第20話 南の魚(前編)
「あの大砲女……!」
オルトクラウドとダブル・ダブルの激戦から、一夜明けた朝。
諸々の準備が整い、最近になってようやく全てのテーブルが使用可能となったラニアケアの食堂で、轟は苛立たしげに呟く。
二人掛けのテーブルに座った轟の目線の先には、これまた数日前に設置されたばかりの大型液晶テレビがあった。
軍事施設だけあってか、チャンネルは連合政府の息の掛かった国際ニュース専門放送局で固定されている。
もっとも、本来ならこの時間帯にニュース以外を流している局ですらも、今日に限ってはほぼ全てが特別番組に切り替わっていた。
言うまでも無く、オルトクラウドの勝利を讃えるためのものである。
いつまでも長々とオルトクラウドの強さを褒めちぎるニュースキャスターに怒りを覚え、轟はテレビを蹴り飛ばしたくなる衝動に駆られる。
が、ごく一部とはいえ戦闘の中継映像も流れていたので、それを見るためだけにアドレナリンの分泌を抑えた。
「それは、俺のモノだろーがよ……!」
呻くようにして、轟は言い放つ。
オルトクラウドに対してではなく、自分に向けてだ。
勝利――――古今東西において絶対不変、自身の持つ力の証明において最高の価値を持つ、これ以上ない明確な優劣の証。
それだけを求めて、轟は生きてきた。
他の全てを切り捨てたのとは、少し意味合いが異なる。
それさえあれば、他の全てが後から転がり込んでくることを知っているのだ。
だが、メテオメイル対メテオメイルという、地球上において最強の戦力同士がぶつかり合う至高の 戦場で、最初にそれを獲得したのは轟ではなかった。
三風連奈――――己の魂を震わせる刺激を求め、パイロットになることを決めた少女。
今まで見てきたような普通の女には当てはまらない、とは感想を抱いていた轟だが、しかしこれ程の力を秘めていたとは考えもしなかった。
番組の映像では全てが流れることはなかったが、オルトクラウドの最後の一撃として紹介された、どこまでも続く抉られた大地を見れば、連奈が何をしでかしたかは歴然である。
自身もメテオメイルのパイロットであるからこそわかる、超常的なエネルギー量。
それぞれの用途を考慮しても、クリムゾンストライクを明らかに上回る破壊力である。
勝利とは、身体能力や機体性能だけではなく、判断力や技量も加味した上での結果ではあるが、純粋なパワーだけを追い求める轟としては、連奈の才能は屈辱的だった。
轟は、誰に説明されるでもなく、SWS値でも敗北していることを悟る。
「どうして自分にあの力がないんだって、キレてんのか。相変わらずだな」
「うるせーぞ三下、テメーは黙ってろ」
「ごめんよ三下、次からは気をつけるぜ」
轟が自分の朝食であるハンバーガー四つを食べ終わったところで、隣のテーブルに軽薄な笑みを浮かべた少年が腰掛ける。
風岩瞬――――手柄を上げて英雄になるなどという、何ともつまらない理由でパイロットになることを決めた少年。
気に入らない者全てを力でねじ伏せ、故郷では誰しもに恐れられた自分に対してすらも、皮肉と口答えを止めない、何とも煩わしい存在だ。
自慢の腕力で黙らせたいところだが、剣術だか何かを囓っているらしく、身のこなしだけはそれなりで、結局追うのが面倒になるという理由で放置しているのが現状だ。
共に食事をするほど親しい間柄ではないが、食堂で顔を合わせるときは常に饂飩を啜っており、今日もまたトレーの上に乗っているのは笊饂飩であった。
「持って行かれたな」
「敵が弱かっただけだ。アレなら俺も倒せる」
つまらない言い訳をしていると思いつつも、しかし半分は本心だった。
岩山のように巨大で頑丈な体躯を持つラビリントスよりは、どのような仕掛けを仕込んでいようともまともに攻撃の通るダブル・ダブルの方が、撃破のビジョンは明確に浮かぶ。
もっとも、それはラビリントスが難敵であることを自分で証明しているようなものであり、誰であろうと勝利するという信念を貫く上では、強弱で区分すること自体が余計ともいえる。
気付き、轟は自分の言葉を掻き消すようにして、自分にしては珍しくこちらから話題を振った。
「テメーは知ってたのか。大砲女の、あの力……」
「昨日、本人が教えてくれたぜ。そうでなくとも、どうせわかった事だけどよ」
「そうかよ」
「初陣だったし、オレ達がそうだったみたいに、精密検査で今日はずっと病棟らしいぜ。つっても、昨日の時点で意識ははっきりしてたらしいがな。あれだけやっても精神力を消耗しきらなかっらたしい」
