第30話 必然(後編)
それはまさに、これ以上ない自滅の形といえた。
自ら生み出した轟炎を胸元で暴発させ、他の何よりも間近で焼かれる羽目になったバウショック。
巻き起こる業火は、離れた場所に立つセイファートやスピキュールの装甲さえも、僅かながら灼き焦がす。
当のバウショックは、幾重もの炎のカーテンに遮られ、損傷の程すら確認ができない。
限界までエネルギーを注ぎ込んだクリムゾンストライクの直撃を受けた以上、けして軽傷ということは無いはずだった。
それ以前に、内部の轟は――――
『風岩君、こちらで北沢君の生体反応を確認したよ』
「本当か、セリア……!」
『すぐにエネルギーの圧縮を解いて拡散させたことで、致命傷を逃れたみたいだ。ただし、コンディションは要救助レベルの危険域。コックピットブロックもかなり損傷しているようで、詳しいデータが取得できない。ともかく、一刻も早く、あの場から運び出さないと……』
あの地獄のような灼熱に長時間晒されていては、活発発地な者ですら死に至る。
救出のための猶予は、余り残されていないようだった。
瞬はセイファートを操り、一歩だけバウショックへと近付く。
だが、鏡写しのように、スピキュールもた横にずれてセイファートの行く手を阻んだ。
「考え無しのクソガキには相応の結末ってやつだな。脚の一本掴んだぐらいでいい気になってるから、ああなるんだ」
「どけよ……!」
「さっきも言った筈だぜ、やってみろ」
スピキュールが胸の前で両腕を交差させ、攻撃準備に入る。
一方でプロキオンも、過熱による機体内部への負荷を避けるためにバウショックから離れ、こちらとの直線上に待機している。
バウショックを運び出す為には、二機どちらのディフェンスも掻い潜る必要があるということだ。
ここまで見た限り、スピキュールの機動性はかなり高く、プロキオンも平均的な水準に達している。
背部スラスターを失ったセイファートでは、余裕で撒けるとは思えない。
無事にバウショックの元まで辿り着いたところで攻撃を受けるのが関の山であろう。
「そうかよ、だったら……!」
幸か不幸か、窮地に追い込まれたことで、それまで漫然と散らばっていた選択肢は大きく絞られた。
この状況で取るべき行動は一つ、眼前の敵から、移動能力を奪い取る事だ。
セイファートは潜り込むような低い体勢となり、一気にスピキュールの右側面へと回り込む。
ジェミニソードは酸を受けたことで一部が溶解しつつあるものの、まだ切断能力は十分にある。
今の内に、反撃は覚悟でスピキュールだけは葬る。
それだけを意識し、ジェミニソードを振り抜く。
「四式、“裏殺”! 六式、“地擦”!」
相手の膝関節を裏から切り捨てる四式、相手の足首に切っ先をねじ込む六式。
共に脚の機能を破壊する、とてもではないが実戦派剣術以外では許されようもない非情の技を、セイファートは二刀それぞれで繰り出した。
だが、セイファートの速度に追従したスピキュールはアシッドネイルを地面に突き刺すようにして斬撃を防御する。
「しくじったな、テメエ!」
「どうかな!」
瞬の言葉通り、二本の刀身を打ち付けられたことで、とうとうアシッドネイルは砕け散る。
何せここまで、数十度と打ち合い、斬りつけてきたのだ。
細かな傷の集中する部位を狙えば、もはやクリーンヒットでなくともこうなることは予見できた。
ようやくスピキュール最大の脅威である武装、その半分が失われたことで、微々たる差だが事態は好転したといっていい。
このまま流れに乗って、一気に片を――――
「だから、しくじってるんだよ」
――――そう考えたのも束の間、スピキュールは即座に、アシッドネイルを接続部位から強制排除。
その断面から、腕部に貯蔵されていた大量の超強酸を直接撒き散らす。
前方の空間に飛散した液状物質、それらが降りかかる先は、当然の如く、相対するセイファート。
