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第33話 インタラクション

「ぐっもーにん」

「ああ……?」


 ラニアケアの最後部に位置する病棟区画――――

 その一室にて、瞬が瞼をゆっくりと開けると、右隣から、聞き慣れた物憂げな声がした。

 僅かに首を傾けると、そこには果物ナイフで器用に梨を剥く連奈の姿があった。

 途方もない空腹感と喉の渇きに苛まれている現状、その差し入れは有り難い――――と、瞬は感謝の意を込めながら手を伸ばす。

 が、剥き終わった梨はそのまま連奈自身への口元へと運ばれ、しゃくりと小気味の良い音を立てた。

 気怠さを伴った瞳はそのままに、美味しさで頬を緩ませている様が何とも腹立たしい。

 結局、瞬は自分で水を飲みに行くため、身を起こすことにした。


「っぐ……!」


 しかし、背筋や足腰に奔る刺すような痛みが、瞬の体をベッドに縛り付けた。

 それもその筈、現在の瞬は包帯とガーゼと湿布で肉体の大半を覆われたミイラじみた様態であり、相応の容態なのだ。

 歯を食いしばりながら、瞬はもう一度全身に力を込めるが、今は上半身を起こすのが精一杯だった。

 そこまで傍観してからようやく、連奈は手品師の如く、背後に置いてあった水差しを取り出す。

 そして、コップになみなみと中身を注いで瞬に手渡した。

 常温に晒されていたため、かなりの温さであったが、今の瞬にとっては些細なことであった。

 連奈の意地の悪さに対する怒りも忘れ、水分が胃に染み渡る快楽だけを、ただ享受する。


「あと四時間で百時間睡眠の記録達成だったのに、惜しかったわね」

「四日も……?」


 驚くほどに長い時間、意識を失っていたようだった。

 放出する精神力の適正な量がわからず、過度に消耗してしまった初陣ですら二日の眠りで済んだというのに、今回はその倍。

 三十分にも満たない戦いの中で、尋常ならざる負荷が肉体にかかっていたことを物語っていた。


「戦闘での無茶もあるだろうけど、全力敗走レトログレードモードに限界まで精神力を吸われたことも大きいみたいね。今日の今日まで身動き一つしなかったくらいの衰弱っぷりだったわ」

「……この怪我、どれくらいで治るって?」

「さあ? でも、一般病棟にいるあたり、その程度ってことでしょうね。全身、ひどい打撲と擦過傷だらけだけど、骨折や臓器への深刻なダメージはないって言われてたし」

「だったらいいが……」

「とはいえ、あれだけ頑丈なパイロットスーツを着込んでいながら、よくもこれだけ負傷できたものだと逆に尊敬するわ」

「……うるせえよ」


 そうは言ったものの、自分の体がどういった状態であるかを把握できると、不思議と先程までの激しい苦痛が和らぎ、全身をそれなりの自由さで動かす事ができた。

 むしろ苦痛ということであれば、これほどまでの手ひどい傷を負ってしまったこと、それ自体だった。

 スラッシュ・マグナルス、そして霧島優。

 相手の行動を徹底的に妨害する外道と、全てを受け流す超絶技巧の合気道。

 極まった二つの力を前に、瞬達は為す術無く、ただ一蹴されるのみに終わった。

 惜しいどころの話ではない。

 自分の磨き上げてきた技術も、鍛え上げてきた精神も、何一つとして敵わなかった。

 これ以上ない、完敗にして惨敗。

 否が応にも心に刻みつけられた辛い戦いの記憶――――そこから生まれ出た悔恨の毒痛は、四日という時間を以てしても、皮膚の内側に潜り込んだように体から離れようとしない。

