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第40話 叩けよさらば開かれん(その2)

 猛き紅蓮と静謐の月白、対称的な色合いに染め上げられた二機のメテオメイルが、真正面からの衝突を果たす。

 巨大な金属の塊同士が接触する轟音が、大地と大気を激しく揺らした。


「どうだ……!」


 全身に厚き装甲を纏った上、巨大な腕部として使用可能な手甲を右腕に装着するバウショック。

 極めて人体に近い体躯であることに加え、完全なる徒手のプロキオン。

 二倍近い質量差だけを考慮すれば、プロキオンがほとんどその場から動いていないという結果は、バウショックの“負け”ということになるだろう。

 何せ、全力疾走で突進してくるバウショックを、プロキオンはただ待ち構えていただけで受け止めたのだ。

 つまりパイロットの技量によって、純粋な力比べ以上のエネルギー差をイーブンにまで持って行かれたということである。

 ただし、双方の主要戦術が何であるかという要素を含めれば、また違った評価の付け方をしなければならない。

 これまで全ての近接攻撃を受け流してきたプロキオンを相手に、衝突という結果で済んだ。

 どころか、衝突という状態に至ることができたことの意味――――

 スピキュールの僅かな動作硬直から、後方で事態を見守っていたスラッシュもまた、この事態が想定外であることを認識しているようだった。


「よくできました、とでも言えばいいんですかね」


 相変わらず、返答する霧島には些かの動揺も感じられなかった。

 腹立たしいが、それも仕方のないことかと轟は納得する。

 自分はようやく、投げ飛ばされたり体勢を崩されなかったという、攻撃するにあたって大前提のラインを抜けただけに過ぎない。

 突進の威力を逃しきること自体は成功されてしまっているのだから、霧島の護身を崩す、という意味では何の成果も得られていないに等しい。


「うるせー、これでようやく0点だろーが。テメーが薄ら笑いできなくなってからが個人的合格点だ」

「残念ですけど、僕、勝っても負けてもこんな感じですよ」

「その、意地もプライドも落っことしたような態度が気に入らねー」

「生きていく上で必要なんです? そういうの」

「じゃなきゃ、自分が生きる意味ねーだろうがよ」

「なるほど、君はそういう考え方なわけですか」


 轟は改めて、霧島優という男の空虚さを思い知らされる。

 この男に信念はない。

 だが、ただの意志薄弱な男でもない。

 一切の信念を持たぬ事こそを信条としているのだ。

 確かに、余計な争いから己を遠ざけるには最適の手法といえるだろう。

 轟の頭でもすんなり受け入れられるほど、理には適っている。

 しかし、余りにも受け入れがたく、そして気に入らない。

 完璧な理屈のようでいて、どこか大きな歪みを内包しているように感じるからだ。


「で、どうする気です? ここから」


 自分の方からは動かぬまま、霧島が尋ねる。

 現在は、両腕を交差して体当たりを仕掛けたバウショックが、腰を落としたプロキオンの右手に受け止められている状態である。

 プロキオンはバウショックの衝突と同時に右腕を後ろへ引き、更に下半身も連動してスライドさせることで、衝撃を段階的に地面へと流していったのだ。

 僅かに体裁きのタイミングが狂うだけで容易に跳ね飛ばされかねない重量差であるというのに、相変わらずの神業である。

 いや、対抗はできたのだから、そこまでの遙かな高みに位置づける必要もない。


「決まってる、逃げられねーように掴んじまうだけだ。その前に、もうちょっと痛めつける必要がありそうだがよ」


 轟はバウショックを二歩だけ下がらせて、また正面からぶつかっていく。

 セイファートとはまた異なる理由で、直進こそが合理的なのだ。


「止めてみろよ、自慢の合気道でな!」


 タックルなら以前にも、それも衝撃の全てを送り返す形でカウンターしてみせたプロキオンが、敢えて通常防御を選ばざるを得なかったのには訳がある。

