第43話 叩けよさらば開かれん(その5)
「十三式、“嵐独楽”!」
バウショックの鐐に意識を奪われ僅かな硬直を見せたスピキュールに、セイファートが追撃を繰り出す。
全身を回転させて放つ、地面に対し水平に伸ばしたジェミニソード二振りによる連続斬撃。
三式・颪独楽の発展系であり、その名の通り、刃を備えた独楽が嵐の如く襲いかかる大技である。
セイファートのスラスター加速もあって、攻撃回数は生身の比ではない。
元々は、多数の敵を相手取る乱戦用に生み出された技だが、こうして相手の現在位置が不確かな場合にも効果を発揮する。
後退されればこれほど狙いやすい的もない、というほどに大きな隙を晒してしまうことになるが、その選択肢はバウショックが潰してくれている。
「滅多切りだ!」
逃亡するための時間的猶予を消費し尽くしたスピキュールに、機体そのものが斬撃の嵐と化したセイファートが激突する。
けたたましい摩滅音と共に激しく飛散する、赤い火花と鳩羽色の装甲。
見る見るうちに、スピキュールは全身の装甲を切り刻まれていく。
手数の差は圧倒的、スピキュールには残った片腕どころか両腕ですら弾けるわけもない。
「俺様が、こんなクソガキ共に! 今のは避けれた、避けれたってのによ!」
「どうだ、最悪のタイミングで妨害された気分は。心底腹が立つよな……!」
一ヶ月前、自分に送られた言葉を、瞬はそっくりそのまま返す。
作戦通りではあるが、ギガントアームを装備したバウショックの打撃を警戒しすぎたのだろう。
即断して前後どちらかに退避しておけば助かったところを、そのために必要なコンマ数秒を、思索に費やしてしまった。
そして、コンマ数秒あれば、セイファートにとっては十分すぎる時間。
臆せず直進すれば、スピキュールはそこにいる。
振り抜く動作を求められず、かつ正面方向ならば百二十度程度は移動方向に融通の利く嵐独楽ならばまず間違いなく命中する。
上手く風岩流を体現できていると、瞬は実感する。
シミュレーターの訓練用プログラムで指示された、ありきたりな連携パターンを幾ら試しても納得のいく出来にはならなかったが、風岩流としてのあるべき形を意識すれば自然と流れが出来上がっていく。
緩と急、攻と防。
個人という範疇ではなく、轟まで含めた連携が。
押している、どう贔屓目に見てもこちらが押している。
どうにか反撃しようとスピキュールが電撃を放ってくるが、セイファートは回転を解いて軽々と宙を舞う。
そこへ、ギガントアームの再接続行程が完了したバウショックからクリムゾンショットが叩き込まれ、スピキュールは膝をつく。
接近したセイファートは、その背面へと袈裟斬りを放った。
一連の流れるような集中攻撃により、スピキュールは大半の武装を斬り砕かれる。
「クソが……! せっかくの、メテオメイル戦を経た上での初占領なんだぜ……リベンジ一回であっさり奪い返されてたまるかよ!」
「ってことは、あんたら二人さえ倒せばここを奪還できるわけだな。しつこくお仲間を呼ぶわけじゃねえのか」
「んなことやって満足するような程度の低い奴はオーゼスにはいねえよ。俺様達は、テメエらみてえに他人の力なんざアテにしてねえからな!」
「だったら安心して、あんたらを倒すのに全力を注ぎ込めるな」
「ほざけ!」
そう叫び、続くセイファートの攻撃を躱すスラッシュだが、動作にだいぶ切れがなくなっていた。
まんまと誘い出された自分達を返り討ちにするための演技であれば大したものだが、そこまで手が込んでいるようには思えない。
戦闘が開始されてから約三十分。
自分達も、スラッシュ達も、戦場を相当に動き回っている。
こちらが肉体の出来上がっていない不完全なら、あちらは全盛期を過ぎた不完全。
持久戦は互いに辛いということだ。
回復量ということなら若い自分達に分があるだろうが、流石にこれ以上の長期戦を試す気にはなれない。
第一、満身創痍のバウショックがこれ以上の長丁場を耐え切れそうにない。
現状、どう贔屓目に見ても優勢なのはこちら側。
何が最適解かは決まり切っている。
