第27話 渦中へ
「やあ連奈、こんな時間に昼食とは珍しい……ご一緒しても?」
「どうぞ。とは言っても、私はもう食べ終わった所だけど」
もうすぐ午後二時を迎えようという頃、食堂で遅めの昼食を摂っていた連奈の前に、トレーを持ったセリアが現われる。
メテオメイルパイロットの出撃から帰還までをサポートするメインオペレーターの一人であるため、その休憩時間は不定――――という話を、前に本人から聞いたことを連奈は失念していた。
今日の連奈は、誰の目もないのをいいことに、胃袋が命じるままに大盛りの親子丼を選んでいた。
普段注文している洋食のセットは、あくまでそうした嗜好であることを気取っているだけに過ぎない。
基地内での数少ない話し相手に見られてしまったのは何とも薄倖である。
しかし、セリアはころころと他人に対する印象を変えるタイプではなく、自分が体裁を気にしすぎているだけかもしれないという疑念もある。
「なら、質問するタイミングとしては丁度良かったのかな。あまり他人の諍いに首を突っ込むのは趣味じゃないんだけども、彼らに指示を出すオペレーターとしては不用意な発言も避けたいからね」
「ああ、その事……」
連奈がこのような時間に食堂にいるのも、セリアが知りたがっている出来事と大いに関係がある。
食堂に限らず、シミュレータールームにおいても、どちらとも鉢合わせしたくなかったからだ。
他人との会話を面倒くさがる連奈だが、そうしようとする意志が中々湧かないだけであって、完全にシャットアウトするほど閉鎖的な性格でもない。
特に面倒事というのは、誰かに吐き出さなければ中々気が晴れるものでもなく、その意味でセリアの来訪は都合が良かったといえた。
「お昼前に、風岩君とすれ違ってね。それで、連奈なら何か知ってると思ってさ」
セリアは申し訳なさそうな表情をしながらも、隣の席に座るやいなや、待ちきれないと言わんばかりにパスタサラダを啜り始める。
その様子を苦笑いしながら一瞥すると、連奈は今朝の一件を振り返ってみた。
「……悪い、よく聞こえなかった」
最近になって連奈は、執務室で行われる毎朝の簡易ミーティングに顔を出すようになった。
ケルケイムから、来ない者には出撃させないという至極当たり前のルールを提示されたからだ。
だが、態度の善し悪しに関わらず、どのみち自分に次回の出番は与えられないようであった。
今日の伝達事項は、そういう内容だった。
「もう一度言ってくれや、司令さんよ」
連奈の右隣に立つ轟が、威圧の目線をケルケイムに向ける。
轟がケルケイムの指示を素直に聞き入れないのは、もはや恒例であったが、しかし今回ばかりは普段と大きく異なる反応をみせる。
命令があまりに許容し難いものであったためか、不快さを表わすより前に、再確認という手段に出たのだ。
誤伝ではないのかとさえ考える程、轟にとって、今回の件は有り得ない事態ということだ。
そんな轟に対し、ケルケイムは憮然とした態度で、再び口を開く。
「何度でも言おう。次回の迎撃は、一部の例外的状況を除き、セイファートとバウショックの二機を出す。こちらの懸念通りに敵機が複数同時出撃を行い、それぞれ別個のポイントに侵攻するようならば分散して事に当たってもらう。同じポイントに侵攻、或いは依然として単機で出てくるようなら、二機でチームを組んで戦ってもらう」
オーゼスが今後どう出てくるかはさておき、より有利に立ち回ることを考慮すれば、二機同時運用は必定の流れである。
ゴッドネビュラ戦におけるオルトクラウドの追加投入が無くとも、こうなることは遠い未来の話ではない。
その意味では、少し瞬に言い過ぎたような気もしなくはないが、切り札の露呈が一戦分早まったこともまた事実である。
そして、余計な問題の表層化もだ。
「最後の一文の意味がさっぱりわからねーな」
「状況次第では瞬と共闘してもらうという事だ。これで、理解できたか」
「どうして俺とこの小技野郎なんだって聞いてんだよ……!」
更に右隣に立つ瞬を顎で指して、轟が憤る。
だが、実際には瞬だけではなく、自分も拒絶の対象であることを連奈は確信する。
現在は戦績が頭一つ抜けているため、強さを万事の物差しにする轟にとって、連奈の名前を挙げることは都合が悪いだけだ。
「メテオメイルの連携戦闘に関するデータ、そしてお前達三人の、味方機に対する理解度。そのどちらもが不足している現状、攻撃範囲の広すぎるオルトクラウドを他と組ませることは危険が伴う。故に消去法で、まずはセイファートとバウショックから、というわけだ」
「バラバラに攻めて来るなら、お互い勝手にやればいい。だが一緒に攻めてきた時は、俺一人でやらせろ……! 他の奴の手は借りねー……!」
そして、そう――――改めて実感するが、この手の話題で轟がいつも露わにする感情は、拒絶だった。
他人と連むこと自体を億劫とする連奈とは異なり、轟の場合は誰かを傍に置くことに対し、明確な否定の意志で応じる。
