第36話 菫青石(前編)
精神を統一し何かに取り組むにあたって、少なくとも瞬が知る上で、風岩家以上の理想的な場所は存在しなかった。
屋敷の周囲は、生い茂る木々のざわめきに満たされた世界。
遠大な距離と濃密な山林によって都会の喧噪は微かも届くことなく、また、遮音加工された閉鎖空間特有の息苦しさもない。
機械的な雑音も、現代的な暮らしを送るにあたって必要最低限の電化製品が置かれている本邸を離れれば皆無。
裏手には車道こそあれど、そこを通るのは自家用車か郵便等の配達に限られ、走行音を聞くのもせいぜい日に三度。
日中、断続的に鳴り響く音といえば、剣稽古によって発生するそれのみである。
道場の床を踏み込む打音、木刀のかち合う甲高い音、親族や門下生達の雄々しいかけ声――――
生まれてから、或いは生まれる前からひたすらに聴き続けてきた、大気の震動。
それらはもはや、魂に刻み込まれているといっても過言ではないくらいの、静寂よりもなお心安らぐ環境音である。
そして、瞬にとって有効に働くのは聴覚に限ったことではない。
数世紀も昔の建築技法によって作られた完全な木造家屋の発する仄かな香りも。
どれ程の清浄機を以てしても真似できない清澄な天然の空気も。
空間を形作る何もかもが、瞬の心身のコンディションを自動的に万全へと整えていく。
まだ何も始めてはいないが、己の心を象った刀身は、ただ帰郷しただけで、少なくとも錆取りを施されたくらいには切れ味を取り戻していた。
「いつ来るんだ、あの爺さんは」
「知らねえよ」
敷地内で最も屋敷門から遠い最後部に建築された、古めかしい造りの道場。
その板張りの上で、瞬と轟の二人はかれこれ三十分ほど正座を続けていた。
瞬は自室から持ち出してきた剣道着を、轟は自前の黒ジャージを、それぞれ着込んでいる。
時刻は既に午後四時前。
七百メートルほどの標高と周囲の大自然、二つの環境的要因のせいで六月とは思えぬほどの肌寒さが、動くことを許されぬ二人の体温を着実に奪っていた。
瞬にしてみれば通年十五度以下の気温など慣れたものだが、轟は屈強な体躯に反して温度変化には弱いのか、時折膝の上に置いた掌を擦るような仕草を見せる。
「つうか、瞑想の邪魔すんなよ。せっかくこう、修行モードっていうか、何かそんな感じのクリアな精神状態に至れそうだったのによ」
「それこそ知った事かよ。真の強さってのは、どんな状況でも敵をブチのめせるものを言うんだろーが。調子整えんのに時間かけてるようじゃ、その程度ってことだ」
「はい出たー、北沢君お得意のフレーズ真の強さー」
「ああ!?」
「だから、強さを手に入れるために、過程として面倒な事もやらなきゃいけねえって話だ。結果に直接飛びつこうとしたから、こうなってんだろ、オレ達は」
「んなこたあ、わかった上で言ってんだよ。わかってるから、あんな真似もしたんだ。」
「……そうだな」
瞬は、正午前から始まって、ついさっきようやく終わった長い長い説得のことを、だいぶ前の事のように振り返る。
轟は、外様の自分にも何かしらの指導をと、雷蔵に対し、しっかり頭を下げてみせた。
身分も自ら明かし、紛う事なき誠意を声と眼差しに込めてだ。
屈辱を隠せなかった自分とは違い、一切の邪念もなく、本心から謙っていたように思える。
全くの無縁である人間が、歴史ある流派の技術を寄越せと懇願しているも同義なのだから、それ程の態度で臨むのは当然ではある。
しかし、轟という人間の性格を良く知る瞬にとっては、感服どころか敬服に値するものであった。
自分以上に強いプライドを持ち、僅かでも他人の手を借りることを拒む轟が、二つの支柱をねじ曲げてまで平伏するにあたり、どれほどの意思力を必要としたのか。
その概算を終えたとき、瞬もまた、もう一度雷蔵に頭を下げていた。
必要なのは自分が稽古を付けてもらうことであって、轟が成長しようとしまいと、それはどうでもいい事だ。
ただ――――あの北沢轟が一世一代の決断のために費やした精神の熱量は、けして無駄にしてはならない。
その一心で、持てる全ての屁理屈を捏ねながら、瞬は轟の懇願に加勢した。
