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第214話 第一歩(その1)

「ってえ……」


 小さな呻きが、深い吐息に紛れ込むようにして漏れ出る。

 気持ちの良い目覚めとはいかなかった。

 モニター上のデジタル時計に目をやる限り、自分が気を失っていた時間は三、四十分ほど。

 その間ずっと、横倒しになった操縦席に体を固定していたせいで、足腰の関節が随分と強張ってしまっている。

 おかげで、疲労は回復したどころか、余計に蓄積されたような気さえしていた。

 加えて、落下の際に負った打撲が体のあちらこちらに鈍い痛みを生じさせているのだから、たまったものではない。

 そして駄目押しのように、間断なく鳴り続ける通信の呼び出し音。

 人を不快にさせる要素のオンパレードである。

 心身ともに活力は底をついていたが、だからこそ、これ以上は耐えられないという考えに至り、瞬は面倒ながらも操縦桿脇のコンソールへと手を伸ばした。


「はい、こちら風岩瞬でございますけども」


 安否が気遣われる中、起き抜けのふにゃふにゃとした声で、いきなり応答したせいだろう。

 通信機越しに、オペレーターが動転しているのがわかった。

 とはいえ、向こうも場数を踏んできたプロである。

 すぐに事務的な口調に戻り、現況の報告を求めてきた。

 そう、現況――――

 ここは現実で、今は現在。

 自分のいるべき場所、自分のあるべき時間。

 そこで自分は一体なにをしていたのか、これからすべきなのか。

 オペレーターの一言がきっかけとなって、瞬の脳は急速に覚醒していく。

 反射的に見やったのは、三次元レーダーが表示されたウィンドウだった。

 自分を散々痛めつけてくれた仇敵、セイファートOの現在地は、はたして。

 多少の焦りとともに瞬は目を凝らすが、倒すべき相手の発見は極めて容易だった。

 セイファートの目と鼻の先、距離にしてほんの二、三百メートル先のところに、マーキング済みの反応が一つ。

 しかも、その場でぴたりと停止したまま、動き出す気配がない。

 つまりこの数十分間、セイファートOは倒れ伏すセイファートを――――瞬を、悠然と眺め続けていたということになる。

 否、見下ろしていたのだ。

 その構図をイメージすると、久しぶりに、静かな怒りがふつふつと湧いてくる。

 瞬にとって、自分のことを軽んじ蔑む自惚れ屋は、世を脅かす邪悪以上に許しがたい存在。

 このような相手は徹底的に叩き潰し、その勘違いを是正してやらねばならない。

 あとは、そのための手段なのだが――――


「さあて、どうなってる……?」


 瞬はモニター上に、セイファートの破損状況に関するいくつかのデータウィンドウを表示。

 その内容を部分的に読み上げ、オペレーターと並行して自身もまた、機体がどれだけのダメージを負っているのかを把握する。

 まずは、各部位のおおよそのコンディションを示すウィンドウ。

 案の定、どこもかしこもが、相当量のダメージを受けていることを示す赤色レッドに染まっていた。

 全身がくまなくズタズタにされているということだ。

 しかし、本来なら顔をしかめるべきその悲報を、瞬は朗報と受け取った。

 完全に機能を停止したり、消し飛ぶなどしている場合、その部位は使用不能を意味する灰色グレーで表示される。

 つまり赤とは、前向きに捉えるなら、ことの保証。

 意識を失う寸前の光景を蘇らせて、瞬はなるほどと納得する。

 セイファートOが最後に放った“虹色の剣”――――井原崎の説明によるところの“ゲミンガの烈光”は確かに絶大な威力を誇っていた。

 ただ、放出されるエネルギーで形作られた極太の刀身ゆえに、通常の斬撃とは性質が大きく異なっている。

 例えるなら、照射され続けるレーザーの側面を敵に押し当てるようなもの。

 おかげで、セイファートは機体表面を激しく灼かれて満身創痍となったものの、未だに五体満足を維持できていた。


「あとは……」


 次に、セイファートの各種装備類のコンディションを示すウィンドウ。

 40ミリ機関砲:左右砲身ともに残弾なし。使用不可能。

 ウインドスラッシャー:全損。使用不可能。

 シャドースラッシャー:使用可能。ただしリール機構に不具合を確認。再使用不可能。

 ジェミニソードL(本差):使用可能。鞘内補修用液体金属残量、57%。

