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第217話 第一歩(その4)

 傷だらけの鋼鉄の巨人が二体、真白の大地の上で、静かに向かい合っていた。

 両者は姿こそ酷似しているものの、与えられた性質は対極に位置する。

 幾多の死闘を経てなお進化の余地を残すセイファートと、生まれながらに最高の能力を持つセイファートO。

 片や未完成、片や完成形。

 真逆の出自を持つ二体が相容れることはけしてない。

 しかし一方で、両者の目的は共通していた。

 番外決闘のために造られたセイファートOも、その決闘に応じたセイファートも。

 両者ともに、自らの存在証明を渇望する挑戦者であった。

 同じ得物の使い手を打ち倒し、超えていく。

 他の誰かの一歩先を行くことで、前進の実感を得る。

 それは、自己同一性アイデンティティを確立する上で、最も効果的な方法だった。

 どころか、この二体にとっては、もはや唯一の方法と言ってもいい。

 だからこそ、両者ともに引き分けは望まない。

 どれだけ己の身が削れようとも、相対する宿敵を睨み続ける。

 決着の刻は、もう目前にまで迫っていた。


「『やるしかない』ってさ……追い込まれた側が諦め半分で使う言葉みたいで、なんだかオレ、あんまり好きじゃねえんだ。井原崎のおっさん、あんたはどう思う?」

「……発言の意図が、よくわからないのですが」


 しばしの静寂を破って出てきた言葉が、あまりにも雑談めいた内容だったためか、井原崎はやや困惑しているようだった。

 それも無理からぬことだと、瞬は思う。

 なにしろ本当に、今の瞬の問いかけに大した意味はない。

 誰かと言葉を交わすことで、少しでも自分の中の焦燥感を拭い去りたかっただけなのだ。

 そう、焦燥感。

 瞬はこの十数秒間、セイファートOを確実に仕留めるためのシミュレーションを、脳内で幾度も繰り返した。

 あと一度か二度の攻撃で、という厳しい条件付きで。

 しかしどれだけ頭をひねっても、確実と呼べるレベルの、明確に筋道だった上策が思い浮かぶことはなかった。

 どの過程を辿っても、結局は、ある一つの不確定要素に行き当たることになる。

 そして最悪なことに、セイファートOの刺すような視線は、もう自身の準備が万端であることを告げていた。

 ほんのわずかでも隙を見せれば、容赦なく斬りかかってくることだろう。

 満身創痍の瞬とセイファートに、学習を重ねたセイファートOの斬撃を捌き切ることは、もはや不可能。

 守勢に回ることは敗北と同義であった。

 つまり、どう立ち回るにしろ、先手だけは絶対に取る必要があり――――だからこそ瞬は、こう言わざるを得なかった。


「やるしかねえ状況だってことだよ!」


 威勢よく叫ぶや否や、瞬はセイファートを疾駆させた。

 意を決したのか、それとも割り切っただけか。

 なんとも無責任なことに、瞬は今現在の自分の心構えの方向性を、よくわかっていない。

 人事は尽くした。

 あとは天命を待つだけ。

 そうとしか、説明のしようがなかった。


(この数秒だって、無駄にはできねえ……!)