今こうして二人が道場に上がることを許されているのは、額を赤くするほど畳に擦りつけ、ひたすらに拝み倒した、その結果の賜物である。
「……どうじゃ、少しは体が思い出したか。厳粛さと清爽感が絶妙な割合で調和する、風岩家の空気を」
二人を待たせた張本人である雷蔵が、先と変わらず着物と羽織を纏った姿で道場に上がり込んでくる。
やっと、第一道場で研鑽に励む一般の門下生達に、一通りの指導を終えてきたらしい。
こちらは最後に改装されたのが五十年以上前の第二道場で、数年前に内装を一新した第一道場と広さこそ同程度だが、全体的な建材の老朽感は否めない。
床板にしても、面積の半分は普通に通るだけでぎしぎしと軋む。
抜けてしまうまでの不安感はないにしても、その張りの無さは、どうしても思い切って踏み込むのを憚ってしまう。
できれば第一道場を使いたかったが、あくまで客人扱いの自分達には贅沢な願いというものだろう。
「それもあるけど、やっぱり人だな。教えてくれる相手は大前提として、近くで他の連中が必死扱いて稽古してるのを見ると、自分も頑張らなきゃなって思う」
「あちらでは、どうしておった」
「どうもこうも、体鍛えるのもシミュレーター訓練も、ほとんど一人だよ。指導してくれるトレーナーみたいな人はいるけど、言われたメニューをやってればそれ以上は何も言ってこねえし」
「……そのような環境で、よく二ヶ月も命を繋げたものじゃな」
辟易したような雷蔵の嘆息も、もっともであった。
身体能力と操縦技能の向上、当時はそれで十分と高をくくっていたものの、今にしてみれば不足も不足。
何せ、敵を如何にして屠るかという、勝つにあたって最も肝要なロジックが抜け落ちていたのだ。
どうにか己の死という最後の一線だけは踏み越えずに済んだが、奈落の底を目前にした岸壁にしがみ続けているだけに過ぎない。
生き残ったと豪語するには無理のある、依然とした危機的状況に、自分と轟は置かれている。
目と目の会話で、そこまでを共通の見解としてから、瞬は言葉を紡ぐ。
「運にも、状況にも、人にも助けられて、今こうしてオレは生きてる。本当にみっともねえ。だからこそ強くなりてえんだ。自分で自分を守れるくらいの腕っ節がなきゃ、英雄もクソもねえ」
「俺も同感だ。雑魚を幾ら叩きのめしたところで、ああいう手合いにあっさり負けるようじゃ論外だ。敵のどんな戦法にもねじ込んでいける強みのない奴は、弱いのと何も変わらねー」
轟もまた、雷蔵を見遣って口を開いた。
まだ先の戦いで手ひどく負わされた怪我が治りきっていないせいか、そんな容態で正座を続けるのはだいぶ堪えるようで、全身に僅かな震えすら窺える。
轟の体勢を楽にしてやる意図は微塵もないが、瞬は雷蔵に話の続きを急かした。
「そういうわけで、とっとと始めてくれよ。オレがどういうところを補いたいかってのは、さっき話した通りだ。もう何か考えてくれてるんだろ、修行のメニューをさ」
「無論じゃ。……じゃが、今日から始めるには時期尚早。まずは、お主も知る風岩流の基礎修練に加え、身体強化と感覚の鋭敏化が短期間だけ持続する発展型の助行を一週間。後に続く地獄の如き荒行の前に、少しは体を慣らして貰わねばな」
「ああ、じっくり腰を据えてやらなきゃな……それで、轟は?」
「其方の客人も、この一週間に関しては瞬と同様じゃ。並人より遙かに頑丈に出来ておるその体なら、こなせぬ事もなかろう」
「当然だ。元々回復力には自信がある、一週間ありゃあ全快だ」
軽度の脱臼はともかく、骨折箇所の補填材による定着は、昨今の医療技術を以てしても七日では怪しいところはあった。
が、一般的には歩けるわけもない筈の容態でありながら、誰の助けもなく三千段を登り詰めているだけに、瞬もここは轟の言葉を信じることにする。
「それに、力量の方も少し見せて貰わねばな。前々から欠点のわかりきった虚けはともかく、其方の客人の事は、赤手空拳の遣り手である以外、何も知らぬからのう。今晩にでも少し、顔を貸せい」
「上等だ……今の状態でも、そこいらの喧嘩っ早い野郎ならブチのめせるくらいには、肩も腕も動く。そんなに俺の力が見たいなら見せてやろうじゃねえか」