バウショックが再びクリムゾンショットの発射態勢に入っているのを視認して、瞬もまた追い打ちの準備に入ろうとした。
だが――――剣を構え直す寸前、コンクリートで塗り固められたかのように。セイファートの動きがぴたりと止まる。
「やっと追いつきました、疲れました」
「っ……!?」
気付けば、背後から音もなく伸びてきた月白の腕が、セイファートの首に回っていた。
もう片方の腕はセイファートの左腕に回り、強固なロック機構が設けられているはずのストリームウォールを容易く取り外してみせる。
引き剥がすのではなく、逆に掌を押し込むことで力を流し込み、接続部位を荷重による歪曲によってねじ切ったのだ。
こんな人外じみた芸当ができる機体には、一つしか心当たりがない。
「合気道……!」
「大変でしたよ、ここまで来るのは。僕のプロキオンは噴射機構なんてものは存在しませんし」
プロキオンは、肉薄どころか密着した状態で、セイファートの動きを封じていた。
もたれかかっている程度の体重の乗せ方なのに、まるで縫い付けられたかのように機体が動かない。
ここまで深く間合いに潜り込まれても霧島の気配に気付なかった自分に、瞬は歯噛みする。
おそらくは、自分が合流する前にスピキュールがばら撒いていた、ダミー熱源ユニットに紛れて接近してきたのだ。
スピキュールを視認出来る、或いはそこにいることを確信できる環境下で戦っていたために、誤認することはないだろうと思い込んでいたが、まさかプロキオンまでが利用してくるという考えには至らなかったのだ。
「こんな時に……!」
いずれ来るだろうとは思っていたが、想定より一分ほど早い到着だった。
それだけの時間を使えればスピキュールを倒せたというのに、考えが甘かった。
プロキオンの脚力と、周囲の環境を活かせる霧島の環境適応力。
そこまで視野に入っていれば、もう少しスピキュールとの決着を急いだというのに。
だが、後悔している暇はない。
「でかした霧島ぁ! こいつら、バラけてる時は大したことねえが、手を組み出すと厄介だ……俺様が赤いのを仕留めるまでそいつを離すんじゃねえぞ!」
「申し訳ありませんが、それは出来ません。彼の力はもう、独りでも十分に、僕の生存を脅かす領域にまで踏み込んでいます。無論、そちらの彼もね。なのでこのまま、行動不能になるくらい締め上げさせてもらいます」
「させるわけ、ねえだろ!」
余りにも平然とした物言いに聞き流しかけたが、要は事実上の撃墜と何ら変わりはない。
現に、右手に覆われた頭部は、首元がみしりみしりと嫌な音を立て始め、今にも折れんばかりに内部フレームへ負荷がかかっている。
瞬はセイファートを力任せに浮遊させ、飛行を開始。
背面バーニアスラスターの噴射も併せて振り落とそうとするが、プロキオンはまるでセイファートと一体化してしまったかのように離れない。
むしろより強く体を押しつけることで、胴体から折ってしまおうとする気配すら感じる。
「いい加減に、離れろ!」
「君が動けなくなったら、そうしてあげますよ」
装甲が受ける空気抵抗の微細な変化から、全身が徐々に撓んでいくのがわかる恐怖があった。
本当に固体であるのかどうか疑わしいほどに、抗わず、馴染み、浸透して、こちらのエネルギーを 呑み込むかのようにまとわりつく化物。
こんなものとよく真っ向から近接格闘戦を挑めたものだと、轟の胆力に今更ながら感嘆する。
その轟もまた、バスターアシッドネイルで死角からの攻撃に徹するスピキュールを前に、苦戦を強いられていた。
逆転し、逆転され、また逆転し、更に逆転される――――
一見、互角の戦いを繰り広げているようにも見えるが、実際はそうではない。
互いに順応を繰り返し、挙動が洗練されていくために、再度の逆転は更に高度な戦術が求められる。
長引けば長引くほど、本来の引き出し――――培ってきた経験の量が勝敗に大きく影響する。
そうなれば、不利益を被るのは瞬達の側である。
あの達人二人に何度か痛手を与えてはきたが、どれも初めて見せる技だったからこそ通用したようなもの。
