分の言葉すらお使いになりたくないとお考えでいらっしゃるのですか」

「いえ、その……」

「私は、父の意向とは関係のないところで、ケルケイム・クシナダという一人の男性に心惹かれています。ちょうど去年の今頃、父の紹介であなたとお会いしたときから」

「何故、私のような男を?」


 ケルケイムは、そう言われて緊張が少し和らいだのか、やっと自然な返事ができていた。

 だが、そんなことさえ今まで聞いた事がないようで、瞬は大きく溜息をつく。


「あなたは、誰かの支えが必要な方です。部下を率いる者として、夫としての能力面に不安があるという意味ではありません」

「では、私の身の上を……?」

「いえ、それも違います」


 ノルンはゆっくりと頭を振ると、それから、元より浮かべていた微笑みを僅かだけ強くする。


「あなたのように清廉で高潔な心の持ち主を、私は他に存じません。あなたは、苦難に塗れた道程を、不屈の精神を以て進む事のできる方です。その在り方は、世界中から期待という名の荷物を押しつけられるようになってからも、変わることがない」

「お気持ちは有り難く存じますが、しかし、過大評価です」

「私はそうは思いません。むしろ、幾ら言葉を並べようとも言い表せないほどに、あなたという存在は尊い。文明が発展するにつれ、多くの人々が零し落としてしまったものを今でも全て備えているようにすら感じます。ですが、あなたにはこの先、更に過酷な試練が訪れる事になるでしょう。一人では抱えきれぬ重圧もありましょう。私は、あなたの潔白なる魂が、負念で汚れていく様を見たくないのです。誰よりも傍で汚れを祓い、そして払う者でありたいのです。必要とあれば、父すらも、あなたのために利用する覚悟があります」


 ノルンは穏やかな声ながらも、一切の迷いなく言ってのけた。

 ボランティア活動も、ただの道楽や実績作りのためにやっているのではないらしい。

 眼差しまでは、はっきりと見て取ることはできなかったが、おそらくは強い意志が込められた、理想を追い求める者のそれなのだろう。

 ケルケイムも、瞬達と同じくらいには圧倒されていた。

 ノルンに対する認識としては、こちら寄りだったのかもしれない。

 ただの推測だが、保留を最適解としていたロベルトもだろう。

 ノルンを瞬なりに一言で表わすなら、ケルケイムの信奉者。

 ケルケイムをエーレルト家に引き入れようとしているのも、好意以上に、余計な圧力や批難からケルケイムを守るためと考えた方がしっくりくる。

 ただの後ろ盾ではなく、包み込むほど完全な防護壁を。

 全てをわかった上での発言であれば、もはや断わる断わらないの問題でもない。


「私は……」


 ケルケイムはしばし呆然としながらも、ここまで回答を引き延ばしたこと、それ以前にノルン・エーレルトという人物を見誤っていたことも含めて、はっきり返事をするつもりのようだった。



