第23話 煩躁(前編)
「そういえば瞬……お前宛に手紙が届いている」
南極近海での救助作戦から、二日後。
メテオメイルのパイロット三人を対象に行われる毎朝のミーティングが終わると、ケルケイムはそう言って、執務机の上に置かれた封筒を手に取った。
何処からだ――――そう尋ねようとしたが、瞬は喉元まで出かかった言葉を撤回した。
繊維の太さがはっきりとわかる封筒表面のラフな質感は、和紙のそれだ。
西暦2200年の現代にあってもそんな古くさい格式張ったものを用いる面々ともなれば、心当たりは一つしかない。
故に瞬は、質問の内容に変更を加える。
「誰からだ?」
だが、言い回しの問題ではなく、問うたこと自体が失態である事に瞬は気付く。
この時点で、後に続けるはずの言葉を持ってくるべきだったのだ。
瞬は、無思慮に言葉を紡いでしまった自分の浅はかさを内心で責める。
「送り主は、風岩刃太とある」
その名を久しぶりに耳にして、まず瞬の内部で起きた異常は、思考の白化だった。
もはや苦痛にすらならない。
余りの忌々しさに、深層心理が、脳内を駆け巡る電気信号の即刻停止を推奨してきたのだ。
先日の作戦を無事成功させたことで、間接的ながらも連合政府から表彰を受けたことも。
救助した調査隊から提供された南極水域の貴重な地形データも。
たかだか無人機に苦戦を強いられてしまった轟が今日になっても未だ最悪の機嫌であることも。
その戦闘における轟の操縦によってセイファートがまたも大破してしまったことも。
一方でバウショックは脚部構造の問題が解決して大幅に完成に近付きつつあることも。
今日のミーティングでケルケイムから伝えられた内容の全てが、無理に押し込めていた記憶の蓋が外れることで、一瞬にして吹き飛んでしまった。
暫くして――――といっても実時間では数秒と経過していないが、三十分ほど前に掻き込んだ朝食が胃からせり上がってくるのを瞬は感じる。
ようやく、思考が稼動するレベルの精神負荷にまで段階が下がってきたらしい。
「……そうか、じゃあ捨てといてくれ」
体調の急激な悪化に関わらず、その言葉だけは淀みなく、そして朗らかな笑顔を保って発することが出来た。
願わくば本当にそうして欲しいという尋常ならざる切望の発露に、肉体が応えた形になる。
だがケルケイムは瞬に近付き、有無を言わさず、封筒を瞬の眼前に差し出した。
「お前に対する手紙だ。まずは、受け取れ」
「だから、いらねえって……。あんたも常日頃から言ってるだろ、より多くの精神波を安定して放出するには、よりよい精神状態を維持することが大事だってさ。市民の命を預かるパイロットとして、心身のコンディションを保つ為の適切な判断を下したってことで逆に褒めてもらいたいぐらいだぜ」
「よりよい精神状態だと思っているのか? 己の弱さから目を背ける、その姿勢が」
「っ…………!」
即興で並べ立てた屁理屈を一蹴され、刹那的ではあるが、ケルケイムに対する激しい怒りが沸き上がる。
それでも一瞬の内に激情の波が収まってしまったのは、この上ない事実を突き付けられたことによる納得のせいだ。
だが今の瞬に、その自覚はなく、理性のストッパーがかかったことを逆に不可解にさえ思う。
それこそがまさに、現実逃避を行っている何よりの証明であるのだが――――
「処分したいというのなら、お前自身の手でやればいい。私には、そこまでの世話は焼けない」
冷徹なケルケイムの目線が、瞬を捉える。
その瞳に宿るのは、瞬がパイロットとなることを決めた事情を知った上での厳しさだ。
ケルケイムは言外に、現実と向き合えと、瞬に渇を入れている。
しかしそれではまるで、今の自分が向き合っていないようではないかと、瞬は心中で反駁する。
結果的に、手紙を引ったくるようにして受け取ったのは、ただの反抗心に由来するものであった。
「……すぐに捨てるからな」
「渡すまでが私の仕事だ。あとはお前の自由だ。推奨はしないがな」
「じゃあ、早速近場のゴミ箱にぶち込むとするか……もう話は全部終わりだよな」
ケルケイムは静かに頷く。
ミーティング自体は、既に解散している。
瞬は、珍しく早々に退室していない轟と連奈の脇を抜けるようにして、執務室の扉を開き、そして外に出た。
まだ午前九時前だというのに、シミュレーター訓練を終えたとき以上の重苦しい疲労感が、既にその体には蓄積されていた。
