第44話 叩けよさらば開かれん(その6)
セイファート、及びバウショックが、初の勝利と初の領地奪還を同時に成し遂げた朝――――
目を覚ました連奈は、傍のデスククロックを見て自分の図太さに感心する。
六百キロメートルほど南西では複数機のメテオメイルによる戦闘が繰り広げられていたというのに、表示されているのはいつもの起床時間だった。
万が一の事態に備えて、気分の上では仮眠のつもりだったのだが、肉体は自己の回復を優先したらしい。
「……さてと」
身を起こした連奈は、気怠げにテレビの電源を入れた。
どうせ時期の関係上、どの番組であろうと速報は流れているだろうが、とりあえずはニュース番組にチャンネルを合わせる。
連奈は、市民の声にも、軍や政府の動向にも興味がない。
知っておきたいのは、ただの結果だ。
「やっとじゃない」
画面下に大きく表示されたテロップを読み取るよりも前に、女性アナウンサーの興奮を隠せない表情と嬉々とした喋り方で、如何なる顛末であったのかを察することは容易だった。
市民に安心を与えるためか、一度は放棄した二箇所の基地機能の復旧が行われていることも併せて、同じ情報が繰り返し流れてくる。
「以前は一方面に過剰特化させた欠陥機だなんて揶揄しておきながら、今度は“逆転の神風”と“尽きぬ闘志の炎”……随分な持ち上げっぷりね」
態度を一変させ、二機のメテオメイルに惜しみない賞賛を送る彼らを、連奈は軽蔑しない。
そうさせるだけの価値を持つのが、勝利という概念なのだ。
見事栄光を掴み取った瞬と轟に対して、嫉妬も疑問も湧いてはこなかった。
前者は、自分が最初の勝者であるという理由から。
後者は、けして偶然舞い込んできた結果ではないということを、重々に理解しているためだ。
感想があるとすれば、待ちくたびれたということくらいだ。
自分から二ヶ月遅れでやっと、二人は求められた成果を出せたのである。
「最低のラインさえ潜れない本当の落ちこぼれは、馬鹿にすることさえ虚しいもの」
連奈はクローゼットから取り出した私服に着替えながら、そんなことを呟く。
そして、隣の姿見に映った自分の表情が、些からしからぬ形であることに気付き、眉根を寄せつつ矯正した。
パイロットも無事生存との公式発表まで聞いて、連奈は部屋を出る。
丁度同じタイミングで、数メートル先のエレベーターが開き、中からセリアが顔を見せた。
セリアもまた、ラニアケアからとはいえ、作戦に参加していた一人だ。
準備段階から、つまり昨日の夜からずっと、オペレーター業務を強いられていたはずだった。
膨大な情報を処理しなければならない焦り緊張といえば、パイロット達に勝るとも劣らないだろう。
「おはよう連奈。今朝の戦闘がどうなったか、もう耳に入れたかい」
「触りだけ。それと、長丁場の大仕事お疲れ様。これから非番?」
「一応はね。残務を放って夢の世界に旅立つ予定だったけど、ご所望とあれば君の朝食の傍らでラジオ代わりになってあげられるかもしれない」
「是非とも、お願いするわ」
基本的に、喋りたがるタイプの人間は苦手とする連奈だが、セリアは相手の嗜好に合わせた話題の選定が上手い。
一切の無駄を感じさせないスマートさは連奈の気に入るところでもある。
それに、瞬や轟の弱みを握れる機会をみすみす逃すわけにもいかない。
「まあ、結果だけ見れば大大大勝利さ。街の被害は相当なものだけど、犠牲者ゼロで、きっちり二機撃破、ついでにパイロットも生かしたまま確保。本当によくやってくれたと思う。まさに、男子三日会わざれば刮目して見よというやつだね。心を入れ替えれば、風岩君も北沢君も、ちゃんとやれるじゃないか」
「よくもまあ、人間としての最底辺から這い上がって来れたものだわ」