最初の内は、本人が口にするように、他人の力を借りることを弱さと定義しているものだと決め込んでいた。
だが実際は、確たる根拠はないが、それとは別の理由があるように連奈は思う。
己の力が絶対的で他を隔絶するという自信、それだけを抱いて戦いに臨むのであれば、周囲の有象無象を意識する必要など無いからだ。
敵の絶対数が極小であるため、手柄を掠め取られることの影響は大きいが、しかし轟の場合はやや神経質なまでに味方を自分の周囲から排除しようという節がある。
その理由までは、ろくに会話した試しのない連奈に察することは不可能だが。
「なあ、轟」
「ああ……!?」
「てめえは……」
だが、条件はほぼ対等にしろ、瞬は違っていた。
それまでケルケイムに突っかかる轟を傍観しているだけだった瞬が、唐突に口を開く。
苛立つように、そして呆れるように。
女の勘、というよりは従妹としての経験則から、この時点で嫌な予感はあった。
誰の得にもならない“余計な真似”に限って、瞬は他の誰より頭が冴えているのだ。
その用途のみ、やたらと視野が広くなる辺りも含めて、本当に不器用な男だと連奈は少なからず同情する。
「――――てめえは、一体何にビビってやがるんだ」
果たして、その言葉は轟にとって、どれ程痛烈なものだったのだろうか。
完全なる静寂を挟んだ後、音が一発、執務室の中に轟く。
聞くだけで何が起こったかが容易に想像できる、鈍い音だ。
「……なるほどね。北沢君の触れてはいけないものを、風岩君は見事探り当ててしまったというわけだ」
「煽りの才能だけなら間違いなく優秀よ、瞬は。おかげで戦闘とは関係のないところで大怪我だけど」
「となると、対応に困るのはいつも通り北沢君の方だけか。心理学には精通しているつもりだけれど、彼をコントロールするにはまだまだ情報が足りないのが悩みどころだ。ほとぼりが冷めた辺りで、次は風岩君に話を伺うとしよう」
セリアはそう決めると、コップに注がれた水を一口で飲み干す。
セリアの豪快な飲み食いは、人目をあまり気にしない性格以上に、オペレーター席に座ることで消費されるカロリーの激しさを裏付けているようもであった。
なので、パイロットとしてサポートを受ける立場の連奈も、それについて言及することはしない。
「彼も彼で、最近の戦いぶりは精彩を欠いているから、少し心配なんだよね」
そして、だいぶ時間が経ってから、セリアは思い出したようにそんな事を言った。
「精細ね……セリアからも、そう見える?」
「少し主観も混じっているかもしれないけど、風岩君は、最初の戦闘が一番“切れ”があったと思うよ。操縦方法もろくに知らないまま出撃して、そして初めて姿を現したエンベロープと互角に渡り合った。あの時点での集中力は凄まじく高いものだったし、素人なりに自分の立ち回りを意識していたようにも思う」
連奈も、全くの同意見だった。
以降の戦いでは敵パイロットの奇抜さに面食らうことが多くなり、それが原因で劣勢に立たされるという理屈も、同じ経験をした連奈としては否定できない。
だが瞬の場合は、戦いを経るごとに、確実に腕が落ちているように感じられた。
一戦目、二戦目、そして三戦目。
未知の最新鋭機とはイーブン、しかし、既に存在が確認されているものに苦戦するという矛盾。
まさしく、手入れを怠ったことで次第に切れ味の落ちていく剣を見ているような気分だった。
瞬の腕前を過大評価をする気はないが、しかし、以前はこんなものではなかった筈だった。
だからこそ、先の戦いでわざわざアドバイスを与えるような真似もしたのだ。
「操縦訓練はしっかりやっているみたいだし、データの上では確実に成長傾向にあるんだ」
「でも、不思議と実戦での勝利にはまるで繋がらない。技術よりもっと大事なものが削れ続けているから」
「上手く言語化して助言できないのが残念だ。オペレーターとしての知識はあっても、私自身は戦う人間ではないからね。同じ立場でしかわからない事というのは多い」
「かといって、私からこれ以上何かを言っても逆効果よ。結局は、理不尽な目にでも遭いながら。自分で気付くしかないのよ」
瞬も、轟も、そして自分も、順当な成長など見込めないほどに拗くれた人間だという確信はある。
ハイリスクハイリターンの荒行の中でしか、成長が見込めないのだ。
だから連奈は、施しは最低限、あとは放置というスタンスを取るのだ。
その方針は、三人の間で取るべき行動としては、間違いなく正解の一つである。
ただし、襲い来る不条理の中で心が折れてしまわなければという、大前提の条件が付くが――――
「痛みが全然引かねえ……。轟のやつ、全力でぶん殴りやがって」
自室のベッドに寝転がった瞬は、湿布の貼られた左頬をさすりながら呆然と呟く。
既に轟の一撃を受けてから四時間ほどが経過しているが、未だに激痛が収まる気配はない。
反射的に身をずらしたおかげで、どうにか歯が折れることだけは免れたが、頬の内側と歯茎は舌で触りたくないほどの荒れようである。