「……何がどうなってやがる」
相変わらず個人的事情で険しい表情のまま、轟は連奈を見遣る。
瞬の精神状態などは全くどうでもいいにせよ、しかし興味を惹くものがあったからだ。
これまでの一ヶ月、轟にとって風岩瞬という人間は、喜怒哀楽がはっきりしているようで、その実、全ての発言と行動に、真に迫るものを見出せなかった。
しかし今日ようやく、薄っぺらな理想が剥がれかけ、その奥にある素顔を垣間見ることができたといっていい。
その正体が何であれ、人を突き動かす根源的理由というものを、轟は好む。
「瞬のお兄さんよ。さっきの、手紙の差出人は」
「ほお……初耳だな」
「普段は家族を見返したいだなんて誤魔化してるけど、あれは半分正解で、半分嘘。本当に負けを認めさせたいのは、刃太さんただ一人。個人に対する劣等感だからこそ、あそこまで肥大化していという理屈は、あなたにもわかるでしょ」
極めて億劫にではあるが、連奈が答える。
心底億劫であるからこそ、この機会に話してしまおうという腹づもりであろう。
三風連奈という人間に関しても、それくらいの事はわかりかけてきた。
「……成程な」
確かに連奈の言うとおり、対象が絞られていなければ、あの病的な忌避感の強さは実現し得ない。
フラストレーションを由来とする全ての不快感が、風岩刃太へと集中しているのだ。
そうなると当然、轟の中に新たな疑問が生まれる。
「どんな奴だ、その刃太ってのは。強いのか」
「簡潔に説明するなら、質実剛健、品行方正、文武両道の完璧超人よ。剣の腕は既に総師範と拮抗しうる程のレベルで、風岩家次期当主の筆頭候補。分家筋はどうにか襲名前の打倒を目論んでいるけど、番狂わせが起きることはないでしょうね。……私に言わせれば、余りにも隙がなさ過ぎて退屈な人」
「要するに、あいつの完全上位互換ってわけか。だから腐ってやがるのか、あいつは」
「そういう事。……超える超えると言いつつも、その実、本人が一番懐疑的なのよ。自分の潜在能力に対してね。だから瞬は、“ああ”なの」
本当に“それ以上”の存在となる自信があるのならば、あそこまでの露骨な拒絶反応が出るわけはない。
無意識の内に敗北を認めてしまっているからこそ、瞬は自分を鼓舞し、他人を嘲ることで、その苦しみから逃れようとしているわけだ。
わかればわかるほどに、この上なく惨めで哀れな男であることが浮き彫りになってきたと、轟は舌打ちする。
「所詮は、雑魚か……」
一度視線を床に下ろした轟が、再び顔を上げたとき、連奈の姿は自分の傍ではなく、扉の前にあった。
この話題に関して、自分が話すべき事は全て話したということなのだろう。
だが連奈は、退室する直前、半歩分だけ振り返る。
その表情は冷笑的でもあり、そして自省的でもあった。
「現実を直視できているかどうかという話なら、瞬を笑えるのかしら……あなたも、私も」
今度こそ本当にその場を去っていく連奈に、轟は何も言い返さなかった。
否、何も言い返せなかった。
瞬という人間を見て自分の中に沸き上がる苛立ちは、性格的な部分での反りの合わなさや見るに堪えない器の矮小さだけではなく、また別の理由の存在を漠然と感じていた。
連奈の言葉は、まさにその苛立ちの正体を、的確に掴みだしたといってもいい。
反論するには、余りにも腑に落ちすぎたのだ。
しかし、理屈が通っていることだけが真実ではないと、轟は肯定の寸前で、全てのロジックをはね除ける。
他人を、そして弱者を、自分と同族であるなどと受け入れる心の余裕は、轟には――――
轟にも、まだない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっしゃああああああああああああああああああああああ!」
余りにも暑苦しく、そして凄まじい声量による歓喜の咆哮が、ショットバーのドアが開け放たれると同時に、内部へ向けて“叩き込まれる”。
バーの中にはオーゼスが擁するメテオメイルパイロットの大半が集っていたが、しかし皆、対策は完全であった。
中年男性ばかりが集い、そして軍隊のように緻密なタイムスケジュールもないオーゼスにおいて、元気に駆け足で移動するような人間は、その男一人に限られる。
そのため、ドアの外で微かに響く軽快な足音を耳にした瞬間、全員が耳を押さえ、鼓膜の知覚神経が麻痺しかねないほどの大ボリュームから身を守ることに成功していた。
