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第38話 菫青石(後編)

「なあ、轟」


 ちょうど、日付が変わった頃。

 冷えるどころか明確に寒いとすら感じさせる八畳間の中、自分の布団に潜り込む瞬は、壁の方を向いたまま轟に語りかける。

 消灯したのは、いつもの通りに二時間も前のことだった。

 だが、本日に限り夕方以降の修行内容が免除されたことで、無意識下の体力配分が狂ったのか、中々寝付けないでいた。

 起きているほど明日からの個人指導ほんばんが辛くなるのだが、一つの引っかかりが、目を閉じることさえも許してくれない。


「……うるせー、ようやく来た眠気が飛んじまったじゃねーかよ」


 気怠げな声で、轟が答える。

 自分の呟きのような小声を拾ったあたり、同じ理由かどうかはともかく、轟もまた眠れずにいたらしい。

 瞬は体勢を変えないまま、声量だけを二割ほど上げて、言葉を続ける。


「そりゃ悪かった。だけど、起きたついでにちょっと聞きてえ」

「テメーが起こしたんだろーが。ああクソ、せっかく……」

「だから、その罪滅ぼしも兼ねてるんだよ。脳を程よく疲れさせるためには、退屈な話が効果的だ」

「なら勝手に喋ってろ。俺が答えるとは限らねー」

「最初からそのつもりだ。は、オレも知ってる」


 そこまでは――――

 瞬の頬に、十日近く前に受けた殴打の激痛が蘇る。

 その日瞬は、初めて北沢轟という人間の深淵に手を伸ばし、そして拒絶された。

 今でも記憶に残る、獣ではなく、極めて人間的な感情を乗せた表情と拳。

 どういった理由に起因するのかはわからないしても、少なくとも何か、そうするだけの理由があるということを、瞬は確かめた。

 普段豪語する、動物的な闘争本能だけで強さを求めているわけではないということだ。

 思い返せば連奈も、以前、似たようなことを言っていたような気がする。

 轟が敢えて、暴勇を気取っていると。

 そうすることで、己の弱さを切り捨てたつもりでいると。

 だからこそ、人間的な部分を探られることを轟は頑なに拒むし、聞いたところで何も答えはしないのだ。

 はっきり口にしてしまえば、もう撤回することはできない、今よりなお関係が悪化するかもしれない。

 しかし瞬は、それでも懲りずに尋ねた。

 どういう名目であれど、轟の隣に並び立つ為に。

 並んで戦い、初めての勝利を、共に掴み取る為に。


「何をそんなに、拘ってやがる」

「……ああ?」

「どうしてそこまで、一匹狼をやろうとするんだ。それで通じねえってわかったから、あのクソジジイに頭を下げもしたんだろ」

「同じ事を何度も聞くんじゃねーよ。この三週間は過程だ。もう二度と誰にも頼らない覚悟を決めたからこその土下座だ。末永く馴れ合う為にやったんじゃねー」

「オレにもか」

「大砲女にもだ。とにかく次の戦いは俺だけでいい。その次も、そのまた次もだ。俺は誰とも手を組むつもりはねー」

「お前が勝手に動くなら、誰かが一緒に出撃するのも勝手だろ」

「ダメだ、認めねー。テメーはいい加減に、しつけーんだよ……! 善人ぶって干渉してんじゃねーぞボケが」


 畳をどすりと踵が打ち、轟の怒りが徐々に臨界点へと近付いていることを報せる。

 いつもなら、荒立てるのを止め、ここで退く。

 しかし、だからこそいけなかったのではないかという疑念が、瞬を突き動かす。


「オレだって別にな、お前と仲良しこよしをやるつもりなんて毛頭ねえよ。だけど、これからどんな修行をやろうが、個々であいつらを倒すには時間が足りなさすぎる。確実に、大なり小なりは互いの力を借りる必要が出てくるぜ。断言してもいい」

「逃げ腰の発想だな。多少は張り合いのある野郎かと思ったが、そんなもんかよ」

「逃げ腰なだけだ、逃げてはいねえ。絶対に勝ちたいから、どうしても避けられない事実を受け入れただけだ。だけど、お前はどうだ轟。自分の体鍛えて、自分が技を身に付ければ、それであいつらに敵うと思ってんのかよ」