「どちらも少々奇抜で過激な性格ではあるけど、根っこは中々にまともだということが、最近やっとわかってきた気がするよ。今回の件……連奈からも、お褒めの言葉があってもいいんじゃないかな」
瞬と轟が、雷蔵からだいぶこっぴどく扱かれたのは、本人達からも散々聞かされた通りだ。
自分ならより早くスピキュールやプロキオンを倒せた自信はあるが、地獄のような苦行を乗り越えてきた、その意思力だけは評価に値するかもしれない。
だからこそ、どれだけの修理費が発生するかもわからないマシントラブルを意図的に起こして、二人に任せもしたのだ。
「一立方メートル内の二酸化窒素量くらいは、ね」
わざわざそんなことをする間柄ではないが、何も言わないことで、逆に今回の結果を意識していると受け取られるのも困る。
気にしていないからこそ、器の大きさをアピールしておく必要があるというわけだ。
そう自分に言い聞かせ、連奈は階下に向かう。
だったのだが――――
「やっぱりほら、オレって才能の塊だからさ。ちょっと本気出せばあんなもんっつうかさ。いやあ、ぶっちゃけチョロかったわ。なにが外道と合気道だ、コスい技だけの連中だぜあんなの。マジで呆気なかったってマジで。バーンと正面からぶつかってやれば簡単に崩れ去る感じ。別にあんな奴らのために一ヶ月も苦行をやる必要性なんて微塵もなかったわほんと。見かけ倒しにも程があるぜ。むしろ恐ろしいのは敵より自分の潜在能力だよな。控えめに言って、オレってやっぱり英雄になるために生まれてきた選ばれし存在なんじゃねえかって常々思ってたんだよなあ」
「うっ」
「わあ……」
宿舎一階のレクリエーションルームで、大勢の隊員に囲まれながら悦に浸る、風岩瞬の姿。
その余りにも深刻な慢心ぶりを目撃してしまい、通りかかった連奈とセリアはひどい渋面になる。
失望どころか、哀れみすら誘うほどの成長の無さである。
「前言撤回、何も変わってないじゃない……」
「三歩進んで二歩下がる……いや、一気に十歩ぐらい下がったようだね」
「私、他人の評価なんて気にしない性分なんだけど、これからは多少は耳を傾けることにするわ。褒められ慣れてない人間の行き着く先がああだとわかるとね……」
まだ起きて三十分だというのに、連奈はシミュレーターでの戦闘を二十セットは終えたかのような疲労感に襲われた。
大きく嘆息すると、二人の姿に気付いた瞬の方から声がかかる。
「あれ、連奈さんにセリアさん。あのスピキュールとプロキオンを倒してきた伝説の英雄こと風岩君に何か御用?」
「呆気なく勝てたんじゃなかったの? というか、戦闘が終わってそのまま撤収してきたんでしょ。よくそんなに元気でいられるわね」
連奈は、ウッドチェアの上でふんぞり返る瞬に冷たい視線を向けながら言った。
普段、戦闘終了後は精神力の激しい消耗で半日寝込むのが常の瞬だが、今回は意識がはっきりとしていた。
六時前に戦闘が終わって、現在時刻は七時半近く。
ラニアケアは戦場となったフィリピン北西三百キロの海域に留まっているのだから、時差もほぼ皆無である。
修行のおかげで体力や精神力の効率的な配分もできるようになったのだろうかと考えていると、またも残念極まる返答が寄越された。
「いや、逆に今まで一番疲れてるぜ。たっぷりセイファートにエネルギーを吸われたし、加重を減殺できないほどのトンデモ加速もやったしな。でも初勝利だし、なんかこうテンションめっちゃ上がっててさ、寝るに寝れねえんだよ。横になっても、最後の一撃を叩き込んだときの光景が浮かんできて、嬉しすぎて笑いが込み上げてくるっていうかさ。……しつこいかもしれねえけど、我ながらよくあの化物達と渡り合えたもんだと思うぜ。凄い、ほんとオレ凄い。後でクソジジイと兄貴宛てに自慢の手紙でも書くかな。どうせ検閲あるだろうし、『セイファートすげえ!』ってぼかした風にして一周回って嫌味な感じで」