風岩流であろうと打甲術であろうと、何度も披露すれば、行き着く先は“よくある技の一つ”でしかない。
終止符を、討たなければ。
“そうできるもの”を、己という蔵の中から取りだしてやらねば。
瞬は覚悟を決め、声を張り上げる。
「轟……いつまでもグダグダやってんじゃねえぞ!」
その言葉は、半分は自分自身に向けての言葉であった。
三週間、同じ釜の飯を喰らい、同じ床で眠り、共に修行を重ねてきたせいであろうか。
会話の殆どは、意思の疎通を図るためのものではなく、疎通が出来ていることの確認作業であったように思う。
何かを任せるときは、他を自分が引き受けようとしていた。
何かを求めるときは、向こうが求めるものを用意していた。
つまり、二人の間においては――――何かを急かすときは、既にこちらの準備が完了していることを意味する。
この場に適した要約をするのなら、次の一撃で全てを終わらせるという決意にして、その先陣を信じて任せることの表明。
目と目が合えば、段取りなどいらない。
「言われるまでもねーんだよ! 俺は、ビビリのテメーが度胸みせるのを待ってやってたんだ」
その言葉が、一人と二人、どちらを対象としたものだったかは、もはやどうでもいいことだった。
轟が力強く答えてくれた瞬間、窮地の最中だというのに、あらゆる不安が吹き飛ぶのだから笑わずにはいられない。
「なら、やるか……!」
吹っ切れた瞬は、自分でも驚くほど当たり前に、セイファートを接地寸前の距離まで高度を下げ、背面飛行させていた。
地面との摩擦で、背中にしがみついたプロキオンを削り剥がすためだ。
プロキオンの対応次第では、自身も数百メートルとコンクリートの大地を転がり回る羽目になる、極めて危険な打開策。
だが、これが決着を付けるための最短の過程。
道筋が見えている危険は、対処もまたしやすい。
案の定体重を傾けて上下を逆転させようとするプロキオンだが、逆に思い切り一回転して振り回す。
遠心力のかかったプロキオンは、そこでようやくセイファートから離れてくれた。
「ざまあみやがれ!」
「やっぱり空中戦は難しいですね……こればかりは、中々どうも」
時速数百キロの速度で地面を滑りながらも、その勢いを利用して立ち上がる霧島の脅威のバランス能力には言葉も出ないが、これからの自分にはもはや関係のないことだった。
ここからはもう、プロキオンは完全に轟の獲物として定義してあるからだ。
そこへちょうど、スピキュールの攻撃を逃れながらバウショックが駆け寄ってくる。
明らかに、四肢に動作不良を来たしていることが見てとれる、極めて不安定な挙動。
よくもまあここまで頑張ってくれたものだと、轟の体を張った立ち回りを、深く恩に着る。
「折角俺様達を分断できたのに……また振り出しだなあ、クソガキ共!」
「本当にそう思うかよ、卑怯のおっさん」
「いや? 図に乗っちまったんだろ? 相性どうこうじゃなく、以前にいたぶられた因縁の相手をブチのめしたいってわけだろ?」
「なんだ、しっかり理解できてんじゃねえかよ」
「ああ、わかる。この上なくわかる。そんなクソくだらねえセンチメンタリズムじゃあ勝てねえってことはな……!」
「ぼくはどちらが相手でも構わないんですけどね」
背中合わせになったセイファートとバウショックを、スピキュールとプロキオンが前後から取り囲む状況。
まだ精神的な優位性を醸し出している以上、スラッシュにも、霧島にも、まだ奥の手は残されているだろう。
外道と合気道、どちらに進めど悪辣なるカウンターが待ち構えている。
もっとも――――自分と轟がこれから見せる“とっておき”の前では、このような包囲網は金魚掬いの網も同然。
「オレの台詞じゃねえけどよ……勝算はあるって、最初に宣言しといたよな」
「ああ?」
「あとは、成功率の問題だけだったんだ。幾ら自慢の一発とはいえ、色々仕込んでおかねえと、絶対あんたらには通じねえからよ。それで長い時間を、食っちまった」
