表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/229

第34話 風岩の門

 分不相応な高き理想を実現するために積む、途方もない研鑽。

 それは時として、果てしなく続く長い階段を上る事に例えられる。

 もっとも――――風岩瞬の場合において、その表現は単なる比喩の範疇に収まらない。


「ヴァルクスで結構鍛えたつもりだったが、流石にここを、平気で“登れる”、までじゃねえな……! 体力はともかく、膝に、くる……!」


 瞬が歯を食いしばりながら歩を進めているのは、どこまでも一直線に伸びる苔むした石段だった。

 両脇と頭上は濃密な山林で鬱蒼としており、全域に渡って日中とは思えない暗さに包まれている。

 当然ながら空気も冷えきっているのだが、肌寒さは、この石段を登る者にとってはほとんど関係のないことである。

 何しろ、距離が余りに長大でありすぎた。

 初めてこの場所を訪れる者なら、本当に終わりがないのではと錯覚してしまいそうなほど、幾ら歩けど見上げる先に何も見えてこない。

 それでも瞬が、ふらつく脚とは裏腹にある程度の精神的な余裕を持ち得ているのは、正確な段数を知識と身体感覚の両方に記憶しているからだ。

 合計でちょうど三千段、そして現在地は約二千四百段。

 あと十数分も進めば、ようやく目的地に辿り着くことができる。

 瞬は、ようやく微かに視界の上端から覗く出口の光を見て、思わず息を呑む。

 登り詰めた先にあるのは、他でもない己の生家。

 同時に、この時代においてはもはや殆ど存在しない実戦派剣術を謳う、風岩流の総本山。

 約三ヶ月ぶりの帰郷だが、懐かしさのようなものは感じない。

 遙かに勝る緊張感によって、掻き消されているからである。


「オーゼスをぶっ潰すまで二度と帰らないと決めてたんだがな……もう、そんな事は言ってられねえ。答えはこれ一つだけ。だったら腹を括って飛び込むだけだ」


 瞬は、一度は捨てた筈の故郷に帰ってきた。

 他ならぬ、自分自身の為に。

 灰泥の中から再起し、真の強さを掴み取り、勝利を手にする為に。

 待ち受けるあらゆる苦行に、耐えうる覚悟を決めて。



「我々は様々な面において、今後どうするか、という深刻な問題を抱えているわけだが……。とりあえずパイロット達に関しては、解決とまではいかないにしろ、それに近い流れには乗れたようで何よりだ。まさか、彼らが自発的に具体的な方策を提示してくれるとはね。こちらとしても大助かりだ」


 ケルケイムの執務室、その応接スペースに設置されたソファーへ体を預けながら、ロベルトはそう呟く。

 連日の外部業務を終え、ようやくラニアケアに戻ってくることが出来たために、その表情には安堵の色も濃い。

 出迎えたケルケイムは、作業を中断してひとまずロベルトに労いの言葉をかけようとするが、そんなことはいいとでも言うように、ロベルトが片手を小さく上げて制止する。

 それでも、ケルケイムは深々と一礼して感謝の意を表さざるを得なかった。

 ロベルトは元々、連合軍や政府、それに戦場となる地域との各種渉外を担当し、外部に出向くことは多い。

 が、今回の外回りは特に、方々へ頭を下げるだけの内容が大半であっただけに、ケルケイムとしても多分に申し訳なさがあったのだ。

 ケルケイムが、各メテオメイルの修理・調整作業や運用方針の見直しなどの内務に専念できているのは、結果的には無駄な時間を取るだけの汚れ仕事をロベルトが請け負ってくれているからに他ならない。

 その恩恵に与るケルケイムにとって、見合うだけの対価を提供することができない現状は忸怩たるものがあった。


「私も、二人の予想だにしない行動には驚かされました。これまでの独り善がりな態度から考えるに、その……」

「まるで反省の色を見せないか、ふて腐れでもして、パイロットを続ける意志を喪失してしまうと?」

「今では彼らに対する理解が不足していたと、深く反省しています。私が思っていたよりも遙かに、パイロットの三人は、お互いに良い刺激を与え合っているようです。支え合い……と呼べるほどの良好な関係ではないのでしょうが、少なくとも、自分だけが退くことを是としない程度には」