殆ど全てが降りかかった上半身は急速に溶解蒸発を始める。
「何だと……これは、まずい!」
「また“迷った”な? あの赤いのを助けるか、このまま俺様を倒すか……こんな局面で動きを止めてんじゃねえよ、いい的だろうが!」
続けざまにスピキュールの足払いを受け、セイファートは膝を付く。
全く以て、スラッシュの言葉通りの逡巡が、瞬にはあった。
スピキュールの動き次第では、前方に踏み込んで追撃をかけるという想定――――だからこそ距回避するまでにラグが生じたのだ。
判断ミスどころか、それ以前の問題。
次に取るべき行動を反射的に決めてしまい、方向性を制御できないという未熟さの発露である。
そうこうする内に、装甲どころか、双眸も、通信機能の集中した黄金の五本角も、みるみるうちに気化していく。
瞬く間に、セイファートは原型からかけ離れた醜い姿となっていった。
「機体損傷率42%、いや43%……!」
一向に止まる気配のないダメージエリアの拡大に、瞬は身を強張らせる。
ここから数百メートルほど離れた海に駆け込んで酸を洗い流す選択肢も浮かんだが、しかし、スラッシュはみすみす逃してくれる相手ではない。
打つ手を模索している間にスピキュールの蹴撃が炸裂し、セイファートは、今度は受け身すら取れずにアスファルトにのめり込んだ。
「てんでなっちゃいねえな、なんちゃって剣術使い君よ」
「ぐあっ……!」
立ち上がろうとしたところに、更にもう一撃、続けて二撃、三撃と、まるで石ころのようにセイファートは蹴り転がされる。
その衝撃で内壁に頭を打ち付け、程なくして、額の上から鮮血が止めどなく流れてくる。
もはや抵抗しようにも、各部の装甲と関節部が溶け合って、腕がろくに機能さえしない。
ジェミニソードも、気付かぬうちに何処かで取り落としたようだった。
瞬は、出血で更に鈍化する思考の中、どうにか意識を保とうと声を絞り出す。
「こいつらは、強すぎる……!」
「俺様達が強いだと? 寝言も大概しろよボケが……」
直後、溶解して強度を失った右肩に、スピキュール左腕のアシッドネイルが突き刺さる。
何とか引き抜こうとするものの、肩関節を抉られて、完全にコントロール不能になるのが先だった。
そのまま跳ね飛ばされた右腕は、握り拳を開きながら、力なく停止していった。
その光景に視線を向けるスピキュールへセイファートは渾身の蹴りを放つものの、事もなげに躱される。
そして、スラッシュの余裕に満ち足りた声が、瞬の鼓膜を打つ。
「はっきり言ってやろうか、テメエが弱すぎるんだよ」
鋭い爪で、心臓を鷲掴みにされた気分だった。
引きずり出された心核が悲鳴を上げ、思考も、呼吸すらも停止してしまいたい衝動に駆られる。
その言葉を、受け入れまいと。
だが、幾ら心の安寧を求めても、もう何処にも逃げることはできない。
無惨な姿に成り果てたセイファートが、そして、浅はかな判断しかできなかった自分の無能さが、廃棄物の山の如く、行く手を塞いでいる。
堆積した失態を取り除くだけの言い訳も、もうこれ以上は浮かんでこなかった。
「一つ一つの攻撃は精度も高いし、速さもある。だが、それだけだ。動作と動作が全く繋がってねえし、間が空きすぎだ。反撃してくださいって懇願してるようなもんなんだぜ、お前の戦い方は」
「この程度の腕前で、よく今まで生き残ってこれたものですね……そういう意味では、運が良かったのかな」
「だが運はあくまで運、いつまでも続くもんじゃねえ。今日がまさに運の尽きってわけだ」
「オレ達を……どうする気だ」
「どうするって……殺すに決まってんだろうが?」
セイファートは、もう何度目になるかわからない蹴りを受け、今度は更に、脚部から放射された拡散レーザーをも浴びることになる。
