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第26話 外道と合気道

「十輪寺のアホが……」


 スラッシュ・マグナルスはそう吐き捨てると、殆ど空になったロックグラスを逆さにして、不作法にも落ちてくるウイスキーの雫を舐め取った。

 そこがカウンターであればバーテンダーの目を憚る必要もあったが、生憎とここは、少し離れたボックス席の一つである。

 長い赤髪の大半を逆立てた、箒の如き奇抜なヘアースタイルは、人相の悪い顔つきと相まってパンクロッカーやヘヴィメタラーを彷彿とさせる。


「技術スタッフの連中を無茶な要望で酷使しておきながら、あのザマかよ。一撃で消し炭になりやがって」


 しかし、スラッシュはその類の人物ではなく、このような外観は単なる趣味の範疇を出ない。

 また、サミュエルを除いた他のメンバーと同様、首から下は律儀にビジネススーツを身に付けていた。

 エラルドのそれとも違い、妙な装飾もなく、完全な無地のブラックである。

 スラッシュはグラスが完全な空になるや否や、テーブルの向かいに置かれていた、バーボンの注がれたショットグラスを自然な動作で手に取る。

 それは、話し相手として捕まえてきたゼドラ・フォーレングスの物であったが、スラッシュにとっては些細なことであった。

 直後にゼドラの吐いた、小さな溜息にしても同様である。


「十輪寺さんはパイロットの中でも特に、マシンデザインに対する拘りが強い人ですからね。……それも、戦闘とは余り関係のない方面で」

「だろ? お前もそう思うだろ、なあ? 戦闘ってのは、結局実用性が肝心なわけよ。どんなに格好良かろうと、勝てなきゃあ意味がない」

「……その点については、同意します」

「まあよ、拘りを全否定するわけじゃあないんだよ、俺は。それが実用性に繋がるっつーんなら、十分アリだと思ってる。ラビリントスやダブル・ダブルなんかがいい例だ。ああいうよ、上手く“ハマってる”のなら、文句の付けようはねえ。俺の“スピキュール”もそうだしな。だがよ、十輪寺のネビュラだけは、ありゃあ駄目だ。シンクロトロンも同類だが、あれだけは罪の重さが違う、どうしてだかわかるか?」

「スピキュールの開発スケジュールの遅延、ですか」

「そうだよ。七番機エンベロープが完成してから、もう二ヶ月だぞ、二ヶ月。先に三番機のネビュラを完璧に仕上げるって事で、あれに人員の大半を持ってかれちまったんだよ! しかもあんなポンコツの為によ!」