「ほう……こっから秘密兵器のお出ましってわけかよ。だがな、命中しなけりゃ意味がねえってことは散々体に教え込んでやったはずだよなあ? んなもんがやりたけりゃ、俺様達の気分がノってくる前に使っとけよ。土壇場でカッコつけようと勿体ぶったのが、テメエらの二度目の敗因ってわけだ」
「何度も何度も、そう思ったさ。だけど違うぜ、途中でやっちまいたい衝動を堪えてここまで繋いだからこそ……オレ達は、あんたらを倒せるんだ」
張り詰めた空気の中、瞬は額から流れ落ちてきたぬるい汗を拭い、そして――――フットペダルを全力で踏み込んだ。
「今ここで!」
「見せつけてやる!」
それが、開始の合図。
セイファートとバウショックの、全力を賭した最終攻撃。
「んなもん、俺様の卑怯で…………」
セイファートが脚部に力を込めるのを見てか、スラッシュは一歩だけスピキュールを後退させるが、そこで機体を止めたようだった。
何故なら、セイファートの進行方向は真上――――遙かなる天空。
どこまでもどこまでも、瞬はセイファートを加速させ、青みを帯び始めた世界へと昇っていく。
一方で、残されたバウショックは一歩たりともその場を離れない。
唯一動かすのは、左腕。
正面に突き出したギガントアーム、その外装がスライド展開し、全排熱機構が露出。
一拍の間を置いて、掌から、膨大な熱量を封じ込めた巨大な火球が生まれ出でる。
最大火力約三万度、見る者全てを焼き尽くす滅びの太陽。
「結局最後は、その火球ですか」
既に側面に移動していたプロキオンが、バウショックに迫る。
撃ち出される前に、先の戦いと同じくバウショック自身に衝突させるか、或いは腕そのものを破壊して攻撃自体を中断させようとしているのか。
だが、そんなプロキオンの動きを確認できたからこそ、瞬は、轟がこれから繰り出す大技の成功を予感する。
「これしか残ってねーからな……だが、テメーを倒すのには事足りる」
「僕が、そんなものにみすみす当たるとでも?」
「――――当てるとでも?」
「まさか……!」
「やばい、霧島ぁ!」
轟の、獣の笑みを伴った返答に、ここで始めて霧島が動揺する。
遅れてスラッシュも、バウショックが何をしでかすのか感じ取ってその場を退こうとするか、もう遅い。
「だから、テメーらが一纏まりになるのを待ってたんだぜ」
バウショックはギガントアームを天に掲げ、完成した火球を上空へと解き放った。
「灼熱視……!」
轟は、スピキュールとプロキオンを打ち倒すべく、技術スタッフの協力の下に編み出した切り札をそう名付けていた。
地上百五十メートルの空間で上昇を停止した火球は、水素が枯渇した太陽の如く、徐々に膨張を開始する。
クリムゾンショットが圧縮技術改良の正当な恩恵を受けた代物なら、ソルゲイズはその副産物を元に考案された、裏の技術の集大成。
より長く、より狭い範囲で熱量を封じ込めることが可能になったのなら、より拡散に近い状態での維持もまた可能という理屈。
ソルゲイズのために生み出された火球は、時間が経過すればするほど、元より十全ではない厚みのエネルギー皮膜に、無数の孔が発生。
そこから漏れ出るものは当然――――内包されていた、並大抵の物質では形状を維持できないほどの超高温。
降り注ぐ灼熱が、火球に照らし出されたあらゆる物質を炙り尽くす。
「これが、テメーらの能力に対する俺の解答だ。邪魔できるもんなら邪魔してみろ、守れるもんなら守ってみろ……!」
迫り来ることなく、ただひたすらに凝視するだけの紅き魔眼。
だからこそ与えられた、灼熱視の呼び名。
このソルゲイズを放ったとき、バウショックは両刃の剣が自身を貫くまでの間、戦場の支配者となる。
「この、イカレ野郎が……! テメエごと、巻き込んで……!」
「無茶は承知の上だ。だがな、紫モグラにデッサン人形……先にくたばるのはテメーらだ。どっちもバウショックよりヤワな造りだからな……!」
スピキュールも、プロキオンも、装甲が薄い部類に入るとはいえ、それでもメテオメイルである。
レイ・ヴェールによって我が身を襲う高熱は大きく遮断され、すぐさま蒸発消滅するようなことはしない。
だが、即死を免れたというだけだった。