今ここで命を絶たれれば、何の証も立てられぬまま――――所詮は兄の劣化模造品でしかない風岩瞬のまま、終わってしまう。
無念どころの話ではない、考え得る限り最低最悪の結末。
瞬は、一向に止まる気配のない流血を拭いながら、今更のように訪れる死の恐怖に体を震わせた。
同時に、ここまでの手傷を負わなければ危機感さえ覚えることのできない自分の甘さに、心底嫌気が差した。
どの戦いにおいても、瞬はある程度のダメージを覚悟して攻めるというスタンスを取っていたが、そんなものは、真の勇猛さとは程遠い。
戦場とは、そこかしこに死の充満する世界である。
最初の一撃さえもが、勝敗を決する致命傷となり得る可能性を孕んでいる。
だが、メテオメイルという鋼鉄の肉体が、そんな当たり前の感覚を忘れさせていた。
四肢をもがれようとも叫び声一つ上げず、そして幾度もの修復を可能とする機械の巨人、メテオメイル。
そのパイロットとして訓練を積んできたが故の、感覚の麻痺。
生身での実戦においては、受けていい傷など一つもない。
斬り合いを生業とする者なら、尚更だ。
覚悟というのなら、かつてそうしていたように、それこそ一度の命中も許さない覚悟で臨むべきだったのだ。
一撃だけなら、まだ死にはしない――――その緩んだ心構えこそが、自身を絶体絶命の窮地へと引き込んだ最大の要因。
命を賭した戦いに身を投じておきながら、己の死を意識することのなかった愚か者。
それが、風岩瞬という人間であったのだ。
「実戦派剣術が、聞いて呆れるな……」
瞬は自嘲すらもできずに、満身創痍の肉体を引きずるようにして、ただ体を支えるためだけに操縦桿に手をかける。
『こうなったら、最悪君だけでも……』
「いや、まだだ……まだ、終わってねえ。オレも、あいつも……!」
口に出した時点では、意地と希望的観測の混じった全くの譫言だった。
だが数秒の後、実際に“そうなった”ことで、瞬は心に鞭打つようにして、集中力を極限まで高めた。
自分ひとり、弱音を吐いていられる状況ではなくなったからだ。
「身勝手な野郎であることは確かだが……自滅で終わるタマじゃねえよな、お前は」
辺り一帯の市街地に火が回っているが故に、スラッシュも、霧島も、見落としていた。
彼らと対面する瞬だけが、気付いていた。
燃えさかる炎の中、全身が焼け焦げて黒化したバウショックが立ち上がろうとしているのを。
バウショックもまた、セイファートとは異なる形で原型を失っていた。
当然のように、クリムゾンストライクの暴発の影響で右腕は跡形もなく消滅。
胸部装甲も吹き飛び、エンジンやラジエーター等、臓腑ともいえる内部機構が露出していた。
更に、コックピットハッチも焼け落ちて、内側の複層隔壁にも大穴が開いている。
その向こう側で、果たして北沢轟の肉体がどうなっているのかはわからない。
だが、凄まじき執念と勝利への渇望によって、理屈を超克して操縦を続行していることだけは確かだった。
そして、瞬もまた反撃の算段が付く。
手放してしまったジェミニソードの長刀は、スピキュールの右後方に位置する、二棟のビルの間に落ちていた。
頭部のシャドースラッシャーは奇跡的に残存しており、先端の展開ギミックで引き戻すことが可能。
まだ、打つ手は残されている。
熟慮するまでもなく、これが、こちらから攻め入る最後のチャンス。
趨勢を司る天秤は、まだ完全に傾ききってはいない。
「この熱さ……この痛み……!」
「ああ!? あのガキ、まだ……!」
「諦めが悪いなあ、全く」
後方から投げかけられる、喉の内側まで焼け爛れているのではないかと思えるほど、惨たらしく掠れきった声。
スラッシュも霧島も、機体を反射的に、半身だけそちらへと傾ける。
この瞬間こそが、瞬にとって唯一最大の好機。
「今だ!」
注意力が薄れた刹那の時間、頭部前方に回転移動したシャドースラッシャーを射出。