「ああ!? 当然じゃねーか、テメーの修行なんぞ知った事か……!」

「このままじゃ駄目だって、お前もわかってるだろ。だったら――――」


 そう口にしたと同時に、瞬の顔面は激しい勢いで砂壁に打ち付けられていた。

 背中から勢い良く蹴り飛ばされたのだ。


「もう御託は十分だ、黙ってろ」


 轟もまた寝転がった体勢だったためか、威力は全力の半分以下もいいところだった。

 だが、当たり所が当たり所なだけに、苦悶するほどの痛みだった。

 それでも瞬は、収縮する体を強引に引き延ばす。


「だったら論外はお前の方だ」

「聞こえなかったのかよ。これ以上喋りやがるなら、力尽くで寝かしつけてやるぜ」

 

 威嚇にも屈せず、顔をゆっくりとさすりながら、瞬は今になってようやく身を起こして轟に向き合う。

 矢継ぎ早に繰り出される、今までに幾度も繰り返してきた言葉の応酬。

 良くも悪くも、その無為な言い争いに終止符を打つ、締めの一言を放つべくだ。

 本気の衝突を恐れて――――否、これまでは本気で衝突しようという気すらなく、ずっと心の片隅に締まっていた、とっておきの爆弾。

 瞬はそれを今、一切冗談めかすことなく、轟へと投げつけた。


「このオレでさえ理解できたのに、お前はまだそうやってしがみついてんのかよ。どんな理由があるのかは知らねえが……勝つことから逃げてんじゃねえ、ビビリ野郎」


 瞬間、轟の口から、声にならない咆哮が迸った。

 まるで室内の空気が破裂したかのような、高く弾ける絶叫。


「逃げてるだと? ビビリだと? 言ってくれるじゃねえかよ、ああ!? 」 


 背筋がぞわりとする根源的な危機感を覚えると同時に、瞬は全神経を、戦闘時のそれと同等の、極限の集中状態へと切り替える。

 刹那、凄まじい速度で畳が蹴り抜かれ、下地板さえもが乾いた悲鳴を上げた。

 ようやくけたたましい大音量にまで音程の下がった怒声と共に、数十キロの質量が弾丸の如く瞬へ衝突する。

 既に体を半歩分ずらしていなければ、壁に叩きつけられて意識が飛んでいたことを確信させる、一切容赦のない突進だった。

 だが、完全に躱せたとも言い難く、その場から飛び退くまで何発もの拳の乱打が瞬を襲った。


「テメエも、テメエも、テメエも……!」


 転がるようにして、部屋の中を逃げ回る、その最中。

 常に間近にあった、理性で制御できるラインを完全に突き抜けた憤怒の形相は、薄暗闇の中でもはっきりと見てとれた。

 今の轟の拳撃は、打ち込むというより、腕を振り乱しているに等しい、極めて衝動的な破壊行為。

 繰り出した内の半数は壁や柱に叩きつけられ、手の甲や指の皮は相当に抉られているようだった。

 息を呑むほどの、拳の痛々しさもまた瞬の網膜に焼き付く。


「テメエも……あいつらみたいに、“俺の戦い”に割って入ってくるのか!」


 一際激しい怒号と共に繰り出された、感情に身を委ねた粗雑な狙いの中で、唯一正しく強力まともな一撃。

 待って防ぐだけでは骨が耐えられないことを悟った瞬は、自ら飛び込む形で、腕が完全に振り抜かれる前に上腕を拳に押し当てた。

 だいぶ軽減はされたが、それでも轟の膂力を乗せた威力。

 右腕に浸透する痛みで、体全体が固まってしまう。


「っ……!」


 瞬を一旦奥へと押しやった轟の、追撃が迫る。

 直前のそれ全く同等の威力を孕んだ一発が。

 命中まで残りコンマ数秒、尻餅をついた状態の瞬に与えられた対応の選択肢は極小。

 だが瞬は、窮地の中、轟を制止するにあたり、ほぼ唯一の正解を選び取ることに成功する。

 かざしたままの右腕、その拳を内に向け――――即ち肘を、正面に突き出す。

 直後、二つの重く鈍い音が響く。

 外の世界ではなく、互いの体の、内に向けてだ。

瞬の肘と轟の拳は、それぞれ相手の顔面に、ものの見事に突き刺さっていた。


「ここまで泥まみれになったんだ……ついでに最後の一枚も取っ払えよ、頑固野郎が」

「俺が、テメーと、相打ちだと……クソが……!」


 二人は力なく布団の上に倒れ伏し、流れ出る鼻血が止まるまでの十数分を、沈黙のままに過ごした。