機体は無事でも、戦場に存在するその他全ての物質は、一切の例外なく燃えて溶けゆく。
溶岩と化した大地は煮え立ち、流動して、敵対する両機の移動を極めて困難なものとしていた。
ここでようやく、バウショックはプロキオンへと向けて歩き出す。
足裏面積の広い、本来ならば最も機動力の低いバウショックが、誰よりも円滑に動けるという矛盾。
轟はその間に、レーダーによって得られた全機の位置情報をセイファートと同期させる。
「やっちまえ、瞬!」
「ああ!」
送り届けられたデータに目を通し、立体表示させた周辺エリアのマップに素早くマーキングをする瞬。
そのときセイファートは、雲さえ突き抜けた先、七千メートルの高度にまで到達していた。
そこまで向かったのは、バウショックのソルゲイズ効果範囲から逃れるためでもあり、これから見舞う自身の切り札のためでもある。
ソルゲイズと同じく、瞬もまた、この一ヶ月の中で大勢の助力を得て雛形を作り上げていた技があった。
「そうだ、これが……!」
瞬は天頂に向けられていた機体を、ゆるりと反転させる。
スラッシュ達に敗北する前からずっと抱いていた、自身の技量とはまた異なる部分での大きな不足感。
それは、競り合いの天秤を完全に傾けるような最後の一押し――――勝利をもぎ取る究極の一、最大火力。
バウショックには、クリムゾンストライクが。
オルトクラウドには、ゾディアックキャノンが。
それぞれ、必殺の武器と呼んで差し支えない虎の子を備えている。
だが、セイファートにはそれらに相当する絶大な火力が欠けていた。
膨大なエネルギーを一度で使い切るような武装自体がないのだから、当然と言えば当然だ。
とはいえ、そうした決まり手を持ち得ていないことが、戦いの泥沼化に繋がっているのではないかという懸念はあった。
そうして無事、案を練り続けた末に一つの技を編み出すことができたが、敏捷性に優れた敵機に対しては命中率の不安が残されていた。
だが、そのデメリットを解消するのがバウショックのソルゲイズ。
一時的な敵機の行動封じと事前の測量計測。
幸運にも、同時期に作られた攻撃手段による補完があって、実用段階に漕ぎ着けたというわけだ。
まだまだ誰かに頼ることでしか前へ進むことができないが、進めたのなら儲けもの。
今は、恥も外聞もかなぐり捨てて、白星へ這い寄ることこそ使命。
「これが……!」
刹那、セイファートはジェミニソードの長刀を両手で握り込み、ただ落ち行く。
ただし、バーニアスラスターの全リミッターを解除した、限界を超えた速度で。
目指すは一点、スピキュールの頭上。
最高出力で展開されたレイ・ヴェールが空気抵抗を無きものとし、あらゆる音を置き去りにしたセイファートは、かつて地球に降り立ったときと同じ輝きを見せる。
赤く、白く、空を奔る流星のように。
瞬は文字通り全身全霊をかけた斬撃を、他に命名しようがないため、こう名付けていた。
「我流星だ……!」
瞬がそう発したとき、勝敗は既に決していた。
超常的な加速を刀身に乗せたジェミニソードは、もうスピキュールを縦に両断し終えている。
そうなるに至った過程など存在しない。
パイロットの精神力を食い尽くす代わりに、最高時速マッハ18という極々々超音速で天上より降り注ぐ瞬速の刃。
回避も、防御も、それどころか視認さえ、如何なる反応も許すことのない絶対剣。
照準さえ合っていれば、相手は如何なる動作も差し挟むことも不可能――――気付いた時には、ただ斬り伏せられているという結果だけが残る。
「俺様の、負け、だと……!? この俺様が、こんなクソガキ共にだと!? 有り得ねえ! 有り得えねえだろうがよ! 一ヶ月前まであんな無様を晒してた、戦いの何たるかをわかっちゃいねえ、無知なガキに!」
「悔しがるなよ。あんたの方が、まだ何枚も上手だ。オレたちゃ連携ありきの未熟なガキだ。五歳児レベルの知能の、な」
「何、だよこれ、は……妨害しようが、ねえじゃねえ、か……! クソ、クソクソクソクソ、クソがぁ……!」
「……卑怯ってのは、これくらいのことを言うんだぜ」