 ジェミニソードS(脇差):全損。使用不可能。 鞘内補修用液体金属残量、68%。

 ストリームウォール:内部機構は正常稼働中。ただし外装の融解により展開不可能。

 天の河:3基中、全損1、状態識別不能2。

 瞬としては、本体以上に甚大な被害を受けているというイメージだったのだが、意外にも攻撃手段の約半数が残存していた。

 ろくに反撃もできずに圧倒され続け、早期に戦いが中断されたことで、逆に損耗を免れたのだろう。

 自分の未熟さに救われたというのは、いささか複雑な心境ではある。

 だが、あらゆる感情の差し引きを終えた後。

 瞬の表情に浮かんだのは、悪童らしさを全開にした、清々しさとは対局に位置する笑みだった。

 要するに、ということだ。

 どころか、この条件の整い具合は、という天啓のようにさえ思える。

 唯一、自分自身の余力については不安が残るが、全体の中では些末な問題だ。

 最後に長い一呼吸を入れて意識を切り替えると、瞬はセイファートを、ゆっくりと立ち上がらせる。

 機体への負荷を考えた上での慎重な操縦ではない。

 S3を通じて、瞬の場違いな呑気さが反映された結果だった。


「よーし、休憩終わり。それじゃあ後半戦といくか……!」


 機体外部のスピーカーを介して、瞬がわざとらしく言い放つと、視線の先に立つセイファートOの双眸が規則的に点滅する。

 その反応は、あれだけの大敗を喫してなお、性懲りもなく戦いを挑んでくる瞬の愚かさに対する、当惑のまばたきのようでもあった。

 そんなセイファートOの様子を視界に収めたまま、瞬が頭を左右に傾けて首周りの筋肉をほぐしていると、今度はオースティンと井原崎が同時に交信を求めてくる。

 敵と味方、立場は正反対なれど、瞬の愚挙に対して抱く感想は全く同じであった。


「風岩特尉、貴官はまだ……」

「……まだ、戦闘を続行する気なのですか?」

「もちろんそのつもりだし、だから律儀にんだろ? いやあ、ありがてえありがてえ」


 この空白の数十分は、あくまで休憩時間インターバルであり、完全な決着が付いたわけではないと。

 瞬は、それが全員の共通認識であったかのような話運びをする。

 そういうことにしておかなければ、自分とセイファートに残された力が、全くの無意味になってしまうからだ。

 敗北の淵で必死にもがき足掻く者と、敗北を受け入れられず執拗に抗議する者。

 行動自体は似通っていても、その姿の美醜は真逆に位置する。

 自分を前者に置くためには、なんとしても、戦闘はまだ続いているものとしなければならなかった。

 もっとも、今の一言は、あくまで念押しにすぎない。

 深い嘆息を漏らしたオースティンと、どこか忌避感のある物言いをした井原崎。

 どちらも、瞬が再び戦いに臨もうとしていることに対しては、さしたる動揺を見せていなかった。 

 自分に協力的な第三者の力が作用して、決着が保留になっていることは、その時点で明らかだったのである。


「……北沢特尉が、貴官が復帰するまでの時間稼ぎと称して、ロッシュ・ローブの無人機を相手に大立ち回りを始めてな。貴官の意識が回復して再戦の意思を示す保証も、オーゼス側がこちらの意を汲むという保証もないのに、それら全てを前提条件とした命令違反とは……まったく、正気を疑うな」


 なんとも轟らしい力任せなやり方だ、と瞬は声を上げて笑う。

 轟は年少組の中で特に、情に厚い男だ。

 一度認めた相手のためには、どれほどの無茶をすることも厭わない。

 口下手なところは玉に瑕だが、だからこそ今回のように、口先だけの立ち回りではどうにもならない場面で活路を開いてくれる。

 轟が無人機部隊に喧嘩を売るのは、この状況を生み出す、おそらく唯一の方法だったであろう。

 瞬は、自分を信じて危険も顧みず飛び出していった轟に、心から感謝する。


「だろうな。大方そうだと思ったよ。それで司令が、うまいこと乗ってくれたってわけか」

「ケルケイム司令ではない。北沢特尉の戦闘を、戦略上正当なものとしてどうにか上層部に認めさせたのは、この私だ」

「あんたが、オレ達に肩入れ……?」

「北沢特尉の暴走の矛先がこちらに向いては困るという切実な理由から、泣く泣く従わざるを得なかったというだけだ。自発的に協力などするものか」

「そうか? オレたちがわがまま言おうがやろうが、あんたの手腕と権限ならどうとでもできたはずだぜ。、どういう風の吹き回しかは知らねえけど、あんたにも一応言っとくよ……ありがとうな」

