第2話 空に堕ちるモノ(後編)
「っ……!」
大気の壁に突き刺さり、赤熱しながらも強引に直進するセイファート。
そのコックピットで、瞬は我を取り戻す。
意識を失っていたわけではない。
初めて体験する凄まじい加速に、脳の理解が追いつかなかっただけだ。
既に機体は地表から約四百キロメートル。
大気の層構造的には熱圏の中にあり、通常、明らかに流体力学を無視したセイファートのような構造物は空気抵抗と摩擦熱で砕け散る。
そうなっていないのは、メテオメイルの周囲を包む不可視のエネルギー・バリアの賜物である。
HPCメテオが発生するエネルギーの内、約十パーセントほどは、自動的にこのバリアに割り当てられる事となる。
手動で出力調整することも可能だが、この基本状態においても通常兵器の物理攻撃であればダメージを大幅に軽減。
破る手段は、それ以上のエネルギーを、しかもある程度収束させて放つしかない。
このバリアの存在こそが、メテオメイルにはメテオメイルでしか対抗できないと言われる最大の理由であり、瞬はその防御性能がどれ程のものかを今、己が身で体感していた。
「加重がちょっときついが、機体はビクともしねえ……これがメテオメイルかよ」
『初めての大気圏突入は無事成功したようだね。どう、聞こえる?』
「……えっと、どちら様で?」
幾度かの軽快な電子音が鳴った直後、音声のみでの通信が届く。
まったく知らない女性――――いや、話し方こそ大人びているが、まだ少女と呼んで差し支えない幼さの残る声だ。
内壁モニターに表示された通信ウィンドウには英語表記で名前も出ているようだったが、しっかり目を通すほどの心理的余裕は、瞬にはまだない。
尋ね返すと、ウィンドウが拡大し、ケルケイムと話した時と同様に相手の顔が映し出された。
桃色の髪をツインテールにまとめ上げ、ヘッドセットを付けた、利発そうな少女だ。
年の頃は瞬とほとんど変わらないようにも見える。
『ああ、ごめんごめん。自己紹介がまだだったね。私はヴァルクスのオペレーター、セリア・アーリアル。司令に代わって君の戦いをサポートさせてもらうよ』
「あ、そういえばそんな事を司令が言ってたな……!」
『それで、操作方法はどの程度まで覚えたのかな。幾らエネルギー・バリアがあるからといっても、その速度で地面に激突されたら流石に機体は保たないからね。特にセイファートは装甲も薄いし』
「……実はそこの所がさっぱりでな、教えてくれると助かる」
自分の命がかかっているため、素直に教えを乞う瞬。
だが、セリアは自分で話を振っておきながら、話題を変える。
『その前に、地上の状況を伝えておいた方がいいね。目標は数分前に急加速を開始。何事もなければ、セイファートの降下予定地点である地球統一連合軍神奈川基地の近海に、ほぼ同じタイミングで到達することになる』
「おいおいおい、もろに地元じゃねえか……!」
『日本に四つ存在する連合軍基地の中では最大だからね。ここまでの傾向から、おそらく真っ先に狙ってくると踏んで、司令はそこにセイファートを送る事を決定したんだ。というか、その辺りも説明があったんじゃないのかい』
「オレの精神状態から察するに、過去数十分の会話は八割ぐらい抜け落ちてる自信がある」
『言い出しっぺなんだろう、もう少ししっかりしてもらいたいものだね……』
「生憎と、オレは天才児の類じゃないんでな。……ともかく、ちゃんと鉢合わせできるってんなら僥倖だ」
そう答えた直後、セイファートの視界が急速に塞がっていき、瞬は身を強張らせる。
雲海に、飛び込んだのだ。
高度計は既に一万メートルを切っている。
何もしなければ、あと数十秒後には海面に激突して機体は四散するという事に気付き、瞬は慌ててセリアに尋ねる。
「それで、早く減速のやり方を教えてくれ。もう高度がやべえ!」
『フットペダルが左右にそれぞれ二つずつあるだろう。外側を踏めば、片足ごとに足裏のバーニアスラスターが作動する。操縦桿左のファンクション6を押しながら両側のペダルを踏めば、背面のスラスターも自動的に、着陸に対応した角度で噴射を……』
「6……6……あと両側、これか……! おい、セリアだっけか。それで、いつ頃やったらいいんだ、もういいのか?」
『いや、三千メートルからでも十分……ああ、最大まで踏み込んだ方がいい。今すぐに』
「どっちなんだよ!」