先端を開き、ジェミニソードを掴み取ることに成功する。
刀身もほぼ全域に渡って溶解していたが、切っ先の周囲だけはまだ腐食が及んでいない。
斬ることは不可能でも、刺突であればまだ使用に耐えうる。
急速にジェミニソードを引き戻すと、即座に左手で握り込み、あとはただ――――眼前のスピキュールの胴体目がけて、先端を抉り込む。
「テメーにも、味わわせてやる!」
同じタイミングで、バウショックもまた、躊躇うことなくプロキオンへと突撃を仕掛ける。
殴打では腕を取られるだけだと悟ったのか、或いは自慢の右拳を失ったためか、前方に突き出すのは肩。
タックルによる質量攻撃で圧壊させる腹づもりなのだろう。
ここまでに受けてきた投技に対する、轟なりの回答というわけだ。
「十五式、“鏃突”!」
「これならどうだ、合気道野郎!」
セイファートとバウショック、両機の決死の一撃がスピキュールとプロキオンに迫る。
もはや二の太刀を振るう余力などない。
それ以前に、機体もまた限界を迎えている。
当たれ、当たれ、倒せ――――
ただそれだけを念じながら、極限までスローモーションになった時間の中を駆けていく。
「オレの“技”は……」
「俺の“力”は……」
瞬と轟は、同時に声を張り上げる。
雄々しさは些かも感じられない。
ただ見苦しく、無様に。
ここまでの三戦を生き抜いてきた自信と誇りを確かめるように。
天運と相性に救われてきたなどとは考えもせずに
戦う度に強さの本質を忘れていったなどとは夢にも思わずに。
「はっ……何言ってやがるんだ、テメエらは。まだわかってねえのかよ」
信じがたいことに、後から動き出したはずのスピキュールとプロキオンは、それぞれ迎撃態勢を整えていた。
スピキュールは、尖塔のような頭部の先端に、目が眩むほどの電撃を纏う。
プロキオンは、両腕の指を折り曲げ、左の掌を突き出す。
共に、ここまで見せたことのない隠し球であった。
いや、自分達がそう思っているだけで、どちらもまだ底を見せていないことは、纏いし圧倒的な余裕から明白だった。
自分達では、全力を引き出す事さえ叶わなかったというわけだ。
ともすれば、これまでに戦ってきた男達も――――
「だったらよ……たっぷりと精神と肉体に教え込んでやらあ」
こんなものではない――――本当は、そう続けて叫びかった。
だが、そう口にする前に、スピキュールとプロキオンの大技が炸裂する。
「テメエのそれは、“技”ですらねえ」
「あなたのそれは、“力”ですらない」
直後、瞬の視界の全てが、紫の火花を帯びた白に変わる。
スピキュールの放った、数百万ボルトにも及ぶ指向性の雷撃を受け、セイファートの左腕は完全なる塵へと還った。
無論、電撃はセイファートの全身にも伝導し、殆どの電子回路をコンマ数秒の内に焼き切る。
軽減しきれぬ程の凄まじい感電によってパイロットスーツの一部は弾けるようにして裂け、瞬の体にも意識が飛ぶほどの激痛を走らせた。
バウショックは、腰関節が大きく後方にねじ曲がったまま沈黙していた。
プロキオンが、タックルが命中した刹那の合間に繰り出した掌底によるものだ。
バウショックの加速込みの全重量を左の掌で受け、同時に上半身を急速回転。
連動して右の掌を突き出すことで、一点集中させた全エネルギーをバウショックへと“返した”のだ。
面ではなく、点で送り込まれた衝撃。
外見上は大きな損傷は見受けられないが、機体の内部は惨たらしく歪曲破壊されていることであろう。
二つの巨体はゆっくりと、大地に沈んでいった。
「……終わったな」
それから十数秒が経過しても、セイファートも、バウショックも、微動だにすることはない。
スラッシュは、ゆっくりと口角を上げながら、特に感慨にふけることもなく言い放った。
もはや勝ち名乗りは必要なかった。