 切られ、蹴られ、溶かされ、ひたすらに嬲られ続けただけの、もはや戦いと呼んでいいのかさえ疑問視したくなるほどの一方的蹂躙。

 とてもではないが、未来の英雄を志す者が見せてはならない醜態である。


「いい加減、目は醒めたかしら?」


 瞬が先の戦いの事を思い出し始めたことを悟ったのか、連奈は冷ややかに言い放つ。

 間違いなく、意識の覚醒のことではない。

 自分がここまで続けて来た、愚かなる現実逃避のことを指して言っているのだろう。

 上手く立ち回ることができない理由を、時には敵のせいに、またある時は味方のせいに、機体のせいにしたことすらあった。

 それらが全くの間違いであったなどとは思わない。

 だが、勝てない理由の大半は――――やはり、風岩瞬じぶんの能力不足。

 その辛辣な真実が、スラッシュ、霧島との戦いを以て暴かれてしまった。

 特定の攻撃のみに対策を取られていたならいざ知らず、その場で考えついたことさえ、ほぼ全てが完封されたとあっては、もはや言い訳の余地もないだろう。


「……醒まされたさ」


 瞬は俯きながら、答える。

 今となっては、エンベロープやシンクロトロンを相手にしたときの善戦が、状況や相性に恵まれた偶然の産物であり、ゴッドネビュラやスピキュール、プロキオン戦での実力こそが己の地金であったと納得できる。

 いや、様々な状況証拠からせざるを得ない。

 これまで自覚の寸前で堰き止めていた“反省すべきであった事項”という負債が、今になって決壊したダムのように脳内へと流れ込んでくる。

 ケルケイム、轟、連奈、セリア――――誰からも指摘されていたにも関わらず、意図的に思考から排除していた己の“薄さ”。

 瞬はこの期に及んでようやく、自身の持つ強みのなさに愕然とする。

 これまでに自分が実行した敵への対抗策といえば、セイファートの機動性を活かして、脇に背後に回り込んでという……要約してしまえば、ただそれだけのつまらない戦術。

 それ自体は有効であっても、そこから先を考えることができなければ、勝利という結果には繋がらない。

 正鵠を射ているかどうかは怪しいが、少なくとも理屈で自身の弱さを説明付けられる程度には、客観的視点で物事を俯瞰できるようになっている自信があった。

 もっとも、実力差の認識はさておき、現実的な期間の内に諸々の問題点を是正するビジョンはというと、まるで見えてこない。

 瞬の精神は、完全な停滞の中にあった。


「何が兄貴を超えるだ、何が英雄になるだ……全然足りてねえじゃねえかよ、クソ。ザマで、オレは、そんな大それた夢を見てたのか……!」

「わかってきたみたいじゃない」

「分を弁えなかった、その結果がこれか……」


 瞬は、結局何も掴んでいなかった、自分の掌を見遣る。

 或いは、手にしたにも関わらず即座に零し落としたのかもしれないが、どちらも同じ事だ。

 突けば崩れるような脆い信念に振り回され、成長どころか退化した可能性すらある始末。

 それは大凡において、多分、自分と共に敗北を喫したあの男もまた――――


「そういや、轟はどうしてるんだ」


 瞬は、一度固唾を呑んでから、連奈に尋ねた。

 アイデンティティを打ち砕かれた、という意味では自分よりも遙かに重傷であろう。

 土砂降りの中、轟が泥に塗れながら放った慟哭を、瞬は覚えている。

 戦うためだけに生き、勝利することだけを存在意義としてきたにも関わらず、牙の全てを叩き折られた獣。

 それほどまでに打ちのめされ、後には一体何が残るというのか。

 瞬の問いに、連奈は窓の外から吹き込んでくる気持ちの良い風を独占するように浴びながら答える。


「どうもこうも、しばらくは何もできないでしょうね。意識を取り戻すのはあなたより早かったけど、全身大火傷に加えて複数箇所の脱臼と骨折。自然回復じゃ完全には治らないから、ボルトだのセラミックだのも入れる羽目になったらしいわよ」

「そんなにひどいのか……。まあ、そうだよな。あれで無事って方がおかしな話だ」

「彼も彼で間抜けな負け方をしたものね、冗談みたいな合気道マシンにしこたま投げられた挙句。自滅だなんて」

「相も変わらず突撃してばっかりだったから、当然の結果だ。だけど、メテオメイルでああも完璧に投げ技を決めるなんて、想像しろって方が無理だろ。でも、場合によってはオレがああなってたかもしれねえから、あんまり馬鹿にはできねえな……」

