第32話 苦痛の夢
(どいつも、こいつも……)
オレは客間に座っている間、ずっと呆れかえっていた。
放っておけば人類が滅亡するかもしれないっていう危機的状況の中でも、一般論だけをグチグチと述べやがるオレの家族に対してだ。
その日は、二月の下旬くらいだったか。
朝早くに、地球統一連合政府のお偉方が四人も、風岩家に押しかけてきた。
防衛大臣だの、軍務局長だの、ド田舎の一般家庭に上がり込むには余りにも不自然な顔ぶれだった。
前日に連絡はあったものの、唐突な来訪であることに変わりはなく、心の準備はさっぱりといっていい。
そいつらの用件は、風岩瞬に対する軍への協力要請だった。
「彼には極めて希有な能力が、先天的に備わっていることが判明しました。オーゼスという人類史上最大の脅威を取り除き、世界に平和と安寧を取り戻すために、是非とも彼の力をお貸し願いたい」
最初は、オレと両親の三人だけで応対するつもりだった。
だけど、聞けば聞くほどに話のスケールがでかくなってくるもんだから、結局はクソジジイに婆ちゃん、それに兄貴の奴までもが混じることになった。
「瞬を、戦闘兵器のパイロットに、か……」
二時間だったか、三時間だったか。
長い長い説明が終わって、お偉方が一旦引き上げたあと、親父が困惑気味に呟いた。
家族全員が、親父と同じ表情をしていた。
先々月くらいから、連合が詳しい理由を伏せたまま世界各地で実施していた、身体検査。
それは、連合が極秘に開発を進めていた搭乗型機動兵器の操縦者を選ぶためのものだった。
オレは、メテオメイルの起動に必要なだけのSWS値を記録し、見事連合のお眼鏡に適ったというわけだ。
どういった機体に乗せられるのかは、その時点では明かされなかった。
でも、オレ自身が直接実戦に参加すること、そして協力の期限は未定ということ――――要するに、オーゼスが完全壊滅するまで何年でも――――これらは、お偉方の口からはっきりと明言されたし、置いていった資料にも記載されていた。
「議論するまでもなかろう。すぐにでも、辞退の旨を先方に伝えねばな」
偉そうに断言しやがったのは、オレの祖父にして風岩流剣術の総師範、ひいては風岩一門の当主である風岩雷蔵だ。
つるっぱげを目前に控えた髪の毛とは裏腹に、剣術の腕前は一向に衰えを見せない、紛れもない当流最強の化物だ。
このクソジジイはいつもこうやって、他人の進む道を勝手に決めやがる。
相手をするのが嫌だったから、いつもは適当に従う振りだけしてやっていたが、その時に限ってオレは真っ向から反発した。
「ちょっと待てよ爺ちゃん。オレに持ちかけられた話なのに、オレの意見はスルーかよ」
「お主の方こそ、状況を正しく俯瞰できておるのか? この誘いを一度承諾すれば、後は軍部の道具も同然、死ぬまで使い倒されるだけよ。行間を読むまでもない。この書面に記されている諸々の条件は、つまりはそういう事じゃ」
クソジジイの鋭い眼光が、オレに突き刺さった。
正直に言って、やばい話だとはオレも当然、思った。
散々ニュースで流されてきた、オーゼスのメテオメイルの途方もない戦闘能力も知っている。
どれも一度の出撃で何百機もの戦車や戦闘機をぶっ壊すような奴ばかりだ。
連合が開発している機体がどれ程のものかはわからなくても、死闘の連続になることは中学生のガキでも想像できた。
勿論、こんな若さで前線に送り込まれて死にたくなんかないさ。
だけどな――――
「オレには、死ぬよりも遙かに恐ろしいことがある。自分が自分であるための証を立てられないまま、たらたらと生き続けることだ。パイロットになることが、今の自分を変える切っ掛けになるのなら、オレはやりてえ」
「ならん」
「……なんでだよ」
「わざわざ理由を並べ立てなければ理解できぬか、虚け者めが」
自己評価九十五点の格好よさげな言い回しで嘘偽りのない本心を語ったが、クソジジイはぴしゃりと頭ごなしに否定してきた。
オレの、どうしても兄貴を超えるような男になりたいという渇望を知っていながら、これだ。
ギャンブルじみた余計な真似はせず、相応の立場のまま生き続けろと言いたいんだろう。
宗家だの分家だの序列だの、狭苦しい時代錯誤な世界で生きてきた奴には、冒険するという概念が欠落しているらしい。
「一つに、お主は死合うという事を軽視しておる。たかだか年に数回実剣に触れる程度の経験など、真の戦いに於いてはあって無きが如し。型の覚えは早いようだが、その程度で思い上がるでない。刃を寸先で止める事と、振り抜き斬り裂く事は、まるで“重み”が違う」
「それは普通の軍人だってそうだろうが。実戦の感覚は実戦で掴んでいくもんだ」
「二つ、お主は自らの技量と器量を弁えていない。その曇り眼こそが、お主の最も愚かな所よ。眼前の現実を正しく把握できぬその哀れさは、ただ弱いことにも劣る。生き抜くことにも勝ち抜くことにも向いてはおらぬのじゃ」
この時のオレには「それで?」としか反駁しようのない言葉だった。
そうとも、オレは弱い。
わかってるからこそ、どうにかしたいという気持ちで一杯だったんだ。
「だから、この誘いはチャンスなんだろうがって話だよ。命を賭けた本物の戦いなら、嫌でも相応の力を付けられる筈だ。家でちんたら修行してるよりは効果はありそうだぜ。リスクもあるけど、その分旨味もある」