『目標の進路変更を確認。そちらからでも、もう見えてくるはずだ』
「あ……?」
瞬は思わず、間の抜けた声を出してしまう。
何も理解できていないわけではない。
予感はあった。
先程から、セリアの話の内容と順番が安定しないのは、それも予想した上での事なのだと。
如何に進行方向が違えど、ほぼ同じタイミングで同じ場所を通過するということは、その直前で既に、極めて近い距離まで接近するのと同義なのだ。
「“何事もなければ”って、そういう……!」
だが、できれば心の準備が整ってから戦闘に移行したいという、無意識の期待が覆されるのが嫌で、深くは考えなかっただけだ。
だがセリアの次なる言葉が、瞬に現実を突き付ける。
『……セイファートに、狙いが移ったということさ』
「おいおいおい、もうかよ……! マジかよ……!」
モニター左側のスペースに表示されていたレーダーに、敵性存在であることを示す赤い光点が灯るのを見て、瞬の全身から嫌な汗が噴き出す。
全く未確認の質量体も赤で表示される範疇だが、接近する速度と現在の高度から、そしてこの状況下において、これからの自分と全く無関係の何かである可能性は、ほぼ有り得ない。
その光点こそがまさに――――倒すべき、敵であった。
『早く減速を! 垂直落下ではいい的だ!』
「わかっ……てるよ!」
セリアに言われるまでもなく、瞬は説明された通りの操作で、最大出力による減速を開始する。
耐G機能でも完全には相殺できない、急な逆噴射による抵抗が瞬の全身に襲いかかる。
おぞましい濃赤色の光条が二つ、セイファートの足下に広がる大雲の中から飛び出し、一瞬の内に遙か天の彼方へと伸びていったのは、そのコンマ数秒後の事であった。
大気の灼かれる鈍い音が、しばらく瞬の鼓膜に残り続ける。
「やりやがった……!」
『収束レーザーライフルというやつだ。君も、他のメテオメイルが使っているのをニュースか何かで見たことくらいはあるはずだよ』
「あるけどよ……」
敵からの攻撃に、瞬は、汗が止まるほどの恐怖を味わう。
減速せずにそのまま降下していたら、確実に直撃していた。
しかも、スラスターとエアブレーキを備えた脚部が。
瞬の生家である風岩家は、古来より実戦派剣術の追求に身を捧げてきた武の一門である。
瞬も、真剣を握ったことはあるし、その上で模擬試合を経験したこともあった。
殺意というものが如何なるものであるかも、身に染みて知っている――――筈だった。
だが、真に殺し合いをやっていたわけでもなければ、命を奪う事への抵抗がないわけでもない。
あくまで、精神鍛錬や演舞としての側面を発達させた他流と異なり、実際に相手を斬り伏せる上で効果的な部位、或いは斬り方そのものを本格的に学ぶ流派であるというだけだ。
それでも、達人と呼ばれる程の境地に達することができれば冷静さを保つことも不可能ではないだろうが、瞬は違う。
少なくとも、問答無用で放たれた初見必殺じみた一撃に怖気を感じぬほどの手練れではない。
自分の経験など所詮はこんなものであったかと、瞬は震える右腕を震える左腕で押さえる。
だが、悠長にしている暇はない。
レーダー上の光点は更に接近してくる。
「また来る!」
この時、混乱した精神状態ながらも、迎撃という発想を持ち出すことのできたのは、研鑽の確かな賜物であった。
左操縦桿の火器発射スイッチを押し込み、両肩の付近に設けられた大型バルカン砲から、秒間数百発もの弾丸を、下方へと向けて照準も定めずに連射する。
この三十分ほどで覚えることのできた、数少ない操作である。
だが、相手はメテオメイルで、発射したのは口径こそ違えど現代兵器の延長線上にある実体弾。
こんなものでろくなダメージになるとは、素人の瞬ですら思えない。
命中を確認するよりも前に背面バーニアの噴射によって大きく右へと移動する。
その判断は正解で、コンマ数秒後、雲を吹き飛ばすようにして、“それ”はとうとう、瞬の前に姿を晒す。
「これが、オーゼスの新型……!」
両肩に、片翼のない戦闘機のような巨大モジュールを載せた人型兵器。
背面にも巨大な垂直尾翼と大型のブースターポッドが存在し、空戦能力を高めた機体であることが窺える。
装甲は光沢の強いパールホワイトで統一され、両腕に保持した大型の火器も含め、空力特性も考慮された丸みのあるフォルムは芸術的であった。