「あら珍しい、ざまあみろという感想が出てくるかと思ったのに」


 勿論、共闘を突っぱねられた手前、連奈が言うとおりの心情でもある。

 向こうの手の内が不明であった初撃はともかく、相性が悪いと知って尚幾度となくプロキオンに挑み続けた轟の強情さに、擁護すべき点はない。

 だが、瞬自身もプロキオンに有効打を与えられなかった上、バウショックと一緒に戦ったところで勝敗が覆ったとも思えない。

 むしろ、どちらもスピキュールの煙幕や毒爪アシッドネイルの効果を受け、更なる悲劇を招いたことだろう。

 こうすれば良かった、という策を提案できない手前、手放しで馬鹿にすることはできなかったし、翻弄されたという意味では自分も同類だった。


「むかつく奴には違いねえが、それ以上に、同情してるのかもな。別に鍛錬をサボったわけでもないのに、“自分の使い方”を知らないせいで全く勝てねえあいつに」

「ふうん」

「……あいつは、けして勝てない奴なんかじゃねえんだ。腕っ節も、闘争本能も、他の奴より遙かに強い。オレだってそうだ、自分の努力の量が、オーゼスのおっさん共に劣ってるとは思えねえ。何かを、致命的に間違っただけなんだ」

「自分の欠点を認めようとしないところもそっくりだったわよ。頭がいいふりをするあなたと、頭が悪いふりをする北沢君……方向性はともあれ、やってることは全く同じ」

「そうかもしれねえな……。でも、こんなこと本人に言ったら絶対怒り狂うよな。『テメーと一緒にすんな!』って」

「……勝手に分析してんじゃねーよ」

「おあ!?」


 カーテンで仕切られた隣の空間から件の本人の声が聞こえ、瞬は仰天する。

 慌ててカーテンをめくると、そこには自分よりも更に手厚く、もはや遺体の如き入念さで包帯を巻かれた轟の姿があった。

 右手と左足はギブスを取り付けられた挙句バンドで固定され、凶悪な顔面も右目以外は眼帯と包帯で塞がれているという有様である。

 傷口はほとんど覆い隠されているものの、その厳重すぎる保護から、鳥肌の立つような痛々しさを感じるには十分だった。

 実際瞬は、醜く焼けただれた轟の姿を数日前に見てしまっている。


「あら、起きてたの北沢君。さっきまで瞬と仲良くうなされていたからまだ眠っているかと思ったわよ」

「テメーらの声がうるせーからだろーが……! つーか、うなされてもいねーし仲良くもねーよ」


 やはり喉の内側まで焼かれていたのか、轟の声は依然としてかなり涸れていた。

 もっとも、完膚無きまでに負かされた事による鬱屈とは無縁の様子で、瞬は、その点だけは安堵する。

 本当にその点だけは、だが。


「待て待て待て、まず個室じゃねえのかよここ! それを先に言えよ連奈! いや、気付かなかったオレも大概だけど、いつも個室を宛がわれるからなんか勘違いしてたじゃねえかよ!」

「負け犬には相応の待遇ということじゃないの。あなた達には豪華すぎよ、あの部屋は」

「いや、別にここの設備だってそれなりだし全然気にして……じゃなくて、そうじゃなくてよ……ああ、もう」


 瞬は狼狽しながら、自分の不用意な発言に頭を抱える。

 見渡せば、確かにここは、最高グレードの個室が並ぶ最上階よりも一階層下にある二人部屋だった。

 ほとんど自分で勝手に一杯食わされた形だが、それがまた一層自分の間抜けぶりを証明しているようで辛いものがあった。

 一連の会話が、他でもない真横で堂々と聞かれていたということにいたたまれなくなって、瞬は唾を飛ばしながら轟に注解する。


「おい勘違いすんなよ轟、誰がお前に同情なんてするかよ。あくまで自省が主体の呟きだ、今のは。自分の至らなさを素直な心で受け入れるついでに持ち上げてやっただけだ。絶対評価で言えば、お前なんてただの突撃馬鹿としか見てねえからな!」

「急にテンパってんじゃねーよ薄っぺら野郎が。安心しろ、テメーと同類だなんて哀れな勘違いなんざ、死んでもやらねー。大体な、機体を降りればどっちが強えーかなんて一目瞭然だろうが。自分基準で一括りにするな、クソが」

