第221話 オーゼス(その4)
「繰り返しになるけど、僕はオルディエル・ゼウス。この新興総合技術研究機関O-Zeuthの創設者だ。西暦2112年、9月13日生まれ。血液型はAB型」
表層も表層、ただのプロフィールの部分ですら、瞬たちは驚かされることになった。
本人の言葉を信じるなら、オルディエルの現在の年齢は八十八歳。
十代前半の瞬たちにとってその年齢は、祖父母どころか、もはや曾祖父母の域。
それほどの高齢者と言葉を込み入った会話をした経験は、ないに等しい。
「家族のことは、あまり記憶にない。いや……記憶にはあるけど、いまいち印象が薄いというのが正しい表現かな。なにせ一緒に暮らしたのは、七歳の誕生日までだからね」
なにか複雑な事情があるかのような言い回しだったため、瞬たちはその部分の追求を避けるが、他でもないオルディエル自身が特大のヒントを寄越してきた。
「君たちは、あのエウドクソスと何度もやり合ってきたと聞く。なら、一回はどこかで耳にしたことがあるんじゃないかな。アークトゥルスという施設の名前を」
「……まさか、あんたは」
「そう。僕もまた、アークトゥルスで才能を開発された学徒の一人。設立と同時に入所した、栄えある第一期生さ。開発された才能は、もちろん機械工学。設計工学も機械力学も化学工学も……とにかく、その分野のことはなんでも学んだよ。そして、なんでもできるようになった」
不思議な話ではなかった。
アークトゥルスは、特定分野に特異な才能を示す子供――――いわゆる先天的高知能児用の教育施設。
同種の学校は世界中に幾つもあるが、アークトゥルスはその中でも最高峰に位置する、真の逸材だけが集められた場所。
オルディエルは、そこで生来の才能を徹底的に強化されたことにより、他の全ての人類の何十年も先を行く技術力を手にしたのだ。
しかし、納得はできたが同時に疑問もまた生まれてしまった。
瞬はそれを口にしようとするが、連奈がわずかに先んじる。
「軍の内部でも、世間でも、オーゼスの創設者の正体について散々議論が交わされてきたけれど、これまで正解にたどり着いた人は一人もいなかったわ。そんないかにもな才能を持った卒業生、断定とまではいかないまでも、有力候補の一人として名前くらいは挙がるんじゃないかしら?」
「エウドクソスが、僕の学籍データを消去していたのさ。僕の正体を探るための最大のヒントのつもりだったのに……まったく、余計なことをしてくれたよ」
ここまで上機嫌を一貫させていたオルディエルが、珍しくぼやく。
「大方、あの量子コンピュータに、『施設のデータの中から、オーゼスやエウドクソスとの関連性を疑われる要素を全て排除しろ』という類の命令を出してしまったんだろう。自分で消したのか、構成員に消させたのかまではわからないけど、それはどうでもいいことさ。あの組織においてはどちらも同じことだからね」
「……そういえば、あの“先生”も、出どころはあなただったわね」
「あれは、僕が僕の遊び相手にするために作ったものなんだけど……“遊び心”というやつを一向に理解してくれないどころか、逆に弄れば弄るほど愚直で合理的なプログラムに仕上がっていってね。そういうところが気に入らなくて倉庫送りにしてやったんだ。まさかその判断が、エウドクソスという第三勢力を生み出すまでに至ったのは、さすがに想像できなかったけれども……」
機械を崇拝対象とし、その判断に全面服従する危うい組織が現実に現れ、広く影響力を及ぼすまでに成長するという異常事態。
その可能性を想起できなかったことをオルディエルの責任として咎めることは、さすがにできはしない。
しかし、エウドクソスから多大な迷惑を被ってきた身として、思うところは多々ある。
それを口にしたのは轟だったが、三人の中で最も深くエウドクソスに関わった立場だからこそ真っ先に動いただけで、これもまた順番の問題でしかなかった。
「そこまで連中のことについて把握してやがったんなら、テメーらの方で手を打てたんじゃねーか。まだ戦力が揃ってる頃のテメーらなら、どうにでもできたはずだ」
「手を打つとは、武力行使で彼らを黙らせることかい? そんなこと、できるわけないよ」
「んだと……!?」
「オーゼスの技術力や僕の“ゲーム”を利用して別の遊びを始めるエウドクソスのことを、個人的に疎ましく思っていたことは事実だよ。でも彼らは、“ゲーム”のルールに反してはいないし、“ゲーム”の進行を根本的に妨げる要素でもない。だから、その存在を看過せざるを得なかった」
「なにが疎ましいだ。面白がってたんだろーが……! ちゃんとメテオメイルを作ってくれそうな敵が現れてよ! そのせいでな……!」
オルディエルの元へ歩み寄ろうとする轟を、井原崎が慌てて、間に割って入ることで制する。
この会談の場において暴力行為は厳禁とされていたが、瞬も連奈も、轟を止めることはしなかった。
