第213話 Back to square one(後編)
「なあ大砲女……。風岩流ってのは、いま瞬がやってるようなモンなのか?」
そんな言葉が不意に聞こえてきて、瞬は、ぴたりと足を止めた。
真夏の、ある日のことだった。
午前の訓練が長引いた瞬は、足早に食堂へ向かい、そそくさと注文を済ませると、トレーを抱えていつもの席へと向かった。
ガラス張りを挟んでテラスに面する、ボックス席の一つ。
きっかけはよく思い出せないが、年少隊員たちは昼食の際、そこに集まることが習慣化していた。
その日は、物資の搬入作業のために一般隊員の大半が特殊なスケジュールで動いており、正午だというのに食堂の利用者は驚くほど少ない。
おかげで、目当てのボックス席から発せられる少年少女の声も、普段以上によく響いた。
響いたからこそ、瞬はそこに加わるタイミングを逸してしまった。
「珍しいじゃない、北沢くんの方から話題を振るなんて」
瞬と同じ感想を、轟の対面に座る連奈が口にする。
席を隔てる仕切り(パーティション)が高めに取られている構造のせいか、轟も連奈も、そして同席するセリアとメアラも、まだ瞬の接近に気づいてはいないようだった。
瞬はそのまま、近くにあった柱の陰に隠れて、ボックス席での会話に耳を傾ける。
本当に、らしくもない行為だった。
「ちょっと前、瞬の爺さんから稽古つけてもらってたときに、色々聞かされたんだ。風岩流の成り立ちだの理念だの、長ったらしくて小難しい話を、散々っぱらな。んで……聞けば風岩流ってのは、二つの型を使い分けて戦う複合なんちゃら剣術っていうモンらしいじゃねーか。だけど俺は、野郎がそんな戦い方してるところを見たことがねー」
「いい着眼点ね。あなたがそんなに他人のことを観察してるなんてびっくり」
「うるせー、そこは別にどーでもいいだろーが……! んで結局どうなんだ。俺が気付いてねーだけで実は両方使ってんのか、そもそも片方しか使ってねーのか」
「答えは後者。私が見る限りだと、瞬はセイファートに乗っているとき“風の型”しか使ってないわ。おそらく、風の型しか使えないんでしょうね」
勝手なことをぬかしやがって、と瞬は内心で毒づく。
事実誤認も甚だしかった。
正解は前者だ。
瞬はどの戦いにおいても、“風の型”と“岩の型”、それぞれの剣技を織り交ぜながら使っている。
以前は感覚任せのいい加減な使い分けだったが、実家での再鍛錬を経て二つの技を組み合わせることの有用性を再確認してからは、常に併用を意識するようになった。
実力者であるスラッシュ、霧島との再戦に勝利することができたのも、技の連携がある程度形になったからこそだ。
(お前の言うことはいつも大体正しいけれど、今回ばっかりは的外れだぜ、連奈。まともに剣を握ったこともないくせに、専門家ぶってんじゃねえよ)
あの連奈が虚勢を張って知ったかぶりをしている、と考えると面白い絵面に見えなくもない。
ここで姿を表し、誤謬を訂正してやったら連奈はどんな反応を見せるのだろうかと――――瞬は意地の悪い笑みを浮かべ、自身の体を柱から引き剥がした。
が、そこで強烈な違和感を覚えて、再び身を固くする。
轟とは、丸々一ヶ月、ともに修行に励んだ仲だ。
途中で別のメニューをこなすこともあったが、祖父の雷蔵が双方の指導を受け持っている関係で、二人は道場の内でも外でも真隣にいることが多かった。
しかも轟は、スラッシュ、霧島との初戦も再戦も、瞬と共闘している。
瞬の戦いぶりの変化を、誰よりも強く実感しているはずなのだ。
にも関わらず、轟は今、瞬がそんな戦い方をしているところを見たことがないと主張している。
認識が、根本的なところからズレているのだ。
そのことを察して瞬は戸惑うが、ズレの正体は、程なく判明することになった。
剣の修業を早々に放棄して雷蔵を憤慨させた連奈だったが、剣術を身につける気も跡継ぎになる気も更々ないというだけで、流派の本質を理解してはいるらしい。
「瞬が使い分けているのは技であって、型じゃないの。もちろん、性質の異なる二つの技を組み合わせた攻撃も効果的ではあるけれど……風岩流の強みはそこじゃないわ。巧みな足捌きで敵を翻弄する“風の型”と、相手の動きを読んで待ち構える“岩の型”。それら二つの全く異なる挙動を、状況に応じて切り替えるのが本当の戦い方。ミクロじゃなくてマクロの視点でこなすものなの」
「過去の記録映像を何度か拝見させていただきましたが……確かに、先輩が敢えて受けに回るところは見た記憶がないですね。防御は最低限で、常に攻めっぱなしです」