ただし――――半球状のメインカメラと、その左右にある鋭い四つのサブカメラ、合計五つの複眼からなる、深紅の光を宿す異形の貌を除いては。
そして右肩には、六角形を円状に六つ並べ、中心に『O-Zeuth』の文字を刻んだ、特徴的なオーゼスのロゴマーク。
この機体のみならず、オーゼスは所属を隠す事も、機体名を伏せることもしない。
どちらも必ず、装甲の何処かにわざわざ刻印していた。
所属すらも明白になり、もはや敵である事に疑う余地はない。
初めて対面する敵の存在感にに気圧され、僅かだけ怯む瞬。
その空白の間は、敵にとっては絶好の攻撃の機会でもある。
だが、その機体は瞬の予想に反し、セイファートより数十メートルほど高い位置で停止、滞空状態に移行する。
つられるように、瞬も逆噴射によって、セイファートを限りなく滞空に近い状態で維持させる。
セイファートの内壁モニターに、未登録の発信源から強引に通信回線を確立されたという警告が表示されたのは、その直後の事であった。
「――――それは、連合のメテオメイルで間違いないのかな?」
「話しかけて来ただと……?」
聞こえてくるのは、落ち着いた渋みのある男の声。
戦闘中に敵から通信があるという異常事態よりも前に、瞬にも、そしてケルケイムやセリアにとっても、驚愕すべき事があった。
この通話こそが、オーゼスに所属する人間とのファーストコンタクトなのだ。
その他の人間、全てにとって。
オーゼスは、五年近く前に姿を消して以降、今までただの一度として目的や意志を表明することなく、ただ一方通行的に侵略を行い、現所属メンバーに関しても一切が不明であった。
そんな徹底した秘密主義を貫く組織が、ここに来て、自ら接触を試みるという想像だにしない状況。
あくまで相手に聞こえない程度の小声で反応した瞬は、そのまま、しばし待つ。
察したケルケイムが、再び通信ウィンドウを開くまで。
瞬は、どう対応すべきかと、映像部位もオープンにしたケルケイムに目だけで訴える。
『余計な事は喋るな……と言いたいが、それでオーゼスについての情報が引き出せるのなら、話す価値はある。“触り”の情報は、この際出しても構わん。責任は私が取る。右のコンソールの上端、通信機能全般を扱う箇所に、変声機能のスイッチがある。表記は……』
「そのぐらいの英語力はあるさ……」
瞬は当該のスイッチを押し、それからようやく、返答を試みる。
相手の問いから、既に四十秒ほどの時間が経過していた。
「メテオメイルだって保証はないぜ? 連合の所属でさえないかもな」
「確かに、その奇抜な外見は連合製の機動兵器とは到底思えない。だが開発予算的に、連合以外の組織にそんなものを作り上げることは不可能だ。そして、奇抜な外見で尚、高々度からの高速落下に耐えている事実そのものが、メテオメイルと呼ぶに値する何よりの証拠だ。レイ・ヴェール……其方では何と呼んでいるかまでは知らないが、ともかく、HPCメテオ依存のバリアシステムがあってこそ、そんな無茶ができる」
「……どうして今になって、わざわざコンタクトを取ってきた」
「私の……いや、組織全体の興味の問題という事になるのかな。まさかの連合製メテオメイルの出現だ、色々と知りたくなるのは当然の欲求だと思うがね」
「だからってこのタイミングで通信を入れるのかよ……あんただって一応は、オーゼスっていう組織の一員なんじゃねえのかよ」
「組織全体の興味、と言ったはずだ。敵になる相手と会話を試みたことに対し、皆が私に与えるのは、罰ではなく賞賛になるだろう。何のコミュニケーションもなく機械的に排除する事の方が叱責ものだ。そんなつまらない事をするな、とね」
「あんたら、それでも大人かよ」
「そういう君は、子供だな」
「……!」
些か喋りすぎた事を、瞬は自省する。
口調の問題が先にあったかもしれない。
ここまで話した内容を思い出せば確かに、相手を試しているようで、なんとも間抜けなレスポンスばかりであったとわかる。
ケルケイムに後でなんと言われるかは想像が付くが、瞬は心情的に変声機能をオフにする。
ここまでが引っかけで、今この瞬間に子供であることが確定する、という事態も否定できるくらいに、
自分が下手を打ってしまった確信があるからだ。
「まあ、HPCメテオの性質を考えれば仕方のないことか。余裕のない連合にとっては、適性があるのなら誰でもパイロットにしなければならないだろうしな」