轟もそのことは重々に理解しているという信頼はあったし、実際、応じるオルディエルの口調はどこか白々しかった。
オーゼスがエウドクソスの暗躍を楽しみ、敢えて放置しているのではという疑念は、ここにきていよいよ確信に至る。
「エウドクソスは連合より先にメテオメイルの開発を始めていたし、そもそも連合のメテオメイルはまともに出来上がるかわかったもんじゃなかった。あんたたちの興味は、まずあっちにあって、それからこっちだ。あいつらが疎ましいのは本当でも、相手になってもらわないと困ったってのも事実だろ」
「悪かったよ。確かに君たちの言うとおりだよ、ゴウ、シュン。確かに昔は、そうだった。彼らの存在が“ゲーム”の邪魔になるだろうと早い段階で予想はできていたけれど、彼らが一体どのような機体を作るのか、正直、興味はあった」
轟に対し危機感を抱いていなかったのか、あるいはなんらかの防御手段があったのか、オルディエルは無警戒な態度のまま答えた。
形だけの謝罪にも聞こえたが、轟は、盾としてなにも機能していない井原崎の華奢な体を突き飛ばすことで一旦は矛を収める。
もっとも、苛立ちまでもが収まったわけではないようだったが。
「でも、一つだけ言い訳をさせてくれ」
「あん?」
「僕だって、エウドクソスの存在を認知したのは、近年になってからようやくさ。対して、エウドクソスが活動を開始したのは、三十年近く前。僕が彼らを放置したことで、結果君たちに多少の迷惑がかかったようだけれども、なにもかも僕の責任というわけじゃない。僕が対策を講じていようとも、きっと彼らは彼らの目的のために、別の形で大変なことをしでかしていたさ」
瞬たちの側に、返す言葉はなかった。
轟が最も憤慨しているであろう、セリアの件についても、確かにオーゼス側にはそれほどの非はない。
セリアがエウドクソスの“生徒”として教育を受け始めたのは十年近く前で、去年や一昨年の段階でとっくに、組織の工作員としては仕上がっていたのだ。
更に年長者のアクラブ、ジュバ、ギルタブに関しても同様である。
オルディエルの言うとおり、エウドクソスのメテオメイル開発を早期に阻止していたとしても、彼女ら“生徒”はまた別の任務に回されるだけ。
瞬たちとは、出会うことすらなかったかもしれない。
セリアとの縁が、オルディエルの気まぐれで成り立っていると考えると、なにか気持ちの悪さがあった。
とはいえ、そろそろ頃合である
轟はまだなにか言いたそうだったが、こちらもこちらで時間は限られている。
瞬は一つため息を吐いてから、オルディエルを一瞥した。
「本題に戻ろうぜ。……それで、あんたは一体、なんだってこんなふざけた組織を作りやがったんだ?」
「さて、どう説明したものか困るな……。確かにオーゼスは“僕が作ったもの”だ。だけど、それはゼロからの創造を意味しない」
「……その前身となる組織があったということ?」
連奈の問いに、オルディエルが小さく首肯する。
「十人ほどの技術者と、彼らを支援する無数のスポンサーで構成された民間のプロジェクトチームが、かつて存在した。彼らは表舞台で名を馳せることにまったく興味を持たず、たった一つの野望の実現のために、何年も活動を続けていた」
それは、予想だにしない新事実だった。
瞬はてっきり、この戦いに関連する酔狂な試みの全てが、オーゼスを束ねるオルディエル主導のもとに行われたものだと思っていた。
いや、大多数の人間が同じように考えていたはずだ。
しかし実際は――――オルディエルの言が確かならばという注釈はつくが、彼に類する非常識な人間が相当数存在していたらしい。
「僕は在学中に彼らからのスカウトを受け……その数日後にはもう、チームの一員となっていた」
「他人との共同作業を? あんたが? 自分の意志で?」
「そんな僕の性分を覆すほどに、彼らの掲げる計画が魅力的だったのさ」
訝しさを隠そうともしない瞬に、オルディエルが満足げ口調で返す。
強い言葉でぶつけられる疑念を、自分という人間の確かな理解と受け取ったらしい。
「ここまで言えばもうわかるだろう。その計画とは、南極に、いかなる国家にも属さない巨大な秘密基地を建造すること。このロッシュ・ローブは、僕の考案で生み出されたものではなく、僕が手を貸すことによって完成に至ったものなのさ」
「一応、聞いとくぜ。この基地は、元々はなんのために作られたものなんだ?」
「なんのためでもないさ。なにしろ発案者たちの、ただの思いつきで始まった計画だ。皆を突き動かしていたのは、面白そうだからという、純粋な好奇心だけ。他にはなにも求めず、完成した後のことなんて完成するまで考えもしない」
「完成させることそれ自体が目的だったってわけか」
「その本能に忠実な動機が気に入って、僕は彼らに手を貸すことにしたんだ」
予想していたとおりの答えではあった。
例えコンセプト自体に惹かれるものがあったとしても、利得や思想が絡んだ息苦しい計画に、オルディエルが関与するわけがない。
