第220話 オーゼス(その3)
そこには、街があった。
乱立する大小無数のビル。
複雑な立体交差の上を周回する、多種多様な自動車と鉄道車両。
外縁部を取り囲む、平原や森林、湖などの豊かな自然。
なんの疑いようもなく、そこは確かに街であった。
しかし、どれだけ耳を澄ませても、人々の話し声や鳥のさえずりが聞こえてくることはない。
ガシャガシャ、ジリジリという、チープな走行音だけが、ただ何重にも響いていた。
「ちょうどこんな感じだよな。メテオメイルに乗ってるときの目線」
眼前に広がる“作り物の街”を見渡しながら、瞬は言った。
身長百六十七センチメートルの瞬が、全高三十三メートルのセイファートと近しい視点に立っているということは、街の縮尺は約二十分の一といったところ。
一般的な都市模型よりも、かなり大きいサイズである。
瞬たちの背丈を超える高さの建造物も数多く存在するため、もはや舞台美術と呼ぶべきなのかもしれない。
おかげで、中心街を挟んだ向こう側の光景は、まだ窺うことができていなかった。
「随分と気合の入った箱庭遊びじゃねーか。ゲームの中ならともかく、実物でここまでやるとはな」
轟は遠慮なく街の中に踏み入り、手近なビルの壁面を小突いてみせる。
気合が入っている、という点は瞬も同意だった。
いや、気合というよりは執念の類かもしれなかった。
なにしろこの“街”は、学校の体育館とほぼ同等の面積を誇る部屋の、その全域を埋め尽くすほどに。
これほどの大規模なジオラマを完成させるためには、一体どれほどの予算と時間が必要になるのだろうか。
考えるだけで、気が遠くなった。
「部屋の中がやたらと眩しいのはこういう理由だったのね」
右手の甲で顔を覆った連奈が、天井を見上げて呆れたように発する。
部屋の中心を貫く鉄骨から吊り下げられた、巨大な球状のライト。
それは、この広大な空間における唯一の照明装置だった。
現実的な街並みを作り出すのなら、それを照らす太陽もまた現実と同じで一つでなければならない、ということなのだろうか。
光源までもを含めて一つの作品とする、そのこだわりように圧倒され、瞬も轟も連奈も、しばしの間立ち尽くす。
「この都市模型は、”あの方”の……ロッシュ・ローブにおける最初の作品であると聞き及んでいます。徹頭徹尾、誰の手も借りることなく制作されたようで、完成までに要した期間は“あの方”自身も把握しておられないそうです」
部屋の隅で三人の様子を見守っていた井原崎が、ようやく口を開く。
だからこそ軽々しく手を触れるな、という強い戒めのこもった目をしていたが、残念なことに肝心の轟の視線は変わらず街の方にあった。
瞬は、そのことに申し訳なさを覚えつつも、かといって轟に対して注意を促すこともなかった。
首魁たる人物の尋常ならざる創作意欲に感服はしているものの、同時に苛立ちもまたあったからだ。
この街も、井原崎の説明も、今回の用向きとは全く関係がないのである。
「ねえ井原崎のおじさま。私たちは博物館巡りをしに来たわけではないのだけれど?」
「とっとと親玉のところに案内しやがれってんだ」
「つうか、この部屋がそうだって話じゃなかったっけか?」
つまらない遅延行為はやめろと、三人は語気を強めて、三方から井原崎に詰め寄る。
瞬たちが実力行使に出るとでも思ったのか、井原崎はあたふたと左右を見渡すが、逃げ場はない。
そんな井原崎の素振りに、瞬は違和感を覚えた。
自分とセイファートOの対決を引き伸ばしたときの井原崎は、まったく動転した様子を見せなかった。
他でもない自らの意思で行動していたからだ。
しかしいま壁際に追いやられている男から、覚悟や自信といったものは微塵も感じられない。
他人に言われるがまま動く、自分たちのよく知る井原崎である。
だとすると――――井原崎は、首魁の居室に案内するという役割を、正しく遂行している最中正しく遂行している最中ということになる。
瞬がそのことに思い至ったときだった。
中心街を埋め尽くすビルの山脈の向こうから――――声が、聞こえてきた。
快活さと無邪気さを伴った、威圧感とは無縁の声が。
「義郎、なにをやっているんだ! そんなところで長話なんてやってないで、早くお客人を連れてこいよ!」
警戒心を最大値まで引き上げた瞬と轟と連奈が、同時にばっと振り向く。
会うべき相手が、もう、そこに、いる。
たったいま耳にしたばかりだというのに、その人物が口にした内容どころか、声色すらも思い返すことができない。
それほどの、驚愕。
轟と連奈も同様だったのか、表情を固くしたまま、全員が全員をちらりと見た。