「へえ、だから? どんなに腕力があろうと、合気道相手にほいほい投げられるようじゃ何の自慢にもならないわけですが。そこんところはどうお考えなんですかね、北沢氏」

「たった一つの売りだったどうしようもないセコさですら格上の存在したテメーの方が、事態としちゃ遙かに深刻だろーが。長所が一つたりとも残ってねーじゃねーか、あ!?」


 瞬と轟は、互いに上体だけを起こして憤怒の形相で睨み合う。

 瞬はこの時になって自覚する。

 スラッシュや霧島に敗北したことは揺るぎない現実であると認めるとして、轟より劣っているわけがないという意固地さだけは先の戦い以前から全くの不変である事を。

 ひいては、諦観で冷え切ったと思っていた心の中に、自分を焚きつける篝火が未だ灯っている事を。

 絶対に何かを為さねばという執念が残っているという事実は、今の瞬にとって何よりの救いだった。

 健全には程遠い感情ではあっても、己を突き動かすものさえあれば、まだ“終わらない”。

 そんな瞬の機微を知ってか知らずか、或いは梨一つを平らげたからだろうか、連奈は静かに立ち上がって、二人の目の前を通り抜けていく。


「あ、もう行くのか」

「もうすぐ、午後の訓練が始まるから。一度に何機立ち塞がろうと私の敵ではないけれど、どういうわけか三機中二機がお釈迦スクラップだから、気は抜いてられないわ」

「最後まで嫌味かよ……」


 連奈がわざわざ自分達の見舞いに来たのは、いつもの退屈凌ぎでしかないことは重々承知している。

 それ以外の理由で他人の為に時間を割くような性格では、けしてない。

 しかしそれでも瞬は、今現在の嘘偽りない本心を述べることにする。


「でも……ありがとな、連奈。タチの悪い悪夢の割に、多少はましな寝覚めになった」

「私の美貌を拝顔できたんたもの、当然でしょ」

「いや、そこはどうでもよくてだな。お前の無駄にきつい言い回しが、今は何だか少し心地よくてさ」

「奇特な趣味のカミングアウト、どうも」

「それも違えよ……オレ達に必要なのは、良薬じゃなくて練り辛子だって話だ。なあ轟?」

「俺に振るな」


 ぞんざいに答えながら、轟は再び上体をベッドに戻す。

 表情の大半は包帯で隠れているたが、仏頂面をしていることは想像に難くない。

 そして、轟がそんな顔をしている時は、正論を投げかけられた時の反応に他ならなかった。

 その様子を見て、瞬はようやく苦笑ができる程度には気分が浮上してくる。

 だが、連奈はそこに、容赦のない辛さを擦りつけてくる。

 今し方、瞬が言葉にして望んだ通りにだ。


「それを理解できているのだったら、何をすべきかは、私の口から敢えて言うことはないわよね? どうせそういう手紙だったんでしょ、以前に送ってきたのは」

「……本当にお前は、無駄に洞察力だけは高いよな」

「探られるのが嫌だったら、せいぜい心の内を読まれないように振る舞える大人を目指しなさいよ。……それじゃ」


 病室のドアはぱたりと優しく閉められるが、連奈が残していった言葉の重圧は大きく、瞬の体を暫くの間、わななかせた。

 そう――――多少なりとも現実に向き合う姿勢を得たからこそ、今後に辿るべき道もまた、見定めがついてしまっている。

 もはや選択肢は一本に絞られているといってもよく、それ以上の効果をもたらす代案は世界中のどこにもない。

 問題はその答えを選び取った時に伴う、身を焼くような屈辱に耐えうることができるかということだ。


「痛いところを的確に突いていきやがって……」


 瞬は、手厳しく鮮烈な従妹の忠言に、余裕のない笑みを漏らす。

 これから征くことになるのは、僅かばかりの楽も許さない、長い苦難の道程。

 だが、ただ己の無力さを噛み締めているよりは、有意義な時間の使い方となることは間違いなさそうだった。


「……見るだけは、見てみるか」


 瞬は一度大きな溜息を吐くと、脇に置かれていたテレビの電源をつけ、適当なニュース番組にチャンネルを合わせた。

 他人から説明されるよりは、能動的に情報を得ていく方が、精神衛生上幾らか気が楽だという判断によるものだ。