 顔面に全力で打ち込まれた痛みは、引くわけもなかった。



「俺は、納得できなかった」


 全身の熱が引き、再び肌寒さを皮膚が感じ始めた頃合いだった。

 ちょうどそのタイミングを見計らっていたかのように、轟が唐突に口を開く。

 茶化すこともなく、相槌を打つこともなく、ただ天井を向いたまま、瞬は聞き役に徹することにした。

 無視をしていない、という意思表明は、自分達の間では不要だった。

 それに――――自分が言葉を紡げば、もう二度とは聞けないと思えるほどに、轟の呟きは儚さを伴っていた。

 互いの本心を、これ以上なく吐き出し合った今この瞬間だからこそ、話す気になっているのだろう。


「俺が小学校に上がるか上がらねーかの頃だ。もう、何が原因でどこから出火したのかも覚えてねーが……その時住んでたマンションで、とんでもなくデカい火事が起きた。今時珍しいくらいの大火災でよ、どこもかしこも延焼して、三十階ぐらいある建物の半分以上が燃え落ちた。確かなことは二つ。真夜中だったせいで結構な数の死人が出たってことと、俺の親もその中に含まれてるってことだ」

「…………」

「俺は生き残っちまった。運が良かったわけでも、無事に避難できるだけの知識があったわけでもねー。助けられたんだ。親に、他の住人に、消防士に」


 轟の口調には微々たる震えがあり、思い出す、と形容していいほど安易な回想ではないようだった。

 むしろ配水管の入り乱れた地盤を掘り返すかの如く、己の心に対する慎重さがあった。


「そいつらは……俺に関わった奴らは全員、二度と、あの目が眩むような炎の中から出てくることはなかった」


 しゃっくりのような笑いが、轟の口から漏れる。

 その反応が、如何なる感情の機微を意味するのかを理解できても、瞬は轟の独白を止めない。

 そうすることが、深い部分に触れると承知で、明確な質問として投げかけた者の責任だった。


「そん時の俺は、とにかくひ弱な奴だった。ガリガリのひょろひょろのモヤシ野郎で、取っ組み合いで同年代の誰かに勝てた試しがねー。誰にも勝てない正真正銘の雑魚だ。……物心ついたときから、そういう自分をすっかり受け入れちまってたからよ、部屋の中まで火が回ってきても、おかしいくらいに落ち着いてたんだ。弱いから、こんな時どうしようもできずに死ぬんだってな。だがよ……どいつもこいつも、俺を、助けやがった……!」


 ぎりぎりと、握り拳を作る音が聞こえるほど、手には力が籠っているようだった。


「一緒に家の中にいた母親も、別の階に住んでる初めて会うような奴も、丁度その時帰ってきた父親も、あの手この手で俺を生かそうとしやがるんだ。俺が途中で転んだら起こしに来たり、わざわざ火の中に飛び込んで助けに来たり、どいつもこいつも、自分が逃げ遅れながら、俺を下の方に運ぶんだ」

「…………」

「馬鹿みてーな話だろ。みんな、自分だけ全力で走り抜ければ助かりそうなものを、みすみすその可能性を捨てやがったんだ。替えの利かねーテメーの命だぜ!? 勿体ねーとは思わなかったのかあいつらは……! 自分を犠牲にして弱い奴を救うなんて、割に合わねーだろうが。俺の戦いいのちは、あそこで終わりだったんだよ……」


 嘆くように、叫ぶように、鳴くように、泣くように。

 轟は掠れた声を必死で張り上げる。

 それから数十秒が経過した頃、瞬の視界の端で、轟はゆっくりと身を起こす。


「俺はごめんだ、手を貸すのも、借りるのも、分け合うのも。俺は、自分一人の力で生きて、自分一人の力で死にてーんだ。そこに他の誰の力も混ぜたくねーんだよ。奴だってことを、証明してーんだよ」

「だからか」


 得心がいって、瞬はやっと、独り言のように呟いた。

 全てを吐露したのと大差はなく、もうそこから先の理屈を類推することは難しくない。

 轟にとってもそれは同様であるのか、後は瞬の頭の中に浮かんだものの答え合わせをするだけというように、気を害する様子もなく喋り出した。


「……弱いままだったら、しゃしゃり出て来た何処かの誰かに、助けられる。そんな理不尽な思いをしたくねーから、俺は、強くなりたかった。ただ、誰かのお情けで生きてるわけじゃねーと、証明したかったんだ」