「回るも何も、そもそもそういう意図で送るんでしょうに……」
よくよく見れば、本人の言うとおり、確かに顔色は優れない。
燃え尽きる前の蝋燭のように、身体機能が麻痺してハイになっているのだろう。
もうじき、気分の如何に関わらず完全に力尽きるに違いない。
「……ほんのちょっぴりでも、この一ヶ月の頑張りを労ってあげようとした自分が馬鹿だったわ。結局、瞬は瞬ってことね」
流石に自業自得で倒れることまで面倒は見きれないので、連奈は放置を決め込み、セリアを連れてまた歩き出す。
と、ちょうどその時。
入口のガラス貼りの向こうに、今回の作戦における功労者の、もう片方の姿が見えた。
「ここにいやがったか、瞬」
黒のTシャツとジャージを着た轟が、自動ドアがスライドし終える前に、隙間へ体をねじ込むようにして中に入ってくる。
こちらも、だいぶ衰弱しているようだった。
体力は瞬を上回っているはずだが、腕や額に巻かれた包帯から察するに、手ひどくやられたようだった。
役割の関係上仕方のないこととはいえ、こちらもこちらでよく保ったものだと感心させられる。
「おお、どうだった。検査の結果は」
「ざっと調べた感じ、どこにも異常はねーってよ。ただの火傷と打撲だけだ。まったく、無駄に時間取らせやがってよ……テメーの五倍くらいかかったぞ」
「ひどい怪我はしてねえもん、オレ。電流ビリビリも食らってねえし」
「全部俺に押しつけやがって。まあ、連中の攻撃はテメー如きには耐えられねーがな」
「当たらなきゃいいんだよ。根性自慢お疲れ様です」
「そうそう、テメーは戦闘中にも散々つまんねー挑発をしてくれたんだったな。丁度いい、次の戦闘なんて言わずに、シミュレーターでブチちのめしてやる。確か対戦もできんだろ、あれは」
「いいのかよ、勝率が減ることになるぜ?」
「黒星がつくのはテメーだ、ボケが」
つまらない言い争いも依然として健在。
この一ヶ月を通じて仲が深まったかと思えば、特にそんなこともないようだった。
プライドを捨ててまで連携に徹したのは、あくまでこの一勝をもぎ取るための協定に過ぎなかったということであろうか。
「まあいい……とっとと行くぞ。おら、立て」
「行くって、どこにだよ」
轟が顎を引いてそう促すのを見て、まさかこれからすぐに一勝負を始めるのではないかと連奈は呆然とする。
だが、どうやら何も――――ここまで二人に対して抱いた感情の全てが、多いなる杞憂だったらしい。
轟は再び外に向かいながら、とぼけた顔の瞬に向けて、さも当たり前のように声を張り上げる。
「メシに決まってんだろーが」
相変わらず、進退を繰り返すだけの遅々とした歩みではあるが――――
立っている場所そのものは、一つ先のステージに変わったようだった。
「……やっとお出ましかい」
「待ちくたびれましたね」
ケルケイムは、三重の電子ロックと二重の扉を抜け、ラニアケアの地下ブロックに設けられた監房に足を踏み入れた。
意図的に照明を薄暗く調整されたそこには、立て掛けられた金属板に貼り付けられるようにして、二人の男が拘束されている。
両者とも、全身の至る所を合成皮革のベルトで縛り付けられ、今の今まで自害防止用のハーフマスクも閉じていた。
第三者であるケルケイムが入室したことで、マスクは一時的に首元までスライドし、これから始まる尋問の受け答えも可能となる。
「スラッシュ・マグナルスと、霧島優だな」
一昨日行われた初の領地奪還戦にて、とうとう連合側が撃墜に成功したオーゼス製メテオメイル、スピキュールとプロキオン。
そのパイロットであるスラッシュと霧島は、後に連合の後方支援部隊が回収した機体の中から救助されていた。
スピキュールは溶岩の中に七割以上が埋没、プロキオンは数万度の熱量体の中へ投擲。