「テメエ、らあああああ!」
衝撃波、雲輪――――スラッシュが悔恨の叫びを上げたとき、全てが遅れて空に咲く。
そして、セイファートの辿った直線軌道をなぞり押し寄せる大気の波が、半身のまま藻掻くスピキュールを、非情にも赤色の大地へと叩き込んだ。
直後、胴体断面から噴き上げるのは、幾種類もの化学物質で変色した炎。
間違いなく、継戦不可能な致命的損傷。
スピキュールはもう二度と、起き上がる様子を見せなかった
「やっぱり……途中で欲に負けてたら、擦りもしなかったじゃねえか」
そのときセイファートは、L字を描くように真横への強引な再加速を行い、スピキュールから遠ざかっていた。
コックピットの中、凄まじい加重で乱された血流をなだめるようにして、瞬は呟く。
攻撃後もスラッシュに喋る余裕があった通り、スピキュールは、両断にこそ違いないが、奇麗に真っ二つとまではいかなかった。
やや中心線を外れた右肩付近からの切断だ。
ついでに、刃を当てる角度にも狂いがあったせいで、刀身は当たり前のように折れ飛んでいる。
何かしらの支援がなければ思い切って使う気にならないことも相まって、まだまだ改善の余地だらけの必殺技だ。
それでも、必殺と呼ぶに相応しいだけの成果は残した。
撃墜という、ひどく単純にして、だがパイロットとしてはこれ以上ない成果だ。
「今度はオレの勝ちだぜ、卑怯のおっさん」
自分が何を成したのかは、もうしばらく、深く考えてはならない。
まだやるべき事は残っているからだ。
溶岩に埋もれたスピキュール、その双眸に灯った赤い光が消え失せるのを後目に見ながら、瞬は決着が付こうとしているもう一つの戦いにセイファートを向かわせた。
灼熱の世界を、赤き巨人が地鳴りを轟かせながら進む。
蓄積した損傷と、照りつける第二の太陽。
二重の難苦により、死期は近い。
それでも、残されたあと数十秒の命を使い切るべく、巨人は躙り寄る。
必ず自らの手で仕留めると誓った、護身の極人に。
「おらぁっ!」
耳をつんざくような激しい衝突音が、鳴り響く。
ギガントアームによる強烈な左拳が、プロキオンの胴体を打ったのだ。
直撃を通してしまったプロキオンが、大きくよろめく。
両腕で捌きの構えに入っていたにも関わらずだ。
ここまで霧島の正確極まりない絶技を見てきた者にとっては、あり得るはずのない醜態。
だが、この状況下に限り、バウショックの打撃を見切ることは霧島ですら至難の業となる。
ソルゲイズによる超高熱と、雪崩れ込んできた外気。
両者の尋常ならざる温度差が生み出す陽炎の影響だ。
光が複雑に屈折し、空間が何層にも分かれ、ゆらめく――――この領域下では、見えるもの全てが不確かな形状となる。
どこであろうと拳が命中すれば元の取れるバウショックと、エネルギーを逃しきるために超精密動作を必要とするプロキオンとでは、全く対等ではない。
その上――――
「まだだ、ここまで受けた分には遠く足りねー!」
「僕としたことが、これは……!」
更に、二撃、三撃。
立て続けに打ち込まれた拳で、プロキオンがとうとう吹き飛ばされるに至る。
先程のミスは、億が一発生しうる神変などではない。
セイファートの、そして瞬の健闘を含んだ、幾つもの積み重ねによる理に適った攻略だ。
プロキオンは、透過素材で作られた頭部装甲の内奥にメインカメラを搭載しているため、単なる表面の損傷ではカメラの精度自体は低下しない。
セイファートのバルカン砲を浴びて大量の陥没痕は生じたが、ここまでの戦いを見ればわかる通り、それだけでは大した支障とはならない。
見え辛くなるくらいの不都合は、霧島は肉体の側で如何様にも補正できるからだ。
だがここに、陽炎によるブレが加わると、パイロットの得られる視覚情報は誤差が何倍にも増幅する。
視覚だけに頼っている霧島ではないだろう。
だが、聴覚は燃え落ちる建造物の音と溶けゆく大地の鳴動が、触覚はコックピットの内部まで伝わる熱量が、それぞれ妨げる。
周辺環境のあらゆる情報が、正確性を五割前後に落とした状況では、逆算の足がかりとする基準すら築けない。