「あの、その、大変申し訳ありませんでした! す、すぐに向かいます……! では、えっと、皆さん、どうぞこちらへ」
瞬たちの包囲網をするりと抜けた井原崎が、慌てて先導を始める。
部屋の端に設けられた、かろうじて一人が通行できる幅の通路――――というより隙間を、瞬たちは慎重な足取りで進んでいった。
「メテオメイルパイロットの皆様方をお連れしました……!」
中心街を抜けたと同時に、井原崎が声を張り上げ、そこに待っていた人物に報告する。
てっきり、この室内全てに都市模型が敷き詰められているものとばかり思っていたが、その認識は間違いだった。
百棟以上の高層ビルの壁を超えた先には、五メートル四方ほどの区画ではあるが、等身大の物体で溢れかえった場所があった。
ただしこちらも、どこか現実味を欠いている。
区画の中は、古今東西、ありとあらゆる玩具で散らかっていた。
ルービックキューブに積み木、輪投げ、サッカーボールといったポピュラーなものから―――――
鳥の形状をしたラジコン、球体磁石の塊、子供向けのデザインがなされた半球状のロボット掃除機、前後で同じ形状をしたどちらにでも進むことのできるロボット、ヒロイックな姿をした合体変形ロボット、クロッキー人形、とんがり帽子を被ったナマケモノのぬいぐるみ、先端それぞれが竜の首になっているソフトビニール製の手袋などといった、強烈な既視感のあるものまで。
種類を増やすことだけに注力したような、まるで統一感を欠いた玩具の世界。
その中央に置かれた円卓に手をついて、瞬たちの到着を今か今かと心待ちにしている男が――――おそらくは、そうなのだろう。
ウェーブ状に広がる、毛量の多い白髪。
まとった象牙色のローブ。
まるで、ファンタジーの中に出てくる神官じみた出で立ちだ。
もっとも、その男が纏う空気は、厳さとは対局に位置するものであったが。
「こんなところまで、わざわざ来てくれてありがとう。そうか……君たちが、これまで戦ってきた……! いや、本当に会えて嬉しいよ!」
瞬たちに向けられたのは、燦然と輝く双眸と、期待と興奮を露わにした満面の笑み。
言動と態度は完全に一致しており、含むものは一切感じない。
心の底から、対面が実現したことを喜んでいるとしか思えなかった。
しかしだからこそ、瞬たちは目の前の男に対して、尋常ならざる不気味さを覚えた。
瞬たちよりもさらに年下の少年であるかのように振る舞う、その頑是ない男は――――表情に深い皺が刻まれた、誰に目にも明らかな老人だったのだから。
男は、やけに硬質的な足音とともに、瞬たちの元へと歩み寄ってくる。
音の正体は、すぐに判明した。
ローブの裾から覗く男の両脚は、黒い金属製の義足だったのだ。
かつて運営されていた“表のオーゼス”は、サイバネティクス事業で成功を収めていた企業。
その技術は、メテオメイルの駆動系に転用されるだけでなく、この男自身のためにも使われていたというわけだ。
おそらく順番としては、後者の方が先に生まれた技術なのだろう。
そして――――いよいよ瞬たちの前までやってきた男は、年齢相応のがさつきはあるものの、しかし十分に明朗な口調で挨拶を始めた。
「ずっとやり合ってきた仲だけれど、実際に顔を合わせるのは初めてになるね。僕はオルディエル。オルディエル・ゼウス」
男は――――オルディエルは、惜しげもなく本名を明かす。
その名前を胸に刻む瞬たちは、結果として無言になり、続けてオルディエルが話の主導権を握った。
「でも僕は、その名前があまり気に入っていないんだ。スペルは違うんだけれど、発音が“厳しい試練(Ordeal)” と“至上神(Zeus)”に近くてね。響きが大仰すぎて、名乗るときにどうもむず痒さを感じてしまう。だから親しい人間には、あだ名で呼んでもらっているんだけど……どんなやつか、わかるかい?」
「つまんねえクイズだ……“オーゼス”だろ」
「大正解。つまり僕は、最初から、全世界に対して名乗りを上げていたも同然だったのさ」
言って、オルディエルは悪戯な笑みを浮かべる。
その笑みの理由は、瞬にも想像がついた。
敢えて謎のヒントを残し、自分の正体に気付く者が現れるのではないかというスリルを楽しむ、子供じみた遊びだ。
愉快犯の思考に近い。
瞬がそのことを指摘すると、オルディエルは理解者を得られたことがよほど嬉しかったのか、力強く何度も頷いた。
「僕の思想に染まりきった僕のための組織は、もはや僕そのものといえる。だからこそ、オーゼスと名付けた。深く考えずにその場の勢いで決めてしまったことを後悔した時期もあったけど、結果的にはよかったと思っている」