だというのに、よほど防護性の高いコックピットブロックを採用していたのか、中の二人は重傷手前といったレベルで済んでいた。
昨日の時点で既に意識を取り戻し、応急処置を受けた後は、すぐに収監されている。
本来であれば、二人を引き取るのは軍本部のはずだった。
だが、オーゼス構成員の身柄確保は今回が初ということもあって、一刻も早く厳重な監視下で拘束することが求められた。
そこで、一時的にラニアケアへ移送される流れになったというわけである。
どのみち改めて尋問は行われるのだろうが、ケルケイムはその前に、ありったけを聞き出す所存であった。
実行部隊の司令官といっても、上層部が得た情報の全てが自分にまで降りてくるわけではない。
個人的にも打倒オーゼスを誓うケルケイムにとって、これは幾多の真相に迫る絶好の機会であったのだ。
「おうともよ」
「ええ、相違ないです」
場にそぐわない間の抜けた返事が聞こえると、ケルケイムは足早に奥の二人の元へ向かう。
照明や拘束具を操作するスイッチ以外は何も備え付けられていない空間だが、依存心を煽る心理的影響を考慮して、無駄に面積があった。
「ぬけぬけと……」
拘束されていること自体には窮屈さを感じているようだったが、二人の態度は余裕そのもの、あまりにも危機感に欠けていた。
もちろん、真っ当な人格の持ち主であるなどとは微塵たりとも思っていなかったが。
どちらも瞬達に対して本名を名乗っており、既に身元は割れていたが、判明したのは、両者共に特定の関係者を持たないという事実だけだ。
スラッシュは天涯孤独の身で、十代前半から裏社会の中を個人で渡り歩いている。
起こした事件は大小併せて数百にも及び、大半は傷害事件とされている。
一方で霧島は、成人してからすぐに家族と疎遠になり、日本各地を転々としながら生活。
犯罪歴はないが、住所不定の期間も相当に長い。
どちらの精神構造もケルケイムの理解の外、常識的な反応を求めること自体が間違いなのだろう。
「そういうアンタは、ケルケイム・クシナダちゃんだよな。最近、色んな所であんたの話は聞くぜ」
ケルケイムは以前の奇抜な箒頭など知る由もないが――――ヘアワックスがないため、長い赤髪をしなだれさせたスラッシュが、不敵な笑みを浮かべる。
直後、落石でも起こったかのような重苦しいが音一つ、監房の中に反響した。
ケルケイムがスラッシュの顔面を、容赦なく殴りつけたのだ。
「言葉には気をつけろ」
「気をつけたら、もっといい扱いしてくれるのかよ?」
ケルケイムの拳が頬にめり込んだままだの状態で、スラッシュは返答する。
口の端からは微かに血が滴っているが、余裕は些かも崩れない。
むしろ余計に口元を歪めるようにして、友好的な雰囲気すら窺わせる目線をケルケイムに向けてくる。
敵視する価値もないと、嘲笑われているのだ。
「痛い思いをする機会が、半分程度にはなるかもしれないな」
舐められまいと、ケルケイムは威圧的な態度を崩さないまま拳を引き、スラッシュの血と唾液の付いた指先を忌々しげに拭き取った。
「お前達には、これから幾つか質問に答えて貰う」
「お断りします」
今度は、柔和な笑みでそう返してきた霧島の顔面に、ケルケイムの拳が突き刺さる。
霧島は命中の寸前、首を軽く回して衝撃を逃そうとするが、体裁きができない以上、効果は微弱である。
「流石は軍人さんといったところでしょうか、体格以上に重い拳だ」
「……拒否した場合、自分達の身がどうなるかを弁えた上での発言だろうな」
「馬鹿かテメエ、この上なく弁えてるから言わねえんだろうが」
ケルケイムは舌打ちするのを堪えて、スラッシュを睨み付ける。
スラッシュは、そして霧島も、ケルケイムの考える以上に利口な男であったということだ。
「そりゃあ、俺様達は稀代の殺人鬼よ。メテオメイルを歩かせるだけでも何十人と踏みつけてきたし、戦闘で何ヘクタール更地にしたかもわからねえ。どう弁解したって極刑間違いなしだろうさ」