「仕方なく戦ってるだけのガキでは、ないつもりだぜ」
「ほう、それはやり甲斐があるというものだ。弱い相手には、もう飽き飽きしていたところだからな」
「あんたらは、どうしてこんな真似をする。何が目的だ」
冷静になって、瞬は世界の誰しもが最も知りたがっていることを単刀直入に聞く。
成果という事を考えれば、この質問こそが最大のそれだ。
ケルケイムも、静かに頷く。
「ああ、やっぱり気になるよなあ、そこは。だが申し訳ないが、それに関しては回答拒否とさせて頂こう」
「答えない理由は?」
「勿論それも答えないさ。そうでないと答えない意味がない」
「――――みんなが考えてるほど、ご大層な目的があるわけじゃないみたいだな」
「……ほう、さっきと違って随分と頭が回るようになってきたじゃないか。ちょっとだけ評価にプラスだな」
今度は男の方が唸る番であった。
瞬とは違い、その段階までは許容できるといった風だが、通信機ごしに伝わる空気は、完全な緩やかさから、やや張りのあるものへと変わっていく。
「人類抹殺、世界征服、地球環境を考慮しての間引き……世間じゃ色々言われてるが、あんたの答えを聞いてわかった。主義主張の押しつけがないってことは、あんたらの中だけで完結する何かがあるって事だ」
「前言撤回……これは、怒られるな」
まだ油断はならない――――どころの話ではなかった。
白い機体を中心核とした空間に、目には見えない、濃密な警戒と闘気の網が敷かれる。
踏み込んだ者を、容赦なく狩り伏せるという心構えが生み出す領域。
瞬は、それを知っている。
「まあいいか……ここで君を倒せば何の問題も、ないのだからね」
父と、祖父と、彼等に師事する門下生達と、そして兄と。
強者と呼ばれる人間と剣を取り相対したときに、第六感が捉えるモノ。
眼前の男もまた、熟練の戦士として、当然のようにそれを張り巡らせることができた。
破裂しそうなほどに膨れあがった戦意の中、男は静かに問う。
「やり合う前に、聞いておかねばならない事がもう一つだけあった。私が操るこいつの名は、『エンベロープ』という。君も聞かせてくれないか、そいつの名前を。そのくらいは構わないだろう?」
「セイファートだ」
「セイファートか……しっかりと記憶に刻ませてもらおう」
「オレを倒せば、そのまま神奈川か?」
「そうなるな。あそこを攻略できれば今後の侵攻が大分楽になる」
「……また大勢殺すのか」
「結果的にはそうなるだろうね。そこに主眼を置いているわけではないが」
「クソだな、あんたらは」
瞬は、迷わず言い放つ。
そして、顔の表面が激しき熱を放つのを感じ、自分の表情が怒りに染まっていることを初めて知る。
「オレさ……正直言って、正義感とか全然ない奴なんだぜ。それが理由でパイロットになったわけじゃねえんだ。だけどさ、あんたの、そのふざけた態度を前にして、こいつはブチのめさないといけないって、本気でそう思った」
「ふざけてなどいないさ、私は本気だ。私だけじゃない、オーゼスの皆が本気でこの戦いに取り組んでいるよ」
「その目的が何なのかはわからねえが、じゃああんたらはどう思ってるんだ。その為に、大勢の人間を殺す事に対して」
「主眼を置いてないと言ったはずだよ。そこは、目的達成の上で“どうでもいい”」
「……そこが、最高にクソだっていうんだよ!」
犠牲となる人間に対して何も感じることがないという、究極の邪悪。
謝意はおろか、そもそも人を殺したという事実にさえ目を通さないその在り方は、瞬にとって到底許せるものではない。
今ここに、世界の未来がどうこうといった背景的事情だけではなく、人間としてのシンプルな感情的にも、戦う理由が生まれる。
「君のテンションも上がってきたところで……それでは、そろそろ始めようか。いやあ、メテオメイルが相手だなんて、ワクワクするなあ」
「……その余裕扱いたツラを、今に引っ剥がしてやる」
瞬がそう言い残した直後、エンベロープとの間にあった通信回線は途切れる。
こちらの通信を盗み聞きする趣味はないということだろう。
ただの人間は虫退治のように殺していくが、同格の相手と戦う際にはフェアプレーの精神を見せる、そのスイッチの切り替え具合がまた、瞬の怒りを買った。
直後――――セイファートとエンベロープ、2機のメテオメイルは、機械の瞳で激しく睨み合う。