「そうかよ。でもオレたちは、あんたのことをオルディエルと呼ばせてもらうぜ。あんたとは別に、友達でもなんでもないんだからな」
「そんなあ。パイロットのみんなとは仲良くしてたじゃないか」
瞬の淡白な物言いに、オルディエルがむくれてみせる。
年齢一桁の子供がするのならばかわいらしい仕草だが、この男はその数十倍の年月を生きている老人だ。
外見とのギャップに、瞬たちは顔を険しくせざるを得なかった。
「あいつらと話すのは楽しかったし、面白かったからな。仲良くするつもりなんてねえのに、結果的にはそうなっちまった」
「わかるよ。ブラウもジェルミも克也も、サミュエルもエラルドもグレゴールも、アダインもスラッシュも優も、みんな強烈な個性を持っていて、見ていて飽きなかった。彼らと一緒に遊ぶことができて本当によかったと思っている」
「あんたはどうなんだろうな、オルディエル。あいつらの上に立つだけのことはあるのか。それとも、所詮はただの裏方なのか。今日は、そこんところを確かめに来たんだぜ」
「そうだね。時間も限られていることだし、そろそろ始めようか。相互理解を深めるための、ちゃんとした話を」
オルディエルは、円卓の周りに置かれた丸椅子に着席するよう促してくる。
座れば気が緩んでしまうため、できうることなら、応じたくはなかった。
が、先の戦闘の消耗から完全には回復しきっていない上に、小一時間ほどの内部見学による披露もあって、瞬たちは渋々と腰を落ち着けた。
オルディエルは、円卓を挟んだ真向かいで、片足だけあぐらをかく。
事前の取り決めどおり、飲食物の提供などは一切なされない。
忠臣である井原崎は、オルディエルの後方に控えて、ただ様子を見守るだけだ。
オルディエルが組織外の人間に対して親しげに接していることを未だ受け入れられずにいるのか。
井原崎の口元は必要以上に固く結ばれていたが、それはもう、瞬たちの知ったことではなかった。
「じゃあ、まずはお互いに自己紹介から……」
「テメーのだけで十分だ。どうせ俺たちのことなんて、調べ尽くしてるんだろうがよ」
「僕が?」
轟がぞんざいに答えると、オルディエルは心外さを露わにした、悲しげな顔つきになる。
「義郎やゼドラはともかく、僕は、そんな野暮なことはしていないよ。だって、そんなのつまらないじゃないか」
「つまらない……?」
「僕のゲームに乗ってきた君たちが、一体どんな為人をしているのか……。先に答えを知らされるより、自分で想像するほうが百倍面白いだろう?」
「なるほど、だから私たちを呼びつけたのね。敗北した側であるにも関わらず、わざわざ」
連奈の返答に、オルディエルは微笑とともにゆっくりと頷いた。
「そのとおりさ。僕の推察が当たっているかどうか、その答え合わせをするためには、こうして君たちにご足労願うしかなかったんだよ。投降した後に、君たちとゆっくり腰を据えて話せる機会が与えられることはないだろうからね」
今日始めて出会った人間なのに、らしいという表現を使わざるを得ないほど、それは深く納得のできる回答だった。
オルディエルは、瞬たちに親愛の情を抱いていたのでもなければ、この場において新たに親交を深めようとしているのでもない。
単に、瞬たちが自分の思ったとおりの人間かどうか、その答えを知りたがっていただけなのだ。
オルディエルの中にあるのは、強い興味と探究心だけ。
試行錯誤と検証、それ自体が目的であり、娯楽。
計画を潰され、多くの仲間を失ったにも関わらず、瞬たちに対してまるで敵意を見せない理由も、今ならわかる。
オルディエルは、そんなところにまったく重きを置いていないのである。
「奇抜な髪型をしているのがシュン、サングラスをかけているのがゴウ、後ろに立っている女の子がレンナで合っているかい? みんなの報告の中にあった断片的な情報を整理すると、そうなるんだけども……」
「奇抜って表現には異論を唱えてえがな」
「三人とも、見た目は完全に予想外だったなあ。この調子だと、人格の推察も、半分も当たっていないだろうな……」
「あんたの目的はわかったけどよ……でも、先攻はあんただぜ。こっちの情報をくれてやるのは、あんたがオーゼスについての洗いざらいを吐いた後だ」
「そうか、そうだな……。じゃあ久々に、時間というものを気にするとしようか」
遊びに没頭したいためだろうか。
確かに、この部屋には時計じみたものは一切置かれていないし、オルディエル自身も、腕時計らしきものを身に着けていない。
直後、オルディエルは、先に名を名乗ったときと同じように、特に間を置くでもなく語り始める。
調子を狂わされないように、瞬は一層気を引き締めて、次々と開示される情報に耳を傾けた。
 