セイファートとバウショックの完全なる再起不能、そしてパイロットの意識喪失。
その絶対なる事実を以て、勝敗は決した。
全身に迸る串刺しにされたような痛みよりも、顔面を絶えることなく打ち続ける水滴の方が、どちらかといえば不快だった。
虚ろな視線で一瞬見上げれば、空は一面の重厚な灰雲。
目を開けていられないほどの濃密な大雨が降り注いでいた。
コックピットハッチが上方へ向けて開け放たれているせいで、内部にも結構な量の雨水が溜まってしまっている。
溺死してしまうほどではなかったが、計器類は総取り替えであろう。
いや、取り替えるということであれば、このセイファートという機体そのものを、そうしなければならない。
破損状況を調べることも、再利用可能なパーツを探すことも、無駄な手間である。
瞬は片手をコンソールに伸ばし、非常時用の手動OS起動を試してみるが、モニターの類は何一つ点灯する気配を見せない。
メテオエンジンどころか、予備バッテリーの類も全滅しているようだった。
「ああ、そうか……使い切ったのか」
そう呟いてから、ようやく瞬は完全に意識を取り戻す。
瀕死の状態とはいえ、自分達が今も尚生きていられる理由には見当が付いていた。
けして予備知識以上のものにはならないと踏んでいた、連合製メテオメイル全機に搭載されている強制起動プログラム“レトログレード・モード”が、自分の知らないところで発動したのだ。
セイファート、バウショック、オルトクラウドは、人類にとって絶対に失うわけにはいかない、九鼎大呂の切り札。
そのために、パイロットの生体反応と機体の損傷度が最も危険な段階に突入した場合、自動操縦にて、機体の限界すら無視して戦場から離脱する機能が設けられていたのだ。
レイ・ヴェールは解除、各部パーツは歩行や飛行に必須である部位以外はオートパージ。
蓄えられたエネルギーの全てを利用し、敵性反応がレーダーから消えるまで、そして完全に力尽きるまで、ひたすら遠くへ。
ただそれだけを実行する、粗末で乱暴なプログラム。
ではあったが、あれだけの手ひどい傷を負わされておきながらスピキュールやプロキオンの追撃から逃れられたという意味では、その効果は確かだった。
更に、連合軍の部隊が自分達の壁になった可能性もある。
レトログレード・モードにしろ、連合軍にしろ、一度も頼るつもりはなかっただけに、ひどく暗鬱な気分だった。
それから数分を要して、瞬は、どうにか仰向けになったセイファートから這いだすことに成功する。
「…………」
雨粒と濃霧で視界の大半が塞がれ、現在地が市街地を遠く離れた山中であること以外、まるでわからない。
だが、極めて近場――――機体の大部分が失われていることだけは瞭然であった。
胴体も、脚部も、強制起動システムの影響で装甲を捨て去り、内部フレームは剥き出しの状態。
鋼鉄の骸と呼ぶに相応しい無力さを、瞬に感じさせた。
そして、十数メートルほど向かいの空間に、同種の物体がもう一つ。
接続部位が捻り切れ、上半身と下半身がそれぞれ表と裏を向いたまま山の斜面に埋もれるバウショックが、そこにあった。
もはやオートパージさえも上手く作動しなかったのか、黒に染まった装甲がへばりつくようにして、全身を覆ったままだった。
瞬は、無理をすればまた倒れてしまいそうなほど消耗しきった体を引きずり、バウショックに近寄る。
轟がコックピットの中からゆっくりと転がり落ちてきたのは、それからすぐの事だった。
泥水に半身を浸らせた轟は、そのまま藻掻くようにして前に進み、瞬を目前にしてようやく立ち上がる。
「俺を、もど、せ……戦場に、戻せ……!」
轟は、痙攣する右腕で瞬の肩を掴みながら言った。
もはや雨音を抜きにしても聞こえないような、潰れきった声だった。
聞き取れたというよりは、轟という男はこのような言葉を吐くに違いないという確信に近い。