「貴官たちの身勝手な行動の影響で、作戦全体に大きな乱れが生じている。艦隊と総司令部、合わせて数十万の人間が、子供数人に振り回され、多大な迷惑を被っているのだ。だから……せめて勝て。この状況を作り上げた者たちに恩義を感じているのならな」


 オースティンは苛立たしげに鼻を鳴らすが、放つ言葉は激励も同然だった。

 もう自分たちになにを言っても無駄だと観念した結果ではあるのだろうが、とはいえこれまでのオースティンらしからぬ寛大な対応である。

 ケルケイムではなくオースティンが交信してきたときは、なにか面倒なことになるのではないかと不安を覚えたが、取り越し苦労のようだった。


「それと、貴官の戦闘には無関係の情報ではあるが、一応報告しておく。三風特尉は先刻、グランシャリオの撃破に成功。ケルケイム司令も、ラニアケアに乗り込んできたジェルミ・アバーテの撃破に成功している。これでオーゼス所属のメテオメイルパイロットは、確認されている全員が討滅されたことになる」

「連奈と……司令も、そうか……! だったらなおのこと、気合い入れてかからないとな……!」


 連奈についてもケルケイムについても、聞きたいことは山のようにあったが、それは戦いが済んでからだ。

 どうやらオースティンも、風岩瞬の動かし方というものを理解してきたらしい。

 あるいは自分が単純なだけなのかもしれないが――――という自嘲の笑みを浮かべながら、瞬は次に、今度は井原崎に対して声をかける。

 轟やオースティンに見せたものとは正反対の、生意気さを露わにした態度で。


「あんたには礼なんて言わなくていいよな……井原崎のおっさん。あんたとしては、ここで終わっておいて欲しかったろうからな」

「…………」

「でも残念だったな。あんたらのボスは、オレと完全な決着をつけたくてたまらねえってさ」


 その挑発に対する井原崎の沈黙は、瞬の仮説をよりいっそう補強した。

 戦闘に入る前の奇妙な素振りから察するに、おそらく井原崎は、オーゼスの首魁が瞬と深く関わることを快く思っていない。

 単純に、敬愛対称の意識が他者に向けられることに嫉妬を覚えているのか。

 あるいは瞬の側に、首魁と関わる資格がないと考えているのか。

 それとも別の――――

 そこまで思考を巡らせて、瞬はもう一度かぶりを振った。

 オーゼスに関するあらゆる謎は、この一戦に勝ってロッシュ・ローブに乗り込み、首魁本人に問いただせば済むことだ。

 今はともかく、目下の問題、打倒セイファートOに全身全霊を注がねばならない。

 会話の最中に、各部のサブセンサーやサブカメラの設定を調整して、叩き割られた頭部に内蔵されていたメインセンサーやメインカメラの機能もだいぶ補うことができた。

 既に準備は万端。

 あとは、征くのみ。

 瞬は、やや前のめりの姿勢になって、操縦桿を握る腕に少しだけ体重を乗せる。


「そういえば……肝心なことを聞くのを忘れていたな、風岩特尉。貴官はあれとの再戦について随分と積極的姿勢を見せているが、勝算はあるのか?」

「勝算か……」


 オースティンに問われてようやく、瞬はそんな単語があったことを思い出した。

 自信が欠落し、闇雲に剣を振るうだけだった“これまでの瞬”は、勝算を基準に動くことがほとんどなかった。

 “これからの瞬”は、そんなことにまで考えの及ぶ、冷静沈着で視野の広い人間になると期待したい。

 では、“今このときの瞬”は――――虚飾を脱ぎ捨てることはできたが、まだ自信の源である確かな実力を得ていない“手持ち無沙汰の自分”は、どう答えるべきか。


「へっ……」


 ややあって、瞬はくぐもった笑いを漏らした。

 悩むだけ、時間の無駄だということに気付いたからだ。

 着飾ることをやめたのならば、思ったままのことを口にすればいい。

 極めて単純で、当たり前の話だった。


「ねえよ、勝算なんて」

「なんだと……!?」

「でも、やらずにはいられねえのさ。負けっぱなしは気が済まねえし、轟やあんたが作ってくれたチャンスを無駄にはしたくねえし、連奈もケルケイム司令も自分の宿敵を倒したってのに、オレ一人が負けるわけにもいかねえ。なにより……ここから最高にかっこいいだろ?」