「それで、弱肉強食ってわけだろ。お前の望みは、そのルールのまんまだもんな」

「正直なところ、俺にとっては、勝ちも負けも、どうでもよかったんだ。一人でやったことなら、どういう結果でも受け入れられたんだ。クソ……ゴチャゴチャ喋ってみてわかってきたが、とことんズレてんな、俺は」


 誰より勝敗に拘っていたつもりが、その実、誰より勝敗に興味がなかったという矛盾。

 それこそがまさに、轟の指す“ズレ”の正体である。

 “誰かに助けられた自分”を理に反した存在であると定義し、“誰にも助けられない自分”を唯一の正解とする極論。

 だからこそ、“他人の為に”という行いの全てを理解できず、思考から排除したがる。

 どこまでも不器用な生き様である。

 だが瞬には、一笑に付せるだけの資格はない。

 自分とて、すぐ傍にある答えから目を背け続けてきた、或いは今とてそうかもしれない身である。

 故に、轟が自らを卑下しても便乗して詰る気は毛頭なく、正しい道を説くなどはそれこそ自分にできる領分を超えている。

 できることは一つ――――本当に轟の助けとなる、尊く価値のある箴言は大人に任せるとして、自分はただいつものように、率直な意見だけを述べるだけだ。


「俺は死なねえ、誰がお前の為なんかに自分の命をくれてやるか。調子に乗ってんじゃねえぞ」

「ああ!?」


 ここ数分の語気のおとなしさが嘘のように、轟は声を荒げ、反射的に瞬の方を見遣る。

 また殴りかかられるのは勘弁だったが、しかし、いつまでも似合わない表情をされるよりは百倍はましだった。


「それと……全部一人でかっさらおうとせず、自分の持ってる物を周りの弱い人間にくれてやってもいいって度量と覚悟があってこそ、“真に強い奴”なんじゃねえの。一人でやっていくのと独り占めは、なんか違うだろ、なんかがよ……」

「……テメーは本当に苛つく奴だな。まさか一日に二回も同じ相手にキレるとは思わなかったぜ」

「轟……」

「でもそれだけ苛つくってことは、それだけ俺が、心の何処かでそう思ってるからなのかもしれねーな……。テメーの小うるさい挑発みたいなどうでもいいことに、キレたりはしねーんだからよ」