「当然だ。貴様らには弁護の余地もない」
「だが、俺様の見立てじゃあ当分は……少なくとも半年ぐらいは、刑の執行はねえと踏んでる。いや、テメエらの勝敗次第でもっと先延ばしになるかもしれねえな」
「今更になって命が惜しくなった者の、希望的観測だな」
「とっとと処刑が始まる未来を想像してるんなら、マヌケはテメエの方だぜ。不合理な希望を抱いちまってるのは果たしてどっちかな、ケルケイムちゃん?」
またも、鈍く乾いた音が鳴った。
まさにスラッシュが言った通りの事が、連合の内部で起きている。
ケルケイムはつい数時間前にも、似たような対応がなされることをエーレルト中将の口から聞かされたばかりであった。
スラッシュも、霧島も、ようやく捕らえることのできたオーゼスの人間。
重罪人ではあるが、貴重な情報源として、殺すのが余りにも惜しまれる。
連合とオーゼスが繰り広げているのは戦争ではなく、互いの存亡をかけた生存競争。
敗北は死そのもの、完全消滅と同義。
そんな状況下で、通常の法と倫理観によって二人を裁いてしまうのは、明日を生きる可能性を自ら捨てているようなものである。
全てが厚いヴェールに包まれたオーゼスの内情――――組織構成、物資調達ルート、所属メンバーの詳細。
連合が喉から手が出るほど欲しい情報は、幾らでもあるのだ。
それらは例え断片ですら、今後の戦局を大きく左右しかねない。
故に政府官僚の間では、二人の身の振り方次第では信じがたいほどの減刑・好待遇が検討されているとも、ヴィルヘルムは漏らしている。
命と引き替えにでもこの世から排除したい相手が容易く免罪されるなど、ケルケイムにとっては嘔吐したくなるほどのおぞましい取引である。
ケルケイムが先んじてスラッシュと霧島に接触しているのは、協力者とするには余りにも多量の問題を抱えた異常者である、という状況証拠を揃えるためでもある。
当然ながら、会話の全てはコートに忍ばせたレコーダーで録音していた。
ちらつかせて、その場限りの演技を聞く気は毛頭ない。
「喋らなければどうしても殺すってんなら、その時は、情報を下から小出しにして凌げばいいだけだ。それだけで、テメエらはまた何週間か何ヶ月か、俺様を殺せなくなる。軍も政府も、人ひとり殺すだけのことに長ったらしい手続きが要るからよ」
「全部明かしてしまえば用済みですしね。敢えて全てを語らないことで命を繋ぐ、これもまた護身の一つです」
「情報源は一人で事足りる。そうは考えないのか?」
「だからといって、今ここでどちらかの命が奪われるということはないでしょう。どうやらこの尋問、あなたの独断のようですし」
「テメエの理屈は穴だらけなんだよ、ケルケイムちゃん。くだらねえ脅しかけてんじゃねえぞボケ」
完全に、言い負かされていた。
ケルケイムは激昂し、またもスラッシュを殴りつけるが、そもそもこの尋問自体が先走る感情によって行われているようなものだ。
ケルケイムは二人に対し、過度な危害を加えることはできず、返答を強制する権限も材料もない。
この場では何も答える必要がないということを、スラッシュも、霧島も、囚われの身でありながらよく理解していた。
ついでに言えば、録音してしまっていることでケルケイム自身も迂闊な発言ができないという始末。
スラッシュに指摘されるまでもなく、記録に残らないのであれば、もう少し効果のある恫喝をやっている。
もっとも、考えが浅かったという点は確かな事実なのだが――――
「一つだけ、確認してえことがある」
「何も語らずして、要求するというのか……!」
さも当然の権利であるかのようにスラッシュが言い出したので、ケルケイムは目を細めながら答えた。
だが、聞く価値は十二分にある。