「理想的な関係というものは、何も堅苦しい仲間意識を持つことだけが最適解ではないよ。組織の人間が言うことではないがね……」


 ロベルトは苦笑しながら、持ち込んだノートパソコンを開いてケルケイムに対する報告書の纏めに入る。

 ケルケイムは大きく溜息を吐きたいのを堪えて、手元に視線を戻す。

 実際に目を通さずとも、各国の企業・団体から受けていた各種援助に、何かしら数字のマイナスという形で影響が出ていることは想像に難くない。

 敗北を喫するということは、とどのつまりがそういうことなのだ。

 結果を出せない者に協力を惜しむ思考様式は、例え瀬戸際に追い詰められた戦況でも変わることはない――――ここ一年の連合内部における揉め事ごたごたで、ケルケイム自身が嫌と言うほど味わった実情である。

 とはいえ、ロベルトが関わった仕事ならば、その数字にしても最大限の誠意と老獪な駆け引きが払われた上での結果に違いない。

 損失を可能な限り抑えられたと考えれば、多少は我慢もできるというものだ。


「正直なところ、私も感心してはいるよ。彼らの年頃で、自分の非を素直に認めるという事は中々に難しい。切羽詰まった状況のせいもあるのだろうがね」

「直視できることも、そうさせてくれる相手と巡り会えることも、何もかもが羨ましいばかりです。私はその辺りの、運の巡り合わせが悪いという自覚があるので……」


 また自分があれこれと謝辞を述べる悪癖を出す前に、ロベルトの側から話題を振ってくれたことに気付いて、ケルケイムは軽く頷く。

 昨日、瞬は意識が戻るなり、しばらくの間実家に滞在して、再び本格的に剣術の稽古を受け直したいと申し出てきた。

 それがあくまで、いずれどこかで役に立つかもしれないという漠然とした思いから出た言葉であったなら、思い留めるように進言もしたであろう。

 だが瞬は明確に、現在の自分に不足しているものを言い当て、何を嵌め込めばその穴を埋められるかまで自身の口から紡ぎ出した。

 動作の連続性、そして攻守の確たる切り替えと、それを実戦するために必要な、的確な間合いを計る審眼の習得。

 ヴァルクスの訓練施設とて、それらが学べぬ環境ではないが、身に付くのは“機体を動かすための技量”に過ぎない。

 剣術家としての実力が付くわけではないのだ。

 そうした意味では、瞬の提案はこの上なく理に適っている。

 三機の連合製メテオメイルの中で、特にセイファートは、操縦者が本来持つ技能が色濃く反映される機体である。

 生身での経験がより高度であればあるほど、各段にその強さは増す。

 瞬がこれから如何様な修行を積むかは不明だったが、ものに出来さえれば、シミュレーター訓練と比較して、まさに壁一枚向こう側の世界へ至るであろう。

 そう、ものに出来さえすれば――――

 ここまでは、所詮は理屈。

 厳しい鍛錬を行うにしても、成長できるかどうかの保証などはない。

 それが短期間での話なら尚更である。

 とはいえ、自分では関わることのできない領域である以上、そこは瞬達の潜在能力に期待するしかない。

 ケルケイムのやるべき事は、一刻も早いセイファートの修復と、そして技研をせっついての更なる強化計画の進行である。


「まだ全ての要素が揃っているわけでないため、完成は次戦どころかさらにその先となるでしょうが、『プランB』は出来るところまで確実に詰めておきたい。あの三人を、これから現われるであろう更なる脅威から護るためにも」