それは、互いに互いを攻撃対象として認め、これより全身全霊を以て撃破に臨むという、鋼鉄の意思表示である。
歴史上初の、メテオメイル対メテオメイルの戦闘。
否、他の一切が介入できない超常兵器同士の勝負という意味では、それは決闘と呼ぶに相応しい。
これから始まるのは、凄まじい攻撃の応酬を孕んだ激戦か。
それとも、他の兵器戦がそうであるように、味気なく呆気ない決着か。
腕の差はあれど、しかし定石は無く、これから何が起きるのかは誰にも想像することは出来ない。
睨み合いが開始されてからちょうど10秒が経過した後、2体のメテオメイルは、何か合図があったわけでもなく、同時に行動を開始した。
「すぐに仕掛けてこないのは有り難いが……!」
初手は、両機ともに移動。
セイファートは急速下降、エンベロープは急速上昇。
HPCメテオによって増幅された膨大なエネルギーによるスラスター出力によって、距離は一気に数百メートルと開いていった。
「さてどうするか……ってのは、オレが考えなきゃいけない領分だな」
『さすがに、こちらからでは完全に状況を把握できるわけではないからね……。だが搭載武装についての情報なら、教えられない事もない。悠長に全部を説明している暇はもうないだろうから、モニターの邪魔にならない所に簡易データを一括で並べておくよ』
「助かる!」
セリアがそう告げてからすぐに、モニターの左側にセイファートの武装一覧のリストが並ぶ。
左腰部アーマーに取り付けられた二つの鞘には、長短二振りの日本刀『ジェミニソード』。
先程も使用した、切り替え無しのデフォルトで発射可能な火器として登録されている、胴体内蔵型の大型バルカン砲。
後頭部から伸びるブレード状の大型パーツを内部炸薬で射出する、ワイヤー接続型の刺突兵装『シャドースラッシャー』。
両肩から伸びたブレード状のパーツを組み合わせ、ブーメラン型の武器として投擲する『ウインドスラッシャー』。
いずれも、メテオメイルのバリアでは相殺しきれぬほどの高威力を実現させた超兵器である。
現在使用可能なのは、以上、四つとなっていた。
リストはまだ下に続いているが、どうやらまだ未完成・非実装であるらしく、項目そのものが暗い。
瞬は、四つの武装を一瞥して浮かんだ感想を口に出す。
「なあ……よくわかんないから推測なんだけどさ。この機体、かなり近い場所までしか攻撃できねえんじゃねえの」
『そうなるね。セイファートは元々、近距離戦がメインで、どうにか中距離まで対応できる機体として開発されたから』
「あのエンベロープみたいに、レーザーとかで遠くから攻めるとか、そんなのは……」
『残念ながら、ない。軽量かつ可動範囲の広いメインフレームを作るために、火器も極力排除するしかなかったと聞いているよ』
「それってつまり……!」
言いかけた最中、上空からレーザーライフルが何度も降り注ぐ。
幸いにして全てが殆どが命中には至らなかったが、一発だけ、脚部を掠め、装甲表面を蒸発させる。
「くそっ……!」
モニターに表示される被弾箇所、及び損傷の程度を表わすウィンドウの上では、まだ軽傷といえたが、とうとう攻撃を受けてしまったという恐怖は瞬の精神に長くこびり付く。
「まともにダメージを与えようと思ったら、奴に目一杯近付くしかないって事かよ……!」
瞬は今更、セイファートの操縦マニュアルに記載されていた機体の運用コンセプトを思い出す。
セイファートに求められたのは、どのオーゼス製メテオメイルをも上回る圧倒的機動性。
常に敵機を翻弄しながら戦う、疾風の如き変幻自在の高速機として開発が進められてきたのだ。
コンセプトを実現する具体的な方策は、全身の極端な軽量化と、極めて人体に近い反応速度と可動範囲を実現したメインフレームの採用。
これにより、四肢や背部に武装を積載するスペースが全くといっていいほど存在しなくなってしまい、比較的軽量な斬撃兵装をメインに採用する結果となってしまっているのだ。
しかも当然ながら、装甲も薄く脆い。
簡潔に纏めると、使いこなせば相手に反撃の機械を与えぬほどの凄まじい強さを発揮、そうでなければ射程や防御面に不安を抱えた欠陥機という、非常にピーキーな仕様というわけだ。
もっとも、それも機体が完成していればという一文が付く。
装甲の一部を欠いているセイファートでは、空中戦こそ行うことはできても、まだ本来の空力を得ることはできない。