「俺は、生きてる。まだ終わっちゃいねー、勝手に、こんな……」
轟の顔面は、もはや完全には治癒しないのではないかと、思わず息を呑むほどの大火傷だった。
肌は幾重にも盛り上がって大きくうねり、流れ出た血液さえも高温で凝固、愛用のサングラスすら溶けてフレームが歪んでいる。
パイロットスーツに保護された首から下も、全くの無事ということはないだろう。
自らの肩に掛かる握力も、普段の猛獣的な力強さは鳴りを潜め、余りにも弱々しい。
亡者の如き呻きで無理な要望を繰り返す轟に対し、瞬は悔しさを噛み殺すように言い捨てる。
「機体がこのザマじゃ、もう無理だ……!」
「構うもんか、連れて、行け、あいつらの所まで……!」
「負けたんだよ、オレ達は! これ以上なく、完膚無きまでにな!」
残された僅かな体力を絞り出し、瞬は、聞き分けの悪い轟の左頬に拳を打ち込んだ。
明確な言葉にしてしまうことで、瞬自身もとうとう、抗う心より観念が勝ってしまった。
自分達が積み上げてきた尽くを否定された屈辱。
どころか、ろくに何も積み上げてすらいなかった事実を白日の下に晒された恥辱。
そして、弁解しようのないほど徹底的に、自分達が弱者であることを力尽くで認めさせられてしまった汚辱。
精神論では覆せない、確固として存在する判断力と技量差。
自分達より更に上手の強敵に一蹴されたのではなく、そもそもにおいて自分達が弱すぎたという、何一つ救いのない底無しの絶望。
加えて、自分達が負けを喫することは、個人レベルの敗北には収まらない。
実に一年近く、軍が多大な犠牲を払いながらも維持してきた赤道付近の防衛ライン。
そこに大穴を開けてしまうという、許されざる失態もまた孕んでいるのだ。
このダバオを占領されることによる影響は、世界全土を巻き込むものとなるだろう。
拳を振り抜いた、その後――――ぼろぼろと、これまで必死に保ってきた何かが、自分の中で音を立てて崩れ落ちていくのを瞬は感じる。
逃避と欺瞞、そして根拠のない思い込みを混ぜ入れてきた心の刃だ。
そんなものは所詮は鈍、いずれ確実に砕ける運命と知りながら、見栄えのためだけに表面だけを磨いできたのは、己自身。
この結果に何ら理不尽なところはない。
道理に従い、道理がやって来ただけの話。
メテオメイル対メテオメイルの戦闘が幕を開けて以降、地球統一連合軍の喫した、初の敗北。
それをもたらしたのが、他の誰でもない、自分――――
このような結末など、受け入れたくはなかった。
拒む気持ちに、今でも変わりはない。
だが、目尻に浮かんだ熱いものが、魂が屈服してしまったことの何よりの証明だった。
「引き分けでもなんでもない、全力を出し切った上での、掛け値無しに本物の、負けなんだよ……! もうたわ言はやめろ、これ以下になる気か、轟!」
「黙れ……黙れ黙れ黙れ。何が負けだ、何が無理だ……」
喚きながら、轟もまた、仕返しといわんばかりに余力を振りしぼり、瞬の顎へと頭突きをねじ込んだ。
瞬はたまらず尻餅をつき、そして支えを失った轟もまた、前のめりに倒れ伏す。
瞬は、もう一発くらいは拳なり蹴りなりが飛んで来ることを覚悟して身を固くするが――――代わりに瞬の心をひどく打ったのは、初めて聞く、轟の啜り泣くような声だった。
「わかってんだよ、一々説教されなくとも……この俺が一番な!」
「轟……」
「クソが、クソが、クソが……俺は、死ににいくことすら、できねーのか……!」
その嗚咽は、ある意味で一番わかりやすい、終わりの合図だった。
瞬はもう、何の言葉もかけることなく、泥水の中に体を預ける。
少しだけ雨脚の弱まった景色の向こうに、へし折れたジェミニソードを見かけたような気がしたが、それは果たして、現実であったのか、それとも心象の蜃気楼か。
今の瞬にはもう、考える気力さえ枯れ果てていた。