連奈の説明に納得するメアラに対し、それのなにが悪いと、瞬は返す。
連奈の言わんとすることの意味はわかる。
というより、改めて聞かされるまでもなく重々に承知している。
型の使い分け――――つまり“緩急の切り替え”によって相手のリズムを乱すことこそが、風岩流剣術の本質だということも。
そして今の自分が、『“岩の型”に属する技』を使っているだけで、『“岩の型”らしい立ち回り』をしているわけではないということも。
しかし風岩流剣術は、あくまで人間同士の戦いのために編み出されたものだ。
その全てを、まったく勝手が異なるメテオメイル戦に落とし込むことが正しいとは思えない。
メテオメイルは、どの機体も射撃兵装を当たり前のように搭載している上に、サイズも形状も千差万別。
また、機械仕掛けの巨大兵器であるゆえに、どれだけ反応速度に優れた機体でも、動作の機敏さは人体のそれと比べて遥かに劣る。
緩急の転換によって敵の意表を突く戦法は、様々な要因から実現が困難な上に、使うメリットにも乏しいのである。
(敵がなにをやってくるかもわからねえ、その一発でやられちまうかもしれねえってのに、“緩”なんて、お利口なことをやってる暇があるかよ。高速で飛び回って、攻められるだけ攻める。それがメテオメイル戦の最適解だ)
実際、瞬はそうやって、これまでの戦いを勝ち抜いてきた。
ハイリスクハイリターンな“岩の型”に命を預ける選択は、少々ロマンチックが過ぎる。
安全に、無難に、手数で押していく。
それが、瞬の行き着いたスタイル。
実戦の中で磨かれ、確かな実績を残してきた、現実的意見。
だというのに。
そこまで論理立てて反論ができるというのに、このとき瞬は、ついぞ柱の陰から出ることができなかった。
自分の生き様に、胸を張ることができなかった。
「全部、言い訳だったんだよ」
まぶたを開き、過去から現在へと帰還を果たした瞬は、懺悔するように言った。
地面に倒れ込んだまま、闇を見上げて。
「オレは小さい頃からせっかちで、返し技も絶望的に下手くそでさ……後の先を取る“岩の型”との相性がとにかく最悪だった。だけど、“風の型”の方は凄まじく覚えが早かったんだ。兄貴や親父はもちろん、あの爺ちゃんやでさえ才能を認めてくれるくらいにな」
「……それで?」
グレゴールが先を促してくる。
その姿を視界に収めることはできなかったが、声の響き方から察するに、相変わらずこちらに背中を向けたままなのだろう。
興味の程度はさておき、グレゴールが耳を傾けてくれていることに気を軽くした瞬は、つまらない自分語りを続けた。
「オレは早く兄貴に追いつきたくて仕方がなかった。腕前も、みんなからの評価も。そういう焦りがあったからだろうな……オレは次第に、“風の型”ばっかり使うようになっていった。“風の型”をやってるときだけは、みんなが褒めてくれる天才のオレでいられたからな」
「“岩の型”の鍛錬は、どうしたのです?」
「オレの性格を知ってるなら大体想像がつくだろ。……やるもんかよ」
瞬は他でもない自分自身の愚行に、呆れ笑いを漏らした。
「夢から覚めたくなかったんだ。才能が偏ってるだけで、総合的には大したことじゃない奴だって、みんなにバレるのが怖かった。自覚するのも嫌だった。だからオレは、逆にめいっぱい誤魔化すことにした。“岩の型”の技は、全部が全部、守り専用ってわけじゃない。“風の型”とセット運用が前提の、動作をちょっとだけ変えた攻撃技みたいなのもあってな……試合の時はそういうのを使って、できなくはない風を装った」
「拙いながらも、中々に気合の入った隠蔽工作だ。歪すぎて逆に造形美を覚えてしまいそうになる、その努力の方向性……オーゼス(われわれ)に近しいものを感じますね」
「あんたたちみたいな一本筋の通った極めつけの馬鹿にはなれねえよ。同時に、兄貴のような立派な剣士にもな。なんたってオレは、半端者なんだからな」
理想とする人物が、具体的かつ近しいところに何人もいながら。
瞬は、その理想に近づくための努力から、無意識のうちに逃げ続けてきた。
現実を受け入れれば、理想が一旦遠のいてしまう。
ならば夢現の中で無期限の停滞を――――
この、立ち向かう意思の欠如こそが、瞬の内に巣食う弱さの本体。
確固たる強さを手にできない原因は、風岩流の技術の半分を捨て、皆の称賛を受けるもう半分に縋ったこと。
土台の構築を怠っているから脆弱な造りになるという、実に単純な理屈。
どうにでもなるはずの“ただの一欠け”も、隠し続ければ、いずれ致命的欠陥へと転ずる。
その欠陥が盛大に崩壊を起こした結果こそ、今ここにいる自分。