他の陸戦型メテオメイルはともかく、空戦に特化したエンベロープには一歩及ばないだろう。
だが、負けている要素が多いからといって、このまま大人しくしているつもりは瞬にはない。
勝利とは、与えられた材料の中から策を作り上げ、自ら掴みに行くものである――――そう、これまで散々教えられてきたからだ。
「待てよ……スピード重視ってのはあっちも同じなんじゃねえのか」
『確かに。あの機体、ここまで同じ武装しか使っていないね。先程の会話の間に得られた外観データからすれば、セイファートと同様、武装が内蔵できるような箇所はあまりない。機能のほとんどを推進力の強化に費やしているはずだ』
水平方向の加速を開始し、遠方より次々と降り注ぐレーザーライフルの雨から逃れつつ、瞬はふと、思いつく。
それには、セリアも同意見のようであった。
「だったら、無茶な接近もありか」
『確定情報ではない、という事は留意しておいて欲しいけどもね。こちらがそう判断して接近してくるなら、的にしやすい――――そう思っているかもしれない』
「どの道、行くしかねえだろ。セイファートの武装的には。覚悟を決めるしかねえ……! ところでセリア、さっきマニュアルで見たんだけどよ、この“S3”ってシステムは、まだ使えないのか?」
『起動自体は可能だと思う。だけど、今日初めてセイファートに乗った君では、動作が不安定になることも否めないね』
瞬が口にしたS3とは、その正式名称を『Sprit Sympathy System』という、連合製メテオメイルに搭載された操縦補助機能の事だ。
パイロットから放出される精神波は、本人の思考をも特殊な信号として取り込んでいる。
これを機体内部に存在する受信機で捉え、ノイズ処理を行った後に機体の中枢部へと伝達、そのまま機体の操縦系統に反映させるのがS3なのである。
これを用いれば、複雑なレバー、スイッチ類の操作を思考一つで賄うことが可能となり、実質的な反応速度が大幅に向上する恩恵がある。
だがこれは、素人が即座に機体を操ることができるようになるシステムなどでは、無論ない。
むしろ存在意義としては、その逆。
どの箇所をどのタイミングでどう動かすという、明確なイメージがあってこそ真価を発揮するものだ。
その際必要となるのは、機体構造への深い理解。
知識が圧倒的に不足している瞬では、自身のイメージと機体の動作、その不一致が起こることは間違いない。
その理屈は、なんとなくではあるが瞬にも納得がいく。
しかし、素人が実戦に放り込まれたからこそ、S3の使用に意味があると瞬は確信していた。
「普通の操縦だって逐一説明聞かなきゃわからねえぐらいにすっとろいんだ。例え暴れ馬になったって、素早く動いてくれる方が、オレにとっては有り難い」
『それは、確かに一理ある意見だけれでも、オペレーターとしては推奨しかねる。司令は……』
『ここまで、既に呆れるほどの無茶を積み重ねてきている。今更安全牌を切れなどと言っても遅い。瞬、お前が必要だと思うのなら、迷わず使え。その決断を咎めることはしない』
ケルケイムは、瞬を見据えてそう答える。
開き直ったのか、それとも瞬やセイファートの能力を信じているのか。
ともあれ、頭ごなしに止められるという事はなかった。
ならば、もう迷うことはない。
瞬は詰め込んだ知識の中にあった、S3を起動させるためのサイドレバーに手を掛け、一気に引いた。
それから数秒の後、S3が起動に成功したという表示がモニターに浮かび、コクピット内部に響く計器類の作動音にも、全く新しい何かが加わる。
そして――――二度三度、自分の掌を動かし、それがモニター越しに見えるセイファートの腕でも再現されているのを確認し、瞬の口元に笑みが浮かぶ。
「すげえ……! 全然遅れずに、そのまま機体を動かせるじゃねえかよ……!」
『普通は、こうまではいかないはずだ。……どうやら、お前の想像力と集中力が、こちらの想像を大きく上回っているようだ』
「そりゃあ、精神統一みたいなのは嫌と言うほどやらされてきたからな」
『だが気は抜くな。イメージの精度を高めやすいのは人体と共通する部位だけだ。スラスターや内蔵武装などは手動操作で固定しろ』
「了解……ともかくこれで、今までよりはまともに戦えそうだぜ」
手足を使って行う作業量は、これまでの約半分程。