 瞬は、最後にもう一度だけ思考を回し、状況を整理する。

 セイファートが手にした武装は、変わらず“天の河”のまま。

 機動力の低下はあるものの、攻防どちらにも使えるこの長大な刀身は、セイファートO攻略の鍵と言えた。

 不安要素は、そのセイファートOの必殺剣――――鞘から伸びた、虹色の光柱による一閃“ゲミンガの烈光”。

 オーゼスの技術の粋を謳うだけあって、その威力は絶大。

 先に受けたときは、様々な要素が味方して九死に一生を得たものの、あのような奇跡はもう二度と起こらない。

 前面装甲の大半を喪失した今のセイファートにとっては、直撃どころか掠めるだけでも致命的だ。

 そして、瞬が行き当たった不確定要素というのは、まさにこの武装に関することだった。

 セイファートOは先ほど、本差とその鞘の組み合わせで“ゲミンガの烈光”を放ってきたが、もしかすると脇差でも同様のことが可能なのではないか――――

 その疑念が、瞬に即時攻撃を躊躇わせたのである。

 セイファートの前面装甲を丸ごと灼くほどの幅を持った極太の光柱、それが一つなのか二つなのかで、取るべき行動は大きく違ってくる。

 もし同時展開された場合、セイファートOの懐に飛び込むための大半のルートが塞がれてしまう。

 かといって、周囲を旋回するなどして守備の穴を探し出すのも悪手。

 無駄な時間を生むことは、あちらに手番を回すことと同義だ。

 ならば、どうすれば――――

 大きな迷いと躊躇いが、セイファートOを目と鼻の先にした、今このときでさえも頭から離れない。

 にも関わらず、瞬の口元から、かすかな笑みが失われることはなかった。

 この心が張り裂けそうな純度百パーセントの緊張感こそ、真剣勝負の醍醐味であると。

 受け止め、飲み込むことができていたからだ。


「ああそうだ、びびってなにが悪いってんだ。ここが天王山なんだから、ちょっとは臆病にもなるってもんだ。なあ……!?」


 決着を目前にして思考が複雑化しているのは、セイファートOも同じはず。

 なんの根拠もなく、ただ自分の心持ちのためにそう思い込んで、瞬はいよいよ“天の河”を水平方向に振り抜いた。

 この時点での、セイファートとセイファートOとの相対距離は約五十メートルほど。

 “天の河”の刀身は三十メートル前後で、本来ならあと二歩か三歩の踏み込みを必要とした。

 無論、この期に及んで間合いを計り間違えたということはない。

 やや下方に向けて振り抜かれた“天の河”は、頑強な氷の大地を激しく打ち、その反動がセイファートの軌道を大きく変える。

 攻撃を加えた方向、氷の抵抗、機体の重心。

 諸々の要素が複雑に絡んだ結果、セイファートはほとんど直角に進路を変えて、再びセイファートOとの距離を開けた。

 ここまで極端な方向転換をするつもりはなかった瞬だが、ともあれ満足はしていた。

 相手の呼吸リズムさえ崩すことさえできれば、自分の呼吸が崩れても、差し引きで得。

 そんな自らの妨害型思考に苦笑しながらも、視線はセイファートOを捉えたまま離さない。

 まばたきさえも、今は気合で食い止める。


「問題は、こっから……!」


 セイファートOが、本差を鞘に収納する。

 次いで、鞘と腰とのジョイントが外れ、セイファートOは鞘を嵌めたままの剣を再び構え直した。

 紛れもない、“ゲミンガの烈光”の予備動作だ。

 柄は右手で握り込み、左手を動かす様子はない。

 この状況下ですら同時使用を控えるということは、やはり本差の鞘だけの機能と考えて問題ないだろう。

 だが、最悪の展開を回避できただけで、突破は依然として困難。

 “流星塵”の発動に意識を向けすぎた結果、“ゲミンガの烈光”の対処が間に合わないという事態を一度経験しているだけに、セイファートを操る瞬の四肢には過度の力が入る。


(あのデタラメな剣が一振りだけだってんなら、最初に考えついた策で行く……! あとは、度胸の問題……!)


 次の瞬間、セイファートOの手にした鞘から、虹色の輝きを放つ光柱が数十メートルと伸びる。

 井原崎の説明によれば、それはレイ・ヴェールを幾重にも重ねた、斥力場の塊。

 バウショックの各種火球攻撃やヴォルフィアナの“オーロラの檻セーラス・クルヴィなど、レイ・ヴェールの性質を応用した武器はこれまでにも幾つか存在したが、斥力場そのものを叩きつけてくる武器は、他に例がなかった。