「連合がメテオメイルを投入してからの三ヶ月で、ちょうど三人の脱落。……このペースで行くと、あと半年でオーゼスは壊滅だな」


 そんな未来を毛ほども想像せずに、白髭はショットバー“Fly-byフライバイ” のカウンターで、グラスに注がれたリシャールを一呑みする。

 仕事終わりに、最も気に入っている銘柄での一杯――――思わず頬がほころぶ、最高のひとときである。

 だが困ったことに、マスターが言うにはそろそろストックが切れかけているという。

 次に井原崎かゼドラが仕入れてくるまでは、辛抱して、週に一瓶といったところだろうか。

 幸い、他のブランデーの貯蔵量は十分。

 当面はどの銘柄で命を繋ごうかと、白髭は極めて真剣な面持ちで考え始めた。


「新たなステージに立つのは、相応の力を持つ者だけでいいのです。……大体、九人は多すぎたんですよ。残り六人でも、まだまだ多いくらいだ」


 そんな折、数席の間を空けて座っていた先客から声がかかる。

 漆黒のスーツを纏った、老年の男だ。

 やや裾の長いジャケット、その首元には年中シスルのストールを巻き付けており、出で立ちはどこか貴族然としていた。

 更に、濃い碧眼、年を経て色素の薄まったブロンドの長髪、丁寧に整えられた口元と顎の髭と、あらゆる要素が男を貴族のように見せる。

 もっとも、男は貴族の生まれなどではなく、精神性もまた紳士には程遠い。

 パイロットの中では最年長であるにも関わらず、誰に対しても敬語を用いる程度に礼儀は正しいが、それだけの人物だ。


「メテオメイル建造に関する諸事情の恩恵を受けた君にとっては、尚のこと、そう感じるのかもしれないな」

「ワタシが最後に出撃してから、もうかれこれ百十五日ですよ。退屈などはとうに通り越し、悟りの境地に至りそうですらある」


 エンベロープ対セイファート――――史上初のメテオメイル同士による実戦が行われる、その一つ前の順番で侵攻を行ったのが彼だ。

 とはいえ男は、まだオーゼスのメテオメイルが三機しか完成していなかった黎明期に、存分に暴れることができていた。

 最盛期は月に二、三度も出撃し、合計で十数回も実戦を経験している。

 それに、だ。


「戦闘目的でないとはいえ、君は井原崎君とゼドラ君の護送で、あのラニアケアにすら足を運んでいるではないか。羨ましいにも程がある」

「そういうこともありましたね。出来ることなら、ワタシも機体から降りて、会談に同席してみたかった。さぞや楽しい会話になったと思いますよ」


 男は、グラスの中を覗き込むようにして言った。

 一方で白髭は、エンベロープの完成が遅延してしまったせいで、未だ一戦しか出番がない。

 彼の不満の籠った嘆きに、同情の余地はなかった。

 白髭は、男が空になったグラスをカウンターに置くと同時に、次の言葉を紡ぐ。

 グラスの内側を流れ落ちる水滴の色は、白髭が呑んでいる酒と同じものだった。


「ここ最近、随分ストックの減りが早いと思っていたら、犯人は君か」

「申し訳ありません。人の呑んでいる酒は、ついつい自分も欲しくなってしまう性質なもので」


 責めているわけではなかった。

 正確には、責めたところでどうしようもないと言うべきか。

 この男は、白髭と同じ銘柄を好んでいるというわけではない。

 本人が語るとおり、男には、他人の選んだものが高い価値を持つように映ってしまうのだ。

 隣の芝生は青いという諺の典型例であり、体現者である。

 彼はしばらく同じものを標的にし続けるため、狙われたときは厄介だった。


「ワタシには、物事の価値を見定める審眼センスというものが悲しいくらいに欠落している。学生の時も、前職でも、みなに散々言われましたよ。オマエの判断基準は壊滅的だとね。だからワタシは、少なくとも自分よりは他人の物選びの方が正しいのだと確信しているのです。例え間違いであろうと、ワタシほどの間違いではないに間違いない」


 白髭が、オーゼスで男と知り合ってから、もう何十回と聞かされたフレーズだった。

 男は、とことんまで自分という人間の判断を信じていない――――ということを固く信じている。

 当初は、そんなことで戦闘パイロットが務まるのかという疑問もあった。

 だが、それに関しては、とある理由によって解決できているようだ。

 単独行動においても、目立った問題は発生していない。

 だとすれば、他の面子と同じだ。

 同意もしなければ否定もしない、そういう主義主張もある、というくらいの認識でいい。


「そうそう、先程の話の続きということになるのですがね……次の出撃は、ワタシに決まりました。久方ぶりに、ワタシの愛機を戦場に出してあげることができます」

「となると、その次は消去法でB4かれか。それで、やっと一巡だ」

「セイファートが投入されてからというもの、“あの御方”の方針で準備期間が少し長くなってしまったからね。ではお先に、この苦しみから解放させてもらいますよ」


 もう飲み足りたのか、男は静かに席を立つ。

 いつものことだが、アルコールが入っているとは思えない、優雅な身のこなしだった。


「生まれ変わったワタシの分身の初披露……今から心が躍って仕方がない」


 そうは言うものの、男の表情には喜びはない。

 落ち着き払って、言動も淡々としている。

 感情がないのではない。長く続けてきた前職の影響で、表情や態度に全く反映されなくなっただけだ――――というのが、男のいつもの言い分である。


「終わりは始まり。現存する全機に、対メテオメイル戦用の改修が施されたここからが、本当の戦いというものなのだろうな。せいぜい、勝たない程度に頑張ってくれたまえ」

「それは無理難題というものですよ。このワタシ、ジェルミ・アバーテと、新生した五頭龍ガンマドラコニスは、必ずや収奪してみせます」

「勝利をかい?」

「いえ……あの男の所有するもの、その全てですよ」


 男は――――ジェルミは、そう発する瞬間だけ、深海の如く冷えた瞳の中に禍々しいほどの光を灯した。


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