加えて、セイファート本体だけならほぼ自在に動かせるようになったとあれば、勝機は僅かだが見えてきた。
セイファートの、人体を可能な限り再現したメインフレームと、扱い慣れた武器であるジェミニソード、そしてS3。
飛行している事以外は、ほぼ生身の感覚で戦えるようになったというわけだ。
「さあて、そろそろこっちからも仕掛けるか。……行くぜ、セイファート!」
瞬はレーダー表示を二次元モードから三次元モードへ切り替えると、セイファートを百八十度転身、未だ上空から攻撃を仕掛けてくるエンベロープを目指し、急上昇させる。
程なくして、モニター越しの肉眼でも上空彼方にエンベロープの姿を確認することができた。
こちらの接近に気付いたエンベロープは、距離を取りながらレーザーライフルによる迎撃を開始。
だが、砲口がこちらを向く前に、セイファートは射線から逸れる。
相手が腕部を動かすのを確認してからでも、十分に事前回避が成立――――この超速反応こそ、S3起動の効力である。
先程までとはまるで動きが異なることにあちらも気が付いたのか、ここでエンベロープは新たな武装をセイファートの前に晒す。
両肩の巨大モジュール各部の装甲が展開し、そこに収められていた数十発のミサイルが同時発射、一度左右に分かれる軌道をとった後に、セイファートを狙って豪雨の如く飛来する。
「この数……! だったら!」
エンベロープに向かって加速している手前、回避のために方向転換して再加速する時間的余裕はない。
そのため、瞬は逆噴射をかけながら大型バルカンで対処するが、しかし全てを撃ち落とすのは至難の業。
そこで、瞬はセイファート第二の武装にて対応する。
両肩に装備された黄金に輝くブレード状のパーツを取り外し、そして後端部同士を連結することで完成する、おそろしく鋭利なブーメラン――――ウインドスラッシャー。
これを掴み、全力で振りかぶった後、投擲。
高速回転する斬撃輪となったウインドスラッシャーは、セイファートの手前の空間を、円を描くような軌道で幾度も周回、襲い来るミサイル全ての撃破に成功する。
パーツ内部にS3技術が応用されたウインドスラッシャーは、よほど無茶のある軌道でさえなければ、パイロットのイメージを再現して飛ぶ。
本体の位置情報を計算して自動帰還したそれを受け止めると、瞬はもう一投する。
今度は、攻撃のために。
そして直後に、セイファートを加速させ、エンベロープとの距離を詰める。
おそらく単発の攻撃だけは、いつまで経っても勝利に届かない。
故に、ウインドスラッシャーを直接命中させようという意図は、最初からなかった。
軌道は、自力で本体まで帰還できそうな限界の距離まで、敢えて無駄に遠回り――――エンベロープの後方を通り過ぎるくらいに。
僅かでも、移動コースを絞り込むためにだ。
予想通り、ただの物理法則に依る軌道を取らないウインドスラッシャーを警戒し、エンベロープは減速、受けに回る。
この展開を、瞬は待っていた。
瞬が、そしてセイファートが得意とする、近接戦にようやく持ち込めるのだから。
三機が存在する連合製メテオメイルの中で、瞬がセイファートのパイロットに選ばれた最たる理由でもある、斬撃兵装ジェミニソード。
通常の日本刀をそのまま全長三十メートル超のメテオメイルが持つに相応しいサイズまで拡大したそれは、瞬との相性という点で言えば、如何なる火力を持った武器よりも優れている。
左腰部アーマーに取り付けられた鞘から、瞬は長刀を一回で見事に引き抜き、両手で柄を握り込む。
「こいつで、ぶった斬る!」
風岩流剣術には、あらゆる状況下において敵を斬撃のみで打ち倒すため、百にも及ぶ実戦的な“技”が存在する。
その内、瞬が習得している技は、容易なものから順番に三分の一という程度だが、いずれも深い集中を必要とせずに放てるという、今この場において最も重要な条件を満たしていた。
セイファートがエンベロープに肉薄する直前――――瞬は中でも基礎中の基礎、後に続く九十九の技を習得する上でも必要な、全ての基本形となる一撃を叩き込むことを決定する。
「一式、“透迅”」
本来は突きの効率化のために用いられる、腕を捻り切っ先を下方に向けた上段構え――――西洋剣術でいうオクスの構えから、高速で“体勢を崩す”ことで斬撃に派生させる、無限の可能性を秘める初歩。