 がなり立てるスラッシュの顔は赤らみ、目も焦点がどこか定まっていない。

 特に耐性があるというわけでもないのに、もうかれこれ三時間はアルコールを摂取し続けているのだから、当然と言えば当然の結果ではあった。

 訓練を受けた人間のように、無意識的な警戒心が残されているかといえばそうでもなく、本当にただ隙を晒している。

 だが、スラッシュの過去の経歴は、そのような素人じみた張りの無さとは大きく反するものであった。

 八人目のオーゼス所属パイロット、スラッシュ・マグナルス。

 百万の隕石ミリオンメテオによる世界規模の混乱に乗じ、幾人もの優れた格闘家や武術家、軍人や警官などを近接戦闘にて再起不能にしてきた、凄腕の“外道”。

 スラッシュは目標を狩るためなら、全ての卑怯を良しとする。

 刃物、鈍器、催涙、閃光、電撃、毒酸、古今東西のあらゆる道具を以て、磨き抜かれた肉体を持つ強者を屈服させるのだ。

 銃火器等で遠距離から狙うなどという愚かな真似はしない。

 軍隊や警察という、最大手の“正道”が運用する武器を用いたところで、外道が正道を上回るという証明になどなりはしない、という独自の観点を持つからだ。


「俺様は、常々疑ってるのよ。身体能力を高める必要性も、肉体が繰り出す“技術”の概念も」

「はあ」


 スラッシュは、顎の薄髭を撫でながらそう言ってのけると、勝手にゼドラの分まで追加の酒をオーダーする。

 ゼドラが力なく返答することに関しても、現在時刻が午後十一時を回っていることも、相変わらず気にも留めない。


「どっちもな、何処にだって転がってるありふれた“卑怯”で軽々覆せちまうんだよ。下らねえとは思わねえか。ルールをちょろっと破るだけで、一般人に毛が生えた程度の身体能力しかない俺様が、数十年分と鍛えてきたプロを正面から叩きのめしちまうのは」


 如何に姑息なやり方であるとはいえ、鍛錬を抜きに熟達した腕前を持つ人間に勝ててしまうのあれば、それも才能の一種といえる。

 だが、スラッシュにその自覚はなく、例えあったとしても頑なに否定する。

 あくまで“卑怯”を根拠として勝利を収めたい為だ。


「武器を持たない場合や、武器を取り出す手間さえ惜しまれる場合、また、相手との距離によっては体術も有効かと思われますが」

「模範解答してんじゃねえよ、ゼドラちゃん。常時服の中に何か仕込んどけば、それも解決なんだよ。棘付きのプロテクターとか、ガスを噴射できる装置とかな。屁理屈を並べてるんじゃねえ、現に俺様はそうしてる」


 スラッシュのスーツの各所に窺う事の出来る、僅かなふくらみと不自然な重量感。

 そこに、相当量の“卑怯”が積載されている事実を察することは、ある程度訓練を受けた者ならば容易に察することはできる。

 同時に、その悪辣な城塞を対人戦闘で崩すとなると、極めて困難であるということも。


「ともかくだ、そんな俺様の信条を全力で表現できるのが、メテオメイルってわけだ。何せこんなことをやってんだ、当然ながら個人の主張としては“何でもアリ上等”なわけよ。だが生身の戦いにおいては、それはガバガバの理論だ。ナイフやスタンガンはオーケー、でもロケット砲だのミサイルだのは無し!ってんじゃ格好つかねえだろ」

「しかし、メテオメイルを用いた戦いなら、面倒な制約は全て取り払えると」

「そうだよ、わかってるじゃねえかゼドラちゃん。メテオメイルなら、向こうさんにも核だろうがBC兵器だろうがバンバン使って貰ってかまわねえ。相手の卑怯を全部許容できてこそ、こっちも遠慮無く卑怯な真似に出られるってわけだ」


 人類の存亡をかけた、投入戦力に一切の妥協がない、真の意味での全力対全力。

 外道の限りを尽くして尚、容易には破壊し尽くせないほど、世界は広く、抵抗する者も多い。

 世界の全てを制圧せんとするオーゼスは、まさにスラッシュにとっての理想が叶う場所なのだ。

 だが、侵攻開始の直前にスカウトを受けたスラッシュは、実に一年以上も出撃を待たされたことになる。


「ですが、遂にスラッシュさんも実戦に出られる時が来たではないですか」


 ゼドラが、如何にも会話を締め括りたそうに、端的に最新の事実だけを述べてくる。

 実際の開発状況はゼドラが口にした通りであり、スラッシュの搭乗機として開発が進められていた “スピキュール”は、数日前にようやく、数千時間以上にも及ぶ試験運用を終えていた。

 そう、十分なデータの採取も終わり、既に実戦可能な段階にあるのだ。

 そして、次の出撃にスピキュールが投入されることも決まっている。

 もっとも、それでもスラッシュが愚痴をこぼさずにいられないのには、大きな理由があった。


「ああ、それはとんでもなく嬉しいんだよ。心の底から喜びたい。とうとう俺様の卑怯をワールドワイドに披露できるわけだし、特に今は、丁度セイファートやらなんやら、都合のいい敵もいる。良いこと尽くめだとは思ってるよ、ホント」