瞬も、昨日の結果にだいぶ焦っているのがはっきりと見てとれた。
同時に、どこに向けてのものであろうか、微かな怒りも。
もっとも、その矛先に興味はない。
轟の胸中を満たすのは、自分の力が証明できる機会が欲しいという気持ちだけだった。
この際、素の力などというものはどうでもいい。
自分より腕力や体格で勝る相手も、轟は幾度となく打ちのめしてきた。
その勝利には、戦術も何も無かった。
何としてでも自分が倒れる前に相手を倒すという勝利への執念で、激痛に耐え、意識を保ち、常に最後の一人で有り続けたのだ。
闘争本能を完全に開放した、獣の如き在り方――――その貪欲さ、その感覚こそが勝敗を分ける大きな要因となる。
それを誰よりも理解していながら、ラビリントスの戦いにおいては、両方が欠けていた事を轟は悔いる。
「もう二度と、あんなヘマはしねー。やり方はわかってるんだ」
誰が相手であろうと、喉笛に食らいつき、絶命するまで意地でもしがみつく。
それさえできれば、サミュエルだろうと、連奈であろうと、負けることはない。
先の引き分け――――否、敗北は、メテオメイルを通した実戦の空気を上手く把握しきれていなかっただけの話。
二度目はない、あってはならない。
「とっとと掛かって来やがれオーゼス……俺はいつでも受けて立ってやる」
自分は強いという、当たり前の事実を確かめるためにも、次なる戦いを渇望する轟。
ケルケイムから緊急の招集がかかったのは、それから三日後のことであった。
「救助活動だぁ?」
轟は素っ頓狂な声を上げた後、失意の眼差しでケルケイムを睨み付ける。
同じくケルケイムに呼び出された瞬も、轟と受け取り方は違えど、まさか自分達にそちらの方面へ特化した任務が与えられるとは思ってもいなかった。
だが、だからこそ状況はかなり限定されてくるというものだ。
そこまで察した瞬は、息を呑んでケルケイムの説明に耳を傾ける。
「十日ほど前、オーゼスの本拠地を突き止める調査の一環で、連合軍のカリフォルニア基地から最新型の原子力潜水艦が出航した。だが本日未明になって、軍の監視衛星が救難信号の発信を確認したそうだ。どうやら、何らかのトラブルで海底から浮上できなくなっているらしい」
「オレ達に声がかかったって事は、場所的にやばいのか」
「その通りだ。ブイが射出された位置は、南極の北端から二百キロメートルと離れていない。三時間が経過した現在もブイが同じ地点に留まっていることから、まだ健在であるとは思われる」
しかし相当に危険な状況であるということは、瞬にもわかる。
これまでにも、南極近辺に存在するといわれるオーゼスの拠点を見つけ出すべく、何度か連合の調査隊が送り込まれていた。
だが、その全てが未帰還となっている。
輸送機や艦艇の残骸も発見されていることから、オーゼスに発見され、全滅の憂き目に遭ってしまったという見方が一般的だ。
まだパイロットではなかった頃に、家族か友人かは忘れてしまったが、そういった話を耳にした覚えが瞬にはあった。
少なくとも船体そのものは大破していないようで、今回の件はオーゼスの仕業ではなく、あくまで艦内部の異常か航行上の問題の可能性が高そうではあったが、放っておけば過去の調査隊と同じ末路になることは想像に難くない。
「本来は、こういったトラブルへの対応策として、DSRV(深海救難艇)なり、レスキューチェンバーなり、幾つも手段があるのだが、なにぶん場所が場所だからな。それらを現地まで輸送する救助部隊もまた、全滅のリスクが伴う。そこで、我々ヴァルクスの出番というわけだ」
「だけどいいのかよ、この前手に入れたHPCメテオは、まだカナダの方で色々と調べてる最中なんだろ。一機しかいないメテオメイルがラニアケアを離れることになるぜ」
「無論、良くはない。だからこそ早急に済ませたいのだ。十日目というのは、今回の調査日程では、既に“帰り”の方らしいからな」
「……オーゼスに関する貴重なデータを持ち帰っている最中かもしれないってわけか」
「そうでなくとも、救助に成功すれば彼らは初の帰還者となる。以降の調査を円滑に進める上で、彼らの辿った航路情報は大いに役立つ」
そう言われてしまえば、助けないわけにはいかない。
確かに、主目的である本拠地の発見はならずとも、関わり深い人工物を目撃するだけでも大手柄なのだ。