寸前で大きく傾いたセイファートより繰り出される、透き通るように迅い、相手の防御を潜り抜ける横薙ぎの一閃は、エンベロープの両腕を易々と斬り落とした。
おそろしく滑らかな切断面が露出するのも束の間、爆炎が噴き出し、両機の間の視界が塗りつぶされる。
エンベロープがこの間も動くことを止めないのは瞬の誤算であり油断だった。
「まずい……!」
エンベロープの左足爪先に仕込まれた、刃渡り一メートル程の分厚い刃、高速震動カッターによる蹴り上げを受け、コーティング・バンテージで保護されていたセイファート右上腕部のエネルギー供給経路が破損する。
更に、追い打ちをかけるように、体勢を捻るようにして放たれた右足の高速震動カッターがセイファート右脚のスラスターに突き刺さる。
全身のスラスター総数を考えれば、まだ墜落するほどの重大なダメージではないが、最高速度は更にダウンする。
その上右腕までもが使用不能。
絶対説明の状況下に追い込まれ、目前に迫った死を前に呆然とする瞬。
だが、エンベロープはそのまま距離を取った後、再び通信を持ちかけてくる。
「今日は、この辺でお開きにする……というのはどうかな? 本当は決着がつくまで続けたかったんだが、残念なことに攻撃手段のほとんどを失ってしまった」
あくまで自分の事情か。
それとも、こちらの状態も含めた発言か。
男の腹が立つほど落ち着いた声色を考えれば、後者だろう。
セイファートにはまだ左腕が残っているが、今のコンディションでは、もはやエンベロープの速度に追いつくことは不可能だ。
機体の損傷、初戦闘という状況そのもの、そして緊張と肉体の酷使による極度の疲労、そしてこのまま継戦した場合の敗北する可能性、全ての要素が瞬に男の提案を呑むことを要請してくる。
「そうした方がよさそうだな。むかっ腹は収まってねえがよ……!」
「何をそう苛立つ事があるというんだい? 君は、初めてオーゼスのメテオメイルとまともにやり合い、そして撤退に追い込んだ。英雄と呼ばれるに相応しい結果だ。皆が君を讃えてくれるさ」
「……そういうのが、敵であるあんたの口から出てくるからだよ。この引き分けを、悔しいともなんとも思っていやがらねえ」
「大人はこういうものさ。年を取るにつれて、本気で怒りや悲しみを覚えるということがだんだんと
減っていく。だけど、君のせいで任務が失敗がしたのにあまり気落ちしていないのは、それが理由ではないよ」
「…………」
「君のように、面と向かって感情をさらけ出せる人間に会うのが久しぶりだったからね。その若さに対する羨望が、マイナスの感情を上回ったのさ。……では、また何処かの戦場で会おう。その時を楽しみにしているよ」
言うなり、エンベロープは堂々と背を向け、水平線の彼方へと飛び去っていく。
バルカン砲の残弾はまだあったが、どうせ撃墜には至らないと踏んで、瞬はただ、夕日に照らされ輝く装甲を、忌々しげに眺めることに徹した。
「……どこまでも、どこまでもふざけた野郎だ」
機体のレーダーが完全にエンベロープの反応をロストしたのを確認すると、瞬は、緊張の糸が途切れて崩れ落ちる体をどうにかシートに預けるようにして、その一言を絞り出した。
『よくやった。初めての戦闘で、これだけの結果を……無論、手放しで褒めるわけにもいかない内容だったが、しかし見事という他ない』
「オレも、本当ならそう思ってたんだろうな、今頃は」
瞬はケルケイムに、息も絶え絶えにそう返す。
人類を破滅に導く悪の軍団を、連合が開発したスーパーロボットで撃退。
自分が求めていた通りの結果であるはずなのに、まるで喜ぶ気が起きない。
そもそも、本当は引き分けですらないのだ。
メテオメイルについては詳しくないが、こと真剣勝負においては、数えきれぬほどの回数を重ねてきた瞬には、断言できる。
エンベロープの男は、どうみても手を抜いていた。
相手が素人の子供と知ったせいか、メテオメイル同士の戦いを長く楽しみたいが為か、或いはその両方か。
そうでなければ、あのレーザーライフルの異常なまでの命中率の低さは説明出来ない。
あんなものが、相手本来の技量であるはずがないのだ。
言ってしまえば、接待。
オーゼスにとって圧倒的有利な現在の流れが気に入らず、ついには花を持たせるまでに至ったというわけだ。
「ナメやがって、クソ大人が……!」
掠れた叫びと共に、内壁に全力で拳を打ち付ける。
それが、この日の瞬の、最後の記憶となった。