「うるっせえんだよテメエは!」
「あなたの声帯は一体どうなっているのですか……」
「もう少し静かにして貰いたい。いや、もう少しどころの話ではないな」
「むしろ二度と喋るな、願わくば未来永劫」
ごく自然な反応として、男に対して次々に容赦のない罵声が飛ぶ。
しかし男は悪びれることもなく、助走を付けたあと無駄に一回跳躍して、皆が腰掛けるカウンター席の手前までやって来る。
「とうっ!」
「随分とご機嫌だね、十輪寺君……」
未だに水面が微震を続けているワイングラスを横目に、白髭はやれやれといった表情で、その男に向き合う。
男の姿を一言で言い表すなら、異様であった。
そもそもろくに会合へ出席しないサミュエルは例外として、他のメンバーは常時ビジネススーツを着用している。
そのスーツにおいても、左右の半身でカラーリングの異なるエラルドという別の例外もいたのだが、しかしそれでも形状自体は正規のものであった。
一方で彼――――十輪寺勝矢の場合は、そもそもスーツでないどころか、フォーマルやカジュアルといった概念すら超越していた。
いや、厳密には、それはスーツに分類される。
ただし、ビジネススーツではないのだ。
首下から四肢の末端までを覆う、光沢のあるオールインワンの防護服――――それは名目上こそパイロットスーツと呼べる代物だが、しかし十輪寺以外の全員が、そう呼ぶことを敢えて避けていた。
独自改造を施され尽くした十輪寺のパイロットスーツは、余りにもセンスの欠片もないデザインだからだ。
パイロットの身体を保護する上で特にこれといった有用性のない、薄い半球状の肩パッド。
中央に大きく、手書きでVの字がペイントされた胸部プレート。
歩きにくそうなブーツと、物を掴みにくそうなロンググローブ。
ワックスで塗り固めたれ、強引に逆立てられた髪。
そして、額の上で固定された、実際には何の機能もない見せかけだけの半透明バイザー。
これが十輪寺にとっての私服であり、会議の際もビジネススーツの下に着込んでいるという無駄な徹底ぶりである。
まるで子供向けのアニメか特撮番組から飛び出してきたような、チープ感極まる出で立ちだ。
もっとも、その表現も適切なものであるとは言い難い。
何故なら着用しているのは、御年四十七歳の、相応に老けた男なのだから。
異様に太い眉、彫りの深い顔立ち、色黒の肌、筋肉質ではあるものの鍛えた箇所が上半身に偏っているバランスの悪い体型――――
絵的には悪の幹部と評するのが正しく、実際に立場としてもそれに近いものがあるのだが、始末の悪いことに、本人は自分のことを選ばれし勇者であると公言して憚らない。
「ご機嫌? そりゃそうさ、何たって次の出撃はこの俺! 待ちに待った二ヶ月ぶりの出番だからな。出撃はまだ五日も先だというのに体が疼いて仕方がねえ! 俺の心は、燃えるようにバーニングしているぞ!」
「その半分くらいの声量で頼めるかな。流石の私にも我慢できることとそうでないことがある」
「悪かった!!!! これからは、ちゃんと気をつける!!!!!」
「私の方も、気をつけることにしよう。いい加減に耳栓の常時携帯を考えなければな……」
巨大ロボット――――狭義的解釈によるところの、フィクション上の人型機動兵器をこよなく愛し、そのパイロットとなるためだけに己を磨いてきた夢想家、それが十輪寺であった。
しかし、この世界において、メテオメイルが登場する以前に人型の搭乗式ロボットが製品として実用化された記録はない。
作業用重機としても軍事兵器としても、予想される莫大な整備・維持コストの面から、開発に本腰が入れられることすらなかったのだ。
つい去年まで、社会における立ち位置も二十一世紀初頭とほぼ変わらず、大衆向けの見世物として、どうにか人間が乗れそうなサイズの機体が時折メディアで扱われるくらいであった。
そんな無情なる現実の中にあって尚、十輪寺は、インターネット上の掲示板やSNSにて愚かなる夢を語り続けた。
『もしも巨大人型兵器を開発している組織があるのなら、是非、そのパイロットには自分を』
終いにはわざわざ専用のウェブサイトまで開設し、素っ頓狂ともいえる自己アピールに力を注ぐ小企業勤めの中年自動車整備工。
毎日のアクセス数は、個人サイトとしては破格の回数を維持し続けた――――言うまでも無く、嘲笑目的での閲覧が九十九パーセントであったが。