 理屈は単純、プロキオンとの接触と同時に地面を力強く踏んで、勢いに“もう一押し”を加えるだけでいい。

 プロキオンが、受けた衝撃を送り返すために必要とする、上半身を高速で一捻りするというプロセス。

 その最中に追加のエネルギーが機体に流し込まれることは、技の破綻を意味する。

 いかに霧島といえど、刹那の時間で完了する動作の中に、遅れてやってくるエネルギーを乗せることは不可能なのだ。

 雷蔵から教わった、この“合気破り”の対策は、例のカウンターだけではなく他の護身技に対しても適用は可能なはずだった。

 もっともそれは、プロキオンが、ただ直立しているだけならばの話だが――――


「わかりました、やってみせましょう」


 次の瞬間、迫るバウショックを前に、プロキオンの全身がゆらりと前方に傾く。

 鳥肌が立つほど、自然で滑らかな動作。

 轟はこの時点で、こちらの攻撃が成功しないことを予期する。

 霧島の対応もまた、至って単純なものだ。

 寸前で一歩踏み込まれて計算が狂うのなら、更にその寸前、自ら一歩進み出れば元の計算に戻る道理。

 しかし、理には適っていても容易に実践できるわけではない。

 自分にとって都合のいい間合いの調整など、対人戦では当たり前の読み合いではある。

 だが、生身の比ではない体格・重量の格差があるメテオメイル戦では、一歩の踏み込みに要求される胆力の度合いが違う。

 特にプロキオンとバウショックの場合、二者間の質量で例えるなら、体一つで大型バイクに立ち向かうほどの危険行為に相当する。

 だというのに、早速二度目で実行に移してみせるとは――――

 だが轟はそれでも、左右に逸れて余計な隙を生み出すことはせず、進む。


「喰らえ!」

「そうはいきません」


 直後、バウショックは下から掬い上げられた後に、空中でぐるりと大きく回転しながら宙を舞った。

 血流の異常で平衡感覚を失う轟の意識に残ったのは、コンマ数秒前、鞭のようにしなったプロキオンの両腕だった。

 直前で膝をついたプロキオンは、自ら坂道となってバウショックの巨体を放り投げたのだ。

 数百トンの鉄塊が推進力もなく空中に投げ出される、異様な光景。

 ここまでは、先の戦いの再現である。


「っあ……!」

「まあ、こんなものです」

「……そんなもんか」

「おや」


 背後で鳴り響いたのが想像通りの音でないことに気付いたのか、プロキオンはゆっくりと身を翻す。

 バウショックは、地面に叩きつけられてなどいなかった。

 むしろ自ら、ギガントアームを地面に叩きつけていた。

 それを軸とした後、上下逆さまになった体を折り曲げるようにして脚部を接地させ、事もなげに立ち上がる。


「能動的に拳を打ち込んで機体を固定ですか」

「殴るのは得意なんでな」

「若いっていいですねえ。この短期間で、全く別人のようだ」

「ダメージを抑えるだけの荒技だ。頭のクラクラまで止められるわけじゃねー」


 首を一回ししながら、轟はそう返す。

 実際、今の回転はかなり効いている。

 遠心分離器じみた機構のシミュレーターで体を慣らしてもなお、物理的な要因上、完全に克服というわけにはいかない。


「しかしまた、随分と色々やるようになりましたね。以前の君は、暴力の化身とでも言わんばかりの荒々しさがあったのに」

「今だってそうだ。テメーをブチのめしたくて仕方がねー」

「でも、未だにぶちのめそうとしてきてないですよね。回り道ばかりだ」

「じゃあ素直に殴らせろ」

「お断りです」


 下らない会話の中、プロキオンの動きを観察してみて付け入る隙がないかどうか探ってはみたが、やはりそんなものは見当たらない。

 どうにか攻撃をねじ込むだけが唯一の正解のようだった。

 もう随分と体も温まってきた。

 そろそろかと、轟はS3を通してバウショックに構えを取らせた。

 ギガントアームを正面に突き出し、左腕を引き絞る。

 ともすれば正拳突きを放つ際の体勢にも見えるが、獣のような前傾姿勢は依然そのまま。