 自分が誰の理解者にもなれない不器用な人間であることは重々に承知している。

 死なせないという、確かな貢献に全力を賭すと、ケルケイムは元より決めていた。



 神奈川の北西部に広がる、県面積の実に六分の一、四百平方キロメートル以上の広さを誇る丹沢山地。

 風岩家は、その奥深く、西丹沢と呼ばれる区域に存在する。

 周辺地域の開発は二十一世紀初頭から一向に進まず、最寄りのバス停留所ですら約十六キロメートルも離れている。

 その停留所にしても、バスが通過するのは朝と夕方の二本のみという始末で、公共の交通機関によるアクセスは極めて困難。

 そして、敷地内に辿り着き最初の門を抜けたところで、件の石段が通る者の精神を折りにかかる。

 それら、徒歩にして約二時間の関門を抜けてようやく、本家邸宅と道場、それに門下生用の平屋が並ぶ大屋敷が姿を現すのだ。


「お願い、します……! どうか、オレを……再び、風岩の一門に、加えて頂き、剣術の、ご指導、を……!」


 十六畳もある広い茶室の中、瞬は畳に頭を擦りつけて懇願した。

 激しき屈辱の業火に、心を焼き焦がしながら。

 正直に言って、完全に想定の外であった。

 舐めきっていた――――否、知る由もなかったのだ。

 憎き相手に頭を下げるということが、ここまでの狂おしき惆悵ちゅうちょうをもたらすなどとは。


「ただのトレーニングじゃ、駄目なんだ……それ以前の問題だったんだ。もっと根本的な部分での強さが、オレは欲しい。その為には、ここで、鍛え直すしか、ねえんだ……!」


 数歩先で構える、現当主にして総師範である雷蔵に対する怯えはない。

 なのに、視界は歪み、声は激しく震え、筆舌に尽くしがたい焦熱が全身を襲う。

 自尊心をねじ曲げて他人に謙る、その余りにも耐え難い辛苦によるものだ。

 改めて稽古をつけて貰えるようになるのならば、表向きの土下座も謝罪も、それらしい演技を付け加えた上で幾らでもやってみせるつもりだった。

 だが、そう軽い気持ちで考えていた数刻前の自分を、瞬は激しく呪う。

 茶室には、他に角刈りの大男――――父である晃蔵も同席し、静かに事態を見守っている。

 同じ醜態にしても、スラッシュや霧島に対する敗北などは小鳥の囀りのようなものである。

 家族の前で直に、ただの風岩瞬として無様な姿を晒すという、この釜茹で地獄に比べれば。

 奥歯が砕けんばかりに力強く食いしばり、せめて己の口から発するものが嗚咽に変わらぬよう、ただ、耐える。


「まるで蛙の鳴き声よの」


 微塵も情に絆されることなく、雷蔵は目を細め、極めて的確な形容を平然と言い放つ。

 当主としての厳格な差配が求められる雷蔵に、元より淡い期待など抱いてはいなかったが。

 そもそも、これほどまでの冷ややかな応対とは、という感想を抱くことすら大きな誤りなのだ。

 家族の縁を切っても構わない、席次から除外しても構わない――――

 そう豪語して家を飛び出した完全な落伍者である自分は、その“これほど”に十分該当するのだから。


「この時期に泣き縋ってくるという事は……成程、やはり剣を振るう巨人の操縦者はお主であったか」

「そうだ……オレだ。オレが、セイファートのパイロットだ」


 箝口令が敷かれていた内容ではあったが、兄から送られてきた手紙にしても大凡を察した上での文面であったため、瞬は濁さずに答える。

 親族の大半も、その立ち回りから、もはやセイファートを操っているのが風岩に連なる者であるという確信は持ち得ているだろう。


「拙い技を披露するだけならまだしも、手も足も出ずに惨敗するなど実戦派剣術の名折れじゃわい。夏の会合が、今から気が重いのう」

「恥さらしな真似をした事については、幾らでも謝るさ。今は返事だけ、聞かせてくれ」

「返事も何も……大体だな、瞬よ。それは他人にものを頼む目つきには程遠いな」

「…………!」


 付近に鏡はないため瞬自身に確認することはできなかったが、雷蔵の顎元を僅かに捉える眼は、おそらく随分と殺意と怨恨に充ち満ちたものなっているのだろうという確信はある。

 だが、こればかりは意識的に変えることもできない。

 恭順するだけの意志無き傀儡くぐつには成り下がるまいとする、深層心理の最後の抵抗なのだから。


「目先に吊り下げられた餌に釣られ、家を飛び出し、己の至らなさを思い知り、また安易に風岩の門戸を潜る……そしてさも理不尽な恥辱を受けているようなその素振り。愚かの極みと言うほかない」

「極みじゃねえ。少なくとも、こうして戻ってきたんだからな……!」


 嘲笑う雷蔵に、瞬は血走った瞳を向けた。

 今の言葉は、減らず口ではあるが、事実でもある。

 誹りを受けると知って尚、こうして頭を下げに来た、その覚悟だけは認めて欲しかったのだ。


「あの時、儂の放った言葉は覚えていような? お主は既に余所者。風岩の姓は持てど、既に風岩の一員ではない。貴重な時間を割いてまで、価値ある技術を教える義務は些かもないという事じゃ」