 どすり、どすりどすりと、轟の拳が畳に何度も打ち付けられる。

 獣のように激しすぎることもなく、幼童のように弱々しすぎることもなく、冷静に、適度に。

 爆発しそうな怒りの熱量を小出しにして収めようとする、轟なりの冷却方法である。

 模範的な感情のコントロールには程遠いのだろうが、轟という人間の性格を考えれば、それは確かな成長の証明に他ならない。

 ここで瞬を殴りつけることも、ここまで並べ立てた理屈を反故にして呑み込まないことも、どちらも本当の敗北であると認めているからこそ、可能になったのだ。


「俺を助けようとした奴らは、今も昔もずっと、俺の遙か先を走ってるってことかよ……! 笑えもしねえ、ああ、自分がちっぽけ過ぎて笑えねえ」


 そう言いながらも、表情とは裏腹に、轟は盛大に笑い転げた。

 もはや二度とは会えない者達への、敬意と賞賛を絞り出すようにしながら。

 腹筋が痙攣して、これ以上笑えなくなるまでの時間を、瞬もまた苦笑しながら待つ。


「みんな結局は死んじまったんだ、断じて最強なんかじゃねー。だが、あんな状況でも他人の命を引き受けられるくらいには強かったのか」

「ここ最近に限らず、オレ達はずっと最後尾だ。身の周りにいるのは、一回りも二回りも格上の奴らだらけ……だからだろうな、意外とプレッシャーを感じてねえのは」


 勝負事で勝ったことは多々あれど、果たしてその中の何割が、相手を精神的に勝った結果であろうか。

 ふとそんなことが頭をよぎるが、それは別の日に考えてもいいことだと、瞬は大きなあくびをする。

 体感では一時間前後の会話のつもりだったが、気付けばもう、丑三つ時の真っ直中であった。

 明日の、というより今日の起床は、ここまでと依然変わらず五時半。

 オーゼスの猛者達よりも、より酷烈となる修行を前に三時間ほどしか眠れないという事実の方が、遙かに脅威であった。


「寝ようぜ、もう」

「テメーで話を振っておいて、終わるのもテメー都合かよ。勝手な野郎だ」

「お前ほどじゃねえ」


 瞬はうつ伏せになりながら、軽薄に言ってみせる。

 その間に、轟は重力に任せるようにして上体を倒していた。


「……勝つぞ」

「ああ」

外道スラッシュにも、合気道きりしまにも。エンベロープの男にも、シンメトリーマニアグレゴールにも、引きこもりサミュエルにも、ロボットアニメ狂じゅうりんじにも」

「それだけじゃねー。テメーにも、大砲女にも……自分にもだ」


 そのやり取りを最後に、瞬の意識はすぐさま、押し寄せる眠気の大波に掻き消された。

 疲労以上の、形容しがたい安心感によるものであった。



 約二週間後――――

 雷蔵の用意した、瞬と轟でそれぞれ全く別内容となる地獄の修練を、二人とも奇跡的に五体満足で終えることができた、その翌日。

 最後の朝食を終えた二人は、風岩家の面々に見送られながら、三週間を過ごした屋敷を後にしようとしていた。


「どうじゃ、儂の組んだ修行を耐え抜いた、今の気分は。……とはいっても、ひと月にも満たぬ期間では何の感慨も湧かぬとは思うがな。中身にしても、軽易で短簡、些か歯ごたえに欠けたじゃろう。年を取ると、どうにも甘さが出てしまっていかん」

「ど こ が だ。あんな人を人とも思わねえ、ふざけた修行があるか! 毎日山越えさせられてよ、何時間もバンジージャンプみたいなのに吊り下げられたまま剣術の訓練させられたりよ、門下生全員が三周するまで一対一の模擬試合とかよ!」

「痛てーとしか言いようがねーよ。達人級の腕前を持ったアンタと瞬の親父に袋叩きだぜ、こっちは素手でよ! 余所者だからって遠慮はいらねーとは言ったが、ここまでやるかよ!」


 瞬と轟は感謝の意を述べるどころか、どう好意的に受け取っても生易しいと定義するには無理のある悪魔の所業に対して文句を垂れる。

 今ここに列挙した、常軌を逸した内容は、メニュー全体の一割にも満たない。

 思い返すことが憚られるがために、無意識下で記憶の外に締め出してしまっているだけだ。

 毎晩、逃げ出すことを本気で考えるくらいに心身への狂気的な負荷を強いる鍛錬の数々。

 途中で気を失ってしまったことすら何度もある。

 胸の内を満たすのは、ようやく終わったという途方もない解放感だけであり、特別な技能が身に付いた充実感などは欠片もない。


「謝辞の一つも口にできぬとは、全く……礼儀を知らぬ奴らじゃ。あの時見せた誠意は、所詮はその場限りというわけか」

「自分の育て方もちょっとは省みろってんだ。まあ、どう育てようとオレはオレだけどよ」

「礼儀っていうんなら、この経験を活かして次の戦いにきっちり勝つことが、それだ。畏まって長々と喋るのはめんどくせー。全部込みで、結果で示す」

「ほう、北沢の坊主は言いおるわい。それに引き替えうちの愚孫は……」

「オレだって同じ気持ちだよ。そんな当たり前のこと、わざわざ口にするまでもないだろ」

「嘘つけ、なに乗っかろうとしてんだよ」

「そもそもお前がオレの修行に乗っかってきたんだろうが、行く宛てがなくてよ」

「うるせーよ、一番効果のありそうなところに行くのは当然だろーが」


 瞬と轟は、相も変わらず些細なことで言い争いに発展してしまう。

 散々寝食を共にしてきたが、瞬にとっては、特に仲が深まったようには思えない。

 第一、自分が歩み寄っていないのだから、轟に期待すること自体が間違いなのだろう。

 生憎と我慢とは無縁の性格、これからも、言いたい事を言いたいだけ言うまでだった。

 轟にとっても、自分がそういった相手であればいいなとは、心の片隅で考えなくはなかったが。


「月並みな台詞だが、余所者のオレ達に時間を割いてくれてありがとうとは言っておくぜ、爺ちゃん。それと、稽古に飯にと色々面倒をみてくれた親父と母さんと婆ちゃんも」

「そうそう、最大の恩つったら、メシだメシ。メシが一番体に効いた。マジで美味かった」

「食いたければ、また頭を下げに来い。お主はまだまだ未熟も未熟。徒手空拳への応用も詰めようと思えばまだまだ詰められることだし、次はもう少し手強い特訓を考えておいてやる」