「……だとしたら、一体何が不満だというんです?」


 突然、真横から投げかけられた言葉に、スラッシュもゼドラもやや身を強張らせる。

 音もなく、気付けばテーブルのすぐ傍に、声の主は悠然と立っていた。

 純白のスーツを纏った、柔和に微笑む細目の男。

 眼鏡のフレームは着衣と対極の吸い込まれそうな黒い輝きを放ち、その視覚的なギャップは相対するものに奇妙な印象を残す。

 男の名前は、霧島優。

 れっきとしたオーゼスの一員であり、メテオメイルのパイロットにも任命されている。

 ただ、本人に悪気はないのだろうが、霧島は組織内の誰にも察知できぬほど自身の気配を殺す術に長けている。

 相手の視覚から外れ、足音と呼吸音を消し、そして意識を他者に向ける事すら停止――――最悪、目の前に立たれていても、その姿を認識できないことさえある。

 そんな人力のステルス能力を、恒常的に発揮しているのだ。

 つまり、霧島の側から話しかけてくる場合には、ほぼ間違いなく相手の心臓を跳ね上がらせる結果になってしまうのだ。

 そのせいで、最近になってスカウトを受けたばかりの新参者であることとは別に、誰からも苦手意識を持たれていた。


「俺様の栄えある初出撃が、お前と一緒だって事だよ」

「ひどいなあ」


 霧島は四十代とは思えぬほど若々しい表情に、上っ面だけの悲しさを浮かべる。

 スラッシュと霧島、二人同時の出撃は、組織内での決定だった。

 オーゼスは、この十四ヶ月の間に行った数十度の侵攻の内、僅か三度だけ、敢えて複数機同時出撃という措置を取った。

 各メテオメイルの実戦データ収集を急ぐためだ。

 もっとも、それらはあくまで例外的なものである。

 セイファートが出現して以降は、対等な戦いを行うため、稼動可能な機体数の上限に関わらず一機だけの出撃という制約を頑ななまでに遵守してきた。

 しかし前回、ゴッドネビュラとセイファートの戦闘にオルトクラウドが介入したことで、地球統一連合軍が二機のメテオメイルを同時に運用できることが明らかとなった。

 これによって、オーゼスもまた、今後は連合と同数の二機を送り込むことを決めたのである。

 そして、この新体制で最初に出撃することになるのは、双方ともが完成したばかりの新型機である。

 OMM-08 スピキュール。

 OMM-09 プロキオン。

 開発が延期してしまった事情は異なるものの、その遅れを取り戻すために実戦データを欲しているという点では、どちらも同じ境遇である。

 片方を温存しておくという情報面でのアドバンテージを考慮せず、諸々の欲求を優先して同時に新造機体を出してしまうのは、趣味人の集まりでしかないオーゼス故だ。


「俺様はな、力も技も、その有用性の尽くを否定してやりたいんだよ。全ては卑怯に劣るってな。だがてめえは、技の体現者みてえなもんだ。てめえの力を借りて勝っても、俺様の正しさが証明されることがねえ」

「そうとも言えますね」

「てめえはどう考えてるんだよ、俺様と組むことに関しては。どう考えたって水と油な関係だろうが」

「そうですか?」

「違うのかよ」

「勿論、卑怯な手段というのは素直には受け入れがたいですよ。でも合気道というのは、身体能力の低い者が、その差に関係なく相手を制するための武道ですからね。その意味では、貴方の拘りとは似たような性質を持っているんですよ。なので、全部込みの総合的な評価はプラスマイナス0といったところでしょうか」


 霧島は爽やかに笑んで、そう答える。

 合気道――――体術を主体とした、相手の攻撃の無力化を図る総合武道。

 それこそが霧島の特技であり、全てである。

 幼少期より実父に技術を叩き込まれ、少年時代は有名な会派の中で段位を獲得するまでに至ったが、成人後は特定の団体に属さず、ひたすら独力での研鑽を続けて来た。

 合気道の理念や精神性に心酔する霧島としては、技術の習得という自身に対する恩恵よりも、創始者を始めとした一部の者達だけが辿り着くことのできた、ある種の境地を目指す方が優先されたからである。