「今の戦況がどうなってるかぐらいは……わかってる筈だ。次で早速日本に攻め込まれたっておかしくない大穴が、開いちまってる」

「自分に稽古を付けねば世界が滅ぶ、か。お主は誠に、大義名分だけには恵まれておるのう。その理屈を翳せば、確かに何もせぬわけにはいくまいて」

「お父さん、それくらいにしてあげて下さい。現当主として、仕来しきたりに対して何処までも牢固であれというお考えは理解できますが……」


 横から入ってきた、毅然とした態度で放たれた父の言葉に、瞬は多少は救われる。

 実子であるというのが最大の要因ではあろうが、雷蔵に対し従順すぎることもなく、かつ合理的な思考も持ち併せる、一族の中では数少ない“話のわかる”人物である。

 如何なる場合においても、味方ではない代わりに敵でもない。

 助けになるかどうかは五分の存在であったが、どうやら今回は、なるようであった。


「確かに、瞬がよく考えもせずにロボットの操縦者となったのは、突飛な行動ではあったと思います。ですが現に、瞬は少なくとも三度、人類が命を繋ぐことに貢献している。至らないのなら、至らないなりに。日本がまだ何の被害もなく済んでいるのは、その恩恵でもあるでしょう」

「だからと言って、こやつが家を捨てたことに変わりはない」

「それを個別の問題として考えるのならば、瞬がこれまでに挙げた成果もまた、切り分けて考えるべきでしょう。我々は、瞬を一方的に責めるだけの立場にはない、という事です」


 よく言ってくれた――――

 以前として伏したままの瞬は、心中で握り拳を作った後、無上の感謝を父に送る。

 このまま雷蔵の罵倒が続けば自分の口から叩きつけてやりたかった台詞ではあったが、それは押しつけがましい真似でもあり、ますます雷蔵の反論を許す材料にもなる。

 晃蔵の意見は、瞬の我慢が切れかける絶好のタイミングで行われた援護射撃であるということだ。


「相応の温情はあって然るべきではないでしょうか、お父さん」

「手柄を持ち込めば、狼藉を相殺して放免という考えは、儂は好かん。その理屈を持ち出せば、過程の看過が罷り通るぞ。それでどうにかなるという浅はかな思慮しか持たぬ阿呆に、譲歩はできぬ」

「ですが……!」


 晃蔵の説得も虚しく、雷蔵は猛禽の如く鋭い眼差しを瞬に向けたままだった。

 しかし、ここで瞬は気付く。

 その瞳に宿る色が、純然たる冷徹であることに。

 先程までの厳かな怒気は鳴りを潜め、へと戻っていたのだ。


「じゃが、風岩家の総当主として、斯様な事態は見過ごせぬ。あらゆる敵を退けてこその実戦派剣術。最も愚かな選択は、当流の負け姿を俗世に晒したまま終わる事だといえる。それが、とうに縁なき者のしでかした蛮行だとしてもな」

「お父さん、それはつまり……」

「しかも前回の相手はなんじゃ。銃弾の雨でも受けたのならばいざ知らず、つまらぬ外法使いと仇敵たる合気使いではないか。そういう輩にこそ勝たねばならぬのではないか、儂ら剣術家は。あのような者共に、苦節七百年の伝統を汚されてなるものか」


 継いで、面を上げろと言うように、雷蔵は微かに顎を上向きにする。

 瞬も、雷蔵の物言いが何を意味するのかに気付き、胴ごと跳ね上げさせた。

 己の意向を曲げぬまま、避けて通れぬ問題に対処するためには、“そういうやり方”もあるということだ。

 こうした知恵の使い方もできる側面は、流石は自分の祖父であると、妙なところで瞬は感心する。

 最初からそういう腹づもりであったか、或いは自分の態度や父の言葉に心打たれてか――――そんな事はもはや、どちらでも構わない。

 ただ、頭の固く融通の利かないという人物評には、多少の訂正の必要があるようだった。


「瞬よ、お主の軽々しい一門からの脱退は未だに許してはおらぬし、懇願など聞いてもやらぬ。しかし、今後も操縦者として戦い続けるというのなら、風岩家の名誉回復の為、少しばかりの技術教導をやってやらんでもない。全くの、こちら側の都合な。断じて、お主の身上を慮っての返答などではない」

