第22.5話 幻の弟
訓練がない時間、瞬はラニアケアの敷地内を散策することが多い。
人里離れた山奥という閉鎖された空間で育ってきた影響か、見たことのない景色に対する興味が人一倍強いからだ。
しかし、ラニアケアの総面積約三平方キロメートルというのは、瞬が想像する以上に広い。
ここでの生活を始めてからもう一ヶ月以上になるが、未だに全てのエリアを踏破できていなかった。
安全面やセキュリティの関係で侵入禁止になっている区画を除いても、まだ三割程度、未開の地が存在する。
もちろん、基地内の案内端末を使えば、一般隊員の権限で行き来可能なエリアは全て詳細な説明を見ることができる。
だが、瞬はメテオメイル以外の機械の扱いはさっぱりであったし、何より実際に足を運ぶことを楽しみとしているのだ。
今日の行き先は、中央タワーの右方に存在するエアポートを超えた向こう側、西部エリアの最果てだ。
特に施設等は存在せず、リゾート地として開発されていた頃の名残である芝生地帯が縦に伸びているという。
航空機用格納庫や管制塔の裏手を歩くこと十数分、瞬はようやく目当ての場所に踏み入る。
「自然は好きだけど、端から端まで完全に平地なのが唯一の残念ポイントだな。なんか落ち着かねえ。斜面をくれ」
山育ちとしてのマイノリティな見解を述べつつ、適当に歩いてみる。
来る前は人工である可能性も疑っていたが、芝は天然ものだ。
それが、陸上競技場のトラックを縦に二つ並べたくらいに広がっている。
全力投球でのキャッチボールもこなせるし、のんびり昼食を食べるのにも向いているだろう。
もっとも、轟や連奈が誘いに乗ってくるとは思えないし、誘おうとも思わないが。
第一、瞬は潮風が苦手だ。
家族やクラスメイトには気にしすぎだと言われるのだが、海水に含まれる塩の香りを嗅ぐと必ず気分が悪くなってしまう。
「ん……? あれ、まさか司令か……?」
瞬は、南端近くのフェンス前に誰かが立っているのを見つけ、近寄ってみる。
この基地で紺の軍用コートを着込んでいる人物は、ケルケイムくらいしか心当たりがないためにそう言ってみたが、やはり本人のようであった。
ケルケイムは、ラニアケアの中ならどこに行っても視界に入ってくる大海原を、ろくに身動きもせずに眺めていた。
「こんなところで、何してるんだよ」
「瞬か……?」
こちらが意外なら、あちらも意外ということなのだろう。
予期せぬ人物の、というよりこんな場所に自分以外の人間がやって来たこと自体に、ケルケイムは多少驚いているようだった。
「副司令に執務室を追い出されて、気分転換の時間だ」
その言い回しからも、ケルケイムという男の仕事中毒ぶりが窺える。
休憩も、ケルケイムにとっては消化すべき業務の一つでしかないのだ。
おそらく今も、頭の中で仕事のことを考えながら、指示された時間が経過するのを待っているだけに違いない。
ケルケイムの身を案じたロベルトの計らいも、あまり効果がないようだ。
「報告書の作成は、終わったのか?」
「明日の朝に出せばいいんだろ」
瞬は、むっとした顔で答えると、近くにあった金属製のベンチに腰掛ける。
報告書というのは、昨日、南極の近海で行われた、連合の調査隊の救助作戦のことだ。
瞬達三人は、全ての出撃において、行動の子細を記した報告書の提出が義務づけられている。
メテオメイルパイロットの場合は、後の作戦への利用より、機体の完成度を高める意味合いが大きい。
記入内容は多岐に渡り、かつ膨大だ。
身体や機体のコンディションに関する百近いチェックリストを埋めれば、次は二十項目分の記入が求められる。
敵機の外観や武装はおろか、自機を含めどういった順番で攻撃の応酬があったかなど、実質的に記憶の全てを丸写しさせられるようなものだ。
機体のサブカメラによる映像記録もあるというのに、どこまでも入念だった。
今回は、瞬は交戦することがなかったために、作業量は半分程度といったところだが、半分でも相当な量である。
「轟が命令をちゃんと聞くような奴なら、オレが首長竜と戦えたってのによ。潜って掴むだけなんて、誰でもできる仕事だ。英雄っぽくねえ」
「そうでもない。人命救助も立派な英雄的行為だ」
「点数の話だよ。敵を倒す方が百倍高いだろ」
人助けは、記憶には残っても歴史には残らない。
十四年の短い人生の中でも、そう結論付けられるだけの体験が山のようにあった。
苦しむ者を見捨てる気はないが、瞬が望む成果は、脅威を排除する方なのだ。
「そして、誰にでもできることでもない。メテオメイルパイロットだからこそ可能な任務だった」
「揚げ足かよ」
「以前にも調査隊は何度か送り込まれたことがあるが、その隊員全てが未帰還のままだ。捜索に向かった者もだ。お前は、よくやってくれたのだ」
「確かに、司令にとってはいい結果だろうな。オーゼスの本拠地を探った奴らを初めて救助できたって意味では、お偉いさんも大喜びだろうぜ。だからオレや轟をどうしても従わせたかったんだ」
瞬は嫌みたらしく言ってみせる。
未だに、ケルケイムのやり口は腹に据えかねていた。
この配慮と遠慮の塊のような男は、本音をぶつけてこない。