創作意欲が刺激されるだけでなく、自由な発想が許される場所だったというのが、参加に至った決定的要因だったのだろう。
「支援者の中には、世界有数の石油王や著名な科学者、大企業を運営する資産家もおられたようです。彼らの多くは、自身の存命中に基地が完成しない可能性があることも承知の上で、それでも理想の実現を願って私費を投じになられたのだと……」
「なんかしら、心残りがあったのかもしれねえな」
井原崎の補足に、瞬は自然とそう返していた。
オルディエルたちが抱いていた願望自体は、特段、珍しいものではない。
幼い頃には誰しも、家の中に、あるいは外に、選ばれた者だけが立ち入りを許される秘密の空間を作ろうとする。
瞬も小学校時代、友人たちと一緒に、廃材や段ボールを利用した基地のようななにかを作った経験があった。
それでも大半の人間は、その時期に、その規模で満足してしまう。
短期間のうちに作り上げ、短期間のうちに遊び尽くしてしまう。
しかし、中には不完全な充足のままに終わった者もいるだろう。
様々な事情に阻害され、作ることすら叶わなかった者もいるだろう。
件の計画には、そういった者たちを真の完全燃焼に導く役割もあったのではないかと、瞬は後付のように思い至る。
その上で、敢えてこう続けた。
「大人の考えることはよくわかんねえな」
「理解は示さないか。まあいいさ、僕も、当時の仲間達の個々の心情なんてよくわかってはいない」
表情も口調も変えずに、非情とも取れる言い方をすると、オルディエルが再び会話の主導権を握ろうとする。
遺憾なことに、話の先が気になっていることもあって、瞬たちは素直に聞き手に回った。
「計画に参加した僕が最初に任されたのは、基地建造の大前提となる部分であり、同時に最も難航している部分――――資材の輸送を行う大型輸送機と大型潜水艇の設計だった。これに関しては、僕が元々温めていたアイデアを流用することですぐに解決した。現在もオーゼスで運用されている“アルギルベイスン”と“フラクトウス”は、実はこのときに開発されたものなんだ。何度か大規模な改修を施してはいるけど、基本構造は初期型からほとんど変わっていない」
「どちらも、メテオメイル用の輸送手段としてあまり洗練されていないように感じていたけれど、そういうことだったのね」
直接視認する機会はあまりなかったとはいえ、確かに連奈の言うとおり、両機ともメテオメイルを輸送するにしては、積載能力が半端な感は否めなかった。
最もスタンダードな三、四十メートル級の機体を運ぶにしては余裕がありすぎる一方、ラビリントスやガンマドラコニスのような超大型機は、分解でもしない限り収容できそうにない。
まったく別用途のために作られたものを流用しているのだとしたら、その不合理性にも、納得がいった。
「時間がかかったのは、その後だ。僕たちがいるこの氷山……公的機関が定義するところの“B76α”の内部をくり抜いて、駆体を張り巡らすのに約二十五年。居住施設や空調など、最低限の内部設備を整えるのに、更に十年。どうにか人が住めるというレベルにまで漕ぎ着けるのに、合計で三十五年。当初の予定より、だいぶ遅れてしまった」
平然と語られる、自分たちの人生の数倍という期間に、瞬はしばし呆然となる。
オルディエルとともに現地で作業を続けていた者たちは、一体なにを思いながら、それほどに気の遠くなるような時間を過ごしたのか。
もはや想像すら及ばず、瞬はもう一度だけ嘆息した。
「そんなにかかったとなると、途中でリタイアしちまったやつもいるんじゃねーのか」
「いたよ、大勢ね。作業員も設計担当者も、相当数が抜けていった。もちろん途中で増員を図ったけれども、ロッシュ・ローブ完成時に残っていた人数は、建造開始前の半分にも満たなかった。創設時のメンバーも、三割近くが鬼籍に入っていたと思う」
轟の指摘に、オルディエルが先と同様、さして感慨に浸るでもなく淡々と答える。
オルディエルは、仲間たちと長い年月を共に過ごしてはいても、苦楽までは共にしなかったらしい。
そのような人物であることは想像がついていたにせよ、そのあからさまな態度を見て、瞬は少しだけ表情を険しくした。
「……そうやって上の人間が脱落していくうちに、次第にあんたが実権を握るようになっていったってわけか」
「アルギルベイスンとフラクトウスの設計。氷山掘削用重機のフルモデルチェンジ。衛生や各国基地からの探知を防ぐためのステルスフィールド発生装置の開発。僕の技術面での貢献がなければ、計画は間違いなく頓挫していた。それほどまでに、現地での作業の中で致命的なトラブルが続出した。計画進行の根幹部分を支えた僕が事実上のトップに立つことになったのは、もはや必然だったとさえいえる」
「それでようやく始まるんだな。あんたの時代が……オーゼスが」
瞬に眼差しを向けられたオルディエルは、「もう少しばかりの過程を挟むことになるけれど」とだけ返す。
その前置きは、事実上の肯定を意味していた。