未だに包帯が何重にも巻かれた右手をわきわきとさせながら意気込む轟。
むきになりすぎて怪我が悪化しなければいいがと苦笑する、そんな自分に気付いて、瞬は慌てて頭を振った。
「……じゃあなんだ、これから早速いつもの基礎練ってわけか」
しばらく前まで日課としてきた、風岩流の基礎修練。
素振りと幾つかの基本的な型の練習はあれど、ここまでは、命の危険が生じるなど一般的な身体トレーニングを大きく逸脱したものはない。
とはいえ、石段の往復に加えて敷地内の走り込みも別途内容に組み込まれており、過酷かそうでないかの話になれば、前者であった。
よほど優れた体力を持つ者以外は、全てのメニューを終えるのに二時間前後を要する。
「もうじき夕刻じゃ、体を動かし始める頃合いとしては少々半端な時間よ。今日は、鍛錬はよい」
「え、マジで? あの理不尽の権化こと風岩雷蔵とは思えない温情にびっくりだぜ」
「何を言うておる、やらずともよいのは鍛錬だけじゃ。居候如きを手空きになど、片時たりともさせるものか」
「ぐえっ、やっぱりか」
にべもなく告げられ、瞬は呻き声を漏らす。
次いで手渡されたのは、どこで仕入れているのかわからない和紙製のメモ用紙と一万円札だった。
これから何をさせられるのか、深く考えるまでもない。
メモ書きなど、量販店の安物再生紙で十分に替えが利くものをと心中で呟きつつも、瞬はそれらを受け取る。
「お前達には食料品、及び日用品の買い出しを命じる。そこに記されているものを全て、日が暮れるまでに買ってこい。それと、今渡した紙幣以外の金銭の利用は厳禁とする」
「体のいい雑用が二人も入ってきてようございましたね総当主様……まあいいけどさ。あそこだろ、あの麓のスーパーだろ。早足でだいたい二時間ちょっとってところか、ほとんど基礎練みたいなもんだな」
「んで、何を買ってこいって?」
覗き込んでくる轟をはね除けるようにしながら、瞬はメモを読み上げる。
市街地まで行かなければ売っていないような明らかに入手難度の高い代物は、流し見する限りでは書かれていないようだったが――――
「ティッシュに洗剤、茶葉、野菜……んで、あとは米か。ああ、四十キロ!? なんでこんなに要るんだよ! 今日明日ぐらいなら五キロで足りるだろ!」
「短い区間とはいえ釣り銭でバスに乗れないようにするための調整が半分、あとは、そのくらいでなければ運動にもならんというのが半分かのう。風岩家の夕の飯は親族も門下生も六時半と決まっておる、食いはぐれたくなければ、早く行け」
平然と言い放つ雷蔵に、瞬は激昂しつつも立ち上がる。
これもまた稽古をつけてもらうための条件だと言うのなら、今は雷蔵に噛み付いている時間も、道着を着替える時間すら惜しい。
どうにか金を浮かす方法がないかだけを考えながら、瞬は道場を飛び出す。
「くそっ、何が鍛錬は明日からだ。いつもよりハードじゃねえかよ! 行くぞ轟、バスが使えねえなら倍はかかる! 今日登ってきた道を下っていくだけだ、急げ!」
「ちっ、これも修行の内か。仕方ねえ……!」
幾分か素直にこの理不尽な試練を受け入れた轟も、即座に瞬の後を追い、疾駆する。
片道約二十キロ、そして帰りは各自約三十キロの荷物を担いで戻るという、地獄のランニングの幕開けであった。
「もう二度とやらねえ、絶対やらねえ、やる意義を感じねえ……」
「あ゛ー」
二時間半後、瞬と轟は息も絶え絶えに本邸の玄関で倒れ伏していた。
瞬がすぐ傍の掛け時計を見上げたところ、針が指し示すのは六時二十分。
よくもまあ、しっかり日没までにフルマラソン級の距離を駆け抜けたものだと、瞬は自分の体力を自賛する。
場面抜粋として挙げるべきは、幸と不幸がそれぞれ一つずつ。
前者は、目当ての野菜の一つが特売セール中で、各自一区間分のバス運賃を確保できたこと。
後者は、肝心のバスが全く通らない時間帯であったため、結局自分の脚だけを頼りに風岩家へと戻らねばならなかったことだ。
「ぬか喜びした自分のなんと間抜けなことよ……冷静に考えりゃよ、通るわけねえんだよ。八時と十七時の二本だけしか来ないんだよ、この辺は」