 ここからが、風岩家で会得した技術の真髄の見せ所だった。

 実戦では初の披露となるが、正気の沙汰とは思えない苦行の数々が、轟に充溢した矜持をもたらす。


「テメーが言ったんだろーが、“お前のそれは力ですらねー”ってな。その意味が、やっと少しはわかってきた。今から見せるのは、その証拠だ」

「では、お手並みを拝見させて貰うとしましょうか」


 同時に、霧島が見せる不動の余裕にも納得がいったような気がしていた。

 単にこちらとの能力差や性格上の理由だけではなく、如何なる状況をも切り抜けられる絶対の武器を手にしていることの安心感。

 過信ではない、己の技量を由来とする確かな自信。

 その領域に、自分も到達する――――今日ここで霧島を打ち破り、到達する。

 轟は両の腕にそう信念を込め、低空跳躍と同時に、最初の一撃を臆することなく繰り出す。


「甲撃・しろがね!」


 機体正面を守るようにして翳したギガントアーム、その拳ではなく手甲の面を叩きつける打撃が、プロキオンを狙う。

 直接拳を放てば、伸ばした腕が絡め取られるだけだ。

 だが、曲げた状態の腕を肘から先だけスイングする方式なら、本体の重心は崩れず、機体丸ごとを持って行かれる心配はない。


「おっと、危ない」


 ならば払い除けるまでと霧島は判断したのか、インパクトの寸前、下方から潜り込んできたプロキオンの左手がバウショックの内肘を掴む。

 だが、そのまま外側へと押し出そうとしたその手が、途中で止まる。

 流石は霧島というべきか、に気付いたらしい。

 着地の過程で既に、轟は切り替えていたのだ。


「逆……?」


 霧島が咄嗟に漏らした言葉の通りだった。

 基本的に、打撃というものは威力を上乗せするため、繰り出す腕と同じ側の脚を踏み出す。

 しかし今、ギガントアームでの打撃を放つバウショックが前に出しているのは左脚。

 逆突きという、相手を引き込んで迎撃する技術ではこのような体勢を取ることもあるが、この距離で使うにしては不適当である。

 つまり――――

 全てを悟ったプロキオンが素早く左腕を抜こうとするが、それより前のタイミングで、今度こそバウショックは右脚を踏み出していた。

 これでやっと、攻撃の準備が整った。


「そう、逆だ……!」


 一歩前進、それは胴体もまた前方に移動することを意味する。

 即ち、プロキオンの左腕は、バウショックの前腕と上腕で挟み込まれる形になっていた。


「これは……!」

「ようやく捕らえたぜ、合気道野郎。もう離さねー……!」


 腕をゆっくりと、内側へ巻き込むようにして締め上げながら、轟が言い放つ。

 どこまで関節部の柔軟性を追求しようとも、結局は機械仕掛けの巨人メテオメイル

 純粋な力や高度な体術による拘束は人体以上に有効であり、脱出の難度もまた高い。

 だからこそプロキオンは一際強力な機体たりえるし、逆にこうしてプロキオンの動きを封じることもまた不可能ではない。

 単体でプロキオンを抑えるためには必須となるこの策に、具体的な道筋を与えたのが、風岩流剣術の応用となる防御術であった。

 更に轟は、バウショックの肩を上げるようにして、プロキオンの足を地面から引き剥がしていく。


「理屈の上では一番威力の出るギガントアームを警戒し過ぎたな。……さて、腕一本取られたこの状況で、テメーはどこにダメージを逃すんだ?」


 もはや霧島の返答は必要ない。

 身をよじるプロキオン、その胴体へ向けて、バウショックの左拳が突き刺さった。

 同時に左脚を踏み込んだ、梵鐘をつく撞木の如き、直線破壊の一撃。

 鈍く弾ける重低音が、バウショックのコクピットにも伝わる。

 地面という最大の伝播先も奪われたプロキオンは、機体の内部を駆け巡る衝撃を殺しきれず、跳ねるように浮き上がった。


「打撃・くろがね……!」


 喰らわせた後になってようやく、轟は技の名を口にする。

 内に溜まった、脳髄が焼け付きそうな熱を吐き出すためでもある。

 体が、熱い。

 たまらなく熱い。

 燃えるように熱い。