滅多に調べる機会のない海中は、余計に価値は高まる。
「そこでだ。迅速に救助を行うためにも、今回の作戦は、メテオメイルを二機投入する事とした。バウショックを深海での作業に、セイファートをバウショックや救難ポッドの引き上げに使う」
ケルケイムは、作戦の詳細が記録されたタブレット型端末を瞬と轟に渡してくる。
瞬が最初に目が行ったのは、概要よりも、右上に表示されたページ数だった。
総計七十、目を通す前から瞬の頭は悲鳴を上げ始める。
「まず前提として、セイファートの方には、先日完成したばかりの大容量バッテリーを搭載する。大容量とはいっても、メテオエンジンの代替ができる程の代物ではなく、実戦レベルの高出力を要求すれば数十秒と保たない。だが低出力状態ならば、四肢を動かす等、最低限の稼動を約二十分は持続できる。用途としては、今回のような作業向けといったところだ」
「オレの知らないところで便利なもんが出来てたんだな。……つーことは、今回の主役は北沢君ってわけですか」
「そうなる。機体構造の関係上、レイ・ヴェールを展開してもセイファートは……」
「待てよ、何か肝心な事を忘れちゃいねーか」
ケルケイムの言葉を遮るようにして、轟が冷めきった表情で告げる。
そして、一度は受け取った端末を乱雑に放ってケルケイムへと返した。
「俺はやるとは言ってねー、一言もな。勝手に話を進めてんじゃねーよ」
「司令官としての命令だ。今回は、拒否権はない」
ないからこそ、ケルケイムはこのような反応をされると重々に理解していながら同意を求めなかったというわけだ。
「そもそも俺から言わせりゃ自業自得なんだよ、こいつらは。危ないことをやって危ない目に遭ったってだけだ。同情の心が些かも湧かねー」
「彼らの行為が、後の勝利に大きく貢献するとしてもか」
「有象無象の力なんていらねーよ。俺が戦って、勝てばいいだけの話だろーが。それに大体、俺には細々とした作業が向いてねー。そういうのはそっちの小技野郎か、あの大砲女にやらせろよ」
「原子力潜水艦は、予定通りの航路を辿っていれば深度四千メートル前後の場所にいる。当該環境での水圧に耐えうるのはバウショックしかいない。やれるのは、お前だけだ」
「断わったらどうするよ?」
「命令違反、及び契約不履行ということで、パイロットの座を降りてもらう事になるな」
その通告に、轟の体がびくりと小さく撥ねる。
萎縮したのではなく、それは、苛立ちが急激に怒りへと変化した合図である。
「俺に対して安易に脅しを持ち出してんじゃねーよ。俺は思い通りにならなけりゃ暴れるだけだぜ……!」
暴力を振るい慣れた者だけが持つ荒々しい覇気を伴って轟がケルケイムとの距離を詰めていく。
瞬はまた面倒な事になったと半歩退いて巻き添えを避けようとするが、ケルケイムは動じず、伸ばされた轟の右手が自分の襟首を掴む間際、再び口を開いた。
「では、逆ならどうだ」
「あ……!?」
「パイロットの交代だ。瞬にバウショックを、お前にセイファートを操縦させる。もしオーゼスの迎撃が出た場合、交戦するのはメテオエンジンを積んだセイファートの方だ。どうしても戦いたいというのであれば、こういう選択肢もある」
「そんなこと、できんのかよ」
轟より先に、瞬が尋ねる。
その後で、そもそも各メテオメイルが各パイロットの専用機であるというのは、自分の固定観念でしかなかった事に気付く。
起動する際に求められるのは、カード状の起動キーと十数桁のパスコードぐらいのものだったからだ。
「複数の機体とパイロットに問題が発生し、本来の組み合わせで出撃できない場合を想定しての仕様だ。円滑な乗り換えを実現するため、連合製メテオメイルは敢えて厳重な認証システムを設けていない。一部データを同期させるだけで、すぐにでも起動が可能となる」
「確かに、SF映画にありがちな指紋だの網膜だのっていうガチガチなチェックは入らないよな」
「轟、これならお前の希望にも添う筈だ。無論、瞬の乗ったバウショックの引き上げ作業は行って貰うがな。お前の機体だ、人命に興味はなくとも回収しないわけにはいかないだろう」
「ちっ……」
轟は舌打ちしながら、身を翻す。
何よりも戦いを求める轟にとっては、あくまで可能性に過ぎないとはいえ、戦闘を含んだ任務内容を提示されてしまっては、渋々とはいえ従うしかないようだった。
ケルケイムの臆せぬ物言いからも、これ以上の好条件にはならないと踏んだのだろう。