「クソ田舎じゃねーかよ。俺の所だって寂れちゃいたが、一時間に一本くれーはあったぜ」
「多すぎるだろ、お前都会っ子かよ!?」
「都会じゃねーよ。感覚麻痺しすぎなんだよテメーは」
両手を広げて天井を見上げる瞬と轟。
ようやく息も落ち着いてきたかというところで、雷蔵が二人に前に顔を出した。
「ほう、まさか本当に時間内にやってのけるとはのう。初日でこの調子なら、お主達がいる間は毎日頼むとするか」
「「断わる……」」
覇気のない声で、二人同時に反論する。
それと同時に、痙攣していた筈の胃袋に食欲を呼び起こさせるほどの香ばしい匂いが、廊下の奥から漂ってきた。
よくよく考えれば、説得に注力するあまり、昼食を摂ることも忘れてしまっていた。
一気に溢れ出る涎を飲み込み、瞬は首を更に倒して居間の方に視線をやった。
その動きに気付いたのか、雷蔵は軽く一息を吐くと、二人に立ち上がるよう促した。
「……早く上がれ、もう飯の時間じゃ。皆が待っておる」
「あれ、いいのかよ? てっきり残飯か冷や飯食わせてくるくらいの覚悟だったんだけど。よくて自炊」
「儂はそのつもりでおったんじゃがの、家内や優奈さんが勝手にお主らを頭数に入れておったのじゃ。二人の作った美味い飯を粗末にするわけにはいかん。有り難く馳走になるがよい」
「まじか……! だけどなー、それ自体は素晴らしい提案なんだけどなー」
三ヶ月近く前に家を飛び出して以降は、数日後に私物を取りにこっそりと戻った程度で、家族とは全く顔を合わせていない。
既に面向かった雷蔵と父はさておいて、母に、祖母に、兄――――一気に三人の前に、のこのこと帰ってきた醜態を再び晒すことになる羞恥心はたまったものではなかった。
母と祖母は雷蔵ほどつらく当たってくるどころか、むしろ同情も期待できる相手だが、叱られない故の辛さもある。
無駄に心配と迷惑をかけたことが浮き彫りになって、罪悪感が余計に増すからだ。
ただ、まあ――――
「お前よりましか」
「全くだ。テメーはまだいいだろーが。俺なんか、仲間でもなんでもねー奴の家族のところに顔出さなきゃいけねーんだぜ。意味わかんねーだろ……。なあ瞬の爺さん、俺だけ別の所で食わせちゃくれねーか」
「人前で飯も食えぬほどの意気地無しか、お主は」
「んな訳ねーだろーが……面倒臭いだけだ。すぐに食い終わって部屋を出てやる」
瞬も轟も、それぞれ激しいいたたまれなさに襲われる事を確信しながら、襖を開けてそろりと居間に踏み入る。
待っていたのは、焼き魚に味噌汁、山菜の煮物に豆腐、白米飯と純和風の料理。
出来て間もないことを表わす暖かい湯気がテーブル中から立ち上り、瞬の胃腸は完全に活性化を果たす。
いや、それも現在の瞬にとっては大事な要素ではあるが、本当に見るべき箇所はそこではない。
瞬は遠慮がちに、視線を食卓の左右へと映す。
右手には父と母、左手には祖母。
たったの四半期では外見にも変化はなく、全く記憶通りの懐かしい光景を成していた。
「お帰りなさい、瞬。あの剣を使うのがこっぴどくやられたと散々ニュースで報道されていたから心配していましたよ。よく五体満足で帰ってこれたものね」
「むしろ無事を祈るのはこれからだろうな、お父さんの厳しい扱きに耐えられるかどうか」
「本当にあなたはもう、いつも無茶ばかり……」
気に入らないなら縁など切ってしまえと言い捨てたにも関わらず、自分を当たり前のように迎え入れる家族。
その器の広さに、正確には己の狭量さに、瞬は今度こそ本当に情けなくなって目頭を熱くする。
パイロットとなることに猛反対されたのは確かだが、もう少し時間をかけて話し合えばどうにか納得させられるところまで持ち込めたのではないかと、今更ながらにあり得ぬ過去の情景が脳裏に浮かぶ。
それは文字通りの幻想である可能性も多分に含まれているが、目の前の現実は、揺れ動かぬ事実。
自分が己の非力さを直視してそうしたように、家族もまた、これまでの戦いを見て瞬の決断に対する認識を改めくれててはいるのだ。
瞬は猫背のまま、食卓の隅に腰を下ろした。
余計な言葉は紡がず、いつもそうしていた通りに。
「……ただいま」
「へえ、北沢君っていうの。どこのお住まい?」