この環境において軍配が上がるのは、動作がより正確でない者なのだ。
「痛いなあ……本当に痛い。こんな痛みは、これ以上は御免被りたいところですね」
「だったら守ってみろよ、自慢の合気道でよ!」
容赦のない四撃目が、とうとうプロキオンの守りをこじ開けてまで、その頭部を打つ。
溶解した地面では、そもそも体重移動さえ満足に行えない。
顔面から突っ伏すように、プロキオンは力なく倒れていく。
パイロットである霧島自身もまた、度重なる衝撃を受け、心身共に満身創痍のようであった。
けして取り乱すことはしないが、貼り付けた笑顔の仮面が外れかけているのが呼吸の荒さからわかる。
「そうしたいのは山々なのですがね……残念ですが、ご覧の通り、今の僕では力及ばずといったところです」
「俺達の執念が上回ったってわけだ」
「どうですかね……僕は、僕自身の落ち度こそが、こうなるに至った最大の要因だと思っていますよ。己の領分を見定める事は大切ですが、その領分が狭すぎてもいけない……結局、そういう事だったんじゃないんですか? 僕達の戦いの総括は」
「……勝ちも負けもねー、合気道らしい意見だ」
「高みを目指すための研鑽は即ち、己との戦い……負けたというのなら、それは他ならぬ僕自身の甘さですよ。もっとも……」
「ああ、まだ勝負は付いてねえな!」
うつ伏せのままのプロキオン、その背中が微動すると同時に、轟は五撃目を叩き込んだ。
本当に何一つスラスターの類がないのっぺりとした背面装甲に、ギガントアームの五指が潜り込む。
そこまで深く打ち付けた一撃である、もはや中の霧島も無傷というわけにはいかないだろう。
しかしバウショックも、もはや全身の駆動系が悲鳴を上げており、機能停止の間際。
「だから、これで終いだ……!」
轟は最後の力を振り絞って、ギガントアームでプロキオンの胴体を掴み上げる。
「結構頑張ったつもりだったんだけどなあ。まだまだ、護身の道を極めるためには先は長そうです」
「先なんてねーよ。テメーらにはな」
「そうみたいですね。でもまあ、人生最後の鍛錬としては、中々に充実できたんじゃないでしょうか。細かい反省は向こう側でするとします」
「そうかよ」
「ああ、ひょっとして死ぬのって、これ以上傷つきようのない究極の護身だったりするのかなあ……この辺りの精神哲学についても、そろそろ腰を据えて考えないといけないですね」
「……くだらねえ」
まだ霧島は何かを言いたげだったが、轟は迷わず、プロキオンを投げ捨てた。
膨張に膨張を重ねて、全長約四十メートルにまで表面積を増やした、輝く太陽へと。
そして、プロキオンという質量が叩き込まれ、とうとうそれは形状を維持できなくなり、破裂して 残った全エネルギーを周囲に解き放つ。
月白の機体は、日の光を浴びて鮮やかな黒影となり、そのまま轟の視界から消えていった。
「何が究極の護身だ。テメー一人の命しか背負えねー奴にできる護身なんて、たかが知れてんだよ」
最後の熱量は、最大の火力。
今の投擲で遂に、コックピットブロック周辺の回路までもが焼き切れて、バウショックもまた完全に沈黙する。
だが、恐れることは何もない。
都合良く飛来してきた鋼鉄の疾風が、バウショックをどこか遠くへと運び去ってくれるからだ。
「大事なことを忘れてんじゃねーよ……テメーらは、互いのために命張った俺らに負けたんだぜ」
「言っても無駄だぜ、轟……どうせオーゼスには、理解できねえよ」
ソルゲイズの瞬間的な移動封じによって我流星が成り立つように、ソルゲイズの最終的な拡散消滅からバウショックを救うのは、急速に戦場を離脱可能なセイファートの役目。
この密接な相互補完によって自分達の明日を切り拓いた二人にとっては、妨害も護身も、それこそ戯言だった。
今の瞬にとって、意識を途絶えさせることは余りにも容易だった。
ほんの僅かに気を緩めるだけで、丸一日、何をされても絶対に目を覚まさない自信がある。
それほどに体力と精神力の消耗は著しく、まるで全身が一本の藁になってしまったような感覚だった。