相手が傷つくものと勝手に判断して黙秘し、相手が命令に背くものと勝手に判断して本案を折衷案のように見せかける。
命令は絶対だと無神経に言ってのける姿勢の方が、まだだいぶ好感が持てるというものだ。
だが、その返事を聞くケルケイムは、いつもと少し様子が違っていた。
苛立つだけの無駄な謝罪も入れることなく、遙か遠く、水平線の彼方を見つめたままだ。
「手向けにしたかったのかもしれないな。帰らぬ弟の……ニーヴルの」
「弟がいたのかよ、あんたに」
瞬は、反射的に尋ねてしまう。
いつだったか、オーゼスの攻撃によって家族全員を失ったとは聞いていたが、ケルケイムはそれ以上を語ることもなければ、こちらから聞くのも憚れる話題だ。
それにしても、ケルケイムの弟と言われても、どうもイメージが湧かない。
何事も他人に任せず独力でこなすために、一人で完結しているイメージがあるからだろうか。
「名前を、ニーヴル・クシナダという。歳は私の二つ下で、同じく地球統一連合軍の軍人だった。あいつは自ら志願して、第一次調査隊に参加した」
これらの調査隊は、諜報部が擁する同名の部隊とは全く別枠で設けられた臨時編成で、隊員のほとんどが志願者で占められていたとケルケイムは補足する。
それほどに、最初から生還率が低く見積もられていたためだ。
「遺体は発見されていないが、用いられた艦艇は全て撃沈が確認され、生存は絶望的とされている。おそらく轟が撃墜した、あの機体の仕業によるものだろう」
「メテオメイルも完成してない頃の話だろ? 流石は司令の弟だな、使命に燃えてたってわけか」
「いや……ニーヴルは強い正義感の持ち主ではあったが、それ以上に、あいつを突き動かすものがあった。私への、対抗心だ」
「……へえ」
妙に合点がいった。
この三十秒ほどの端的な説明だけで、ニーヴルという男を世界の誰よりも理解できたと豪語できるほどに合点がいった。
何の因果か、よく似ている。
風岩刃太と自分の関係性に。
ケルケイムという男に抱く不快感は、まさしく兄に抱くそれと全くの同質なのだ。
「軍属になる前からずっと、如何なる分野においても、ニーヴルは私に勝とうと躍起になっていた。負ければ嗚咽を上げるほどに悲しみ、勝てば嬉し涙を流すほどに喜ぶ……あいつにとっての私は、あいつが自身を肯定するための基準だった。幼い頃は、互いに切磋琢磨しあえる良い関係だと思っていた」
「切磋琢磨と言えるくらいに、あんたは弟に負けまいと必死だったかよ」
「……そのつもりではいた。いや、そうでありたかった」
「だろうな。あんたには、どうしても人の上を行こうとするガツガツした空気がねえ。全ての言葉が、そこまで頑張らなくても勝てちまうタイプの目線なんだよ」
さぞかし悔しかっただろうなと、瞬はニーヴルに同情する。
優秀な能力を持った兄に勝てないことではない。
明確な優劣差が存在するという事実がありながら、平等な立場を気取られるという、最も屈辱的な哀れみを受けていたことに対してだ。
「あんたは勘違いしてるぜ。轟も前に言ってたような気がするが、弱い奴にとって、負けは負けでいいんだよ。素直に受け入れるわけにはいかねえが、少なくとも、次の機会になんとかしようって気分にはさせられる。なのにあんたらは、オレ達が可哀想だと思って、一方的に謙ってくる。だから、そこまで情けをかけられる義理はねえと、極端な真似をしてでも目を覚まさせてやりたくなってくるんだ」
地面に目を落としたまま、瞬は心中を吐露する。
これまで自分の胸の内にあった靄が、凝縮されて掴めるようになった――――そんな感覚だった。
なるほどそうした理由で自分はパイロットをやっているのかと納得するほどに、瞬自身にとっても筋の通った理屈だ。
「だから、初めて生還者が出たことを手向けにするっていうんならやめとけよ。お前に出来なかったことが自分にはできるって、自慢もいいとこじゃねえか。そんなの聞かされたら、オレなら一発で悪霊になるぜ」
そこからしばらく、長い沈黙が続いた。
座りっぱなしでだいぶ肌寒くなってきたため、瞬はそろそろ宿舎に戻ることを決め、立ち上がる。
いい加減、未だ白紙の報告書に手を付ける必要もある。
そういう頃合いになって、やっとケルケイムは言葉を紡いだ。
「……私は本当に、不器用な男だ。そうすることが正しいのだと、ただ歩み寄ることしかできなかった。それ以外の方法が、選べなかった」
「今からでも改善してくれよ」
「できるのなら、そうしたいところだ。だが、私が変われなかった場合に備えて、一つだけ忠告しておく」
「なんだよ」
「誰かとの比較だけで自分の価値を計るのはやめておけ、功を焦ることもだ。ニーヴルの話を聞いたのならば、尚更な」
「それも同情だってんだよ。結局、あんたらがどう態度を改めようとも、でかい手柄がねえと解決にならねえんだ。オレにとってはな」
残念なことに、もう全てが手遅れなのだ。
メテオメイル戦での勝利なくして自分を誇ることはできない、そういうところまで来てしまっている。
「そしてオレは、あんたの弟と違って死んだりしねえ。兄貴に直接成果を叩きつけるまでがオレの夢だからな」
そう言って瞬は、来たときと同じ、寂しいだけの芝生を引き返していった。