 ただ、積層レイ・ヴェールを生成するための機構は複雑なのだろうが、攻撃方法は極めて単純。

 瞬は、その一点を攻略の糸口とし、自身の全てを賭ける。


「さあ振りやがれ……そいつを!」


 瞬は一気に間合いを詰めながら、“天の河”を勢いよく振りかぶる。

 だが、その大仰な動作は、セイファートOに対してなんの威嚇効果ももたらさない。

 むしろセイファートOにとっては、後の先を決めるための絶好の機会だった。

 直後、セイファートOは迷うことなく、“ゲミンガの烈光”を真横に振り抜く。

 最速の判断と最速の駆動により実行される、巨大な光柱の一閃。

 跳躍による回避は間に合わず、その長すぎる刃渡りの前では後退も無意味。

 開闢の時代を再現するかのように、眩しい光が空間を裂いて、天と地を切り分ける。

 その境目に立っていたセイファートは、暴虐の光の中に飲み込まれ――――


「どんな形をしていようが――――」


 光柱に全身を灼かれる、その寸前。

 瞬はセイファートの指先を巧みに操り、手のひらの上で“天の河”の柄をくるりと踊らせた。

 続けて、順手から逆手に持ち替えた“天の河”を、大きな傾斜をつけて地面に突き立てる。

 既に視界は虹色の光で染まっており、イメージどおりの動きができているのかどうか、もはや確認のしようもない。

 ただ、己の勘と経験だけを信じて、瞬は“天の河”の柄をより強い力で握り込む。


「それが剣なら、風岩流でどうにかなる」


 まだ、決着はついていなかった。

 範囲内の全てを抹消し、円状の破壊空間を生み出すはずの光柱は、セイファートを避けて通るような立体的な軌道を描き――――

 セイファートが神がかり的なタイミングで一歩を踏み込み地面に突き刺した、“天の河”の刀身の上を滑り、光柱が宙に持ち上げられたのである。


「…………!?」


 井原崎の声にならない驚愕が、スピーカーの奥底から漏れ出る。

 痛快な笑みで返してやりたいところだったが、生憎と現在の瞬の胸中は、九死に一生を得た興奮と安堵が同時に押し寄せるという混沌とした状態だった。

 最高クラスの破壊力を誇る“ゲミンガの烈光”を剣技で凌ぐ――――

 こんな馬鹿げているとしか言いようのない応手に、瞬が全身全霊を注ぐ気になった要因は、光柱の性質にあった。

 積層レイ・ヴェールで構成された光柱は、エネルギーの圧倒的密度ゆえに、斥力場の集合体でありながら極めて固体に近い性質を有している。

 ならば、既存剣術の返し技が通用する余地は十分にあるというのが瞬の推論であり、実際に防御は成功した。

 なお、今しがた披露してみせた技は、風岩流剣術として体系化されている百の技のどれでもない。

 この場で瞬が編み出した、即席にして我流の、技と定義していいのかどうかすら怪しい“なにか”。

 しかし、それでも――――この濃密な八ヶ月の集大成ではあった。

 一癖も二癖もある強敵たちとの真剣勝負を経たことによる、心身の成長が、今このときの瞬を助けたのだ。


「勝とうとしたのが、仇になったな……!」


 “ゲミンガの烈光”を全力で振り抜いたことで体勢が乱れ、無防備を晒すセイファートO。

 その懐に、融解した“天の河”を手放したセイファートが飛び込むのは、あまりにも容易だった。

 そして、セイファートの両手にはとっくにジェミニソードの本差が握られており―――――

 無言のままに放たれた、ただの唐竹割りは、これまでの激戦が嘘のように呆気なく、セイファートOを縦に両断した。

 頭頂部から股関節まで、機体の中心線を綺麗に切り取られたことで、セイファートOは八の字に分かれるようにして崩れ落ちていく。

 技量や物理法則といった要素を捨て置いて、思い切りのよさだけで強引に押し通ったような、そんな荒々しく清々しい一太刀。

 セイファートが断ち切ったのは、眼前の敵だけではない。

 自らにまとわりついた因縁とわだかまりの全てをも、過去の出来事に変えてみせたのだ。

 これまでの激しい剣戟が嘘のような味気ない幕切れであったが、この自信に満ちた一振りこそが、瞬の確かな成長の証。

 現実を歩き始めた、その証。


「お前は兄貴の化身なんかじゃない。兄貴を意識しすぎて、他の何も見えなくなってたオレだ。……そんな曇った目をしてる奴に、他の誰かを超えられるもんか」


 滑らかな断面から激しい火花を散らす鉄の躯に向けて、瞬はそれだけを告げる。