「それでも全然構わねえ。ここで剣が振れるのなら、それだけで……! ありがとう、ございます……!」


 今度は理性と本心を一丸にして、頭を下げる。

 目には目を、歯には歯をを信条とするが為に、誠意には誠意で返す。

 どう言い繕っても、大した罰則もなく出奔者を再度受け入れたという事実は、大なり小なり体面の上では傷が付くであろう。

 そうした不利益を考慮に入れても尚、雷蔵は家族会議にまで話を広げることなく、この短時間で即座に決断してくれた。

 そして何より、嫌味は散々並べど、もう以前のように“パイロットに向いていない”とは一言も発しなかった。

 命を張ることの重みと、己と世界に正しく向き合う眼。

 唾を飛ばす勢いで忠言してきた、その二つだけは確かに身に付けてきたものと、認められていると信じたかった。


「いいじゃろう……ならば、覚悟せい。この家に、部外者をいつまでもは置いておけぬ。すぐに叩き出せるよう、一級の腕前を持つ門下生でも音を上げかねぬ、過酷な修練の数々を大波の如く流し込むまでよ。それに耐え抜いたところで誰の背も越せぬじゃろうが、ある程度の形にはなるかもしれぬな」

「異存はねえさ。なんたって、その“形”が欲しくて、オレはこんな真似までやってるんだからな」


 瞬は残った涙を拭き取ると、不敵な笑みを浮かべて答えた。

 これでようやく、更なる高みへと続く最初の一歩が踏み出せる。

 足りぬものを補完し、伸ばせる部分は伸ばすため、瞬は既に、シミュレーター訓練ではどうにもならなかった数百もの技術面での停滞箇所を洗い出し、質問事項としてリストアップしてある。

 あちらはあちらで自分を地獄の底に突き落とす算段であろうが、こちらもまた無限の問いにて疲弊させてやるまでだ。


「一意専心、頑張らせてもらうぜ。風岩流あんたらの技と信念、この余所者オレがたっぷりと奪い取ってやるからな……!」

「その大口も、いつまで叩けるか見物じゃのう。これまで課してきた鍛錬とは比較にならぬ荒行が来るものと、せいぜい肝に銘じておけ。お主の穴だらけの地金を埋めるには、これでもまだ足りぬのじゃがな」


 雷蔵の言葉に、また別の緊張が瞬を襲う。

 だが――――全ては、前に進むために。

 その一言で、今更のようにやってきた不安も乗り越える。


「修行は昼過ぎから始める。今の内に飯を掻き込んでおけ。まともに喉を通る内にな」

「オレは今からでもいいぜ?」

「虚けが……生憎と、儂はお主にだけ構っていればいい立場ではないのでな。道場の方にも顔を出さねばならん。お主に付いてやるのは、一般の門下生に一頻り指示を出し終えたその後じゃ」

「ああ、そうか……じゃあ、とっとと何か腹に詰めて準備運動でもしとくわ」

「待て、瞬。その前に一つ、尋ねたいことがある。極めて大事な問いじゃ」


 そう言って、立ち上がり台所に向かおうとした瞬を、雷蔵が呼び止める。

 晃蔵もまた、同じタイミングで瞬を静止しようと腰を上げていた。

 だが、これから飛んでくる、おそらく同一の内容であろう二人の質問に、瞬はどう答えたものかわからなかった。

 知った事ではない、と言い返したい気分でもあったが、しかしここまで一切言及することなく放置してきた自分にも責任の一端はある。

 そう結論付け、瞬は観念の意味も込めて、仕方なく呆れの溜息を吐いて足を止めた。


「……何だよ、爺ちゃん」

「後ろに座っておる、包帯だらけの男は……誰じゃ」

「気のせいだろ。オレには見えねえよ、メッシュの入った茶髪のサングラス野郎なんて」

「おい」


 茶室の中に存在する、本当に風岩家とは何の関係もない、真の部外者たる四人目。

 その諸々の説明に三時間を要し、結果として、修行の開始も相応にずれ込んだのはまた別の話である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