だがどちらも、最後の一滴がいつまでも体の奥底から湧き出てくる。
何ら不思議なことではない。
身を震わせるほどの途方もない歓喜が、自らの手で掴んだ結果を刮目しろと、活力を幾らでも練り上げてくる。
「見ろよ、轟……」
主戦場となった市街地から二キロメートルほど離れた丘陵。
そのゆるやかな斜面で、セイファートとバウショックは、共に片膝をついた状態で沈黙している。
瞬と轟は、開放されたそれぞれの胸部ハッチを足場に、ようやく火の手が全て消えようとしている市街地の方を眺めていた。
瞬は、コックピット下部に収納された非常用キットの中に含まれる双眼鏡を用いているが、轟は肉眼だ。
そこには、せわしなく飛び回りながら薬剤を散布する無数のヘリコプターの姿があった。
今回の作戦は、元々入念に計画された上で実行されたものであるため、連合から派遣されてきた後方支援部隊がすぐさま鎮火作業に移ってくれているのだ。
もっとも、事に当たってくれている軍人達には申し訳ないが、瞬が視線を向けるように促したのは、上空の様子ではない。
たった今、多脚型のクレーン車とでもいうような多目的作業用重機の一団によって、ワイヤーで雁字搦めにされて引きずり出されてきた二体の巨人――――スピキュールとプロキオン。
方や半身を失い、方や全身が蕩け、物理的に再起動のできない完全な骸と成り果てている。
あらゆる攻撃が通用しなかった苦々しい惨敗の記憶が、今なお脳裏に焼き付いている二人にとっては、まさしく夢のような光景だった。
二人は注視を続け、他の誰でもない自分達がそこまでの手傷を負わせたのだという現実を、網膜へ上書きする。
スピキュールとプロキオンが、回収用の輸送機に積み込まれるまで、ずっとだ。
それから再び、瞬は声を漏らす。
腹の奥底から込み上げてくる笑いだ。
自分達が、あのスラッシュと霧島を倒してのけたのだ。
頬の緩みが止まらないわけがない。
「ここまでやって、やっと勝利か……どうりで今まで、手に入らなかったわけだ」
やや天を仰ぐようにして、瞬は呟く。
幾つもの屈辱と長きに渡る苦行に耐え、知恵と精魂を振り絞り、常に攻める側であろうとする意地を持ち、己を貫こうとする信念で食い下がる。
そこまでの前提条件をクリアして、始めて相手を下す可能性が生まれるのだ。
勝つということを、あまりに漠然と考えていた過去の自分達には、そもそも真剣勝負の世界に足を踏み入れる資格すらなかったというわけだ。
「終わったのか? ……それとも始まったのか?」
もはや立つことさえ難しくなったのか、轟は胸部装甲に手をかけながら、そんなことを尋ねてきた。
気が重くなるような問いだった。
「嫌な質問だな」
全く以て轟の言う通りで、劇的な成長を経て心身共に真の強者になったような錯覚に陥っていたが、そんなことはない。
無数に立ち塞がる、地獄のような関門を潜り抜けて辿り着いたここが、戦う者としてのスタートライン。
ここまでの自分達の努力は、積み重なったマイナス要素を完済しただけに過ぎない。
だが、逃避とはまた異なる意味で、多分どうにかなるという安心が今の瞬にはある。
こんなものではないという自負と、こんなものではないという信頼。
互いを引き上げる、一人ではけして得ることのできない原動力が根付いているからだ。
それに今は、まだ見ぬ未来をあれこれと考えるよりも、どうしてもやっておかなければいけないことがある。
「そんなことはどうだっていいだろ。オレ達は勝ったんだ……オーゼスのおっさん相手にも通用する力があるってことを、証明できたんだ。絶対に敵わねえんじゃねえかって不安を取っ払えただけで十分だ」
「そうかもしれねーな……」
勝利という結果以上に二人の心を奮わせるのは、確かな成果に基づく自信が己の内に宿ったことだ。
兄への劣等感を抱いていた瞬にとっても、本当の強敵というものを知らなかった轟にとっても、それが何より大きい収穫。
二人はゆっくりと、だが同時に、何にももたれかかることなく立ち上がり――――そして、声の続く限り、青い大空に向かって吠えた。
自分を、誇るために。