だが二年前、サイトは突如として閉鎖されることとなる。
十輪寺の元に、十輪寺が思い描いた通りのオファーが舞い込んできたからだ。
その組織こそが、このオーゼスであり、そして十輪寺はSWS値の高さを見出され正規のパイロットとなった。
メテオメイルを用いた活動が事実上の破壊と殺戮であることについて、十輪寺が深く考えるようなことはない。
十輪寺にとって最大の欲求は、巨大ロボットを操縦すること、ただそれ一つ。
大地を駆け、空を飛び回り、武器を振り回す――――
乗ることさえ出来れば、如何なる目的に用いるのかなど意に介することさえしない。
世界には少なからずいるであろう、巨大ロボットに乗りたいという願望を抱いた同好の士とは、似て非なる思想を携えた異常者。
十輪寺は、四十年前から変わらぬ爛々と輝く瞳で、罪なき人々を踏み潰すことができるのだ。
彼の動力源は、今も昔も“巨躯を操り超常の力を振るうモノ”に対する憧れのみである。
「そしてだ、俺がここまで超絶ハイテンションなのにはもう一つ理由がある。……聞きたいか?」
「いや、別に……」
「そう、なんと遂に! 俺の相棒“ネビュラ”のサポートメカが完成してしまったのさ。これでようやく、ネビュラは真の力を解放出来る。遂に使用可能となる全ロボットマニア垂涎の超絶ギミック、超絶武装! これが喜ばずにいられようか!」
「本当に実装したのですか、あの機構を。技術スタッフ達の苦労が偲ばれますね」
呆れ半分、驚き半分といった表情でグレゴールが尋ねる。
十輪寺に与えられたメテオメイル、“OMM-03 ディフューズネビュラ”。
全長は約二十メートルと、大凡倍のサイズを誇る他のオーゼス製メテオメイルと比較してかなりの小柄で、形状に関しても実際の人体に近い体型である。
特徴と言えば、体を折り畳むことによってスポーツカーにも似た四輪車へと変形する機能を持つ程度。
これは、移動時に脚部へかかる負担を低減するための役割を持つ。
しかし可変機能という特性はあれど、戦闘を優位に進める強みをまるで持たない無個性の機体であると、連合軍には認識されていた。
現在のディフューズネビュラに関してなら、その評価は間違っていない。
「あなたの出すアイデアはだいぶ無茶があるというかなんというか……実用性皆無の、それこそ玩具の販売戦略や画面映えだけを意識して作られたようなギミックですからね。まあ、自分の求める要素を盛り込むという意味では、我々の誰もそれを否定できませんが」
「そうだろうそうだろう。大事なのは自分が愛せるかどうかだ。愛情の注げない超高性能マシンよりも一生乗りたいと思える欠陥機を俺は選ぶ!」
「しかしサミュエルさんのラビリントスにしても、エラルドさんのダブル・ダブルにしても、パイロットの要望は確実に長所として活かされていますし、僕のシンクロトロンも弱点をカバーする手段を用意しています。サポートメカまで役立たずの集まりというのはあなただけですよ」
「余計なお世話だ! 大丈夫、全ては気合と根性、そして勇気で補える! そう信じているからこそ、妥協せずに今日まで待ったのだ」
十輪寺の言葉通り、ディフューズネビュラは、全武装が整うまでに多大な時間を要した。
言うまでも無く、十輪寺の要望全てを反映することがオーゼスの技術力を以てしても困難であったためだ。
それ故、補助兵装に分類される三機の無人機に関しては、ある程度後発のメテオメイルが出揃った時点で改めて開発されることが決定した。
それでも型式番号が示すとおり、本体だけは三番目という早期に建造が開始されている。
先に完成を見た二機とも、人型を大きくかけ離れた異形であったために、ディフューズネビュラのように人体同様の四肢を持つ機体は、今後のために運用データを取得する意味でも必要であったのだ。
そして、オーゼス製メテオメイルが九番機まで完成した現在。
ようやく当初の計画通りに、戦闘を支援する三機の無人機は完成をみた。
三日程の稼動試験で大きな問題がなければ、そのまま直後の出撃に随伴となる。
新型機であればどれもソフトとハードの調整に数万時間を要する軍隊ではけしてあり得ない、良くも悪くもスピード重視の運用理念である。
「あのギミックは主役ポジションのロボットには必須要素みたいなものだ。次の戦いで見事に披露し、世界中の人間の度肝を抜いてやる!」
十輪寺は不敵な笑みを浮かべながら、一同にそう語りかけた。