「……尚のこと負けられねーな」

「それと瞬。お主も剣術家としては、半人前以下の素人、まさに風岩流の生ける恥よ。そんなものを全人類の代表として戦わせられるか。隙あらばここへ戻り、研鑽に努めよ」

「わかってるよ、まだまだ風岩流の剣技百式全てを盗みきれてもないしな。……それじゃあ、時間もないし、行くか」

「おう」


 嘆息するほどに厳しく、だが同時に感涙しそうなほど優しくもある祖父の言葉を受け、瞬は歩き出す。

 轟も珍しく、軽く一礼をしてから、後を追ってくる。

 十分か十分でないかはさておき、風岩家において、出来る限りのことはやった。

 あとは作戦開始まで残り三日という短い猶予の中、蘇ったセイファートの性能と、向上した自分の技能の擦り合わせに全力を注ぐだけだ。


「まあ、どっちが選ばれるかはわからねえけどよ」

「……そうか、そうだったな。だがテメーの事だ、自分じゃなかった時のために何かコスいことを考えてんだろ」

「コスいって言い方は止めろよな。幾つか策はあるっちゃあるが、どれもパイロットの座を降ろされそうかねないのばっかりだな。穏便には済まねえ」


 修行が終わったとはいえ、まだ三千段の石段を降りるという試練が残っている。

 重度の筋肉痛に苛まれる中、二人はゆっくりと歩を進めていく。

 着替え等の荷物を詰め込んだボストンバッグの重量もあって、辛さはむしろ、今までの最高値を更新していた。


「あ、結局許しはもらえなかったんですかい、坊ちゃん」

「坊ちゃんは止めてくださいって言ってるでしょ……うーん、半許しって感じかな。もう何度か機嫌取りに帰って来るかもですけど」


 今日は日曜ということもあって、朝から通いの門下生も何人か、石段の往復に精を出していた。

 瞬に声を掛けた三十代半ばの男も、その一人だった。

 こういう会話をしなければならないのは、表向きには、家を離れていることがただの家出という扱いになっているためである。

 仕方のないことではあるが、すれ違う度、殆どの門下生に同じ事を言われるため、瞬は心底辟易する。


「うえっ、まただ」


 既に四度、濁した言葉でその場を凌いだ瞬は、石段を登ってくる新たな人影を見て、眉をしかめる。

 今度は適当に頭を下げるだけでやり過ごそうかと思案しつつ、また、格好はつかないが轟の陰に隠れる選択も視野に入れる。

 だが――――その人物が何者であるかを知った瞬は、逆に堂々とした態度で前に出る。

 そうせざるを得ない、確固たる理由がある。


「……なるほど、そうだよな。お前にだけってわけにはいかねえか」

「どうした、瞬」

「トラウマだ」

 