どういう形であれ、向こうからの能動的な発言。
返答するかどうかはさておき、裏に潜む意図を類推することはできる。
だからこそ、ケルケイムは発言とは真逆の対応を――――歯噛みするようにして、スラッシュの言葉を待った。
スラッシュも、ケルケイムがそう思い至ったと判断したのか、満足げな笑みを浮かべる。
「あのクソガキコンビは、この一ヶ月で見違えるように腕を上げて来やがったわけだが……ありゃあ、元々軍にいた誰かの指導ってわけじゃあなさそうだな?」
「……交信記録にあった通りか」
「ええ。僕は、シュン君の使う剣術が風岩流であることを看破しましたし、彼の方からも実質的に肯定する旨の返答がありました。おそらくは、師範級の人間の指導を受けることで、基礎能力の強化と立ち回りの改善を図ったのでしょう。ゴウ君も一緒にね」
「んだそりゃ、俺様は聞いてねえぞ霧島ぁ!」
「だから、いま補足したんですよ。考えることは同じみたいですし、邪魔にはなっていないはずですが」
「ちっ……!」
スラッシュは、割って入ってきた霧島を一瞥した後、軽く舌打ちをする。
どうやら、あの戦闘中、情報の共有をする時間的な猶予はなかったらしい。
或いは、最初からするつもりなどなかったのか。
「確かに、してやられたよ。中々の上達具合だったと褒めてやる。だがな、負け惜しみでも何でもなく、あんなもんは問題の根本的な解決になってねえぞ。負け惜しみでも何でもなくな」
「やっぱり負け惜しみじゃないですか」
「テメエは黙ってろ!」
「要するによ、指導力不足なんだよ、テメエらは」
スラッシュの指摘は、この上なく正しい。
誰も、修行を終える前の瞬や轟を、意図的に放置してきたわけではない。
明らかにパイロットとして未熟であり、操縦に数多の欠点を抱えていると理解しながらも、ではどうすればいいのかという、具体的な改善案を出せなかったのだ。
そもそもにおいて、連合はメテオメイル運用のノウハウをまるで持たないのである。
瞬達三人も、ケルケイムらも、有効な戦術について何の蓄積もないところから手探りで戦っているだけ。
現状のヴァルクスは、皆が皆、上辺だけの知識で動いているようなものだ。
組織の骨組みの心許なさは、活動当初より、ケルケイム自身が一番痛感している。
「師匠だか何だか知らねえが、所詮は、生身で使う技を教えるだけの奴だろうが。そいつは“パイロットとしての成長”には関与できねえ。違うか?」
「侵略者の側がそれを言うのか……! 貴様達が存在しなければ、考える必要もなかったことだ」
「なるほど、図星ってわけだ」
「っ……!」
「あまりにもチョロすぎて、揺さ振りようもねえじゃねえかよケルケイムちゃん。あの剣使いのクソガキの方が百倍張り合い甲斐があるってもんだ」
喉を鳴らして、スラッシュが笑う。
もう一撃、見舞ってやりたいところだったが、その度に敗北感が増していくという負の連鎖に陥ってしまっている。
そのことを、ケルケイムは今更ながらに自覚し、拳を収めた。
「結論から話せ。これ以上、つまらん話を続ける気はない……!」
「察しの悪い奴だな。……だからよ、俺様が教えてやろうってんだよ。あのクソガキ共に、メテオメイルパイロットとしてのあれやこれやをよ。オーゼスについて語る事は一つもねえが、そういう意味でなら教えてやってもいい」
余りにも突拍子もない提案を受け、ケルケイムの思考は数秒ほど、空白になる。
いきなり何を言い出すのか、血迷いでもしたのかと。
だが、考えれば考えるほどに、これほどまでに悪辣で合理的な保身の術があるだろうかと、納得に至る。
無論、湧き出てくる感情は相反するものであったが。
ケルケイムは、もう一歩スラッシュの元に踏み込んで、声を荒げる。
「貴様ら……!」
「悪い話じゃねえだろ、テメエらにとっても」