「群馬の、東の方で……」
「最初に見た時は随分柄の悪そうな男だと思ったが、中々どうして実直な若者じゃないか」
「……まあ、強くなりたいんで」
「年端もいかぬ子供ばかりが操縦者とは、一体如何様な基準で選定されておるのやら。北沢の坊主よ、あの三体目に乗っておるのは、何処の誰じゃ」
「誰って、あんたらの一族の……いや、なんでもねー」
「北沢君、ご飯のおかわりは?」
「ああ、じゃあ、もう一杯……」
てっきり自分が話題の中心になるものと渋面を浮かべていた瞬だが、実際はこの通りであった。
部外者の轟が見事な避雷針の役割となり、家族の興味を一挙に引き受けてくれている。
環境上、外的刺激の極めて少ない風岩家にとって、見知らぬ人物というのはそれだけで注目の的になる。
また、あの雷蔵が直々に滞在することを認めた人物という立場の影響も大きい。
おかげで雷蔵が同席する場でも全く遠慮もなく、矢継ぎ早に質問を飛ばして轟を狼狽させていた。
可哀想な気がしないでもないが、自分が会話の中心になるのも居心地が悪く、それにしどろもどろになっている姿を眺めるのは楽しかった。
なので瞬は途中、何度も退席しようとする轟をどうにかなだめる事に専念していた。
意地の悪い笑みを浮かべながらだ。
「どうして俺が、こんな目に……!」
「いやあ、ほんとにお前は救世主だぜ。ありがとう北沢君」
「ざけんな、テメーの家族だろうが、テメーが喋れ」
「オレはいいんだよ別に、特に話すこともねえし。つうかヴァルクスでやってる事は殆ど機密扱いだしよ」
「戦いは厳しく辛いことの連続なんだろうが、ともかく、あまり溜め込まずにやれているようで良かった」
轟との言い合いの途中、晃蔵が心底安堵したようにそんなことを呟いたので、瞬は神妙な面持ちで振り向く。
「周りが堅苦しい大人だらけなものとばかり思っていたからな。そういう風に同年代の友人が一緒なら、だいぶ気も楽だろう」
「友人じゃねえし、別に」
「ああ、友人なんかじゃねーよ。こいつに負けるようなら全パイロットの中で最底辺だって事が確定するから、楽どころかむしろ危機感を煽ってきやがる」
「オレも同意見だぜ。この突撃オンリーの馬鹿にきっちり差をつけなきゃって焦りで一杯一杯だ」
「だが、そのおかげでもあるだろう。お父さんに許しを貰えたのは」
「一緒に頭下げれば辛さも半々ってか? あのな、オレは最初は一人で来るつもりだったぜ。こいつは勝手に付いてきただけだ」
「それで、最後まで怒りを爆発させず、お父さんの頑固さに耐えられたか? お前の事だ、途中で掴みかかるか、また飛び出すかはしただろう」
全くもって心外な意見だとは思ったが、そう補足されれば納得せざるを得なかった。
実のところ、無様な姿を見せたくなかったのは、家族以上に轟だったのかもしれない。
それに、掴みかかるということなら、自分の説得が失敗するようなら轟の方とて可能性はあったのではないかとも思う。
本人達が望んでいないも関わらず、つくづく、本当につくづく、絶妙なバランスで支え合っている関係だと実感させられる。
何か一つを間違うだけで先へ進む道が呆気なく閉ざされるという、そんな極限の綱渡りを奇跡的に潜り抜けて、自分達はそれなりにまともな未来に立っている。
溜息と苦笑が全く同じタイミングで漏れて、瞬は少しだけむせた。
「マジに不思議でたまんねえよ。何なんだろうな、オレ達は」
「俺に聞くな、そして一括りにもするな。俺は一人だ、一人でいいんだ。こうして呑気な飯に付き合ってやってるのも、全部一人でやっていくための過程なんだよ……」
そうぼやきながら少しだけ寂しげな目つきになる轟を見て、だいぶ温まった筈の瞬の心にも、荒涼とした風が吹く。
思えば、まだ自分は北沢轟という少年について、知らない事が余りにも多すぎる。
聞こうとして聞けなかったときもあれば、聞いたところで答えが返ってこなかったときもある。
単純でわかりやすい性格という認識さえも、わかったつもりの結果でしかないのだ。
すっかり冷め切った緑茶を一気に喉へ流し込みながら、瞬は今更のようにどっと押し寄せる疲労の虚脱感に身を任せた。