 轟に、押し殺していたものと対峙することを求めたのは、他ならぬ自分。

 ならば、対等の意志力を持つことを示す義務が、瞬にはある。

 是が非でも、臆するわけにはいかなかった。

 段々と大きくなる、その姿――――茶系のジャケットを着込んだ、こんな場所での歩き方さえ上品に整っている青年。

 あちらも瞬の接近に気付いたのか、少しだけ、足取りが早くなる。

 そして、五メートルほどにまで互いの距離を縮めたとき、瞬と青年は一度立ち止まって、視線を合わせぬままに言葉を交す。


「……瞬」

「……よう」

「もう、戻るのか」

「忙しいんだよ、オレは」

「そうか」

「話すことは何もねえ。事の顛末は爺ちゃんにでも聞けよ」


 あまりに辿々しく、短すぎる語らいの後、瞬は再び歩き出す。

 そして青年の脇を通り抜ける瞬間、正面を見据えたまま、毅然と言い放つ。


「見せてやる、オレに何ができるのかを」

「……ああ」


 瞬にとっておそらく初めての、卑屈さと慢心、双方を捨て去った上での自己主張。

 現実をねじ曲げることなく、ありのままを晒す勇気が備わったからこそ、言える台詞だった。

 それまでどう接したものかと躊躇するような態度であった青年も、微かに笑んで応じる。

 さして思うところがないのか、あくまで愛想か。

 どうにも判断しかねる青年の反応を、瞬は今でも気に入らなかった。


「さっきの奴、誰だったんだ」


 入口の石柱や、その向こう側の一般道が見え始めてきた頃になって、轟が尋ねてくる。

 思えば、轟に直接話したことはなかった気もする。

 風岩家にいる間、どこかで折を見て雑談程度には、と何となく考えてはいたものの、修行の過酷さのせいですっかり頭から抜け落ちてしまっていた。


「風岩刃太だよ……年が六つ離れた、オレの兄貴だ」

「あいつが、大砲女の言ってた完璧野郎か。お前がどうしても見返してやりたい相手なんだってな」

「まあな」

「俺には冴えない真面目な兄ちゃんにしか見えなかったがよ」

「あの謙虚な物腰で、何でも人より上手くやってみせるから余計に腹立つんだよ。今は大学生で、東京の方に住んでるから、会わないで済むと思ってたんだがな。嫌なタイミングで帰って来やがって……」


 渋面を浮かべながら、瞬は呟く。

 虚勢半分、克己半分で立ち向かってはみたものの、まだまだ苦手意識が薄れた気はしない。

 それもそのはず、叩きつけるための成果は、これから勝ち取ってくるのだ。


「見返す前に、まずは、見違えたって言わせなきゃあな」


 門を潜り、徐々に温度の高まりつつあるアスファルトの道路に出た瞬は、燦然と輝く太陽を挑むように見上げた。



 フィリピン奪還作戦が開始されてから、既に五時間と少し。

 占領エリアの中に堂々と踏み入った二機のメテオメイルは、ただ、待ち続けていた。

 侵入に対応して派遣されるメテオメイルの撃退ないし破壊までもを視野に入れた作戦は、今回が初めてとなる。

 果たして一度の勝利だけで、素直に占領エリアを明け渡すのか、或いは新たな増援が送り込まれるのか。

 それすら不明であり、一戦だけで終わらなかった場合のリスクは計り知れない。

 誰しもが不安と緊張を胸に抱きながら、張り詰めた空気が作り上げる静寂に耐える。

 だが少なくとも、これから死闘を繰り広げる張本人である、連合製メテオメイルパイロットの二人は例外の部類であった。

 気負いすぎず、気後れすることもなく、沸き上がる闘志によって肉体を程よく火照らせ、機体のコンディションチェック作業を進める。

 つい先程までは、大胆にも仮眠さえ行っていたほどだ。


「いま何が一番怖いかって、連奈に借りを作っちまったことだ。当分それを盾にされて奴隷扱いだろうし、かといって一括で返せるほどの軽い厚意でもねえ。胃が重いぜ」

「せいぜい頑張って返済しやがれ」

「くそ、何でお前が正規メンバーなわけよ」

「強い方が選ばれる、当然の判断だ」

「ただの壁役だろ、威張ってんじゃねえ」


 瞬と轟は、この期に及んですら通信装置越しにつまらない言葉の応酬に精を出す。

 最終的に、出撃する二機はセイファートとバウショックに決定していた。

 というのも、作戦開始の前日になって、最後の動作確認を行っていたオルトクラウドが、原因不明のエネルギー過供給によってゾディアックキャノンを破損させていたからである。

 よほど人為的にパイプラインの出力調整口を狭めていなければ――――例えるなら、蛇口の栓を水の出るぎりぎりの位置に合わせでもしなければ、到底発生しえないトラブルである。

 OSのプログラムエラーの可能性も疑われたため、最強の矛たるオルトクラウドは惜しまれつつもラニアケアで再調整の運びとなり、代わってセイファートが投入されることになったのだ。