 全身の血液が沸騰している。

 無理もないことだった。

 受ける前の護身と、受けてからの護身、プロキオンの持つ二重の守りを打ち抜き、こちらの攻撃が初めて通った。

 それもこの上なく美しい形で。

 どう理性を律しようとも、平静でいられるわけがない。


左腕そちらが本命でしたか……!」


 霧島の呻くような声が、より一層、轟を痛快な気分にさせる。

 全身を満たす、もう何年も味わっていなかった、明確な格上の相手をねじ伏せたときの達成感と全能感。

 だが、未だたった一撃。

 これでようやくの、勝利に向かう一歩目。

 轟は、あらゆる甘美な感情を振り払い、追撃を繰り出す。

 ここからは、一切の小細工は不要だった。


「メッタ打ちだ!」


 プロキオンは自由な右腕でどうにか防ごうと対処に出るが、体重移動が満足に行えない以上、突き出されたそれは棒きれも同然。

 バウショックの左拳はプロキオンのガードを容易く弾き飛ばし、型も何も無い本能的連打で何度も何度もプロキオンを殴りつける。

 もはや何処に命中しようが構わない、対プロキオンに関してはダメージの蓄積こそが最優先事項なのだ。


 絶え間ない攻撃の最中――――

 轟は、風岩家における個別修行が始まった際の、雷蔵とのやり取りを思い出す。


「北沢の坊主よ、少し前にお主と立ち会ってみたが……」

「散々木刀で痛めつけられた、アレか」


 初日の夜、己の強化方針を探るために、轟は普段の戦い方を雷蔵との模擬試合で披露したことがあった。

 悔しいことに、結果は手も足も出ない惨敗。

 怪我も完治しておらず、更に徒手で木刀持ちの雷蔵に挑むという、一般的見地からすれば圧倒的不利なハンディキャップが課されてはいた。

 だが、轟にとっては文句の付けようがない純粋な敗北だった。

 轟自身の気質も大いに関係しているが、認めざるを得なかったのにはもう一つの理由がある。

 その後、轟が木刀を握って徒手の雷蔵に挑んでも、同様に叩き伏せられたからだ。

 如何なる技法で受け流したのか、当時の轟に教えられることはなく、また幾ら目に焼き付けようとしても知覚できる速度ではなかった。


「あの時はだいぶボコられたがよ、動体視力と脚力の上がった今なら……」

「幾つか、尋ねたいことがある」

「何だよ」

「お主は、右利きか?」

「元は右だったが、今はどっちも使えるぜ」


 轟は、質問の意図がわからぬまま、答えた。

 八年ほど前に両親を失い、児童養護施設に預けられてからは、よく街の不良とつるんで喧嘩に明け暮れていた。

 縄張りがどう、気にくわないからどうという、言いがかりじみた理由で始まるものが大半だったが、逆に言えば、そんなことで過剰な暴力を振るえる頭の捻子が緩んだ面々が集まるのである。

 歯や骨が折れるのは日常茶飯事、そうした危険な世界で生き残るためには、どちらの腕にも殴る際の感覚を覚え込ませることが必須だった。


「ふむ……ならば出来ぬ事はないか」

「何の話だよ」

「次の問いじゃ。ならば何故、儂の前は右腕だけを使った」

「右利きだからに決まってんだろーが。左手は、右手が使えないとき用だ」

「続けて問おう、ならば右腕で拳を振るうとき、左腕はどうしておる」

「どうもしねーよ。勝手に体のバランス取ってるんじゃねーのか」

「甘いな、それでは甘い。自分の肉体を使い切る気がないようでは、勝利などとてもとても……」


 嘲笑するような雷蔵の声に、轟は不満げな表情を見せる。

 本人は無自覚なのかもしれないが、人を苛立たせる話の運び方をするのは、瞬とそっくりだった。

 直接痛いところを突いてくるのが瞬なら、回りくどく欠点を指摘してくるのが雷蔵だ。

 早く話を進めろという不満の感情が届いたのか、そこでようやく雷蔵は本題に入った。


「戦には両腕で臨め、北沢の坊主よ」

「あ……?」

「基本戦術が片腕の殴打では、お主は己という武器の半分も使ってはおらん事になる。それしか選択肢がないのなら、敵の警戒もそれのみに絞られる。来るのがわかりきった攻撃など、躱すも守るも自在よ」