だが、もうこれ以上崩れることはないからこそ、清々しく開き直ることもできた。
「ゲルトルートのことをあんまり好きになれなかったのも、本当の理由はそこだったんだろうな。敵の攻撃を受けながら、重い一発をぶち当てるタイミングを探る……あの戦い方は、まんまじゃないにしろ、オレが目を背けた“岩の型”を思い出させるから」
そう分析することで、瞬は当時の自らの複雑な心境に、ようやく得心がいった。
瞬は、愛着で勝るセイファートを選んだのではなく、愛着のあるセイファートを選んだのだ。
思い返せば、あれは進歩などではなかった。
セイファート(やりたいこと)に目を向けたのではなく、ゲルトルート(やりたくないこと)から目を逸らした結果の選択だったのだから。
「さすがに世の中を舐めすぎなんだよな。こんなやつが、誰かに勝とうなんて」
瞬は、敢えて他人事のように言い放つ。
先程まで、瞬は自身の敗因を、刃太に対する過剰な劣等感のせいだと考えていた。
刃太を想起させる敵に相対すると心が萎縮し、本領が発揮できなくなるのだと。
だが、そんな解答では三十点がいいところだ。
この暗闇の世界における大々的内省の結論を踏まえると、劣等感は敗因の表層部分でしかないことがわかる。
“岩の型”の鍛錬に着手することを避けたことが全ての元凶で、その不甲斐なさが戦闘スタイルの不安定さを生み、自信の喪失と個性を確立した者に対する過度な畏敬の念に繋がっていったのだ。
劣等感とは、一連の悪しき流れを十把一絡げにした、どこか漠然とした表現。
瞬にとっては、真相の究明を止めてしまえる、逃げの言葉であったといえる。
「そもそも、発揮する本領がねえんだよな。今のオレには。だから調子が良ければ勝てるっていうのも、実はだいぶ嘘が混じっててさ……」
「肝心要のその部分、どうするつもりで?」
「どうするもこうするも、一つしかねえだろ。やることは。また一から頑張ってみるよ……いや、ゼロからかな」
観念して、瞬はゆっくりと上体を起こす。
既に無様は晒した。
己の内も曝け出した。
自らを覆い隠していた外壁も完全に崩れ去り、もう己の内に、すがりつくものはなにも残っていない。
しかしおかげで、視界は開けた。
新たな一歩を踏み出す、いいきっかけにもなった。
進むべき道は、もう定まっている。
まずは遅れを取り戻し、風岩流の剣士を名乗れるようになることを目指す。
いまいち締まらない目標だが、虚飾を脱ぎ捨てたことで、今は不格好でいることに心地よささえ感じる。
「この反省を、あんたへの謝罪とさせてくれ」
見れば、いつの間にかグレゴールは瞬の方に向き直っていた。
いや、自分が真実に向き合ったからこそ、そう見えるのだろう。
瞬は立ち上がり、グレゴールの元へと歩み寄ると、とても謝る立場にあるとは思えないほど小憎たらしい笑みを浮かべた。
「もしいつか、あんたとまた戦うことがあったら……今度はちゃんと、真っ二つに両断してやる」
「大言壮語も甚だしいですね。そのときは、更なる改良を加えたシンクロトロンで今度こそボーイをルビンの壺にして差し上げましょう」
押し潰す、という意味合いなのだろう。
グレゴールが、鈎爪のように開いた両手を、勢いよく胸元で合わせる。
させるかよ、と目で訴えると、瞬は改めて焚き火を囲んだ面々を見やった。
スラッシュ、霧島、十輪寺、グレゴール。
瞬が、心のなかに押し隠していたものを解き放つことができたのは、間違いなく彼らの導きのおかげだった。
答えを出したのは他でもない瞬自身とはいえ、頑丈に結びついた紐を解く要因となったのは、彼らとの出会いと戦い、そしてこの世界における再会。
立派な大人には程遠いが、瞬は彼らから多くの、大事なことを教わった。
この世でオーゼスのパイロットに感謝している人間は、自分と轟くらいのものだろう。
これほどまでにという条件を付け加えれば、自分一人だけだ。
瞬は彼らの姿を今一度目に焼き付けると、身を翻す。
またいつか、これからの人生において、彼らが立ちはだかるときがくるかもしれない。
だから、礼などは言わなかった。
「そういうわけだから、オレはそろそろ帰らせてもらうぜ」
「わざわざ引き返すのかよ。こっちから行けば近道じゃねえか」
「うるせえよ。今のくだりが台無しだろうが」
スラッシュの冗談に、瞬は破顔しながら答える。
背後から、他の三人の笑い声も聞こえてきた。
急がば回れとはよく言ったものだ。
三年前のあのとき、家に運ばれた瞬は、後日家族一同から門限を破ったときの比ではない厳しい叱責を受けることになった。