 セイファートOは、瞬にとって絶対に超えていかなければならない試練だったが、その位置づけは、あくまでも試練。

 長い人生の中で、何度も立ちはだかるであろう困難の一つでしかない。

 対してセイファートOは、打倒セイファートを目標とした、そのためだけの機体。

 基本スペックで上回っていようと、高い学習能力を持っていようと。

 セイファートに対する強すぎる執着が、自ずと戦術の幅を狭めてしまう。

 結局は、規定の枠の中に収まった、脅威とは程遠いモノ。

 もっと早くに、自身の完全上位互換であるという固定観念を破ることさえできれば、こうも苦戦することはなかっただろうと瞬は今更ながらに思う。


「まあオレだって、この戦いの中でようやくそれに気づけたわけだし、途中まではボコボコにされたのもあるし、偉そうに語る資格はねえんだけどよ。でも……少なくとも、あんたらのボスの一歩先を行くことはできた。だから、オレの勝ちだ」

「心得ております」


 井原崎の声色の中に、落胆や困惑、憤慨に類するものは些かも混じっていなかった。

 おそらく瞬が再起し、戦闘のスタイルを大きく変えた時点で、こうなることを覚悟していたのだろう。

 これまでの言動の端々から察するに、井原崎義郎という男は、オーゼスの首魁の忠臣。

 瞬やセイファートに興味を抱き、自ら定めたルールを破り始めるという”異変”の過程を目にしてきたに違いない。

 己の道を、どれだけ真っ直ぐ、どれだけ力強く突き進んできたのかを競うのがメテオメイルの戦いであるのならば、セイファートOは道を逸れた先で生まれた異端児。

 もしセイファートに勝利を収めたとしても、オーゼスの首魁が真に達成感を味わうことはなかったのかもしれない。

 自らはメテオメイルの操縦や設計に関わることなく、一歩引いた場所で戦いを見続けてきた井原崎は、常に冷静だったということだ。


「……これで全部、本当の本当に終わりってことでいいんだよな。あんたたちがおっ始めやがった、この全世界を巻き込んだ“ゲーム”は」

「そういうことになります。グランシャリオの撃墜が確認された時点で、“あの方”は既にオーゼスの完全敗北をお認めになられていますし……それにもはや、我々には一機の戦力も残されていません。組織を代表して、これから降伏宣言を出しますので、もうしばしのお待ちを」

「ボスじゃなくて、あんたがやるのかよ」

「オーゼスの組織図の頂点は、あくまでこの私、井原崎義郎ですので」

「そうだったな……。あんたも筋金入りの馬鹿の一人だったな」


 ふっと笑った、その直後。

 瞬の体は、糸の切れた人形のようにがくりと崩れる。

 精根が完全に尽き果てたときに起こる、身体機能の強制停止。

 そのときが唐突に訪れたことで、やや驚きはしたが、こうなること自体は予期していた。

 なにしろ今日の瞬は、あまりにも長い時間、戦い続けた。

 ロッシュ・ローブへの接近を阻止せんと立ちはだかる大量の無人機部隊を殲滅したあと、数時間の休憩を挟んで、セイファートOとの番外決闘を開始。

 そのセイファートOとの戦いも、前半後半の二部構成。

 一戦をこなすだけでも体力と精神力を著しく消耗するメテオメイルの操縦を、間に休憩を挟んでいるとはいえ、一日に三回。

 瞬の体内にはもはや、死闘を制したことに歓喜する余力すらも残ってはいなかった。

 いや、それどころの話ではなかった。

 本来あってしかるべき疲労感さえもなく、汗も流れ落ちず、呼吸もやけに落ち着いている。

 パイロットになって間もない頃、過度な精神力の放出は生命に危険が及ぶという説明を受けたことがあるが、今がまさにそのときなのだろう。

 越えてはいけない一線を越えてしまった、不気味な解放感が、徐々に意識の全域に広がっていく。

 なんとかして、この世の側にしがみつかなければ――――

 そんな焦りを含んだ切望が、いずこかからあと数秒分の力を捻出し、瞬の肉体を強引に突き動かした。


「こんなところで死ねるかよ……! オレは今日やっと、オレを始められたんだ……。このことを、なにがなんでも兄貴に自慢しなきゃならねえ。そこまでやって、ようやく一区切りなんだ……! だから、オレは、まだ……!」 


 瞬が自らの命綱としたのは、たった一つの“やり残し”。

 それらをどうにか言い残せたことに安堵すると、瞬は意識の薄らぐ心地よさに身を委ね、精神を白の世界に溶け込ませていった。


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