 どの会派とて同じ理念を掲げこそするが、組織としては理念だけを追うこともまた難しい。

 演舞的、スポーツ的、武器術的、健康法的と、何かしら形として残る技能を身に付けるための会派が大半であった。

 だが、個人で精神世界にのめり込むが故の危険性もまた存在する。

 和合、万有愛護――――それら「争わず」の思想を突き詰めていった結果、霧島は世界に、“完全に溶け込んでしまった”。

 合気と呼吸を極めた末に、自分という人格を極限の無にするという結論に行き着いたのだ。

 今の霧島には、裏や表といった精神面における正負の区別は存在しない。

 水のように、空気のように、何もかもを受け流す、まさに掴み所のない何かへと成り果ててしまったのだ。

 唯一残された欲望は、更なる護身の高みを目指すことのみ。

 ただし霧島の定義する護身は、自己の安全確保への固執、即ち他の全てを切り捨てるという、何とも“歪に洗練された”ものである。


「ああ、そうだったな。テメエさえよけりゃあ他はどうでもいいってところも、俺様とよく似てるんだったな」

「どうでもいいだなんて、ひどい言い方だなあ。僕はただ、自分の命を守ることに全力を注いでいるだけです」


 現在の状況を冷静に考えてみて、何処が安全であるか。

 霧島がオーゼスのスカウトを快諾したのも、たったそれだけのシンプルな理屈でしかない。

 それぞれが一騎当千の戦闘力を持つメテオメイルを複数機所持するオーゼス。

 数千万人もの犠牲を出し、治安も生産能力悪化、そんな満身創痍の状態で戦線を維持している地球統一連合政府。

 必要最低限の人数で回っているオーゼスは持久戦においても有利。

 更にメテオメイルは理屈の上でも堅牢で、それに乗り込める立場は、霧島にとって悪くはない条件だったというわけだ。

 争いとは真逆の方向を目指しながらも実戦に出る気になったのは、プロキオンという機体の特殊な立ち位置が理由である。


「護身の精神……ってやつか」

「まあ、そんなところです」

「だが、実戦で役に立つのかよ。俺はどの武道も役に立たねえと思ってるが、中でも合気は一番八百長臭さを感じるぜ」

「確かに、メディアに出るようなものは、仲間内で演っているからそう見えてしまうし、実際そうかもしれません。ですが、少なくとも僕に限っては、しっかり対人でも力を発揮しますのでご心配なく。人体と同様の動作が出来るものでも、それは変わりません」


 霧島はただの水をバーテンダーに注文しながら、そう答える。

 しかし、席に座る様子は微塵もない。

 誰が敵に回ろうとも、即座に万全の守り、或いは最速の回避を実現するためであろう。

 その徹底ぶりに感心しながら、スラッシュは便乗して締めの一杯をオーダーした。

 勿論ゼドラの分もだ。


「まあ何でもいいが、俺様の邪魔だけはするなよ。味方とはいえ、俺様がムカつくタイプに変わりはねえんだ。余計な真似をしやがったら、てめえから潰すことになるぜ」

「それは怖いなあ。もしそうなったら、全力で逃亡させて貰いますよ」

「ちっ……何の手応えもねえ野郎だ。まったく、普通にバラけて出撃させろってんだよな」


 スラッシュが幾らガンを飛ばしても、霧島はにこやかな笑みを返すだけであった。

 得体の知れない――――いや、得体のない仲間を、如何に利用し尽くすか。

 スラッシュは泥酔した頭で、纏まらないなりに幾つかの策を模索し始めた。

 自分達の力が、これから相対することになる二人を死に至らしめかねないほどの猛毒であることに気付かぬまま。



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