もしもあそこで真っ当な道を歩んでいれば、軽い注意で済んでいたはずだ。
雨宿りをしていたと弁明することも可能だっただろう。
本当に、つくづく、横着はよくない。
瞬は肝に銘じて、この敗者が集う場を後に――――
「待ちたまえ……! 誰か一人、忘れていないかね!?」
しようとしたそのとき、誰かの大焦りした声が、瞬の背後から飛んでくる。
忘れてなどいない。
自分の深奥を探る上で、その手がかりを与えてくれそうな相手には、全員もれなく声をかけた。
おかげで期待以上の成果が得られ、もう十分に満足している。
物足りなさや名残惜しさは皆無といえた。
よって、留まる理由はない。
瞬は無言のまま、再び歩を進めようとする。
だが残念なことに、声の主は、年甲斐もない全力疾走で瞬の前方へと回り込んできた。
屈強な肉体相応のスタミナを持つのか、十数メートル程度を駆けたくらいではまるで乱れない呼吸。
放っておけばどこまでも追ってくるだろうと――――瞬は心底面倒くささを感じながらも、相手をしてやることにした。
その諦めを対話の意思ありと受け取ったのか、見かけだけなら本当に頼もしそうな面持ちをしているその男は、瞬と同年代の少年のように顔を綻ばせる。
「君の宿敵、アダイン・ゼーベイアとの対話を避けるのは一体どういう了見なのかね。ああなるほど、あれだな。宿敵に自ら声をかけるのはプライドが許さないというやつか。だが安心したまえ。私はそんなことはまったく気にしない性分だ。心ゆくまで語り合おうではないか」
「あんたと話すことなんてねえよ」
「私にはあるぞ、山のように。なにしろ我々が言葉を交わした回数は、戦闘で二度、連合の虜囚となってから数度という圧倒的な少なさだ。私もスラッシュ君や霧島君のように、自らの戦闘技術をもっと教え込みたかったというのに……! しかしだからといって先に敗北していればという考えは、宿敵としては、なにかこう、違うな……」
独り相撲を始めるアダインに、瞬はこの世界に来てから最大の溜息をついた。
この愛情を自分の娘に向けてくれればという、もう何度思ったかわからない感想とともに。
直後、瞬は仕方なく口を開く。
アダインになにかを伝えようと思ったのではなく、自分たちの妙な関係性を、自分が飲み込めるよう言語化するためにだ。
「あんたたち親子は、オレなんだよ。他人に理想を抱きすぎるメアラと、面倒事から目を背けたあんた。どっちもオレの中の、嫌な部分の鏡写しだ。それを気づかせてくれたことには感謝するけど、だからこそ、あんたから学びを得てたまるかっていう思いもある」
「鏡写しの存在だというのなら、やはり宿敵と読んで差し支えないだろう、我々は」
「あんたみたいにならないように意識しながら生き続けるっていう意味では、そうだな……生涯の宿敵になるのかな」
自分で放ったその一言で、ようやく腑に落ちた気がした。
アダイン自身ではなく、同じ道を辿ることがないようアダインの幻影と戦い続けるという意味合いなのだが、宿敵と認定されたことでアダインは気を良くする。
一方で瞬は、果たしてメアラは、この愛嬌ある一面を見たことがあるのかと、再び複雑な気分になった。
どうにかして二人をまた引き合わせて、少しでも仲を改善するのが優しさか。
この男はこういうものなのだと割り切り、余計なことはしないでおくのが優しさか。
ともあれ、どうするにしても、まずはこの暗闇の世界を出ないことにはなにも始まらない。
「あんたもこれで満足できただろ。……そういうわけだから、今度こそ行くぜ。じゃあなオーゼスのおっさん共。またあんたたちに会えてよかったよ」
瞬はそれだけを言い残すと、アダインの脇を通り抜け、闇の中へと舞い戻っていく。
より暖かく眩しい光を浴びるために。
「ん、あれ……?」
歩き出して早々に、瞬は思考が激しく乱れて、めまいのような感覚に襲われた。
自分はなぜここにいて、どこに戻ろうとしているのか――――
自分の体は、セイファートは――――
セイファートOとの戦いは――――
メアラに引き合わせるだの、引き合わせないだののくだりは、よくよく考えれば―――――
そういえば、アダインは、まだ――――
この世界と、その住人たちは――――
ここで起こった出来事、その全てが、時間と空間、両方の観点において大いなる矛盾を孕んでいる。
いま脳内で起こっている情報の組み換えは、けして異常な現象ではない。
むしろ歪んだ認知を正常に戻そうとする作用なのだ。
「オレ、生きてんじゃねえか」
自らの呟きがきっかけとなって、瞬はとうとう現実世界への帰還を果たした。