「全力か……」
殆ど意識が飛びかけていたため、直後の状況をよく思い出せないが、尚も自分に拳を振るおうとする轟をケルケイムが必死の形相で羽交い締めにしていた光景だけは覚えている。
そして、色の濃いサングラス越しにもわかる、轟の血走った野獣のような目も。
普段は自分を格下扱いし、低俗な挑発に反応するのはみっともないという態度を貫いていた轟が、ああまで怒りを露わにするのは初めての事だった。
自分がなんとなしに放った言葉が、的確に急所を突いてしまったということだ。
瞬にとっては、昔から良くあることだった。
相手がひた隠しにしているもの、どうしても譲れないものを、感覚的に見抜くことの出来る力――――
口喧嘩や挑発には大いに役立ったが、たまに意図せずして発揮されてしまうこともあり、そのせいで余計なトラブルを招いてしまったこともある。
今回にしても、毎度の如く作戦に異を唱える轟に多少なりとも苛立っていたのは事実だが、ああまで激昂させようとは全く思っていなかった。
現在の心境は、その罪悪感と、北沢轟という人間の中身をようやく表に引きずり出せたという達成感で六対四というところだろうか。
「いや、一〇対〇だ。今まで散々俺のことを薄っぺら扱いしてきやがった分の仕返しだ……!」
例えそれが自分の導き出した理屈でも、全てに納得できるわけではない。
瞬は感情のままに吐き捨てると、午後の訓練が免除になったこともあって、久しぶりの昼寝を満喫しようとする。
だが、その与えられて然りの休息も、たったの数分程度で終わりを告げることになる。
未確認機体の出現を伝える非常警報が、基地内に鳴り響き始めたからだ。
眠りを妨げられた瞬は、不快さを露わにして跳ね起き、そして格納庫へと走った。
『AEX-01セイファート、リフトアップ』
セリアのアナウンスが流れる中、上昇する台座に乗せられたセイファートが、地上へと姿を現す。
圧倒的な機動性と敏捷性を持ちつつも、未だ無勝の誉れ無き英雄。
セイファートは数歩前進し、長大なリニアカタパルトの始点――――無数に並んだ巨大な電磁加速用リングの内部で待機する。
『続いて、AEX-02 バウショック、リフトアップ』
セイファートの射出シークエンスが進行する中、更に地下ブロックより、バウショックがせり上がってくる。
強固な重装甲と凄まじい膂力を誇りつつも、こちらもまた無勝の盛名無き闘士。
バウショックはようやく獲得した二脚のみでの歩行能力で、すぐに次の準備を開始できるよう、一歩だけ前に出る。
更衣室で出くわして以降、二人のパイロット間に、ただの一度も会話はない。
共闘するつもりなど、どちらにも毛頭ないからだ。
「なあセリア……二機出てきたってのも十分に悪いニュースなんだけど、どっちも未確認っていうのは、本当か?」
セイファートに搭乗した瞬は、フィリピン近海に出現したという二機のメテオメイルについて、再度確認を取る。
それが事実であれば、相当な苦戦は免れないからだ。
『ああ、ほぼ間違いないそうだ。監視衛星から送られてくるデータに映っていた機体は、両機とも既存機種とは似ても似つかない外観をしている。エンベロープ以来の初お披露目になる、新型機というわけだ。先入観に囚われず、冷静に対処して欲しい』
「わかってるさ……見かけで何を得意とする機体か判断するなって事だろ」
『あとはそう、事情を又聞きした身としては言うのが躊躇われるんだけど、立場上、君達に一応言っておかなければならないことがあるんだ』
「申し訳ねえけどよ、そこは口をつぐんでいてくれると助かる。どれだけ強制されても、絶対従わねえし」
『それが、勝利するためでもかい?』
「勝ちたいからこそ、スルーしなきゃならねえんだろ。正論は、轟の野郎が好き勝手しなくなってから頼むぜ……」
同時に回線を繋げているバウショック方からも、理由は異なれど同じく拒否の回答が返ってきたのだろう、お喋りなセリアにしては珍しい沈黙が、しばし続いた。
『……とりあえず、私から言えることは、勝つための可能性を自分達で狭める必要はないということだけだよ』
「勝ちたい気持ちだけなら、たっぷりとあるさ。言葉にすると本当に情けないことだけどよ、もう三戦もやってろくな結果が出てねえんだ。今度こそ、今度こそ敵をきっちり倒してみせなきゃあな……!」
その思いは、轟も同じであろう。
これ以上の戦績不振を、他ならぬ自分達自身が認めることができないのだ。
都合三度の防衛に成功し、戦線維持に大きく貢献している瞬。
無人機を撃墜し、救助の成功にに一役勝った轟。
大きな失態がない代わりに、強者を名乗る為に必要な唯一の証明も手に入れられない、現状に甘んじることもまた許される立ち位置。
妥協の誘惑がちらつく絶妙なラインの上に立つが故、余計に焦りが生まれてくるのだ。
そんな泥船の如き心構えの操縦者を乗せたまま、セイファートとバウショックは、不吉な気配を漂わせる戦場へと送り出されていった。