「じゃあこれからは、両腕でバカスカ殴れってか」

「愚か者めが、役割を与えろという事じゃ」


 言って、雷蔵は静かに立ち上がると、徒手のまま構えを取って見せた。

 右腕を突き出し、引いた左腕は腰の辺りで止める。

 先程自分の剣を捌いた技の、実戦的アレンジを排した本来の形、ということが直感的にわかった。


「実際の斬り合いにおいては、何かの弾みで剣を取り落とす事もあろう、或いは刃が毀れて使い物にならなくなる事もあろう。実戦派剣術を謳う風岩流には、そうした、剣を持たぬ場合に立ち回る技術もまた存在する。両の腕を用いて相手の攻撃を封じる秘技……他流の言葉を借りるなら、刀取り、剣取りの要素も含んだ防御手段じゃ。その名を、“打甲術”という」

「要は、あの合気道野郎と似た技を身に付けろってことかよ」

「軽度の反撃も一つの要素とはいえ、確かに、打甲術はあくまで守りにして凌ぎの術よ。本来であればな」

「どういうことだよ」

「お主なら、一度は停滞かんせいに至ったこの力を、更に先へと進められるやもしれんという事じゃ」


 元より厳格な雷蔵の瞳が、より一層の真剣さを伴って轟へと向けられる。


「打甲術は、儂ら剣使いにとってはあくまで補助の範疇でしかない。じゃがお主のような拳闘家ならば、攻防一体の武術へと昇華できるのではないかと、儂は考えておる。剣術からは大きく乖離していく形とはなるが、折角偉大なるご先祖様の残した技術。どうせなら、もう一つ先の段階に持っていきたいという思いがある」