 ゾディアックキャノンの発射をより確実なものとするためという理由で、バウショックが優先して選ばれた事実は遺憾である。

 しかし、これで無事に、先の戦いで苦渋を舐めさせられた二体が並び立って再戦に臨めるというわけである。


「おっと、来やがったぜ……!」


 コックピットの中、瞬は広域索敵モードに設定していたレーダーを一瞥すると、軽く体を上下させて完璧に体をシートにフィットさせた。

 もうずっと、敵の現在位置は軍事衛星に捕捉されている。

 なにせ今回の輸送手段は、探知が困難な代わりに航行速度の遅いフラクトウスではなく、苦もなく発見できる代わりに容易には追跡できない大型高速輸送機アルギルベイスン。

 従来のパターンでは、通常の戦車・戦闘機部隊を送り込んだところで、どうせ再占領できるものと踏んでいるのか、現れるのは早くて半日後という悠長さがあった。

 瞬達だけではなく、オーゼスの側も、随分乗り気ということらしい。

 抑えきれない戦意が、武者震いとなって瞬の肉体に顕在化する。


「待ちくたびれたぜ、全くよ……」


 膝をついていた二機の内、先に立ち上がったのはバウショックだった。

 轟の昂ぶりを体現するかの如く、赤き巨体は全身のダクトから一度激しく排熱を行い、それから二度三度、ギガントアームと通常のマニピュレーターを開閉する。

 瞬もまた、機体を直立させると、事前に二振りのジェミニソードを抜き、刀身を眩き光で染め上げる。

 もう、夜明けは間近に迫っていた。

 その時、光と闇で二分された幻想的な空の彼方で、長大な翼を広げた鉄の塊、アルギルベイスンが姿を現す。

 レーダー上の動きと一致しているのもそうだが、積載量を追求して過剰に膨れたあがった特徴的なカーゴブロックは、他に類似機種など存在しない。

 次いで、減速を開始したアルギルベイスンの中から新たなエネルギー反応が二つ、自然落下に近い速度で地上に降下する。

 問題なく着陸を果たした二機は、大きく加速するでもなく、悠然とこちらを目指す。

 その姿が見間違えようのないほど接近してきたとき、セイファートとバウショックは、鋭い双眸により一層の激しい輝きを灯した。


「またテメエらが相手かよ、救いようのねえクソガキ共」


 正道を征く外道、優劣のバランスブレイカー――――スラッシュ・マグナルス。

 操るは、阻害と妨害の混成魔獣――――スピキュール。

 相手に全力を出させる機会を与えることなく、一方的に喰らい尽くす難敵である。


「救いようがねえのはあんたらだろ、駄目なおっさん共。残念ながら、ガキは可能性に満ちてんだよ」


 瞬はスピキュールを打ち破るために、己の立ち回りを一から改善してきた。


「お久しぶりですね、二人とも。あれから約ひと月といったところでしょうか……お変わりがないようで、何よりです」


 完全融和の求道者、空虚なる万有愛護――――霧島優。

 操るは、極みの果ての無一物――――プロキオン。

 相手の全力すらも受け流し、繰り出される攻撃の全てを無に返す強敵である。


「変わった証拠に、テメーの顔面の形を変えてやるよ」


 轟はプロキオンを打ち破るために、己の両腕に明確な役割を与えた。


「相変わらず減らず口を叩きやがるな。ウザいったらありゃしねえ」

「だからここまで来れた」

「勝算はあるのですか?」

「だからここまで来た」

「こっちはまだ何も手の内を明かしてねえってのに、とんだ皮算用だ。だが特別に許してやるよ、俺様はテメエらみたいな物わかりの悪いクソガキを徹底的に叩き潰すのが大好きなんだ」

「オレはそういう、ガキを舐めきった大人に一発かましてやるのが好きだぜ」

「僕は護身の人なので、向かってきてくれる分には有り難いわけですが」

「せいぜい受け身のまま突っ立ってろ。俺は進む、進んでブン殴る」


 四人は、機体を通して解き放たれる、己が意思の具現化ともいえる不可視の力をぶつけ合う。

 困難を乗り越え、勝利を掴み取るために。

 徹底的に叩き潰し、摘み取るために。

 大気の鳴動は、メテオエンジンで増幅された精神力が物理的に引き起こしているのか、或いはただの高揚感が見せる錯覚か。

 今は、どうでもいいことだった。

 瞬は操縦桿を握り込み、飽和寸前の空気が破裂する刹那に向けて、全神経を研ぎ澄ます。


「行くぞセイファート。オレ達の風岩流を、あいつらに刻み込んでやろうぜ……!」

「俺に恥をかかせんじゃねーぞ、バウショック。俺もお前に、もう二度と恥はかかせねー」

「俺様とスピキュールの卑怯の前に、ひれ伏しやがれ」

「なんだか盛り上がっているみたいですけど、僕達は普通にやりましょうか、プロキオン」


 全員が、自分の分身たるメテオメイルに同調を促した直後。

 セイファートはジェミニソードを振るい、バウショックはギガントアームの拳撃で。

 眼前に聳え立つコンクエスト・ピラーを斬り落とし、打ち砕く。

 それが、長らく待ち望んだ戦闘開始の合図となり、四機の巨体は溢れ出す力を受けて一斉に動き出した。


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