 四日前の出来事ではあるが、人類社会の存続に関わる一大事であるため、メテオメイル同士の戦闘結果はどの局も毎日、長い尺を取られて放送されるのが常であった。


「予想通り、散々な言われようだな。まあ、負けたんだから仕方ねえが……」


 敢えて連合政府の運営ではない、ややマイナーな国際チャンネルを選んだせいもあるが――――ちょうど、 先の戦いの子細を伝えている最中であったその番組では、ただの批難と戦略面での指摘が入り混じっていた。

 オーゼスが、侵略したエリアの制圧に成功した証として戦闘後に設置していく、十階建てビルほどの高さを持つ柱状構造体、通称“コンクエスト・ピラー”。

 その新たなる一本が、自らが防衛戦に出たフィリピンの大地に突き刺さっている中継映像は、瞬が自分で考える以上の激しい動揺をもたらした。

 滑らかな鏡面加工が施された四角柱が荒れ果てたビル街に紛れ込んでいるだけではあるが、しかし、一つ増える度に半径五十キロメートルの円状空間がオーゼスの手中に収まっていく。

 陸地全体の面積からすれば微々たるものではあっても、ピラーの全てが都市部に打ち込まれ、たった一年で南半球が奪われてしまったことを考えれば楽観視などできるはずもない。

 特にこのフィリピンは、赤道沿いの防衛ラインを維持する上での中継基地としての役割を担っていたのだから。

 地図で示されると、余計に気が滅入った。

 ミンダナオ島のほぼ全域が進入不可領域であることを示す円の中に収まり、補給ラインが見事に絶たれた形になっているからだ。

 奪還しようにも、エリアに侵入した場合、オーゼスのメテオメイルが確実に迎撃に出てくるという法則、そして現在連合で稼動可能な機体はオルトクラウドしかいないことを考えると、迂闊に手は出せないというのが現状だった。

 この今後の戦局に大きく影響しそうな失態について、ニュースキャスターもインタビューを受ける一般市民もヴァルクスに対する失望の念を露わにしていた。

 他を幾ら防衛できても、重要拠点を差し出してしまっては意味がないと。

 ヴァルクスが計画を数ヶ月も前倒しして活動していることなど、市民にとってはもはや忘れ去られた事実のようだった。

 勝手な物言いではあったが、性能差が露骨に出た上での大敗ならまだしも、自分達の拙劣さが招いた結末であること自覚する瞬にとっては、返す言葉はない。

 激昂するでも落胆するでもなく、投げられて然りのコメントに、ただ耳を傾ける。


「……なあ、轟」

 

 だいぶ時間が経ってから、瞬は、天井を見上げたまま轟に声を掛けた。

 カーテンを戻すのも面倒なまま放置していたせいで、轟が再び眠りについている可能性などは、考えるまでもないことだった。


「なんだ、薄っぺら野郎」

「カッコ悪いよな、オレ達」

「テメーより格好はいいつもりだが、まあ世間的には最底辺であることは間違いねーな。俺は負けを美化しねー。負けた奴は一律で最悪にダサいし、勝った奴はそれだけで最高にすげーんだ」

「強かったよな、あいつら」

「俺は」

「お前が気に入る方向性かどうかはともかく、強かったよな、あいつら」

「……………」

「これまでに相対してきたおっさん共の中で、あいつらが一番わかりやすかったってだけの話だけどよ。でも、だからはっきりした筈だぜ」


 瞬は、語気を強めてそう言った。

 手を伸ばすだけでは届かない高さにある、己の才能を淀みなく突き詰めた先にある領域――――

 そこに置かれている、威力の強弱や有用性の有無すら問題にしない、当たれば、或いは嵌れば強引に勝利を引き寄せる絶対の武器。

 オーゼスのパイロット達には、誰もみな、それを手にしているように思う。

 スラッシュや霧島と当たる前から感覚的には理解していたことだが、先の戦いを経て、ようやく確かなロジックとして認識するに至っていた。


「手も足も出ず、散々ズタボロにされたんだ。そりゃあお前だって、悔しいには悔しいだろうさ。だけど同時に、欲しいと思わなかったか、“あれ”。負けたショックで塞ぎ込もうにも、あいつらの持ってる“あれ”がちらついて、どうにも落ち着かねえんだ。……轟、お前はどうなんだ」