「それぞれ一度も操縦したことのない機体での出撃となるが、両機とも近接戦主体で、全く扱えないという事はない筈だ。少なくとも、作業に大きく支障は出るまい。その程度の順応性はあると思っているが……」
「武器に文句を付けるようじゃ二流、どんな状況でも勝てるのが本当の強さ……だもんな、なあ北沢君」
瞬は嫌みたらしく、轟に向けて言ってみせる。
まだ一勝を挙げていない自分が言っても虚しさを覚えるだけだったが、それでも口に出してしまうくらいには、瞬は大人ではない。
「テメーの言い方は気に入らねーが、その通りだ。セイファートみてーなひょろっちいマシンでも俺は戦える」
「オレも特に困ることはないかな。バウショックなんて所詮、殴ってればいいだけの機体だろ。しかもまだ歩けねえし、操作はセイファートより全然簡単そうだぜ。不安があるとしたら、こいつの無茶な扱いでセイファートが壊されないかって事だけだ」
「壊れちまうようなら、その程度のマシンって事だろーが。俺の操縦に付いて来れない方が悪いんだ」
「逆に安心したぜ。そうだよな、無事に済むわけがないよな」
「……余計なお喋りはそこまでだ。既にもう、作戦の準備が始まっている。作戦内容を頭に叩き込むついでに、互いの機体について情報交換でもしておくのが賢明だろう」
ケルケイムの一言には、そんな事が実現するとは毛ほども思っていない白々しさがあった。
瞬も、轟がどうしてもと頭を下げるぐらいはやってこなければ応じるつもりはない。
轟にしても、全く同じ事を考えているだろう――――お互い、連奈という格上がいる中での、底辺同士の諍いはみっともないと知りつつも。
「話は終わりか、じゃあ俺は行くぜ。セイファートの所に行けばいいんだな」
「ああ。データの同期も、すぐに取りかからせる」
ケルケイムの返答を待たずして、轟はゆったりとした足取りで執務室を去っていく。
一方で瞬は、轟の姿が完全に扉の向こうへ消えてからも、その場に立ったまま動かない。
話すことが、まだ残っているからだ。
「こうするしかなかったってのはあるが、いいやり方でもねえよな」
瞬は顔をしかめて、そう漏らす。
それで全ては伝わる筈だった。
現にケルケイムは、何がだ、とは聞き返さない。
意図的にそうしたという自覚があるからだ。
「あれは轟の奴がごねる前提の、話の持って行き方だ」
「…その通りだ」
「元々、パイロットは交代させるつもりだったんだろ。だけど最初に纏まりの良いアイデアを出せば、万が一、轟が何かの理由で反対した場合の説得が面倒になる。だから敢えて、オレと轟、どっちにとっても不向きな役割を命令しておいて、それで文句が出ようものなら、いかにも折衷案みたいに譲歩した感じを出す。轟にしても、ちょっとは気分が良くなるってわけだ」
瞬は、好意的とはとても言い難い笑みを浮かべて、ケルケイムの目論見を説明した。
自分に対するケルケイムの“裏切り”を、瞬は未だに根に持っている。
そして今回の件も、自分には関係がないとはいえ、それに類するものである。
黙秘や話すタイミングを入れ替えた心理操作――――それは、自分の意図した方向へ“感じ取らせる”手法であり、嘘でもなければましてや罪でもない。
悪行にはカテゴライズされない質の悪さ故に、それを許容できず、瞬は食い下がるのだ。
「その本気で他人を信用してない感じは、オレは心底嫌いだ。最初から全部きっちり説明すれば、轟だって普通に納得するだけの理由が今回はあった。だけどあんたはそうしなかった」
「作戦を滞りなく進めなければならない立場としては、轟の扱いに関しては、後手の方が対処の幅も広がる。それだけだ」
「昨日、ちょっとでも後ろめたさを感じたオレが馬鹿だったってわけか。あんたは結局、仕事をこなすことだけしか考えてねえ大人ってわけだ」
「何とでも思ってくれて構わない。批難なら幾らでも受けよう。だが、罪悪感以上の使命感が私にはある。オーゼスを壊滅させることに繋がる全ての作戦を、確実に成功に導かなければならないのだ……!」
目線を落とすケルケイムからは、葛藤に葛藤を重ね、全てを吟味した上で、瞬達の期待を裏切るような判断を下したということがありありとわかる。
だが、瞬が嫌うのは、まさにケルケイムのそうした側面――――意味なき惑いにこそあるのだ。
「その、反省はするが反映はしねえってツラが一番むかつくんだよ……」
瞬は、今度こそ愛想を尽かして執務室を出た。