「瞬のついでにちょろっと面倒を見てもらうって話が、随分デカい使命を負わされるところまで来たもんだ」

「所詮お主は客人で、これは風岩雷蔵個人の意向じゃ。打甲術はあくまで標の一つ、今後どう活かすも、それはお主の勝手よ」

「俺のことをよくわかってんじゃねーか、爺さん」

「ただ……己の抱えた力の半分も引き出せておらぬ、文字通りの半端者にはとっては必須の武器となるじゃろうな。取り敢えず今は、拾っておけい」


 異存はなかった。

 お恵みだろうとお零れだろうと、弱者は無遠慮に啜るだけだ。

 年寄りの道楽というのなら、それもいい。

 教える雷蔵がへたばるまで、へばり付く。

 そのくらいの覚悟が、轟にはあった。


「“真の強さ”に近づけるなら、何だって喰らってやる。だからとっとと教えてくれよ、そいつをよ……!」


 かくして、半月に渡り叩き込まれることとなった打甲術は、全ての困難を強引に力で解決しようとしていた轟の考え方を劇的に変えた。

 風岩流から生み出された技術であるだけに、打甲術の基本姿勢もまた、二極化された動作の使い分けにある。

 ただし、全体の立ち回りを変化させるのではなく、切り替えは左右の腕で行う。

 片腕は、守りが主体の“甲撃”。

 相手の攻撃を防ぐだけでなく、こちらに誘導して、武器や腕を掴み取る役割を持つ。

 裏拳を繰り出すことで、開いた腕の内側で抱き込む“鐐”が、その基本形である。

 もう一方は、攻め主体の“打撃”。

 甲撃によって相手の防御が崩れたとき、がら空きになった懐へ強力な打撃を放つ役割を持つ。

 事前に軽めの跳躍を挟んで前に出す足を変更し、確実に利き手側で踏み込んで拳を放つ“鐵”が、その基本形である。

 言うなれば、“最大の攻撃は最高の防御から”――――轟が、自分なりに打甲術の本質を噛み砕いてみた言葉だ。


 所詮は、力こそが全て。

 ただし、全ての力を引き出すためには、頭を使う必要がある。

 己の理念に新たな歯車を組み込み、轟は戦場に帰ってきたのだ。


「どうやら技ってのは、力を限りなく完全な状態でブチ込むためにあるらしいな」


 轟は、未だ腕の中に残るクリーンヒットの感覚に、口元を歪めた。

 暴力を理によって防ぎ切るのが護身。

 だがその護身も、更なる強固な理を以て挑めば、このとおり打ち破ることができる。

 新たな技能の会得。

 それは獣には実現し得ぬ、人のみに与えられた権利。

 轟は今、その多大なる恩恵を噛み締めていた。

 その、筈であった――――


「何、を、してやがる……テメーは!」


 轟は、焦燥感に満ちた表情で、絞り出すようにして叫んだ。


「やっとお気づきになられましたか……何十秒かかったかな」


 未だに続行している激しき殴打の中、霧島が不変の穏やかな声色で答える。

 轟は今、幾度も拳を打ち付け、その度にプロキオンをサンドバッグのように跳ね上げている。

 だが、自ら作りだしたそんな状況さえ信じられなくなるほどの、落ち着きぶりだった。


「答えろ!」


 更にもう一撃を繰り出しながら、轟はまた叫ぶ。

 本当は、わざわざ霧島に言われずとも気付いていた。

 だが、気付きたくなどなかった。

 ようやく巡ってきた千載一遇の機会だからこそ。

 余りにも思い描いた通りの光景だったからこそ。

 せめてあと僅かの間、自分の速度が霧島に追いついたと、実感したかった。

 だというのに、霧島はそんな事さえも許してはくれない。


「幾らでも、やりようはあるという事です。君がそうしたようにね」


 轟が確かな手応えを感じたのは、最初の一発だけだった。

 二発目から早速、抵抗が軽くなり出した。

 七発目以降は、もはやダメージは全く通っていないようだった。

 まさに暖簾に腕押しという形容が相応しい。

 激しい内部衝撃を受け、霧島が抵抗できなくなっている、などと微かでも考えた自分が間抜けだった。

 間違いなく、プロキオンは敢えて全身の力を抜き、受けるダメージを軽減している。

 だが、たったそれだけで、バウショックの拳撃という絶大なエネルギーを逃し切るには不足も不足。

 だとするならば。

 幾つかの思考過程を飛躍し、轟は恐ろしき最適解に辿り着いてしまう。

 ――――プロキオンの反撃は、既に始まっているということだ。

 これ以上の単調な攻撃が危険であることを、生存本能が轟に呼びかけた。


「僕だって、痛いのは人並みに嫌いですからね……そろそろ、この締め付けからお暇させて頂きます」

「させるかよ!」


 どうにか爪先立ちしていたプロキオンが、腰を曲げ、下半身を浮き上がらせるのを轟は見逃さなかった。

 もう何もさせてはならないと、轟は全身全霊の力を込めた打撃を、プロキオンの胴体に向けて放つ。

 その直後――――


「あ……!?」


 痛ましき破損の音は、轟の右方より届いた。

 それまでプロキオンの左腕を挟み込んでいたバウショックの右腕が、めきりという耳障りな音を奏で、肩関節から捻り飛んでいた。

 驚愕する轟の眼前で、プロキオンが一分半ぶりに着地を果たす。

 次いで、ギガントアームを装備したままのバウショックの右腕が、瓦礫の中に埋没した。


「僕から自由を奪うための右腕は、同時に僕が窮地を脱する為の鍵でもあったんですよ。ほど、ダメージが蓄積しやすく、させやすい場所なんてありません」

「クソが……涼しい顔して、殆ど俺に返してやがってたのか!」

「プロキオンと繋がっている唯一の場所でしたからね、当然です」

「ちっ……!」


 なまじ追い詰めてしまったのが、仇になったというわけだ。

 そして、事態はこの上なく最悪の方向へ急加速を開始した。

 ようやく手にした、百の力を百のままに行使する術も、試すことができたのはほんの一瞬。

 百以上に引き上げるための手甲もまた失われ、限界値は再び五十へと戻された。

 この多大なる損失が果たして何を意味するのか、轟は、それが動き出す前に察してしまう。


「よくやった霧島。これで、勝ちは決まりだ……!」


 これまでセイファートとの睨み合いを続けていたスピキュールが、先んじて前に出る。 

 本来の相性的にはバウショックが有利であり、これまでスラッシュは徹底的に自分との交戦を避けていた。

 だが、脅威を脅威たらしめる最大の武器が使用不能になったとあれば、もはや臆する必要はないと踏んだのだろう。


「ギガントアームさえなけりゃバウショックは木偶の坊ってわけかよ……ナメやがって!」


 轟は、依然として埋まることのない霧島との力量差に歯噛みしながらも、バウショックに残る拳を構えさせた。

 それは、この劣勢にも屈しない、抵抗の精神の発露でもあった。

 

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