「……無鉄砲にも程があるぞ。あれの性能は、まだ底が見えん。現状ですら勝ち目が薄い難敵の、更にそれ以上を、その瀕死の機体でどうやって乗り越えるつもりなのだ、貴官は」


 オースティンが、悲嘆とともに頭を抱える。

 彼の指摘は、至極もっともだった。

 先の戦闘において、セイファートOが手加減をしていたことは、剣を交えた瞬自身が一番よくわかっている。

 その状態でさえ、セイファートは手も足も出なかったのだ。

 もう一段階上の速度と火力を叩き込まれれば、今度こそ無事では済まないだろう。

 しかし瞬は、全てを承知の上でなお、戦うことを選ぶ。

 無論、負けっぱなしではいられないという意地もあれば、自分の勝利を信じる人々の期待に応えたいという思いもある。

 だが、浮ついた心それだけが動機ではない。

 ほんのわずか、つま先だけではあるが――――瞬の足は、地についている。

 第一歩を踏み出すために必要な、最初の足場を得ていた。


「無鉄砲かもしれないけど、まったくの無策ってわけでもない。一個だけ、っていう心当たりはあるんだ、あいつの弱点」


 瞬の語る心当たり(それ)の内実は、現状においてはこじつけ同然の拙い推論だった。

 攻略の糸口とするには、まだまだ心もとなく、土台の部分さえ漠然としている。

 それでも、正解を予感させる名状しがたいなにかが、追い風のように瞬の背中を後押ししていた。

 この思いつきは賭けに類するものではない。

 勝利に繋がる細い一本の糸を、見事手繰り寄せられるかどうか――――機転と技巧と度胸の要素が絡んだ、あくまで力量によって実現する逆転の一手だ。

 少なくとも瞬は、そう信じる。


「じゃあいい加減に、続きを始めるとするか……。お前も待ちくたびれただろ?」


 なんの気負いもなく言い放つと、瞬はジェミニソードの本差を引き抜いて、脇に構えた。

 鞘内に充填された液体金属によって欠損部の修復が行われるため、その白銀の刀身だけは、本体の凄惨な姿とは対称的に新品同然の輝きを保っている。

 そんなセイファートの動きに反応して、セイファートOもまた、自慢の獲物を下段に構えた。

 寸分の狂いもなく真正面に向けられた切っ先は、限りなく不可視に近い状態となり、間合いの計測を極めて困難なものにする。

 正直なところ、恐ろしくはあった。

 どれだけ意気込んでみせたところで、彼我の機体性能は――――ひいては、相当に分が悪いという現実は、決して覆ることはない。

 ただもう、セイファートOの洗練された挙動の中に、瞬が刃太の幻影を見ることはなかった。

 額の幻痛も、今ではすっかり収まっている。

 どれだけ拙くとも、これからは風岩流剣術の基本に則って戦うという決意を抱いた瞬間に、幻は幻へと還っていったのだ。

 今の瞬にとって、もはやセイファートOは、ただ桁外れに強いの剣客。

 刃太とも自分とも、別の線上を行く者。

 違うのならば、必ず活路は見いだせる。

 そして風岩流剣術は、活路を開くためにこそある。


「覚悟しろよセイファートO。オレの悪あがきは、たまらなく鬱陶しいぜ」


 とても剣の道に生きる者の振る舞いとは思えない低劣な宣告を放つと同時に、瞬はセイファートを疾駆させる。

 幾度となく打ち負かされておきながら、敢えてまっすぐに。

 直後、力強く振るわれた二つの剣が、激しく打ち合う。

 両者ともに会心の一閃を放ったときのみ生まれる小気味のいい音が、そのとき甲高く響いた。

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