「お主がそうだから、ならんと言っておるのがわからぬか。手順を飛び越えて手に入るものなど何も無い。あるとしたら、それは己が身の破滅だけじゃ」
「待ってたってどの道破滅だろうが。これは国同士の戦争どころじゃねえ、放っておけば地球丸ごと蹂躙されようって状況なんだぜ!」
「左様。しかしそのように、ただ一手のしくじりも許されぬ切迫した戦況だからこそ、迷惑を掛けるだけの異物を送り出すわけにはいかんのじゃ」
そう言っても尚、オレが態度を改めないことを悟ると、クソジジイは家族会議の際の、お決まりのパターンに入る。
ただ静かに、婆ちゃんや親父、母さんの方に視線を遣る、その行為――――
表面上は意見を問うている、という事になるのだろうが、実質的には自分に同調しろという圧力だ。
結果は見事に全員反対だった。
「雷蔵さんがそう仰るのでしたら……」
婆ちゃんは優しいには優しいんだが、その性格は旧時代的な夫唱婦随タイプで、クソジジイには決して逆らわない。
「止めておけ、余りにも危険すぎる。お前は実力を付けたいと言うが、その前に命を落とす可能性の方が遙かに高いだろう」
親父は誰かの意見に流されることはないが、今回はオレにとって悪い意味でそうだった。
「あの人達は、あなたでなければならないと仰ってはいたけれど、実際はもっと多く検査に合格した人もいるはずよ。そういった人達に任せましょう?」
母さんは嫁いで来た身だし、婆ちゃんほど長く風岩家に貢献しているわけでもなく、基本的に波風は立てない。
「刃太、お主はどう思う」
クソジジイは最後に、オレの隣でだんまりを決め込んでいた兄貴に聞いた。
だけど、兄貴はそれでも黙したまま、何も答えようとはしない。
そもそもオレがどうなろうと興味がないってことか――――やっぱり一番腹立たしいのはこいつだ。
「道理のわからぬ弟に呆れ果て、ものも言えぬか。確かに、それも正しい解答の一つではあるな」
当たり前のことしか言えねえ思考の凝り固まった家族の中でオレより長く育ってきた兄貴は、こういうときは本当にロボットみてえな無様さを晒す。
言われたことはどんな困難なことでも完璧にやり遂げ、ルールを破ることも絶対にない。
家族や教師を喜ばせるためだけに存在するような、模範以上でも以下でもない何か。
“こんな奴”と比較されて、下に見られたまま生き続ける苦しさと悔しさがどれ程のものか、家族は誰もわかってくれない。
だからオレは、この風岩刃太という退屈な天井をぶち破って、外に飛び出したいんだ。
「……初めてだぜ」
「ん?」
「さっき、連合のお偉いさんの言葉を聞いたとき、オレは初めて救われたような気持ちになった。続く説明を聞いて、飛び跳ねたくなるほどに歓喜した。剣を握ってからざっと九年、うちでそんなに心が奮い立ったことは一度もねえ。道を決めるには十分すぎる理由だろうが……!」
オレは掌をテーブルに叩きつけながら言ってやった。
国からは人間国宝扱いされ、親族や門下生からは畏敬の眼差しで見られるクソジジイだが、オレはそんな事ではびびらねえ。
むしろこういう場で堂々と逆らってやることに壮快さを感じるタチなんだ。
「勝手は許さぬと言ったら……?」
クソジジイは稽古の時にしか見せないような鬼の形相で睨み付けてきた。
だけど、オレはもう腹を決めていた。
テーブルの上に置かれた書類の束を引ったくり、そして立ち上がった。
「あんたが許してくれなくとも、連合はどうかな。オレが本当にどうしても必要な人材だって言うのなら、このまま家族の承諾無し、手持ち無沙汰で駆け込んでも、あっちで何とかしてくれる。あんたらを抜きにしたって話は進むんだ……!」
「……ならば、勝手にせい。骨になるのも、塵芥すら残さず消えるのも、全てはお主の自由よ」
この紙束のどっかに書かれている連絡先に電話すれば、それだけでオレの要望は通る。
オレがひねり出した理屈がおそらくは成り立ってしまうことを悟ったのだろう、クソジジイは引き留めることが無駄だと知り、吐き捨てるように言い放った。
「じゃがそれは、風岩家当主である儂の意向に逆らった上での決定……再び家の力を借りようと泣きつき出戻ってきても、そこにお前の席次があると思うなよ」
「席次も序列も知った事か。それこそ、どうせこのまま事が進めばトップの座は兄貴のもんだろうがよ。お零れを貰うためだけに苦汁を舐めてまで家に残るもんか。家族の縁でも何でも、勝手に切りやがれ!」
そして、オレは本当にそのまま家を飛び出したし、誰ももう何も言ってこなかった。
その時のオレは解放感に満ちていたが、ああ、くそ、一瞬だけ振り返って見てしまった家族の顔が未だに頭に焼き付いて離れない。
生まれて初めて、自分の全てを費やしてまでやりたい事を見つけ、あれだけ声を張り上げたというのに――――
あいつらは最後の最後まで、哀れな分からず屋を見る目だった。
哀れなのはおまえらだ。
視野が狭いから、相手をそういう風にしか見れねえんだよ。
だから止めろよ、その、オレが何もわかってないことが前提のムカつく視線を――――
オレは、身を焼くような怒りに任せて空間に拳を叩きつけた。
そうすることでようやく、このクソみたいな夢の世界は、ガラス細工のように砕け散っていった。