まさにその言葉こそが、ケルケイムとスラッシュ達の間における、ある種の勝敗を示していた。
「さっきは、処刑はだいぶ後回しになるだろうとは言ったが、あくまで俺様の読みだ。百パーセントそうなってくれるわけじゃねえ。声のデカい閣僚の中にテメエみたいな激情家が混じってたらアウトだ。その辺を用心深く考えるとよ、俺様にとって最も安全な場所ってのは……ラニアケアになる」
「同感です。結局どうなるかなんてまるでわからないのに、連合政府のお膝元だなんて、もっと透明性の低いところに移るのは正しい護身とは言えません。状況が状況ですし、拷問や人体実験くらいは覚悟しておかねばならないでしょう」
「割って入ってくるんじゃねえ、霧島ぁ!」
「交渉でしょう? だったら僕の方が多少は向いていると思いますよ。スラッシュさんよりは、他人の神経を逆撫でせずに会話ができますから。彼にとっては、僅かな差でしかないとしてもね」
霧島はスラッシュにそう言うと、貼り付けたような微笑みを再びケルケイムに向けてくる。
「ですが、ここでの役割を獲得することができれば、そういった目に遭う可能性をだいぶ減らすことができます。少なくとも、人道的な扱いはしてもらえるはずです。何と言ったって、あなたが最高責任者を務めているのですから」
「そこまで含めた上での、自信か……!」
二人の論理展開は、反吐が出そうになるほど隙のないものだった。
自ら有用性を提示し、現状最も安全といえる場所で当面の無事を確保。
ただの捕虜という立場からいち早く抜け出し、人間として真っ当に扱われるラインの内側へ。
途方もなく重い罪状を抱えているにも関わらず、その罰を事実上の保留にするなど、卑劣にも程がある。
この条件をケルケイムが呑み、そして上層部が許諾するようなことがあれば、二人に対して、本当にもう何も手出しができなくなる。
「しかし、実戦経験ということであれば、貴様らはたったの二度。パイロットとしての場数だけなら、あの二人が上だが……?」
「本気で言ってんのかよテメエは。俺様達は天下のオーゼスだぜ? 経験の積める環境なんて、テメエらの百倍整ってる。勿論、コンピューター相手にピコピコやってるだけじゃねえ。実戦それ自体だってやれちまう」
「シュン君達が、実戦投入される前に、どれほどのトレーニングを行っていたかは判じかねます。ですが、多分僕達の方が長い時間を費やしていると思いますよ」
ケルケイムは、しばしの間、返答を躊躇った。
総合的な利害は、とっくに計り終えている。
ただ――――そうしなければならないことが、余りにも屈辱的であるからだ。
一体何が悲しくて、そんな真似をしなければならないのか。
だが、溢れ出す憎念を堰き止めるものがある。
それは、あくまで自分本位で始めた、この大いなる復讐に付き合わせてしまった者達に対する罪悪感。
中でも特に、三人の少年少女達は、命を張って過酷な戦いに身を投じてくれている。
彼らに対しては、“全てが終わった後で”などという無責任な姿勢ではなく、現在進行形で購いを続けていく必要がある。
スラッシュと霧島の持ちかけてきた話は、その目的にも合致する。
操縦技術の伝授という具体性のある効力で、三人の命を守ってくれる。
「成果が出なければ、それまでだと思え」
つい今までは、なまじ自分が尋問紛いのことを始めたために、スラッシュ達につけ込まれてしまったという後悔もあった。
しかし、オーゼスの壊滅という最終目標だけに目を向けるのであれば、パイロットの能力を向上させることは必須も必須。
決して許してはならない存在であるという認識は、片時も意識から外すことなく、利用できる限度まで利用し尽くす。
ケルケイムは一度口元を強く結び――――それから、上層部に提出するための、二人の意志確認を改めて行うべく、過去のデータを破棄して新規の録音を開始した。