「……そうだな。あんなものがあれば、次は勝てるかもしれねーな」


 自分の思考と行動は、それがどういったものであれ絶対の正当性を伴うと信じてきた轟が、まともな肯定を返すという、その意味。

 もう二度と聞けないのではないかと感じてしまうほどに、瞬にとっては希有な反応だった。

 しかしそれ故に、けして妥協や惰性から生まれたものではない返事であると確信できた。

 やはり轟もまた、根底までもが塵芥と成り果てたわけではない。

 己の形を成す刃は砕け散っても、まだ柄だけは各々の手に握られている。

 朽ちたなかごを取り払い、新たな刀身に挿げ替えれば、再起は成るのだ。

 瞬は両手で自らの頬を何度も叩いて、やっと固めた決意の表明に至る。


「よし決めた、オレは取りに行くぜ……。色々大変な目には遭うだろうが、手に入れたときの旨味を考えたら、やっぱりな。英雄になること以上に、今はあの外道野郎と合気道野郎に一泡吹かせてえからな……!」


 瞬は、悲鳴を上げる全身の痛覚を押し殺して、ベッドを抜け出そうとする。

 こうなったらもう、破れかぶれで臨むしかなかった。

 あくまで真の強さを得るための一環として――――

 安いプライドはかなぐり捨て、“丸めた手紙に書かれていた通り”に動いてやるまでだった。

 と、まずはその旨をケルケイムに伝えに行こうと歩き出す瞬だったが、轟もまた、固定具を外して立ち上がろうとしていた。

 まだ、とてもではないが歩けるコンディションではないのだろう。

 肉体の側が轟の無茶に対して制動をかけるように痙攣する。

 しかしそれでも、轟は引きつった口元を服従させ、獣の笑みを形作った。


「なら、俺も俺の強みってやつを取りに行く……! テメーのようなチャラけた薄っぺら野郎でさえ動き出してるっていうのに、この俺がみっともなく寝転がってるだけでいいわけがねー……!」

「いや、お前はまだまだ要安静だろ。せめてもうちょっと回復するまで大人しくしてろよ」

「知った事かよ。他の全部はどうでもいい、だがテメーに遅れを取るのだけは駄目だ……! 司令にちょっとばかし暇を貰いに行くのも、俺が先にやる」


 直後、あろうことか轟は、片足に依然としてギブスを嵌めたまま、スリッパも履かずに病室を出て行く。

 尋常ならざる意思力を目の当たりにして、瞬は最初は呆然として見送っていた。

 だが、どすどすと小走りになる音を聞いて、瞬は我に返る。

 轟は本当に、数百メートルと離れたケルケイムの執務室まで、あの速度で向かうつもりなのだ。


「おいふざけんな! 言いだしたのはオレだぜ、お前は俺のアイデアに便乗した感じだろ。ちょっ、待て……!」


 たまらず瞬もまだ痛む体を引きずって早足で病室の出口を目指す。

 馬鹿馬鹿しいことだが、目下の心配事は轟の体調ではなく、轟が先にケルケイムの元へ辿り着いてしまうことだった。

 瞬は焦燥の中、ラニアケア内部の通路、階段、エレベーター、ありとあらゆる情報を早急に脳内から引きずり出し、最短ルートを構築。

 全力で駆け抜けることを決定し、自身もまた病室を飛び出した。


「おちおち寝てる場合じゃねえってのは、まさにこの状況のことだな……あいつと一緒だと本当に気の休まる時がねえな」


 呆れたように、だが心底痛快な気分で、瞬は喉を鳴らす。

 強情で身の程知らずの愚か者が、自分の他にもう一人。

 何かを諦めてしまうには、余りにも勿体のない境遇でありすぎた。


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